51’.事後処理&事後処理~side H~
スティルアート家当主、ハロルドは執務机に積み上げられた報告書の山に文字通り、頭を抱えていた。
こうなることは予想できた。
できていた。
とはいえ現実となって押し寄せてくるとまた迫力が違う。
「こちらには不備はないようですのでサインをお願いします。
こっちの山は住民部から移民たちの転居に関する報告ですが一部を除いて転居先は決まったようですね。
一部と言ってもスティルアートに残るか旅にでるかで悩んでいる人たちのようですから問題はなさそうです」
「旅?」
「元々定住地を持たずに国内を巡って旅をしている人たちだそうです。
思ったよりスティルアートが居心地いいので定住しようか悩んでいるそうですよ」
「…そうか」
心底どうでもいい。
住める場所は増えたのだから好きにしてくれ。
書類の山をさっと見て文官たちと一言二言交わして分類して、指示を出すアルバートは既に立派な当主としての才覚を発揮し始めていた。
息子が頼もしいというのはありがたいばかりだと。
ハロルドはサインが必要という報告書の束を手に取るとパラパラと紙を捲った。
最初の報告書は環境部からのもので、領地内の下水と浄化設備の工事が完了したことを報告する内容だった。
元々修繕工事が必要だったのは急激に人口が増えた街や一部の地域くらいだったので工事そのものは難しいものではなかったのだ。
農業が盛んな地域では汚物を肥料にしているのでそれほど衛生状態が悪いわけでもない。
昔行われた施策で下水や浄化設備はあるもののしばらく使っていなかったので点検と細かな修繕をした程度だという。
使用自体にも問題があったわけでもなく、単純に教会が禁忌としたので使っていなかったに過ぎない。
まぁそれもあっさり主教が領地内に暴露してくれたおかげで解禁となったが…。
ついでにゴミの処理についても管理を徹底したことで街は未だかつてないほどに綺麗なものになっている。
環境部の部長のサインを確認してハロルドもサインを入れる。
環境部も以前は形ばかりの閑職部署であったがメアリーという嵐の塊のような存在を突っ込んだことによってその偏見は役所内で180度向きを変えているという。
仕事が劇的に増え人員も増加し住民部にも負けず劣らな不夜城と化した。
環境部の使っている部屋は役所内でもかなり不便な立地であるが今となっては移動ができないのでそのまま使っている。
アラン部長に何度かもっと広い部屋に変えてみてはどうかと打診したそうだが、移動の時間がないことと物の配置が変わるとそれだけ仕事が増えるとのことでやんわり断られたと聞いていた。
本人たちがそれでいいのなら無理強いする必要もないだろう。
報告書を処理済みの箱に入れ次。
こちらは建設部からの報告書であった。
建設部はメアリーの計画の途中からハロルドが入れた公共設備の修繕と建設に関する仕事を行っていた。
そもそもこれはメアリーの計画にはなかったことでハロルドも直前まで入れ込むつもりはなかった。
このときメアリーが情夫を作ったと勘違いしたハロルドがメアリーが情夫との時間を作らないよう忙しくしようとした結果だ。
ついでに今まであまりメアリーの前に姿を現さなかった影たちが出てくるようになったのもメアリーの警護を強化したためで、この件については少しだけ申し訳なかったと思っている。
この建設部という部署は少々偏った考えの部署で、自分たちを役所のなかでも殊更優秀な人間だと思っている節があった。
特にメアリーが一蹴した男はその傾向が強く、同期のルーシーに対してとくに風当たりが冷たかったと聞いている。
メアリーの逆鱗に触れたあとは出世コースを外れ今では雑用係のようなことをしているらしい。
頭はいいがそれだけの男だったので丁度よかったと建設部の部長が言っていた。
公共施設については建物はほとんど使えるようになったようで運用のための人員の教育を行っているらしい。動物園は毛色が違う設備なので少し遅れ気味のようだ。
「動物園はオーギュスト殿下やルイ殿下も楽しみにされている。お二人がいらっしゃるまでには開園できるようしろ」
「はい」
