33’.8歳 子どもでいられない
もう1発お母様から強烈なげんこつを食らって私は頭を抱えた。
お母様は涼しい顔をしてフワフワの羽が付いた扇で口元を隠すと、「次はないぞ」と語っている。目で。
「お父様はあんな教会と街に殿下をお連れできるとお考えですか?」
「もちろん日程は調整する。教会にも街にも清掃するよう指示を出す」
「そんなことであの臭いが何とかなるとは思えません!汚物をそのまま投げているのですよ街中に臭いがこびりついています!」
「メアリーはあまり魔車から出ないから知らないかもしれないけど王都もどこの領地も似たようなものなんだよ。殿下だって見慣れた光景だよ」
お兄様が私をなだめるように言うが、気休めにもなりはしなかった。
たとえ他の領地がどうであれ麗しの天から舞い降りた天使よりも神々しいオーギュスト様を汚物にまみれた場所にお連れしなくてはいけないなんて苦痛でしかない。
そんなことをするぐらいなら1度死んだ方がマシだ。死んでるけど。
「お兄様、他所はよそ、ウチはウチです。たとえほかの領地や王都がここ以上の汚物にまみれていて殿下はそのまま街を歩かれたとしても私の目が黒いうちはそのような神を穢すよな行為を見過ごせるわけがないのです。なんとしても来年までに街にゴミ一つないようにしなくてはなりません」
珍しく魂を籠った私の演説にお兄様は気圧されたようで、言葉を失っている。
しかし私は何一つ間違っていない。
出来ることならオーギュスト様のこの世の全てを見通す慧眼に汚物の一つでも映してほしくないのだ。靴越しであろうとゴミのひとつでも触れることすら許されない。
いや、許してはいけないのだ。
「あと1年あります!あのスティルアート領衛生改善計画ですわよ!!」
「…」
「…」
「…」
お父様はじめ誰一人として口を開かない。
また我がまま娘が何か言い出したとでも思っているのだろうか。
いや、違う。
これはドン引きしているんだ。
8歳の女の子が突然こんなことを言い出したらそりゃびっくりするだろう。ここは無邪気に笑って殿下が来るの楽しみです~とでも言っておくべきだっただろうか?
「メアリー、座りなさい」
「…はい」
お父様に促されソファに浅くかけた。だんだん恥ずかしくなってきて表情が暗くなっていくのが自分でもわかった。
「そこまで言うならメアリー、おまえがやってみろ。その衛生計画」
「は?」
「おまえも魔法を授かったのだ。アルバートだって魔法を授かってからは領地の仕事に携わっている。おまえもスティルアート家の一員なら何か実績を上げてみろ」
「え…」
「お父様!メアリーには過酷すぎやしませんか?僕だってもう少し簡単な仕事からしていたはずです」
「7歳の誕生日にもらった馬の処分許可にサインすることが簡単だったか?」
「…それは…」
お兄様が助け船を出してくれたがお父様は応じるつもりはないらしい。お兄様が馬の処分をしたことは知っていたがわずか7歳の優しい少年には酷だっただろう。
「でもお父様、他所の令嬢は魔法を授かったからといって領地の仕事はしませんよね?貴族としての務めは存じておりますが領地の運営は務めの範疇外では…?」
私も可能な限りの抵抗をしてみる。こっちはまだ8歳だぞ?まだ小学校に上がったくらいの子どもに公共の仕事って難しくない?
「さっき自分でも言っていただろう?他所はよそ、ウチはうちと」
「…」
えぇ、言いましたとも!とんでもないブーメランだな!全く予想外だよ。
「我がスティルアート家は領地を賜って以降男女関係なく仕事をする方針だ。おまえも魔法を授かったら貴族の一員なのだ。働け」
取り付く島もなく言い放ったお父様に最早抵抗しても無駄だと悟った。
この言ったら聞かないかんじ、既視感がある。
「…」
「安心しろ、何もかも一人でやれとは言っていない。関係部署には話を通しておくし専属で文官も付ける。父も相談に乗る。何事も経験だ」
「はい…わかりました…」
お父様がここまで言うというのはもう決定事項なのだ。気の抜けた返事をしている間にお父様は執事にあれこれと指示を出していた。
「メアリー…わからないことがあったら相談するんだよ。僕も出来る限り協力するから」
お兄様が肩に手を置いて慰めてくれた。
優しさがしみる…そういえばラブファンでもメアリーに意地悪されて無理難題を押し付けられた主人公にこうして手を添えてたな…アルバート…。
それにしてもこの既視感。メアリーの性格ってお父様譲りなんじゃない?
