24’.クラリスの悲願~side H~
エスターライリン家の令嬢とセーガ殿下の婚約のお祝いにはメアリーからの要望でアイスクリームという今年の夏に売りだしたの菓子を加えた。
何故アイスなのか、ハロルドは疑問に思ったがその疑問は妻に事の顛末を話したところあっさりと解決した。
「ヒース伯爵との交渉にアイスクリームを使ったのですよ、メアリーは」
くすくすと、春風に揺れる花のようにほほ笑む妻はやはり若いときから変わらぬ魅力を発揮していて、ついつい気を緩ませてしまいそうになる。
「つまりメアリーからの皮肉ということか?」
「おそらく。まぁリリー様が気づいていないのなら気が済むのはメアリーだけですけどね」
「…」
我が娘ながらつくづく考えることが子供らしくない。
アルバートのいうように今回の件のしりぬぐいをエスターライリン家に押し付ける形になってしまったことには多少の罪悪感はあった。
会議で最後の最後までメアリーが最有力候補に挙がっていたしこの件についてはハロルド自身諦める気持ちもなかったわけではない。
下手に抵抗すれば陛下の側近としての立場も危ぶなかったし古狸共に隙を見せれば領地までを失いかねない。こういうとき領主と側近を兼務しているという立ち位置はやりづらいものがある。息子であるアルバートもいずれこうなるのかと思うと気が重い。
「旦那様、メアリーが朱菫国の王子と婚約するべきだとお考えですの?」
「まさか。メアリーとオーギュスト殿下の婚約はスティルアートの悲願で…」
「私と、ソフィアの約束ですわ。この約束だけは何があっても違えることはできません」
いつもは控えめな妻にしては強い、棘のある言い方で、思わずハロルドは怯んだ。
さっきまで穏やかにほほ笑んでいたはずの妻の目は何かを探るだった。淑女然とした社交界の花というより王都で舌戦を繰り広げる政治家たちを思い出す。
「そうだな。もちろん、私とて必ず守ってみせるよ」
「えぇ」
ハロルドの返事を聞いて、妻は満足げにゆっくりと空気をやわらげた。
いつか女の子が産まれたら皇妃にする。
それはスティルアート家に皇族の姫が嫁入りしてきたときからの悲願であった。
代わり者だったがゆえ皇室から追い出されるように嫁いできた彼女の無念を晴らすためにその子供たちが誓い合ったことである。その願いは脈々と代々の当主たちに受け継がれていた。
喜ばしいことにスティルアート家はその後何代にもわたり跡取りに事欠くことはなく、女の子も確かに生まれたが時の皇子たちと年齢のつり合いが取れず皇妃となることは無かった。
奇跡のようなタイミングで生まれたのがメアリーである。
だが妻のクラリスにはスティルアート家の悲願以上にメアリーを皇妃とする強い願いがあった。
クラリスとオーギュスト殿下とルイ殿下の実母、ソフィア様は幼馴染だった。
クラリスもソフィア様も賢い女性ではあったが家柄は男爵家。学園にも試験に合格して入学したという。なによりも女であること、家柄が低いことで馬鹿にされることを嫌ったふたりは常に学園でも成績はトップクラスで成績上位者5人から漏れたことは無かった。
そんなふたりに心惹かれたのが現皇帝陛下とハロルドである。
ハロルドがクラリスに懸想していることに気が付いたソフィアが在学中に二人の間を取り持ちふたりは見事に婚約。
以来ハロルドはソフィアに頭が上がらなかった。陛下は陛下で、なかなか後宮に入ることに首を縦に振ってくれなかったソフィアを卒業後数年がかりで口説きようやくソフィアと結ばれた。
ふたりが同時期に妊娠したことは神様からの贈り物に違いないと喜び合った。
―もし男の子と女の子だったら将来結婚するかもしれないわ。もしそうなったら素敵なことね。
貴族である以上、願った相手と結婚することはとてつもなく難しい。それでも想い合う相手と結ばれた彼女たちは奇跡は引き起こせると知っていた。
しかしソフィアは元々体が弱かったことや後宮のストレスがたたりルイ殿下を出産するとしばらくして亡くなってしまう。
死ぬ間際、クラリスはソフィアの最期の願いを聞くことになる。
『どうか、私の可愛い子たちをお願い。約束、叶えてね』
『えぇ、私が今まであなたとの約束を破ったことあった?』
『ううん、クラリスはなんでもできるから…』
白魚のように滑らかで瑞々しかったはずの指は枯れ枝のようで、花びらのようだった爪は青紫色に変わってしまった手がすり抜ける瞬間クラリスは誓った。
