49’.8歳 悪役令嬢とわるいやつら~side others~
(とある司祭の視点です)
主教様はこのところ常に苛立っている。
落ち着きなくソワソワと部屋の中を歩き回ったり意味もなく部下の司祭やメイドたちを叱りつけ、意味もなく怖がらせている。
以前から気分屋なところがある主教様ではあったが、ほどよく良い気分にさせていればよかったしいらない仕事を増やされることもなかった。
それなのに最近ではほとんどその手も通じなくなってしまい何かどうしても主教様に用事があるときはタイミングを計ったり機嫌を良くしてから済ませたりと余計な苦労が増えてしまった。機嫌を良くするといっても以前ほど簡単ではないのだ。
それもこれもあの領主家、スティルアート家のメアリー様に全ての原因がある。
このところスティルアート家からの寄付金が減っているのだ。
何度理由を尋ねても移民たちがいないのだから寄付金を増やす必要が無いの一点張り。
たしかに教会はスティルアート家に移民たちの支援のために寄付金の増額を求めてきたが、教会にはまだ病院に患者たちがいることになっている。彼らの支援のためにも寄付金は必要ということになっている。
病院の実態は知らないだろうに、病院の患者たちがどうなってもいいのだろうか?人道に反することである。
そもそもメアリー様が主教様や我々の留守を狙って移民たちを連れていくなんて思いもしなかったのだ。
主教様は下水や浄化設備の修繕に協力するとは言ったが移民たちを使うなんて聞いていなかった。
そのあたりは副主教様に一任されていたし、とうの副主教様に至っては『移民たちに職ができたならいいことではないか』と言って聞く耳を持たない。
寄付金が減るとどうなるか、副主教様はご存知ないのだろうか?
とはいえ今そんなことを言っていても仕方ないので私は主教様に言伝を伝えるべく主教室の部屋の扉を軽くたたいた。
「はいれ」
重苦しい重低音で帰ってきた入室許可を聞いて、今日も主教様は不機嫌そうだと確信した。用件は手短に、かつ慎重にお伝えしなくてはならない。
「主教様、いくつかお伝えすることがございます」
「手短に済ませろ」
「はい。…まずとても申し上げにくいことで私としてもどうしてこんなことを言ってくるのかわからないのですが…街に設置したモニターの請求が…」
「そんなもの待たせておけ!あれの設置は神の御意思だとても言っておけばやつらも黙るだろう」
主教様は怒りをぶつけるように拳を高そうなテーブルにガンガンとぶつけられた。幸い分厚い木製のテーブルは音を立てるだけでビクリともしなかった。
「そ、そうですよね!神の御意思なのですからこちらとしても急だったことですし待つことが道理!さすが主教様にございます!」
「チッ、メアリー様はいつになったらお礼を持ってくるのか…神へのお礼以上に優先されることなどほかにないだろうに!これだから女のいう事は信用ならないのだ…」
もともと街に設置したモニターの費用ははメアリー様が主教様に渡すと言ったお気持ちで支払う予定で設置したのだ。
どれだけのお気持ちを持ってくるかは明言されていないがこれまでのお気持ち以上だとあれば相当な額が期待できる。
あのモニターの設置費用くらい軽いだろう。
既に領地内の下水と浄化設備の修繕は完了していて、道の整備や新しい公共施設の建設までしているらしい。
修繕の協力については教会にも何度かお伺いの連絡や協力を求める文書が来ていて、それらは全て副主教様が対応しているそうだが一向にお気持ちを持ってくる連絡は入っていない。
本来なら下水と浄化設備の修繕が終わった時点で持ってくるべきなのだ。
そうこうしているうちにモニターの設置が先に完了してしまい残るは設置業者への支払いだけになってしまった。
ほかにもメアリー様から頂くお気持ちをアテにして教会の設備を変えたり主教様とその側近たちで使い込んでしまったりと…無駄に厳しい副主教様には言えない事情ができてしまったのだ。
副主教様に領主様へ直接問い合わせるべきだと言っても『とくにお金に困っているわけでもないからわざわざ領主家に請求するなんてみっともない真似をする必要ない』と突っぱねられてしまった。
主教様のほうはご自身で何度か連絡はしているけれど…。
