14’.事件のあと~side other~
カタカタと揺れる馬車は生まれて初めて乗る乗り物だった。
これまでの移動はずっと使用人が運転する魔車を使っていたから。
同乗する少女たちはみんな一様に暗い表情をしていてこれから地獄にでも送られるんじゃないかってくらい悲壮感にあふれている。窓から見える空は灰色の絵の具で塗りつぶしたみたいに重苦しい曇天空で私たちの悲壮感がそのまま空に写し取られたんじゃないかとさえ思えた。
しかしこうなったのも当たり前だ。
両親がクーデターなんて計画したばっかりに私たちまで処罰の対象になってしまったのだから。
まぁ罪人の子どもなんて貴族社会で受け入れてもらえるとは思えないし命が助かっただけでもマシなんだけどね。
オーギュスト殿下の婚約者選びの茶会に出席してわずか数日。お父様たちの企みがあっさりとバレたらしくそこからはあれよあれよという間に慌ただしくなって気が付いたら小さなカバン一つで家から追い出されてしまった。
なんでもお父様たちはいくつかの貴族の家同士で結託して今の皇帝を失脚させ自分たちが新たな王様になろうとしていたらしい。
その企みがどこかでバレて大人たちは罰せられることになった、と私たちを連れて行った役人は言っていた。でもオーギュスト殿下が子どもたちに罪はないと便宜を図ってくれたそうだ。
でもそんなことはどうでもよかった。
私にとって嫌な世界が「もっと嫌な世界」になるか「マシな世界」になるか、それだけの差だから。
小さな窓から見える景色はみたことのない景色で住み慣れた家からはどんどん離れていることだけは理解した。
どれくらい揺られたか見当もつかないくらいの時間が経っていることは確かで、木の椅子に直に座っているせいでお尻が痛い。御者に訴えても何もしてくれなことは既に目の前に座るカイリーが証明してくれた。
その隣でしくしくとしゃくり声をあげる子はいつも私たちのリーダー格でいつも偉そうに私に命令をしていたカイリーの姉、ジャンナだ。この前はわたしは皇妃になるなんて言っていたけど今は見る影もない。
やがて窓から見える景色は賑やかな街へと変わっていき、今まで一切かかわることのなかったみすぼらしい平民の街を通過した。私たちにとっては貧乏な馬車でもこの街では珍しいらしく視線が集まっていることが見て取れた。
その視線がうっとおしいが見たことのない街の景色は珍しくてついあちらこちらに視線が泳いでしまう。
すると馬車はようやく目的地に着いたのか歩を止めた。休憩ではない動きに馬車の中で女の子たちが縮こまって身を寄せ合う。
「おりろ」
御者が手前に座っていたデイジーを無理やり下ろして扉を閉めた。何かを話しているようだけど会話の中身までは聞こえてこなかった。下ろされたデイジーの泣き声がして、馬車は進みだす。
ひとり、またひとりと下ろされ、ついに私の番になった。
「つぎはお前だ」
「はい」
抵抗しても無駄だと分かっていた私は悪魔のような御者に従って馬車を降りた。ようやく姿勢を変えることができて内心晴れやかな気分だけどそうも言っていられない。これからどこへ売られるのか見当もつかないのだ。
「ここ…は?」
「あんたが新入りだね。こっちへおいで」
私を出迎えたのは気の強そうな女性だった。地味グレーのドレスに身を包んでいるけれど、その眼光は鋭くて今まで見てきたどの女性よりも綺麗だった。はかなげな美しさというより一本芯の通った強さがあるように感じられた。
「はい…」