翌日、お勉強の時間が終わってから私専属の文官を紹介された。
お兄様は忙しい時間を縫って同席してくれている。お父様が今日いそぎで関係部署にオーギュスト様がいらっしゃる予定の調整をしているから明日にはお父様に付いて王都に戻らなくてはいけないのに妹の心配をしてくれるお兄様はやっぱり優しい
どのタイミングでアルバートはメアリーを毛嫌いし始めるのか、考えると少しだけ怖いような気がした。
「ルーシー・ブラウンです。よろしくお願いします」
感情のこもらない目をした女性はまだ20代前半くらいに見えた。黒髪を後頭部でひとまとめにしてノーフレームの地味な眼鏡の奥には同じく黒い瞳が見える。化粧はほとんどしていない地味な女性だ。愛想のよさのかけらも感じられない自己紹介からは無機質な感じがした。
以前は何の仕事をしていたとか、出身はどことか、歳はいくつとか一切そういう情報のない最低限の自己紹介からはこのルーシーという人の人物像が写し出されている。
「ルーシーね。よろしく。さっそく本題に入りたいのだけどいいかしら?」
「はい」
ルーシーは機械みたいな無駄のない動きでテーブルにメモ用のノートを開いてペンを構えた。お兄様もルーシーの愛想のなさに少し驚いている様子だった。
「まず街の衛生環境については知っている?」
「存じております」
「来年オーギュスト殿下がこのスティルアート領にいらっしゃいます。そこで私は早急に衛生環境の改善をしたいの」
「それは不可能です」
「は?」
機械音声のような棒読み、感情のこもらない冷たい声、何を考えているのかわからない声、女の声にしては愛嬌がない。
「魔法でささっと掃除できないの?」
「無理です」
「なら道へゴミ捨てを禁止にするとか」
「改善はみられません」
「じゃあゴミ収集を決まった日にさせるとか…」
「あまり効果的とは言えません」
「では街にゴミ捨て場を設けてはどう?」
「意味がありません」
「下水道は?下水道や浄化設備があるならそれを直せばいいじゃない」
「無理です」
「もう!!!なんなの?!さっきから否定するばかりじゃない!」
思わずテーブルをバンっと叩くと紅茶の水面が揺れてカップが音をたてる。お兄様も困った顔で双方をみていた。
「お嬢様のご意見があまり現実的ではないので余計な議論で時間を取られないようにしているだけにございます」
この人やる気あるの?!?!テーブル下に拳を握ってプルプルと震えた。
よくなんでもかんでも否定して自分の意見を通したがる人がいたけどこのルーシーって人もそういうタイプなのかしら?
でもお父様が大事な領地の仕事にそんな使えない人を寄こすとも思えない。お父様への信頼感がこの場で声が上げることを阻止していた。
「メアリー」
「はい?」
「思ったことをそのまま言うのではなくてきちんと理由や方法を考えてから提案してごらん。ただの思い付きではみんな困ってしまう。
ルーシーもそんな風に頭から否定していては効果的な話し合いにはならないよ。できないならできない根拠を説明してもらわないときみがメアリーの意見を否定したがっているようにしかみえない」
「…」
「…」
お兄様が穏やかな声音で私とルーシーの両方に注意を促した。こういうときアルバートお兄様はいい清涼剤になってくれる。お兄様の雰囲気や話し方は終始穏やかでどれだけこちらが怒っていてもすんなりと受け入れてしまう不思議な魅力があるのだ。
ルーシーもどうやら同じだったようで平坦だった眉尻が少しだけ落ちている。黒目にも反省の色がみえた。
「ルーシー」
「はい」
「私、領地の仕事に携わるのは今回が初めてなの。いろいろ至らないところもあるけれどそこをあなたに助けてほしいわ。お父様が何も知らない娘に大事な領地の仕事を任せるとしたら優秀な助手を必ずつけるはずよ」
「…」
「お父様とお兄様はほとんど王都にいらっしゃるわ。いくら二人が協力してくれるって言っても私の実質的な味方はあなただけなの。だから協力してほしい」
「…私もお嬢様のことを誤解していたようです。申し訳ありません」
ようやくしおらしい、感情のこもった言葉を聞けて少しだけ安心した。ルーシーは話せばわかるタイプみたい。
