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三 なんとかの神隠し的なアレ

 ねえ、少しお話ししない? わたしは彼に聞いた。

 ええ、構いません。彼は答えた。

 貴方、わたしの名前は知っている? と、わたしは聞いた。本当はわたしのことを、何もかも知っているのでは? と、思ったから。

 それは、必要なことなのでしょうか。彼は聞き返した。

 だって名前は、わたしをわたしたらしめる、一番単純で分かりやすい記号だもの。わたしは答える。

 彼はしばし沈黙する。考える素振りを見せる。延々と続く夕焼けの光を浴びて、彼は勿体ぶったように口を開く。

 あなたをあなたたらしめる……ですか。その通りです。しかしその、あなたをあなたたらしめる何かによって、あなたの旅路がひどく苦しいものになるかもしれません。

 それならば、はじめから総て置き去りにしてしまって、新しい、あなたをあなたたらしめる何かを作ってしまった方がよほど良い。

 名前だって、あなた自身で作ってしまうこともできるのですよ。なのに、そのチャンスを自ら潰してしまうのは勿体ないでしょう。

 さ、歩きましょう。前へ進みましょう。光指す方へ、前進すべきなのです。

 彼は、新興宗教へ勧誘するように話した。

 貴方、わたしをどうしたいの? と、わたしは聞いた。

 わたしは……わたしは、ただの案内人です。あなたをどうかしようとか、そんな大それた企みは持ち合わせておりません。と、彼が答えた。

 結局何もかも分からなかったが、とりあえず信じてみよう。ごまかされている気がするが、彼からは、いやな感じがしない。

 光指す方へ進め……か。でもこの列車はずっと夕焼けの方向へは向かわず、まるで時を進めるのを避けているような気がするのだけど。

 列車が止まった。

 降りますか? 彼が聞く。

 ええ。わたしが答える。



 わたしは旅籠で働いていた。旅籠なんて言うくらいだから、時代設定は江戸かそこらだ。忙しなく動き回り、客の世話をする。

 しかしその客とやらが変わっている。ぶらりとやってきた一つ目入道だったり、大天狗の団体さんだったり、真っ白な狐とその付き添いだったり、烏蛇の大群が部屋中に寝泊まりしていたり。要するに相手は妖怪だ。ここは妖怪の街だ。

 どうです、刺激的な出来事が望めそうでしょう。狐のお面を被った彼が言う。いいな、案外似合っている。

 何もやることがないよりは、確かに忙しい方が良い。わたしはあちこち走り回る。

 犬神がぎゃあぎゃあと喚き立てる。

 いかがなさいました。わたしは聞く。

 これはどういうことだ! と味噌汁を爪で指差し怒鳴る。

 どういうことか……とはどういうことでしょう? 分からなかったのでもう一度聞く。

 分からぬのか! まったく、どういう教育をしているのやら! 味噌汁の中に玉葱が入っていた! こやつめ、我を殺す気か!

 多分、他の仲居が配膳を間違えたのだろう。わたしは悪くないが、とにもかくにも申し訳ありませんと謝る。

 しかし犬神でさえも玉葱で死んでしまうのだろうか。今度チョコレートでも食わせてやろうか。……わたしって、もしかしてあんまり性格良くない?

