104話
「うわああああ!」
「ニガサナイ!」
後ろから聞こえてくる足音。僕は入り組んだ地形を利用して振り払おうと全力で足を動かす。
ただ、距離は離れる気配が一切ない。足音を消すことも、荒れた呼吸を落ち着けることもできない。相手に音という情報を与え続けているからだろう、敵は一切躊躇なく襲ってくる。
「これじゃあ流石に......!」
戦闘用の人格になろうが関係ないよね、と頭の中で言葉を続ける。とにかく、どうにかしてやり過ごさないと!
曲がり角を利用して、相手の視界が切れた瞬間、適当な部屋の扉を思いっきり蹴飛ばして開ける。そのままその部屋には入らず、さらに曲がり角を利用して走り抜ける。
そして、次の曲がり角で見つけた部屋はできる限り音を立てないように開く。この辺りからは慎重に、できる限り足音を消す。
さらに次の曲がり角で同じように扉を開いて起き、その次の部屋はわざと扉を閉じておく。
これで部屋を探すという時間がかかるはずだ。僕は作戦がうまくいっていることを祈りながら、足音を立てないようにゆっくりと歩き回る。もちろん、呼吸を整えるのも細心の注意を払って行う。
「すぅ......ふぅ......すぅ......ふぅ......」
口を細めて、鼻から息を吐きだす。うう、肺が痛いし、汗まみれで気持ちが悪い。
一方で頭を回すのは、先ほどの狼男について。うーん、どうやってやり過ごそうか。
つい先刻まで考えていたことが頭に浮かぶ。というのは、自覚するほどの弱点がある相手が僕を狙っているという考え。僕が相手の能力を利用することが出来る相手しかやってこないというものだ。
ただ、今回の相手は一筋縄ではいかなさそうだ。『狼男になる』能力であることはほぼ間違いない。ということは、自分の運動能力や爪、牙といった部分が異常に発達した存在になったということ。つまり、利用できる部分がないのだ。
利用されるのが怖いところを無理やり上げれば...........ダメだ、毛を引っ張られたら痛いくらいしか思いつかない。
「我ながらなんていうか......」
自分の想像力のなさに呆れていても仕方がない。なんとか狼男をやり過ごさないと。
『......あー......あー、あー』
「......ん?」
狼男の対処について考えながら歩いていると、何かが聞こえてくる。
ピタリと立ち止まって、その場で耳を澄ませる。どこから聞こえたのだろうか。
『上木君、上木くーん』
「げ、この明らかにマイク越しな声は......」
どこか近くの部屋で僕を呼んでいるようだ。この声で狼男が戻ってきてしまうかもしれないし、罠の可能性もあるから近づきたくない。というか、普通近づかないよね。
よし。
「無視しよう」
『あと10秒以内にモニターの前に来なかったら、狼男に位置をばらすぞ』
「やっぱり無視は良くない!」
ああくそ、大人って卑怯だなあ! どこかから聞こえてくる「いーち、にーい」と数を数える声を頼りに部屋を探し回る。......お、どうやらこの部屋っぽい。
ガチャリと扉を開いて中に入る。相変わらず簡素な部屋だけれど、部屋の中央に少し小さめのモニターが鎮座していた。そしてその中には当然、初老の男性が座っていた。
『おお、来た来た』
「来た来たじゃないよ。まったく、そっちの能力者たちに戦闘訓練をさせているんじゃないの?」
『それが、このままの君だとちょっと訓練になりそうにないからな。ちょいと本当の自分を取り戻してもらおうかと』
言いながら、画面の向こうで何やらごそごそと体を動かす高戸。『えーと、どこだったか......』呟きながら何かを探している様子。とりあえず、何もしないで待っているのも嫌だし、適当に声でもかけようか。
「あのさ、『本当の自分』て戦闘用の人格のこと? あれなら危険な時に勝手に出てくるけど」
『いいや、そうじゃない。人格とかそういう次元じゃなくてね......あれ、ここに置いておいたはずなんだけれど』
「そういう次元じゃないって......能力のこと?」
『まあそうだな。......あ、思い出した。おーい、緑!』
「僕の能力は『二重人格』。人は一つしか能力を持てない、知っているでしょ?」
『知ってるとも、知ってるとも。......あ、来た来た。いやあ、助かった』
「もう、落ち着かないなあ」
画面の中では、誰かがやってきて、高戸に何かを手渡していた。あれが探し物か、紙切れっぽいけれど......
そうしてスクリーンの映像に注目していると、乱暴に扉が開けられる。
「ミツケタ、ゾ」
「げえ、狼男!」
どうしよ、どうしよう。まだ何の対策も浮かんでいない! なんとか振り切って逃げきらないと。
ーーー意識を切り替える。感覚を鋭敏に、目の前の巨体はもちろん、周りの環境すべてに集中。何か一つでも自分が優位になる情報を探す。
『あー、『水内』、時間切れだ』
「? タカトサン、ナニヲ」
『上木、ほら』
モニターから聞こえてくる声。狼男への警戒、視線をそらさせるという罠の可能性への警戒、大切な情報を握ったまま、モニターを一瞥する。
「ーーーーーあ」
そして、それらの情報がすべて吹き飛ぶ。モニターの中の写真。その中では、
「ゆき、ね」
真っ赤に染まった雪音が、倒れていた。
「ヤヤコシイ、ヒトマズキサマカラ!」
迫ってくる大きな気配。それに対して恐怖の感情など微塵もわかない。俺は大きく足を上げて、地面を思いっきり踏みつける。すると、地面がシーソーのように少しだけ浮く。
「ハ?」
辺りに飛び散るコンクリートの破片。浮かんだ地面は狼男の脛にぶつかり、態勢を崩させることに成功した。
そして、飛び散ったコンクリートの破片のうち一際大きいものを手に掴み、軽く小突く。それだけで、手のひらと同じくらいの刃渡りを持ったナイフが出来上がる。
『水内、お前はチャンスを逃しすぎた。ちゃんと学ぶこと』
モニターからの声を聴きながら、狼男に攻撃を仕掛ける俺。ようやく立ち上がってきた狼男の背中にナイフを突き立てる。
「! 結構かてえな......」
突き立てられたナイフは狼男を戦闘不能にするには少し力不足だったようだ。背中への攻撃、というか上半身への攻撃があんまり有効じゃないみてえだ。
「面倒くせえな」
「ヤラレッパナシジャナイゾ!」
振りむく勢いをそのままに、筋肉質な男よりも二回り以上太い腕を振りかぶり、鋭い爪が俺を襲ってくる。俺は一歩前に出て、重心となっている脚部にナイフを突き立てる。
「ッツ!」
太ももから血を流す狼男。俺が後方に避けることを前提に動いたのだろう、すでに地面を離れていたもう片方の足が、その場に下ろされる。
『先に言っておいただろう。あいつが来るまでに上木を倒せなかったら、君の負けだと』
俺は素早く屈み、地面に手を突っ込む。そして、コンクリート製のバットを作り出す。
『勝つためにはどんな手段を使っても、振り切られる前に捕えなくてはいけなかった。壁を殴って破片を手に入れて投げつける。上半身の力は相当なものだろうから、四足歩行で走るとか。発想力が足りないぞ、水内』
棒を思いっきり振りかぶる。狙うのは当然、脚に刺さったナイフを抜くために屈んだ狼男の頭。
『ーーーまあ、これを糧にすることだ』
「ちょっと寝てろや」
一切の躊躇なく、こちらの攻撃に気づいて驚いている狼男の顔に棒をめり込ませた。
なぜか、能力を戻してもらえた