97’.12歳 決断
平和な日々はすこしだけ続いた。
セイガ様は相変わらず女の子を引っ掛けていたけれど、私のもとに足繁く通いリリー様の機嫌をとり大忙しのようだった。
オーギュスト様も何か調べることがあるとのことで忙しそうにされていた。
皇室秘匿の魔法についても何もしないので私もセイガ様を追及することはしていない。
何より心臓を押さえて倒れる姿に恐怖心があって追求することをためらっていた。
オーギュスト様もセイガ様を危険に晒してまで聞く必要はないとおっしゃっていたので、つまりこう着状態が続いてるということだ。
でも、そんな天気のいいごく普通の日の夕方に事件は起きた。
影からの合図を受けて自然に1人になれる場所に移動する。
「何かあった?」
「セイガ様が、教会に侵入され意識不明の状態で発見されました」
「なんですって?!今はどちらに?」
「保健室に運ばれています。呪術の影響ではないかとアルバート様が…」
「ディーを呼んできなさい。至急」
「御意」
さっきまでお話していたベリンダとクリスには連絡鏡で急用ができたと短く言ってすぐさま保健室に走った。
令嬢たるもの廊下を走るなんて行儀が悪いと言われそうだがそんなことを言っている場合ではない。
どうして教会に?
なぜ意識不明?
侵入ってどういうこと?
疑問が尽きないけれどとにかく今は走るしかない。
頭に次々と沸いてくる疑問を振り払うようにただ足を動かした。
「セイガ様は?!」
保健室のドアを勢いよく開けるとそこには既にオーギュスト様とお兄様が心配そうにベッドの横に立っていて、セイガ様の従者たちが悲痛な声でセイガ様の名前を呼んでいた。
「お兄様!これは…」
「僕たちにもわからないんだ。ただ教会でみつかったとしか…」
「教会?中等部のですよね…どうしてそんなところに…」
教会には基本的に行事でしか使用しない。たまにお祈りのために行く人もいるけれど中等部では稀だ。
ただ行ってみただけ、という可能性は低いだろう。
「その…進入禁止区域でみつかったらしくて僕たちも何があったかわからない…」
「侵入禁止区域?」
「祭壇だよ。本来は皇族と主教しか入れない場所だ」
祭壇と言われて気づく。
むかし教会汚職事件のとき燃えさかる教会で前の主教が目指したと言われる場所だ。
たしか魔力調整のための魔道具が隠されていると聞いているけれど…。
「どうしてセイガ様がそんなところに…」
「それがわからないんだ。皇族の血を引くものしか魔道具の場所には入れないからセイガは入れないのに」
「まさかそれで警備用の魔道具が作動したとか…」
「そもそも入れないから警備用の魔道具もないよ」
「あなたがたはセイガ様がどうして教会に行ったか知らないの?!」
この間空き室に連れ込まれ脅された時は怖かったけれど、泣きそうな声をあげてセイガ様の手を握っている従者たちにあの時の姿はない。
「わ、わかりません!おそらくあの王が…王が…!」
「お、おい!それは…」
「しかし今はそのようなことを言っている場合ではないじゃないですか!このままではセイガ様がっ!!」
「だがおまえ…っ!!」
「王って…セイガ様のお父上?」
ベッドに近づくと、生徒会室で心臓を押さえていたときよりさらに苦しそうなセイガ様が横たわっていた。
額に脂汗を流して息を切らし今にも意識を失いそうだった。
荒い呼吸が危機的状況であることを物語っている。
「保健医には外してもらっているから大丈夫。盗聴防止の魔道具は?」
「ここに」
魔道具を取り出して作動させるとすぐさまドーム状の薄い膜が下りて空間が作られた。
「あぁ…ご主人様か…こんな見苦しい姿でごめんね。すぐに治るから…っっ!」
「そんな冗談を言っている場合じゃないでしょ!どうみても死にそうじゃない!」
「はは…情けないなぁ…ウッ…もっと上手くできると思ってたんだけど…クッッ…」
無理に起きあがろうとして、ガクリと体勢を崩し再びベッドに倒れ込んだ。従者たちが支えて寝かそうとするがそれでも起きあがろうとする姿が痛ましい。
「セイガ様…無理なさらないでください…」
「彼らの言う通りよ。寝てなさい!」