「あぁ、そうだ。美術館にはウチの絵画や美術品を寄贈しよう。家にあって埃を被るくらいなら客寄せにしたほうがいい」
「それについてなのですがメアリー様が新人作家の作品を取り入れてはどうかとおっしゃっていました」
文官のひとりが別の書面を手渡した。几帳面な字はメアリーにつけている女性文官のものだとすぐにわかった。
「メアリーが、か?」
「はい。古い絵や美術品ばかりよりこれから活躍する作家の作品にも目を向けるべきだと…」
「ほぉ。メアリーがそんなことを…。いいだろう。メアリーの体調が戻り次第進めよ」
「はい」
建設部の報告書にサインを入れ箱に入れる。
メアリーが芸術に興味があったとは意外であるが、貴族の娘として芸術に関心があるというのは喜ばしいことだ。
劇場についてもメアリーの提案だというし少しは本人の意向を組んでもいいだろう。
次はいよいよ教会に関する一時報告だった。
教会汚職事件の余波はアルテリシア全土に広がりを見せている。
メアリーが引き込んだ女性記者たちは全国紙として競合する『アルテリシア日報』と『帝国瓦版』にそれぞれが記事を持ち込んだ。
『アルテリシア日報』はこれを大々的に扱い翌日の朝刊一面を飾ったが、保守的な『帝国瓦版』は門前払いだったそうだ。
ちょうど同じタイミングでスティルアートから正式にキャンタヘリー教会の汚職に関する謝罪と今後の対応について声明を発表。
記念すべき第一報を失った『帝国瓦版』は手のひらを返したように記事を求めたという。
反対に詳細な速報記事で一面を飾った『アルテリシア日報』の編集長は鼻高々だそうな。
こうして全国に教会汚職が広がったことで自領の教会に対する不安と不信が募った結果教会は自らの潔白を証明せざるを得なくなった。
それは今まさに権力を集めつつある大教会とて同じであった。
アルテリシアの教会は魔法に関する全てを管轄している。
魔法帝国として栄えるアルテリシアにとって魔法はなくてはならない存在で、魔道具は生活、軍事、そして国家にとっての要であり、魔法の全てを統括する教会の存在はある意味皇帝にとって脅威でもあった。
日ごとに権力を高め皇帝に意見し政策へ口を出す教会の存在には皇帝も頭を痛めていた。
しかし神の声をきくという教会の存在を無碍にすることもできない。
出方を間違えると皇帝は神を軽んじていると付け入る隙を与えかねないのでハロルドたちをはじめとした側近たちは頭を抱えていたのだ。
そのタイミングでメアリーから教会を何とかしたいという相談があった。
方法については言いたいことは多々あったが一方でチャンスでもあった。
この作戦がうまくいけば大教会の権力を削ぐ一助になる。
作戦は見事に成功どころかとんでもない結果を残してくれた。
「まさか教会が燃えるとはなぁ…」
「本当です。まだ火災の原因については調査中とのことですが…」
教会の火災については街中に張り巡らした連絡鏡の熱が反射したことによって起きた自然発火ではないかというのが見立てではあるが、それには不可解な点が多い。
鏡が原因となる火災は冬に多いが、今はまだ秋になるかならないかという時期だ。火災が起きるにはまだ早い。
そして火の回りがあまりにも早かったことだ。
教会の建物は古い木造で確かに燃えやすかったとはいえ煙が確認されてから短時間で屋根が落ちるまでに至った。
いくら消防隊の到着が遅れたとはいえ早すぎやしないか?という疑問があり事故調査班は放火の可能性も視野に入れていたそうだが、今のところ放火の証拠は一切上がっていない。
野次馬に邪魔され消防隊が教会に入れないと聞いて即座にスティルアート家の騎士団を動かす判断を下したのはアルバートだった。
領民や官僚たちの中にはスティルアート家が個人所有として国家規模の騎士団を持っていることにいい顔をしない者がいる。
そういう連中の批判を避けるためハロルドはあまり騎士団を動かしたくなかったのだ。
アルバートとてそれは知っているしそういう連中の風向きは熟知している。
それでも騎士団を動かし、教会の火災はひとりの死者を出すことなく鎮火した。
消防隊からも騎士団のお陰で現場に早く到着することができた、との声も上がっている。
