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迅雷の逆襲譚〈ヴァンジャンス〉  作者: らーゆ
第4章/下 ■■■■■■/■■■■■■
75/164

 第2話 曖昧な境界線の上で藻掻いて






『さぁ、大罪人、屍蝋アンナの処分、さっさと決めようや。ウチは程々に拷問してから、ぶち殺すべきだと思うんだけど、そこんとこどーよォ?』





 唐突に――ジンヤの認識としては、あまりにも唐突に始まってしまった《八部衆会議》。

 それもそのはず、なぜならこの会議を仕掛けた相手は、それを狙ったからだ。


 この会議を仕組んだのは、八尺瓊ガライヤ。


 オロチとの因縁を感じさせる、荒い口調の女性。

 元々、罪桐事件――罪桐ユウが引き起こした、一連の出来事の通称――の件で、会議は行われるはずだった。

 屍蝋アンナへの追及も、予定されていたことだ。アンナの処分については、まずこの会議で事件の詳細についてを共有した後、後日改めてアンナを交えて行われるはずだった。

 だが、ガライヤがそれを許さなかった。

 屍蝋アンナが、他の者達と口裏を合わせる可能性がある。処分決定までの期間を引き伸ばすほどに、彼女が根回し出来ることが増えていく。そしてそもそも、現在彼女が拘置されていないこと、まずそこから異議を唱えると言い出したのだ。

 

 しかし、アンナについての処分は、暫定的にではあるがセイハが下していた。

 現在のアンナに危険性はないと、そう判断されている。

 だが、その決定は、任務で外していたガライヤを通さずに行われたものだ。


 ――――ガライヤは、屍蝋アンナを許すつもりなど、少しもないのだ。


 なんとしてでも追い詰める。そんな気迫が、彼女のやり口や態度から発せられている。


「――で、そっちの言い分は? 犯罪者庇おうってんだから、それなりに説得力あること言ってくれんだよなァ?」


「まずその認識が間違ってんだよ。アンナは罪桐ユウに操られてた被害者だ。テメェは、殺人に使われたナイフを壊せ壊せって喚いてる間抜けだ」


 オロチが冷ややかに言い放つ。

 ガライヤは金色の髪をかきあげた後、頭を抑えながら、


「オマエのその言い分が通るかってのが問題だろうが。洗脳は解けてんのか? そもそもそいつは、洗脳下にない状況で、安全なのか? 記憶が残るタイプの洗脳で罪を犯したヤツが、解除後もその記憶に苛まれて狂っちまうなんてよくある話だろ、どーなんだよ?」


「…………ッ、」


 言葉に詰まるオロチ。


 この問題が難しいのは、「屍蝋アンナは安全なのか?」ということの判別が難しいからだ。

 ガライヤの言うとおり、アンナが洗脳下になくとも、彼女の精神が不安定な可能性がある。

 アンナは精神の状態も安定しており、洗脳の痕跡もないが、しかしイレギュラーなことが多すぎるのだ。


 オロチはアンナへ視線をやった。

 アンナは一度頷いて、


「アンナ、は………わたしは、もうあいつの……罪桐ユウの洗脳は完全に解けています。そして、洗脳下にあった時の記憶も残ってますが、でも……もう、あんなことは、絶対に、」

「――――あんなことってのは?」

「……え……?」

「あんなこと、ってのはなんだよ? はっきり言えよ、なあ?」


 鋭い視線でアンナを射抜くガライヤ。

 黒髪の少女は、気圧され、言葉に詰まってしまう。


 言葉にする、ということはあの記憶を呼び起こすことになる。

 忌まわしい殺戮の記憶を。

 ガライヤだって、そんなことはわかっている。わかった上であえて、その傷口を抉っているのだ。

 

「そ、れは……」

「殺したんだろうが、テメェが! その手で! 人にやらされたから全部チャラ? ざけんじゃねーぞ、人殺し。納得できねえんだよ、そんなことは!」

「ガライヤ、テメェいい加減に……ッ!」







「――――そこまでだ、二人とも」






 再び一触即発となる二人を制すのは、《八部集》第一席天導セイガ。

 穏やかな態度から一転、冷然とした調子でオロチとガライヤの応酬を遮る。




「二人共、感情と因縁を持ち込みすぎだ。気持ちはわかるが、気持ちで言い合っていればキリがないだろう?」




 教え子を諭す教師のような語りかけるセイガ。

 

