28’.8歳 ドクター(仮)の交渉
「目的は何?」
ドクター(仮)が感傷に浸っているところ悪いが私もいい加減はっきりさせたかった。
「…もう少し探りを入れたりしないのかい?」
「まどろっこしいのは嫌いなのよ」
すぐさま調子を取り戻したドクター(仮)は口元だけでにへらっと笑った。この状況を楽しんでいるようにしか見えない。
「教会に関する情報提供をする代わりにボクら情報提供者の保護を要請したい」
「あなたの提供する情報が真実だっていう確証はあるの?たしかに主教は好かないけどあなたが私を騙そうとしている可能性だってあるわ」
「最もな意見だね。その疑い深いところいいよ」
「お褒めに預かり光栄だわ」
嫌味なのか本音なのかわからないドクター(仮)の言葉を軽く受け止め情報を整理する。
教会に移民が溢れていることは確かだし病院がパンク寸前なことも本当だろう。
そうでなければ教会側の人間が最大スポンサー家のご令嬢をこんな得体もしれない、性別不明、身元不明、本名不明の怪しいことづくめの人物に預けたりしないはずだ。
次に主教たちが資金集めを目的に移民たちに不当な扱いをしているということ。
あの主教の身なりや教会の設備をみればこれは正しいと判断してかまわないと思う。こちらの世界に主教や聖職者の服装規定があってそれがあのゴテゴテした高そうな衣裳だという可能性も否定できないがむしろそんな規定がクソくらえだ。
…おっと、言葉がわるい。
そしてドクター(仮)には他にも隠していることがある。
さっきドクター(仮)は『ボクら』と言った。ほかにも情報提供者がいるということだ。人数がわからないうえにその人物が教主側の人間で嘘の情報を持ってくる可能性だってある。たとえ教主側の人間でなかったとしても持っている情報がどの程度役立つかもわからないのだ。
さらにわからないのはドクター(仮)は教主の失脚を望んでいるような口ぶりだけどその理由は?
とてもじゃなけど正義感で動くような人物には思えない。
「私がその判断を直接することはできないわ」
「へぇ」
だけど、
私はどういうわけかこのドクター(仮)にわずかばかりの親近感を覚えていた。
目の前に置かれた可哀想な現実に全く心動かされないドライな部分に共感したのかもしれない。
お兄様のような優しい人を間近に感じて孤独感と疎外感を感じていたのかもしれない。
小さく沸いた親近感でつなぎくらいにはなってもいいかもしれない。
「私はあくまでスティルアート家の娘であってなんの決定権もないの。第一、あなたの話が本当か判断しないといけない」
「それは最もだねぇ。ボクが純粋なお嬢様を騙しているかもしれない」
「…あなたの話が本当だったとして、私はお父様と繋ぐことはできるけどそれ以降はあなた自身に何とかしてもらうことになるけどそれでもいいかしら?」
「けっこう冷静だね。てっきり家の権力を自分のものだと思って大口叩いてくるかと思っていた」
「お砂糖とクリームで出来たわがままお嬢様でも身の程くらいは弁えているわ」
「…根に持ってるねぇ…」
「あなたが失礼なことばかり言うからそれ相応の対応をさせてもらっているだけよ」
悪役令嬢としての猜疑心に従って調査はさせるつもりだけど、たとえドクター(仮)が私を騙そうとしていたとしてそんなことをしてこの人に何のメリットがあるというのだろうか?
確かに私は人に恨みを買っているかもしれないが、その報復をするにはこの状況はあまりに行き当たりばったりすぎる。
私が失神するとも限らないし、お父様が家から主治医を呼ぶと言うかもしれないし。偶然手の空いた医師が診てくれることだって考えられるのだ。
何よりなにか危害を加えるつもりなら私が失神している間にできたはずだ。
…ん?まてよ?
「そういえば私、どうしてひとりでこの部屋にいるのかしら?」
普通、高位貴族のご令嬢と言えば常にメイドや護衛に囲まれているはずだ。家でも常にメイドが後ろから2人は最低くっついている。
こんな怪しいことづくめの人に大事(一応)なお嬢様を預けてしまうなんてメイドとしてどうなんだろう?
