5’.クレーム処理~side Y~
新キャラの視点で進みます
ユリウス・ジュリオ・マッツァリーノジュール・マザランは怒っている。
まだ僕は5歳だが、この仕打ちが怒りに値するものであることは良く理解している。
何故なら屋敷からの移動中、一切父は口を利かないし両腕を組んで小さく膝を揺らしている。
これは怒りをこらえているときにする動きだ。
こういうときの父には話しかけないことが一番なので、僕は目線だけで馬車の外を見た。
魔車が貴族たち間で一般化されているなか、昔ながらの馬車を好むのは僕の家が武家で馬を好むからなのかもしれない。
馬にこんな重たい荷物を引かせるなんて可哀想だと思ったが、よく頑張った馬はとても褒めてやるとまた頑張ってくれる、馬との旅は孤独な旅ではないよとお父様から言われ、確かにそうだと思った。
魔車はたしかに快適だし早いけど、馬と旅をしているほうが断然楽しい。それに最近は魔法具で馬車もそれほど揺れを感じないようになっているし、馬が引きやすいように軽くなる魔法が使われているらしい。
もちろん、この魔法具を使うには魔力を注ぎ続けなければいけないがそれは御者のすることだ。
緊張する僕の様子に気が付いたのか、お父様が大きく厚い手で僕の頭を撫でてくれた。
「決しておまえに怒っているわけではない。このような行いをしたスティルアートの連中に怒っているのだ」
「…スティルアートの人たちは何をしたのですか?」
「我々が取り寄せた希少種の馬を殺したのだよ。娘を怪我させた腹いせにな…!!」
「えっ!!」
僕は正直驚いた。
たしかスティルアート家の女の子は僕と同じ歳のはずだ。まだ馬に乗るには早いし馬は不用意に人を怪我させるはずがない。
きっとその女の子が何かしたに違いない。
殺された馬がかわいそうだ…。
「ハロルド!!!どういう事だ!!!アカールを殺すなんて何を考えている!!」
ノックもせず屋敷をずんずんと進んでお父様は一層重厚な扉を打ち開いた。その奥に座る男のテーブルをバァンと叩くと積みあがった書類が小さく震え、何枚か床にいらめいた。
従者たちが音もたてずにそれらを拾って戻していく。
「やめんか。子どもの前だろう?」
お父様がハロルドと呼んだこの男こそ、スティルアート家当主その人だとわかった。武人であるお父様の圧に一切驚く様子はなく、涼し気な顔をしていた。気難しそうな目元は一筋縄ではいかない人物であることを物語っている。
「子どもの前だからこそだ。このような理不尽は正すべきだとしっかり教えねばならん」
「ほう、なら恥をかくのは貴様のほうだがよいのか?」
当主は不敵に哂うと、鋭い視線でお父様を睨み付けた。僕はつい、小さく悲鳴をあげてしまう。
「ふん!どのような言い訳があるのかじっくり聞かせてもらおうか」
当主が傍に控える執事に合図を送ると、僕たちはすぐさま応接室に通された。香りのよいお茶が出されるが、お父様は口を付けることはしなかった。
「待たせたな」
待つほど待ってもいないが、礼儀として当主はそう言ったのだろう。当主は一緒に僕と同じくらいの男の子を連れてきた。
「そちらが息子を連れてきているということでこちらも連れてきた。息子のアルバートだ。歳はたしか3つ上だな」
アルバートと紹介された男の子はどうやら僕より年上だったらしい。人の好さそうな笑顔を浮かべているが僕は笑うような気分になれずむすっとしたまま小さく会釈だけしたおく。
愛想のよさそうな雰囲気は当主とは似ていないようだった。
「よろしくね」
「…よろしく」
ふたりに続いて入ってきた執事から当主は分厚い書類の束を受け取って、ようやく話し合いは開始された。
「さて、アカールの件だったな。あれは非常に残念だった」
「どの口が言う?貴殿の娘を怪我させた腹いせに殺処分だなんてふざけるな!貴殿がわざわざ息子のためにというから方々手を尽くして手に入れた極上の馬だというのにっっ!!!」
