第23話 何度だって、この二人で
『勝者――刃堂ジンヤ選手ッッッ!!』
実況がそう告げた瞬間、大歓声に包まれる会場。
ジンヤは意識を失い倒れゆくアンナを抱きかかえる。両腕に収まる小さな体。無意識だろうか、彼女の手がジンヤを掴む。
昼寝をしている子供のような、そんな穏やかな表情のアンナを見て、ジンヤは小さく微笑んだ。
「…………あの!」
声を上げたのは、武装化を解いたエイナだった。
「わたくしは……その、ちゃんと、アンナ様の魂装者として相応しく在れたでしょうか……?」
不安そうに問いかけてくる彼女に対し、武装化を解いたライカは、
「相応しいかはアンナちゃんに聞いてもらうしかないと思うけど――少なくとも、私からすれば、エイナさんはすごかったよ。ちょっと嫉妬しちゃうくらい。たぶんだけど、あれだけやって相応しくないなんて思わないんじゃないかな?」
「そう、でしょうか……」
どこか不安そうなエイナ。
やがて医療スタッフが到着し、担架でアンナが運ばれていく。
ジンヤ達も踵を返し、リングから降りる。
控室へと続く通路には、壁に寄りかかった親友の姿が。
ハヤテはジンヤが戻ってきたのを目にすると、少し照れくさそうに目を反らした後に、こちらを見て黙って笑うと、拳を突き出してきた。
ジンヤもそのまま拳を突き出し、拳と拳をぶつけた後にパチンと小気味よく互いの手を打ち鳴らすハイタッチ。
「さっすが、オレを倒したことだけあるぜ親友」
「言ったよね、キミを倒した時に――優勝するってさ」
にっ、と二人して屈託ない笑みを交わす。
ジンヤは改めて、親友の存在に感謝する。
彼の激励が、彼の技が、彼の存在が、どうしようもない窮地を吹き飛ばしてくれる。
今回の戦い、自身と他の上位騎士では決定的に異なる《開幕》という力の恐ろしさを痛感させられた。
それでも、彼との誓いを思えば――負ける気がしないと、そう確信できる。
◇
――――また、負けた。
屍蝋アンナは目覚めた瞬間、そう思った。
敗北の刹那、ここまでやって勝てないのならしかたがないという満足感もあったが、それでも、悔しさが全て帳消しになるはずがないのだ。
「……アンナ様っ!」
ベッド脇にいたエイナが身を寄せてくる。
不安そうな表情。敗北の悔しさとは違うと、すぐにわかった。もっと暗く、悲しげなものだ。
「その……わたくしのせいで……」
その言葉を聞いて、アンナの中で芽生えていた疑念は、確信に変わった。
「――――ばか」
アンナは、エイナを抱き寄せる。
細い腕を彼女の背中へ回し、彼女の存在を包み込むように抱きしめる。
「アンナ様、何を……傷に響きます」
「いいよ。ちょっと痛いけど……でも、エイナのが痛いから」
「そんな、なにを……」
「エイナのばか」
「……た、確かにわたくしは愚かですが……しかし、なぜ今そのような……?」
「自分のせいで負けたと思ってるんでしょ?」
エイナが息を呑むのが伝わってくる。
「負けちゃったら、もう全部おわりだと思ってるんでしょ?」
抱きしめた腕に、彼女の震えが伝わってきた。
「だって……あんなに、頑張ったではないですか……それなのに、結局、また……」
「ばか。ばかばか、全然わかってない」
エイナの肩に顔を乗せて、彼女の美しい黒髪の中に顔を埋める。耳元で、何度も何度も「ばか」と囁く。怒りと愛しさを込めた言葉を、何度も。
「……いい、エイナ。アンナの恋は、特別なの。そこらへんの恋と一緒にしないで? 何回負けても、何回フラれても、そんなの関係ないの、それくらいで諦められるものじゃないの。一生だよ、一生アンナは、ジンヤに挑み続けるから。エイナは付き合ってくれないの?」
「…………いえ……いえ……っ! 叶うのなら、一生お付き合いさせていただきます……っ!」
強くなれば、振り向いてもらえる。
ジンヤを倒せば、彼の心を独占できる。
それは屍蝋アンナの狂った理屈であり、一つの事実であり――――そして、祈りであり、こうだと定めた在り方だった。
屍蝋アンナは、そういう在り方でしかいられない。
刃堂ジンヤを想うことをやめるなんてできない。
そのために構築された理屈ではあるが、それでも実際アンナがジンヤを追い詰める程、ジンヤの心はアンナで染まっていくだろう。
