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婚約破棄がはじまらない!!  作者: りょうは
'ラブファン~side M~
45/132

34’.8歳 悪役令嬢と悪徳教会~side K~

クラウス・トーマスはキャンタヘリー教会の副主教を務める男だ。


30にも満たない若造が副主教にまで上り詰めたことに少なからず反感は持たれているものの彼に後ろ暗いことは一つもなくただ単純に聖職者としての真面目さと優秀さを評価されたに過ぎない。


順風満帆に出世街道を登っていたクラウスだったがこのキャンタヘリー教会に派遣されてからというもの人生初の挫折を味わっていた。



「副主教、主教がお呼びです。スティルアート家のお嬢様から依頼があると」


「わかった今行く」


腐れ主教の小間使いがまたどうでもいい用事を言いつけにやってきた。

わかりやすく溜息をついてペンを机に置いた。机の上にはところせましと紙の山が積まれ置ききれなくなった書類はサイドテーブルをいくつも出して机の周辺に配置している。クラウスの性格上、床にモノを置くということは生理的に受け付けなかったが、サイドテーブルをいくつも繋げて机から放物線上に広がった書類の山は最早床に置いているも同然だった。



クラウスに与えられた執務室はおよそ副主教という身分には相応しくない部屋だった。

日当たりは悪く埃が舞い上がり壁紙は剥がれかかっていて薄暗い。扉に掲げられた『副主教室』というプレートが無ければ物置部屋と勘違いされそうなものだ。

実際、ここ最近は清掃担当もこの部屋の存在をすっかり忘れ掃除にさえこない。来たところで書類に触れてほしくないから掃除する場所もないのだけど。


奥の私室から副主教としての衣裳を手早く整えて部屋にきっちりと鍵をかける。魔力による認証がなければ開錠できない特別製の鍵は胡散臭い自称研究者である医者からのもらい物だ。鍵が部屋にかかるというだけで安心感がまるで違ったのでこの魔道具に関しては感謝している。


「で、そのスティルアート家のお嬢さんはなんの用事だ?」


不機嫌であることを隠そうともしないクラウスに小間使いは一瞬ビクリと震えたが、構うことなく回答を促した。


「はぁ…なんでも教会にお願いがあるとかで…」


賄賂か。


主教が意味の分からない『神のお言葉』を増やすたびに生活に不便を強いられた貴族たちは『神へのお願い』と称して賄賂を運んでくる。『神の言葉』を騙る主教からの金の無心とも知らずに。

いくら主教が伝える神の言葉に疑いを持つことは信仰に反するとはいえあまりにも盲目的過ぎる。


聖職者が考えるべきことではないと頭のどこかで警告を鳴らしながらもクラウスは今の教会の現状を鑑みると考えざるを得なかった。



「こちらに。既に主教もお嬢様もお待ちです」


「わかった」


領主の娘を待たせるということは無礼にあたるが、急に呼び出したのは主教だし急に来たのはその令嬢の方だ。無礼もあるかと開き直って小間使いの開いたドアから部屋に入った。



「大変お待たせいたしました。キャンタヘリー教会副主教を務めております、クラウスといいます」


「クラウス、遅かったではないか」


ジャック主教が高そうなソファに深々と掛けながら不遜に言う。いつものように宝石をじゃらじゃらとつけた贅沢の極みのような主教にあるまじき衣裳が目につく。


遅くなったのはてめぇが押し付けた仕事をしていたからだろうが、と表情に出すことなく毒づいた。




「はじめまして、クラウス副主教。メアリー・スティルアートです」


ジャック主教の向かい側にかけていたのはまだ幼い少女だった。

良家の子女らしく仕立てのよい高価な衣装で全身を包み清潔に整えられているご令嬢。隣には文官と思わしき地味な女性を連れ、背後にはメイドを2人連れている。


いかにも真綿と蜂蜜で育ったような世間知らずなご令嬢といった風体だった。


そのうえスティルアート家のご令嬢についてはお砂糖とクリームでできた我がまま令嬢という噂もある。お金持ちの両親に甘やかされているこのお嬢様は何の『お願い』があってわざわざ教会まで来たというのか。


