第21話 〝花隠エイナ〟
――――ジンヤ、お前に伝えておかないといけないことがある。
試合当日。
会場に入ると、ジンヤは自身の師匠である叢雲オロチにある事実を告げられた。
「…………大丈夫、ジンくん?」
控室にて。
心配そうにライカが顔を覗き込んでくる。
「……ああ、平気だ。考えてたんだ、あれをどうすれば破れるか」
――『あれ』を使えるかどうかは、決定的な違いだ。
――はっきり言って……負けるかもな。
――それくらい、今のアンナは強い。
オロチが告げた事実は、ジンヤに衝撃をもたらした。
だが、すぐに切り替える。
衝撃の大きさに気を取られている暇はない。
オロチは、アンナの切り札についてこちらに教えにきたのだ。本来なら、それはあり得ないことだ。アンナもオロチに師事している以上、オロチがアンナの手の内を知っているのはいい。が、師匠が弟子の手の内をぺらぺらと語るはずがない。
勿論、オロチはそんな馬鹿な真似はしない。
これは、アンナから頼んだことらしい。
ますます奇妙だ。
本気で戦え、と言っておいて手の内を明かしてくる。本気だというのなら、そのような舐めたことをするはずがないのに。
――だが、今回はあまりに事情が特殊すぎる。
こうすることが、アンナにとっての『本気』なのだろう。
正々堂々、ジンヤと正面から向き合うために必要だったことなのだ。
「大丈夫――逆境はいつものことだ。いつだって、僕はら二人で、逆境を乗り越えてきた」
「……うん。行こうか、いつも通り、逆境を超えに!」
互いを鼓舞し、リングへ向かう二人。
――――さあ、ここからは逆境の戦いの始まりだ。
◇
『本日は解説にあの《護国天竜八部衆》の一人、雷轟ソウジさんをお迎えしております! 雷轟さん、どうでしょうこの試合のポイントは?』
『やっぱり屍蝋選手の《武装解除》だろうなァ。屍蝋選手はあれを当てられるのか、刃堂選手はあれを躱せるか、そこがポイントだろうよォ。ま、オレの弟子なら躱すぜ?』
『さりげなく真紅園選手を上げていく! そうですね……あの技は衝撃でした。刃堂選手、あの唯一無二の強力な技を破れるのか! というわけで、試合はもう間もなくです!』
ソウジの見解は間違ってはいない。
間違っていないが、情報が古い。しかし、それは仕方のないことだ。
アンナとジンヤの戦いの詳細など、ソウジが知る由もなく、故に一回戦での得られる情報を元にした話以外はできるはずがない。
この戦い、もはやその段階のやり取りにはならない――その先が、二人の戦いにはある。
◇
「師匠……」
「うう、ごめんね、ソウジくんがアホでごめんね……」
まったく関係のないタイミングで話に出てきて驚くゼキと、ソウジのアホさ後で説教だと決意するシンラだった。
◇
「見せてもらおうか」
冷たく鋭い視線をジンヤへ向けながら、静かに呟くアグニ。
「……いいなあー、アンナちゃん……」
羨ましそうに言うハヤテ。彼としては、ジンヤとの再戦が出来るアンナが羨ましくてしょうがないのだろう。
「キミが僕以外に負けるはずがない」
ユウヒの瞳には、何時も通りの確信があった。
様々な者が見守る中で、二人がリングに上がる。
◇
リング上で睨み合う二人。
必要な言葉は、昨夜交わした。
ここからは、刃を交わす番だ。
なので、これだけ。
「勝つ――この狂愛と、大切なアンナのパートナーのために」
アンナの背後で、霊体化したエイナが静かに頷いた。
「負けないよ――僕らにも、譲れない約束がある」
ライカが頷く。
互いに魂装者を構え――――その瞬間も待つ。
やがて訪れる『Listed the soul!!』という開戦を告げる合図。
魂を掲げよ――それは、自身の魂だけではない。
魂装者という、もう一つの己が選んだ魂を以て戦う者達への送られ続ける言葉でもあるのだ。
◇
仕掛けたのは、遠距離への攻撃手段を持つアンナから――と思いきや、ジンヤが開戦と同時に制服の内に仕込んでいる棒手裏剣を取り出し、アンナへと投擲。
アンナは影を操り、飛来する棒手裏剣を弾く。
その間も、エイナを武装化させた大鎌、そこから伸びる鎖を素早く回転させ、ジンヤへと投げ放つ。
影を操作しつつ、さらに攻撃。二つの動作を並行させるのは難しいが、それによってジンヤの攻撃を完全に無効化したと言っていいだろう。アンナの動きに無駄はない。ジンヤの攻撃は、特に効果がなかっただろう。
鎖が漆黒の輝線となって、ジンヤを襲う。
冷静に見極め、右前方にステップ。鎖を躱しつつ、アンナへ近づいていく。
いつもの通り、刃堂ジンヤの戦いは相手へ肉薄することから始まる。
アンナはまず、ジンヤに近づかれる前に鎖と影でどれだけジンヤを削れるかが重要になる――それはジンヤも承知の上、なのでまず間合いの違う局面での戦いをどうするかと考えていたのだが。
――――驚くべきことに、アンナもまたジンヤへと肉薄した。
『おおっとこれはなんということだ! 屍蝋選手、刃堂選手へ突っ込んでいくまさかの選択!
