110話
「塚波くん、だっけ。彼じゃ高馬に勝てないと思うけどなあ」
公園内に置いてあるベンチに腰掛けながら、落ち着いた口調でと僕に話しかけてくる七緒。
「だって、上木くん、君は今俺に手も足も出ていないよね」
「......はあ、はあ......」
腕、脚、横腹......体の節々から血を流しながら呼吸を整える僕。
こちらから繰り出す攻撃を軽くいなされたかと思えば、力が入っていないような七緒の攻撃一つで大きなダメージを受けてしまう。僕の拳を片方の腕で受け止めたら、七緒はもう片方の拳と左右の脚、どれかを僕にぶつければいいだけ。七緒の能力は単純明快な強さがあった。
そんなまるで満身創痍かのような僕の様子に呆れた表情を向けながら話を続ける七緒。
「彼と君の強さが同じなら、俺と同じ強さの高馬には絶対に勝てない。さっきまで話していた当然の理屈だよ」
そこまで話したところで、ゆっくりと立ち上がる七緒。
「それじゃあ、ケリをつけようか」
「......ああ、そうしよっか」
七緒の雰囲気が変わったのと同時に、俺も能力を使って自分のコンディションを変える。あまり時間はかけられねえ闘いだ。
「これが、最短ルートなんだよ」
「? よくわからないけれど.....『そっち』の君になっても無駄だよ、上木くん」
俺は呟きながら一気に距離を詰める。七緒は余裕をもった動作でこちらの動きに注意を向ける。
そして拳が届く間合いに入った瞬間、軽いジャブを飛ばす。それを弾いた七緒が、
「『クラッシュ』」
俺の腹に拳をぶつける。先ほどまでと全く変わらない展開。
「もう飽きたよ、この展開にも」
ケリをつけようという言葉通り、とどめを刺すつもりで追撃を仕掛けてくる七緒。ただ、その攻撃が俺に届くことはなかった。
ズン、と拳に重みが伝わってくる。さっき腹を殴られたお返しだ、地面に足を押し付け、低めの位置から七緒の腹に向かって拳を突き立てる。
「---がぁ、な......なんで」
答える口は持たない。悶絶しながら俺の拳に体重を任せている七緒の顔に、拳をぶつける。
後ろに倒れこむ七緒。それだけでは威力を殺し切れていないようで、ズザザと体を地面にこすりつける。
種はいつだって単純だ。なんで攻撃を喰らいながらも殴れたかは、痛みをシャットアウトしたから。なんで七緒の攻撃を喰らった部分の腹が出血していないか。それは殴られた瞬間に硬度を変えたから。
「なんで俺の攻撃が効いてないんだよ......!」
呻きながら立ち上がった七緒の表情にはもう、トレードマークともいえる余裕の表情はない。
「簡単な話だ。お前は俺に能力を見せすぎたんだよ」
苦しそうな表情を見せている七緒に歩み寄りながらそう告げる。
初めてこいつの能力を喰らったとき。僕の頭は砕かれたかのように思えた。でも、実際はそうじゃない。ちょっとエグイ話だけれど、頭蓋骨の上にある表皮。七緒が砕いたのはここだ。(正確にいえば、俺の能力で硬くした表皮)
ただ、少し考えてみれば。七緒の拳が触れた瞬間に砕けた場所が広がって、頭全体が砕けなかったのはなぜだろうか。『クラッシュ』の能力が『触れた場所だけを砕く能力』だから? その可能性ももちろんあるが、実際は違った。それが分かったのが、この公園に入ってきてから最初に七緒が能力を使ったとき。ある程度離れた俺の位置まで地面を砕いて見せた。ここで理解した。俺の能力と同じように、触れた部分だけではなく、ある程度の範囲までは効果が及ぶ。
そこで先ほどの問いに戻ってくる。『七緒の拳が触れた瞬間に砕けた場所が広がって、頭全体が砕けなかったのはなぜだろうか』。それに対して導き出した答えは、硬度だ。硬度が同じ場所を破壊していく能力であるという答え。
その考えに至ったのは、やはり先ほど地面を割った七緒の行動と、初めて頭部を殴られたときだ。ちょうど遊歩道の位置で地面のひび割れが途切れたこと。あとは、頭を殴られて出血した時、傷口をふさぐために反射的に頭部の硬度を変えた。それ以降は頭に異変がなかった。
