11.どうしてこうなった
傷は浅いほうがいい。
私がどれだけオーギュスト様を敬愛していようと割と本気で結婚したいと思っていた痛々しい夢女だったとしてもこれはれっきとした現実だ。
たとえ前世の世界でゲームだったとしてもメアリーとしての今この瞬間はこの世界が現実だとわかっている。
それは生きてきたこの十数年という時間のなかで散々自覚してきた。
確かにその時間のなかで本当のオーギュスト様を知っていくうちに増々好きにはなったけど、
リセットボタンもコンテニューもデータ消去も存在しない、まごうことない現実世界なのだ。
だからこそ!!!!
オーギュスト様にはこんな悪評ばかりの悪役令嬢ではなく誰からも愛される可愛らしい女性と結ばれ幸せになってほしい。
そして願わくは謝恩会まで延ばさずさっさと婚約破棄してほしい。
だって謝恩会よ?
私明らかに主役じゃん?
次期皇帝確実って言われているオーギュスト様の婚約者よ?
卒業するメンバーの皇族はオーギュスト様お一人。どう考えても謝恩会の中心はオーギュスト様。
ファーストダンスは私たちのためにあるようなものよ?
で、このままだとそのオーギュスト様にエスコートされているのって私だよね?え?大丈夫???
ゲームでは謝恩会のときには既にどのルートでも婚約破棄されていたからアリスちゃんが謝恩会でオーギュスト様と踊っていた。
だから謝恩会には不参加の予定だったのだ。
え?想定外すぎ。ダンスの前に失神しない???私、天に召されない??これまでダンスは何回も踊ってるけどそういう問題じゃない。
なんていうか、今日のオーギュスト様は何か違う。
あきらかに何か違う。
きっとこれから真に愛するアリスちゃんを認めてもらうべく一世一代の大勝負にでるわけだから気迫が違う。
さっきは私やお父様への義理立て。
きっと最後に良い夢みせて舞い上がっているところを地の底まで落としてやろうと言うオーギュスト様なりの仕返しで、アリスちゃんへ『ここまでしても君が好き』というメッセージなのだ。
それなのに!
これから婚約破棄されるのにめっちゃドヤァってしながら入場するの???
むーーーーりーーーー!!!!
これで婚約破棄されたらどんな顔してろと?
『あら~聞きまして?あのメアリー様ったら卒業式で殿下から婚約発表されたのにその直後の謝恩会で婚約破棄されたそうよ~』
『もちろん存じ上げておりますとも!』
『もしかして史上最速で婚約破棄されたのではなくて?』
『やっぱりあのメアリー様ですもの~。いくら御家柄がよくっても妻にするには荷が重すぎますわ』
『あんな悪役令嬢だれが結婚したがりますか!』
『ですわよねぇ~』
『あの悪役令嬢の鼻っぱしらが折れるところを是非とも拝んでみとうございましたわぁ~』
『とても愉快でしたわよ~』
うふふふふ~。
ぎゃあああああああああああ!!!!!みえる!!!お茶会で言われてる未来みえる!!!
そんなことになったら夜会なんて絶対出れない!!いや、婚約破棄された時点で出る気ないけどさっ!!!!
そんな恥の上塗りみたいなことしたくない!悪役令嬢のプライドが許さない!
「で、メアリーは何を百面相しているんだい?せっかく綺麗に整えてもらったのに…大陸に響き渡るメアリーの美しさが台無しだよ…」
ついに来た。
ルイ様が来た時点でなんとなくこの人も来るんじゃないかと思っていたけど登場が早すぎないか?
