122話
空を見上げれば、ここは体育館かとツッコんでしまうくらい高い天井が空を覆っている。右を向けばコンクリートの壁、前を見ればコンクリートの壁、左を見ればコンクリートの壁......もちろん、後ろもコンクリートの壁だ。
「いやいやいやいや、落ち着け、落ち着け......」
言い聞かせながら頬を叩く。痛い。ということは、夢とかではないというわけだ。
改めて辺りを見回すと、別にコンクリートの壁に囲まれているけれど、閉じ込められているわけではない。壁の高さは先ほど説明した高い天井に届くほどのものだが、幅はそこまで広くない。なんていうか、広場に設置された障害物っていう感じかな。迷路みたいになっているわけではなさそう。
なんとか今いる場所についてはわかった。ただ、ここでジッとしていても状況は好転しない。ちょっと動き回ってみようかな。
トントンと靴音を鳴らしながら歩みを進める。とりあえず今やるべきことは、
「出口を探すことーーーって、うわ!」
自分が背中を預けていた壁の端から体を出すと、何かが飛んでくる。思わず頭を抱えてしゃがんだ僕の頭の上を通り過ぎたそれは、後ろにある壁にぶつかり破裂した。
「なんだなんだ?」
もう一度壁に身を隠す。破裂した物体は、壁にべっとりと青色の塗料を塗りつけていた。これを飛ばしてきたやつがいるんだろうけれど......。
その場にしゃがみこみそっと壁から頭を出すと、地面に塗料を叩きつけられる。危ない!
「ふむ、対応してきたか。私はこの能力を気に入っているのだが......君にも気に入ってもらえそうだ」
聞こえてくるのは、女性の声。そして一瞬顔を出した時に、こちらに向かって銃を構えている姿が見えた。どうやら、この女性が敵ということで間違いなさそうだ。
「ただ、この能力のルールは自分で見つけてくれ。仲間を傷つけた君を痛めつける必要があるからな」
能力............。ああ、『能力』ね。忘れていたよ。
仲間を傷つけた......心当たりは多すぎるのだけれど、タイミング的にはさっきやってきた二人かな。
「逆恨みすぎるでしょ」
呟きながら、思考を巡らせる。先ほどから飛んできている塗料は、女性の手に持っている銃に込められた弾のようだ。殺傷能力はないように見えるけれど、この能力下では何が起きるか分からない。攻撃を喰らわないのが吉だろう。
そして、僕にもその武器が手に入るはずなのだけれど......うん、周りや来ている服のポケットなどを探しても見つからない。こうなると、どこかに落ちているか備え付けられているかされていると考えてよさそうだ。
そんな僕の耳に届く、トットットという足音。それも大分速いペースで。やば、追いかけられてる!?
僕も走り出して、当然のことに気が付く。このコンクリートしかない空間。広さはわからないけれど、密室になっている場所があるわけではない。向こうが接近してきた音が分かるのと同時に、僕の居場所も教えてしまっているのだ。
この状況の対策はただ一つ。相手と同じ戦力......まわりくどい言い方だったかも、武器を手に入れなくちゃいけない。
逃げる僕に追いつくか攻撃を当てれば勝ちである敵に対して、僕の勝利条件は現時点で不明。これは不利とかそういう次元の話ではない。無理だ。卵抜きでオムライスを作れと言われているようなものだ。
そういうわけで卵が手に入るまでケチャップライスで時間を稼がないといけないのだけれど......こんなところであるかも分からない卵を探すなんて......!
走っていた僕に沿って立っているコンクリートの壁の端まで来て、曲がる。
「もう、バイト終わりに外に出るんじゃなかったーーーっぶぇ!」
瞬間、間抜けな声を上げながらその場にしりもちをつく。いてて、何にぶつかったんだ。
立ち上がりながら顔を上げると、思わず動きが制止する。
僕がぶつかったのにも関わらず、後ろで手を組んで仁王立ちしている男。顔はサングラスと覆面で見えないけれど、迷彩色の軍服にヘルメット、防弾チョッキを身にまとっている。明らかに、軍人さんだ。
中腰で唖然としている僕に届くのは、二つの情報。一つ目は、今もなお追いかけてきていることを証明する敵の足音。
そしてもう一つは。目の前の軍人が、真っ黒な大きい手を僕に伸ばしてきている光景だ。
それは突然の襲撃でござった。
「ぬるいでござるよ!」
パン! と軽快な音を立てながら、拙者がいた地面を叩きつける見えない何か。五感と相手の予備動作を見ながらその場から一歩飛び退く。ふむ、これは以前蔵介殿に聞いていた能力でござるな。
「今のを避けられるとは......随分信心深いようだな。神も褒めてくれることだろう」
拙者と対峙している男は、長い黒髪の男。体格は決して大きくはなく、中肉中背。入学したてかつ防人も発足されたばかりの時に、蔵介殿を襲ったやつでござる。
蔵介殿が女性に意識を持っていかれた瞬間、男がスッと衆人の中から一歩前に出て姿を現した。
「あいにく、拙者は仏教徒でござるよ」
「今からでも改宗をしろ、と神も言っている」
「拙者は誰の言うことも聞かないでござる。神であろうと、放っておいてほしいでござるね」
「わがままな奴だーーーな!」