「ます、先ほどご提案頂いた内容ですが、まず魔法で街の清掃を行うことは清掃を行うことと同じであまり効果がありません。たとえ毎日掃除をしたところで毎日汚物を捨てたら同じですから」
「あと魔力が持たないだろうね。街はとても広いから作業員を何十人も配置しなくちゃいけなくなる。そうすると人件費が莫大な金額になってしまう」
お兄様の補足説明にルーシーが頷いた。
「アルバート様のおっしゃる通りです。消臭や清掃の魔法は存在しますし難しい魔法ではありませんので実施そのものは可能です。しかしそれに伴う人件費が持たないでしょう。ようやく持ち直した領の財政を圧迫します」
「なるほどね。それは確かに難しいわ」
「次にゴミ捨て場の設置やゴミ捨て禁止の法令を出すことはできます」
「ならどうして…」
「今まで何度も類似した法令は出されていますがしばらくすると命令に従わない者が続出するのです」
「え…」
「汚物の処理場や回収、ゴミの回収がこれまで何度も行われていました。ですが家の中に汚物を置いておきたくありませんよね。そのため道に捨ててしまうのです」
「あぁ…なるほどね…」
下水が壊れているということは水洗トイレがあったとしても使えない。ということはトイレに行くときはおまるですることになる。消臭の魔道具は常に魔力を注がないといけないから平民には利用不可能、となったら臭い汚物を常に家の中に置いておかなくてはいけないということだ。
たとえ汚物を回収する場所を設置したとしても天候の悪い日は捨てに行きたくないのだろう。そうなると道に捨てたほうがずっと楽だ。
法令があったとしても違反者が続出しては取り締まり切れなくなり結局法令は形骸化してしまう。
「最後に下水と浄水施設の修理ですが、正直これが一番効果的です」
「でしょう?どうしてできないの?」
「教会が反対しているのです」
また教会か!!!
「教会がどうして下水の修理に反対するの?むしろ助かるくらいじゃない」
「本来はそのはずなのですが教会は大地を通じて神々の恵みが信者へ伝わると考えております。その大地に手を加え穴を掘り汚物を流すというのは神を冒涜する行為であると」
「なによそれ…」
バカバカしすぎて力が抜けてしまった。生来、あまり信仰心の強くない日本で育ったせいかもしれない。いまいち神への冒涜と言われてもピンとこなかった。
オーギュスト様への冒涜と言い換えれば意味はわかるがオーギュスト様は下水を整備しても冒涜だとは言わないだろう。
お兄様が片手を挙げる。
「でもそれっておかしくない?既に掘ってしまった下水を直すことも禁止しているってこと?」
「はい。既に掘ってしまった下水道や浄化設備についてはきちんと神に謝罪すればお許しいただけると。しかしそこに汚物を流したり人が手を加えることをしてはならないとのことです。教会がそのように言い始めた頃に浄化設備や下水の耐久年がきて壊れたと記録にありますので修繕ができなかったのではないかと…」
「ならどうしてこの屋敷の下水は使えるの?そのように教会が言っているのならこの家だって汚物を流せないのではなくて?」
「神々にお気持ちを捧げ許可を得れば可能だそうです。スティルアート家は普段から莫大な寄付をしていますから」
「あぁ…なるほど…」
思わず納得した。
これは教会が金目当てに下水の利用を禁止している可能性もある。
下水は使わないわけにいかないから浄化設備の修理のために寄付金が入ると思ったのだろう。しかし信仰厚い街の住人達は神の恵みが伝わる大地を汚さないことを選んだ。
「教会にはもう少し先を予想できる人がいなかったのかしら…」
ため息交じりに呟くと、ルーシーとお兄様が不思議そうな顔をしてこちらをみた。移民の件はお兄様には話してないのだっけ…。
「でもそういうことなら話は早いわ」
事情は理解した。
思ったより状況は悪くないかもしれない。
「メアリー様?」
「教会にお願いしにいきましょう」
「はい?」
「え…?」
ぽかんと、お兄様とルーシーがこちらをみた。
よくみたらルーシーは可愛い顔をしているし無表情でいるよりこちらのほうがより魅力が出るのではないだろうか?