お父様はよほど悔しいのか、指先が膝に食い込むほど力を込めていた。
その緊迫感が伝わったのか、アルバートも表情を硬くしている。
「たとえ、我が領内の家畜が全滅しても同じことが言えるか?」
「なんだと?」
「…どうせ後々貴殿にも送ろうと思っていたものだ。今みても同じだろ。これはあのアカールの診断結果だ。複数の獣医師の魔法署名入り。偽造などではないぞ」
「確かに署名は本物のようだが…」
当主はお父様に先ほどの種類を手渡した。お父様はそれを受け取ってペラペラとめくっていく。
「!!…これは!!!」
数枚捲ったところでお父様の顔つきが変わった。さっきまで今にも当主を殴り掛かろうとしていたというのにそのページを何度も目を通していくうちに難しい顔つきになる。
「ほう、頭の固い貴様でもわかったか?」
「…」
「あのアカールは感染力の高い家畜性伝染病に罹っていたんだ。既に我が領内に来た時には感染していたというから貴殿らが遠い異国の地から仕入れたとき既に手遅れだったんだろうな」
「…人間への感染は確認されたのか?」
「幸い人間には感染が確認されていないが既に我が家で飼育していた豚や馬がやられた。とんでもない損害だ。もしこのまま感染に気付かなかったら被害は我が領全てに及んでいただろうな。貴殿らの馬舎を経由しているのなら早急に検査することをお勧めする」
「…」
「言いがかりです!!娘が馬を殺した理由を付けているだけだ!!」
僕は思わず声があげてしまった。本当ならこんなことをしていいはずないのに。これは後からお父様から叱られると思ったが、殺された馬のことを思うと声を上げずにはいられなかった。
「息子はどうやら賢いようだな」
当主は再びさっきのような不敵な笑みを浮かべて僕を見た。思わず身がすくんでしまうが、ここで引き下がってはアカールが報われないではないか。
「確かに息子殿のいうように我が娘を怪我させた腹いせに貴重な馬を殺す、その理由付けに感染症をでっち上げたという意見には筋が通っている」
「なら…」
「と、思ったか?たかが子どもの我がままごときにマゼラン家ほどの貴族を敵に回すわけなかろうっっ!!!!我らはそのような愚か者ではないわ!!小僧がっっ!!」
雷を落としたとはまさにこのことだ。当主の声はお腹の奥底にたたきつけられるような重さがあり、また体を真っ二つに裂かれてしまうのではなかという鋭さがあった。睨み付けられただけで頭を抱えて逃げ出してしまいたくなる。
お父様が怒ったときがこの世で一番怖いときだと思っていたが当主はその比じゃない。
「ひいっ!!」
「貴様の言いがかりはそこに署名した13人全ての獣医師の誇りを踏みにじる侮辱であるぞ!!貴様にそれだけの覚悟はあるのか!?小僧!!」
「す、すみませんでした!!!」
思わず謝ってしまったところでお父様が僕の頭にポンと手をのせた。
「当主。我が愚息が失礼をした。また我が家の不手際によって貴殿らの家畜に多大な損害を与えたこと、心から謝罪をさせてもらう。この詫びは必ずなにかの形でさせていただく」
「ふん。また息子に馬を与えてやってくれ。今度は健康なやつをな」
「もちろんだ。アルバート殿、貴殿にも申し訳ないことをした。今度こそ、極上の馬を進呈させてい頂こう」
「はい。楽しみにしております」
アルバートとお父様が握手をして、話合いはお開きになった。
お父様が押しかけてこなくても、当主は後日書面をまとめて手紙を出すつもりだったそうで完全にお父様の早とちりだったわけだ。
少々バツの悪そうなお父様は来た時よりもおとなしく馬車に乗り込んだ。
「ユリウスくん、また今度遊ぼうね。きみ乗馬するのでしょう?」
「あ…あぁ…」
そして僕は見送りに来てくれたアルバートがそんなことをいうものだから急きょ乗馬の練習をしなくてはいけなくなってしまった。
まだ僕は5歳だから乗馬はしていないというのにとんでもない誤算だ!!