『火災ごときで騎士団を動かすなんて大袈裟すぎる』と声高に言っていた連中もこの結果を知って何も言えなかったようで今はおとなしくしている。
「巷では神から下された罰ではないかと噂になっているようです」
「あまりにもタイミングはよかったからなぁ」
「はい。火災についても不可解な点が多いですし…ですが神は本当に存在しているのでしょうか?」
アルバートは教会の一件以降、神の存在について懐疑的になっているようだった。
以前は主教のいう事や教会の言う事になんら疑問を抱かなかったようだが、最近では少しずつではあるが教会以外のことにも疑いを持つようになっている。
ハロルドとしては神の存在などどうでもいいが息子の成長が単純に喜ばしかった。
表向き、ジャック主教は違法魔道具の使用と所持で逮捕したがこれはきっかけに過ぎず、本当の狙いは『神のお言葉』の捏造や寄付金詐欺の疑いを証明することだった。
これが証明できれば教会の信用問題にも関わり、それは全国の教会を統括する大教会の関与も疑われるとして大教会に切り込むことも可能になる。
皇帝はこの機会を勝機と捉え大主教を呼び出すことに成功した。
当初は渋っていた大教会ではあったが教会組織への信頼回復のためにも大主教自ら赴く必要がある判断したらしい。
これを機にハロルドたち皇帝の側近は大主教ら幹部の入れ替えと大教会をはじめとする教会組織に監視役として役人を入れることを目論んでいる。
「魔法が存在するのだから神がいてもおかしくはないのではないか?ただ神はそれほど我々に干渉するつもりはないようだがな」
「そうですね。結局自分の力で何とかするしかありませんもんね」
「その通りだ。神がもっと手を貸してくれるならこの書類の山を何とかしてほしいものだ」
「ははっ、これも僕たちの力で何とかするしかないようです」
そう言って、アルバートは手元の書類を小突いた。
教主が神の存在を否定し『神のお言葉』を捏造した一方で、教会のタイミングが良すぎる火災については逆に神の存在を際立たせることになった。
あんなタイミングよく火事が起きるわけがない、きっと神がお怒りになられたのだ。
領民たちがそう囁けば、その噂話は尾ひれがついて広がり、領内に入り込んだ記者たちによってアルテリシア中に伝播しつつある。
そうなると神の存在を軽んじた教会組織への批判は高まり教会の権力を削ぐことができる。
もっとも、メアリーにそんな大それたことをしたという自覚も目的もなかったが。
メアリーはただ自分の計画に教会の存在が邪魔だったから排除したかったに過ぎず、その過程で色々と起きたからまとめて解決しただけなのだろう、とハロルドは考えていた。
それはだいたい正しい。
現在、主教をはじめ逮捕された面々は警備兵が取り調べをしている真っ最中だ。
副主教のクラウスも当然、関係者として連行はされたが、は影の騎士調査部の報告では汚職には一切かかわっていないと報告がされているし協力を惜しまないと言っているので時期に開放されるだろう。
本人は仕事をしなくていいので休憩になると言っているらしいが。
クラウスは当初は証拠の隠滅がうまいだけかと思っていたが、調査を進めるうちにわかったのは教会がその機能を維持してこれたのはクラウスが身を削って職務に当たっていたお陰であるということだった。
たしかに見るからに睡眠不足で体力はなく不健康を極めたような副主教は、着飾り肥え太った主教とは正反対でとても贅沢を楽しんでいるようには見えなかった。
主教の暴露通り、主教が唱えていた『神のお言葉』のほとんどは捏造されたもので教会の公式の記録にもそのような『お言葉』はなかったという。
下水の運用についても問題はなしとのことで衛生計画事業に支障を来すことはないとのことだった。
喜ばしい報告とは反対に教会病院に搬送された移民たちのほとんどは既に亡くなっていたという。
死因は原因不明の感染症によるものと思われ、症状は一致していた。
体の一部が腫れ高熱、頭痛、悪寒、筋肉痛、なによりも恐ろしいのは全身に黒い痣が広がり短期間で死亡に至るという不気味さだった。
教会はこの原因不明の感染症が教会から広がった言われる事態を避けるため教会病院に患者たちを閉じ込めた。
