141話
「お疲れ様、上木君」
「お疲れ様です」
夜の仕事も終わり、簡単な終礼を終える。ふぅ、いくら慣れてきたからと言って、疲れないわけではない。
部屋に戻って、すぐに動きやすい服装に着替える。そして自動販売機に向かい飲み物を購入する。
「さて、どうしようかな」
ガコンと出てくる飲み物を拾いながら今日の夜ごはん、というかこの後の予定について考える。僕と一緒に仕事が終わったのは堂次郎だったかな。
飲み物を片手に堂次郎へ連絡を取ると、『悪い、ちょっと仕事が長引いてる。飯は待っててくれ』と返信が来る。それじゃあ部屋で待っていようかな。
そう思い部屋で飲み物を片手にスマートフォンを弄っていると、あっという間に30分ほど過ぎてしまう。長引いているとはいえ、遅いなあ。
そんなことを考えていると、堂次郎からメッセージが来る。
『遅れて悪い、もう少しで終わりそうだ。休んでいるところ悪いが、バルコニーに私物のボールペンを置いてきちまったみたいだ。運んでおいてくれないか?』
あらら、だいぶ慌てていたようだ。メモ帳だったら忘れなかったのだろうけれど、ペンにまでは気が回っていなかったようだ。
『了解、回収しておくよ』と返信をして、バルコニーに向かう。えーっと、バルコニーはどこだっけ。
途中にあった管内図を読みながら、到着したバルコニー。おお、かなり良い景色だ。海水浴場が見渡せる場所で、手前には砂浜で楽しんでいる人たち、少し遠くの海上ではゆったりと動いている船が見える。なんか、改めて海に来たって感じるなあ。
さてさて、そんなことよりもペンを探そう。木製の机や椅子の上を探してみるけれど、見つからない。うーん? 置いてきたって書いてあったからてっきり机の上とかにおいてあるのかと思ったんだけれど。
ほんのりと明るいランタンがバルコニーを照らしている。ただ、それだけでは物を探す明かりとしては不十分だ。そう考えた僕は、服の胸ポケットに携帯電話をすっぽりと収めて、そこからライトをオンにする。これで探すことはできるけれど......参ったな、見つからないぞ。これは予想よりも時間がかかりそう。
「ま、いいか」
探していたら仕事終わりの堂次郎が来てくれるでしょ。そのまま合流してご飯を食べに行けばいいし、一石二鳥だね。
「なにがいいの?」
そんなことを考えながら探し始めようとすると、突然声をかけられる。
「び.....っくりした......」
バルコニーの入り口に振りむくと、白い短髪と緩い目つきが特徴的な女性、雪音が立っていた。
「探し物はこれですかー?」
「あ、それ」
雪音が手に持っているものを見せてくる。堂次郎がよく使っているボールペンだ。こだわりがあるらしく、同じペンのストックを何本も用意しているらしい。
「塚波くんに『多分まだ蔵介が探しているはずだから、代わりに予備品棚を探してきてくれ。あと、堂次郎はもう少し残業があるみたいで、しばらくバルコニーにいてくれ』だってさ。
予備品箱.....堂次郎め、そんなの言われなくちゃわからないじゃないか。
「探してくれてありがとね」
「んーん、気にしないで」
言いながら、雪音が僕にペンを手渡してくる。それを懐にしまいながら、携帯電話のライトをオフにしてバルコニーの椅子に座る。すると、雪音も隣の椅子に腰を下ろす。
「せっかくだし、私も待ってていい?」
「もちろん」
平静を装っているけれど、内心はドキドキだ。この状況にしてくれた堂次郎には感謝しないとね。
「それにしても、綺麗な景色だね」
そんな風に微笑んでくる雪音に心を奪われながらも、いつも通りのテンションで話を続ける。
「だね。ここは結構穴場だったけど、迷わなかった?」
「館内図を見ながら来たから、案外迷わなかったよ......。あ、あの船。尾立さんが乗ってるの?」
「多分ね。尾立さんたちも仕事が終わったらしくて、休日を楽しんでるらしい......いや、バケーションをエンジョイしているみたいだよ」
「ふふ、なにそれ」
他愛もない冗談を言いながら、僕の心臓の音がどんどん大きくなっていく。
ああ、
「また今度来たときは、ああいうのにも乗ってみたいね」
「ねー。蔵介は船酔いとか大丈夫なの?」
「船に限らず、乗り物酔いはないね。長く乗ってると疲れちゃうけど」
「それは誰でもでしょ」
僕は、
「それにしても、夫婦で旅行だなんて羨ましいね」
「仲が良くて何よりだよね。清木さんと立花学長も素直になればいいのに」
「まあ、あの二人は......なんだかんだ仲良いでしょ」
「それはそうだけど。もう少し仲良くしてもよくない?」
「どれくらい?」
「私と蔵介くらいかな......って、えへへ。なんだか照れちゃうね」
雪音が。好きだ。
ドクン、と。今までとは比にならないほど大きな音で心臓が鳴る。
そっか、僕、雪音が好きだ。好きなんだ。
今まで見たいな茶化しじゃない。目の前で微笑んでいる女の子を力いっぱい抱きしめたい。そんな感情に支配される。そんな感情を持っていたって、初めて自覚した。
きっと僕の顔は真っ赤だ。思わず俯いたけれど、ほんの数十秒で誤魔化すことなんてできない。いま雪音が気づいていないのは、きっと海に目を奪われているからだ。
じゃあ、この顔に気づかれたら? ......言おう。僕の気持ちを。
自分の気持ちを無理やり押し込めながら、そう決意して顔を上げる。
それと同時に思わず立ち上がってしまう。そんな今の僕の顔を雪音に確認される。
「どうしたの、蔵介。顔......真っ青」
先ほどまでの浮ついた気持ちとは真逆の感情。スーッと血の気が引いていき、思わずめまいが起きてしまう。
雪音と一緒に眺めていた夜の海。そこをのんびりと進んでいた、決して大きくはない船。それが、水でできた大きな蛇に巻き付かれているのだ。
その巻き付かれている船は、おそらく尾立さんが乗っている船。知り合い程度の関係と思われるかもしれないけれど、それにしてはあまりに近しい、一緒に闘っていた人が死んでしまうかもしれない。
雪音もその状況に気が付いたようだ。思わず息を呑む様子を察しながら、僕は急いで砂浜を見渡す。よるということもあって暗いけれど、花火をしているグループや砂浜から少し手前の道路沿いに設置されている電灯のおかげで薄っすらと目的のものを探せる。......あ、あった!
