56’.9歳 動物園に行こう
オーギュスト様の滞在時間が伸びたことで動物園の警備は予定されていた計画以上に強化した。
園内にはあらかじめ身元のはっきりした招待客しか入れていなかったけれど、今日になって手荷物検査を実施するよう指示をだし園内には来場者に扮した影を配置、記者たちの中にも影を紛れ込ませている。
さて、このスティルアート領にて賛否を呼んだ動物園は私が前世の頃に馴染んだ動物園とは少し違う。
「わぁ!うさぎですか!?とてもかわいいです!」
「本当ですね。近くで見てみましょう!」
柵に区切られたふれあいエリアはスティルアート動物園の目玉施設の一つだ。
背が低い柵の中にはうさぎやモルモット、アヒルがもこもこと動き回っていて、プレオープンの招待客である子どもたちがわいわいと動物たちにエサを上げたり抱き上げたりしている。
ルイ様は見慣れない小動物にくぎ付けのようで、お兄様に手を引かれながら柵の中に入っていった。
お兄様も小さな動物が好きなのでルイ様の付き添いという名目をもらえて内心喜んでいるのだろう。
今日の動物園訪問はプレオープンと記者たちへのお披露目も兼ねている。
そのためふれあいコーナーには招待された子供たちとその親が既に入っていて、私たちが姿を現すと一様に頭を垂れる。
オーギュスト様が労うお言葉を告げてふれあいコーナーは再開された。
一連の様子をわらわらと集まった記者たちがカメラに収め取材に走り回っていた。
来場者とオーギュスト様、ルイ様の邪魔をしないこととお二人への直接の取材は禁止しているけど、新しい情報に目がない彼らは何をするかわからない。
いくらうちの影を入れているからといって油断はならないのだ。
私はオーギュスト様の背後で記者たちに目を光らせることにしていた。
…決して至近距離のオーギュスト様が眩しすぎて直視できないわけではない。
「ここの動物たちは子どもたちに触られてストレスはないのかい?」
オーギュスト様が案内役の園長に尋ねた。オーギュスト様は視察も兼ねて園長に案内をさせていた。そのついでに私とユリウスの勝負の審判をしている。
「もちろんストレスにはなっています。草食動物は臆病ですから。そのため当園では時間を決め動物たちはローテーションを組んでふれあいコーナーを運営しております」
初老の園長がスッと指さした方には大きな看板にふれあいコーナーの開設時間が記載されていた。
山羊のエサやり体験の時間、馬の乗馬体験の時間、小動物の交流時間は決まっていて当日に予約を入れるシステムになっているのだ。
「あとはこのようにスタッフが必ず来場者に応対させていただくようにして動物たちとの正しい接し方について指導を行っております」
再びルイ様のほうへ視線を向けると、ふれあいコーナーのスタッフの腕章を付けた女性スタッフにうさぎの抱き方を教えてもらっているようだった。
「うさぎの耳はとても繊細です。とてもかわいいのですが耳を掴むとうさぎは驚いてしまいますから触れないようご注意ください。抱き上げるときも優しく脇から手を入れゆっくりと抱き上げてください」
ルイ様は真剣に話を聞くと緊張した面持ちで真っ白のふわふわとしたうさぎを抱き上げた。
艶やかな毛並みの白うさぎは赤い目をパチパチさせながら驚くこともなくルイ様に抱き上げられている。
「わぁ!見てください!うさぎですって!とてもかわいいです!」
きゃっきゃと声を上げるルイ様の隣でお兄様は茶色と白の毛が生えたモルモットを抱っこしていた。
年長者としての威厳を保とうとしているが目元が緩んでいるのは丸わかりだ。
「しかし動物とは繊細な生き物だ。毎日予定通りというわけにもいかないだろう?病気だってする」
「もちろんです。毎日同じようにというわけには参りません。その場合は動物たちの体調を優先してお休みを頂いております。当園には獣医が毎日回診を行っておりますので発見も早いですよ。
とはいいましても毎日同じ動物ばかり出ているわけでもありませんから今の段階では中止はしておりません」
「結構な数の動物を飼育しているのだね」
そりゃそうだ。
この動物園、目玉施設がまだこのふれあいコーナーしかないのだから。
私の感覚では動物園といったらめったに見れない大型動物や猛獣がいるイメージが強いのだけど、そういう動物を仕入れるには時間もお金もかかる。
