26’.8歳 教会の現状
自覚も全くないまま魔法が使えるようになったわけだけど今日家族そろって教会に来たのはなにも私のためだけではない。
このままお父様は主教とお話合いが、私とお兄様とお母様は孤児院へ行くのだ。
貴族のお勤めの一環である。
ジャック主教とその弟子たちに囲まれるように私たちは礼拝室から廊下に移動した。
礼拝室からは教会の中に繋がっていて、奥には学校や病院、教会の管理室といった施設があるらしい。
「本当に広いのですね。迷子になってしまいそうです」
「メアリーはすぐどこかに行ってしまうから気を付てね」
そう言ってお兄様が私の手を握ってくれたのて、握り返しながら今限定のアルバートお兄様の優しさを噛みしめた。
ん?私そんなにそそっかしかったかなぁ…?
前世の頃から日本を出たことが無く、お寺や神社にしか馴染みがなかった私は教会そのものが初めてみるもので、天井から壁から床まですべてが珍しくて仕方がなかった。でもこちらの世界特有だと思うのは至る所に配置された魔法具の数々だ。
光がキラキラと舞い踊るような照明は先の見えない長い廊下に等間隔に配置され、壁に描かれた神様と思わしき絵は意思を持ったようにぴょこぴょこと動いている。絵画というより子供向けの絵本みたいなイラストだった。教会のような建物に神様が立っていて、両腕を広げ穏やかな笑みを浮かべている。教会の建物からは七色に光る水が四方に流れていて人々がそれを歓迎しているようだった。
「こちらも魔道具なのですか?素晴らしいですね」
私が嘆息まじりに言うと、ジャック主教は自慢げに絵の詳細を話はじめた。
「はい。こちらも魔道具です。この廊下は近隣の子どもたちのための学校にも繋がっていますので子供向けにわかりやすくなっていますが…メアリー様はこの国の神様についてご存じですか?」
「いえ…詳しくは…」
「かまいませんよ。通常貴族のお子さんは魔法を授かってから学ぶことですからね。この世界では全ての実りは神によって与えられます」
主教の話を簡単にまとめると、アルテリシアで信仰されている神様というのは1柱だけだそうで、学業成就から五穀豊穣、子孫繁栄、商売繁盛まで幅広くご利益のあるマルチな神様だそうだ。というか、とりあえずなにかあったら神様にお祈りするというくらいの身近さらしい。教会を訪れてお祈りをすると神様からの恩恵を受けることができるそうで、このお祈りというのが…まぁわかりやすく言えば寄付だそうだ。
この絵はみたままわかりやすく信者たちのお祈りが神様に届いて、神様からの恵みが信者たちに届いているということを表しているらしい。
「スティルアート領がこれほど実り豊かな土地であるのもスティルアート家の皆様がお祈りをたくさんくださるおかげかもしれませんね」
ジャック主教のホクホク顔をみてお父様の眉が少しだけ歪んだように見えた。最近教会から寄付のお願いが増えたことっが問題になっているというからだろうか。
「しかし最近では神の恵みを望む民が増えたのに恵みが行き渡っておりません」
「…どういうことだ?」
お父様が低い声で問いかけた。眉間にしわが寄る。
「最近このスティルアート領に仕事を求めて家族と共にやってくる者が増えました。住まいも職も財産も持たな哀れな彼らを教会は保護する義務があります」
屋内の廊下を抜け、中庭が見える渡り廊下になった。隣にある教会の管理室に移動するようだが、棟が違うので一度外を経由しなくてはいけないらしい。
「うっ…!!!」
建物を抜けるということは当然、外で嗅いだ異臭に再び晒されるということで、思わず私もお父様と同じように眉間にしわが寄ってしまった。
お兄様はどうともないようだけど、お母様も少しだけ難しい顔をしている。
しかしその次に目に入った光景に思わず言葉を失った。
広い教会は学校のグランドくらい広い中庭があって、そこには青々とした芝生が生い茂り、花壇には花が咲いていたようだった。
