104’.13歳 レモンのにおい
「ロリーヌ様?うちのご先祖様じゃない」
「そうだね。スティルアート家の始まりの人。メアリーも名前を継いでいる」
「そうですが…」
腑に落ちない。
かつてロリーヌ様は王女様だったから別荘くらい持っていてもおかしくないけど、どういう繋がりがあってオーギュスト様は私たちを連れてきたの?
雰囲気からして和やかな理由ではなさそう。
「どうしてわかったのか聞いてもいいかい?」
オーギュスト様は挑戦的な笑みを浮かべていた。普段から王子様然としているオーギュスト様がこういう表情をするのは珍しい。
ゲーム内でもあまりみたことがない。決して顔には出さず心の中でシャッターを切っておいた。
「ドアの仕掛けだよ。あの人、あぁいう仕掛けが好きだったから」
「なるほどね。別荘の外観がかわっているから気づかないと思ったけど…やっぱり気づいたんだ」
「あとはこの臭いだね。ロリーヌ様ってこのレモンの香りの石鹸が好きで芳香剤まで作ってたから」
ん?レモン?石鹸?
臭いの正体…あー!!そういうこと!?
これ…日本でよく使ってたレモンの形の石鹸の臭いじゃん…。
幼稚園でよく使ってたやつ…。なんでこんなところで遭遇するのよ!?
異世界転生した先でレモンの石鹸があるってどういうこと…?なんで!?
別の意味でおどろく私を他所にふたりはどんどん話を進めていた。
「そういう理由もあってきみたちにお願いしたんだ。この部屋の資料を調べてくれたら自由にしていい。書き写したものを持って帰ってくれても構わないよ」
「…………調べるっていっても何を調べたいんですかね?」
「まぁ珍しい魔法がないかとかかな?あとはここの本の目録をつくってほしいってところ」
「なるほどね。最初からボクらをここに呼ぶことが目的だったってところ?」
「さぁ?どうだろ?でもロリーヌ様の遺品は気になるだろう?」
「………」
肯定も否定もしない。
ただ眉をひそめ聞こえないくらいの舌打ちをしただけだった。
普段は人を食ったような物知顔の研究者が何かに苛立っているのに、その苛立ちの正体はわからない。
ディーは無言で研究者たちを部屋に入れそれぞれ割り振りをはじめた。
最初こそディーとオーギュスト様の物々しい雰囲気に戸惑っていたけど目の前に広がる未知の魔法に戸惑いは消え去りワイワイ楽しそうに探索をはじめた。
驚きの声と歓声が各所であがりどんどん本棚から本が抜き取られていった。
「……殿下はなにをご存知なのですか?」
あえて曖昧に聞いてみる。
どれから聞いて良いのかわからなかったというのが本音だ。オーギュスト様とディーの間にある因縁のことなのか、どうしてディーとロリーヌ様のつながりを知っているのか。なぜ私たちをここへ呼んだのか。
わからないことだらけだ。
「ん?僕はそんなに詳しくはないよ」
「殿下!」
オーギュスト様は前からディーと何か因縁でもありそうな雰囲気だった。
不仲とか相性が悪いとか、そういうことではないと思っている。
「…メアリーはディーさんのことをどれくらい知っている?」
「古い魔法の研究をしている元医者ということくらいですね…」
「どういう人かわからないのって怖くないのかい?」
「…私の目的さえ達成してくれたらなんでもいいですから…」
そもそも、ディーとは信頼関係というより私が一方的にシンパシーを感じているだけだし欲しいものを作ってくれるから置いているだけだ。
お兄様にも以前おなじようなことを聞かれたがその時も同じようなことを答えた。
教会に来る前なにをしていたとかどうでもいい。
「…そっか。まぁ僕も彼のことに確信があるわけじゃないし勝手に話すと良い顔しないだろうから言わないでおくけど…これは僕から彼へのお礼みたいなものかな?」
「お礼?」
「そう。彼の助力がなければセイガを助けられなかったから」
「そんなの…」
私たちはオーギュスト様に尽くして当然だからお礼なんて必要ないのに。
オーギュスト様のお心遣いに胸がじぃんと高鳴った。
「まぁ国立研究所や教会にバレたくなかったっていうのは本当だよ。ちょうどその目的にメアリーの研究所が適任だっただけ。ダメなら夏のあいだ僕がやるつもりだったし」
「えぇ…この量をですか…?」
天井までズラリと積まれた本の山を見渡す。
研究者たちが分かれて作業してようやくなんとかなりそうなのにそれをオーギュスト様がひとりで調べるなんて…。
オーギュスト様ならできてしまえそうなところがまた恐ろしい。
とはいえオーギュスト様には政務もあるわけだからあまり無理しないでほしい。
「ここへ来てからそっちの本は読んだんだけど何冊か異国の文字で書かれていたんだ。たぶんロリーヌ様が直接書いた本なんだけど読めなくて…」
「へぇ、異国ですか。殿下が読めないとなりますと相当珍しい国の言葉なのでしょうね」