だからまずは害獣扱いされていた動物や行き場がなく役所の動物管理課や警備兵預りになっていた動物たちを集めてふれあいコーナーを作った。
あとは罠にかかって保護されていた鳥とかが別のエリアに展示されている。
そのためこのふれあいコーナーの評判を落とすわけにはいかず、生体の健康管理には殊更力を入れている。
「へぇ、動物たちの管理には力を入れているのだね」
「もちろんです。彼らあっての動物園だと、動物園を立案者からきつく言われおりますから」
意外なことに動物愛護の意識は貴族のほうが高い。
狭い柵のなかで動物たちを飼育して見世物にする施設が批判の的になることは役所の面々たちからの反応からわかっていた。
だからこの動物園は展示施設ではなくて教育施設としての役割を強く持たせた。
ふれあいコーナーですら小動物と正しい接し方を学び動物愛護意識を高めるためのコーナーとしているくらい。
必ずスタッフが来場者の対応をするようにしているし、スタッフのいう事を聞かない来場者は即つまみ出すようにしている。
ここの運営に領主家が携わっているというのがいい抑止力になっているそうだ。
園長はにこやかに笑うと、私たちをバックヤードに案内した。
表のエリアだけでなく施設の中まで案内するというのが今回の目的なので本番はここからだ。
「ふん!表側だけならいくらでも繕える」
ユリウスは今のところ批判材料がなくて面白くないらしい。両腕を組んで何か荒が無いかキョロキョロと周囲を見回していた。
表のふれあいコーナーと裏のバックヤードとの境目になっているスタッフの詰所を抜けて再び外にでた。
バックヤードは表のふれあいコーナーと違って手入れされた柔らかい草が一面に広がっていた。
脱走防止の柵はされているもののひろびろとした柵の中で表と同じようにうさぎやモルモット、アヒルに小型の山羊が走り回っている。
遊びのためなのかトンネルのようなおもちゃや段差が作られていて、トンネルのなかで団子みたいに固まって涼んでいる動物もいた。
動物たちの生活環境と似た環境を作るために手入れされた木々や砂場が設けられているのだ。
乗馬体験のための馬たちは別の柵の中にいて、こちらも遊ぶためのポールや大きめのトンネルが作られている。
「表にいない間はこちらで遊んでいることが多いですね。足に識別用のリングが付いていますのでそれで個体を区別しております。まぁここのスタッフたちはリングがなくても見分けは付くそうですが…」
「夜は別の場所に移動しているのかい?」
「いいえ、夜は侵入防止の魔道具がここら一体に設置されているので夜もたいていここにいますよ」
「雨が降ったらどうするのだ?風邪をひくだろう!」
ユリウスがみたかと言わんばかりに大きな声を出した。ごもっともな意見だけど野性の動物たちはどうするんだと言いたいところをグッと抑えた。
「侵入防止の魔道具は雨風も防いでくれますので問題ありませんよ。狭い檻に閉じ込めるよりよほどストレスにはなっていないかと」
「そ、そうなのか…」
サラリと園長が切り返すものだからユリウスはくすぶった怒りをどうしていいかわからずキィっと私を睨み付けた。
まて、私は何もしてないぞ。
元々侵入防止の魔道具は穴を掘るうさぎやモルモットの脱走防止と外部からの泥棒対策のために作ったものだった。
でも脱走を防止するだけでなくあれもこれもと機能を盛り込んでいたらいつの間にか随分多機能な魔道具になっていたらしく動物園では重宝しているのだとか。
これはディーたち、怪しげな研究者たちによる力作で今は消費魔力を抑える研究に勤しんでいるそうだ。
ちなみにこの魔道具は畜産農家からとても好評で製造が追いついていないと言っていた。
新しい収入源として期待ができる。
「バックヤードも清潔に保たれているし動物たちの毛の艶もいいね。ユリウスからみて彼らはストレスを感じているようにみえるかい?きみは詳しいだろう?」
「……………………………残念ながらストレスを感じているようにはみせません。食欲もあるようですし表情も明るい」
ユリウスは忌々し気に私を見た後、小動物とは別の柵の中で日向ぼっこをしている馬をみた。
ポニーと思わしき小柄な馬は草をもりもりと食べながら機嫌よくヒヒーンと鳴いている。