 くどくどくどくどと垂れ流される犬神の説教に終始頭を下げ続けた。

 昔からこの旅籠で働き続けている経験上、とにもかくにも頭が冷めるまで謝り続けるのが一番の近道であることは承知している。

 ……ああ、そういう設定なのね。と、わたしは呟く。

 もっと、夢中になってのめり込んでも良いのですよ。何もかも忘れるくらいに。と、彼が答える。

 何もかも忘れているのだけど。わたしは答える。

 犬神はようやく頭が冷えたらしく、わたしは最後に深々と頭を下げ部屋を後にする。

 次は二匹(元は動物であった妖怪相手にも、神様同様「柱」を使えと教えられてきたが、頭の中までは覗けまい)の猫又がやってきた。

 奥の間に通し、お茶を汲む。猫又は黙ってお茶を飲むと、怪訝な顔をした。

 また、何かやってしまったのだろうか。恐る恐る、いかがしました、と聞く。

 随分温いお茶を出す所だのう。

 すみません、猫舌かと思いまして! 温めにしておきました! と、わたしは深々と頭を下げる。同時にしまったと思う。また、余計なことを言ってしまったのではないか。

 すると、何故だか二匹の猫又は、腹を抱えて笑い出した。

 猫舌! この我らが猫舌だと! まったく、急におかしなことを申す娘じゃ!

 何がそんなにおかしいのか、ずっと笑い転げていたので、とりあえずその部屋を後にした。

 まったく、何が切っ掛けで怒り出すか、何が原因で笑い出すか、分かったもんじゃない。だから、いちいち気にしていたら仕事にならりゃしないよ。というのが、捨て子のわたしを拾ってくれた女将さんの教えだ。

 なるほど、そういう設定ね。わたしは呟く。

 もっと楽しんで下さいな。彼が言う。

 どかどかと音がする。がやがやと声もする。また何か面倒ゴトか? わたしは急ぎ声と音がする土間へと急ぐ。

 鬼だ。一つ目、二つ目、三つ目、青い目で筋肉隆々の鋼のような肌をした鬼が、土間で足を洗われていた。

 いやな予感がした。腰をかける床板がみしみしと悲鳴を上げている。どかどかと中へ行く。ばりばり。案の定、畳ごと部屋の床をぶち抜いた。

 鬼は申しわけなさそうに、ペコペコペコペコと頭を下げ何度も何度も謝る。わたしとしては、床をぶち抜くくらいよくあることなのだが、こちらが気の毒になるくらい縮こまってしまっている。鬼は、みんなこうではないにしても、気の小さいというか、頭が低いひとが多い(そして鬼はどうしてだか、人間扱いされることを好む)。

 そうこうしていると、隣の部屋からぎゃーっという叫び声が聞こえる。今度はなんだよ! わたしは走ってそちらへ行く。仲居長という立場上、いろいろ走り回らねばならない。

 また厄介な設定だなぁ。わたしは愚痴る。

 ほら、もっとこの世界の役割に集中して。彼が言う。

 わたしも声のした部屋へ辿り着く。絶句する。部屋中に、蜘蛛の巣が張り巡らされていた。

 ここには誰が泊まっていた? と、わたしは聞いた。

 えっと、裕福な土蜘蛛の方が……。と、のっぺらぼうの仲居が恐る恐る答える。

 わたしは溜息をつく。なんてこった、掃除に何時間かかるだろうか。特に、土蜘蛛の糸は強力で、下手すりゃ業者に特殊な溶剤を使って除去して貰わなければならなくなる。最近旅行ブームで、一刻も早く部屋を空けたいのが本心なのだが、うーむ、仕方ない。

 などとうなっていると……

 馬鹿野郎この野郎! なんだとこの糞アマが! と、がなり立てる声がする。

 もう、やめてくれないかな。と思いながら急いでそちらへ向かう。

 如何しましたか、と、わたしは対峙する山姥と天狗の間に入る。両方とも強力な妖怪だ。本気を出さずとも、一介の人間であるわたしなど容易に吹き飛ばされてしまうだろう。が、怯えてもいられない。特にわたしは仲居長としての責務がある。

 ああ、ちょっと聞いてくれよ。この天狗ったら、わたしに肩ぶつけといて謝りもしないんだよ。わたしも頭にきたもんだから、お里が知れるって言ったらば、顔を真っ赤にして怒り出してさ。山姥が言う。

 何を言う、わしはちゃんと謝ったはずだ! それにわしはお里が知れると言われて腹が立ったわけではない、わしら一族の誇りである顔の赤さを笑ったから、腹が立ったのじゃ! 天狗も声を荒立てる。

