第18話 それぞれの前夜⑥/赫世アグニ 輝竜ユウヒ
ある建物の地下室だった。
打ち放しコンクリートのどこか殺風景な部屋だ。
照明とソファ、テーブル、それからなにやら巨大な箱。
部屋にいるのは赫世アグニ、その横に空噛レイガ――そして、対面には輝竜ユウヒが。
「それで、絡繰リラクの背後にいる存在について何かわかりましたか?」
ここは《炎獄の使徒》が所有するアジトの一つ。
5月頃に起きた《ガーディアンズ》により一斉捜査の手を逃れていた場所だ。
あれも所詮は、アグニの計画の一部にすぎない。あの時に場所が露見し封鎖された拠点は、全て放棄したものだ。
輝竜ユウヒは、《ガーディアンズ》でありながら《使徒》のメンバーだ。
彼は正義を志している。
ユウヒの基準ではアグニは明確な悪だ。復讐の炎を燃やし、そのためなら他者を傷つけることに躊躇いのない者。
だが、アグニを利用しなければ、その先の悪に刃を届かせることはできない。
来るべきアーダルベルトとの戦いのために、互いを利用するという契約を、ユウヒはアグニと結んでいる。
ユウヒの中で、悪に手を貸すなどという行為は許されざることではあるが、それよりも許されないのは、誰かを救えないこと。
アーダルベルトは、いずれ世界を滅ぼす。
大勢を救うため、少数の犠牲を許容する。それがユウヒの正義であった。
だからこそ、ユウヒは屍蝋アンナを許そうとはしなかった。
彼女は危険だ。彼女一人を救えば、いずれ大勢が犠牲になるかもしれない。そんな可能性を、ユウヒは許容できない。
どんな理由があろうと屍蝋アンナを守ると誓った、刃堂ジンヤとの決定的な相違点。
「――罪桐キルだ。少なくとも、斎条サイカと絡繰リラク、この二人はヤツの干渉を受けているのは確定だろう」
「また罪桐ですか、つくづく許しがたい……」
不愉快ではあるが、納得ができた。
絡繰リラクがなぜ、適切にユウヒの精神的な急所となる部分を突いてきたのか。
彼個人の情報収集能力では、到底ユウヒの過去は暴けないだろう。であれば、彼以上の力を持つ背後がいると考えるのが妥当。
それが罪桐キルならば申し分ない。
ユウといい、他者を陥れるために生きているような者達だ。この手のことは得意中の得意だろう。思えばやり口からしてそれらしい。
「ユウの早期退場はイレギュラーだろう。故にキルが差し向けられた。といっても現状、脅威としては低いな。ユウならまだしも、キルならばいざという時は俺と貴様で問題なく処理できる」
「ですね。しかし直接戦闘の可能性はないと考えて問題ないでしょう。今動いて天導セイガにでも出てこられた場合、困るのは向こうのはずです」
「ユウは派手にやりすぎた。アイツとしても、屍蝋アンナは玩具として特別で、はしゃぐのも無理はなかったんだろうがな」
「……貴方にとっても、彼女は必要なピースでしょう?」
ユウヒがそう口にした時だった。
横でソファの肘掛けに座って足をぶらつかせていたレイガが苛立たしげにこちらを睨みつつ、声を発した。
「そもそもアンタが裏切らなきゃ済んだ話だろ」
ユウヒはレイガへ視線をやった。
彼の言う通りだ。ユウヒは、屍蝋アンナを巡る戦いの際、明確に《使徒》と《ガーディアンズ》、所属している二つの組織を裏切ってまで、ジンヤとの戦いを優先した。
アンナを確保し、どちらかの組織へ引き渡す。それが彼のすべきことだったはずなのに。
「…………ああ、すみません。どうにも彼のことになると抑えが効かなくて」
にこり、と柔和な人好きする笑みのまま、ユウヒはそう言ってのけた。
気圧されるレイガ。一見、恐怖を感じるような表情ではないはずなのに。
ユウヒはあの時、ジンヤの強さ、ジンヤの在り方に免じて、彼との勝負と、屍蝋アンナに関する処遇を保留とした。
それについては、次の戦い――決勝の後にいくらでも話せばいいことだ。
今はただ、彼との決着を。