近接戦なら大会トップクラスと言われる刃堂選手に、近接での戦いを挑むというのかあ!?』
実況の驚愕と共に、会場全体へ驚きが広がる。一回戦、風狩ハヤテとあれだけの剣戟を繰り広げたジンヤだ。誰しもが、まずジンヤを遠距離で削るという選択を取るはずと考えていた――その前提が、崩された。
《……なるほど、アンナちゃんには……いいや、エイナさんにはそれがあったね……》
ライカが静かに呟いた。
直後――撃発音。
ジンヤではなく、アンナの手元から。
撃発機構。
ライカの編み出したモノとは異なる、改良が加えられたそれの特性――ジンヤのように一発の破壊力を求めるのではなく、一発の威力を抑え、連続使用を可能にしたタイプ。
撃発機構は、ライカが直接教えた訳ではなく、罪桐ユウの策略により、エイナへと伝えられた情報だ。
しかし、撃発機構を身に着けたのも、そこへ改良を加えたのも、エイナの技量。
経緯はどうあれ、それは確かにエイナの力なのだ。
なので卑怯だなんだと言うつもりは一切ない。
炸裂音が断続的に響く。
アンナがトリガーを引く度に、大鎌からは空薬莢が飛んで、その度に彼女の体は激烈な加速を果たす。
(――……速いなッ!)
気がつけば、目の前で大鎌を振り上げているアンナが。
追いきれない速度ではないが、それでもジンヤでさえ気が抜けない速さで接近してくるのだから大したものだ。
大鎌の軌道を見極め、刀を翳す。
――が。
突如、異変――大鎌の姿が、消えた。
なぜ、と思った刹那。
――――どういう訳か、アンナが抜刀の構えを見せていた。
彼女の大鎌が、漆黒の刀へ変化している。
大鎌から刀への、高速換装。
さながら零堂ヒメナの如き、卓越した技術だ。あの技は、騎士と魂装者両者の高い技術が必要とされる。
特に魂装者が優秀でなければ、絶対に成立しない。武装形態の変化スピードは、魂装者側の練度に依存するからだ。
そして放たれる、漆黒の抜刀。
「――――《暗影/撃発一閃》」
アンナの身は、漆黒の影に包まれた。
《迅疾影鎧》。自身の体を影で操ることで、飛躍的に身体能力を向上させる技。
影の動きを抜刀の動きと完全に同調させることができれば、影により強化された一撃を放つことが出来るだろう。
さらに撃発機構も、ライカと同じ一撃の威力を追求するタイプへ変化させていた。
刀の武装形態、そこへの高速換装技術、抜刀術、それを強化する影の動き――全てがこの瞬間に初めて見せる技ばかり。
加えて、抜刀以前には大鎌でいくと見せかけ、刀へ変化させるというフェイントを入れられている。
これを防ぐのは至難だ。
――だが、そこは刃堂ジンヤ。
(《制限機構解除》/《疑似思考加速》……ッッ!!)
