128話
「おい、蔵介」
「ん。どうしたの、正」
早めのお昼ご飯が終わり、始業前の簡単な挨拶を終えて、早速今日の作業を始めている。今日の作業は、夕方くらいまで客室の掃除と準備で、夜はまた別の作業。
一つ目の客室の掃除が完了し、別のお部屋に向かおうと通路に出ると、同じくアルバイトに勤しむ長身でガタイのいい男、正に声を掛けられた。
確か別の作業中だった正がわざわざやってきた理由を聞いてみる。
「ちょっと様子がおかしいヤツがいてな。ちょっと確認してくれないか?」
「様子がおかしい人......?」
なんだなんだ、様子がおかしい人って。
「体調が悪そうとか?」
「いや、そういうわけでもなくてな。なんていうか、なんか変なヤツなんだよ」
「えぇ......。それ、僕たちだけで解決しちゃっていいの?」
「むしろ俺たちじゃないとダメかもしれん」
「......正、夏風邪って知ってる?」
「それは俺が『風邪を引いているのに気づかないバカ』か『夏風邪という夏に風邪を引いてしまうことをそもそも知らないバカ』のどっちの意味で喧嘩売ってるんだ?」
「いやいや、そんなそんな笑」
「なんだその『分かってるくせに』みたいなリアクションは。ぶっ飛ばすぞ......っと、お前をぶっ飛ばすのはまた今度でいいか。とにかく来てくれ」
「ぶっ飛ばされるのは確定なんだ......」
もうよくわからない。これは実際に見に行く以外の解決策はないだろう。
そう考えて正に案内してもらうと、旅館内の人通りが少ない通路にその人はいた。
「............」
茶髪のショートカットかつ白い半そでのシャツにジーンズとかなり動きやすそうな服装から、活発的な雰囲気な女性だなと感じる一方、縁が丸い眼鏡と、ピンと伸ばした背筋。そして何よりも、ジッと手元の本に真剣な視線を落とす姿は、正に文学少女と言った様子。なんだか独特な雰囲気を持っている人だなあ。
って、こんなにジロジロ人を吟味するように見るのは失礼だよね。薄暗い通路から顔を背けて、案内してくれた正に向き合う。
「で、あの人のどこが変だって?」
「そう急かすなって......ほら、見てみろ」
「もう、知らない人を疑うのは......って、え?」
促されてもう一度薄暗い通路に顔を向けると、女性が立ち上がって、その場でクルクルと回り始めた。片足を軸にスケート選手のようにくるくると回り始め、先ほどまで真一文字だった口を三日月に変化させて、目はとろーんとしている。どうやら奇行に及んでしまうほど恍惚と本にのめり込んでいるようだ。
「な? 変だろ?」
「......う、うーん。確かに......」
まあ変じゃ変じゃないかで言ったら、かなり変だ。ただ、こうしてクルクル回られる分には人に迷惑をかけているわけでもないし、良いのではないだろうか。
「あぁ、たまらない、たまらないよぉ......!」
「「げ!?」」
女性がそんなことを呟いたと思ったら、女性の足元から黒い紋様が広がり始めた。何かまずそうだ、そう考えた僕らが駆け寄る間にも紋様が大きくなっていく。
黒い魔法陣とでも言えばいいのだろうか。外円が伸びると同時に、円の中に幾何学模様が広がっていく。そしてその円の外周が通路の壁に触れた瞬間。
「ーーーニ、クイーーー」
「これはまた」
「とんでもねえな、おい......」
正の長身が霞むほどに高い、優に2メートルを上回る背丈に対して、体は細い。ボロボロの白シャツの上から真っ黒でツギハギだらけのマントを羽織り、腕は4本。その腕どれにも、のこぎり、釘バット、バール、金槌と殺傷能力の高い武器が握られている。
何よりも恐ろしいのは、顔だ。顔色が悪いなんて言うレベルではない真っ白な顔を上書きするように頭から滴る赤い血が、止めどなく溢れてボロボロのマントと白シャツに赤を刻み付けていく。そして感情を一切感じさせない真っ白な目。
そんな、明らかに空想上にしか存在しなさそうな『怪物』が現れた。
「先手必勝だ!」
一瞬気圧された僕とは違い、女性と僕らの間に現れた怪物に向かって足を速める正。ひえぇ、普通じゃ中々立ち向かえないよ、あんな敵。
怪物の懐に潜り込んだ正の拳が、細い体に食い込む。
「ーーーアァ?」
「......おいおい、傷ついちゃうぜ」
が、少しぐらついただけでノーダメージ。思わずたじろいた正に向かって釘バットとのこぎりが襲い掛かってくる。
「正!」
「チ、『セカンドインパクト』!」
正の能力、セカンドインパクト。ある一点に加えた衝撃と同じ衝撃を同じ位置に与える能力。ノーダメージとはいえ、一瞬体勢を崩すさせることには成功できた。
その隙を逃さずに僕が怪物の細い足を思い切り蹴飛ばす。片膝をついた怪物、その顔に向かって正が拳を振り上げる。物理攻撃が通るならただの図体のデカい変なヤツ。こっちの勝ちーーー
「ーーー本の展開とおんなじだ」
正の拳が、怪物に当たる。そして怪物が仰向けに倒れたかと思えば。
「『銃弾を胸に受け止めた紫香楽。ただ、その胸から零れるのは血ではなく』」
怪物の体がボコボコと泡立つ。
「『ーーー真っ黒な、液体』」
とぷん、と怪物の体が地面に沈み込む。そして次の瞬間。
「じゃあね、お二人さん」
壁から飛び出してきた真っ黒な怪物が構えた4つの獲物が、僕らを襲ってきていた。
あれ、ラスボス?