ユウヒが最優先するのは、彼との決着だ。
「……レイガ、構わん。終わった話だ。遠回りになるが、それでもいずれチャンスはあるだろう」
「……ま、そーか。……っつーかこいつ、厄介なんだよなァ、ホントにさあ。……強いのはわかるけどさあ……味方のくせに、言うこと聞かねえし」
「味方になった覚えはないですからね」
「…………あー、うっぜ。そのうちアンタともバトりたいや……」
露骨に顔を顰めて、手近にあった大きな箱を蹴飛ばすレイガ。
「絡繰リラク、罪桐キルの件は現状問題なし、と……。そう言えば、リラクについての情報はどこから得たんですか?」
「そんなの簡単だろ、直接聞いたんだよ」
直接。
まさか――とユウヒが答えを口にする前に、レイガが巨大な箱を派手に蹴飛ばした。
箱から出てきたのは――――縛り上げられた絡繰リラク本人だった。
それを目にしたユウヒは不快そうにレイガとアグニを睨みつける。
「……やり方が強引ですね。彼の処遇は?」
「さあ? オレ、殺しはパス。どーすんの、アグニ?」
「そうだな、別に殺しても構わんが……」
「んん――――っっ!! んんん――――――っっ!!!???」
アグニの言葉で、口元を縛られているリラクが、不明瞭な唸り声を発しながら、芋虫のように暴れまわった。
「……うるっせえなァ……死体がどうとか言ってた変態のクズのくせに、自分の命は惜しいのかよ……ダッセェ……。こいつなんかムカつくんだよなァ……自分の姉弟にめちゃくちゃやってんの、なんでか許せないんだよなァ……」
レイガの言葉に関して、一部分でユウヒも同感だった。
姉への洗脳。
彼が明確に犯している罪。許せない悪の所業。
ユウヒはリラクに歩み寄るとしゃがみ込んで、穏やかな声音で言った。
「安心してください、貴方は絶対に殺させません」
リラクが目を見開く。
試合の際に、あれだけユウヒの過去の傷を抉るような言葉を投げかけたというのに、それなのに自身を助けてくれるというのだろうか。
縛り上げられ、自身の運命を、自身ではどうすることもできなくなっていた男の目に、希望の光が灯る。
だが、どうして――その疑問は、簡単に明かされる。
「自首しましょうか。貴方は罪を償うべきです、なので必ず、ボクが《ガーディアンズ》に送り届けましょう」
希望の光は、簡単に消え去った。
「アッハハハ、なにコントやってんだか」
レイガはリラクの希望が一瞬で消え去ったのを見て笑う。
「アグニ、それで構いませんね?」
「ああ、そんな小物どうでもいい。こちらにとって重要な情報も与えていないしな。……それで、今後についてだが、わかっているだろうな?」
「誰に聞いているんですか? わかっていますよ……貴方に言われずとも、ボクの目的は彼との再戦――そして彼に勝つこと。そうである以上、ボクの優勝は揺るぎません」
「貴様の言う通りになるなら、刃堂ジンヤは勝ち上がり、俺と戦う訳だが……その際、俺はわざと負けてやった方がいいのか?」
――――刹那、
ユウヒの手が、霞んだ。
気づけば、ユウヒは抜刀し、アグニの首筋に刀を突きつけている。
一瞬遅れて、レイガが銃を抜いて、ユウヒに突きつけた。
「――わざと負ける? どういう意味だ?」
「……刃堂ジンヤとの再戦、貴様にくれてやるということだ。俺は俺の目的が果たせればそれでいい。……貴様と全力で戦うというのも、惹かれるものがあるがな」
「――――勝てるつもりか、刃堂ジンヤに」
「貴様こそ寝ぼけているのか? 俺があの程度の《係数》の者に手間取るとでも?」
アグニの赤、ユウヒの青――二色の双眸が交差する。
アグニは内心驚いていた。
ユウヒがジンヤを評価しているのは知っていたが、まさかここまで入れ込んでいたとは。
解せない話だ。
ジンヤは確かに強い。が、それは所詮『低ランクにしては』というだけの話だ。