しかし今日は主教様が機嫌を良くされる話題がある。
「そのメアリー様からご連絡がありました」
「何?!本当か!?メアリー様はなんと?」
「近日中にお気持ちを持参するとのことです。しかし直接のお渡ししたいので主教様にお会いしたいとのことですが如何いたしましょう?」
「そんなものお会いするに決まっているだろう!ほかのどんな予定よりも優先しろ!」
「はい」
あまり表に出せないお気持ちなので金銭ではないもので授受するおつもりなのだろう。
その場合だと代理人を立てるより直接本人同士でかつ限られた空間で行うことが主流だ。
主教様もそれを察したようでさっそく直近の予定を確認し始めた。
「我々の仕掛けた作戦にとうとう根を上げたか。やはりまだまだ子どもだなぁ」
ニマニマと嗤う主教様を見て少しだけ嫌気がさした。主教様の言う作戦が僅か8歳の女の子に対する仕打ちではなかったからだ。
メアリー様からの支払いが待ちきれない主教様は直接自分の手は汚さないスティルアート家への嫌がらせを始めた。
それは外部の新聞記者にメアリー様が行っている事業について悪い内容の記事を書かせるというなんとも陰湿な方法だった。
しかし大手の新聞社の記者たちはことごとくスティルアート家に不利な内容の記事を書くことを嫌がった。
以前スティルアート家に不利な内容の記事を書いてスティルアート領の出禁を食らったのだ。
何かと話題の多いスティルアート領にプライベートでも出入りできないのは記者として致命的ということで大手出版社の記者はもちろんフリーの記者ですらスティルアート家の記事については慎重になるらしい。
結局できたのは、新人の直接会ったこともないような新聞記者に記事を書かせて、とにかく読者が食いつく話題がほしいというマイナーな雑誌に記事を載せるというこれまた地味な方法だったのだ。
それでも主教様が何食わぬ顔でそのマイナー雑誌の記事を読んで『このようなことが行われているとは嘆かわしい』と言えばそれなりの話題になったので、スティルアート家への嫌がらせという意味では成功したのかもしれない。
テーブルに積まれた名前もあまり聞いたことが無い雑誌に貼られた付箋のページを開く。
『スティルアート家に飼われた現代の奴隷』『朝から晩まで鳴りやまぬ作業音』『騙された!住まいは豚小屋、飯は残飯!逃げ出すことも許されない契約』『甘い誘い文句に注意せよ』『我がまま娘の独断か?神の領域を荒らす愚行』『スティルアート家のご令嬢、やりたい放題』
等々…。白黒のページに書かれている虫のように細かい文字で書かれた記事の内容は一貫していた。
スティルアート家が主導する公共事業に雇われた移民たちは朝から晩まで働かされている。
その証拠に作業場には中を見せないよう防音布が隙間なく張られ外されるのは作業が終わったときだけ。
その後は屈強なスティルアート家の私兵に囲まれて宿舎へ帰っていく。
その宿舎も豚小屋のよう集合住宅で一つの狭い部屋に何人も同居している状況だ。1日1回出される食事というのも残飯のようにマズいのだろう。
しかし作業員たちは就労時に1年間の契約魔法を結んでいるので逃げ出すことも許されない。彼らはまさにスティルアート家の奴隷である。そんな彼らには同情を禁じ得ない。
スティルアート領は今、教会の再三にわたる忠告を無視して下水を修繕し神からの恵みが与えられる大地に汚物を流している。さらにか弱い動物たちを檻に閉じ込め見世物にする動物園という施設を建設中だ。
この事業に悪名高き某貴族のお嬢様がかかわっていることは想像に難くない。彼女の両親はいつまでこの我がままを許すのだろうか。将来のスティルアート領、ひいてはアルテリシアのためにも是非堅実な判断をされることを願いたい。(記者・エドワード)
だいたいこんな内容。
末尾に記者の名前が入っているところをみるにこの記者はよほど手柄がほしいようだった。新人の記者と聞いていたし無理もない。
ところどころ指摘したいところもあるし、こちらが下水の工事を許可したことは伏せられているがこの記事を読んだだけだとスティルアート家への批判を煽る記事だ。
