105話
『そっちは終わった?』
『ああ。予想通りの結果で終わったよ』
『ふうん。まったく、みんなだらしないわね』
『そう言ってあげるな。きっと君でも勝てないよ』
『どうかしら。ところで、大事なことを伝えに来たわ』
『ん?』
『七瀬一進、もう入口から入ってきたって』
『それを一番先に言ってくれよ......。はあ、これで上木を逃がすのは難しくなったねえ』
『ごめんなさいね、言うのが遅れて』
『どうだか、君の計算のうちだろう?』
『それこそ、どうでしょうね。一応戦闘系の能力者を集めたのに、全員が簡単に負けているように見えたから本当の実力が知りたくなった、なんてことはないわよ』
『正直でよろしい。まあ一進が相手ならもしかしたら上木の全力が出るかも......いいや、ないか』
『え? 七瀬なら全力を出させられるんじゃ』
『多分、きっかけをつかんで終わりだね。もう一個のトリガーがないから』
『ん、なるほど。白川ね』
『そういうことだ。今からこの写真のネタバラシはするし......まあ、とりあえず一進を見た時のリアクションは確認しておこうか』
気絶した狼男が小柄な人間に戻ったのを確認してから、高戸が映っているモニターへ振り向き、握っているバットを向ける。
「高戸、お前仲間面すんじゃねえぞ。雪音に手ぇ出しやがって」
先ほど見せられた血まみれで倒れている雪音の写真。あれを見せられたことで『吹っ切れた』のは事実。ただ、この写真をどうやって手に入れたか、が問題だ。
『さっきの写真は加工だよ。って言っても信じてくれないだろうから......ほら』
「あ?」
辺りに響く電話のコール音。モニターの中の高戸がスマートフォンの画面を見せてくる。っていうか、これ俺の携帯じゃねえか。画面に映っているのは......『雪音』?
『蔵介!? よかった、助かったんだ!』
「雪音!」
電話越しの音声をさらにモニター越しに聞かされているのでかなり音質は悪いけれど.....間違いない、雪音だ。
『だから言っただろう、加工だと』
スマホのミュートボタンをタップしてから俺を諭してくる高戸。
「......」
俺は頭を回転させる。俺のスマートフォンから電話をかけているのならほぼ確実に雪音で間違いないだろう。ただ、そうなるとわからないことが出てくる。
なぜ俺をわざわざ強化するような写真を見せてきたんだ? しかも、闘いが終わればすぐにネタバラシ。普通に考えるなら、俺の『物の硬度を変える』という能力を知りたかったというところ。でも、俺の能力を知りたいだけならばあのまま狼男と闘わせていた方が良かったはず。......いや、そもそも傷ついた雪音の写真を見せて本来の能力を戻すなんていう方法が選択肢にある時点でおかしい。
そこから推察すると......
「高戸、お前変態か?」
『......なんだか変な勘違いをされているようだな』
呆れたようにため息を吐く高戸。まあさすがに冗談だ。
改めて真剣な推察をするなら、
「俺と、誰を戦わせたいんだ?」
『ふむ、そう考えるよな』
「間違ってるか?」
『いいや、大正解だ。倒してほしいのは『あれ、蔵介? おーい』
「『......』」
ちょっと真面目な雰囲気が、雪音の気の抜けた声で柔らかくなる。
はー、まったく雪音は......。
「こういうところもいいんだよな、雪音は」
『君は白川に甘すぎるんじゃないか?』
うんうんと頷きながら雪音の声を頭に染み込ませる。相変わらず可愛いな。
と、雪音の声に夢中になっている場合じゃない。話をもとに戻さないとな。
「惚れた弱みってやつかもな。とりあえず、雪音は関わらないようにしてくれや」
『それは君から言うんだな』
言いながら、高戸がミュートボタンを再び押す。これでこちらの声は通るというわけだ。
『もしもーし?』
「あー、雪音?」
『あ、良かった。ちゃんと繋がってたね。えへへ』
「ぐぉ......!」
可愛すぎるだろ! 思わず頭を抑えてしまうほどだ。
雪音を巻き込むわけにはいかない。この笑顔のままでいてほしい。そう思うのは決して当然の思考のはずだ。
「雪音、俺は大丈夫。すぐに大学に戻るから、雪音も大学にいてくれれば「失礼」
モニターに向かって懸命にしゃべっていると、部屋に誰かが入ってくる。
『!!』
モニターから息を呑む気配がした、気がする。戦闘状態の俺がこんなに周囲の情報に意識が向いてないのは珍しい、どころか初めてかもしれない。それぐらい、突然現れた人間に意識が向いているのだ。
「......あーっと、どちら様、だ?」
つま先から頭のてっぺんまで、ゆっくりと視線を動かす。
黒を基調としたスーツを着ていても、いや着ているからこそわかる体格の良さ。180cmは超えているだろう身長。オールバックにした黒髪は皺の寄っている眉根と鋭い目つきを隠さない。ただ、そんな怒りを相手に与えるようなパーツでありながらも、受け取る印象は不機嫌というものではない。
「本当に、ここにいるとはな」
コツ、コツと革靴が音を立てながら近づいてくる男。その表情は無、綺麗な無表情だ。
「お前、名前は?」