多少剣技に秀でたところで、覆せないランクと《係数》の差が存在している。
努力などではどうにもならない壁、それは確実に存在するのだ。
いくら彼が龍上ミヅキ、風狩ハヤテ、屍蝋アンナを倒したところで、アグニからすれば全員が平等に取るに足らない弱者なのだから。
「予言するよアグニ――お前は刃堂ジンヤと全力で戦い、敗北する。手を抜く? ふざけるな、勝てるものなら勝ってみろ。もしも勝てたら、ボクが相手をしてやっても構わない」
刀を収めつつ、輝竜ユウヒは怒りを孕んだ言葉を吐き捨てる。
「……ふ、ふふ、ははははっ! おかしなことを……お前にそんなユーモアがあったか。いいだろう、興味が沸いた――――彼は俺が、全力で叩き潰そう」
アグニは昂ぶりを抑えつけるように、右手を顔に押し当て、その隙間から笑い声を漏らす。
「決勝の組み合わせは確定したな……俺とお前だ。違えるなよ――この約定」
赤色の双眸が、ユウヒを射抜いた。
一切退かず、ユウヒもまたアグニを睨めつける。
レイガは銃を下ろして、半ば呆然としていた。
ユウヒの突然の凶行にも驚いたが、それよりも、まさかアグニがあんな笑い声をあげられるとは。
業火を繰りながらも、氷の如く冷徹に、ひたすら己の目標である復讐のためだけに生きているような男だと思っていた。
その彼が、ああも意表を突かれるとは。輝竜ユウヒ――それに刃堂ジンヤ、こいつらはまとめてどうかしているな、と内心で彼らの脅威を上方修正しておく。
――赫世アグニが本気になった。
レヒトが予想していた通り、アグニの動きは不自然だった。
大会前に、他の出場候補者を襲う。これはレヒトの読み通り、出場を確実にするためなどではない。
本当の狙いは、《ガーディアンズ》の目を引きつけること。
5月に起きた《使徒》掃討作戦すら、アグニが意図的に掴ませた尻尾に、ガーディアンズが釣られただけのこと。
――――全ては輝竜ユウヒのため。
アグニとしては、ユウヒが優勝すれば、それでよかったのだ。それを足がかりに、ユウヒは《ガーディアンズ》での地位を高め、いずれ組織を利用できる立場になる。
その時に、ユウヒが率いる《ガーディアンズ》と、アグニが率いる《使徒》で、アーダルベルトを討つ。
それがアグニにとっての、大会の『先』の戦い。
だから大会になど、興味がなかった。優勝など、どうでもよかった。
アーダルベルトの狙いとしては、大会を通じてアグニがさらなる力をつけることを望んでいたが、学生レベルの騎士相手では、まともな訓練にすらならない。
そう思っていた。
大会など、どうでもよかった。
しかし気が変わった。
ユウヒがあれだけ入れ込む刃堂ジンヤという男を、確かめてみたくなった。
そして――ユウヒとの決着にも興味が湧いた。
思えば随分と長い間、彼とは全力で戦っていない。
共にアーダルベルトを討つ共犯者の今の実力くらいは知っておきたい。
それに、アグニ程の騎士となると、全力を出せる機会などなかなか訪れない。アグニが全力を出す相手となれば、誰もが世界のバランスに関わる大物。そんな相手と戦うには、相応の準備や覚悟が必要だ。
そういった煩雑な事情を抜きにして、ユウヒと戦うことができるというのは、得難い好機だ。
「俺にとってこの大会は、計画成就のための準備段階でしかなかったが……どうやらそうでもないらしい」
遥か先の復讐。
それだけを見据えていたが故に、アグニはずっと、目の前のことに熱意を注げなかった。
本気になれる相手など、いなかった。
そもそも、復讐以外どうでもいいのだから――彼の心は、冷めきっていた。
しかしこれは、『復讐』にも関わることだ。
輝竜ユウヒの実力を確かめておくというのは、必要な工程だ。
ユウヒ程の実力者との戦い。これもまた、自身を磨く上で必要。
復讐の牙を研ぐ――赫世アグニの心は、そのためならばどこまでも熱く燃え盛る。