一体この記事にどれほどの効力があったのかはわからないが、効果があると確信した主教様は更に別の記者を呼んだと言っていた。
その記者を呼ぶために金を払ったと言ったがその金だって未払いだし、なんならネタを提供してやったのだからといって安くたたくつもりだろう。
わずか8歳の女の子への嫌がらせにここまでする必要もない…。
「メアリー様がいらっしゃる日は最高のお茶をお出ししろ!絞り出せる限りのお気持ちを搾り取るのだ!」
久しぶりに上機嫌な主教様を後目に私はメアリー様をお迎えする準備を始めるのだった。
このようなことをお許しになる神は本当に寛大なお方だと思う。
そしてメアリー様とのお約束の日。
教会に領主一族が使う専用の魔車が横付けされ、慌ただしく出迎えの準備がされた。
スティルアート家は教会にとって最大の支援者。特にメアリー様は教会の財政にとってなくてはならないお方なのだ。少しでも機嫌を損ねないよう細心の注意を払って教会の扉を開けた。
そこには貴族然として優雅にほほ笑むスティルアート家ご令嬢、メアリー様が佇んでいた。
背後にはメアリー様の専属の文官とメイドがふたり。メイドたちがそれぞれ手元に大きな盆をもち布で被せた贈り物を持っている。その後ろにも従者が4人ほど続き重たそうなワゴンを押していた。
手土産の中身が教会への贈り物だとわかると、私たちは顔に出すことなくほくそ笑んだ。
おそらく荷物の中身は魔法石か宝石の類だろう。これだけの量があれば主教様もお喜びになること間違いない。
「メアリー様、ようこそおいでになりました」
メアリーは上位の貴族らしく一言も口を利くことなく、周囲を一瞥して中へ進む。8歳という年齢のわりにその雰囲気は大人の貴族と大差なかった。
私たちはメアリー様を主教様が待つ応接室へと案内した。そこは以前にもメアリーと主教様たちの話合いにも使われた部屋で、今日は副主教も同席しているという。
案内役は部屋のドアをノックして来訪者の到着を告げた。部屋の中で待つ司祭がドアノブを緩めたことを確認してメアリー様たちを中へ通す。
彼らは淡々のワゴンを押して部屋の中へと入っていった。
少々窮屈ではあったが、彼らが主教様へのお気持ちを運んでいると思うと少々の窮屈さくらい我慢できた。
「メアリー様、まちくたびれましたよ」
「ご連絡が遅くなって申し訳ありません。主教様」
「いいえいいえ、メアリー様もお忙しいでしょうから」
主教様に促されてメアリー様はソファーにゆったりと腰を掛けた。
ソファーの後ろ側には先ほどの文官とメイド、ワゴンを押す従者たちが立っていて、司祭たちは威圧感を感じたが主教様の咳払いで気を立て直す。
「して、メアリー様。最近スティルアート家からのお気持ちが減っているのですがどういうことでしょう?」
「いきなり本題から入るなんて…。もう少しお話いたしませんか?」
悠然とほほ笑みかけるが、こちらとしては切羽詰まっているのだ。悠長におしゃべりしている時間などない。少しでも早くお気持ちを手中に治めたかった。
「いいえ、そういうわけには参りません。神へのお気持ちが減るということは神の機嫌を損なう行為にあたります。それによってスティルアート家に罰が下らないか、私は心配しているのです」
あくまで心配している、という体で主教様がお話される。本当はそんなことどうでもいいのだろうけれど、相手はわずか8歳の女の子だ。神への罰がスティルアート家に、といえば驚いてくれるだろう。
だが予想に反してメアリー様はその悠然とした構えを崩さない。
「罰、といいましても…当家は順風満帆、両親ともに健在ですし兄も健勝ですわ」
「今は、ということも考えられましょう。今はよくともこれから先はどうなるかわかりません」
「そうですか…しかしこれまで教会への寄付を増やしてきたのは教会がたくさんの移民を保護していたからにすぎません。今は移民たちはみな職と住まいをみつけ教会を出ております。それなら多額のお気持ちは必要ないのではありませんか?」
「まさか。教会にはまだまだ神の助けを求めるものたちがたくさんおります。病院は今も病に苦しむ患者が多くいるのです。彼らをお見捨てになるおつもりではありませんな?」
「でしたら彼らも当家で引き取りましょう。それなら問題ありませんでしょう?」