「オーギュスト様、お迎えにしてはお早い到着ですわね」
吹き荒れる嵐を制して涼しい顔をして声のする方へ顔を向けた。
ゆったり十分な時間をかけて優雅に視線を向ければそこにはさっきよりも一層輝きを増したオーギュスト様が待ち構えていた。
待ちに待った獲物を逃がすまいとする気迫。普段は優雅で柔らかな印象のオーギュスト様とは思えない、獰猛な猛禽類のような目で私に狙いを定めていた。
先ほどまでの訪問者たちのようにわが物顔で部屋に入ってくることはなく、十分に警戒していることがわかる。
「愛する婚約者と1秒でも長く傍にいたいからね。それよりルイたちも来ていたんだってね?」
「え?はい…先程までご一緒に…」
オーギュスト様は決して悟られない早足で、でも優雅に美しく私の前に進み出るとそっと頬に指さきを当てた。こうして間近に正面から向き合うとオーギュスト様と私の体格差を感じてしまった。
鼻腔をオーギュスト様のやわらかな香りが掠めて一瞬眩暈がするほどだ。続いて指先が触れる感覚にこの世界が本当に現実で、オーギュスト様はフィクションの中の人物ではないことをまざまざと思い知らされる。
口元は笑っているのに目は笑っていない、今にも飲み込まれそうな深淵の緑がそこにはあって、危険だと脳が何度も警報を鳴らすのに目を反らすことができなかった。
あぁ…この世界が本当にゲームだったらこの瞬間をスキップしてしまえるのに。そしてクリアしたあとにチャプターから何度も回想を見返して思い出に浸れるのに…。
悲しいことに、この世界は現実だ。
そんな便利なもの、存在しない。
「僕より先にこんなに可愛らしいメアリーに会うなんて…」
指先だけが触れていた温度が徐々に増えて気がつけば頬には手が添えられていく。
未だに警報は鳴り響いていて、危険だと知らせるが、体はいう事を聞かない。
願う事すら許されないはずの願望が私の体を支配しているのだと頭のどこかで理解していた。
「ユリウスやお兄様も会いに来てくださいましたのよ?みなさんよほど言いたいことがおありのようで…」
頭の中のことなんて一切お構いなしに『メアリー』は涼しい顔をしてオーギュスト様をかわした。
悪役令嬢お得意の鋼鉄の表情筋はこいうときでも役立ってくれる。
「アルバートとユリウスも?」
「えぇ、交代でみなさん」
「へぇ…」
何か間違えただろうか?
オーギュスト様はさらに笑みを深く眼光が鋭くなった。
知らない人がみたら笑っている風にしかみえないけれどゲームと転生後にオーギュストについて観察しまくった私にはわかる。
オーギュスト様はなにか怒っている。
たぶん原因は私なんだけど理由がわからない。
やっぱり悪役令嬢が自分の側近たちと仲良くしているのはあまり気持ちが良いものじゃないよね!!
でも聞いて!あっちから来たやつなの!誰一人として呼んでないから!
私の主張は頭のなかだけで反芻してオーギュスト様に知られることはない。
あぁ!私がオーギュスト様の口説き文句に靡かないからおもしろくないのかしら!?
安心して!とてつもなく動揺しているから。
「まぁいいや。結局最後にきみは僕のものになるわけだし」
「は、はぁ…」
これから婚約破棄されるのに甘いことばをかけられては未練がましくなってしまう。これはオーギュスト様が私を油断させるために言っていることだとわかっているのに。
オーギュスト様が心から愛しているのはアリスちゃんのみ。
私はそのための階段みたいなもので、私という存在を乗り越えて二人は永遠の、それこそ物語に語り継がれる愛を貫いていくと決まっている。
それでもこの香りを、温もりを忘れたくなくて、私は少しでも覚えておきたくて、忘れないように脳裏に刻み付けた。
しばらくの間言葉も交わさず逢瀬めいた時間を過ごした後、少し早いが謝恩会の会場に向かうことになった。私とオーギュスト様は警備の関係で別の魔車に乗る。
最後に通いなれた憧れの学園へわかれを告げるのだ。
本来なら大学部に進んで妃教育と上級の勉学に励むのだけど、これから婚約破棄される私にはその進路はない。
このあと婚約破棄されるので本当にこれが最後の学園である。
ラブファンの舞台になった魔法学園。
何よりも思い出深く憧れの学園に自分が通えるなんて思いもしなかった。
ゲームでみた制服に身を包み、ゲームでみた廊下を歩き、ゲームでみた教室で授業を受け、ゲームでプレイしたイベントに自分が参加する。
自分がその空間にいるというだけで高揚した。
学園に通った6年間は苦労もあったけど毎日が楽しくて、夢心地だった。
でも、それももう終わりだ。
夢はいずれ醒める。
魔車を降りて誰もが頭を垂れ私を迎え入れる。
さぁ、ようやく最後のイベント開始だ!
「ではここに!我が息子オーギュストと長きにわたってスティルアートを、そしてアルテリシアを支えてくれたスティルアート家メアリー嬢との婚約を認めるものとする!」
わぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
飛び交う歓声。
祝福の声。
歓喜の声援。
会場を支配する全てが私とオーギュスト様を祝福していた。
一部の隙もなく、
微塵の余地もなく、
僅かな疑いも許さないほどに。
え?今なんて??