瞬時に思考加速を発動。虚を突かれた分は、思考加速で取り戻す。加速した思考で得た時間により、現在の状況を分析。アンナがなにを成し遂げたのかを把握。
そして――
「――――《迅雷/撃発一閃》……ッ!」
凄烈な金属音が轟いた。
激突する雷光と暗影の抜刀一閃。拮抗は一瞬、互いに僅かに仰け反り、ここからはどちらが再び切り返せるかという、速さの勝負。
「――――《暗影/逆襲一閃》」
「――――《迅雷/逆襲一閃》ッ!」
当然、高速での再斬撃も習得しているだろう。
アンナの場合、空薬莢との反発など必要がない。ただ再び影で己を操れば、高速での切り返しが可能となる。
再斬撃での勝負も互角。
直後、鍔迫り合いの拮抗状態に陥ったかと思えば、アンナの刀――その柄から伸びた鎖が、ジンヤの腕に巻き付いていた。
「……鎖……ッ!?」
またも高速換装。
斬撃時は速度を殺すことになるため不要だったが、ここで必要になったので素早く出現させたのだろう。
武装を出すスピードが凄まじい。
よもやエイナが魂装者としてここまで優秀だとは。
あまりこの言葉を使いたくはない――が、ジンヤは思う。
アンナもエイナ、二人共が、圧倒的な天才。二人の天才が息を合わせると、ここまでのことが出来るのかと戦慄させられる。
「つーかまえーたっ……♡」
アンナは鎖をジンヤの体へ巻き付け、背後へ回って抑えつけた。
鎖によって両腕を封じられ、完全に反撃ができない。
アンナは鍔迫り合いの最中、まず出現させた鎖をジンヤの腕の上へ通し、直後後ろへ回ると、腕ごと体に巻きつけて拘束。
完全にアンナの体がジンヤへ密着し、動きを封じた。
「ぐ、ぅ……ッ!」
凄まじい力だ。アンナはAランク、魔力量も出力も豊富だ。魔力による身体強化以外が絡まない単純な力比べでなら、ジンヤは絶対にアンナには敵わない。
みしみしと、体が軋む。このままいけば、腕が折られる。
が――それよりも先に、明確な終わりが向けられた。
ジンヤを拘束した状態で、アンナは影を操り、足元から伸びた漆黒の刃を向けてくる。
「ねえ、じんや……これでおわっちゃうの?」
影の刃が、放たれた――――刹那。
(《制限機構解除》/《肉体負荷超過》……ッ!)
電気信号の精密操作により、自身へリミッターを解除。
同時。
「――――《雷咲流〝驟雨〟》」
『おおっと、一体なにが起きたぁあああ――――!?
屍蝋選手が刃堂選手を鎖で拘束し、影によるトドメかと思われた直後!
なぜか、ダメージを受けたのは屍蝋選手!
刃堂選手、どんな手品を使ったのか!?』
『ありゃ「寸勁」だな。一回戦で屍蝋選手がイルミナーレ選手へ密着状態でやった斬撃と同じ術理だよ』
実況や観客の疑問に、解説のソウジがあっさりと答えを示す。
密着状態からの『寸勁』。
両腕は鎖で封じられている――ならば相手と密着している『背中』で放てばいいだけのこと。
ジンヤは膝を抜いて、足と地面に僅かな空間を生み出し、そこを踏み抜くと同時に、身体能力を強化。
言うならば『至近距離からの体当たり』。
打撃は何も拳や脚でしか出来ない訳ではない。例えば八極拳では肩なども使う。当たりさえすれば、全身のどの部位であろうと打撃は放つことができる。
「がぁッ……ぐうぅッ!」
アンナは堪らず拘束していた鎖を手放し、たたらを踏んで後方へ。
どうにか拘束から逃れたジンヤ。
ここで流れを変えておきたい。開戦から攻められてばかりで、やっと一撃入れられたところだ。さらに連撃を繋いで、流れをこちらへ引き寄せる。
そう勇んで、アンナへと斬りかかろうとするも――。
アンナは素早く体勢を立て直し、大鎌を構えていた。
下段へ下げられた大鎌。防御に適した構えだ。あそこから大鎌を跳ね上げ、こちらの斬撃を防ぐつもりだろう。
防御の構えである以上、こちらから攻めるのを待っていると予想したが――しかし、アンナは突きを放ってきた。
それも、足元――どころか、地面へ。
そのまま進めば、床に直撃するという軌道。まるで意味がわからない、狙いの読めぬ、奇妙な行動。
が――、大鎌が床へ当たる直前、ジンヤはあることに気づいた。
ぶつからないのだ、アンナの持つ能力を使えば。
現在、アンナの影は、ジンヤとの間にある。アンナが太陽を背負っている形だ。
彼女は影使い、故に当然太陽の位置は常に気にしている。
この状況は、必然。
大鎌は、足元の影に飲み込まれた。
影の中へ空間を作り、それを別の影と繋げる技。
この技は、以前からアンナが突然出現し、ジンヤへ抱きついたり、鍵のかかったジンヤが宿泊する部屋へ侵入する際に使っていた。
ジンヤは考える。
足元の影へ大鎌を差し込んだ――ならば、どこから出現させる?
