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 小鳥が囀る、土曜の昼下がり。

 頭蓋の中で眠りこける意識を耳越しに連れ出す小気味よい鳴き声に、俺はまんまとしてやられた。目蓋を眼輪筋で持ち上げ、重たい体をよっこらせと起こす。手元の目覚まし時計を寝ぼけ眼に映せど、驚かない、驚けない。なぜならこんな生活リズムに、とうに心身が慣れてしまったからだ。恥ずかしいことでは、あるが。

 一瞥で済ませた『PM 2:21』の字を背に、温もりがくどくど主張する寝床を押し下げ、地に足を付ける。そうして向かった先の台所で湯を沸かし、インスタントのコーヒーを淹れる。


「あっつ」


 なんて、誤ってカップの横腹に触れて、言ってしまってみたり。

 俺はたった数秒前のそんな経験もなかったことのようにし、その濃褐色の熱い液体を啜った。芳しい香りにせっつかれたのだ、仕方がないだろう。

 よれたパジャマに吹き付けるのは、爽やかな春風。季節の風情を感じながらだと、近場のスーパーのうん百円のコーヒーでも、バリスタが淹れたものに引けを取らないんじゃないかという錯覚に陥るぐらいには美味に思う。人の脳みそってのは不思議なもんだ。ああ、本当に。


「……不思議、だな」


 独白が、思わず漏れた。

 春――リセットの季節。

 別れて、出会って。終わって、始まって。

 この季節を迎える度、一年ごとに蓄積する自分の積み重ねが全部無くなっていくようで。風化だとか忘却だとか、そういうマイナスな話じゃあないんだが。寧ろ生まれ変わりに近いんだろうか。

 築六年。6LDK一戸建て住み。

 こんな激しい環境の変化も、生まれ変わりの一環と考えれば、自然なのだろうか。

 多分、そうなんだろう。

 ただそうやって理解しても、やっぱり、結局、俺がいるこの家は、まるで自分の居場所じゃないみたいで、なんだかむず痒


「ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ」


 いなぁとか考えていたら、眼前でコーヒーが悲惨に飛散する。


「うわっぢいいいいいいぃぃいいいいいい!!?」


 顔面でたちまち立ち込める熱。声帯が反射的に発声した。なんだ。どうした。何が起こった。

 答えはCMの後。


「じゃなくてェ……!! テメェか裏崎ィィ!!」

「へっ、きたねえ花火だ」


 ひとしきりむせ返ってから振り向けば、一六〇センチにも満たない背丈の男、いいや、オスの小人――裏崎(うらさき) 紫音(しおん)が、パワーインフレに定評があるどこぞの少年漫画のライバルキャラの真似事をして突っ立っていた。

 後頭部の蚊に刺されたような痛みを考えるに、大方こいつがコーヒーを嗜んでいる最中の俺の頭を引っ叩いたんだろう。そうだろう。そうに違いない。というかそういう顔をしている。日頃から挙動がおかしかったのでいつかはやると思ってたんですよ。


「いきなり何しやがる!」

「そりゃこっちの台詞だ馬鹿野郎! 居候の分際で昼起きキメて、挙句我が物顔で台所使ってなーーーーにが『まるで自分の居場所じゃないみたい』だ! 次はおめーが花火になるか!? お!? お!!?」


 えっ、独白聞かれてんの!?


「丸聞こえだわ! 小鳥が囀るとこからむず痒くなるとこまで一言一句余さず洩れなくずっと聞こえとるわ!」

「いやお前……、何さらっと心を読む能力手に入れてんだよ……これそういう作品じゃねえから」

「なんでちょっと不機嫌なんだよ!」


 へな、と回り込んだ先で非力に着席しながら「不機嫌になりてえのは俺の方だよ、ったく」とは、裏崎の言動。

 まあ、こうなって言われてみれば、この仕打ちを受けるにあたって思い当たる節が無いこともない。しかして同時に、俺の主張だってないこともない訳で。


「まぁ待ってくれ、こっちも入居者まったくいなくて困ってんだよ。薔薇色不労所得生活が脅かされてる真っ最中なんだ、あとちょっとの間だけ勘弁してくれ」

「ちょっとはオブラートに包めオブラートに」


 ただまあ、いつまでもこうしてる訳にもいかない。それはよくわかる。要領が悪くチビで子供舌でチビで辛抱の「し」の字も知らなくてチビで浅はかでチビで幼稚な二七歳@チビでも、ようやく掴み取った自分の生活は尊重されるべきだと思うし、俺が邪魔していいものではないと、そう考える。


「ちょいちょいディスってんじゃねえ」


 ごめん。

 独白が届いたか、渋そうに眉をひそめ、その体躯にあまりに不釣り合いな卓上にのびる裏崎。どうも本当に聞こえているらしい。


「俺だって、元住人の(よしみ)で、なんとか出来るならしてやりてぇけどさー……それこそこっちにも生活があるしな」

「知り合いに困ってる奴とかいないのか? 具体的には都内の駅からほどよく近い場所に住みたいけど、貧乏な生まれのせいで親からの仕送りが満足にされなく、且つその他資金援助も受けられず、普段の服もユニ〇ロとかし〇むらといった着てわかるやっすいやつで統一してるような見すぼらしい貧民学生。そこから援交に手を出しかけている女の子なら尚可」