最初は教会病院の医師たちが治療にあたり原因の究明を行い薬の開発に成功するも、主教はその使用を禁じたのだ。
教会にとって重要なことは移民たちの命ではなく体のいい人質で罹患していない移民たちでその役割は十分に賄えていて、薬の開発という魔法と科学の発展は神の神秘を暴く悪しき存在としていたのだ。
その悪に患者を救われたということは教会にとってあってはならないことだった。
だからこそ教会は魔法の全てを管轄し必要以上の発展を阻止していた。
これがスティルアート領の農業と畜産の発展の妨げになっていたこともありハロルドとしては腹立たしい限りだった。
主教がいけしゃあしゃあと『神の恵みによって作物は育つ』と語っていたことも内心苛立って仕方なかったくらいだ。
「それで、感染症の原因は結局わかったのか?」
「ノース先生のチームが調査中ですが原因の究明には至っていないそうです。ただまだ入院していた教会病院の患者たちは薬の効果もあって介抱に向かっています」
「街への感染は確認されているのか?」
「…ごくわずかにですが」
「殿下たちがいらっしゃるまでには必ずや沈静化させろ」
「はい!」
いくら薬が開発されているとはいえ、原因不明の病を領地内で蔓延させるわけにはいかない。
今ならまだ手に負えない事態に発展することないだろう。
「まさに猫の手でも借りたくなるなぁ」
「猫ですか。いいですね、メアリーも猫は好きなようですし」
「あれに小動物を与えるわけにはいかんよ。気まぐれに捨てでもしたら猫がかわいそうだ」
「…そうですね…」
教会からの報告書にもサインをして処理済みの箱へ。
アルバートが小さな動物を好んでいることはハロルドも知っていた。アルバートは面倒見もいいし猫や犬をよくかわいがるだろうし本人は男が犬や猫なんて、という恥ずかしさで素直に欲しいと言えないことも気づいている。
が、馬が暴れただけで殺処分しろと叫んでいたメアリーを知っている以上あまり犬や猫を手の届く範囲に置きたくはなかった。
「そういえばメアリーのことが新聞に載っていましたよ」
「ほう。なんと書かれていた?」
「『我がまま令嬢の罠か?主教、逮捕』『スティルアート家ご令嬢に慈悲はないのか』『神の鉄槌は誰に下る?』などなどですね。内容は一貫してメアリーが主教を罠にかけたのではないかということと、哀れな主教に同情すると書かれていました」
「間違ってはいないが語弊があるな…」
あれだけの暴露をしてなお、主教を信頼するものはいるようだ。
最近ではより新しい情報を求めて記者たちは躍起になっている。
メアリーが最初に連れ込んだ記者には『事実のみを書くこと』『掲載前に確認をすること』を条件に最も早く新しい情報をまわしているが、それ以外の記者はどうしても記事が後手になる。
そうなると聞きこみで仕入れたゴシップ紛いの記事を書くしかなくなるのだが話題性の高いメアリーの情報が多くなる。
とはいえモニターから街中に広がったメアリーの姿はどうみても正義の味方というより悪の親玉だった。
最後に主教に引導を渡したこともそのあと押しになった。
しかしアルバートも居合わせたあの場でアルバートが主教に甘い態度を見せればそれはそれで批判の種になり、逆に冷たい態度をとっても『スティルアート家の時期当主は心がない』と言われかねない。
どちらに転んでも良くない状況もおいてメアリーが批判を一手に引き受けることになった。
もちろんこちらの件についても本人に自覚はないだろうが。
ただメアリーも悪評ばかりではない。
今回の衛生計画によって領地内での評価は上がりつつある。
それが将来どういう結果になるかはまだわからないが、殿下の婚約者候補としては良い評価だ。
その本人は過労で倒れ、未だ主治医にベッドから出ないよう厳命されている。
体調が戻ったら馬車馬のように働かされることは薄々気づいているらしい。
仮病を使われる前に連れ出さねばと思案しているところだった。
「ベッドの上でサインくらい出来るだろう。そういう内容の書類はメアリーにまわせ。でないと我々が死ぬ」
スティルアート邸にて、悪役令嬢の名を得つつあるお嬢様は何か不穏な気配を感じて身震いしたという。




