130話
じりじりと後ずさりをしながら考える。例えば僕がこのまま廊下に飛び出たとしよう。まず間違いなく、怪物は僕の後を追って廊下に飛び出してくる。それから正と合流してこの怪物と闘えば、一旦怪物を退けられるはず。
でも、これには大きな問題がある。それは、無能力者に怪物の姿を目撃されること。能力者界隈の暗黙の了解で、無能力者に能力を見られることはご法度なのだ。……って、ちょっと前に清木教授に教えてもらった。
ちなみに、見られた場合はその現場を処理する組織が動くらしいんだけど……これ以上は長くなっちゃうね。
まあ要するに、廊下に飛び出して助力を求める案のリスクが高すぎるということだ。
ではどうするのか? それの答えは既に僕の中で出ている。
それは、窓から飛び出して、外で時間を稼ぐということ。
この旅館の大体の客室の窓からは海が見える。一方で、一部の客室の窓から見える景色は、ただの道路と地面、旅館の敷地内の風景だけだ。そんな風景を見たいという人は多くないはず。最初に部屋に入った時に一度見るくらいだろうか? なんにせよ、その程度の景観なのだ。
そして今いる場所は、いま語っていた『一部の客室』。ここから飛び出せば人目につきづらい場所に怪物を釘付けにしておける。
そうと決まれば、早速行動だ。僕は懐から携帯電話を取り出し、『防人』のグループチャットにコールをする。そのまま懐に携帯電話をしまいなおし、怪物から目を離さずに窓へ向かって動き出す。
後ろ手でベッドに手を付いてからベッドに腰かけて、そのままスッと乗り越えようとする。すると、ベッドの上にいた高原さんの体に足を引っかけてしまう。
「わっ、と!?」
そのままバランスを崩した僕が慌ててベッドの上に手を付く。ちょうど四つん這いの形になってしまった。
「ーーー蔵介、ちょっと手伝ってほしいんだけど......?」
そんな慌ただしい部屋を覗きに来たのは、雪音だ。ひょっこりと空いている扉から顔を覗かせる姿が可愛い。可愛いんだけれど、
「あ、雪音! ちょっと今はーーー「ウ、ガア!」
焦れたのか、僕の注意が怪物から離れたことをチャンスと捉えたのか。どちらにせよ、怪物が僕に向かって凶器を振りかざして突進してきた。まずい、今僕が避けたら高原さんに攻撃が当たってしまう。
ーーーしゃあねえ、俺の出番か!
一瞬で意識を入れ替えて、硬化させた腕をクロスして怪物の攻撃に備える。受け止めたらすぐに反撃だ、狙うなら手が届きやすい足。そこから一旦突き放したら改めて窓の外から
「『サイコキネシス』」
色々と考えている間に身体にやってくる衝撃に備えていたが、その必要はなくなったようだ。
怪物の巨体が、空中で静止している。そのまま、
「能力者......が、作り出した物体かな? 蔵介、これ人じゃないよね?」
「ああ、ご明察だ」
「今はそっちなんだ。それはともかく」
きゅっと雪音が拳を閉じる仕草をする。それと同時に怪物の体が一気に縮まっていき、ぶしゃりと黒い液体をぶちまけた。よし、俺の出番はいらなくなったようだ。もとの人格に意識を戻してやろう。
「......え、何この状況?」
一瞬意識がなくなったと思えば、怪物は居なくなっており部屋の中は黒い液体が飛び散っていた。あれ、これずっとこのままってことはないよね?
そんな風にベッドの上で膝立ちのまま方針仕掛けていると、雪音が寄ってくる。
「......で、上木蔵介君は何をしようとしてたの?」
「? 何をしようともなにも.....?」
本当に心当たりがないのできょとんとしてしまう。すると、雪音がジトっとした目つきで僕の傍を指さす。
「ふうん。バイト中に変なことしようとしてたわけじゃない、と」
「......あ! い、いやいや! これはほんとに違くて!」
ようやく気が付いた。怪物に襲い掛かられていたからそんなことに頭が回らなかったけれど、確かに僕が高原さんを押し倒したみたいな状況になっていた。
いやいや。怪物に襲われている最中に高原さんに襲い掛かれるほど僕は節操がない男じゃないぞ。っていうか雪音も見てたんだから誤解してないはず、だよね?
「......っぷ。あはは、じょうだ「おあああ!?」
遠くで正の声が聞こえてくる。なんだなんだ!?
そこで気が付く。部屋の中に飛び散っていた黒い液体が消えていた。なるほど、飛び散っていたとしても床や壁に染み込んで液体を集めれば改めて怪物になれるのか。
「いやぁ、部屋の掃除の心配をしなくて済んでよかった.....じゃないよね! ごめん雪音、またあとで!」
僕はベッドから飛び降りて正の声がした方へ向かって駆け出した。
「......むぅ、危ないことしないって約束したのに」
そんな雪音のつぶやきは一切耳に入ってこなかった。
さて、さっき正は床にモップ掛けしていたからこの辺りにいると思うんだけれど。と、先ほど正を見かけた場所でうろうろしていると。
「『誰か、こっちに助太刀に来てくれ。見つけたぞ』」
懐からかすかに堂次郎の声が聞こえてきた。これは、さっきつけっぱなしにしたグループチャットの通話だ。
耳に携帯電話をあてて堂次郎と通話する。
「どこにいる? すぐに向かうよ!」
「『別館と本館を繋ぐ渡り廊下のあたりだ。一応相手も無能力者にバレたくないらしい』」
聞き取り辛いほどの小さな声。能力者である女に気づかれないためだろうけれど、いつ気づかれてしまうかは分からない。
「なるほど、僕が行く! 正は多分怪物に襲われているからいけない。早めに片付けよう!」
「『了解だ、急いでくれ』」
通話状態はそのままで、僕は駆け出す。えっと、ここは別館だから、ここから本館へ向かうには、っと?
頭の中で旅館の経路を考えていると、かすかに見覚えがある姿が見えた。あの高身長で茶髪かつダルそうな男と、低身長の男のコンビは。
「犬飼監督と確か、水鏡、だっけ?」
昨日能力者に襲われたときに事態を収束させるのに一役買ってくれたコンビだ。こんなところで何をしているんだろうか?
「......まったく、.......どいつもこいつも........私の肩書が便利だからって......」
「まあまあ..........にしても、みんな焦ってるっすね.......」
少し離れた距離なのでうまく聞き取れないけれど、何かしてくれるようだ。
.......あんまり放っておきたい人たちじゃないんだけれど。一旦自分の仕事に集中しよう。頭の中で地図を掻き終わった僕は、堂次郎が待っているであろう場所へ走っていった。
前進している途中で、気になる状況。いったん無視しましょう。