クラウスはちょうどお茶のだされた席が自分の席と判断した。ちょうどふたりの間になる席だ。


「スティルアート公爵にはいつも多大な感謝のお気持ちを頂き教会としてもありがたいばかりです。今日はお嬢様だけとお見受けいたしますがどのようなご用向きで?」



スティルアート家には3つ年上の兄がいたはずだ。既に実務に携わっている跡取り息子はどうやら不在のようでクラウスは不思議に思った。領地のことや公爵家のことであれば兄のほうが来るべきだ。たしか娘のほうが最近魔法を授かったばかりだという。そのような娘が一体なんの用事があるというのか。



「はい。本日は領地内の下水道と浄化設備の修理をお願いするために伺いました」


「以前より下水道と浄化設備が壊れていることは存じておりますが…大地は神の恵みが通る道…。神聖な大地に穴をほり汚物を流すことを簡単に許可できかねます」


「しかし主教、街の住人たちは汚物まみれの街に困り果てております。私も領主の娘としてただ現状を見ているだけなんてできません!…どうか許可を頂けないでしょうか?」



メアリーが胸を手で押さえ涙交じりに訴えた。

小さな女の子の悲痛な叫びは腐れ主教にも少しは響いたようだが、この程度でどうにかなるとはクラウスは思っていなかった。



「神から許可をもらえるかはメアリー様のお気持ち次第でしょう。お父上はこのことをご存じなのですか?」


主教はあくまで優しく話しかけた。口調こそ優しいがこれは『金の準備はできているのか?』と聞いていることをクラウスは知っていた。知っていて傍観した。


「お父様からこの件に関しては私に一任すると仰せつかっております」


「ほう…」


それはつまりこのお嬢様がどんな手段にでても良いと領主が認めているということだ。

領主もついに娘可愛さに判断を誤ったか。クラウスは天を仰いだ。


「お気持ちはいくらでも、と言いたいところですが私もまだなんの実績もない若輩者…。お気持ちをご用意できるのは全ての事業が終わりお父様から認められたときと厳しく言われておりますので今はまだ…」


「それではまだお気持ちはご用意できないと?」


「えぇ…申し訳ありません…」


メアリーは見ていて痛ましくなるくらい悲しい声音で瞳に涙を溜めながら訴えた。基本的にお気持ち、というやつは前払いだ。それを用意できないとなればこの話はなかったことになるだろう。


「ですが、ジャック主教。お父様はこうもおっしゃっておりました」


隣で一言も口を開かなかった黒髪の女性が魔法署名入りの書類をジャック主教に差し出した。よく見るとその魔法署名は領主のものである。


「内容はこの衛生事業の一切をメアリー様に一任するというものです。そのさい関わった費用についてもスティルアート家にて負担する。また事業により多く貢献した者や団体にはそれ相応の褒美を贈呈するとのことです」


「ほお…」


主教は褒美という言葉に食いついたのか、興味深そうに身を乗り出した。



「いかほどのお礼ができるかは完了した事業次第となりますのではっきりとは言いかねますが今までお渡ししてきたお気持ち以上のお礼はするべきであるとお父様と既に話し合っております。特に教会からの協力は不可欠ですので」


「これまで頂いたお気持ち以上ですか」


スティルアート家は毎月莫大な寄付金を教会に渡している。それ以上となれば一体どれだけのお気持ちになるのか…。クラウスは心のなかだけで頭を抱えた。スティルアート家は最近財政がいいと聞くがこんな8歳のお嬢様に判断を任せても良いほどの内容ではないはずだ。



「はい。これまで以上に」


「ちょっとお待ちください。これまでスティルアート家の皆様にはたいへんなご支援賜っております。それ以上となれば領地の運営が滞るのではありませんか?教会としてそのようなことは望んでおりません」


臆することなく主教に言ってのけるメアリーをクラウスは言っている意味がわかっていないのではないかと疑った。

もしかしたらこの隣に座る地味な女性が何も知らないお嬢様を唆しているのではないかと。


「クラウス」


話の間に割って入ったクラウスにジャック主教が声を上げる。今主教の頭の中では金を計算することしかないのだろう。このお嬢様を騙して私腹を肥やせるのならなんだっていい。そういう考えなのだ。