 ジンヤからすれば、常に自身より遥か上の存在。

 常に大人である存在のオロチが、子供のように諭されている光景は衝撃的だった。

 それだけセイガが高みにいるということ。

 問題がアンナのことで、オロチも冷静さを欠いていること。

 それに……きっと、あのガライヤという女性とオロチには、セイガが言った通りなにやら因縁があるのだろう。



「セイハはどうだい? 君の考えを、私に聞かせてくれ」

「今回の件、俺の失態によるところが大きいです。罪桐により操られ、さらに部下の手綱も握りきれず、ヤツに良いようにやられました」



 事の発端は、セイハに送られてきた映像。

 それで屍蝋アンナは危険と断じて、ジンヤ達と交戦することになった。

 もしもあそこで、セイハが全てを見抜けていれば?

 今ならなんとでも言えるが――それでも。

 本当の敵の手のひらの上で踊ることなく、全員で罪桐ユウと戦う未来もあったのではないか。

 そして……。

 セイハがやられた隙に、さらにユウは《ガーディアン》の隊員がジンヤを確保するように仕向け、大会出場取り消しという事実を突きつけ、彼の精神を追い込んだ。

 それだって、セイハならば防げたかもしれないのだ。

 だから――。

 本来なら、セイハはここでアンナの味方をするような考えは持たない。

 彼が信じるのは。

 彼の正義は、個人の情に左右されるようなものではない。

 組織やルール、そういった決められたモノを遵守するのが、彼の在り方だ。

 騎装都市管区の長なのだ、それも当然だろう。そこを守れないようでは、多くのものを守れないと、セイハはそう思っている。


「……そうだね。でも、しかたない部分も多々あるさ。なにせ彼は――罪桐は、そういうことに長けている」


「ですが、しかたないでは済ませられません。……今回、判断を過っていた事実は変わらない。……そして、俺は屍蝋や刃堂を信じたい。屍蝋の処分について、既に下したものは間違っていると思っていません」


 だが、セイハは自身と異なる在り方のユウヒやジンヤの正義を認めている。

 それがなければ、今回の件はどうにもならなかった。

 セイハだけでは、取りこぼすものがあった。

 それを認める柔軟性を、彼は持っているのだ。

 

 例えばそれは、あの真紅の少年のような――。

 決められた正義の枠に収まらない、信念を貫くような在り方が、時に必要になることを、セイハは知っている。

 勿論、それだけでは世界は立ち行かない。

 所詮そんなものはレアケース。

 当たり前の正義は、自分が担うとも、セイハは自身に誓っている。 



「……蒼天院さん……っ!」


 ジンヤはセイハのもとへ駆け寄りたくなる衝動を抑えた。

 あの祭りの夜――セイハやゼキ達に立ちはだかれた時の絶望を覚えている。ミヅキやハヤテがいなければ、確実にあそこで終わっていた。

 絶望の象徴であった男が、今はこちらの味方をしてくれている。


「くっだらねー馴れ合いなら他所でやれや。根拠を言え、根拠を。なにが信じられるってんだ?」


 苛立たしげな声を挟むガライヤ。


「事実として、彼らは罪桐ユウを倒している」

「ユウヒの力だろう?」

「……いいえ、彼は――輝竜は、自分だけでは……いや、むしろ自分は役に立てなかったと、そう言っていましたが?」

「ふぅーん……どぉーだか……怪しいもんだけどなあそれも。ガキだけでどうやって《騎士団》クラスを倒したんだよ? もしかして、罪桐ユウとグルか? なぁ?」


 そこでアンナへ視線をやるガライヤ。

 当たらずも遠からず――ジンヤは焦る。一度はアンナがユウ側に落ちている以上、疑われるのもそれほどおかしくはない。


「――それこそ、根拠を提示できますか? 現在、罪桐ユウが収監されているのは事実ですが。この状況、彼になんのメリットが?」

「……わぁったよ、そこは、今はつつかねーでいてやる」


 罪桐ユウ戦に関しての詳細を、ガライヤが調べ上げる時間はなかった。

 そこを把握しているからこそ、セイハもその部分では強気でいられる。

 この方針は、事前にオロチからセイハに聞かされていた。

 オロチがこの時のためにしていた仕込み・・・の一つだ。

  