ヒュンと風を切る高い音に対して、ほぼ直感で屈んで避ける。むう、このままだとジリ貧でござるね。
辺りを見回すと、まずはベンチでがっくりと首を落として眠っている蔵介殿。その蔵介殿に寄り添うように、黒髪の女性が眠っているベンチが目に入る。一見穏やかな場面ではあるが、二人は幻覚の中で闘っているのだろう。助太刀できないのが心苦しいところでござる。
さらに周りに目を向けると先ほどまで観光名所の岩に夢中だった民衆が、拙者帯に注目している。むむ、パフォーマンスだと勘違いしてくれているんでござろうか。正直、危ないのであまり近寄らないでほしいのでござるが。
大事にならないようにするためにも、早く決着をつけた方がいいでござるね。
「っふ!」
ぐ、っと脚に力を入れて走り出す。
「武器なしで、どうやって近接戦をするつもりだ」
ふん、と得意げに鼻をならしながら腕を振るってくる男。それだけでとんでもないスピードの鞭が襲ってくる。屈んでそれを躱してから、横に転がる。一瞬遅れて、先ほどまで拙者がいた場所にパアン! という乾いた破裂音が聞こえる。
それを耳にしながらも、迷わず足を動かす。そして手が届く距離にたどり着いたら、
「ーーーハッ!」
ビ、ビと二回。鋭い突きを繰り出す。一発目は男が胸の前でクロスした腕に直撃、二発目は男の顔の目の前で止まる。止まるというか、一歩後退されたことで届かなかった。
「ふむ、近接戦は苦手ではないでござるか」
「以前は慢心が敗北を招いた。その神からの警告を無視するほど愚かではない」
言いながら、斜めに鞭を振るってくる男。見えているわけではないでござるが、動きだけでわかる。
「もう少し鍛えてあげたくなるでござるね」
「その上から目線、気に食わないやつだ」
「気を害したなら失礼。拙者、門下生が多いもので」
言いながらも攻撃の手を緩めない。男の攻撃は確かに鍛えられているが、そこまで。拙者の創造の域を超えたものではない。
元々所属していた組織に比べれば、ちょーっと手ごたえが足りないでござるね。
「どうも、指摘癖が付いてしまったのかも知れぬ。許してほしいでござる」
言いながら回し蹴りを男の頬に命中させる。獲物がない状態での闘いなど、慣れっこでござるよ。
足に伝わる確かな感触を受け止めながら、残心。
「ぐぁ......」
男が倒れたのを確認して、構えを解く。ふう、一件落着......ではないでござるね。
次は蔵介殿をどうやって助けようか。それを考えるためにあごに手を当てると同時に、周りがざわつく。わ、忘れていたでござるが、人に見られていたところでごわした。
「すっげーかっこよかったっす! あの、あなたは一体.......!」
興奮した様子の男が拙者に歩み寄ってくる。背負っているスポーツバッグや学ラン、何よりもその顔立ちから高校生でござろうか。
「いやいや、ちょっとしたパフォーマンスでござるよ。危ないでござるからーーー」
ちらりと倒れている男を見ると、まだ意識がある様子。ということは、まだ能力が使える。
それに気が付いた瞬間、甲高い音が耳に届いた気がした。反射的にその場から飛び退こうとして、なんとか体を抑え込む。そして逆に一歩前に歩みを進めて、やってきた男の子を突き飛ばす。
当然というか、男の子は肩に下げたスポーツバッグを手放し、少し後ろにしりもちをつく。
「うあ! な、なにを......」
文句でも言いたくなったのでござろう、地面に座り込んだ男の子が拙者に反論しようとして、止まる。拙者の肩から流れる血を見たのだと推測する。
「まだパフォーマンス中でござるから、離れていてほしいでござる」
灼けるような痛み。肉が削がれたような感覚でござるね。久しぶりにここまでの痛みを味わったでごわす。
「ご、ごめんなさい......」
「いいんでござるよ」
拙者は微笑みを絶やさず、この一連のやり取りの間に起き上がった男と対峙する。
「......今のは、危なかったでござるよ」
この言葉の意味は、『無能力者に能力の存在を知られるところだった』ということでござる。
能力者は、無能力者に気づかれないようにするという暗黙の了解があるでござる。能力を悪用する人間も、出来る限り無能力者にバレないようにするのが節理。それは、ある組織がいるからでござるが。
「信じていたよ。神と君を」
にぃと薄汚い微笑みを浮かべる。挑発のつもりでござろうか。
「あいにく、そんな安い挑発に乗るほど安くはないでござ「それに」
拙者の言葉に声をかぶせて、微笑みを引っ込めて険しい表情になる男。
「ここで気が付かれるようなら、それが私たちにとって開戦の合図だ。お前たちのような『中立』が、『守る価値がない』と判断したことになるのだから」
「............ふぅむ。よくわからないでござるが」
確かな意志を持っている。それだけは確かなようでござるね。
「いったん、承知。全力で臨むでござる」
拙者が改めて拳を構えると、男もクールダウンが終わったようで、半身を前に出した構えになる。
先ほどよりも明らかに隙が無い男。先ほどのように素手で襲うの少し骨が折れそうでござるが、はてさて......。
幸助もまた、闘い続けた過去があるんですね。