89’.12歳 助け船
「ふ、フローレンス…」
たじろいだのは、意外なことにデイヴィット様だった。口元を引きつらせてせっかくの美貌が形無しだ。
「全く…そんなんだからオーギュスト様にも嫌われますのよ?」
「嫌われてなんて…」
「口答えするようならミアを呼びますわよ?よろしくて?」
「そ、それだけは…!!」
なんだこれ?
さっきまで私を捕食しようとしていた権力者とはとうてい同一人物とは思えないほどの激変っぷりだ。
年齢としてはフローレンス様のほうが年下だし、古参貴族とはいえデイヴィット様のほうが立場は上。
それなのにどうみてもデイヴィット様はフローレンス様には逆らえないようにみえる。
「どういうこと?」
ぽかん、とする私にユリウスがこっそりと耳打ちしてくれた。
「あの二人は元々婚約者同士だったんだ…」
「えぇ?!うそ!知らない!」
メアリーの脳みそは大変優秀で、誰がどこの家でどこと親戚で誰と誰が婚約しているかといった情報は全て暗記している。
それなのに皇子と古参貴族の令嬢が元婚約者だったことを知らないなんて…。
「公にはされていないからな。オレもオーギュスト様から聞いたことがある程度だ。公表する直前にデイヴィット様側から婚約解消の申し出があったんだよ」
デイヴィット様がミアという平民出身の学生と婚約していることは以前オーギュスト様から聞いていたので知っていた。
と、いうことはミアと婚約するためにフローレンス様との婚約を解消したということ?
それなんて乙女ゲームよ!
定番の展開じゃない!舞台になりそうじゃない!きゃー!続きはどこ!?
「いや、それは違う」
「ちょっと!いいところだったのに!」
「あのなぁ…事実を捻じ曲げるな…。婚約が白紙になった理由は表向き血筋が近すぎるためとされているが…まぁ…」
ユリウスが言いづらそうに口をまごまごさせた。
そんなに言いづらいことなのだろうか…まさか男性機能に問題があったとか…?
アルテリシアでは最近まで血縁が近ければ近い方が良い、高貴な血は濃い方が良いとされてきたが、医学の発展と共に近親婚の問題が提唱されるようになった。
今でも古参貴族や古い家では近親婚の風習が残っているがより健康な子孫を残すため皇族は近親婚を控える傾向になってきたのだ。
古参貴族には皇族と近い血縁者が多いためオーギュスト様の婚約者候補に古参貴族出身の令嬢は少なかったのはそのためである。
とはいえ表向き、ということは本当の理由があるようで…。
「決まった女と一生を添い遂げるなんてありえない、だそうだ…」
「は?」
「だから…デイヴィット様はあぁいうかただから…」
「いや…別に…妃ほかにも迎えれば…」
皇子なら許可なんてすぐ下りるでしょ。
「…夫人を何人も迎えた場合、それぞれを平等に扱うっていう規則があるだろう?まっぴらゴメンだと…」
なんじゃそりゃ!!
女の敵か!?
ミアもよくこんなのと結婚する気になったわね…将来苦労するのが目に見えてるじゃない…。
ジットリみればデイヴィット様の蛇みたいだった印象は消え失せ裁判官の前に連れてこられた罪人みたいになっていた。
「だから誤解なんだ。決してスティルアートの令嬢を苛めていたわけではなくて…!」
「メアリー様、どうでした?」
「私っ…デイヴィット殿下に酷いことをたくさん言われましたっ!クスン!とてもつらかったです!フローレンス様ぁっ!」
「まぁ!可哀想なメアリー!もう大丈夫よ、ミアー!ちょっと来てくれる?」
「や、やめてくれ!」
裁判長!クロです!
