45’.8歳 約束の日
ロリーヌ。
それはかつてスティルアート家に嫁いだ皇帝の娘の名前。
若く美しく知性に富んだ彼女であったが、若い娘が興味を示すことには一切興味がなくひたすら己の求めた研究と勉学に励み、結果、
見事に婚期を逃した。
厄介払いのように王都を追い出され作物の育たないほどに枯れて荒廃し『諦められた土地』と言われたスティルアートの地を押し付けられた不遇のお姫様だ。
しかし彼女はスティルアート領をあきらめてはいなかった。
夫と共に戦い、そして領地のために尽力した。
彼女はこの地を豊かな土地にするために魔法を使った作物の研究を始めた。
その研究が見事に結果を出すと、彼女の研究に誘われるように同じく魔法の研究する者たちがスティルアート領に集まるようになった。
彼らの尽力と夫の努力によってスティルアート領は次第に作物の穫れる土地へと変化していく。
よい野菜や小麦、稲を作るために必要なものは神への信仰ではなく天候、土、水といった環境や献身的な手入れであるということを証明したのだ。
そして品種改良を行った作物の種子はアルテリシア中に広まり多くの飢えた人々を救うことになった。
その状況をよくおもわなかったのが時の権力者と教会であった。
ようやく曲者だったスティルアートの跡取りを追い出したのに結局彼は国政に席を残したまま。今や皇帝の信頼も得るようになってしまった。
教会は神の御業によって作物は育つとしてきた。このまま作物のみのりが自然環境によってもたらされると浸透すれば教会の、神への信仰が覆されてしまう。
スティルアート家を良く思わない両者の目的は一致し、スティルアート家への執拗な嫌がらせが始まる。
教会での魔法授与の儀式に高い寄付金を突き付け、天候不順や不作があるたびにスティルアート家の信仰心が低いからだと言い募り、スティルアートからの荷物にだけ高い関税をかけるようになった。
それらに猛然と立ち向かった彼女たちであったが、とうとう過労によって彼女は短い生涯を閉じることになってしまう。
多くの者が嘆き悲しみ領民をはじめ参列者は途切れることなく葬儀はひと月以上に及んだ。
だが皇帝が彼女の葬儀に訪れることはなかった。
形式的な弔電と花が届けられただけだった。
教会や側近たちの顔色を伺った皇帝は娘のことを見捨てその存在さえ『なかったこと』にしたのだ。
このようなことが許されていいわけがない。
のこされた子供たちと夫はひとつの誓いを立てる。
父である皇帝にさえ見捨てられ、彼女の残した多くの功績の恩恵を受けておきながら手のひらを返したやつらをゆるしてはいけない。
必ずや彼女の名を再び皇族へ戻し彼女の存在を証明してみせよう、と。
それからスティルアート家では誓いを忘れぬよう直系の女児が生まれると必ず名前に彼女の名前を加えるようになった。
ロリーヌ、と。
だから私の長ったらしい名前、メアリー・イザベル・キャサリン・ド・アブスィルート=ロリーヌ・スティルアートにもしっかりとロリーヌと入っている。
アルテリシアの伝統ある貴族の名前は祖父母から取ることが多く古い貴族はけっこう名前が長いので特段珍しいことではないのだけどね。
「ロリーヌ様亡きあと、共に研究していた研究者たちは教会への反逆者として追われる身になったんだ」
「…」
お父様はディーの話をただじっと聞いていた。当然お父様もこの話は知っていたのだろう。
「でも当時のスティルアート家は外にも中にも敵だらけでね。
正直僕らのことまで気にかけている余裕もなかったと思う。
このままでは教会に研究の全てを奪われロリーヌ様同様『なかったこと』にされてしまうと思った研究者たちはこの地を離れ自分たちの名前も持たずに国内を放浪して研究を進めた。
長い歴史の中でひとり、またひとりと教会に捕まる者もいたけれど研究の結果だけは残して僕らはただ放浪した。
いつかに再びロリーヌ様の元に集う日まで、と」
「…だからディーは名前を名乗らないの…?」
名前は個人を特定する重要な鍵だ。
ひとつの名前を持てばそれだけ教会から見つかるリスクが増えてしまう。
そのリスクを回避するため、特定の個人にならないために彼らは名前を捨てた。
「そういうこと。てきとうに偽名を使っても不便はなかったし」
軽口を叩くように笑って言うが、その顔の裏にどれだけの苦労があったかは想像に難くない。
名前を持たないということは誰一人親しい友人を作ることも信頼できる人を作ることもなく、安住の地を持つこともなく孤独であり続けるということだ。
常に後ろを気にして、誰にも心を許さない生き方。
いつまで続くともわからない孤独のなかで何を思ったのだろう。
「我々も彼らのことは申し訳なく思っている。ロリーヌ様の仲間に何もできず見捨てる形になってしまった、と」
お父様は何かを堪えるように重く口を開いた。
ディーはお父様の言葉を口を真一文字に縛って聞いていた。