ジンヤの背後の影。
もしくはまったく別の影か――いいや、しかしここはリング上。二人の影以外に、影はまったくできない。選択肢は限られるはずだ。
ならばやはり、背後からの一撃か――。
(いや、違う……)
足元のアンナの影から、ジンヤの影へ空間を通し、背後からの攻撃――選択肢は、それだけではない。
影へと大鎌を沈めたのはフェイント。そこから再び跳ね上げ、下段からの斬り上げ、もしくは足元への突き。
この攻撃で厄介な点は二つ。
一つは、背後の影へ繋ぐことだけ警戒してしまえば、その時点で相手の術中ということ。
もう一つは、そこを看破したところで『影空間』へ沈めた下方からの攻撃は、通常あり得ない軌道であり、読み難いということ。
しかし、この二点を把握した上で臨めば、対処は可能。
ジンヤは刀で大鎌の柄を掬い上げるように叩きつつ、右方向へ踏み出す。
大鎌が足元の影空間から引きずり出された。
これでひとまずは、背後の影を気にする必要は消えた。
アンナが目を見開く。影空間を利用したフェイントすら通じない。ここまで攻め続けていたのはアンナだ。
だがそれは、全ての攻め手を防がれたということでもある。
それによる一瞬の動揺。
ジンヤがそれを見逃すはずもなかった。
「――――《迅雷一閃》」
大鎌を弾いた後、即納刀――そして、抜刀一閃。
「――――くッ、」
大鎌を弾かれるも、咄嗟に手元へ引き寄せて辛くも防御。
それでも、隙を突かれた一撃だ。《迅雷一閃》に対して万全な対処ができていない以上、相応のダメージは免れない。
アンナの体が大きく後方へふっ飛ばされて、背中からリングへ叩きつけられた。
『強烈なのが入ったあああ――――っっっ!!
屍蝋選手、立ち上がれるのか!?
序盤から屍蝋選手が攻め続けていましたが、ここで一気に流れは刃堂選手へと傾いたかああああああ!?』
歓声が湧き上がる。
それをどこか遠くの出来事のように聞きながら、屍蝋アンナは青空を見上げていた。
◇
(ああ、やっぱり強いなあ……)
叩きつけられた背中への痛みを感じつつ、アンナは改めて超えたいと願う壁の高さを想う。
ここまで用意してきた新たな策が通じないとは。
届かないのだろうか。
ここまでやっても、それでも彼には勝てないのか。
そんな絶望的な事実を突きつけられて、アンナは――――
――――笑った。
「それでこそ、さすが、すごい、すごいよ、好き、好き、大好き……まったく、これだから……もう、やっぱりじんやはすごい、強い、愛してる、誰よりも、この星よりも重い愛を」
《……やはり、本当にお強いですね》
「うん……でもね、エイナ」
《はい》
「アンナ達だって、強いよ」
《――――ええ、わたくし達は、以前とは違いますから》
◇
花隠エイナは、ずっと自分の人生を生きていなかった。
――日陰の花でありなさい。
それが母からの教えだった。
花隠家は代々、魂装者の家系だ。
魂装者が魂装者と呼ばれる以前から。騎士が騎士と呼ばれる以前――魔術師と呼ばれる時代から、ずっとそういう在り方だった。
魂装者は、騎士なしでは成り立たない。故に、誰かに尽くすことこそが、花隠の者の在り方なのだ。
決して主役にはなれない。日の目を見ることなど望まない。目立つ必要はない。
誰かに使われることで、初めて意味を持つ。
だから――この人になら、自身を預けられる。
そんな人間を探しなさいとも、エイナは母から教えられていた。
エイナは家柄も、見た目も優れていたが――しかし、人と関わることは苦手だった。
優れた者は、妬まれる。そんな当たり前のことはわかっている。
わかっていても、どうすることもできなかった。
あえて欠点を見せるか、自身の力を誇示し下らない妬みをねじ伏せるか、そういったことが、エイナにはできなかった。
――――「アンタさぁ……調子乗ってるよねえ?」
エイナの美しい髪を掴み上げ、鋏を振りかざす同級生。
この時も、エイナは半ば諦めていた。
自分は所詮は道具。誰かに扱われるだけの自分に、感傷は不要。