頭脳明晰であらせられるオーギュスト様は異国の言葉にも精通されている。
私も皇妃教育の一環で勉強はしているけどオーギュスト様はアルテリシアと交流のあるすべての国の言語を知っているのだ。
そのオーギュスト様が知らないほどとなるとどれくらい珍しい言葉なのだろう。
興味が沸いてオーギュスト様が手に取った古めかしい本をみせてもらった。
皮の表紙に鍵がついているけれど、既に鍵の魔法は解除されていた。
日記帳のようにもみえる、皮のベルトがついた本だった。ベルト部分に可愛らしい小さな錠がひっかけてある。
女性らしい花と蔦の模様を施した表紙で背表紙には何も書いていない。
これはもしかしたらロリーヌ様の日記帳かもしれない。
まだ少女だったロリーヌ様が毎日こっそり日記帳に向かっている姿を想像するとなんだかほっこりしてしまう。
色褪せた本の小口にそっと触れ、てきとうなページをめくった。
「え…これ…」
「メアリー?」
どっと嫌な汗がでる。全身が何かにからめとられたような、心臓をわしづかみにされたようなかんじ。
目の前に答えは示されているのに情報が頭に入ってこない。
理解できないものを目の当たりにすると人は思考が止まるらしい。
振るえそうになる手をぐっと抑える。
驚き言葉を失い、オーギュスト様に何と言おうか考えているタイミングで、
「ご主人様!!こんなところにいたんだね!探したよ!!」
「セイガ様!?」
聞き覚えのある独特の呼び方をされてひどく安堵した。
同時にこわばっていた全身の筋肉が緩んで心臓の鼓動も穏やかなものになった。止まっていた呼吸を再開させるとお今度は緊張が緩んだことによる汗が出てきた。
「遠路はるばるこんなところまできたのにご主人様は用事があるからすぐ会えないなんて言うんだよ?全くひどいよ!ぼくが来たからにはもう安心して大丈夫だからね!」
「あなたが1番の不安材料なんだけど…」
そういえばセイガ様もエスターライリン領に寄ってから来るって言ってたな…。
ロリーヌ様の本を咄嗟に閉じて怪しまれないよう腕のなかに隠した。
本の内容に秘められた秘密と共に。
「すまん!オーギュスト…止められなかった…ここ遠すぎ…」
続いてセイガ様の後からお兄様が走ってきた。
全力疾走してきたらしく汗だくだ。
「いや、時間稼ぎしてくれただけでも上出来だよ」
「オーギュストも人が悪いなぁ。ぼくのご主人様への忠誠心を試そうとしたのかな!?そんなの試すまでもないよ!」
「そんなめんどうなこと…殿下がするわけないじゃない…」
「ご主人様つめたい!」
一通りセイガ様とお兄様とじゃれあって、お兄様がようやく息を整えたところで改めて部屋のなかを見渡した。
本邸の図書室にも匹敵する本の数にお兄様も驚きを隠せないでいるようだった。
「しかし…まぁずいぶんな量の本だなぁ…」
「ロリーヌ様はその道では有名な人だからねぇ」
「たしか勉強がお好きなかたでしたわね」
勉強に没頭しすぎた変わり者のお姫さま。
婚期を逃して体よく初代のスティルアート当主に嫁いだと聞いている。
「メアリーはロリーヌ様についてどれくらい知っているの?」
「あまり多くは存じませんが…元々皇族のお姫様で魔法の研究に没頭されていたとか…スティルアートに嫁いでからも魔法の知識を生かして領地に尽くした方と聞いています」
女性が机に向かって勉強するということはあまり好ましいことではないという考え方は今でも残っている。
昔よりかは良くなった方だけどお母様がソニア商会を立ち上げたときは少なからず社交界の古い人たちから批判されたし、ルーシーも役所に勤めていた頃は嫌がらせを受けたそうだ。
ロリーヌ様がご存命の時代とあれば数百年昔のことになる。
その頃に研究熱心なお姫さまがどんなふうに言われるかなんて想像するまでもない。
女性は甘いお菓子とおしゃべりを好み長い文章を読んだだけで卒倒してしまう。頭の中身は男性の半分もないと意味の分からないことを言われていた時代だ。
「なるほどね。やはりスティルアート領では認識が違うようだ」
「スティルアートはロリーヌ様なしに今の農業領地にはならなかったから当然だよ」
お兄様とオーギュスト様が物知顔で頷きあった。
反対に私とセイガ様は頭にはてなマークを浮かべている。
「…………どのようなおかただったんですか…?」
「自称マッドサイエンティスト、人からは血も涙もない鮮血王女、硝煙と火薬を愛した冷徹姫、彼女が通ったあとには草1本残らないと…」
「……………強烈なかたですね」
なかなか強めのワードが飛んできた。
こっちの世界にもあるんだね、マッドサイエンティストなんて言葉。
ロリーヌ様って本当にお姫様なの?どっちかっていうと歴戦の戦士っぽくない?
「少し昔話でもしようか」
「そうだね」
ふたりが語るロリーヌ様というお姫様は、私の知る領地のために尽力した不遇のお姫様とは全く異なるものだった。