「あの馬はある貴族が娯楽のために飼っていたのです。見栄を張って買ったはいいものの正しく手入れもされず劣悪な環境に置かれていました。最近ようやく飼育員たちにも心を開くようになったのです。元々いい馬だったのにここへ来た時はやせ細って警戒心ばかりで…」
園長が瞳にうっすらと涙を流しながら解説してくれた。相当思い入れがあるのかその顔は成長した孫をみるおじいちゃんみたいだった。
教会の汚職事件のとき、主教たちに加担していた一部の貴族も粛清され、ペットとして飼われていた動物も押収された。
しかし警備兵が飼うこともできず希望があれば譲渡されたけれど行き場を失った動物たちは殺処分されるしかなかった。そこで動物園が引き取ったのだ。
こちらとしてはタダで展示物を入手することができてラッキーだったんだけどね。
「ここにいる動物たちはそういう経緯でここへ来たのかい?」
「全てその限りではありませんが行き場を失った動物たちが多いですね。農場で罠にかかったアヒルや飼いきれなくなったうさぎ、不要になった鷹などでしょうか?その分展示されている動物に偏りがあるのが悩ましいところです」
「じゃあ狩猟で得た動物はいないのかい?」
「…そういえばいませんね…怪我をした動物を保護することはありましたが…」
園長はしばし思案するとぽつりとつぶやいた。
貴族のたしなみとして狩猟は文化として存在している。
オーギュスト様だってもちろん狩猟はなさるしそのことをとやかく言うつもりはない。
ただ大型動物を狩るとなると罠を張るにしても魔法で捕まえるにしても危険が伴うしお金もかかる。
この人材不足の動物園でそんなことをしている余裕はなかったし、買い取るにしてもかなりの金額をふっかけられたとかで断念したのだ。
それであれば飼いきれなくなった動物を引き取るほうがまだ安上がりなのだ。
どちらにしてもまだ大型動物を飼育できる環境も整ってなかったからね…。
ただ園長はわりと動物愛護精神が強い人なので狩猟で動物を確保するという事すら思いつかなかったらしい…。将来的に経営は別の人を付けたほうがいいかもしれない。
「もう少し中をみせてもらうことになりそうだけど、この勝負はメアリーの勝ちじゃないかな?」
オーギュスト様が私とユリウスのほうをむいてにっこりとほほ笑みながら勝負の結果を告げた。
「くそっ…!!」
「ありがとうございます。動物園が殿下に評価していただけて大変うれしく思います」
「こ、この程度で私がおまえを認めたと思うなよ!この悪役令嬢がっ!!」
ユリウスは忌々し気に吐き捨ててずんずんと奥へ進んでいた。
慌ててユリウスの従者たちと動物園のスタッフが追いかけていって、バックヤードには私とオーギュスト様とメイドたち、園長とくっついてきた記者だけが残された。
「そんなに悔しかったのでしょうか…」
「まぁ彼もたまには負けることが必要だから…」
「は、はぁ…」
オーギュスト様がそうおっしゃるならそうなんだろう。
私は幼少期のユリウスについてあまり知らないけれど、ゲーム内のユリウスはプライドの高い騎士様だから小さいときからあまり負けた経験がなかったのかもしれない。
「あ、あの…」
この場に残されて最も困る人、園長がオロオロと私とオーギュスト様に視線を向けた。
上位貴族を怒らせてしまった上に殿下を目の前にしているのだ。予想外の事態に焦らないわけがない。
オーギュスト様は園長を安心させるように表情を柔らかくした。
「大丈夫ですよ。彼は少々気が立っているだけです。僕はこの動物園は素晴らしいと思います。どうかこれからも生き物たちを大切にしてください」
「は、はい!!」
どこかへ行ってしまったユリウスはほかっておいて、オーギュスト様と私は動物園に従事するスタッフたちの雇用環境の話を聞いてまわった。
動物園は新設の施設だし専門性が高いスタッフが必要だし他から引き抜きにあったら困るから雇用環境は待遇はかなり良くしている。
オーギュスト様は終始関心したように園長の話を聞いていて、私は背後の記者を気にしながらオーギュスト様の後ろ姿と横顔を堪能していた。
ユリウスという邪魔者がいないので心行くまでオーギュスト様を堪能できて満足度は非常に高い。
「非常にわかりやすい説明でした。礼をいいます」
「大変勿体ないお言葉にございます」
一通り園内をまわって動物園の事務所をまわったところでオーギュスト様の従者が終了の合図を送った。
