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六 終の世界

 裸のわたしは、何人もの裸の男女を従えていた。裸の男を椅子にして、本能のままに身体を交じり合う者たちを見下ろしていた。

 わたしもまた、本能の赴くままに身体を交じり合った。男同士でする姿を眺め楽しんだりもした。男とも女ともした。快楽に埋もれていた。何も、考えることなど必要なかった。

 しかしわたしはもう、こんなものでごまかされはしない。頭にこびり付けられた幼い弟の生意気で懐かしい顔が、この世界を嘲笑っている。相変わらず性格のねじ曲がったやつだ。懐かしくって、くすりと笑う。

「居るのでしょう?」

 わたしは彼に聞いた。彼は、この世界で一言も発していなかった。

「何故、駄目なのですか」

 彼は答えた。悲しそうな顔をしていた。どこか懐かしかった。

「貴方は参加しないの? この宴に」

「わたしは、何も望みません。あなたの幸せ、それ以外は」

「ふうん」

 裸のわたしは、彼の首に腕を絡みつけ、たいして大きくもない胸を押し付けた。

「貴方、わたしを抱きなさい。わたし貴方のこと、気に入っちゃったみたい」

「……」彼は答えない。

「貴方は、わたしを抱けないの?」

 彼はそれに答えず代わりに、

「あなたは、何を望むのです。あなたはいったい、どうすれば救われるのです」

 と聞いた。

「わたしの望むもの……。わたしの望むものを見せたいというのならば……」わたしは唇をぐっと彼に寄せた。「救いなど要らない。貴方の心を見せなさい」



 病室。

 ベッドはひとつ。贅沢な個室。

 アルコールのにおいと、多種の計器と、ピッピと規則的な電子音。横たわる少女。その手を握り締める男。

 少女は勿論わたし。

 そして男は、「彼」であり、また……

「お父さん……」

 彼の姿形は変わっていた。いや、「元に戻った」と言うべきだろう。横たわるわたしの手をしっかりと握る、この、冴えない中年男性と同じ姿。この姿こそが、わたしをずっと支えてくれたお父さんの姿だ。

 弟を亡くしたときも、お母さんを亡くしたときも、変わらず側に居続けてくれたお父さんだ。

 横たわるわたしを挟んで、わたしとお父さんは対面する。

 いや、対面はできていない。お父さんの視線とわたしの視線は交じり合っていない。

 ようやく突き止めた真実は……拍子抜けするほどありきたりで、呆れるくらい陳腐なものだった。

「……こんな現実に、いったい何の意味がある」

 吐き捨てるようなお父さんの呟きは、かわいそうなくらい悲しみと諦めに満ちていた。

 わたしは笑った。

「生きる意味、か。それっぽいことならいくらでも言えるけど、そんなのを望んでいるわけじゃないでしょ?」

 わたしはお父さんにゆっくりと歩み寄る。

「わたしが、大人になる前にこの世からいなくなるだなんてね。割と健康には自信あったんだけどなあ。一応、隆明の分まで生きようとは思っていたし。

 ……それでも、幸せだったから。

 お父さんがどれだけ一生懸命だったかって、分かってるから、運命を受け止めなきゃって……わたしなりの覚悟はあるつもりだよ」

 わたしはじっとお父さんを見つめた。お父さんは、わたしを見ようとはしない。苦しそうに、横たわるわたしに視線を落としている。

「ねえ、憶えてる? 初めての家族旅行。皆で並んで見上げた夜空は、びっくりするくらい星がきれいだった。わたしのテニスの試合では、来るなって言っておいたのに、隠れて見てたよね。隆明と、一度ものすごい喧嘩したよね。本音ぶつけ合った。あれが切っ掛けで、ちょっとは仲良くなれたよ。あれがなかったら、死んでも大したショックは受けなかったかもなぁ。

 ……ねえ、お父さん。わたしたちと一緒にいられて、楽しかったでしょう? 幸せだったでしょう?」

 今、本当に救われるべきはだれか。わたしではない。

 そうでしょう、隆明。お父さんの後ろに立つ隆明が、こくりと頷く。

 あの大喧嘩は、今のためにあったかもしれない……なんてね。

 わたしは、自信を持ってお父さんの前に立って、笑った。

 ちゃんと見てよ。きっとわたしがお父さんに見せられる、最後の笑顔だよ。

「わたしはもう、どっちだっていい。この先少しでも苦しんで生き延びようと、あっさり死んでしまおうと……。ねえ、お父さん、きっとこのままじゃ駄目なの。これじゃお父さんが救われない。わたしなら、大丈夫。この命がどう転ぼうと、どうだっていい。でもね、それは、けっして後ろ向きな諦めじゃない。わたしは前を向いている。わたしは運命を受け容れる覚悟がある。お父さん、貴方はどうなの?」

「わたしは……わたしの救いなど要らない! わたしはお前を失う覚悟なんてない! 何もかもなくなって、わたしにはお前しか……わたしは、わたしは、誰よりもお前が……!」

「お父さん」わたしは何度だって笑って見せた。「無くなってなんかないよ。今のお父さんには、分かっているはずだよ。前を向いて。……わたしは十分愛された。お父さんとお母さんに。それだけで良かったんだよ。充分救われた。だから、お願い、お父さん、今度は貴方が立ち向かって。この変えられない運命を、この、どうしようもない運命を……」

 終わらせよう、この優しい夢の世界を。始めよう、苦しい苦しい救いようもない現実を。

 わたしはお父さんをぎゅっと抱きしめた。

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