エイナは決めていた。
アンナに一生ついていく。
そして、その彼女が一生を賭してでも刃堂ジンヤに挑むというのだ。
ならば、こんなところで下らない悩みに足を取られている暇があるだろうか。
「強くなろう、エイナ……きっとジンヤはこれからもずっと強くなる。それでも、アンナ達だって、まだまだ強くなれるよ……アンナ達の戦いは、何一つ終わってなんていないよ」
「はい……はい……っ! 一生、お供させて頂きます……っ!」
抱きしめた彼女の震えは増して、紡ぐ言葉には嗚咽が混じっていった。
アンナも同じく、泣いていた。
二人で戦った。二人で、負けた。二人で、泣いた。
――――もう、あの頃とは違う。
アンナ一人で、狂愛へ盲目的に進んでいた頃とは違う。
魂を繋いだ彼女達の物語は、二人で紡がれていくのだから。
◇
ジンヤはアンナが運ばれた医務室の前まで来ていたが、扉をノックする直前で踵を返した。
しばらく進んだところで、一緒に歩いていたライカが口を開いた。
「よかったの?」
「……よかったさ。僕なんかがいなくても、二人は立ち直っていた。いや、落ち込んですらいなかったね。エイナさんは少し心配だったけど……でも、アンナちゃん……思ったより成長しているみたいだ」
「……だね。……強くなるね、あの二人」
「ああ、次は勝てるかどうか」
「……でも、勝つでしょ?」
「――勿論。そのためにも、僕らもまだまだ強くならないとね」
「――当然」
そう言って笑うライカが右の拳を突き出してくる。こつんとそこへ拳をぶつけ、二人は笑った。
握りしめた拳の中には、勝利の喜びが。
一緒に歩んできたパートナーと、それを分かち合う。
刃堂ジンヤは、主人公ではない。
騎士と魂装者で魂を繋ぎ、二人の物語を紡ぐ《開幕》は使えない。
――――それでも、この勝利はジンヤとライカの二人で勝ち取ったものだ。
◇
「ありえないッ! ありえないッ、なんですかこれは! なぜこのタイミング、こんなところで、彼女が《開幕》をッ!?」
とある研究所にて。
白衣の男が、激しくデスクを叩きながら叫び散らす。
「確かに屍蝋アンナならばいずれ《開幕》くらいできるでしょう! 彼女の過去や《係数》を考えればこんなのは当然! ですが今ではないでしょう! 早すぎる! それもあんな《係数》が低い者を相手に!?」
狂乱する白衣の男の後ろで、スーツ姿の男が長い脚を組んで、ストローでカップに入ったアイスコーヒーをすすりながら優雅にホロウィンドウを操作していた。
「というか、なんだこれは、悪い夢を見ているのか私は!? 刃堂ジンヤが勝っただと!? ありえない、ありえない、ありえないィイィイ……、ありえないだろ法則的にィ、ありえないだろそれは! なぜこんなやつが法則の例外になる!? 超える? こんな雑魚が!? こんな雑魚が法則を超える!? そんなアプローチは試みたことすらない! ふざけているのかッ!」
「……トレバー、少し落ち着いたらどうだ? そのまま破裂して死にそうな怒り具合だね。別に破裂してくれても構わんが、キミの肉片が僕のコーヒーにかかったら嫌だな」
「ビクター様! 申し訳ありません……ですが、ですがですがぁ、断じて、起きてはならぬことが、起きているのですよッ!?」
「そうかい? 悪性方向への係数、そして『物語に刃堂ジンヤへ敗北する可能性を組み込んでしまう』という可能性はキミが言っていたことだろう?」
ぴたり、とトレバーと呼ばれた白衣の男が静止した。
「ああ……ああ! ああ、ええ、そうです! そうでした! あまりにもあり得ない光景を見て動揺してしまいました……。つまり、刃堂ジンヤが《主人公》を倒すなど、やはりあり得ないことだったのですよ!」
トレバーは以前、刃堂ジンヤというイレギュラーについてこう考察していた。
彼が自身よりも《係数》が上の者に勝利してきたのは、全てそれが可能になる条件が整っていたから。
龍上ミヅキ、風狩ハヤテ、屍蝋アンナ、それぞれ特殊な条件が整って、やっと刃堂ジンヤが勝利したのだ。
通常の《主人公》を、そうでないものが倒すなどあり得る訳がない。
今回の件も、前回話した通りだ。
屍蝋アンナは、自身の物語に『刃堂ジンヤへ敗北する可能性』を組み込んでしまう。