こうして、目の前の相手の気に障ったからといってなんだというのだろう。
自分が傷つけられたからといって、それがどうしたのいうのだろう。
どうだっていい。
自身のことなど、どうでもいい。
そうやって、全てを諦めていた――――その時だった。
――――「……アンナの前で、こーゆーことしないでね、『めざわり』だから」
屍蝋アンナが自身を排斥する相手に対して選んだ手段は、力の誇示。
彼女には生まれ持った力がある。
エイナをいじめていた者達も、アンナには敵わない。
そして、アンナもまたかつては他者に疎まれていた故に、そういった行為は気に入らない性分だった。
本当にそれだけ。エイナを助けようなんて思っていなかった。
ただ『めざわり』だったから、それだけだったのに。
「助けていただきありがとうございます! わたくし、花隠エイナと申します!」
「……アンナは、屍蝋アンナだよ。別に助けてないよ、気に入らなかっただけ」
「ご謙遜まで……なんて、なんて出来た御方……」
「……あ、あれ? アンナの話、きいてる?」
――こうして、屍蝋アンナと花隠エイナは出会った。
それからエイナは決めたのだ。
彼女に一生尽くそうと。彼女こそが、自分を扱うに相応しい主人だと。
だから――アンナのやることに、一切口出ししなかった。
アンナがライカからジンヤを奪うと言い出した時も、アンナがライカを殺すと言い出した時も、エイナはただ、それに従い、尽くしていた。
エイナの忠義は――いや、盲信は、アンナの殺人すら平然と許容した。
この世のあらゆることよりも、屍蝋アンナは優先される。
誰よりも、己よりも。
己は道具。意志など不要。ただ屍蝋アンナに尽くすことが本望。
日陰の花は、なにも語らない。
これが花隠としての正しい在り方。
――――本当に?
本当に、これが正しいのだろうか。
誰かに尽くすことこそが自身の在り方だから、主が何をしようがなにも口出ししない。
それでいいのだろうか?
エイナはアンナから、ジンヤのことをよく語られた。
ジンヤは諦めない。ジンヤは強い。ジンヤは、どんな時でもアンナのことを助けてくれる。
ヒーローで、王子様で、格好良くて、好きで、好きで、好きで――そんなふうに語られる彼は、さぞ素晴らしい人物なのだろうと思った。
けれど、アンナの語る『彼』からは、抜け落ちているものがある。
――――雷崎ライカの存在。
ジンヤを語る上で、彼女を外すことは絶対にできない。
彼女は道具ではない。
ジンヤと共に歩む者だ。
後から聞いた話ではあるが、ライカはいつだって、ジンヤが絶望の底に沈んだ時に、そこから引きずりあげてきたという。
龍上ミヅキに敗北した時も、罪桐ユウという絶望を前にした時も。ジンヤは何度も折れかけて、それでもライカの激励で再び立ち上がってきた。
――それに比べて、自分はどうだろう。
エイナは考える。自分は、アンナになにかしてあげられただろうか。
道具以上のことをしたことは、なかったのだろうか。
それでいいのだろうか、本当に。
花隠としての在り方は、正しいのかもしれない。
エイナのこれまでの人生は、そうすることしか知らなかった。
道具以外の在り方を知らない。
だが今。
ずっと誰かに尽くすことしか知らなかった少女が――雷崎ライカという在り方を知った。
どうしようもなく焦がれた。
あんなふうになれたなら、自分達はもっと強くなれるのではないか。
屍蝋アンナという、どこまでも運命に翻弄される少女の――誰よりも大切な自身の主の、力になれるのではないか。
だから、エイナは、ただの道具であることをやめた。
これからは、アンナと共に歩む者であることを誓った。
◇
そもそもなぜ、屍蝋アンナはこの二回戦の戦いを望んだのか。
一度はジンヤに敗北している。あの戦いはほんの数日前だ。あれから長い修業を経て再戦を望むならまだしも、たった数日。結果が変わらない可能性が皆無ではにが、高くはない。
ジンヤに迷惑をかけた負い目もある。
それなのに、なぜ?