 鬼たちが、騒ぎを聞いて駆けつける。まあまあ、こんな夜分に騒ぎ立てるものじゃありません。と、たしなめる。親切はいいが、先程から床がミシミシ悲鳴を上げている。

 こうなると、わたしこそ腹が立ってきた。今日一日忙しい。昨日も一日忙しい。どうせ明日も忙しい。

 ああもう! 顔の赤さがなんだって言うんですか! 誰だって血が昇りゃ真っ赤になりますとも! そんなに自慢なんだったら、トナカイにでもなってサンタのところに就職してしまえば良いんですよ! わたしは叫んだ。

 キョトンとする、山姥と天狗と鬼。

 そして一斉に、堰を切ったように笑い出した。

 何と何と! こいつは傑作傑作! そうかそうか、顔が赤けりゃサンタの先導役にでもなればいい。トナカイは良いぞ、年に一度の仕事で年中ぐうたらできると聞く。がっはがっは、がっはっはっは。

 ああ、もう、やっていられない。休憩室へ行く。畳の上にどっかりと座ると、大変だったね、と後ろから声がした。びっくりして姿勢を正す。振り向くと、きりりと顔の整った男が居た。

 はい、どうぞ。と言って優しくお茶を差し出してくれた。

 あの、あ、ありがとう、ございます……。わたしはまごまごとお礼を言う。顔が熱い。ちゃんと顔を見ることができない。

 わたしは、どうやらこの人に恋をしているようだ。

 仕事は、大変ですか。男が聞く。

 はい、大変です。でも、楽しいです。毎日毎日、目が回るくらい忙しいんだけど、同じと言える日が一日としてなくて、充実しています。わたしが答える。

 そうですか。それは良かった。でも、無理はしないで下さいね。あなたの身体は、この世界にたったひとつなのですから。男が言う。

 なんて、嬉しい優しいことを言ってくれる人なんだろうか。顔から火が出るほど嬉しく恥ずかしい。

 あなたが居るから、がんばれるんです。そのひと言が口からこぼれ落ちそうになるのを、必死になって止める。でも、もし言ってしまったら、どんな反応をするだろうか。

 いや、駄目だ駄目だ。わたしはこの人との関係を壊したくない。

 でもでもでも、ずっとこのままなのはつらい……。

「おーい……ああ、居た居た。ちょっと、サボってないでこっち来てよ。大変なんだから」

 と、男の子がやって来た。

 背の低い、生意気そうな男の子だ。この男の子は……

 ん? この男の子は? あれ? 随分親しげだけど、いったい、この男の子は?

「! お前は? まさか……?」

 彼の、驚いたような声がした。ああ、そうだ。今の今まで、彼がいたことをすっかり忘れていた。随分と、この世界に没頭していたようだ。

「こっちこっち!」

 男の子がわたしの手を引く。

 どくん――。

 男の子が手を取ったその感覚に、心臓が強く脈打つ。いったい、何だ? この子は、誰だ?

「ねえ、あの、君は?」

「んー? なんだって、ぼくがそんなに気になる?」

「えっと、あの、ごめんなさい。あなたは、いったい誰なの?」

「ぼくが何者だか、そんなに必要かい? それはこの世界を生きてゆく中で必要なことなのかい?」

 この世界を生きる?

 ……あれ? 必要なこと?

「わたしは……わたしは……?」

「君が何者で、ぼくが何者で、そんなのこと、ここでは世界(アッチ)の方から与えてくれる。なのに不満があるのかい? 不足があるのかい? この世界が、まだまだ気に入らないのかい?」

「わたしは、わたしは……」

「あんたは、何を望んでいる?」

 男の子が立ち止まり、生意気な笑みを浮かべたまま、わたしの目をじっと見た。

 わたしの望み?

 わたしは、わたしが望むものは……

「〝救い〟?」

 セーラー服姿のわたしは、ガタガタ列車に揺られていた。

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