 セイハとガライヤの会話で、内心冷ややかなのはジンヤだった。

 セイハにも、レイガやガウェインのことは伏せている。

 あの戦いで決め手になったのが、《ガーディアン》ではなく外部の勢力だったと知れれば、そのことも追及されてしまう。

 これ以上弱みを増やしたくないが――さすがにガライヤもそれは知りようがないらしい。

 ユウを倒せたのは、アンナの《武装解除》のお陰、ということになっているのだ。

 真実さえ露見しなければ、この部分はこちらに有利に働く。

 アンナの価値を示す材料になるはずだ。

 セイハには黙っていたが、オロチにはこのことは伝えてある。

 確かに急な呼び出しで、事前準備は完璧ではないが――恐らく、オロチはこれも読んでいた。だからこそ、今日より以前に、既にその口裏を合わせておいたのだろう。


 ジンヤが知らない部分で行われる駆け引き。その全てを把握出来ているわけではないが、それでも、オロチに手抜かりはないように思える。

 さすがはオロチだ。

 アンナを守るためなら、多少汚れた手も平然と使う。

 形振り構っていては、守りきれなことなど百も承知なのだろう。

 ジンヤは改めて、師匠である彼女へ尊敬の念を向けつつ、それを表情に出さないように努める。



「次はソウジに聞こうか。君はこの件についてどう思うんだい?」


「そーっスねぇー……」


 一度言葉を区切り、ソウジが視線を向けたのは――――


「――――なあ、刃堂」


 突然、《八部衆》という遥か高みの存在に話しかけられ、萎縮するジンヤ。

 オロチやセイハならともかく、他の《八部衆》とは面識もなく、未知の高位実力者だ。

 状況によるものも大きいが、言葉を交わすだけで緊張を強いられる。


 雷轟ソウジ。

 ジンヤとしても、まったくの無関係ではない。

 《雷轟》は《雷崎》の家と関係があるのだ。


「……はい」


「屍蝋はよォ……」



 なにを言われようが、アンナを庇うと身構えるジンヤ。




「――――強ェーのか?」



「……え?」

「だぁーから、屍蝋アンナは強ェのか?」

「それは、もちろん……。1回戦のアンナちゃ……屍蝋アンナの試合は?」

「あんなもん、不意打ちだろ。あの切り札を一回戦で切ってんのはもったいねーわな」


 アンナ対ガウェイン、《武装解除》により、ガウェインの切札を潰したことを言っているのだろう。確かに、あれは情報の差も大きい。知らなければ回避できない初見殺し。


「――――強いですよ。《武装解除》は強力ですし、罪桐ユウ戦での決め手となったのも彼女です。……それがなくとも、Aランク相当の実力がありますから」


 ジンヤはそう断言した。

 ユウ戦の真相が把握されてないという強みはフルに使う。

 それにわかっていたところで、《武装解除》は脅威というのは真実だ。

 それは《武装解除》を警戒した上で戦ったことで痛感している。


「へぇー……いいじゃねェか。強いってんなら、オレァ殺すのにも牢屋にぶち込んで遊ばせとくのも反対だな。ガンガン使ってやりゃいいじゃねえか。悪ィと思ってんだろ?」


 ソウジはアンナを見つめ、言葉を続ける。


「自分の意志でなくとも、誰かを傷つけたと思ってんだろ? だったら、今度は誰かを守れや。ぐだぐだ悩んでも罪悪感は消えねーんだよ。突っ走るしかねえだろうが」


 そう言って、ソウジは笑った。



「ってのがオレの意見だ、セイガさん。オレは強ェやつを殺すだの縛り付けとくだのって寝ぼけた意見にゃ賛成できねえよ。オロチとガライヤの喧嘩は知らねえや、口じゃなくてガチで戦うならオレも混ぜてくれ、そんだけ、以上」


「……君らしいね。ありがとう」




 柔和な笑みを浮かべ、頷くセイガ。


「チッ、脳筋馬鹿が……」


 ソウジの言葉に、不快そうに眉をひそめるガライヤ。


「…………それじゃあ、オロチ。君にも聞こうか」


 ――ついに来たか、とオロチは身構える。

 結局のところこれは、ガライヤ――そして、セイガを納得させるためのものだ。

 

