11’.オーギュスト様、メアリーに会いたいってよ
大変なことになった。
それはもちろん私、メアリーにとっての『大変なこと』だ。
いや、ある意味では真理にとっても『大変なこと』なのだけど…もうすでにメアリーに人生のバトンを渡しているという意味ではメアリーにとって重要な意味があると考えて差し支えないだろう。
若干5歳
私、メアリー(以下略)は死ぬかもしれない。
「メアリー、準備はできたか?殿下を待たせるなどという不敬は許されないからな」
お父様の厳しい声を聞いてようやく意識が浮上する。
身長の倍はありそうな大きい鏡の前には頭の先から爪先まできっちり整えられたメアリーが克明に映し出されていた。きっちりと油で固めうっすらとだが化粧をし、ドレスは皺一つない。子供にしては大人向きな固い靴にソールはないが可愛らしい花飾りがついていって汚れひとつなく、新品そのものだった。いつのまにこれだけ揃えたかというと単純に私が持っていくとダダをこねた結果だ。
ほらみろ、持ってきておいて正解だったでしょ?
自慢気に鼻息を荒くメイドたちを見返したのは一瞬で、いつもより5割増しくらい強引に身支度をさせられた。
とはいえ無礼なメイドたちを咎める気はあまりなかった。というのもそれどころではなかったという理由もあるが何よりも時間が無かったから仕方なかったのだ。私にもそんな余裕はなかった。
お父様から当然の連絡を頂いた時は何を言っているのかさっぱりわからなかったが、用件を聞いて納得した。
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早朝
『メアリー、今日は朝一で領に戻る予定だったが計画変更だ』
『それはかまいませんが…なにか緊急の事態でもありましたの?』
真理が食べていたときより固いパンを千切って頬ばった。昨晩発揮された令嬢にふさわしい洗練されたマナーも自宅となれば形無しだ。珍しくお父様が一緒に朝食を取るなんて言うから何事かと思ったがお父様の顔色を察するによほどの事態が起こっているらしい。
『緊急の中の緊急だ』
ゴクリと息を飲み込んで小さく深呼吸をする。どうでもいいけどさっさと話してくれないだろうか。
そろそろマナーの悪さに目を付けられそうだ。
『オーギュスト殿下がメアリーを直々にお呼びだ』
『はあ?』
思わず間抜けな声が出るが誰も咎める者はいなかった。咎められないというのが本当だけどそれ以上に理解不能なことが起こっている。
無作法に目をつぶっていたメイドたちもさすがに同様が走った。
『お待ちください、なぜオーギュスト殿下が私をお呼びなのですか?婚約者の選抜は昨日行われたばかりですのよ?まだ婚約者候補と対面するというのは些か早すぎませんこと?』
『それは何度もおはなししたがオーギュスト様たってのご希望だ。無碍にすることはできん』
『御用件をお伺いしましょう』
『ルイ殿下のこと、だそうだ』
重苦しく吐き出したお父様の言葉を聞いて背後に控えるメイドの数人が天を仰ぎ大きくため息をついた。おい、聞こえてんぞ。
メアリーが婚約者候補を決めるお茶会でルイ殿下を連れ去った件はスティルアートの家の中で今最も旬な話題だ。たった一晩のうちに噂は早馬よりも早くメイドたちの間を駆け抜け今は貴族令嬢監禁疑惑まで同時進行でかけまわっている。
外部に漏れていないのはさすが高給取りの家人たちというところだろうか。
つまりメイドたちの落胆の理由は『メアリー様のワガママのせいでついに婚約者候補の話まで潰えた。オーギュスト様の唯一の家族であるルイ殿下を誘拐したとあればさぞお怒りだろう。殿下の逆鱗に触れたこの令嬢はもうダメだ』というやつである。
『…お父様、ルイ殿下の件は私謝罪したはずでは?オーギュスト殿下にも陛下にもお父様からお詫びを入れるとお聞きしたと思うのですが』
『そのオーギュスト殿下がおまえに会いたいと仰せなのだ。覚悟しろ』
『…』
ハロルドの切り捨てるような言い方が全てを物語っていた。我がまま令嬢に仕える優秀なメイドたちは主の一挙手一投足からその意を汲むことに長けている。明らかに棘のある言い方をした当主は要職に就きながら大領地を治める生粋の貴族なのだ。いざとなったら自分の娘ですら切り捨てる非道さを持ち合わせている。
今回はその結果に起こったことにすぎない。
終わった。この令嬢に未来はない。
そこからのメイドたちの動きはこの世の終わりのようだった。せっかく苦労してこんなわがまま令嬢に仕えていたのは将来王家に嫁入りする可能性があったからだというのに。そろそろ転職先を考えたほうがいいかもしれない。
腐っても高位貴族に仕えていた身だ。転職先はそれなりにあるだろう。メイド仲間の伝手を使えばそれなりにいいところを紹介してもらえるかもしれない。給料は多少下がるかもしれないがこの我がまま令嬢の下にいることより悲惨なことはあるまい。髪型が少し気に入らなかっただけで何度も直させられたりお気に入りの靴がなかっただけで買いに走らされたりしなくていい。ちょっと機嫌が悪いだけでクビを言い渡される心配もないのだ。あれ?ちょっとだけ転職したくなってきたぞ?
『さあ、そうと決まれば早々に準備にかかれ。時間がない』
ハロルドがパンと手を叩くと同時にメアリーの目の前にあった朝食は全て姿を消し、屠殺場に連れていかれる家畜のように両脇を抱えられるように自室に連れていかれた。
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と、まぁこれがついさっき、朝食の席のことである。
「この扉のむこうにオーギュスト殿下がいらっしゃる。決して失礼のないように」
「わかっておりますわ。お父様。私を誰とお思いですの?」
誰しもがメアリーは切り捨てられると考えている。
分厚い樫の樹の扉は地獄の門のように高く固くメアリーの前に立ちはだかった。
背後に付いているメイドと執事は既に転職先の相談を始めているし、扉を守る兵士もこの娘は殿下のお怒りを買った例の娘だと認識しいてるようだった。父は何を考えているのかわからない顔をしていえるが同じようなものだろう。
しかしメアリーは知っている。
自分はここで切り捨てられることはないということを。
方法はわからないが、結果は知っている。
前世の記憶がそれを物語っているのだ。
「さぁ、参りましょう」
ギィ、と音を立てて地獄の扉は厳かにメアリーを迎え入れた。