もちろん、どちらも偶然の可能性はある。それを確実にするために、何度か七緒から攻撃を喰らったのだ。
それを繰り返すと、俺の仮説が正しかったことが分かったと同時に、もう一つのことに気が付いた。それは、能力の発動が衝撃と同時ではないこと。ほんの一瞬、拳が当たってから能力が発動するまでにタイムラグがあるのだ。
それにどういう意味があるのかは分からないが、その時間を利用しない手はない。攻撃を喰らうと同時に硬度を変化させる。これで七緒の能力を無効化することに成功した。
「大分試行回数は必要だったが......先に進ませてもらうぜ」
肩を回して、目の前の障壁を突破しようと駆け出す。これで終わりだ。
「......意味が分からない」
それまで苦しんでいた様子の七緒が、ビタリと止まる。
『ーーー能力者というのは、無能力者に気を遣って過ごさなければいけません』
「こういうの、なんていうんだっけ?」
七緒から吹き出る異様さ。思わず足を止める。
『損得ではありません。その力は、人の役に立つために使わなければいけません』
「ノブレス・オブリージュ、だっけ」
恐怖はない。ただ、何かが起きる予感はしている。
『あなたがやってしまったことは、本来してはいけないこと』
「おかしいよね、普通なら自由にしていいことを」
『ちゃんと謝ってください』
「『能力者』ってだけで縛られて」
『彼らが先に手を出した?』
「自分たちは無能力者たちに」
『関係ありません。あなたたちは普通じゃないんですから』
「媚びを売らなくちゃいけない」
『能力者と無能力者は、一緒に生きていくことが難しいんですよ』
「なら、なら全部ーーー」
『能力者が、我慢すればいい。それだけなんですから』
「全部壊してやる」
ズン、と地面が割れる。思わずバランスを崩した俺の元へ歩み寄ってくる七緒。
「上木蔵介、君は特別だ。逃げてもいいんだよ?」
「ふん、誰が」
図々しく、上から目線で言ってくれる。誰が逃げるか。
「君は超能力者を守ろうと奔走している。正直に言うと、結構俺のお気に入りなんだ」
「おあいにく様。俺はお前らなんかと一緒にされたくない」
「一緒でしょ。能力者を第一に思うところが」
「......? よくわからないけど、俺は別に能力者だから心配しているわけじゃないぜ」
「......こっちの方が良くわからない。まあ仲間にならないって言うならせめてーーー」
『......全て、お前がやったのか』
『ーーー誰さ、お前。俺が何しようと関係ないだろ』
『人を殺しても、何も思わないか』
『こんな奴ら、どうとも思わないね。あんたは俺を捕まえに来たの? なら抵抗するけど』
『逆だ。その力、使わないか?』
『......何に?』
『俺たち特別な存在が、堂々と町を歩くために』
『叶わない理想はいらないよ』
『違う。叶えなければいけない現実だ』
『............言うね』
『事実だからな。理不尽を振り払うという』
『乗ったよ。俺は小倉七緒』
『七瀬一進だ。長い付き合いになるな』
『えー、やだよ。さっさと叶えようよ』
『......色々準備があるんだ。行くぞ』
『ん、りょーかい』
「ーーー邪魔するなよ。一進の」
ここでようやく、お互いの拳が交わる。
先に拳が到達したのは、俺の胸だ。七緒の拳が俺の胸に触れる。瞬間、胸が出血を起こす。
「!」
「さっきまでとは違うよ!」
殴られてから出血するまでのタイムラグがねえ。ただ、そのままにしておいたら触れられた箇所以外もダメージを受けてしまう。
「人間の体は結構複雑でさあ、案外殴ったところ以外は崩れないんだよ」
喋りながら2発目。今度は硬度を変えて少し柔らかくなった体にそのまま拳が突き刺さる。
「......! ぐぇ......!」
思わず漏れる嗚咽。痛みをシャットアウトしていてもなお、腹からこみ上げる不快感に耐え、脚に力を入れる。