家から唯一持ち出せた日用品と大切なものだけが入った小さなカバンの取ってを強く握りしめて女性の後に続く。貴族の屋敷にしては随分と派手なその屋敷は今まで訪れたことのある貴族の屋敷のどれとも似つかなかった。
珍しくてついキョロキョロしてしまいたくなるけれど、目の前を歩く女性に置いていかれそうで視線を女性に向ける。
「ここはね、お貴族様やお金持ちの男が少しだけ春を買っていくお店さ」
「春…?」
「あんたにはまだわかんないか。私はローラ。みんなからは姐さんって呼ばれてる。あんたもそう呼びな」
「はい。姐さん」
素直に従って私は必死にローラさんの後にくっついた。この人に置いていかれたら自分は本当に行く先がわからなくなってしまうような気がしてならなかった。
「あんた、元は貴族のお嬢ちゃんだったんだってね。でも親が悪いことをしてここへ流された」
「…はい。おっしゃる通りです」
ローラさんが意地悪くそう言って、整った口元を歪めた。
そう。こうやって親が悪いことをすると全て子どものひっついてくるのだ。兄弟が悪いことをしてもそう。どこそこの誰々さんの妹で何々をしたのでしょう?って意地悪く言われる。
「でもここじゃあそんなこと関係ない。スネに怪我をしているやつなんてゴマンといる」
「え…」
「ここはね、勝ったやつが偉いんだ。あんたがナニモンかも親が何をしてきたやつかも関係ない。たとえそんなことを言ってくる奴がいたら実力で黙らせてやんな。権力も地位も娼婦には関係ないんだから」
そう言ってコツンと私のおでこを小さく指で突いたローラさんは勝気に笑っていて、その笑みは見惚れてしまうくらいかっこよかった。
「さて、あんたの名前を聞いてなかったね」
「ライラ。家名はありません」
「良い心がけだ。おまえは今日からライラ。何にも縛られないで生きていきな」
ローラ姐さんは満足げにうなづくと私を同じ年頃の女の子が使っているという部屋に案内してくれた。
ベッドが4つと小さな机があるだけの簡素な部屋。
でもそこが今日から私の家で始まりの場所だ。
スコット家の名前は捨てた。もう私には必要ないものだから。
ここから私は新しい人生を歩むのだから。
こうして私は新天地へと足を踏み入れた。
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新しく暮らすことになったこの家、もとい、店は娼館と呼ばれる場所らしい。
らしい、というのはまだ子どもなのでお店の全容をみせてもらえないから。
店とお客さんが泊まる部屋、私たちが住む居住スペースに分かれていて、店には私たちより年上の女性たちが大人の男の人たちとお酒を飲んだりする。両方の合意があればお金を払って女性を連れ出したり泊まっていくことができるそうだ。
どれだけ男の人がお金をかけてくれるかでここでの価値は決まる。
でも私たちはまだ接客をすることはできないからお姉さんのお手伝いや身の回りの世話、掃除をするのが主な仕事である。
「ちょっと!あんた!トイレの掃除は終わったの?!」
私より少しだけ年上の、でもまだお店に出られる歳じゃない子が偉そうに上から言ってきた。
「私はあんたという名前ではありません、ライラですと何度言ったらわかるのですか?」
「うるさい!!あんたってほんっと生意気!」
「生意気で結構です。トイレの掃除なんてとうの昔に終わりましたよ。エミリーさんに呼ばれているので失礼」
「ちょ!!ちょっと!!待ちなさいよ!!」
なによ!!ずるい!!