「雪音! 今すぐ僕をあそこに飛ばして!」
ゆっくりと旅館を降りている時間はない。雪音の超能力であそこまで飛ばしてもらおう。そう考えて雪音の両肩を掴むと、雪音が泣きそうな表情になる。
「ねぇ、蔵介。いかないで」
「なにを」
なにを言っているのさ。そう答えきる前に、僕の言葉が出なくなる。
雪音の頬に、液体が伝った。
(ああ、こんなわがまま。嫌われちゃうよね)
「また行くんだよね? また危ない目に遭うんだよね?」
「っ、それは」
そうだけれど。僕はその言葉が出てこない。
(でも、蔵介が危ない目に遭うくらいなら、嫌われたってかまわない)
「ねぇ、大人に任せよう? 尾立さんだって『守護神』のすごい人なんでしょ? 蔵介が命を懸けなくても大丈夫。せめて私を連れて行ってくれれば、絶対に役に立つよ?」
「............っく」
僕は最低だ。雪音の気遣いを『甘やかす言葉』だなんて感じるなんて。思わず気分が悪くなってしまう。
そもそも、僕が助けに行くのは自己満足だ。『目の前で人が傷つかないでほしい』なんていうご立派な思想じゃないんだ。邪魔になってしまうかもしれないんだ。
(甘やかしだって思われたってかまわない。都合のいいことしか言わないヤツって思われてもいい)
「一緒に行こう? 大丈夫、海の上でも超能力は問題ないから」
でも。
「ダメだ。雪音は絶対にここにいて。僕が行ってくる」
「どうして? 二人で行けば「雪音は、すごく大事な人なんだ。僕にとっても、高原さんを始めとした友達、ひいては世界中の人にとっても」
「関係ないよ、そんなの。蔵介だって「ううん、僕は違うよ」そんなことない、そんなことない!」
(だから、蔵介に傷つかないでほしくて)
目の前で大きな声を上げながら涙を零す雪音。
つられて零れそうになった涙を無理やりひっこめて。僕は無理やり口角を上げて、"本心"を雪音に伝える。
(それだけなのに「僕なんて、死んじゃったって誰も悲しまないから」
「ーーー馬鹿っ」
今までの人生で一番痛い攻撃だ。そう思うほど、動揺した。数秒間、完全に思考が停止した。
大好きな人を泣かせて、頬をはたかれた。その情報を理解するのにどれだけの時間がかかったろうか。
そして、理解しきる前に、体をバルコニーから投げ出される。
「もう、知らない!」
そしてそのまま、海の方へと投げられる。嫌な浮遊感を味わいながらも、意識を戦闘用のモノに切り替える。
ーーーまったく、面倒なことになっちまった。胃液が全部吐き出るような、嫌な出来事だ。
俺の体は、投げ出された時からは想像できないほどにやさしく地面に置かれる。雪音の気遣いをありがたく感じながら、目的の水上バイクの元へと駆け寄る。
そうだ、俺が感じていた違和感は。なんで雪音への恋心なんていうものを無理やり発露させたのかは。
砂浜の一部からかかっている石の高台(とはいっても、数十㎝ほどの高さだが)。そこの柱に固定されている水上バイクに手をかけて、エンジンをかける。柱と水上バイクを固定しているひもは、能力を使って無理やり切る。申し訳ないが、人命救助を優先させてもらうぜ。
エンジンを始動させて、水で出来た蛇に折られてしまった小舟に向かって走り出す。重たいエンジン音を感じながら、やり場のない怒りを込めてハンドルを強く握る。
そうか、俺。自分のことを、死んでしまってもいい人間だって思ってるんだな。
でも、『俺』は戦闘用の人格。それの元をたどれば、能力者との戦いで命を落とさないようにするための人間の防衛本能だ。
偶然ではあるが、雪音と二人きりになって、防衛本能と真逆の自分の本心に触れた。きっと誰よりも大切な雪音と一緒になって、自分と雪音が危険な目に遭いそうになったなら。俺は自分の命を危険にさらすんだ。それをしっかりと自覚するために、あの状況を作り出したんだろうな。
「馬鹿だぜ、俺は」
偶然とはいえ、こんなに辛い思いを自覚させちまった俺も、雪音に『死んでも構わない』なんて言った俺も。
まあひとまず。
「八つ当たりはさせてもらうぜ」
静かだった夜の海にエンジン音を響かせながら、闘志を滾らせていく。今日は騒がしくなりそうだ。
好きな人へ、『死んでも構わない』なんて。
どれだけ深い呪いになってしまうのでしょうか。