22’.7歳 アイスクリーム交渉
「ヒース伯爵。お忙しいところお時間を作っていただきありがとうございます」
「スティルアート家のメアリー様からのご招待とあれば断るわけにはまいりませんからね」
「まぁ!」
ヒース伯爵は楽しそうに頬を緩めた。とてもお父様と同じく陛下の側近とは思ない柔らかな人だった。人好きする笑みを浮かべた好好爺然とした佇まいは前世で近所に住んでいたおじいちゃんを思い出した。とはいえこの老人、いい歳をして娼館通いに明け暮れているらしいからやはり人は見た目で判断してはいけない。
朱菫国への対応で忙しい最中、それも会議最終日を目前にしたタイミングで会議の中心人物のひとりであるヒース伯爵が私のために時間を作ってくれたことには理由がある。
「新しいお菓子を特別に頂けるということならお断りする理由はありませんからね」
そう言って伯爵は本や資料が散乱していたテーブルをメイドたちに片付けさせた。あっという間にスペースが空いたテーブルにうちのメイドが入れ替わるように保冷箱を広げていく。
「こちらでしたら機密性が保たれますからうちの新作が他所に知られる心配もありませんもの」
「はは。王宮図書室の個室は外部から一切遮断された空間ですからね」
だからコッソリとお菓子を持ち込んで食べているのでしょうけどね。この部屋に入った瞬間にほんのりとバターの香がしたことに気づいていないと思ったか。
「メアリー様、それで新作というのは?昨年の果物のゼリーは絶品でした。内側に閉じ込められた花や金魚のお菓子もとても見目麗しく好評でしたし期待してしまいますよ」
「是非ご期待にお応えできるとよいのですが」
メイドがテーブルに置いた保冷箱は宝石箱のように細やかな装飾が随所に施され、丸いドーム状の蓋にはガラスが張られているが内側は煙がかっていて見ることができない。伯爵はいち早く中をみようとしてずいっと身を乗り出した。伯爵のメイドたちも興味津々とばかりに前のめりに箱を覗いている。
視線で合図してメイドがそっとガラスの蓋を開けると、ドライアイスの煙が溢れ出るように広がってクリーム色の小さな丸い塊が姿を現した。
この間職人たちに作らせたアイスクリームだ。
領地にいたときはまだ試作品だったが取り寄せていたバニラビーンズが届いたらしくそれを加えたところ卵の生臭い臭いが無くなり甘い食欲をそそる香を付けることができた。クリーム色の中に黒い粒が入ってしまい見た目に少々嫌な印象を与えるがこれこそが香りの肝だと思えばそれほど気にならない。
ガラスの器に品よく盛り付けられたアイスクリームにクッキーと飾りのミントを添えれば、夏の定番デザートアイスクリームの完成である。
「よい香りがいたしますなぁ。こちらは?」
器が保冷箱を出た途端、温度変化で白く色づいた。こういった変化も一種の楽しみだ。伯爵は目の前に置かれたアイスクリームに夢中なようでくぎ付けになっている。
「アイスクリームといいます。ひんやりとしていて夏にはピッタリですわ。たくさん食べると頭が痛くなってしまうことがたまに傷ですが一時的なものです」
「ほお」
シルバーにスプーンに手が伸ばそうとするがスプーンがない。伯爵は視線をきょろきょろと動かした。
「伯爵、朱菫国との交渉は順調に進んでおられますの?」
ストレートな聞き方だとは思うが、時間がないのだ。単刀直入に切り込む。
「さすがのメアリー様でもそれをお話しすることはできませんよ」
「当事者なのに何も知らされませんの?理不尽なお話ですね」
「もとより女は政治にかかわるものではありませんよ。それに朱菫国との関係についてはなにもメアリー様だけの責任ではありません。あなたが気を揉む必要はありません」
「あら、では私が責任を取って朱菫国の王子と結婚する必要もありませんわね」
わざとらしく破顔して手をポンっと叩くと、伯爵は眉根を寄せた。好好爺としていたお顔が一変。陛下の側近に相応しい隙の無い大臣としての顔になる。
「…スティルアート侯爵がそれを?」
「まさか。父は何も言っておりません。もちろん兄も。どうやら図星のようですね」
「…」
「とはいえ、朱菫国側もわざわざこの騒動の引き金になった私に大事な王子を婿にやるなんてわかったら余計に怒りを買いそうですからそのようなご判断されるとは思いませんでしたけど」
「…」
アルテリシアと朱菫国はお互い戦争をする気はない。
両国とも内政は安定しているし元々争いごとが好きな国でもない。状況を悪化させることを望んでいないのだ。とはいえ国内には戦争が好きな人たちが多くいることも事実。
戦争賛成派をどうやって黙らせるかがこの会議の根本だった。
そして、遥か昔から国同士、貴族同士が関係を深めるためにしてきたことなんてただ一つ。
政略結婚だ。
朱菫国には今王子が3人いる。女の子はいない。ひとりは王位継承権を持つ正当な跡取り、ふたりめはひとりめに何かあったときの代わり。順当に考えるのならこの3人目が候補だろう。
でもアルテリシアには今女の子の皇族がいない。そこで過去に皇族と関係があった名門貴族の娘に婿をとらせようとしているはずだ。
もしかしたら今回私たちが連れてこられたのはどの娘がこの政略結婚に相応しいか吟味するためだったんじゃないかと思う。
上位貴族で、朱菫国の王子を迎えるにふさわしい血統と容姿、教養を身に着けた令嬢を判断するための。
もしこの仮説が正しいのならリリー様をこの第3王子の婚約者にしてしまえばいい!!
