第3話 誰も彼を知らずとも
――水村ユウジは、恐らく今大会最も期待されていない選手だろう。
8月4日。
Cブロックの試合が行われる日だ。
この日の試合は四つ。
第一試合のハンター・ストリンガー対アントニー・アシュトンの試合は、アントニーの棄権により、ハンターの不戦勝。
第二試合。
龍上ミヅキ対水村ユウジ。
ユウジは、セイハが所属する蒼天学園からの5枠、その最後の一人だ。
蒼天学園の現在の序列は、
1位 蒼天院セイハ
2位 ルッジェーロ・レギオン
3位 電光セッカ
4位 嵐咲ミラン
そして最後に、5位のユウジだ。
彼はジンヤ、ハヤテ、ミヅキ、ユウヒ達のような、一年生にして優勝候補達と渡り合う実力を持ち期待のルーキでもなければ、
セイハ達のような、既に結果を残している優勝候補でもなければ、
アグニやレイガ達のような《使徒》でもなければ、
ガウェインやランスロットのような、海外からの注目の留学生でもなければ、
ハンター・ストリンガー達のような、正体不明の外部からの刺客でもない。
凡庸。
ただただ、凡庸。
今大会で唯一、ジンヤと同程度の英雄係数。
きっと罪桐ユウは、彼の顔を覚えることすらできない。マネキンと区別するのにも苦労するだろう。それ程までの背景。
ただの凡人。なぜ大会に出場できたのすら疑問視される騎士だ。
実際、大会に関する記事に力を入れている情報誌でも、ユウジのことを扱っているものは皆無。
だが――――そんな誰にも注目されない騎士にだって、譲れないものはあるのだ。
◇
ジンヤとライカが並んで歩いている。
二人はどこか気まずそうに、お互いの顔を見ることができない。
少しはしゃぎすぎた。昨夜の浴室での一件。そして今朝の一件。盛り上がってしまったとはいえ、さすがにいろいろと照れが来る。
そんな二人のもとへ近づいてくる影があった。
「やっほー、おひさしー、ジンジン、ライちゃんー! 一回戦突破オメーっ!」
燃え上がるような真っ赤な髪を、高めの位置でくくったツインテール。テール部分は緩くロールしている。制服のYシャツの下で苦しそうに豊満なバストがその存在を主張している。ボタンを大胆に開けているため、胸元の深い谷間がはっきりと見える上に、Yシャツ越しに胸の形がはっきりと分かってしまうため、夏場の彼女は目に毒にも程がある。
胸元には炎を象ったネックレス。
赤色のリングピアスが左耳に二つ、右耳に一つ。左手首には真っ黒のシュシュ。
龍上キララ。
ジンヤの宿敵、ミヅキの妹――そして、彼女とはいろいろなことがあったが、今では二人の良き友人だ。
相変わらず、一言で表すと「派手なギャル」だった。
「ありがとう、キララさん」
「ありがとー、キララちゃん~」
ジンヤが最後にキララに会ったのは、抽選会の日なので、約十日ぶりではあるのだが、あれ以降ハヤテとの戦い、そして罪桐ユウとの一連の戦いがあった。
濃密な日々だったからか、どうにも実際の日数よりも彼女に会うのは久しぶりな気がする。
「私からも言わせてくれ。ジンヤ、ライカ、おめでとう……まったく、どんどん遠くなっていくな、キミ達は」
キララと一緒に現れたのは、雨谷ヤクモ。
深い藍色の長髪を高めの位置でポニーテールにしている。どこか侍のような鋭いイメージの、ジンヤ達よりも一つ上の二年生。
身長は高めで、鍛え抜かれた体は、どこか刀を思わせる。
ちなみに、胸元までスリムなのは多少は気にしていて、キララに指摘されると少しは怒る。
が、モデル体型は多くの女子の憧れであり、やたら同性にモテる。
「ありがとう、クモ姉。でも、まだまだだよ。まだ、これからだ」
「……やれやれ、これが事実なのが痛いな。……その通りだ。まったく、追いかけがいのある背中だ」
「お陰様でね」
「……今はこの辺りにしておこうか」
ジンヤは自分が強く在れるのは、かつてヤクモという騎士に憧れていたからだと思っている。
だが、ヤクモからすればそんな事実はないのだ。ヤクモなどいなくとも、ジンヤはきっと勝手に強くなった。