「だからオブラートに包めって」

「今なら家賃安くしとくぜ、五〇円ぐらい」

「スーパーの割引かよ」


 口周りを侵食するコーヒーを漸く拭き取った。テーブルに頬杖をつき、大きなため息。俺のものだ。


「三月だぜ? 新年度スタート直前に全部屋空室ってなんだ? 初めて聞くぞ俺は」

「築三〇年以上の古いとこだし、ましてシェアハウスってんなら難しいんじゃねえのか。今どきの若者は引きこもりなヤツが多いって聞くしな」

「そいつらのために、自分ちの電気ガス水道を止められてるってのが、この仕事の難儀なとこか……」

「あと、考えられる理由があるとすりゃあ、大家そのものとかな」

「ああん?」


 俺は寝そべったままでも、裏崎の剥き出しの歯を見逃さなかった。何か毒づく時特有の、底意地の悪い笑みだ。


「二メートルにもなる図体の野郎と一つ同じ屋根の下で暮らしてえと思うか? 俺なら思わねえなぁ……怖くてやってられ」

「裏崎お前もコーヒー飲めよ」

「いってえええええええええええええ!??」


 こういう時は己の精神衛生面を優先し、何でもいいので手元にある物をとにかく投げつけるのが有効だと、義務教育で習った。それがたとえ固いコーヒーカップでも大丈夫。そう、裏崎ならね。

 次の瞬間、奴は間髪容れずに俺に飛び掛かってきた。間に立派なダイニングテーブルがあろうと、椅子があろうと関係ない。もっと言うとそこに何が乗っていようと関係ない。きいきいと喚きながら本能のままに襲い来るその姿、まさに小動物。


「てめえやっぱ出てけ! 今日こそ出てけ!」

「元はと言えばテメーが最初に暴力的な手段に訴えかけてきたんじゃねえかこのちんちくりんが!」

「居候先でする生活じゃねえんだよッ! 恩知らずにも程があんだろうが! 恥じろ! 切実に恥じろ!」

「うるせーな感謝してますぅー! ありがとうって思ってますぅー! 生活戻ったらちゃんと五〇円おまけしてお返しするつもりですぅーー!!」

「五〇円どんだけ好きなんだよ!!」


 ドタン、バスン。

 激しく沸き立つ埃。踊り狂う煙。耳を劈く騒音。犬も食わない喧嘩。猫も見ない激しい取っ組み合い。

 今は俺達以外に人はいないので、気にしたものでもないが。だからこそ、なればこそ、この怒りは我慢すべきでない。神はそう言っている。


「大体てめえはデカくて維持費がかかるんだよコスパ最悪男ッ! 食いすぎだし飲みすぎなんだよ!」

「一周回って何でも大きい方が持て囃される時代だろうが! 新型のiPh〇neだって一周回って大きいだろうが! 一周回って!」

「ざけてんじゃねえ四の字固めくらえオラァ!!」

「足短すぎて固まってねえんだよボケ!!」

「ちょ、痛っ……痛い痛い痛い! 暴力反対! 痛ァい!!」


 一人と一匹がガタガタと騒々しく大暴れしている中を通り抜ける、チープなメロディ。

 まるで携帯電話の備え付けの着信音のような、ピロリロリン、というありきたりな――。


「――――俺の携帯だ!」


 本当に携帯電話の着信音だったと気付くのは、そう遅い話でもなくて。

 俺は裏崎にかけていた締め技(チョークスリーパー)を解き、ばたばたと居間へ駆ける。そして誰からも連絡はないであろうとたかをくくり、ソファの上で雑に放っていた携帯電話を手に取り、画面で相手を確認するのも忘れたまま、


「もしもし」


 応答した。


『もしもし、毎度お世話になっております、イイタク不動産の山中です』

「あ、どう、も……お久しぶりです?」

(みささぎ) 真白(ましろ)さんの携帯電話でよろしかったですか?』

「は、はい」


 あの電話を、何故ああも急いで取ったかはわからない。

 けど、今でも覚えてることが、一つある。


『実は、大家立ち会いのもとで、なろう荘の下見希望をされてらっしゃる方がいるのですが……今から大丈夫でしょうか?』

「えっ、あ……今、行きます! 待ち合わせはどっちですか?」


 この時の、異様な胸の高鳴りを。


「あぁー、はいはい! ――駅の、西口ですね。わかりました! ちょっとだけ準備に時間もらいますけどいいですか?」


 新たな始まりの予感に、背中を押されたことを。


「はい、今パジャマでして……ええ、ええ……」


 よく、覚えている。

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