「そういうわけにはいかないよ。ご主人様泣きそうだし」
「うっさいわね。今にも死にそうな人間が目の前にいたらこんな顔にもなるわ」
「やだなぁ、ぼくご主人様のそんな顔みたくない」
「だったらさっさといつも通りになさい」
「ぼく…この戦いが終わったら静かにご主人様の犬でいるつもりなんだよね」
「死亡フラグ立てるんじゃないわよ!」
「っっ!!」
「セイガ様!?」
ヒューヒューという呼吸音に変わって肩が大きく揺れる。
このまま死んでもおかしくない。呼吸音がしているということはまだ生きているということだと自分に言い聞かせた。
「やだなぁ、僕如きに様づけしないでって言ったじゃないか…」
「冗談言っている場合じゃないでしょ!い、医者はいないのですか?!」
「メアリー様、これは呪術によるもの。アルテリシアの医者に治せるものではないのです」
「そんな…」
ご自身の無力さや悔しいのか、オーギュスト様とお兄様も苦しそうなお顔をしていた。
医者に治せるものならどこからでも名医を呼ぶ。オーギュスト様にはお兄様にもそれはできる。
でも医者にはセイガ様の苦しみを取り除くことはできない。
ふたりは私が来る前に既に聞いたことだったのだ。
どうしたら…。
「あーあ、やっぱりこうなったか」
男のような、女のような、中性的な声が膜を開けて入ってきた。
諦めにも聞こえる声に思わず苛立ちが募る。
「ディー!どうにかできないの!?」
「ボクは何もできないよ」
「どうして!!」
「ボクだって万能じゃないんだ。ただ魔法に詳しい研究者ってだけ。ボクには何もできない」
「…」
瓶底眼鏡の向こうで、悲しそうな目をしている気がした。
ディーもこういう顔をするのかと思うと頭が少しだけ冷静になった。こういう人の生き死にには動じないと思っていたから。
「どういう呪術のせいなんだ?ディーならわかるだろう?」
「それはわかりますよ。でもそっちの人たちのほうが詳しいんじゃないですかね?」
ちょん、とディーは従者たちを指さした。
すると彼らは一様に目をそらし話したくないという顔をした。
…自分たちの主人が死にそうなのにどうして協力しないのか。
「わ、私たちからはなにも…」
「……」
「あー、つまりきみらも何か契約で縛られてるんだね。おそらく王子サマの名前をしばっている相手から」
「……」
「そうだよね。せっかく王子サマを名前で縛ってもその側近たちが王子サマのために自分を裏切らないとも限らないからね」
「……」
沈黙を肯定と受け取り、ディーは私たちのほうに振り返った。
まどろっこしいことは抜きにしてディーが話してくれるらしい。
「どういうこと?」
「以前に呪術で真名を縛ると言いましたよね?王子サマは別の誰かに名前を縛られているんですよ」
その相手は朱菫国の王だ。
言わなくても全員がわかった。さきほどの従者のひとりが口走ったことからも、推測できる。
「まさか王にセイガは殺されようとしているってことか?」
「えぇ。その通りです。真名を受け取った側、つまり主従でいうところの主は従者が命令違反した場合に相手を殺すことができます。おそらく王子サマは命令違反したのでしょう」
「命令…皇族秘匿魔法の奪取…違反したって…諦めたというのは本当だったの…」
「まぁそうでしょうね」
あくまで淡々と、冷静にディーは言葉を続ける。
だんだんと何を言われているのか気がついて、息をのんだ。
「まさか…」
「お嬢サマは気づいたかい?つまりね、判断を迫られているのはアナタですよ。婚約者サマ」
「……」
ディーの言ったことの意味をじんわりと理解する。
「私がセイガ様の名前を受けたらセイガ様は解放されるってことね」
「詳しいことは割愛するけど、その通り。でもそれは婚約者サマの許可がないとできないことだ。どうします?このままだと王子サマは死にますよ。それに時間もない。王子サマもこの様子じゃ夜までもたないでしょう」
日は既に傾き始め空は茜色に染まっていた。眩しいくらいの赤色が保健室を染め上げる。
いつもならもう家に帰って夕食まで仕事を片付けたり宿題をしている頃なのに。
夜はすぐそこだ。
「……」
私も、決断を迫られているときがきた。