必ず親友の最期の願いをかなえると。
そのためには他の誰を犠牲にしても構わないと。
だから今回メアリーが朱菫国第三王子の相手候補に上がったとわかったときには領地を離れることができない自分がもどかしく思えてならなかった。
何か手はないかと策を練っていたところでメアリーからの要請。渡りに船とはまさにこのことだった。
オーギュスト殿下と婚約する意思の固かったメアリーの行動は実に早く指示も的確であった。最後に少しだけクラリスがアドバイスを送れば何をするべきか心得たと言わんばかりにメアリーはクラリスの思惑通りに動いてくれた。
「アルバートだったらこれほどの行動力はなかったでしょうね。あの子は賢いから自分がしたことの意味をきちんと理解してしまう」
「だが、メアリーは本当にこのままでいいのか?まだ7歳だというのに他人を陥れることに躊躇いがなさすぎる」
ハロルドの懸念はそこにある。
クラリスの願いや悲願はよく理解しているし自身も一切手を抜くつもりはなかった。
しかしハロルドにとっては娘の健全な成長を損なってまで叶えたい願いではなかった。
メアリーの我がままは可愛らしいレベルのものもあれば他人を平気で地の底へ陥れるものまで振り幅がとてつもなくおおきい。今まで人の命を殺めたことはないがそれ以外、もしくはそれ以上に残酷なことをいとも容易くこなしてしまう。
「今後の成長が心配ということですか?」
「当たり前だろう。悪人はいつかほろぼされる。それが世の常だ。メアリーには幸せになってほしい」
今時悪事を働いて財産を儲けようとか、クーデターを企てるなんて愚か者のすることだ。リスクがあまりに大きすぎるわりリターンが少ない。そんなことをするくらいなら日々神に祈りを捧げ健全に生きた方がよほどいい人生が歩める。
「たしかに見方を変えればメアリーのしていることは悪いことですが…私にとってはこれ以上ない幸運の天使ですよ。メアリーは屋敷で悪事を働く者たちをあっさり見つけてくれますし今回の件にしたってメアリーがいなかったらどうなっていたことか」
「…それは、その通りだが…」
実際、メアリーがヒース伯爵と交渉をしてなかったら会議の場で確実に負けていた。
ひとりで10人を動かせる人望をもつヒース伯爵の後押しがあったからこそ土壇場で勝つことが出来たのだ。
あの場で勝つことができるのなら夏の新作を融通するくらい安いものだ。
「それにあの子は善悪の判断はついていますよ。確かに容赦がなさすぎるとは思いますけどアルバートや私たちを傷つけることはしないじゃないですか」
「…メアリーは悪魔に憑かれているのではないだろうか?」
ハロルドの絞り出すような吐露にクラリスはお腹を抱えて笑って見せた。淑女らしさなんてどこかに置き忘れたような気持のよい笑い方に思わずハロルドも力がぬけ自分の発言がこれ以上ないくらい愚かなものであったと気が付いた。
「悪魔ですって!!旦那様はお疲れなのではありませんか?大きなお仕事を終えられたばかりですから仕方ないかもしれませんけど…気になるのでしたら教会に連れていっては如何です?悪魔に憑かれているのなら教会に入ることは叶いませんから。ふふっ!おもしろい!」
「…すまない…どうかしていた」
「どうせメアリーに魔法を授けなければいけませんから近いうちに教会に行きますしそれでハッキリするでしょう。旦那様でも冗談をおっしゃいますのね」
「…たとえ悪魔が憑いていようとメアリーが可愛い娘であることに違いはない。それだけは信じてくれ」
「えぇ、存じておりますとも」
小さく肩を震わせながら落ち着いて返事をした。クラリスのリアクションにだんだんと恥ずかしくなってきたハロルドはこの話は終わりだと言わんばかりに背を向けた。
これ以上追及する気もなかったクラリスは夫の背中を見送って自身は少しだけ温度の下がったお茶を頂く。
ハロルドの考えは遠からず当たっている。ふたりの可愛い娘は確かに異世界から転生してきた全く別の人間の記憶を持っているのだから。
しかし記憶は持っているだけに過ぎず、メアリーと真理の意識は成長と共に混ざり合ってるものの行動の根本は全てメアリーが元々持っていたものだ。
つまり最初からメアリーの行いの全てはメアリー自身の意思によって行われているにすぎない。