まず、当たり前のアンナの欲求として、ジンヤと戦うことが好きだ。戦えば、その間は彼を独占できる。事実、狂愛譚の中での戦いで、アンナはジンヤを独占しているという実感を得ていた。
だがすぐに再戦をして、あの時の高揚に満たない中途半端な戦いをしてしまえば、ジンヤの中でのアンナという存在を汚してしまうことに繋がる。あの戦いを、汚してしまうことに繋がる。
そんなリスクすらあるというのに。
それでもアンナがこの戦いを求めた理由。
端的に言えば――――強くなりたいからだ。
なぜそれを望むのか。
アンナは大きな罪を犯した。
かつてユウによって仕組まれた殺人。
狂愛譚の中で、ライカの命を奪おうとした。
ユウとの戦いにおいて、『本物のアンナ』の魂を失った。
『人類最悪』によって弄ばれ続けたのは事実だが――それでも、どれもアンナの弱さが招いたことなのだ。
屍蝋アンナが強ければ、違った結果があったのかもしれない。
少女の心には耐えきれない程の重い悲劇。その重みにより軋みながらも、それでも少女は強くあらねばと悲壮な叫びを上げて、進み続ける。
そしてもう一つ。
アンナの恋は、叶わなかった。
だが、アンナは諦めるつもりはこれっぽっちもないのだ。
昨夜ライカに言った通りだ。強くなって、ジンヤを倒して、彼の心を奪えばいいのだ。彼の心は誰にも奪わせない。
龍上ミヅキにも、風狩ハヤテにも、輝竜ユウヒにも――――雷崎ライカにも、誰にも。
自身でジンヤの心を満たすためにも、強くならねばならない。
――――一度フラれたから、それがどうした。
アンナは、この奇妙な恋に感謝している。だって本来、一度フラれてしまえばそこで終わりだろう。もう可能性なんてないはずだろう。ましてやジンヤにはライカという心に決めた人間がいるのだから。
それでも――きっとジンヤに勝てば、ジンヤはもうアンナのことが頭から離れなくなる。
そういう人間だという、確信がある。
――だから、強くなれば、まだ可能性はあるのだ。
一度の失敗くらいで、終わるような恋ではないのだ。
かつての悲劇。
一度は破れた恋。
譲れない想いを燃やして、屍蝋アンナはこの戦いに望んでいる。
◇
罪桐ユウによる事件が終わった後――アンナはエイナと共にオロチにある頼みをした。
オロチは今にも泣き出しそうな、それでいて何か強固な意志を秘めた、そんな表情をしたアンナを前にして驚いた。
何かが違う。彼女の中で、何かが変わっている。
「おろち……ううん、違う……師匠……ッ! 師匠に……おねがいが、あります……ッ!」
アンナは膝をついて、頭を下げる。
こんなことは一度もなかった。
出会った頃、奇妙な親子めいた関係を続けてきたが、そこに『師弟』の色は見られなかった。
確かにジンヤやハヤテと一緒に、アンナにも戦う技術を教えたことはある。
だがアンナは天才だ。教えなどなくとも、勝手に強くなっていった。
それ以前に、彼女は元から凄まじい力を持っているのだ。
その彼女が、こうして頭を下げている。
地を這い、頭を垂れて、必死の頼み込んでいる。
大粒の涙を流しながら、顔をぐちゃぐちゃにして、どれだけ惨めでも構わないと、それよりもずっと成し遂げたい大切な願いがあるのだと。
「アンナが、じんやに勝てる方法を教えてください……ッ!」
「……そんなもん、」
――そんなもんねえよ。
都合のいい方法などないと。
敗北を噛み締めて、ひたすらに修行するしかない。かつてジンヤが、龍上ミヅキにそうしたように、何年もかけて再戦に臨むしかない。
そう告げようとしたが。
しかし――――あるのだ、彼女には、恐らくそれが出来てしまう。
こうして彼女が強い決意を持ち、さらにパートナーとの関係性が変わっている今ならば。
「方法はある……だが、いいのか? これを使って、お前は勝ったって思えるか?」
オロチは彼女に、その方法を告げた。
そして、アンナは。
「それでもいいよ。どんな方法を使ってでも、アンナは――じんやに勝ちたい」
オロチは迷った。
何が正しいのか。
このままいけば、ジンヤには恐ろしい試練を与えることになる。どうしようもない絶望の底へと、彼を突き落とすことになるかもしれない。
自身の余計な入れ知恵で、ジンヤの人生を、夢を、約束を、滅茶苦茶に壊してしまうかもしれない。
――――それでも。
ジンヤとアンナならば。二人の勝負が、悲惨な結末を迎えることはないと。