 セイハはこちら側についているし、ソウジが問題に介入してくるスタンスでないことはわかっていた。

 面倒なのはガライヤだが、こちらに関してはねじ伏せる算段はつく。


 問題は、セイガの方だ。

 ソウジのように単純ではない。

 セイハのように事前にこちらに引き入れることもできない。

 彼はガライヤのように、過剰に悪を憎むことはない。


 ガライヤは、悪を憎み、悪を排除する装置のようなものだ。彼女の過去に起因するそれを、簡単には止めることはできない。しかし彼女も組織の一員。

 完全に私怨で動くのならば、もはや刃を交える他にないが、そこまで壊れているわけではない。もはやそれは残滓に近いが、彼女にも正義はあった。

 言うならば、輝竜ユウヒから、英雄足らんとする心を取り除いたようなものだろう。

 ただ悪を憎み、そのために徹底的に突き進む。

 ガライヤとユウヒ。

 二人の在り方は、苛烈な正義という点でどこか似ているが、しかしユウヒには理想の英雄で在りたいという一線がある。だから彼は、アンナを認めないといいながら、ジンヤを通り越してアンナを排除しようとはしなかった。その美学が、信念が――そして、そこへ正面から向き合ったジンヤの在り方が、アンナを守ったと言える。

 


 ――――そして、セイガだ。


 あの男もまた、英雄だ。

 かつて、大きな戦いがあった。

 《異能》の存在を世界が知ることになり、騎装都市の今の方向性を決定づけた、大きな戦いが。

 その戦いで、セイガは《終末赫世騎士団》と戦った英雄の一人だ。


 セイガは、ガライヤのような悪を憎むだけの単純な考えは持っていない。ただ、この世界を守るということに拘る。

 ガライヤよりもずっと合理的と言えるだろう。

 アンナがどんな罪人だろうと、世界を守るために有用ならば、セイガはアンナを遊ばせるような判断はしない。

 だから、彼を納得させる、《ガーディアン》の利になることを提示すればいい。



 しかし、それはつまり――――…………。




「…………確かに、アンナは罪人だ。あいつのやったことは取り返しがつかねえ。全部が全部、完全に罪桐ユウのせいじゃねえのかもしれねえ、アンナにも何かやりようがあったのかもしれねえ。でも、それでもだ……あいつが間違ってたとして……それで、全部終わりか? 一回間違ったら、もうそれで、これからのあいつの未来は、全て否定されるのか?」




 利を示す、つもりだった。

 それでも、言葉が溢れた。


 これでいい、とオロチは思考が熱くなっていく中、どこか冷静な部分で考えた。

 なぜなら、セイガは合理的ではあるか、輝竜ユウヒにも似た美学も持っている。

 ガライヤのような、単純さではなく。

 真剣に、罪を犯した少女について考えてくれるという信頼があった。



 ――だから。




「ガキが間違った時、大人がそれをただ否定すんのか? そうじゃねえだろ……そうじゃねえだろ、アタシら大人がやることはッ! 確かに罪人だ、罪人だよ、そこは否定できねえ。でもな、アンナは罪人である前に、まず子供だろうが。……そして、こいつは自分がガキだからって、なにやったって許されると思ってるような馬鹿でもねえんだ! わかってんだよ、許されねえって! そんなやつがいたら、正しく導いてやるのがアタシらの役目じゃねえのか!?」



 オロチが立ち上がり、声を荒げる。

 セイガ、ソウジ、セイハの表情は、真剣なものになっていく。

 ガライヤが、不快そうに顔をそむけた。


 アンナの瞳には、涙があった。


「間違いを犯しちまって、それを自覚してる子供を救ってやれねえやつを……アタシは大人だとは認めねえよ。だから、こいつにチャンスをくれ。償いを、前に進むチャンス。それは暗がりにぶち込むことじゃねえ。こいつ自身が、絶対にそうはなれねえと諦めた光に引きずりだして、そこで光を浴びて、その眩しさに焼かれながらでも、そいつを守ることだろ? それが、一度は暗闇の底に落ちたこいつが、本当にすべきことじゃねえのか?」