背後で地団太を踏んでいるが私は一切無視してエミリーさんの部屋を目指した。さっきの女の子、ミアはわたしより少し前にここに入った女の子で可愛いけど気が強く私以外の同室ふたりを手下にしていいようにしている。どこにでもそういう子はいるものだ。
かつて家同士のつながりで仲良くしていたジャンナやカイリーを思い出す。そういや彼女たちは元気にやっているだろうか。
そして今から会いに行くエミリーさんとは今この店で最も売れている女性だ。彼女のために大金をはたく男は星の数ほどいるそうで、着ているものから身に着けている宝飾品、与えられている部屋まで全てが一等品だ。
この店では人気に応じて給料や部屋のランクが上がっていくシステムになっている。人気最上位のエミリーさんは最上階に風呂トイレ付の個室を持っていていつでも私たちが呼べる魔道具まで持っている。
トイレ掃除を終わらせた私はエミリーさんからお使いを頼まれていた。
「ライラです」
ドアのノックして名乗ると、誰に開けられるでもなく扉が一人でに私を迎えた。この店には珍しい魔道具がたくさん使われていて、魔道具を動かすためだけに人が雇われているほどだ。最初こそ驚いたがここにきてもう半年近くたつ。いい加減慣れた。
「ライラちゃん、お使いありがとう。お目当てのものは買えたかしら?」
「はい。これでよかったですか?」
「そうそう。ライラちゃんのお使いは間違いがないから安心して任せられるわ」
白魚のように伸びた美しい指先に頼まれものをそっと乗せると笑みエミリーは太客が高級酒を入れたときにしか見せない極上の笑顔を浮かべて品物を受け取り大切そうに抱きしめた。
まだお店に出るまで時間があるので着ているドレスは緩い部屋着だが肌触りのよさそうなそれは一目で貴族が使っていても遜色ないものだとわかる。化粧をしていなくても輝きを失わない肌艶は日頃からエミリーさんが努力している賜物だ。
「ふふっ!読み終わったらライラちゃんにも貸してあげるから是非読んでごらんなさい」
「ありがとうございます」
エミリーさんが大切そうに抱え込んでいるそれは『歴史からひも解く政治経済の歩み』というなんだか難しそうな本だった。これを買いに行ったときお店の人には不思議がられたものだ。
黒い文字ばかりの本を華やかさの頂点にいるようなエミリーさんが読んでいるということに最初の頃は驚いたものの、太客は馬鹿には掴めない。
そしてほかの子たちより少々頭の回転がよかった私はエミリーさんが本の感想を言い合うよい話相手として気にいられたらしい。
さっそく新しい本に夢中になっているエミリーの部屋をさっと見回して、脱ぎ散らかした服や食べ終わった食器をそっと下げ部屋を後にした。
食器は厨房に、服は洗濯室。
慣れた仕事だ。
ここでの暮らしは貴族出会った頃のそれとはまるで違う。
自分のことは全て自分で。仕事をしないと食事にはありつけない。
女同士の蹴落とし合いという意味では貴族社会と変わらないのかもしれないけれど、家というしがらみがないのは私にとってとても良いことだった。
スコットの家では男尊女卑。お兄様やお父様が全ての頂点に立つ。
その次にお母様で末っ子の私は常にお兄様にいいように使われどれほど頑張っても褒めてもらえることも認めてもらえることもなかった。
勉強はしっかりさせてもらえるし、仕事をきちんとこなしていれば食事にもありつける。機嫌が悪いというだけで暴力は振るわれないし文句があったら言い返せばいい。頑張ったらささやかだけどご褒美がもらえる。
煩わしい小競り合いはあれど、自分の実力ですべてが決まるという意味ではスコット家より十分に『いい世界』だ。
「ライラ、エミリーのお使いは済んだのかい?」
艶やかな声に呼び止められて振り返るとそこにいたのはローラだった。私がこの娼館にやってきたときから変わらぬ美貌は一種の魔法ではないかと疑っている。
「はい。先ほどお届けして代わりにこれを…」
そう言って両手に抱えた服と食器を見せればローラさんは少しだけ溜息をついた。
「はぁ、あの子は全く…仕事はできるくせに生活がだらしなくていけない。これじゃあ身請けはよっぽどのお金持ちじゃないと無理だねぇ…」
「エミリーさんなら貴族の妾だって十分狙えると思いますよ」
「だといいんだが…」
ローラさんがエミリーさんを心配しているのはローラさんがこの店の女主人で、女の子たちの母親的な立場にある人にほかならない。
まだ20代でも全然通りそうな美貌の魔女は年齢を止める魔法すら使える可能性があると噂になっているほどだ。
「そういやライラは今年でいくつだっけ?」
「13になります」
「大きくなったもんだねぇ。ここへ来たばかりのときはまだこんな子どもだったのに」
「ローラさんのお陰ですよ」
「よし、ライラ。週明けから店に出な。部屋も一つ上の個室を使うといい」
「本当ですか!?」
「当然だろ。みんなには言っておくよ」
「は、はい!!頑張ります!」
13歳になったとき、私はついに運命を変える一つの分岐点を迎えることになった。




