106’.13歳 お姫様の実験場
「……」
言葉を失って、呆然と立ち尽くした。
これまでロリーヌ様は被害者側だと、可哀想なお姫様だと思っていたのに足元から崩された。
これじゃあ親族が葬儀に来なくても不思議はない。
もちろん、葬儀に来なかったことを肯定しているわけではない。
来ない側の気持ちもわかるというだけ。
お兄様は何も言わずに、ただ悲しそうに私をみていた。
黙っているということはこの話は事実ということなのだろう。
「…捏造とか、誰かと混同しているとか、そういうことはありませんか…」
ようやく絞り出した言葉はなんとも情けないものだった。
違う、そんなことない、と言えるほど私はロリーヌ様というお姫様に詳しくないし、歴史を知っているわけでもない。
オーギュスト様もお兄様も困ったように顔を見合わせた。私はふたりが心配するほどひどい顔をしているのだろうか。
「残念ながら本当だよ。婚約者サマの話に嘘偽りは一切ないね」
「ディー!」
さっきまで奥のほうで研究者たちと本の山を築いていたはずなのに、気配もなく背後に現れた。
両手に本の山を抱えているからまだ途中みたいだ。
「ロリーヌ様はね、ただ自分の開発した魔道具の実験がしたかっただけなんだ。そのために誰が犠牲になってもよかったし死体の山が築かれようと血の雨が降ってもどうだってよかったんだよ」
「何よそれ…とてもじゃないけど人間のすること?」
「あはっ!きみがそれを言うかい?きみが今までやってきたことだって同じようなものじゃないか!」
「私の話はどうでもいいのよ。加減だって弁えてるわ。だいたい、皇族なら国のために尽くすものでしょう?それが内戦を拡大させるための武器職人なんて…」
「お嬢サマからそんな常識じみたことを言われるなんて思わなかったな~。だいたい皇族がみんな国のために尽くしているならこの世界から内戦とか反乱とか、後継者争いはとっくに消えている」
「……」
常識じみたことはこっちのセリフだ。ディーから当たり前のことを諭される日がくるなんてついぞ思わなかった。
「ほかにも外に出せないロリーヌ様の逸話あるけど聞く?」
「…メアリー、無理に知る必要ない」
お兄様が労るように肩に手を置いた。
その手から伝わる気遣いを心地よくおもいお兄様の指先に手を添えた。
「大丈夫です。私は将来皇妃となるのに自分の先祖のことも知らないなんて恥ずかしいではないですか」
「メアリー…」
悲しそうに眉尻を下げるお兄様を振り切って、ディーと向き合った。
「ディー続きを教えて」
「じゃあ続き。さて、ここでお嬢サマにひとつ問題。さっきの内戦、どうして急に第二皇子陣営が優勢になったと思う?」
「そんなの…理由なんていろいろあるでしょうし一概に言えないんじゃないの?歴史の授業では第二皇子につく貴族が増えたからって聞いたけどどうせ違うんでしょ?」
「さすがお嬢サマ。よくわかっているね。決定的な理由、それはロリーヌ様が第二皇子側についたんだ」
「どうして?ロリーヌ様って実験がしたかったんでしょ?ならどちらかの陣営に着く必要はないじゃない」
脅されたとか、そういう理由もあるがこのお姫様が脅された程度で屈するとはとうてい思えない。
「恐怖でいうことを聞かせたんじゃない。そんなことで言うこと聞くよな人じゃあないよ。もっと魅力的な実験場所を提供したんだ」
「魅力的?国まるごと巻き込んで更地にする以上の?」
「そう。一応国内だとアレコレ配慮が必要だろ?人的被害とか」
「そうね…」
聞くに、あまり気にしていたようには思えないが一応気をつけていたのかもしれない。
どちらかというとロリーヌ様の正体が周囲にバレないようにする配慮のほうが手を焼きそうだ。
「ロリーヌ様はね、最初こそ王城内で実験をしていたんだ。でも実験の最中に偶然妹姫を怪我させてしまって王城内での実験どころか全ての実験を禁止されてしまったんだよ」
「それは…そうでしょうね…」
姉じゃなかったら禁止どころの騒ぎじゃすまない…。
よくもそこまでしておいて隠しとおせたものだ。
「妹を怪我させたときロリーヌ様なんて言ったと思う?」
「さぁ…想像もつかないわ」
少なくとも許しを乞うため涙ながらに謝った、ではなさそうだ。
これだけぶっ飛んだお姫様である。想像を超えてくるのは間違いない。
「『ちゃんと当たってくれないと魔道具の威力がわからないじゃない』だって」
「……」
本当に想像を超えてきた。
聞くんじゃなかった。実妹に言うこととはとうてい思えないし、そのセリフだけでロリーヌ様がどういう人かよくわかる。
この人を表舞台に出すべきではない、そう判断してもおかしくはない。
「そこで第二皇子が提案したのが、隣のクラティオを実験場として提供するってこと」
「えぇ!?」
「当時はまだクラティオはアルテリシアの属国だったから出来たことだね。どちらにしても人の移動や配慮なんてしないだろうしどんな実験をするかわからない。クラティオへの被害なんてお構いなしだよ」
語り手が交代して、オーギュスト様が捕捉をしてくださった。
「……」
「で、ここでも活躍するのが後のスティルアート初代だ」
「大活躍ですね…」