「――――だからさあ、いらねえんだよ、そういうお涙頂戴は。情じゃなくて理屈で喋れや」


「……最後まで黙って聞け。こいつはそんな温いもんじゃねえ」


 言葉を挟んだガライヤを睨みつけるオロチ。ガライヤが、その迫力に一瞬気圧される。



「…………ジンヤ。お前に一つ、やってもらいたいことがある。こいつはアタシにはできねえ。アタシにも、やることがあるからな。だからきっと、これはお前にしかできねえ」


「…………僕にしか、できないこと?」


 そうだ、と頷くオロチ。

 そして、僅かな逡巡を見せた後に。

 その言葉を、吐き出した。





「――――アンナと一緒に、《ガーディアン》に入れ。そこでお前は、アンナを見守っててくれねえか?」


「僕とアンナちゃんが、《ガーディアン》に……?」




 

 驚いたが、しかし帰結としては自然に思える。

 償い――誰かを守るのなら、《ガーディアン》に入れば、その機会は訪れるだろう。



「アンナを監視する役がいるだろ。アタシがすべきことだが、生憎とこれから忙しくなりそうでな。アンナを守る意志があって、信頼できるヤツって言ったら、お前しかいねえだろ」



 オロチの言葉に、嘘はない。

 アンナへの想いも。

 ジンヤへの信頼も。

 全ては真実、心の底からのものだ。



「……もちろん。僕からもお願いさせて欲しいです。それでアンナちゃんを守れるのなら」


 ジンヤはそう強い意志を秘めた瞳で返した。




 ――――オロチは自身のやり口を嫌悪していた。

 これはあまりにも卑怯だ。

 だって、オロチはこう言えばジンヤが断らないことを知っていた。

 いずれジンヤが《ガーディアン》に入る未来は、そうあり得ないものではなかっただろう。

 しかしそれは、誰かに強制されるものではなく、自分の意志で選び取るものであるべきだと、オロチは思っていた。


 アンナを。

 大切なものを守るために。


 彼女は、自身の信念に反した。


 子供を守るというオロチの信念。

 その中には当然、恩師の息子であり、自身にその信念を自覚させたジンヤも入っている。


 オロチは、生まれたばかりのジンヤを抱き上げた時、今の在り方を見つけた。

 そのジンヤを、信念のために、利用した。

 大切な人の息子を、自身の在り方を定めた少年を、その行く末を見届けると決めた弟子を、利用した。


 大切なものを守るために、大切なものを使う。

 なにかを守るために、なにかを切り捨てる。

 

 汚い大人のやり口で、理想の大人になるために守ると定めた者を守った。

 



 ――――吐き気がするほど、おぞましい矛盾だった。

  






「――――これでどうですか、セイガさん。細かい条件は詰める必要はありますが……あなたにとっても、悪くない提案なはずでしょう?」


 淡々と、冷たい機械のような口調で、オロチはセイガへ語りかける。


 

 細かい条件、というのは例えばアンナに《拘魔具》を装着するか、するとして、どれくらいのランクのものをつけるか。

 《拘魔具》というのは、魔力を抑制する魔装具の一種で、異能者の安全性を保証するものだ。

 完全に魔力を封じるモノもあれば、指定したランクまでの魔力を使用できるようにするものもある。

 騎装都市に住んでいる学生は、都市外へ出る際、これを装着しなければならない。

 都市内では、都市外よりもずっと《ガーディアン》の配備が行き届いていること、高いセキュリティが求められる場所では、一転範囲に魔力を抑制する魔装具が設置されているなどから、通常は装着義務がない。

 

 これで安全性の問題はクリア出来る。

 こういったことを詰めていけば、ガライヤの文句を差し挟む余地は消える。






「……うん、そうだね。私としては、それで文句はないかな。……ガライヤはどうかな?」


「とりあえず……今は了承しときますよ。まだ言いたいことはありますが」





 セイガに問われながら、オロチを睨みつけたまま答えるガライヤ。


 セイガの目的は、世界を守ること――もっと言えば、そのために《ガーディアン》という組織の戦力を増やすことだ。


 だから、彼としてはガライヤの心証などどうでもよく、初めからオロチがアンナをどこまで使わせる・・・・ことを了承してくれるかが焦点だった。


 オロチにとって、アンナは大切だ。戦いの場に出したくはないだろう。

 だから《ガーディアン》へ入れるのは不可能だろうと思っていた。それでも、緊急時に招集できる特別隊員枠に入れておくことくらいはできると踏んでいたが――想像以上の成果と言っていいだろう。

 アンナの入隊に加えて、あの刃堂ライキの息子で、大会でも実力を示している刃堂ジンヤまでついてきた。

 