アンナの中で激しく渦巻く気持ちを、ジンヤならば受け止められると。
オロチは弟子達を信じ、それを告げた。
オロチが告げたそれは――。
――――この世界の、秘密の一つ。
◇
「さあ、行こうエイナ――――アンナ達の物語を始めよう」
《ええ、行きましょうアンナ様。これより主役はわたくし達》
立ち上がるアンナ。
大鎌を構え、こちらを見据えてくる。
なにかが、おかしいと思った。
雰囲気が変わった。寒気がする。なぜか、今の彼女は恐ろしい。
濃密な魔力が放出される。まさかこれ程までの魔力を持っていたとは。
まるで罪桐ユウや赫世アグニのようだ。
ジンヤは身構えた。何かが来る。
だが、どんな技だろうが防ぎきってみせる。
しかし、それは根本的に認識が甘いといえた。
これはただの技などではない。そんな次元のものではない。
もっとずっと理不尽なものだ。
そして。
その起句が、唱えられた。
「――――《開幕》――――」
物語の幕が上がる。
これより、この場における《主人公》は屍蝋アンナ。
「――――《冥界の果てから永久の狂愛をあなたに》――――」
漆黒の狂愛譚、その真の姿を――その物語の到達点をここに。
瞬間、膨大な魔力が炸裂し、世界が書き換えられた。
《開幕》。
そこには物語を書き始める、つまり物語の幕を上げるという意味が込められている。
そして、己こそが《主人公》だと世界へ示し、この世界の物語へ介入、さらに相対した相手を排除し、自身の物語を押し通すという意味が込められている。
「……これが、師匠が言っていた力か……ッ!」
◇
――『あれ』を使えるかどうかは、決定的な違いだ。
――はっきり言って……負けるかもな。
――それくらい、今のアンナは強い。
オロチは試合前、ジンヤにこの力のことを話していた。
《開幕》。
そこへ至る条件は、まず《主人公》であること。
この世界には《英雄係数》というものがあり、世界から優遇される《主人公》というものが存在している。
次に、魂装者の練度。
魂装者との同調率を高め、互いを理解し、《魂装転換》に至っていること。
最後に、物語を持つこと。それはつまり、願いだ。テーマと言ってもいい。自身を《主人公》とした物語で、何を描くのか。何を成し遂げるのか。それを明確にしておく。
そして、その物語は騎士と魂装者、二人が理解している必要がある。
二つの魂が同じ想いを抱いて、やっと物語が開幕する。
《神格》と願いを複合させ、己の力を強化する《終焉神装》とは異なる。
騎士と魂装者の二人で成し遂げる技。
これは以前の二人ならできなかった。
ただ思考を放棄して、盲目的にアンナに付き従うエイナの在り方では、ここには至れなかった。
あの敗北があったから。
雷崎ライカの在り方に憧れたから。
屍蝋アンナの願いを叶えたいと、誰よりも強く、心の底から願えるから。
花隠エイナと屍蝋アンナだからこそ、成し遂げられた。
屍蝋アンナは、条件を全てを満たした。
――――では、刃堂ジンヤは?
魂装者との同調率は申し分ない。
《魂装転換》も使うことができる。
願いだって、持っているだろう。
――――だが、才能がない。
彼には《英雄係数》がどうしようもなく足りてない。
彼は世界に選ばれていない。
世界の核心へ迫る因果を持たず、世界の秘密に対しても無知だ。
世界にとって、重要ではない。
よって、刃堂ジンヤは《開幕》を使うことができない。
これが、ジンヤとアンナの決定的な差。
そんな絶望を突きつけられても、ジンヤは諦めない。
ああ、つまりは――――絶体絶命の逆境。
◇
「ここまで取り戻していたか……ッ!」
赫世アグニが喜悦に満ちた笑みを浮かべる。
屍蝋アンナ。
その正体は、《炎獄の使徒》第二位などでは収まらない。
彼女は元《終末赫世騎士団》序列8位――《絶命を運ぶ者》。
今は記憶を失っているが、かつては最悪の九人にまで至っていたのだ。
だからこそアグニは彼女を求めた。
いずれ《終末赫世騎士団》という組織自体を破壊し、《神格》を宿した者同士で殺し合う、正真正銘の《ラグナロク》を引き起こすために。
全ては、アーダルベルトを殺すため。
◇
「続きを始めようか、じんや……ここから先は、アンナの物語。これまでとは、少し違うよ?」
「上等だ。生憎と、自分を《主人公》だと思ったことはない……それでも、そういう存在に勝つために、ここまでやってきたッ!」