それは《開幕》を使おうが、同じことだったのだろう。
むしろそういったデメリットも、《開幕》は強化してしまう傾向にある。
やはり、《主人公》でない者が、《主人公》を倒すなどありえないのだ。
「はは、ははははッ! やはり次だ! 黒宮トキヤ! 夜天セイバ! どっちでもいい、どっちだろうが正真正銘の《主人公》! お前は終わりだ刃堂ジンヤァ! ここで相応に負けろ! これ以上私の計算を乱すな雑魚モブがァッ! はは、はははっはははッ、あっはははははははッッッ!」
(ま、僕としてはどっちでもいいんだけどね)
オーバーに喜んでいるトレバーを、頬杖をつきながら眺めつつ欠伸を一つ。
(刃堂ジンヤが『法則を超える』なら、その分計画が早まるだけだ。僕にとって大事なのはどう超えるかじゃない、超えた後に始まる戦いが本番なんだからね。それに……)
ビクターは静かにホロウィンドウに表示された人物を見つめる。
ビクターにとって、今は『彼』の方が刃堂ジンヤよりよっぽど気になる。
「さて、彼の価値はどれ程かな。彼女を使いこなせているのかな?」
ビクターが見つめている人物、それは――――。
◇
「――これで納得してもらえたのでは?」
「ああ、お前が入れ込むのも理解できるな」
自慢気な笑みで語りかけるユウヒに対し、アグニもまた満足気な笑みで返した。
「《開幕》なしで《開幕》を潰す、か……面白い。だが、それがどうした? 大した曲芸だが、そう難しくもない。オレも同じことをやってやろうか?」
「貴方からそんな対抗心に満ちたセリフを引き出せただけで今は充分ですね」
「ハッ、口が減らんな」
アグニとしては、刃堂ジンヤが《主人公》を倒せるのかどうかなど、今はどうでもよかった。
仮に本当にそんなことができるのなら、アーダルベルトにとっては重要な存在になる。そうれなれば利用価値が高まるが、それは大会が終わった後の話。
刃堂ジンヤに勝てるかどうか、という点で言えば先程の試合を見たところで結論は変わらない。なんの問題もない相手だ。
《開幕》を超えることができる。ああ、だからそれで?
そんなものは大前提。そもそもとして、《開幕》には《開幕》をぶつけるのが基本だ。そして、隔絶した実力差があれば、アグニも《開幕》なしで《開幕》を潰すことがはできるだろう。
例えば屍蝋アンナのような、《開幕》を使い慣れてない相手など、容易に倒すことが可能なはずだ。
しかし、ユウヒが言う程の脅威を感じていなかった相手が予想よりもずっと出来ることがわかったのは素直に面白い。
「もう一度やってのけろ、その時は俺が手ずから潰してやろう」
刃堂ジンヤの次の相手もまた《主人公》。それを突破できるのなら、その時こそアグニ自ら相手をするのに相応しい。
◇
『えー、リング補修のため、予定より大きく時間が遅れてしまい申し訳ありません!
大変お待たせいたしました、いよいよ二回戦第二試合! 黒宮トキヤ選手対夜天セイバ選手となります!』
実況の声に呼応し、会場が大きく沸いた。
ジンヤ対アンナに続いて注目のカード、トキヤもセイバも、、前回のベスト4。事実上の、前回大会の三位決定戦となる対決。
トキヤとセイバ、二人がゆっくりとリング中央へ歩み寄っていく。
途中、トキヤが観客席の最前列にいたフユヒメに向かって拳を突き出す。彼女も同じく拳を突き出し、二人は静かに頷いた。
セイバもまた、同じく最前列から戦いを見守るルミアに向けて一度頷いてみせる。
「妬けるねー」
「はっ、お前が言うか?」
軽口を叩くトキヤに、冷たく返すセイバ。
互いに最愛のために。その部分は奇妙な程に一致しているだろう。
両者、幼馴染の強く在らねばならない点は同じだ。
トキヤはフユヒメのために。
セイバはルミアのために。
「んじゃ、始めるか」
「それを決めるのはお前じゃないだろ?」
刹那――『Listed the soul!!』の声が響いて。
「――さあ、始めようか」
そう言って、セイバは漆黒の刀を振り上げ、地を蹴飛ばした。
「チッ、こまけーやつだな」
トキヤもまた、一つの柄の両端から刃が伸びる両剣を構えて駆け出す。
二人の《主人公》が互いの刃を激突させ――二回戦第二試合、《主人公》同士の戦いが、静かに幕を開けた。