「ただ、上木君、君だけは違う。ある程度の範囲を一定の硬度にしてくれるおかげで闘いやすいよ!」
再び飛んでくる拳。ただ何度も喰らってやるほど甘くはねえぜ。
七緒の手首を片方の手ではじき、もう片方の握りこんだ拳を振りかざす。
先ほどと同じように悶えさせてやろうと腹にぶち込んだ拳は、
「!?」
反射的にこちらへ戻ってくる。ちらりと拳に目を向けると、七緒の腹から俺の拳を赤い糸が結んでいた。
もちろん、拳は硬化させていた。七緒が腹に刃物を仕込んでいたわけでもあるまい。これは、
「『気づき』か!」
「ご明察」
能力は非現実的な現象を起こすことが出来る力。物理法則を無視したその力だが、起こっているのは現実。思い込んでいるだけで、気づかないうちに能力を制限してしまっていることがある。
「そもそも、『俺から殴ったら物を壊せるのに、俺が殴られたら壊せないのはなんでだ?』。『世の中には作用反作用の法則がある』。『衝撃を加えられているなら、逆に衝撃を加えていることにもならないか?』......。さっき君に殴られて、そして追い詰められて、ようやく気が付いたよ」
まあ、こういうことだ。言ってしまえば、ゲームとかをプレイしているとたまに考える『メタい話』。重力を操る能力なら、ブラックホールでも作っちゃえばいい。まあそんな感じで、能力の応用とでもいえばいいのか、もう少し幅広く能力が使えるようになる。それが『気づき』だ。
「どう、上木君。改めて俺たちの仲間にならない? 君には色々と感謝しているんだけど」
「......はあ。取り消すよ。お前に簡単に勝てるって言ったこと」
余裕綽々な七緒が上機嫌で語っている前で、俺は頭に巻かれている血が染み込んだ包帯を外す。すでに頭のけがは直してもらっているし、まだ出血していても能力で何とかする。
今はこいつをぶっ飛ばさなくちゃいけない。これ以上は時間をかけていられない。
包帯を半分くらいの長さで切って、くるくる、と両手に巻き付ける。そして、手に巻かれた包帯が外れないように巻き終わりを握りこむ。
「じゃあ、ラストだ」
胸の前で両拳をぶつけ、軽く首を鳴らす。うん、拳がぶつかる部分に包帯が来ていていい感じだ。
「......いいね、我慢比べってとこかな」
こちらの意図を知ってか知らずか、七緒も拳を構える。
「行くぞ」
もうお互いに言葉は発しない。完全な『殺し合い』の始まりだ。
七緒の拳。脇を閉めた鋭く素早い一撃。想像とは違う一撃に驚き、対応が遅れてしまう。
俺の肩から血が溢れる。それに見向きもせず、次の一撃に備える。
俺にダメージを与えた拳が戻り切るよりも早く、同じく鋭いパンチ。何とかやり過ごすが、簡単にはいかない。
自分に攻撃されてもダメージを与えることが出来る。その事実があれば攻撃されるために大ぶりな攻撃を仕掛けてくるかと思ったが、案外冷静な奴だ。最低限の守りとして意識して闘うことにしたようだ。
ただ、そろそろ隼斗の様子が気になるし、少し状況は悪いが。
「やるか」
口の中にその言葉を作り出す。
相変わらず素早い隼斗の攻撃。ただ、痛みをシャットアウトしている俺が一切の反応を示さないのに焦れたようだ、脚での攻撃を仕掛けてくる。
俺の太もも辺りを狙った横蹴り。それが振るわれた瞬間、一歩前に前進して、七緒の胸に拳を叩き込む。
「ーーーぐぁ!」
ただ、七緒も慌てない。少しだけ態勢を崩したが、すぐに立て直すーーー
「ぅぐ!」
前に、俺の拳がやってくる。何とか反応できた七緒は、俺の拳をクロスさせた腕で受け止めた。
「なんで......いや、やっぱり......か!」
状況を仕切りなおすために拳を振るってくる。が、よろけた態勢では先ほどまでのスピードも威力もない。
それを躱して、顔めがけて拳を振るう。先ほどの七緒のように、脇を閉めた鋭い一撃。
これを腕ではじいた七緒は得意げな顔で反撃をーーー
「ッ!」
せず、すぐに顔をそむける。俺の振るったもう片方の拳が飛んでくる。
