8’.お父様の頭痛~side H~
メアリーの父親視点です
「で、犯人はメアリーに違いないと…」
「はい。閉じ込められていた少女たちがメアリー様にそそのかされたと。しかし証拠はなく逆にメアリー様に濡れ衣を着せようとしたのではないかという意見もでています」
「小屋に閉じ込められていた少女は5名、グレイ伯爵家のジョンナ様と妹のカイリ―様、ウェスト男爵家デイジー様、スコット伯爵家ライラ様、ペラム伯爵家マデリン様にございます。みなひどく怯えてはいますが怪我はありませんし命に別状はありません。医師による診察を受けております。ただ…」
そこで部下のひとりは言葉を区切り、口を重たくした。言いづらい内容があるらしく目線は下に下がり気味である。
「あまりにも臭いが酷く魔法を使っても尚臭うとのことで今朝早くお帰りになられました」
「それほどなのか?」
「はい。あらゆる消臭石鹸、香水、魔法を駆使しても強烈な馬糞の臭いは取ることができず洗浄に当たっていたメイドたちからは苦情が出ているそうで…」
「ほぉ…」
「これほどの被害なのだから魔法を使ったのではという意見も出ております。そのためまだ魔法を与えられていないメアリー様には実行不可なのではと…」
はぁ、とハロルドは頭を抱えた。
部下たちから上がってきた報告は頭痛の種でしかない。その当事者が娘ではないかという事実は娘のこれまでの行いを知っているハロルドからしたら肯定せざるを得ないものだった。
5歳程度のか弱い女の子にそんなことできるはずがないと部下たちは懐疑的な目をしているが、隣で報告を聞いているアルバートも自分と同じ考えのようだった。
実際、昨夜メアリーが何か異臭を漂わせていたから着替えさせたという報告はハロルドの耳にも入っている。
「報告ご苦労。もう下がってよい。メアリーはどうしている?」
「帰り支度を進めていると報告が入っております」
「ルイ様への誘拐未遂の件もある。一度ここへ呼び出せ」
「はい」
規律正しく下がった部下を確認してアルバートは少しだけ力を抜いたようだった。
メアリーがオーギュストの婚約者候補として集められたと同時に、オーギュストの側近候補も集められていた。こちらは候補者をだいぶ絞っていたことや時期をずらしていたこともあって特に何らトラブルなくまとまったというのにこの違いは何だというのか…。
物腰が柔らかく人当たりのいいアルバートはメアリーという厄介な妹に恵まれたおかげで同世代の子どもより落ち着いたところがある。面倒見もよく視野も広い。メアリーの起こしたトラブルの後処理に当たらせていたこともあって大人さえ舌を巻く賢さをみせるときさえあるほどだ。王宮側からもアルバートは満場一致で側近に選ばれていてハロルドは鼻が高かった。
「おまえは自慢の息子だ。少しはメアリーも見習ってほしい…」
ハロルドの本心からの吐露だった。アルバートは意外だったのか驚いたような顔をしているがそれくらいハロルドにとってはこの息子がよく出来ているようにみえて仕方がなかった。身近にいると気が付きにくいものだが、同じ歳くらいの貴族の男子と比べてもアルバートは物分かりがよく冷静で、それでいて周囲への気遣いを忘れない。積極的にハロルドの後についてきて勉強しようと懸命でひたむきだ。誰と話していてもお世辞抜きにアルバートは褒められる自慢の息子だし、自分を純粋に慕ってくれる息子を可愛いと思わないわけなかった。
メアリーももちろん可愛い。しかしメアリーの奔放さは手にあまる。それがただの子どもの我がままであったのなら叱ってお終いではあるがメアリーが何か事を起こすときたいてい裏になにか事件が潜んでいる。
それは危険な思想家だったり、家族に暴力を振るう調教師だったり、領地を危険に晒す感染症だったり、邸宅内の宝石を盗もうとしたメイドだったり、庭師に見せかけた暗殺者だったり様々だ。
目立たない存在だった彼らは誰しもがメアリーの我がままや起こした事件によって目立つ存在となり調べてみればなにか別の大きな事件の引き金になっている。メアリーがいたからこそ被害が未然に防がれているという意味では今回の事件もただの子どもが起こした悪戯では済まさないほうがいい。
「アルバート、お前は昨日ルイ様に付いていた従者たちを調べろ」
「はい。昨日はいつもと違う従者たちが付いていましたから背後関係を調べます」
「よろしく頼むぞ」
「はい!」
アルバートは力強く頷いて、部屋から出ていった。一人になったテーブルでハロルドは先ほど部下が置いて行った被害者少女たちの身元調査票を捲った。
グレイ伯爵家、ウェスト男爵家、スコット伯爵家、ペラム伯爵家
どこもこれといって特徴もない貴族だった。今回の婚約者候補に集められた理由は中立の立場にあった貴族で歳がオーギュストとつり合いが取れたという理由だけだ。どこの領地にも特徴的な産物があるわけでもなく、オーギュストの後ろ盾となるには今一つ足りない。
「何かあるというのだろうか…」