ようだったというのは、今はすっかり日の光が当たらず枯れてしまい見る影すら無くなってしまったからである。
「これは…」
「他領からの移民です」
中庭には、襤褸切れのような服をまとい痩せこけ顔色の悪くなった移民だという人たちが所せましと押し込まれていた。薄っぺらい敷物を敷いてそこに座っている女性、寝そべっている老人、泣いている子どもなど様々で、奥の一角に人だかりができていると思ったら炊き出しが行われていた。
「哀れに思ったシスターたちがあぁして自分たちの食糧を分け合い炊き出しを行っております。しかし我々にも限界があります。どうか彼らを不憫に思うのでしたらお気持ちでかまいませんので援助頂けたらと…」
スティルアート領は朱菫国の職人たちが開発したお菓子や工芸品のお陰で新しい産業を手に入れ財政はかなり潤い、今とても活気に満ちている。するとより良い生活を望んで給料のいい職を求めた他領の住人が自分たちの土地も何もかもを投げ出して押し寄せるようになったらしい。
とはいえスティルアート領にもそれほど余裕があるわけでもなく仕事があふれているわけでもない。お母様は自分が運営する商会で求人を出すとき長期雇用を基本としていて、身元のはっきりしない人は採用していない。その考えは商会の関係各所で徹底されている。
つまりスティルアート領に身一つでやって身元のはっきりしない彼らに最初から仕事などなかったのだ。
「我々教会としてはたとえスティルアート領の住人でないとしても信者である以上見捨てることはできません。しかし増え続ける移民を受け入れるには限界があるのです…」
ジャック主教は悔しそうに拳を握った。
背後に控える弟子たちも何かを噛みしめるように中庭にひしめき合う彼らを見つめた。
スティルアート領は比較的温暖な気候の時期にあるとはいえ雨風をしのげない中庭では夜も冷えるだろう。満足に食事もできない、十分な休息をとることもままならない環境で何か状況が良くなるとは思えない。
ただただここで何か奇跡が起きて状況が好転することを待つしかないのだ。
「既にここに訪れた時には病に侵され今まさに生死の境を彷徨っている者もおります。小さな子どもは特に症状が顕著で我々も何度も見送りました…」
自分たちの慣れ親しんだ先祖から続く土地を捨てて決死の覚悟でここまでやってきたのだろう。
家族とわずかな財産だけを持って少しでも生活が良くなれば、子どもたちのためにとようやく辿り着いたここは楽園ではなかった。
それを思えば哀れではある。
しかし、
「お兄様…」
「そうだね、僕らがなにか彼らのためにしてあげられることはないのかな…」
「…」
「僕たちがしている孤児院のように彼らに支援をすることはできないかな?備蓄食糧を開放してこちらにまわせば少しは支援になるだろうか…少しでも何かしてあげたいけれど…」
「……」
「あとは住人たちにこの現状を説明して寄付を募ることもできるけど…一時的に支援金ってことで税を上げるのはどうだろ?」
「………」
「メアリー?」
様子がおかしいことに気がついたお兄様が私の顔を覗き込む。握っていたお兄様の手にもう力を入れることが出来ず、その手を離した。
「すみません、もう…限界…」
視界が真っ暗になって、全身から力が抜けて立っていることもできなくなる。
「メアリー!?!?」
「メアリー様!!」
「す、すぐ医務室へ!」
最後に聞こえたのは慌てふためくお兄様とメイドたち、目を見開いたお父様とお母様だった。
この世に生を受けてから今まで蝶よ花よと育てられ、きれいなものと美味しいお菓子で育った生粋の箱入りお嬢様育ちであるメアリーは原因不明の異臭に耐えることができなかった。
すみません、お兄様。どうやらメアリーは哀れな移民たちよりこの臭いのほうが気になって仕方なかったようです。
岡部真理もとことん冷徹な人間だったけどメアリーも同種の人間みたいです。