「え…それは…」
主教様が思わず口ごもった。
メアリー様からの意外な申し出に主教がどう返していいのかわからなかったのだ。
今病院にいる患者たちは教会から出すわけにはいかない。
「あぁ、それは良いですね。最近新しく建てた病院はアルテリシア内でも随一と聞いています。教会病院からも最近人手不足で困っていると聞いていますしちょうどよい」
副主教様は今病院内で原因不明の感染症が流行っていることを知らないのだ。主教様が副主教様を睨み付け、黙っていろと視線を送るが、副主教様は気づいていないフリをしている。
「あら、そうでしたの?教会がお困りなら私も協力しないわけには参りませんわ。是非そのようにいたしましょう」
「し、しかし…教会の病院は領地内でも随一のもの。彼らを治療できるのは教会病院以外にないと考えておりますから…」
このままだと副主教様とメアリー様で話が進んでしまいそうだったので司祭の1人がそれを止めた。普段なら考えられないことだがこれは教会にとっての一大事なのだ。
「さきほど副主教様からありましたように新設いたしました病院には国内でも有数の機器と名医が揃っております。それに場所もここから近いので患者の家族も安心ですのよ」
「しかし治療費が…」
「教会病院で支払っていた治療費に合わせるようにいたしましょう。こちらの病院は研究機関の側面も持っていますので未発見の病気や難病については研究費が出ます。患者の負担も軽減されますわ」
旗色の悪くなってきた主教は背後に構える司祭たちに助けを求めた。とはいえ司祭たちとて返答には困るものだった。
頭を抱える私たちに変わって助け船を出したのは副主教様だった。
「…よろしいのではないでしょうか?いつまでも入院患者を入れていては病院の外来業務に差し障りますから」
「う、うむ…しかし…」
「もし何かあったとしてもこちらは知らぬ存ぜぬを通せばよいのです。それとも、患者たちはなにか外に出せない事情でもお持ちなのですか?」
教会病院は副主教の管轄ではない。
だから副主教は教会病院の実態を知らないのだ。仕事の鬼とさえ言われる副主教は少しでも教会の負担が減るのならよろこんで患者たちを送り出す。
「何か患者たちを病院から出せない理由でもございまして?」
「いや、そういうわけではないのですが…
あぁ、そうだ。患者たちの中には身寄りのなかったものも複数おり彼らを病院では無償で治療しています。病院としては彼らから治療費の請求ができるようになるまで外に出すわけにはいかないのです」
これは嘘偽りのない事実だ。
移民たちのなかにはひとりでやってきてこちらで罹患した者もいる。そういう者たちは治療費が払えないからといって放置しておくわけにもいかず、教会病院で治療中ということになっている。
治療費だってただではない。いくら寄付があるとはいえ治療費がもらえないと病院の運営にも差し障る。お金のない平民たちにも医療を提供するには寄付金と治療費が必須なのだ。
これでメアリー様も引くしかないだろう。
そう思っていたのに、メアリー様のお返事はこちらの意を突くものであった。
「治療費ですか?それなら今お支払いいたしましょう」
「今?!ですか?!」
「はい。今日は先日主教様に下水と浄化設備の修理についてご協力いただいたお礼をしに参りましたの。少し増えたとお父様にはご報告すれば大丈夫でしょう」
「…」
メアリーはてきぱきと文官に指示を出して書類を用意させた。まさか今すぐ支払える分の資金を持ってきているとは思わなかった主教様は唖然としている。
「とはいいましても現金でお支払いできるわけではありませんの。こちらのお品をご覧いただけるかしら?」
そう言ってメアリー様はメイドが持っていた盆にかけられた布をはがした。艶やかな布地が布すれの音を静かに立てメイドの懐に消える。
両方の盆の上には見事に均一なカットがされた三角形のオブジェに加工された魔法石が鎮座していた。一抱えはありそうな魔法石は艶々と輝いていて、とても上質なものであるとわかる。
「こちらは…」
「主教様にご協力いただいたお礼です。お気持ちをそのまま持ってくると何かと役所に目を付けられますでしょう?その点、教会であれば魔法石が集まりますから怪しまれることはありません。いかようにもできると存じます」