躱し切れなかった七緒の頬を掠めた拳。直撃していないなら。そう考えた俺はそのまま裏拳のような形で拳を横薙ぎに振るう。
「いった......!」
そのままよろけた勢いに任せて、俺からある程度距離を取る七緒。そして、俺の拳を一瞥する。
「なるほどね......」
俺の拳に巻かれていた包帯は、もうボロボロになっている。
やはり単純な話で、殴るときに包帯を硬化させておき、七緒に触れたら硬度を変える。これで俺の拳が七緒に触れることなく闘えるということだ。
そんな話をしている時間もない。距離を取ろうが関係ない、七緒に再び殴りかかる。
「ふん!」
ダン、と地面を踏みつける七緒。それだけで地面が割れて、間合いを詰めていた俺の態勢が崩れる。
前のめりになった俺に向かって拳を振るう七緒。それを何とか腕ではじく。当然、腕からは血が顔を出す。
それでも、止まるわけにはいかない。弾いた腕を七緒の腕に絡めて、倒れかかっている俺の体を支えてもらう。
「さんきゅ」
「! この......!」
態勢が完全に崩れきる前に中腰で足に力を入れる。そして、絡めた腕を引き寄せるとーーー
「ーーークソ!」
空いている方の手で攻撃しようとしていた七緒の態勢が崩れ、こちらに倒れかかってくる。
「じゃあな」
俺は拳を七緒の腹に叩き込む。
「うぐぇ......」
口から唾液とも胃液とも判別できない液体を垂らし、だらんと力が抜ける。そんな七緒を突き飛ばし、後ろによろけたところで、
「ぐあ!」
顔に拳を叩き込む。もはや抵抗はできないかと思いきや、七緒の能力が発動したようだ。俺の拳に巻かれていた包帯が砕かれる。
今回は包帯の硬度を変えて、最低限の損傷しかさせないという択は取らない。代わりに、握りこんでいる包帯の部分だけは無事になるように能力で調整する。
その間に仰向けに倒れこんだ七緒に一気に駆け寄り、握りこんでいた包帯を出来る限りピンと引っ張って、能力を使う。
そして、能力を使った包帯を倒れた七緒の肩辺りに突き立てる。それはガラスのように硬く鋭く、あっさりと七緒の肉体を裂いていった。
「ーーーあああああ!」
七緒の悲鳴を聞きながら、背を向ける。これでもうしばらく七緒は立ち上がれないだろう。
「ーーーうぁ、いったあい!」
能力を解除すると、体の節々が痛みを訴える。随分乱暴に闘っちゃった。消耗もしたし、この後大丈夫かな。
まあいっか。一先ず隼斗の方へ急ごう。正ももう待ってるだろうしね。
「ーーー後悔、するよ」
そんな風に駆け出そうとする僕を引き留める七緒。もう、しぶといなあ。
「しないよ。絶対に助けるから」
それだけ言い残して立ち去ろうとしたけど、どうやら違う話らしい。
「そっちじゃ、ないよ。武器を突き立てたのが、俺の肩だってこと」
「何、首に刺されたかった? マゾなの?」
僕が茶化しながら聞き返せば、息も絶え絶えなまま話を続ける。
「......俺は、絶対に君の邪魔をする。それが、直接でも、間接的でも......」
「すればいいけど、またぶっ飛ばすよ」
「......随分手間がかかる道を選ぶね。君の方がマゾだ」
「もう一回ぶっ飛ばすよ」
それ以上は話すことはないといった様子で七緒が黙る。言いたいことは言い切った様子。
「まあ、そういう話でも後悔しないよ。君にとどめを刺さないことで後悔する『可能性』は確かにあるけど」
「......?」
「ここで君を殺したら、僕は『絶対に』後悔するだろうし」
七緒はお金とかのためじゃなく、他の能力者のために七瀬についていくことを選んでいる。道さえ間違えなければ、きっと『良いこと』をしてくれていた......いや、してくれるはず。
「何度か君が僕のことを気に入っているって言ってたけど、僕も君のことは嫌いじゃないよ」
「......それは、うれしくないね」
「それじゃ」
それだけ言い残して、今度こそその場から立ち去る。さあ、隼斗を助けに行こう。
雪音が関わってないと、結構視野が広いよね。蔵介。