目を真っ赤に腫らして涙を浮かべ手で鼻を押さえながらフローレンス様に抱きついた。
フローレンス様も心得たとばかりにタイミングよく抱き止めて頭を優しくなでてくれた。
はた目にはデイヴィット様がいたいけな女子を泣かせたようにしかみえない構図だ。
もちろん嘘泣きである。
ユリウスが女って恐ろしい、とかぶつくさ言っているけど無視。
「だから来ない方がいいって言ったのに…」
人混みを割ってミアがため息混じりにあらわれた。
この速さは絶対に呼ばれるのを待っていたに違いない。おおかたフローレンス様と打ち合わせ済みだったのだろう。
「フローレンス様、メアリー様。たいへんご迷惑をかけて申し訳ありません。あとでよく言ってきませます」
「えぇ。シッカリよろしく。特にメアリー様を泣かせた件は罪が重いわ」
「そんなことしたんですか…?年下の女の子を泣かせるなんて…うっわぁ…引きます…」
侮蔑に満ちた顔をデイヴィット様に向ければデイヴィット様はおもしろいくらい狼狽する。
「み、ミア…そんな顔しないでくれ…きみにそんな目でみられたらおれはどうしていいか…」
「知りませんよ。メアリー様は私の大恩人だって何度もいいましたよね?大方、オーギュスト殿下の婚約者だし私がメアリー様を褒めるからおもしろくなかったんでしょうけど…こんなことするなんて…どうなるかわかりますよね?」
大の大人の、それも皇子が中等部生の視線が集まるど真ん中で平民の女子に説教されて小さくなっている。
まさに異常事態。貴族社会においてはあり得ない。
エドモンド様もふたりの関係は知らないのか、ポカンと空を見つめていた。
「……はい」
しょぼん、と肩をおとして頷く姿は母親に叱られたこどもだった。
「…ミア、この人から逃げたくなったらいつでもいらっしゃい。アプトン家はあなたを歓迎するわ。手厚く保護すると約束しましょう。こんな面倒くさい子どもみたいな尻軽に付き合っている必要ないのよ…」
「ありがとうございます。そのときは是非お世話になります」
「ミア!」
「…ほら、デイヴィット様。悪いことをしたら何をするかわかりますよね?」
これではどっちが大人だかわからない…。デイヴィット様は背中を丸めてミアに手をひかれ私の前に立たされた。
「メアリー嬢…。済まなかった。数々の無礼を許してほしい」
遠巻きに、学生たちがどよめいた。
なぜ第一皇子たるデイヴィット様がメアリーに謝罪しているのか…。
なぜこのような視線の集まる場所なのか…。
あのミアという平民は何者なのか。
だけど私が放った一言はそんなどよめきを全て吹き飛ばすものだった。
「土下座」
「え?」
「土下座ですよ」
「いや…メアリー??」
「我がスティルアート家を侮辱しただけに飽き足らずオーギュスト様とソフィア様への暴言。とうてい見過ごせるものではありません。この場で土下座でもしてくれないと気が済まないわ」
「え…と…それおれじゃない…」
オーギュスト様とソフィア様を侮辱したのはエドモンド様だっけ?でも否定しなかったし同罪よね?
「土下座」
「メアリー!相手は第一皇子だ!勘弁してやってくれ!頼む!」
すかさずユリウスが割ってはいる。
どうやら最初に正気に戻ったのはユリウスだったらしい。
でも、
「は?あなたは主である殿下への暴言を聞いて黙っていられるの?それでも騎士?」
正気かどうかなんてどうでもいい。
「いや…その気持ちはわかるが…だからと言ってしていいことと悪いことがあるだろう!」
「オーギュスト様を侮辱する以上に悪いことってなに?命があるだけでもありがたいと思ってほしいわ」
だいたいユリウスだってオーギュスト様大好きなんだし素直になればいいのよ。
腸煮えくり返りそうなのは私だけじゃないはず。
「き、貴様なにをいっているかわかっているのか!?兄上に土下座など…不敬にもほどがあるぞ!弁えろ!」
エドモンド様が声をあげた。
さっきまで大人しくしていたからすっかり忘れていたが土下座発言には黙っていられなかったらしい。
「弁える?歓迎会をぶち壊そうとしておいてよく言いますね?あなたも皇子なら少しは後輩の迷惑とか考えてくださいよ。そもそもお呼びじゃないんです」
「ななな…!!おれたちへの侮辱…許さんぞ!このクソアマがっ!ジジイに言いつけるぞ!」
「べつに許してくれなくて結構。ちょっと黙っていてくれませんか?これ以上しゃべると学のなさがバレますよ。あとうるさい」
エドモンド様の相手をしているのがめんどうになって思い付くまましゃべっていたらダメージが大きかったのか口をパクパクさせて黙ってしまった。
皇子だし甘やかされてるから言い返される経験がなかったのかしら?
