113話
「避けられねえだろ!」
僕が突き出した拳は、言葉通り簡単に隼斗の腹に当たる。ただ、微動だにしない。そのまま体を軽くひねり、お返しに僕の頬を殴りつけてくる。
「それはてめえもだろ!」
ガツン、と脳に響いているかのような衝撃。当然体を硬化させてはいるが、ダメージが蓄積される。
が、それをおくびにも出さず前蹴りを繰り出す。
「当たるかよ、そんな攻撃」
超能力を使ったのだろう、僕の後ろに瞬間移動した隼斗が拳を振り上げる。
空ぶった前蹴りで少し前に出る勢いのまま、攻撃を仕掛けていた足に体重を移動。浮いた足を一度折り曲げてから、力を込めて脚を突き出す。
「ようやく慣れてきた」
しかし、その攻撃も当たらない。ふっと消えた隼斗が、頭上に現れる。これは、避けられるか?
がむしゃらにゴロンと転がり、勢いを消さず立ち上がる。そして、改めて状況を確認しようと顔を上げれば
「ーーーッグぁ!」
目の前に移動していた隼斗が頬を殴りつけてくる。熱を帯びた一撃に身体がふらつく。
激しい動きを繰り返し、攻撃を喰らい、まさに息も絶え絶えな状況。そんな状況でも隼斗は攻撃の手を緩めない。
少し後ろによろめいた俺の首を、隼斗の真っ黒な手が掴んでくる。そして、視界の端には片腕がない隼斗が歩み寄ってくるのが見える。
これは、結構まずい。どうする、どうすればーーー
「いてて......もっと優しく手当てしてよ黒羽」
「まったく、お前も高馬もだらしない。あんな奴に負けるとは」
「そういう黒羽も九条に負けたんだろ? じゃあお相子だよ」
「負けてなどいない。勝ちを譲ったのだ」
「そのポジティブさ、嫌いじゃないよ」
「......まあ、黒羽は負けていたな」
「お、一進も話が分かるねえ」
「はい、負けました」
「いや切り替え早すぎ」
「ただ、それは当たり前なんだ。黒羽が悪いとか弱いというわけではない。普通の能力者なら絶対に負ける」
「一進様......私なんかのためにフォローを......」
「いやフォローというか、『超能力者』ってそれくらいすごいってことでしょ?」
「まあ、そうなるな。普通の能力者では絶対に勝つことが出来ない。そういう位置づけを『認められた』人間が『超能力者』だからな」
「ふうん。言うねえ」
「七緒オマエ、一進様のいうことを信じていないな......?」
「ちょっとやめてよ。狭い車内で喧嘩なんかしたくないよ」
「ああ、それに高馬も起きてしまう。拳を抑えてくれないか、黒羽」
「は、仰せのままに」
「何だよこいつ」
「それで、七緒。黒羽の言う通り俺の話を信じていなかったようなリアクションだったが」
「ああ、うん。超能力者ってそれくらい凄いんだなあ、って噛みしめてたんだよ」
「......意外と嘘を吐くのは苦手か? もしくは皮肉か?」
「あはは、ちょっと皮肉だったかも。いやさ、俺が闘った上木でも勝てないってなると、ちょっと信じられないなって」
「七緒。俺は『普通の能力者』と言ったはずだ」
「ああ、なるほどね。あいつは絶対にーーー」
変わるぜ。喧嘩なら『俺』の方が得意だろ?