スティルアート邸にて。
「お父様、マゼラン家の方たちがお帰りになられましたよ」
「そうか。見送りご苦労」
ハロルドは書類を書き進めていた手を止めて息子に視線を向けた。いったん書類仕事は休んで息子との時間に充てようとメイドに合図を送る。
「急に押しかけてきたときはどうなることかと思いました」
「あぁ。魔法が発達しても情報伝達の遅さは改善されないな」
「にしても今回もメアリーのお手柄でしたね」
「あぁ」
マゼラン家親子に伝えた内容に嘘偽りは一切ない。
武門に通ずるマゼラン家の手を借りてわざわざ希少種の馬を入手したのは単純にアルバートの誕生祝いだったからだ。しかしその馬がメアリーを怪我させたことは予想外だった。
本来なら調教師のいう事を聞かなかったメアリーを叱るべきだしそれは既に母親がきつく叱ったらしい。
懲りたかどうかは知らないが。
だが事態が一変したのはそのあとだ。
メアリーが馬の殺処分せよなどと調教師を脅していた頃、時を同じくして一連の出来事を聞いた獣医師は疑問に思った。
アカールと言う馬は元々気性の優しい馬で子どもが少々暴れた程度で機嫌を損ねるような器の小さい馬ではない。
そもそも健康状態に問題がないか自分が診察してからアルバートに渡す予定だったものを、貴重な馬を早くお目にかかりたかった調教師が勝手に予定を前倒しにしたのだ。
家畜たちを診察していた別の獣医師が異変に気が付いた。馬舎の馬たちや豚が揃って体調に異変をきたしていたのだ。数日前の検診ではこんな様子なかったのに。
すると新しくアカールがやってきてから症状がでていることがわかる。急いで原因を探ったところアルテリシアにはいない病原菌に感染していたことが判明した。
そしてアカールは既に病原菌に深く冒され治療の手が施しようのない状態にまでなっていた。
「僕があの馬に乗ったときには既に立つことすらやっとな状態だったそうです」
「言い方は悪いがメアリーが怪我をしなければ異変に気づくこともなかっただろうな」
病原菌を領地内に蔓延させるわけにはいかず、複数の獣医師たちの指導のもと診断書を作成し病魔に侵されていた家畜たちは適切に処理された。
アカール以外にも処分された家畜は多く、アカール一頭分よりも高額の被害を出しているのだがマゼラン家にはそのことは伝わっていなかったらしい。
「ついでにあの調教師を処分できたのだし良しとしよう」
「えぇ。調べたところあの調教師には妻も子どももおりました。調教師からの暴力におびえる奥様とお子さんが」
「そうか。それで彼らはどうした?」
「はい。お父様のご指示通り別の名前と身分と今と全く違う場所に家を与えました。泣いて喜んでおられましたよ。あの男と縁が切れるだけでもうれしいと」
「調教師のほうは?」
「案の定メアリーを逆恨みしてあることないこと吹聴しているようです。マゼラン家に伝わった情報も調教師が言いふらした内容ではないかと」
「こういうどうでもいいことは早く伝わるものだな」
「…」
ハロルドはこの一連の出来事の後始末をアルバートに処理してみせろと命じていた。
命じた内容はただ領地の不利益を最小限に抑えよ。
既に被害は出てしまっているが適切に人を動かせば被害は最小限に抑えることができると判断していたのだ。
アルバートは父から与えられた任務を幼いながら精確にやりとげた。
ただ一点を除いて。
「調教師の後始末ができなかったのは僕の至らなさです…」
「メアリーの思い切りの良さを見習うのだな。いっそメアリーを焚きつけて打ち首にでもさせてしまえばよかった」
アルバートにはメアリーのような残虐さはなかった。
どうしても人の命を尊重してしまう。それは無くしてはならない感情だし、そのような残虐性は持ち合わせない方がいいのだが、時にそれらが必要なときだってある。
馬の殺処分にだってサインをする手が震えていたのだ。
しかし3歳年下のメアリーが褒められていることが悔しくて、アルバートは小さく唇をかんだ。
わずか8歳にして領地内の家畜伝染病を未然に防いだという功績は十分称賛に値する。つらい判断をさせてしまったという自覚もあった。
アルバートの辛さを理解していないハロルドではなかった。
「しかし、よくやった」
そう言って、アルバートの頭を撫でてやればアルバートは子供らしい笑みを浮かべた。妹が生まれて以降何かと両親は手のかかる妹に気を向けて自分はおざなりにされているような気がしていたがこうして父から直接褒めてもらえるのは自分だけの特権だと思っていた。
「今回の件もメアリーにはお話にならないのですか?」
「あぁ。言うとあいつは調子に乗るだろ」
「そうですね」
こうしてまた父との間に秘密ができてしまった。
メアリーに悪いとおもいつつもアルバートは父と秘密を共有することが楽しくて仕方がなかった。少しだけ、メアリーには感謝している。でもわがままで自分を振り回すのはなるべくやめてほしいとも思っていた。
「マゼランのあの小僧は見所がありそうだな」
「はい。お父様に意見するなんて怖いもの知らずなのか勇気があるのか…」
「殿下の護衛騎士には両方が必要だ」
「ではユリウスを推薦なさるのですか?」
「その予定だ。お前もしっかりつないでおけ」
「わかりました」