「今更?お嬢様ってよっぽど人望がないみたいだね。ボクが大丈夫ですよ~って言ったらこの部屋の惨状をみてすぐ引き下がったよ。何かあったら呼んでください~ってこの鏡を置いて」
「…」
改めて部屋を見回すと、先ほど見えた壁一面にびっしり詰め込まれた本はまだしも、作業机と思われる木製の重厚な机には私の身長をはるかに超える本が山積みにされ照明にはうっすら蜘蛛の巣が張っている。床には書類や何かわからないゴミが散らばって床が見える面積のほうが少ない。窓から差し込む光を反射して細かい埃がキラキラと部屋の中を舞っている。
どうやら私が寝かされていた寝具は唯一片付けられたエリアだったらしく部屋全体の中でと青白い仕切りだけが浮いて見えた。もしかしたらあの仕切りが魔道具で寝具内を清潔に保っているのかもしれない。
「ここって研究室?診察室ではなさそうだけど…」
「え?いつここが診察室なんて言った?ここはボクの研究室兼住居だよ。奥の部屋に寝る場所と洗面所がある。使ってないけど」
「でしょうね!」
この様子だと作業机で寝起きしているに違いない。
よく汚部屋なんて言ったものだけどこの部屋は間違いなく汚部屋だ。私の人望ではこの部屋に入ってまで主人を守ろうとメイドたちに思わせることはできなかったらしい。
「…あなたって本当に医者なの?」
「ドクターなんて呼ばれているけど医学にも詳しいってだけ。専門は魔法の研究」
「へぇ。おもしろそうね」
「そうかい?今だと研究者もほとんどいなくなった廃れた研究だよ」
「どうして?魔法って身近なものなのでしょう?」
「身近過ぎてだれも研究しないんだ。わざわざわかりきった分野を研究して深めようなんて思わない」
「そういうものなのね」
魔法といえば異世界転生したら必ず触れておきたいものではあるけどアルテリシアくらい魔法が日常的に使われすぎていると特別でも何でもないようだ。
ならどうしてこの人は魔法の研究なんてしているのかしら?
「さて、じゃあ仕事が雑なメイドさんを呼んでお嬢様も帰るといい。主教たちとの会議ももう終わる頃だ」
「えぇ。お世話になったわね。このお礼は必ずさせてもらうわ」
「そんなのさっきの話で十分だよ。あとこれをどうぞ」
ドクター(仮)は端のほつれたポケットから手のひらサイズの手鏡を取り出した。なんの装飾もされていないシンプルなふたつ折の手鏡だ。
「連絡鏡?」
「そう。魔法が開いたなら使えるだろ?ボクと連絡がしたいときはこれを使って」
「ありがたく頂いておくわ」
つるりとした表面のそれは私の手にちょうどよく収まった。それを服の中に隠してメイドが置いて行ったという鏡を起動する。使い方はメイドが使っていたところをみていたしなんとなくわかった。
『お嬢様!気が付かれましたか?』
わざとらしく驚いてみせたメイドに内心溜息をついた。コラ、襟元にお菓子のクズがついてるぞ。
「えぇ。もうすっかり良くなったわ。さっさと帰りたいからそのお菓子を置いて迎えをよこしなさい」
『は、はい!ただいま!!』
鏡を切って溜息をつく。別にメイドに好かれたいとは思わないけどこうも人望がない令嬢ってどうなんだろう…。
笑いを堪えるドクター(仮)をじっとりとにらむ。よほど私に人望がないことがおもしろいのだろうか。
「あ、そうそう。さっき言ってた異臭の原因を調べに行くのは2日後の方が良いよ。今夜から明日いっぱい大雨が降るから」
「そうなの?なら2日後にさせてもらうわ」
走って迎えにきたメイドに囲まれて私は魔車に乗った。
こんな中途半端な中世ヨーロッパみたいな世界で人口が増えて臭いと言えば思い当たる原因はひとつだった。