恙なく終わった動物園訪問だけどあとひとつイレギュラーな対応が残っている。
「ユリウス様は探しに行かれなくてもよろしいのでしょか?」
先ほどどこかへ行ってしまったユリウスのことだ。
いくら私に突っかかってきてめんどうな奴だったとしても攻略キャラに違いはない。
このまま何もしないというのは気が引けた。
「従者たちが付いているから大丈夫じゃないかな」
あ、これオーギュスト様面倒くさいってときの顔だ。いつもまっすぐに向けられる視線を外して遠くを見つめている。スチルで何度もみたよ。
「しかしこのまま従者たちに任せていたらいつまでも帰ってこないかもしれません」
「…それはそうだね」
既にユリウスがどこかへ行ってから1時間近くたっている。
動物園が広いと言っても敬愛するオーギュスト様の元を離れて1時間近く戻ってこないということは従者共々迷子になったか、よほどいじけているかどちらかだろう。
帰ってくるまで待っているよりこちらから探しに行ったほうが早そうだ。
「園長、予定外のことですけど手伝って頂けませんか?」
「は、はい。それはもちろん」
私は記者たちに紛れ込んだ影を使ってユリウスを探すよう指示を出し、自然な流れでオーギュスト様を誘導した。
園長の協力を得てなるべく入り組んだ道を使い記者たちを巻いていく。
プライドの高いユリウスのことだ。従者たちならまだしも、記者たちがいては素直にならないだろう。
そうやってやってきたのはふれあいコーナーのバックヤードだった。
馬たち自由に出入りできる馬小屋の裏に隠れていたらしい。つまり最初から移動していなかったのだ。
9歳の騎士見習いは遠巻きに従者たちに囲まれながら膝を抱えてうずくまっていた。
「ユリウス、迎えに来た。かえろう」
オーギュスト様も面倒くさそうな顔をしてはいたけど友人のことが気になるのか手を差し出す。
おいまて、羨ましいぞ。
「僕のことなんてほおっておいてください。負けた僕なんて殿下に相応しくありません」
ついさっきまで泣いていたのか、ユリウスは嗚咽交じりに言った。ちらりと見えた瞳は腫れて赤くなっている。
「そんなことないよ。君はとても素晴らしい騎士じゃないか」
「殿下の騎士に敗北は許されなのです」
「…」
めんどくさいなぁ…、ユリウス。
そういやゲームでもけっこう面倒な奴だったっけ…。このころからこんなんじゃ先が思いやられる…。
アリスちゃんが誰ルートになるかは知らなけどユリウスルートに入ったら面倒くさくて投げ出すんじゃない?
「こんなところでいじけているようなお方には確かに殿下の騎士は相応しくありませんね。早々に辞退されたほうがよろしいのではありませんか?」
「メアリー?」
「…っっ!!」
ようやくユリウスが顔を上げた。思った通り目は真っ赤だし泣いていた跡がしっかり残っている。
でもその顔は僅かに怒りが沸いているようでキッと眉はつり上がっている。
「だいたい騎士が主人の傍を離れるとは何事ですか!恥を知りなさい!」
「こ、このっっ!!」
「たかが1度負けた程度でなんです?オーギュスト様の騎士ならば勝つまで挑んでこそでしょう!」
「貴様!!言ったな!」
「えぇ、言いましたとも。あなたごときに私が負けるわけありませんから」
「軽口を叩いていられるのも今の内だからな!覚悟しているがいい!」
「あら楽しみですわ」
ユリウスはスッと立ち上がって目元を袖で拭うと、オーギュスト様の前に進み出てひざまずいた。
「殿下、騎士ともあろうものがお傍を離れる失態。大変申し訳ございません。どのような処罰でも覚悟しております」
「…うん、僕はなんともなかったから構わないよ」
「なんと慈悲深いお言葉。今日より再び殿下の騎士として研鑽を積んでまいります」
「うん、期待しているよ」
ユリウスとオーギュスト様の従者たちが安心したように小さく溜息をついて、私たちはお兄様とルイ様と合流した。
うさぎやモルモットのふれあい時間が終わっていたので特別にひよこと遊んでいたお兄様とルイ様はいつの間にかスタッフと仲良くなったそうで、ひよこの雄雌を当てるゲームをして遊んでいたそうだ。
お兄様はやっているうちに2、3秒ほどで判断できるようになったそうだけど、この能力は果たしてどこで活用されるのだろうか…。
ラブファンのなかでひよこの雄雌鑑定士なんて出てきた覚えはない。