「えぇ。理解しておりますとも。しかし神の御意向に逆らってお願いする立場。ここでお気持ちを出し惜しみして神からのお恵みを頂けなくなるほうが困りますわ」


「書面上は褒美となっておりますが教会からのご協力を頂きお嬢様が事業を完成させた暁には神へのお気持ちとするう所存です。我々としては後からお気持ちをお渡しすることへの謝罪という意味も兼ねておりますので」


隣に座る女性が補足した。

メアリーが話を進めているあたり、この女性が黒幕ということはなさそうだが盲目的に神を信仰するあまりどれほどの金額が動くのか考えただけで眩暈がする。



ジャック主教は失礼、と言って背後に立つ主教の弟子たちに意見を求めた。


「どう思う?」


「スティルアート家はこのところ菓子事業などでとても儲けていると聞きます。たとえ一括でなかったとしても長期的なお気持ちは期待できるのでは?」

「スティルアート家はメアリー様のいう事をなんでも聞くというお話ですからここで恩を売って親睦を深めることに損はないのではありませんか?」



どうせ下水や浄化設備の修繕をしたところで神と怒りを買うことは無い。

書類にサインをするだけで金が入るなら安いものだ。


おおむね彼らの考えていることはそんなところだろう。


「クラウス、おまえはどう思う?」


「はい、スティルアート家から後ほどきちんと神へのお気持ちが捧げられるということであればかまわないのではありませんか?神もお礼が少し遅れた程度でお怒りにはならないでしょう」



そうなんの感情も込めずに答えると主教は満足したようにうなづいた。


メアリーのほうも同意は得られたと判断したようだった。



「私もお父様へ教会からの協力を頂けたとお伝えしなくてはいけませんので申し訳ないのですがもしご協力いただけるのでしたらこちらにサインを頂きたく思います」


メアリーが目で促すと女性がもう1枚の書面を差し出す。そこにはメアリーの署名と事業完了のおりには褒美を授ける旨が書かれているが肝心の褒美の欄は空白になっている。



「メアリー様、こちらに先に記載していただくことは出来ないのでしょうか?」


すっかりペンを構えたジャック主教が空欄を指さした。


「えぇ。今の段階ではどれほど教会のみなさんにご協力いただけるかわかりませんので」


「なるほど。より多く貢献した者に相応の褒美でしたな。では後ほどご記入いただけると」


「はい。これまで以上のお気持ちがお渡しできるということはお約束いたします」



「…」



完全に違法契約だ。

魔法署名は本来署名をしたあと契約書の文言に書き加えたり消したりすることはできない、完全なものと思われ勝ちだ。しかし一部のものたちの間で魔法署名による契約書を改変する魔道具が流通している。もちろん表にはでない違法なルートで。



「ところで、主教はこちらの契約書の空欄に記載は可能ですか?」


メアリーが空欄を指さした。


「えぇ。もちろん。神への信仰を高めると魔法契約書への後日記載くらい可能な方法を神は授けてくださるのです。これまで何度も行ってきたことですのでご安心ください」


「まぁ!!」


すっかり調子に乗った主教はサラサラと魔法署名をした。してしまった。

そしてクラウスはその証人になってしまったのだ。



「いくつか事業への協力に関して予定を合わせたいのですがどなたにお願いすればよろしいですか?」


隣の女性がキョロキョロと見渡した。ここにはメアリー、主教、弟子、メアリーのメイドとクラウスしかいない。主教がそんな面倒くさいことをするわけがないので、



「それならクラウスを担当に付けましょう。彼は教会の実務全般に携わっている優秀な者です。必ずやメアリー様のお役に立てるでしょう」


「はい。ではクラウスさん、これからよろしくお願いしますね」


こうなるわけだ。



喜色満面にあふれるメアリーからの握手ににクラウスは仮面のような無表情で答えた。

これまでの事務仕事に加えてさらにお嬢様のお守りまで押し付けられて正直自分の死を覚悟した。





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[一言] ご褒美が待ってるはずだから頑張って!
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