ジンヤはかつて、アーダルベルトとの邂逅の際に《英雄係数》について知ったが、それはこの世界から抜け落ちた事象だ。
叢雲オロチより、再びそのことについて聞いたが、繰り返そうが答えは同じ。
そんな法則は知らない。才能が足りないというのなら、それはただの今までどおり。
だからジンヤは、この世界の法則にすら臆さず立ち向かう。
「いくよっ――《漆黒影嵐》」
アンナの影が蠢いた。
足元から影の槍が伸びる――一つではない、その数五つ。
もはや『影の面積分』までの大きさが限界という制約すらなく、合わせればアンナの影よりも遥かに巨大になる、五つの影槍がジンヤを襲う。
「ぐっ、ゥウ……ッ!」
漆黒の雨の如く降り注ぐ影槍。
リングを蹂躙する黒い雨は、大穴を穿ち、砂礫を撒き散らして、破壊を齎す。
これまでとは比べ物にならない手数、攻撃範囲、威力。
《開幕》後一手目から、劇的な冠絶を見せつけてくる。
アンナの《開幕》の効果。
まず、アンナ個人ではなく、《開幕》そのものの効果としては、自身のこれまでの限界を超えた術式行使。
アンナの場合で言えば、『影は面積分の大きさにしかならない』などだ。影を分割すれば、それだけ一つ辺りが小さくなる。
それ以外にも、様々なこれまでの限界を超越している。
そして、アンナ固有の力。
それは――――『刃堂ジンヤへの愛に応じた、魔力の上昇』
つまり――――今の屍蝋アンナの魔力は、〝無限〟だ。
魔力量だけで言えば、今のアンナは、罪桐ユウすら凌駕した。
「が、ァ……ッ!」
躱しきれず、一つの影槍が脇腹を掠めた。傷はそう深くないが、容易に攻撃を躱せないという事実は、肉体へのダメージ以上に精神へ深く突き刺さる。
「じんやぁぁァァ……♡、 アンナの攻撃、ぜぇぇんぶ受け止めてよぉっ♡」
大鎌から伸びる鎖を高速で回転し、ジンヤへ投擲。
アンナの出力も桁違いに跳ね上がっている以上、投擲の際の身体能力も上昇し、さらに鎖へ込められた魔力を膨大な量になっている。
つまりあの鎖も、これまでとは格が違う威力になっているが――それでも、軌道は真っ直ぐ、読めないことはない。
――しかし。
「――――《漆黒影窓》」
突如、猛進する鎖が影に飲み込まれた。アンナの足元から伸びる五つの影。
鎖を飲み込んだ影は、ジンヤとアンナを挟んだ地点に。そして、別の地点――ジンヤから見て右側へ伸びていた影から、突如鎖が出現した。
影空間による移動。別方向からの読めない攻撃。
『影の面積』の制約が消えた以上、別の技の応用力も跳ね上がっている。
「……くそッ……!」
回避が間に合わず、刀で鎖を弾くも、それもアンナの狙い通り。鎖が刀へ絡みついて、動きを封じてくる。
かつて同じ状況になった時、ライカの機転で彼女自ら武装解除することで、拘束から逃れた。
だが今は同じ手は使えないだろう。
鎖と同時、強烈な威力が伴う影が控えている。武装解除の隙など一切ない。
アンナは攻め手を緩めない。
絶望的な状況に、さらに絶対的な絶望を重ねていく。
「――――《迅疾影鎧》」
影を自身へ纏わせる。技の原理はこれまでと同じ。だが、その影はこれまでよりも濃密な魔力が込められた五つの影、その全てを纏ったアンナは、速度の膂力も爆発的に強化されている。
「幕を引こうか……物語はね、《主人公》の……アンナ達の勝利で終わるんだよ?」
鎖により動きを封じ、影の鎧で自身を強化――そして。
「――――――《慈悲無く魂引き裂く死神の狂刃》」
どこまでも無慈悲に、必殺に必殺を重ねていく。
動きを封じられ、速度を強化した状態のアンナが放つ《武装解除》。
これを食らえば、そこで終わり。
――――そして、刃堂ジンヤは《主人公》ではない。
《開幕》は、《主人公》に許された物語。この星という巨大な舞台において、自身こそが《主人公》だと宣誓し、己の物語を押し通して、己の物語で世界を上書きする力。
言うならば、己が思い描く《主人公補正》を、《ご都合主義》を、己の意志で使いこなす力だ。
繰り返す。
――――刃堂ジンヤは、《主人公》ではない。
である以上、ここで彼に都合よく、隠された力は発動しない。
覚醒など起きない。
彼がこれから挑むのは、そういう戦い。そういう試練。
都合の良い補正になど頼らず、ただこれまで積み重ねたモノだけで、この絶望を切り抜けてみせろ。
それが彼の選んだ、茨の道。
《主人公》でないその身で最強を志した以上、成し遂げなくてはならぬことだ。