「…」
ロリーヌ様が生きていた時代は今よりもっと昔のことで、当時を知る人はおそらくもういない。
もしいたとしたらその人はとてつもなく長生きな人だろう。
私もロリーヌ様のことなんて聞きかじった程度にしか知らなかったくらいだ。
だからお父様が当時のことは自分のあずかり知らないことだと切り捨てることだってできる。
でもお父様はそんな薄情な人ではなかった。
「そして彼らの生き残りがみつかった暁には手厚く迎えよ、我々を裏切った者たちと同類になってはならない、と」
「それじゃあ…」
「あぁ。先祖たちの非礼を許してほしい」
そう言って、お父様はディーに手を差し伸べた。
ディーは一瞬ぽかんとすると、すぐさまいつもの何を考えているのかわからない笑みを浮かべてその手を取った。
「でもどうして今更接触をしてきたの?あなたは教会にいたくらいなんだから教会の目を掻い潜ってうちに接触することくらいできたでしょう?」
「それはきみだよ。お嬢様」
「私?」
「ボクはね、正直過去のこととかもうどうでもいいと思っていたんだ。
何十年も前のことだし当時生きていた人なんてもうほとんどいない。なかにはもう定住して普通に名前を持って暮らしている人だっているし何なら先祖のことすら知らない人もいる。
今となっては教会だってボクらのことはそれほど真剣に追ってはいなかったからね」
「ならどうして…」
「きみが魔法を開いたときボクのところへ運ばれてきただろう?
スティルアートの、それもロリーヌ様の名前をもらった殿下の婚約者候補。
これはもう運命じゃないかと思ったよ」
「運命…」
ディーの口から出るにしてはロマンチックすぎる言葉に思えてげんなりとして眉をひそめた。
似合わない。
私の言いたいことを読んだのか、ディーのほうも呆れていた。
「あのねぇ…ボクだって運命なんて嫌いだけどさ…ボクのところに急患が運ばれてくるなんてほとんどないんだ。偶然にしては出来すぎだろう?」
「え?あなた教会で医者やってるのでしょ?」
「こいつに診察を頼むくらいなら葬儀屋に連絡をしたほうがまだ賢い。私なら絶対に頼まないな」
「…」
クラウスの補足に私だけでなくお父様とお母様まで怪訝な顔をしていた。
一体私が倒れた時なにを言われてディーのところへ運ばれたのだろう…。教会の司祭や主教にいいように言われたのだろうな…。
「魔道具の研究に関しては一流だとは思うが『治療』という行為とは程遠いやつなんだよ。
一度患者として運ばれたらどんな実験に使われるかわかったものではない。メアリー様はよくご無事だったと思う」
「さすがに領主の娘にどうこうしようとは思わない…よね?」
じっとりとディーの目をみると、口元はにんまりと笑っているのに目元は笑っていない、いわゆるアルカイックスマイルで答えてくれた。
これは信用してはいけないやつだ。
「そうだね。さすがにまだ元気に生きている人間に何かしてまで実験をしたいとは思わないよ」
元気じゃなかったら何かされていたんですかね?私。
「オホン、それでメアリーが現れたから接触をはかった、と」
咳払いをして、お父様が話の軌道を戻した。
いけないいけない。口車に乗せられるところだった。
「はい。本来ならもう研究自体、もう終わりにしようと思っていました。
今はそこまで魔法の研究を真面目にやっている機関もありませんし魔法自体が教会の管轄になっているから研究者も肩身が狭いですし。
しかしメアリー様に直々にお会いすることができたとき背中を叩かれているような気がしてしまった。まだボクの役目は終わっていないと…」
そういうと、ディーは立ち上がって私の足元でひざまずいた。それが絵物語でみる騎士が王に中世を誓う所作の用で私も思わず立ち上がった。
「主から逃げ出しおめおめと舞い戻ってきた非礼をどうかお許しください。
そして再びお仕えすることをお許しいただけるのなら私の研究の全てを敬愛するあなたに捧げましょう」
「あなたもよく知っているけど、私は『お砂糖とクリームでできた我がまま令嬢』なのよ?それでもいいのかしら?」
「覚悟の上です」
「いいわ。あなたの持てる全てを最後のときまで私のために使いなさい」
剣は持っていないので、指で剣を作り代わりにしてディーの両肩を軽くたたいた。
こちらの世界ではどういうふうに騎士の叙任をするのかは知らないけど、これはディーが私に忠誠を誓うという意味の儀式でしかないのだから形式はどうでもよかった。
私は近い未来で婚約破棄される。
お母様、お父様、これまでのスティルアート家の人たち、そしてディーの期待まで裏切ってしまうことだけは心苦しい。
でもこれだけはゲームのシナリオ通りに進めないといけない。
たとえ誰を裏切ることになろうとも、私に課せられた運命なのだから。
ディーが私との出会いを運命だというのなら、これもまた運命なのだろう。