 彼は。

 ――――天導セイガは、こうなることがわかっていて、ガライヤを放置していたのだ。

 彼女を黙らせるために、オロチがこの手段を選ぶかもしれないと、知っていたから。

 ここで禍根を残せば、ガライヤがさらに過激な手段に出るかもしれないと、オロチはわかっているから。



 子供の想像の外で、大人たちは、残酷な駆け引きを行っている。



 ◇




「さて、と……お、っとと」

「おいおい、大丈夫っすかセイガさん。あんたももう歳か?」


 倒れかけるセイガを支えるソウジ。

 セイガは若々しい見た目ではあるが、四十代半ばを越えている。

 前から、真面目な時の冷酷さに反して、普段は抜けているところがあったが、最近は特に何もないところで躓いたり、今のように立ち上がろうとしてふらつくことがあった。


「……情けないね、気持ちはまだまだ現役なんだけどね」

「……冗談きついっすよ」

「ははは、冗談さ。安心したまえ、老いて使い物になるくらいなら、ヤツ・・を巻き添えに派手に散るさ」

「だから、冗談きついですって……ったく。まあ、安心してくださいよ、あんたが引退するまでには、カタぁつけましょうや」

「はは、素晴らしい意気込みだ」


 セイガはそうして穏やかに笑った。

 アンナの件についての議論を終え、アンナとジンヤの二人には先に退出してもらっていた。

 その後、他のいくつかの議題を終え、会議は終了を迎えた。


 オロチは、無言でソウジとセイガ――いや、セイガへ視線をやっていた。その姿を睨めつけるガライヤ。

 そして一歩引いて、彼女達を見ているセイハ。


 《八部衆》。高位の騎士である彼らが交錯させた視線には、様々な意味・・・・・が込められていた。





 ◇





 会議で使っていた部屋を出たオロチは、ジンヤとアンナが待っている1階ロビーへ到着する直前。

 誰もいない通路で立ち止まった。


 思わず、壁に拳を叩きつけてしまう。


 通路に音が響く。

 ああするしかなかった。信念に反してでも、アンナを守るしかなかった。全てが都合良くいくことはない。相手にしていたのは自分と同格のガライヤ、そして遥か格上のセイガ。

 アンナを守れない、最悪の結末だってあり得た。むしろ都合よく収まった方に思える。

 それでも――――割り切れない、想いがあった。



「どうしたら……」



 ――――アタシは、どうしたらよかったんですか、ライキさん。


 ライキは死んだ。

 答えを教えてくれる誰かは、いない。

 導いてくれるような相手も、もういない。


 オロチは大人になってしまった。



 本当は、あの頃から――、


『……おっさん。御託はいいから、ちょっとアタシとやらねえか?』


 ライキと出会って、ただ彼に憧れたあの頃から、大して成長もしていないのに。




 あれから強くなった。

 しかし。

 ただ強くなっただけでは、なにも解決できない。

 

 どれだけ大人ぶっても、オロチの本質はただの馬鹿な子供だ。

 セイガのように、冷酷にはなりきれない。

 汚いやり口を身に着けても、それを使うことに耐えられるように心ができていない。

 

 彼女の中身は同じなのに。

 彼女を取り巻く世界が、彼女へ突きつけるもの残酷さは増し続ける。



 ――――かつて、ガライヤはオロチにとって、親友だった。

 共にライキのもとで、技を磨きあった。

 そして……決裂があった。

 オロチが信念を貫こうとすれば、ガライヤとはもう二度と共に歩むことはできなくなる。

 それを飲み込んで、オロチは信念を貫いた。

 

 その時、オロチは。

 これも大人になるということだろうかと思って、泣いた。



 誰も助けてくれない。

 もう、これ以上、自分は成長しないというのに。

 もう大人になってしまったから、これ以上強くなんてなれないのに。

 なのに、背負うものばかり増えていく。

 


 ――――助けて、と。

 


 彼女はもう、口にできない。


 彼女はそれを聞き届け、守ると誓った子供のために突き進む、大人だから。





「――――……ねえ、師匠」




 気がつけば、目の前にジンヤがいた。

 オロチは目を見開く。

 