眉間にしわを寄せる。ハロルドには長年貴族として王宮勤めをしていた勘があった。綱渡りのような腹の探り合いはやがてハロルドに理論では説明し難い嗅覚を身に付けさせた。その嗅覚が何かあると告げているがそれが何なのかまではわからなかった。
しかし勘は言う。
この裏になにか大きなものが潜んでいると。
「メアリー様がご到着されました」
「通せ」
部下の声に弾かれたように顔を上げ調査票を手元にまとめテーブルの隅に寄せる。今は先にメアリーの話を聞く方が優先だった。
「ルイ様の件は本当に知らなかったのです。あそこは貴族の女の子とオーギュスト様しか子どもはいなかったはずです。ルイ様ほど容姿の優れたお方なら女の子と思っても仕方ないのではありませんか?」
「しかしルイ様は男の子の恰好をされていたはずだ」
「それこそ、本人が男の子の恰好をしたがることだってあるのではありませんか?兄弟がいて、お兄さんの服に憧れていたら男の子の恰好をしたがる女の子だっているかもしれません」
メアリーは5歳という年齢にも関わらず口が回る。
一体どこでそのようなことを覚えてくるのかというような理屈をこね大人たちを困らせるのだ。メアリーについたメイドが次々とそのよく回る舌に驚きバッサリと己の不手際を切り捨てられ泣いているという話はメイド長から度々聞いている。
ただその話の最後には必ず辞めていくメイドたちにはたいてい何か後暗いことがあるということだが…。
例えば執事の1人と不倫関係にあったり、宝飾品を盗難しようとしていたり。妻がそういう意味でメアリーには大変感謝していると言っていたことがある。
「例えそうかもしれないがメイドの静止を振り切って自室に連れ込むとは何事だ?」
「…それはすみません。やりすぎたと思っています。私もお相手がルイ様がとわかっていたらあのようなことはいたしませんでした」
「…」
珍しくメアリーは素直に反省している。
今までこんなことはあっただろうか?相手がルイ様でなければ良いのかという話ではあるが今はそんなことは関係ない。
これまで謝罪、感謝、賛辞という言葉を知らず一切無縁だったメアリーが素直に謝ったのだ。これが成長というやつなのだろうか。今日は良い日だ。
「令嬢たちが中庭の小屋に閉じ込められていた件は知っているか?」
メアリーの瞳が一瞬だがピクリと揺れた。表情に一切の変化はなく、なにも知らないと言いう顔をしているが日常的に細かな表情の変化をつぶさに観察しているハロルドにはメアリーの一瞬の油断を見抜くくらい訳なかった。
「黒だな」
「何のことやら」
「知らぬフリをしても無駄だ。父の目を欺けると思わないことだな」
「…あの方たち、オーギュスト殿下を侮辱なさったのです」
メアリーは観念したのか、ハァと溜息をついて重たい口を開いた。
「晩餐会のときあの方たちはオーギュスト様のことを侮辱する発言を私の前でなさいました。期待外れだとか、退屈だとか、そのうえ堂々と皇妃になったら浮気するとのご発言、更にはオーギュスト様を婿になさるなどと…お馬鹿な発言も休みやすみ言ってほしいものですわ。次期皇帝になるのはオーギュスト様以外ありえないというのに」
よほど怒っているのか言葉の端々から怒りがにじみ出ていた。口調こそ冷静ではあるがその表情は怒っているときの妻にそっくりで親子とはこういうところまで似るのかと感心した。
「窓から馬糞を投げ込んだのもメアリーか?」
「えぇ。ちょうどよく堆肥の袋がありましたので」
「それで着替えたのか…」
「はい。メイドからは嫌な顔されましたけど」
「しかし事件があったとき晩餐会の会場にいただろう?いつ彼女らを小屋に連れ込んで堆肥を投げ込んだんだ?」
「良いものがあると唆したら自分たちから入っていきましたわ。あんな小屋にお菓子やおもちゃがるわけないのに。彼女たち慣れているみたいですぐメイドの目を盗んで小屋に行きましたよ。あとは鍵を閉めて窓から投げ込むだけです。時間は…あの会場に時計はありませんでしたしメイドたちも時計はしていませんでした。メイドたちもどうせ精確なことは言わないですし」
メイドたちは装飾品から家を推定されることを防ぐために一切を禁止していた。会場にも時計は設置していなかったので事件が起きた精確な時間はわからなかったのだ。
だからいつ少女たちが会場から消えたかはおおよその時間でみていたし、少女たちに付いていたメイドも自分たちの過失を最小限にするため目を離した時間は一瞬だけだったなどと言っていて信憑性に欠けていた。
「そこまで考えていたのか?」
「当然でしょう?」
メアリーは悪びれる様子もなく、読んだ本の感想でも言うように昨日の犯行を楽し気に語る。無邪気に、愛らしく、可愛らしく、残忍に。
あまりにも子どもらしくないその姿にハロルドは背筋を何か冷たいものが這うような感覚がした。
アルバートの賢さとはまた違う、恐ろしさ。
「彼女たちに恨みはありませんでしたけど、私は目の前でオーギュスト様の悪口を言われて冷静でいられるほど大人ではありませんの」
そして確信する。
この娘の中には、可愛い自分の娘の中には、
何か自分の予想を遥かに超える何かが潜んでいると。