そしたらオーギュスト様の婚約者候補からもちろん外れ邪魔者が消えるし悪化してしまった朱菫国との関係も改善されて一石二鳥!
なんてすばらしい作戦だ!
「まぁ私なんかよりもよっぽど相応しい方がおりますから…私なんて候補にすら上がっていないでしょうね」
「ほぉ、スティルアート家のご令嬢にして聡明と名高いメアリー様より相応しい方がいらっしゃると?」
「えぇ。ヒース伯爵もよくご存じではありませんか。7歳にして高貴な花と名高いお方が」
「リリー様か…」
名前は出さなかったがヒース伯爵には伝わったようだ。やはりリリー様も候補には上がっていたのだろう。
エスターライリン家も遥か昔にはウチと同じく皇族のお姫様がお嫁入したきたことがある家だ。皇族の流れを組む伝統と格式高いお家柄と言う意味では候補に挙がっていてもおかしくはない。
「誰とは申しませんけれどね」
曖昧に濁らせて視線をそっと伯爵の目の前に置かれたアイスクリームに向けた。保冷庫から出されたことで外気に触れたアイスクリームは春の暖かな気温も相まって外側からじわじわと解けていた。このままお話が長引けばせっかくのアイスクリームは液体になってしまうだろう。
「会議の内容は機密ですからここで申し上げることはできません。しかしリリー様ならお役目をしっかりと果たしてくれることでしょう」
「あら、私も同じ意見ですわ」
これで十分だろう。メイドに視線を送ってシルバーのスプーンを伯爵に差し出した。
ようやくアイスクリームにありつけると分かった伯爵はその目をキラキラとさせて溶けかかったアイスクリームにスプーンを向けた、が、
「お待ちになって」
「ま、まだ何かあるのですか?!」
「せっかくのアイスクリームが溶けかかっておりますわ。新しいものと変えなさい」
今にもスプーンがまん丸のアイスクリームに突き刺さりそうな瞬間を見計らって静止した。伯爵は少しだけ苛立っているのか足が揺れている。
それを何食わぬ顔をしてスルーして先ほどより大きな保冷箱が乗ったワゴンを運ばせる。さっきの宝石箱のような保冷箱とは違ってこちらは宝箱といった具合に大きなサイズをしていた。引き出しがついた豪華仕様で、一番上はアーチ状の蓋がついていてここにはアイスクリームがケースごとと、ミントとクッキーが入っている。その下の段のひきだしに器とスプーンが入っていてる。これだけ持っていけばピクニックでも出来そうだ。
アーチ状の蓋をあけると再び冷たい煙が溢れ出て、甘い香りが鼻腔をくすぐった。ほのかなバニラの香は職人たちが研究を重ねた成果でこれは褒めても良いかもしれない。どこからこのバニラを仕入れたかは聞いていないけど。
メイドが慣れた手つきで大き目のスプーンでケースに入ったアイスクリームを掬い丸く形づくり、クッキーとミントをそえれば出来上がり。溶けかかったアイスクリームの器と出来立てのアイスクリームを交換する。
「ではさっそく」
待ち入れないと言わんばかりに伯爵はスプーンでアイスクリームをすくうと吟味するように口に含んだ。一口、また一口とかきこむようにアイスクリームを頬張る姿は子どものようだった。
「勢いよく召し上がられますと頭が痛くなりますわ」
「これは失礼。このアイスクリームというお菓子は以前のゼリーともまた違いますな」
「クリームを凍らせて作っています。夏にぴったりでしょう?」
「えぇ…」
「伯爵には是非気に行って頂けると思っていましたの。もし気に行って頂けましたら優先的に伯爵にお渡しすることもできますよ」
「本当ですか?!」
「えぇ。ヒース伯爵はお得意様ですから父からも私の判断でかまわないと許可を頂いております」
「それはありがたい…」
昨年発売したゼリーはスティルアート家の批判なんて全く関係ないように爆発的に売れた。領地内で販売したお店も直売店でも開店とともに売り切れが続出し数量制限を設けたほどだったらしい。
貴族たちは金にモノを言わせて直接我が家と取引したそうだけど、それでも材料に限界があったりして品薄状態が続いていた。…我が家の批判をしていた貴族には販売順位を下げたりしていたけどそれは内緒だ。
ヒース伯爵もお気に入りの女の子に貢ぐためにゼリーを手に入れようとしていたお得意様で、昨年の状況を知っている身としては優先的に買えるというのは魅力的な申し出なのだ。
「まぁ、私にこれから予想外のことが起きてお菓子どころの話ではなくならなければ、ですけどね」
「…」
「何が起こるかわかりませんからね。予想外のことが起きてそちらに気を取られているとアイスクリームのことなんて忘れてしまうかもしれません」
つまり、このアイスクリームがほしければ私を朱菫国の第3王子の婚約者にするなと言外に言っているわけだ。リリー様を候補に挙げたとしても会議で決定しなければ意味がいない。
関係悪化の原因となった私に恨みをもつ貴族だって多いわけだから下手をしたら私が候補になってしまう可能性だってある。
たとえリリー様が候補にならなかったとしても私が候補になる事態だけは何としても避けたい。
これはそのための布石だ。
「…先ほども申しました通り、会議はこれからです。まだどうなるか私にもわかりません。しかし、メアリー様のために全力を尽くすとお約束いたしましょう」
アイスクリームをすっかり食べ終えた伯爵は口元を拭きながら強い口調で言った。そこまでしてお菓子を貢ぎたいか。この伯爵は。
私は交渉成立と言わんばかりににっこりと極上の笑みを浮かべてみせた。