つまり、多額の現金の受け渡しを行うと賄賂として警備兵や役所から目を付けられる可能性があるので魔法石と言う形でお礼をするということだ。
「こちらにある魔法石では不足でしょうか?」
そう言って従者たちにも目配らせをすると、彼らが押していたワゴンにかけられた布が外され荷台いっぱいの魔法石が現れて、思わず私たちも感嘆の声を上げた。これだけで教会へ寄せられる寄付金1年分に相当する。
「あ、まさかこちらを…?」
主教が言葉を失ってメアリーのほうを見ると、メアリーはにっこりとほほ笑んでいた。
「お気に召しましたか?」
「もちろんですとも!なんと見事な魔法石だ!これほどの魔法石をどのようにして入手されたのですか?!」
「とあるルートから手に入れたのですが…是非主教様にご協力いただいたお礼にしなくてはと思いまして…これの加工に時間がかかっていたぶんお礼が遅くなりましたの」
「そうだったのですか!これほどのお気持ちとあれば神もお怒りになることはないでしょう!」
主教様はもちろん、私たち司祭もそのみごとに加工された三角形の魔法石を遠目でじっくりと観察した。どの面も見事な三角に加工された魔法石はその大きさも見事であるが高い技術の職人が加工したことが一目でわかる。
スティルアート家は異国の職人を抱えていると言うしそちらに頼んだのかもしれない。
「ではこちらの契約書を書き換えねばなりませんね。でもこちらは魔法署名がされています。以前魔法署名入りの契約書も書き換えができるとおっしゃっていましたが…」
メアリー様は文官から受け取ったいつぞやの魔法署名が入った契約書をテーブルに差し出した。署名をしたときと変わらず謝礼の欄は空白になっている。
「えぇ!!えぇ、できますとも!アレを持ってこい!!」
興奮しきった主教様が司祭に大声をあげて指示をだすと間もなく司祭の1人が羽ペンの魔道具と、主教様が保管していた契約書を持ってきた。
テーブルの上に2枚の契約書が並べられた。寸分たがわず同じ契約書は魔法署名が入れられた正当なもので、署名が入れられたあとには書き込みも出来ないし火や水に着けても文字がにじむことも消えることもましてや燃え尽きることもない。
主教様はまっしろの羽がついたペンを司祭から受け取った。一見、普通の羽ペンにしかみえないがよくみると魔法式が組み込まれている主教様のお気に入りの魔道具だ。
「こちらは?」
メアリー様は初めてみるであろう魔道具をしげしげと見つめてきた。闇ルートで出回るこの特殊なペンはあまりみかけるものではないだろう。
それでなくても羽ペンを使うものはあまりいないのだ。羽ペンそのものをみるのが初めてなのかもしれない。
「これがその魔法署名がされた契約書の書き換えができる魔道具です」
「へぇ、このようなものがあるのですね」
「はい。表のルートからは入手できませんが…メアリー様がお望みならお譲りしても構いませんよ」
「ふふ。私には必要ないかしら?」
「そうですか…とても便利なのに」
主教は残念そうにそう言って契約書のお礼の欄にスラスラとメアリーが持ってきた魔法石の総量を記載した。
片方の契約書に書き込むと、もう片方の契約書にも同じ文字が転写される。
書いた部分は虹色の光を放ち徐々に黒く変わっていく。すると筆跡もペンの太さもインクの濃さも元々書かれていた文字と同じように変化し、後から書き込まれたとは全く思えないほど馴染んでいった。
「こちら、主教様はよく使われますの?」
「えぇ。何度も使っています。証拠を残さず契約書の書き換えができるので使わない手はありませんよ」
「へぇ。そうですか。ところで主教様、私からのお礼はこちらではござませんのよ?」
メアリー様はそう言って、その形のきれいな唇でにんまりと弧を描いた。
「へ?」
「ジャック主教!貴殿を違法魔道具所持と使用の現行犯で逮捕する!」
バン!と勢いよく応接室の扉が開け放たれて上位警備兵の制服を着た男たちがバタバタと入ってきた。
そしてメアリー様の背後で魔法石を運んでいた従者の男たちが同じく警備兵の制服を着ていた。
メアリー様の凶悪な悪魔のような笑顔を私は一生忘れない。