「ーーー普通じゃないもんね」
地面に触れている足から能力を使う。地面の硬度を変えて、脆くする。
そのまま、脚を蹴り上げて、隼斗の顔にめがけて土を飛ばす。
「うっとうしい」
一瞬、真っ黒な顔を背けて、能力を使っていない手で顔を覆った。その瞬間に、俺は隼斗の手を首に着けたまま、屈んで地面に手を付ける。そして地面を手で掴むと、土でできたキリが出来上がる。
それを振りかざし、躊躇なく隼斗の手に振り下ろす。
一瞬、真っ赤な血が溢れたかと思えば、手が消える。キリが隼斗の手を貫いたと同時に反射的に能力を解除したのだろう。
その証拠に、俺から一度距離を取った隼斗の左手からは、真っ赤な血が流れている。
「ははは、悪魔みたいな見た目のくせに、真っ赤な血が流れてるんだなあ?」
「調子に乗んなよ......!」
フッと目の前に現れる隼斗。俺相手に近距離戦を挑んでくるとはいい度胸だ。
手に持っているキリの柄の部分を横薙ぎに振るう。が、一瞬で躱され、振るった方とは逆の側面に移動する隼斗。
そこに向かってキリの尖った先端を押し付ける。それが押し付けられる前にキリを掴んでやり過ごす隼斗。
キリから手を離し、攻撃手段を拳に切り替えて殴りかかる。
「っぐ!」
瞬間、首を掴まれる。当然、隼斗の能力だ。
俺の勢いを殺し、流れを引き寄せたい様子の隼斗。そううまくいかないのが現実なんだよ。
隼斗が突き出してくる俺の能力で硬化させた土のキリ。それを腕で受け止める。すると、俺の腕にキリが触れた瞬間、ポロポロとキリが形を崩す。その現象に驚いている隼斗に向かって拳を振るう。
「喰らっとけ!」
痛覚を消した体でも感じることが出来る手ごたえに思わず口元が緩む。このまま畳みかけてーーー
「ーーーぅおあ?」
ガクン、と膝から力が抜ける。そして、攻撃をしようと振るっていた手は、自分の膝についていた。
そこで改めて、自分の体の状況を知る。
元々変な地下施設で闘わされていて、気が付いたら病院のベッド。起きるや否やここまで走ってきて、七緒との闘い。そしてそれが終わったら、目の前の超能力者との闘いだ。
「ヒュー、ヒュー......」
喉からは高い音が鳴る。空気が喉を通るたびに痰が絡む。熱を帯びている隼斗の手が、呼吸を邪魔しているように感じる。ああ、鬱陶しいな。俺は首に纏わりついている隼斗の手を振りほどく。
息を整えている間に、隼斗は態勢が整ったようだ。ダメージを残しているのは雰囲気でわかるけれど、俺よりは元気そうだ。
さて、どうやってぶっ飛ばすか......。突っ込むだけじゃ意味がねえ、どうする......?
「無茶だろ、超能力者に勝とうだなんて」
耳に届いた声。聞いたことがない声は、隼斗が逃げ出した時のために配備されていた人員だろう。思わず闘いの思考と視線を隼斗から外して、辺りを見回す。
「「「............」」」
そのほか、『僕』が闘ってきた金髪の女性、無精ひげの男、ガタイのいい男もこちらを真剣な眼差しで睨んでくる。
............?
「え、なんで大人がそんなに真剣なの?」
「「「............は?」」」
一同の素っ頓狂な声。いやいや、それはそう思うでしょ。
僕と同じ意見のようで、正もやれやれと呟きながら口を開く。
「まったくだ。おい蔵介、どうでもいいが長引かせると店が閉まるぞ」
「いや、正はリラックスしすぎでしょ」
なんと正は雪音をこき使って、超能力で体を浮かせてもらっていた。......寝転がったポーズで。
「一応気に入っている服だからな。汚したくない」
「雪音、叩き落していいよ」
「ふうん、蔵介は友達が土まみれになっていいんだ?」
「ごめん、大気圏まで浮かせていいよ」
「よくないが?」
「うん、そうやって人のことを想うのが蔵介らしいよ」
「想ってるか?」
「えへへ」
「照れ方が素直だな」
「そこも蔵介のいいところだよ」
「白川、お前......」
呆れた様子で首を振る正。まあ、茶番だね。
「ふざけてる場合!? このままだと、九条坊ちゃんが......!」
我慢の限界が来たのか、金髪の女性が声を荒げた。
「このままだと、どうなるの?」
「それは、七瀬とかいうやつのところでこき使われて手が付けられなくなるでしょう!?」
「え、そうなの隼斗?」
「......かもな」
それはちょっと困るかも。まあでも、
「どうでもいいや」
「どうでもいいってあんた......!」
「だって、僕が勝ったら隼斗が止まるわけでもないし」
これは契約の儀式じゃない。強かった方、勝った方のいうことを聞くというルールがあるわけでもない。
「僕が勝っても負けても、隼斗の行動に変化はないでしょ」