「本当に。だから後々に皇帝と密約とかできたんだろうね。そのへんは婚約者サマに聞くといい。まぁとにかく彼の説得でロリーヌ様は第一皇子側に寝返って内戦は決着した。クラティオも無事だったというわけだ」
「このとき提案したのが当時荒地だったスティルアート領を実験場所として提供することだったんだよ。今でこそスティルアート領は農業と畜産の街として栄えているけど当時は海賊や山賊が支配する荒地でね…。何もないって意味では実験場所にぴったりだったんだ」
「ほんとほんと。当時はあそこってなーんにもなくてさ~。諦められた土地っていうのも納得だったよね」
ディーが懐かしむようにケラケラと笑った。
スティルアート領が何もなかった土地という話は散々聞いている。それをロリーヌ様の尽力で今の形にしたという話も。
「ロリーヌ様は結婚する気がなかった。でも次代皇帝の座についた兄も皇妃にするわけにもいかなかったし他所へ嫁がせるにしてもロリーヌ様の暴走を止められる人じゃなければいけない。通説とされている年齢の理由はカモフラージュだね」
皇妃にしようものなら実験と称して一体どれだけの人間が犠牲になるかわからない。下手に外に出して皇族の醜聞を曝すわけにもいかない。
悩んだ末に出した結論がスティルアートの初代当主に嫁がせるというものだった。
彼ならロリーヌ様の手綱を握れるし一国の姫を嫁がせるに相応しい実績もある。誰も怪しまない。
そして青年と次期皇帝となった第一皇子はいくつかの取引を交わした。
土地柄、辺境伯でもおかしくないスティルアート家が侯爵家を名乗っているのもそれのひとつで、ロリーヌ様の死後に交わされた代々スティルアート家の者が皇帝の側近となることも含まれる。
外部に漏らしていいものからいけないものまで取引の内容は代々皇帝とスティルアート家当主にのみ受け継がれ今でも漏らすことなく守られている。
「そこからはメアリーも知ってる通り。ロリーヌ様は新しく荒れ地だったスティルアート領を豊かにするため魔法の研究に没頭して今のスティルアート家がある、というわけだ」
その後の歴史は私の知るところだということで、オーギュスト様はポンポンと手を叩いておしまいと告げた。
「ロリーヌ様は兵器の開発から農業とか農耕具の開発に方針転換したんだよ。内戦のせいで魔法兵器は需要がなくなっちゃったからね。そのうえ教会が魔道具の管理をするようになっちゃったから新しく危ない魔道具は使えなくてね。本当になんにもなかったからつくるほうに方針転換したっていうところ」
「ただ兵器が好きな人ってわけじゃなかったのね…」
「うん。ただ魔法が好きな人ってだけ。純粋にね」
「純粋、ね…」
純粋は純粋でも、私の知る純粋とはえらく意味が違った。
綺麗で清らかな無垢なる好奇は多くの血と屍のうえに築かれたものだった。
「まぁそれでも教会とは揉めたりしたけど…なんだかどこかのお嬢様を思い出すよね」
「…………」
スティルアート家は創立当初から教会と不仲らしい。
自分の過去を振り返って苦笑してしまう。
「何にもない土地でイチからみんなで育てていくのは楽しかったよ。みんな一生懸命だったし自由だったんだ」
ディーはまるでみてきたような口振りだった。
瓶底眼鏡のせいでわからないけれど、その視線は遠くとみるように細められているのだろう。
「スティルアート領はほかの領地より女性の地位が高いのだけど、この頃から人手がなくて男女関係なく働いてたっていうのが理由なんだよ」
「そういう意味では進んでたんだよね」
お兄様が誇らしげに胸を張った。王都に長く滞在するとわかるが、この国は女性の地位があまり高くない。
スティルアートでも女性軽視の発言はみられたがまだ少ない方だったんだということに驚いたほどだ。
お父様も長く王都で仕事をしているとたまにそういうことを言うのでお母様にキツい目をされている。
スティルアートの女性が強いのも原因はこれかもしれない。
「……ご主人様のご先祖が変わった人っていうのは朱菫国にも伝わっていたよ。国ひとつ滅ぼせるほどのお姫様の話。てっきり皇帝をろうらくさせる『傾国の美女』のことかじゃないかって言われてたんだけど本当に違ったんだね…」
外国にまでその名を轟かせていたんだ…。
「どちらかというとそれはクラティオに嫁いだ妹姫のほうだね。彼女はロリーヌ様と違って女という武器がどういうものかよくわかっていたから」
「本当にロリーヌ様とは真逆のお姫様だったのね」
「うん。全然違う。まぁロリーヌ様みたいなお姫様が何人もいてもイヤだけどさ」
「…国ひとつなくなりそうだわ」
「違いない」
小さく笑い合い、再び視線は本棚に移される。本棚を区画ごとに分けたようで最奥の本を整理しているのか空っぽだった。
本棚のすぐ下に本が山積みにされ読み耽る者、目録を作るものと好き勝手しながら作業は進められている。
「そんなお姫様の残した部屋だから何が隠されているか気になったんだ」
「…そう、ですね」
「単なる好奇心ってやつかもね」
オーギュスト様の好奇心がロリーヌ様の遺した日記帳にだけは向かないことを願いながら、腕に隠したそれを一層強く抱きしめた。
懐かしい日本語で書かれたそれを。