3’.5歳 異世界転生はふつうここからはじまる
幼かったメアリーは家庭教師を肥溜めに突き落としたことなどその日のうちに忘れた。
謹慎を言い渡され部屋に閉じ込められていた間はぐーすか寝ていたので反省などしていないのだ。
むしろそのあと兄が教会から魔法を授けられたことの方が大事件で事あるごとに兄に魔法を見せてほしいとねだっていた。
まだ簡単な軽いものを浮かせることくらいしかできなかったがアルバートも妹から尊敬されることが嬉しいのか魔法を嫌がることもなく魔法を使ってみせた。
7歳というアルテリシア国では記念となるその歳にアルバートは魔法のほかにもう一つ両親から与えられたものがある。
「まぁ!!お兄様!立派なお馬さんですわ!」
小さなポニーにまたがり不器用ながら手綱を握る兄にメアリーは黄色い歓声を上げた。
普段のひらひらとした貴族の服と違いキリッとした騎乗服に身を包んだ兄が大人びて見えたのだ。
メアリーもアルバートの真似をして服装こそ騎乗服だが、実際に馬に乗ることはしない。
「お兄様!私もお馬さんに乗りたいです!」
「メアリーにはまだ無理だよ。小さすぎるから」
「えぇー」
メアリーは明らかに機嫌を損ね赤色に色づく頬を膨らませた。たいていの大人(メアリーの本性を知らない)はこうするという事を聞いてくれるのだ。
「はは。では私と乗ってみませんか?」
地団太を踏むメアリーを馬の調教師が顔を綻ばせた。だがメアリーはそんなに可愛い幼児ではない。
傍で見守るメイドたちが狼狽しているが調教師の目には入らなかった。
「イヤ!ひとりで乗りたいの!!私も乗せて!!」
「しかし…まだメアリー様には危ないですから…」
「大丈夫よ!!このお馬さんはおとなしいいい子なのでしょう?」
「ですが…」
「メアリー、我がままを言ってはいけないよ。もう少し待てばメアリーだって馬に乗れるようになるんだ。それまで一緒に乗せてもらいなさい」
アルバートが威厳をもっていメアリーを諭すが、あまり効果はないようでメアリーは下唇をぎゅっと噛んだままだった。
こうなってはメアリーは意地でも譲らない。大人が簡単に言い包められる5歳児ではないのだ。
狼狽していたメイドたちは諦めたように天を仰いでいる。自分たちにできることは出来ることならメアリーが怪我をしないことだけだ。万が一このお嬢様の顔に傷でも付こうものなら今にわかに噂されている皇子殿下との婚約話が上がる前に立ち消えてしまう。
「イ・ヤ!!!!乗せて!!!乗せなさい!!命令よっ!!!!逆らうならお父様に言いつけてやるんだから!!!!」
小さな足で地団太を踏むメアリーに調教師はお手上げのようだった。
降参というように手のひらを上に向けた。
「しょうがないなぁ。メアリー、僕と変わってごらん」
「え!!いいのですか?!」
先に諦めたのはアルバートの方だった。ため息をついて支えられながら下馬すると恭しくメアリーの手を取った。
「必ずいう事を聞くのだよ」
「はい!お兄様」
返事だけはしっかりとしてメアリーは従者たちに助けられ鞍にまたがる。
普段の視界より一段と高く開けた視界にメアリーは草原色の瞳を輝かせ声を上げた。
「まぁ!!!素晴らしいですわ!」
メアリーはよほどうれしいのか興奮して鞍の上でぴょんぴょんと跳ね回わった。
「メアリー様!危のうございます!!あまり馬を刺激してはなりません!」
「いいじゃない!少しくらい!」
調教師の不安をよそにメアリーは足をばたつかせ、いよいよアルバートや従者たちも危険を感じ始めた。
「メアリー!危ないから動かないで!」
「大丈夫ですわ!さぁ!動いてごらんなさい!」
メアリーは騎士たちを思い出して足で馬の腹を蹴った。それに驚いたのは調教師やアルバートだけではない。
メアリーに乗られた馬は急に暴れ出す見知らぬ人間に驚いたのか、長く高い声をあげ嘶いた。
「きゃあ!!」
鞍にまたがるメアリーも驚いて手綱を離してしまうと小さなメアリーは空に投げ出された。
突然起こった事態に咄嗟に反応できる者はおらず、メアリーは投げ出されたまま地面に体を叩きつけた。
「メアリー!!!」
「メアリー様!!」
「お嬢様!!!」
従者たちが青い顔をしてメアリーに駆け寄るが、メアリーは頭を打ったようで声かけに反応する様子はなかった。慌てふためいて医師を呼んだりと、和やかだったアルバートの乗馬練習は緊迫した空気に塗り替えられる。
そして遠のく意識の中で、ついに私が目を覚ましたのだ。
この、メアリーの前世、転生前、岡部真理である。
がばっ!!!!と勢いよく掛け布団を投げ出すと、そこは知っているけど知らない天蓋だった。
天上ではなく天蓋。子どもらしく星空と星座の物語が描かれている可愛らしい天蓋だ。
頭を整理する前にズキンと傷が痛んだ。
そうだ、わたしは馬から落ちたんだ。
「メアリー!目を覚ましたのね!!大丈夫??気持ち悪くない?」
「おかあさま…」
意識せずとも口から言葉が出てきたのは、元々のメアリーの意識が残っている証拠だ。
目の前の美女はメアリーを抱きしめると全身を確認するように手で触れた。
「あぁ…ぶつけたのは頭だけだったよう…。馬から落ちたのにこれだけで済んだなんて奇跡よ…」
「は…はい…」
「今はまだ寝ていなさい。お兄様を呼んでくるわね」
メアリー。
私の名前だ。産まれた時から呼ばれているその名前はしっくりとなじむと同時にとてつもない違和感を覚えた。
あれ?どこかで聞いたことあるような…。
「メアリー!大丈夫かい?痛いところは?」
こちらも見慣れた兄が私の顔を覗き込んでいる。
「アルバート、まだ意識が戻ったばかりです。メアリーが驚いてしまいます」
「そうだね。ごめんね、僕がいたのにこんな目に合わせてしまって…」
「いえ…だいじょうぶ…です…」
「…まだ頭がはっきりしていないようだね。寝ているといいよ」
兄は私に改めて布団をかけなおすと、優しく頭を撫でて部屋から出ていった。
アルバート、メアリー、この中世ヨーロッパをごった煮にしたようなネーミングセンスと世界観。
メアリーの記憶にある魔法の存在。
間違いない!!!
ここってラブファンの世界じゃん!!!!!!
私、異世界転生したってこと?!?!?!しかも悪役令嬢のほう?!?!
うそーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!
こうして、私、岡部真理はメアリー(名前以下略)として生まれ変わったのでした。