「じゃあなんで闘って「だって、ムカついたんだもん」
それが僕が闘う理由。別に隼斗を助けたいわけじゃない。助けに来てあげたのに殴られたという、僕の中のイライラを発散したいだけだ。
「隼斗だってきっとそうでしょ。僕に勝った後のことなんて考えてない。僕にムカついてるんだ。ね?」
「......そう、かもな」
「あいまいな奴だなあ」
「ただ、イライラはしている」
上木に対してかは分からないが。そう言い残す隼斗。そんな曖昧な気持ちで殴られた僕の気持ちも考えてほしいんだけどね。
「......はあ。なんだか冷めちゃった。もうやめとく?」
そう尋ねてみるけれど、隼斗は返事をしない。悩んでいるんだろうか? ......正直、疲れたから帰りたいんだけど。
サア、と風に揺られる草木の音しか聞こえない。隼斗が会話の主導権を持っているからこそ、沈黙が長引く。
その沈黙を破ったのは、隼斗の知り合いと思われるガタイのいい男だ。
「ガハハハハ!」
「うわ、びっくりした」
大きな笑い声でシーンとした場の空気を切り裂く。
「悪いなあ、九条坊ちゃん。大人が邪魔しちまってたな」
「......まあ、そうだなあ。俺たち、邪魔だったな」
無精ひげの男も腕を組んで、頷く。
「喧嘩だもんな。勝ち負けもなにもない」
「変な道に進みそうになったら、そこで大人が出てくればいいんだよな。ここを邪魔するのは無粋ってモンだ」
「......;男って、そういうもんなの?」
「「そういうもんだ」」
「......私って重たかったかしら。ちょっと束縛してたのかも」
隼斗の付き人たちでの話はまとまったようだ、ガタイのいい男が拳を振り上げる。
「そういうわけだ、存分にその坊主をぶっ飛ばせ!」
「そうだな。思うままに体を動かせばいい」
「やるからには、ぶっ飛ばしなさい!」
飛んでくる檄に呼応するわけでもないだろうけど、ふらついて見えた隼斗が、今は堂々と立っているように見える。
「そういうわけで、続きをしようか。『蔵介』」
「いきなり名前呼びなんて気持ち悪いなあ」
まったく、喧嘩って言ってるのにやり辛いったらありゃしない。
「というか、そっちだけ応援されてずるいなあ」
「蔵介ーがんばれー。マジで店が閉まるぞー」
「わ、二人が言ってるお店の料理、すごく美味しそう。っていうか、安いね......って、あ、塚波君。これ」
「ん? どれどれ......?」
「これで頑張らなくちゃいけないのキツイって」
苦笑いしながらも、戦闘用の人格を引っ張り出す。やれやれ、勝敗は決まっているのに闘うのは面倒だな.....。
さっきまでよりも柔らかくなった雰囲気のまま、お互いの拳が交わり始める。
まずはジャブ。素早い左拳の攻撃を意にも介さず、拳を返してくる隼斗。それを胸で受け止めて、もう一度、顔にめがけてジャブ。それがよけられた瞬間に右ストレートを腹に叩き込む。
「っぐ!」
短く呻く隼斗。拳がめり込む感覚はない。俺の体ほどじゃないが、体が硬化しているのだろう。全く、便利な能力だ。
ただ、『なんでもできる』能力じゃない。『超能力は無効化できない』。それでも弱点はあるだろうし、もう弱点はわかっている。それを突いていくだけだ。
隼斗が俺から少し離れたところに瞬間移動する。どうやら息を整えているようだ。
「おいおい、ぶっ飛ばすんじゃねえのか?」
挑発してみるが、乗ってこない隼斗。ゆっくりと呼吸を整える隼斗。
そして、突然能力を使って来やがった。俺の手首を掴んでくる真っ黒な手。これで動きを封じて一方的に攻撃してくるつもりだろう。
そうはさせまいと、俺は地面の硬度を変える。そしてつま先を地面にめり込ませて、隼斗が仕掛けてくるのを待つ。
そして、隼斗が異動してきた瞬間、脚を振り上げる。すると、ちょうど俺の体を隠せるくらいの長方形の壁が目の前にできる。
厚さはできる限り薄く、それこそ足で蹴り上げられるくらいの重さになるよう調整された薄さ。これで一瞬、俺の体が隼斗の視界から消えた。
この隙を逃さず、俺は屈んで地面から棒を作り出す。これで準備は整った。
当然垂直に立ち続けるわけではない壁。バランスの悪いそれをこちらに押し付けようと隼斗が拳を振るった瞬間、俺の手首に纏わりついている隼斗の手にかみつく。
目の前の土の壁が『砕ける』のと同時に、俺の手首から隼斗の手が消える。
これで、止めだ。
パラパラと降り注ぐ土の雨の中、握りこんだ棒を振り上げて、隼斗の頭に力の限り振り下ろす。
ガツン! と間違いのない感触。目の前の黒い人影が倒れていくのを眺める。