自分でも驚くほどに落ち着いた声。低いというわけではない。自然に出た声なのだ。普段の生活で、ちょっと気が合う人に出会って名前を聞くような。
「七瀬一進」
俺の聞き方に合わせるように、男が答える。こちらも俺を威圧する気など一ミリもないような声色。なんというか、これがこの男の自然な話し方なんだと思わされる。
七瀬一進。その名前を聞いても、俺の体はピクリとも反応しない。ただ、聞いている側はそうではなかったようだ。
『七瀬、一進......って、まさか』
モニター越しに息を呑む雪音の声。それがなぜか遠い現実に感じる。いや、なぜかじゃねえな。俺がそれくらい目の前の男に集中しているからだ。
そして、七瀬が俺の目の前に立つ。俺の身長は172cm、低いと思ったことはないが、今ばかりは自分が小さくなったような錯覚が起きてしまう。
お互いに、見つめあう。睨みあっているわけではない、見つめあっている。
凪のようだった頭の中がざわつき始める。なんだ、この感覚。
「「......」」
沈黙。ほんの数秒の。それを破ったのは俺でも七瀬でもない。モニター越しの雪音の声だ。
『ーーー逃げて、蔵介!!』
瞬間、体が勝手に動いた。握っているバットが気づけば振りあがり、勝手に振り下ろされていた。
ゴ、と鈍い音が部屋に響く。それを認識するよりも先に、体が動く。
「正直、危なかったんじゃない? 一進」
「そうだな。あいつも肝を冷やしたかもな」
七瀬はその場から動いていない。ただ、突然小柄な男が目の前に現れて俺の攻撃を受け止めたのだ。そして、受け止められたバットは粉々に砕け散った。能力で硬化していたのにも関わらず、だ。
俺は素早くその場から後退する。そんな俺の背中に何かが当たる。おいおい、壁はまだ遠いはずだぜ?
振り返らずに、ぶつかった何かに向かって後ろ蹴りを放つ。
「う”......っと、とんでもねえなあ」
やはり誰かがいたようだ。ただ、攻撃を喰らったかどうかを判断する前に、視界の中で誰もいない方向に向かって移動する。
そして、壁を背にして部屋の中の状況を確認する。
「......おいおい、1人で4人相手にしなくちゃいけねえってか」
冷汗が全身から溢れる。モニターとベッドのフレームしかない部屋がいつの間にやら豪華になったもんだ。
1人目は俺の攻撃を受け止めた小柄な男。茶髪のショートカットだが、前髪が目元まで隠れている。ただ、それが自然な表情なのか常に微笑んでいる。
2人目は俺がぶつかった男のようだ。攻撃を喰らった場所であろう腹を押さえながらも不敵に笑っている大柄な男。スキンヘッドと七瀬に負けない身長と筋肉質な体が特徴だ。
3人目は、さっきまでいなかった女だ。高い身長の女。地面に対して垂直に立ち微動だにしない。肩甲骨程度の長さの銀髪に、ぎりぎり目が隠れない程度の前髪。俺を睨むその眼光はどこまでも鋭い。
4人目は当然、七瀬だ。当然、七瀬の仲間だろう。仲間に守られながらも表情を一切崩さない。なんていうか、余裕とかを表情に出さないやつだ。やりにくいことこの上ない。
「それで、俺のことをリンチにでもする気か?」
「あはは、リンチだって。できるかなあ?」
「まあ一筋縄じゃ行かねえだろうなあ。一進、どうすんだ?」
「......」
俺の問いに対して三者三様のリアクション。どうやらリーダーである七瀬がこの場の支配者のようだ。三人とも七瀬の方に振り返りはせず、俺を睨みつけ続ける。
「モテる男はつらいぜ」
「あ」
「おいおい、その発言はーーー」
ヒュン、と俺の顔の真横に何かが突き立てられる。ちらりと横目で確認すると、針だ。銀色の人差し指程度の長さの針が壁に突き刺さったのだ。
「......次はない。お前に惚れることは決してない」
「いや、上木も冗談で言ったんでしょ」
「冗談を言うような男が悪い」
「いや、一進もたまに冗談を言うぜ?」
「一進ならなんでも許す。そういうもの」
「「......」」
女の勝手な行動に呆れた様子でため息を吐く七瀬以外の男2人。まったく、教育が行き届いてねえな。
「それで、改めてどうすんだよ。七瀬リーダー?」
挑発するように七瀬に聞いてみる。そんな俺の態度に眉を顰める三人。
「......ねえ、流石におかしくない?」
「ああ、ちょっと余裕がありすぎる気もするな」
「殺すのは容易いはず。一進様、ここは」
「......そうだな」
満を持して、七瀬が口を開く。その場にいる全員がその声に耳を集中させる。
「それでは、撤退だ」
「......は?」
俺は間抜けな声を挙げる。ここまで存在をアピールして、逃げるのか?
「元々そいつは俺の目的に関係ない。ちょっと顔を見に来ただけだ」
そう言って踵を返す七瀬。ほかのメンバーも文句を言うかと思いきや。
「はいはーい」
「おう、さっさと行こうぜ」
「......」
顰めていた眉を戻して、特に何も言わずに七瀬についていく。思わず拍子抜けしてしまう。
ただ、呼び止めたとして、ましてや追いかけたとして何かできるわけではない。黙って4人が部屋を出ていくのを見守る。
「ーーーやはり、あれは別か」
去り際に七瀬が残した言葉は、この状況と同じくなんのことやら分からなかった。
真打登場か