エドモンド様は相手をする必要もないと判断してデイヴィット様に向き直す。
そのまえにフローレンス様もミアを確認すると、驚いてはいるものの何も言わなかった。
ということは二人の答えはそういうことだ。
婚約者と元婚約者の許可は得た。
中等部生が遠巻きに注目している。
デイヴィット様とエドモンド様の本当の目的はセイガ様へのつながりを作ることではなく単なる暇つぶし。
オーギュスト様率いる生徒会の主催する歓迎会をひっかきまわしてオーギュスト様の評判を落としてやろうという魂胆だったのだろう。
その一環として副会長であり婚約者候補である私を苛めたはずが、どっこい。
形勢逆転。
「で、土下座なさっていただけるのかしら?誠心誠意の謝罪を頂けると思っているのですけど?」
「くっ!!」
「態度で示していただかないと私は納得できませんのよ」
咄嗟にフローレンス様が扇を取り出して口元を隠した。
横目でみると頬をひくつかせて笑っているではないか。
ミアもミアで真面目な顔を作っているが頬が今にも上にあがりそうだし目元は楽しそうだった。
ふたりとも性格悪いなぁ…。
デイヴィット様が屈辱に顔を歪ませ膝を折ろうとした、その時。
「メアリー…、そのくらいにしてあげて…」
可愛らしい、ふわふわとした天使の美声と共に現れたその天使は…
「ルイ様!」
まさに天使だった。
突然ルイ様がいらしたので驚いたのは私たちだった。
母親譲りの幼さの残る可愛らしい顔立ちは成長期によってだんだんオーギュスト様と皇帝陛下に似た雰囲気をまとっていて、最後にお会いしたときよりいっそう少年らしくなっていた。
「まぁ!ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ご入学おめでとうございます」
「ふふ、ありがとう。メアリー。これで僕もメアリーの後輩だよ」
「可愛い後輩ができて私は大変うれしく思います」
「それから入学祝い受け取ったよ。僕も持っていない植物図鑑だった」
「我が研究所、総力を挙げて編製させました。ご満足いただけるとよいのですが…」
「外国の植物まで載っているし魔草と活用方法について細かく書かれているのはとても気にいった。ありがとう」
「もったいないお言葉でございます。研究所のものたちも喜ぶことでしょう」
「でもメアリー、デイヴィットお兄様のことはそれくらいにしてあげて。確かにひどいことをたくさん言っていたけど…反省しているから…」
「…」
「ね?お願い?」
こてん、と小首をかしげた上目遣い。ここだけ照明が当たっているのではないかと錯覚するような光加減。
何度も言うが私は攻略対象に弱い。
特にルイ様のお願いは致命傷にあたる。
ルイ様のもつ雰囲気はオーギュスト様には無いもので、新しい魅力として突き刺さってしまう。
オーギュスト様に似ているというのが特によくない。
「…いいでしょう。ルイ様に免じてこのくらいにしてあげます」
「ありがとう、メアリー!」
「ルイ様のお願いとあれば断れませんからね」
そのあいだに、デイヴィット様とエドモンド様は小さく悪態をつきながら会場の端のほうへ消えていった。
さっきまでちやほやとされていたはずなのにふたりに近づこうとする者は誰もいなかった。
あれだけ引っ掻き回してくれたわりに引き際はわかっているようだ。
土下座させられなかったけれどこの落とし前はどこかでつけてもらおう。
「フローレンス様、ミア、お礼を言うわ」
「お礼なんていいのよ。あの人にはたまにお灸をすえてやらないとすぐ調子にのるんだから」
「おっしゃる通りです。ちょっと目を離すとすぐこれ…いい歳して情けないったら…」
「おふたりは仲がよろしくていらっしゃるのね」
さっきの息のあったやりとりといい、婚約者を奪われたとか、わだかまりを一切感じなかった。
「まぁ知っている人は少ないとはいえ元婚約者と現婚約者ですからね。普通なら何かしらの感情は持つものなんでしょうけど…。でも私、ミアのことは気に入っているの」
「フローレンス様には気にかけていただいて…ありがたいばかりです」
「しかしフローレンス様は平民の学生に声をかけることも避けていたはずでは?」
ユリウスの言う通り、名門アプトン家の令嬢であるフローレンス様は貴族以外は人にあらずとでも言いそうなかただったはずだ。
それなのにどうして平民で憎い相手でもありそうなミアと親睦を深めているのか…。
「ふふ、私にも心境の変化があったのよ。最近交友関係が広がったこともあってね」
「な、なるほど…」
「あとミアと付き合いはじめてからデイヴィット様って火遊びを一切しなくなったのよね」
「え…そうなんですか…?!」
千人切りまでしたと噂なのにたった一人に出会うだけでそれほど変わるのか。
「そう。意外でしょ?婚約者としては最低だけど友人としてデイヴィット様を変えてくれた恩を感じているの」
「デイヴィット様に未練はないのですか?」
「えぇ。全く。そもそもタイプじゃないのよね」
そう言って、フローレンス様はチラリとルイ様に視線を向けた。
ん?
しかしすぐさまミアと向き合って肩をがしっと掴む。
「だからミア、あの人の手綱はしっかり握っておいて頂戴」
「は、はい…」
フローレンス様からノーと言わせない圧を受けミアの首はまっすぐおりた。
こちらのタイミングを計ったかのように、会場に主賓を迎えるファンファーレがなり、それを合図に私たちは各々持ち場に戻っていく。
ひと際大きなファンファーレはセイガ様たち、朱菫国の者たちを歓迎するように、先ほどまでの悪い空気を追い払うように響き渡った。