隼斗の超能力『デーモンハンド』。これを全身に影響させることで、どこにでも移動することができ、向上している筋力やら体温やらで敵を蹂躙する。そんな強力な能力。
これは様々な要因が絡まった隼斗の『気づき』だ。『能力が自分の手にしか作用していないのはおかしい』という無意識への気づき。ガタイのいい男に能力の全てを無理やり解放されたことによる『自分の能力の効果範囲』の気づき。そして、他の誰かと闘ったときに気が付いたのだろう、『この能力が全身に回っていれば強い』という想像力からくる気づき。
そんな能力だが、弱点がある。
なぜか隼斗は俺の横や上空にしか瞬間移動しなかった。背後には瞬間移動していないのだ。
ここから導き出される仮定は、『見えている範囲にしか移動できない』というもの。もちろん仮定だし、間違えている可能性はある。でも、あまりに優位になれる場面でも背後に移動しなかった。
そしてそれを正しいと裏付けたのが、途中で隼斗に目つぶしで土を投げた時。この時瞬間移動で後ろに行けばいいものを、その場で顔を覆った。そして簡単に隼斗の手に攻撃を仕掛けることが出来た。
ここで完全に気が付いた俺は土の壁作戦を思いついた。俺だけが隠れられる壁を作り出したら、どうなる? 俺がその壁の裏にいることが確実ならば、壁ごと押しつぶせばいい。筋力は絶対に俺より上なのだから容易いだろう。
ただ、その壁の硬度は蹴り上げた瞬間に変わっている。隼斗の攻撃一つでボロボロになるくらいは。
目の前の土の壁が崩れるのと同時に、俺の手を縛っているはずの手が痛みを訴える。思わず自分のもとに手を引き戻すだろう。感覚が共有されているのも、キリで刺した時に反射的に手を戻していたことで把握していた。
そして、止めの攻撃。元々隼斗も疲弊していたはず、隼斗を倒す最後の一撃としては申し分なかったというわけだ。
パラパラと降っていた土の雨が止む。そして俺の足元には、真っ黒な悪魔の状態ではない、人間の隼斗が倒れていた。
茶髪のショートカットに、決して大柄ではない体格。それでも自信満々に人と話している隼斗の姿が頭をよぎる。
「......僕もむかついた、というかムカついているけど、君が憎かったわけじゃないよ」
能力を解除して、一息つくと、足元に一本の花が横たわっているのに気が付く。抜けたというよりは無理やり抜かれたようで、茎から繊維を散らしており、気のせいかもしれないけれど少し焼けているように見える。もしかして、隼斗が無理やり千切った?
......うーん。
「混乱しているのはわかる。感情のままに動いちゃうのもわかる。自分の才能に価値がないと思っちゃうのも......まあ、なんとかわかる」
その花を拾い上げて、倒れている隼斗の傍にそっと置く。別に献花というつもりはない。
「でも、自分が好きだっていうものに向き合わないのは良くないし、分からないかも」
次からはどんな時でも、自分の好きなものを見失わないといいね。
そんな他人事な感想を残しながら、正と雪音の方へ歩み寄る。
「おー、お疲れ」
「ん」
へらへらと笑っている正が手を上げるので、それに手を重ねる。
「......私は怒ってるんだからね、蔵介。気を付けてって言ったのに」
その横で、雪音がぽそぽそと口ごもっている。どうしたんだろう。
「雪音?」
「......なんでもなーい。お疲れ様、蔵介」
顔を覗き込むと、一瞬頬を膨らませたかと思えば、とびっきりの笑顔をくれる雪音。......うん、かわいい。可愛すぎる。
そんな笑顔だった二人の顔が、曇り始める。
「それで、お疲れのところ悪いんだが......」
「ん? どうしたの?」
「あの......言いにくいんだけど」
「なにさ、気になるじゃん」
僕が二人に言い淀んでいることをせっつくと、正が口を開く。
「行こうと思っていた店、今日臨時休業だったらしい......」
「............えぇ」
思わず勝手に落ちる肩。これじゃあ、
「何のために頑張ったんだか」
「まあまあ、他の店も探しておくからよ」
「もういいよ。どうせ僕は何も食べられないんだ......」
「まあまあ、私と塚波君で別のお店探すから」
「......まあ雪音がそこまで言うなら」
「白川は俺と全く同じことを同じテンションで言っただけだけどな。まったく......ほれ、行くぞ」
「ほいほい。それじゃあ、清木教授。あとは任せました」
苦笑いをしながら手を振ってくる清木教授に手を振り返しながら、公園と隼斗に背を向ける。
3人の付き人に心配やら手当されながら、穏やかな顔で眠っている隼斗の姿に、背を向けて。
その場を後にした。
なんだか、締まらない気もするけど。
なんとかなったし、これからもなんとかなりそうだから、いいか。