 ふわあ、と欠伸をするフリをして、目元を擦る。

 見られたくないところを、見られたかもしれない。

 あまりにも、嘘が下手すぎる。

 これじゃあガライヤは騙せても、目の前の弟子一人騙すことなんて……。


「……よお、ジンヤ。悪いな、今日は……」

「――――なにがですか?」

「あん? そりゃオマエ……だって、オマエと、アンナに……」

「師匠。もし師匠が、僕が《ガーディアン》に入ることを強制してしまったとか……少しでも思っているなら、それは勘違いです」

「ああ? 事実、オマエは、アタシのせいで……」




「――――それは、僕が決めたことだ」




 力強く、ジンヤは断言した。


「僕はずっと、夢や、宿命を追いかけてきました。ライカと一緒に強くなりたい。龍上くんやハヤテに勝ちたい。僕の戦う理由は、それだけだった。……でも、同時に考えてたんです。強くなって、この力で僕はなにがしたいんだろうって」


 ハヤテと再会した直後、《ガーディアン》に協力し、《炎獄の使徒》と戦うということがあった。

 意識し始めたのは、あの頃から。

 そして、罪桐事件。

 輝竜ユウヒとの出会い。

 それに、屍蝋アンナを、守ると誓ったこと。

 様々な出来事を経て、ジンヤは自身の力の使い道を、前よりも明確に定めていた。



 ライキのように、誰かを守れる騎士に。

 屍蝋アンナを――妹のように、家族のように大切な彼女を、守れる人間に。


 ――だから、今回の一件でのジンヤの選択は、当然のことなのだ。

 オロチに言われるまでもなく。

 この道を選ぶのは、ジンヤにとって、必然で。


「師匠が気に病むことなんて、なに一つないんですよ」

「……オマエ……ったく……」


 馬鹿弟子が、とジンヤの頭に、弱々しいチョップが落ちた。


「――――生意気なんだよ……」


 オロチは、この少年を侮っていたのかもしれない。

 

 思っていたよりずっと、彼は成長していた。

 大人になっていた。

 それに……どこか、あの憧れた騎士に――刃堂ライキに似てきている気がする。


「……ねー、おろち……」


 気がつくと、今度はアンナがオロチの足にへばりついていた。


「おろち……辛かったら、言ってもいいんだよ? おろち、いつもアンナのこと助けてくれるから、今度は、おろちのこと、助けたいから……」

「……はぁ~……オマエもかよ……」


 ぺし、とまた弱々しい一撃を加えて、アンナを引き剥がす。


 ――――オロチは子供を守ると誓っている。

 だから、守るべき者に助けを求めることは絶対にできない。



 しかし、もしも――彼女がただ守るべき対象だと思っている子供達が、彼女の想像よりもずっと成長しているのならば。

 対等に近づいているのなら。

 いつかは、助けを求めて。

 アンナが言うように。

 助け合っても、いいのかもしれない。



 だが――今はまだ、その時ではない。

 だからオロチは、いつかの未来に訪れるかもしれないそれを待ち望む心を隠して。



「――――さあて……飯でも行くか。つぅーかオマエら、これから飯だったのに邪魔しちまって悪かったな」

「ああ、えっと……ライカ達、まだお店にいるみたいで」

「じゃあ今から行くか、アタシが奢ってやるよ。ジンヤの愛人二号も見てえしな」

「……は? 二号?」

「キララ!」


 アンナがそう言った。


「一号と二号には、大きな隔たりがある!」


 自分が一号らしい。


「……いや、アンナちゃん、なんてことを、キララさんはそういうのでは……、」

「まあなんでもいいじゃねえか。オマエも隅に置けねえな。どうだ、三号は欲しくねえか?」

「はあ!? いらないですよ!」

「あぁ? 生意気言いやがって、オマエ、しょっちゅーハヤテと一緒にアタシの胸ガン見してたくせによ」

「……じんや、あれは最低だった、見るならアンナにした方がいい」

「み、見てないよ? ハヤテだけだよ?」


 うそつきはこうだーっ、とアンナはジンヤに抱きついた。オロチは笑っているだけで止めてくれない。ライカがいないのでやられ放題だ。





 ――オロチは少し、勘違いをしていたのかもしれない。

 大人と子供を、自分で勝手に決めつけていたのかもしれない。

 

 自分のように、ジンヤを抱き上げたあの日から――なんて、明確な境界はなく、その境界線はもっと曖昧なものなのかもしれない。


 いつまでも、ジンヤ達は子供ではないのかもしれないが――それでも。


 もう少しだけ、あの日憧れたような存在でいたいと。

 そんなことを、考えながら、二人の背中を眺めていた。







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