だが彼がそう言ってくれるのだ。
その憧憬を背負ってでも、進むと決めた。
そして今は、別の憧憬や敬愛も背負っている。
「残念ながら私がこの大会でキミを倒すことはないが……代わりに私の可愛い弟子がそれを成し遂げるかもしれないぞ?」
「はいはいは――いっ! 可愛い弟子頑張るッス! ジンジン、決勝で待ってるかんねっ!」
元気よく手を挙げて飛び跳ねるキララ。
大きく出たものだ。
Cブロックには、あの龍上ミヅキがいる。
それに、キララがかつて敗れた同じ黄閃の生徒である爛漫院オウカも。
Cブロックを抜けたとしても、その先に待つのは恐らく――輝竜ユウヒ。
はっきりと断言してしまえば、現状の彼女に優勝の可能性などない。
だが――そんなことはジンヤも同じだ。
現状、ジンヤより強い騎士などいくらだっている。
そんなことは、止まる理由にはならない。お互いそういう生き物だとわかっているのだから、優勝できるかどうかを現状の可能性で論じるような下らない段階にはいない。
「……キララさんとまた戦えるのも、楽しみにしてるよ」
不敵に笑って、そう告げて見せる。
「ジョートーっしょ! 前みたいな無様はもうしないから、ガチで」
かつてジンヤに敗北し、子供のように大泣きしたことを言っているのだろう。
彼女は強くなっている――と、ジンヤは確信した。
騎士は――いいや、騎士に限らず、負けたくないと強く願った人間は、許せぬ敗北と涙の数だけ強くなれるのを、泣き虫だったジンヤはよく知っている。
その時だった。
「あ、あの……っ!」
ジンヤ達に声をかけてくる一人の少年。
短めの黒髪。同年代よりも少し低い身長。
きょろきょろと視線が彷徨いつつ、下を向きがちで、どこか気弱そうな印象。
白を基調とし、青がアクセントに入る制服は、セイハと同じ蒼天学園のものだ。
「あの、えと、雨谷ヤクモさんですよね!? それに、刃堂ジンヤさんも!」
「う、うん、そうだけど」
「そうだが……キミは?」
突然のことに戸惑うジンヤと、軽く訝しみつつ相手の素性を尋ねるヤクモ。
ジンヤは、サインでもせがまれるのかと思った。
前にユウヒといた時に、サインをせがまれた事があった。
7つの学園の内、一つの序列一位。騎士が集まり、羨望の対象となるこの街ではファンがついてもおかしくない功績だ。
「あっ……えと、僕は……!」
「ほら、ユウジくん……しっかりしなって!」
おどおどとする少年へ、肘でつついて激を飛ばす少女が。
肩に届かない程度の黒髪。少し気の強そうなツリ目。ライカやキララと比べてしまうと、圧倒的に「ない」が、ヤクモに比べると多少の膨らみは見える。
蒼天学園の女子生徒――恐らく、彼の魂装者だろう。
「……はぁ~もぉ~……。すみません、彼ちょっと緊張しちゃって。彼は水村勇二。あ、私は木島樹里って言います。これから試合なんですけど、えーとー……」
水村ユウジ。
ジンヤは名前だけは知っていた。
龍上ミヅキの対戦相手だ。だが、彼に関してのデータはほとんどない。
大会出場選手全員の基本的なデータくらいは頭に入れておこうとしていたジンヤも、彼のことは詳しくない。
「い、いいから……ジュリ。自分で言うから!」
「もぉー、じゃーしゃきっとしてよねー」
付き合いが長いのだろうか。慣れたやり取りに見える。
なんとなく――かつての自分とライカのようだと、ジンヤは思った。
強気なライカに、いつも尻に敷かれるというか、面倒を見てもらっていたというか……少し情けない気弱な少年だったジンヤ。
「えと! 僕は水村ユウジと言います!」
「う、うん」
それもう私が言ったし! と、ジュリがぼそっと呟く。
ジンヤも聞いたなーと思いつつ、彼の言葉の続きを待つ。
「僕……ヤクモさんや、ジンヤさんに憧れてて……それで……あなた達に……その……救われたといいますか……あなた達がいたから、ここまで来れたといいますか……とっ、と、とにかく! 感謝してて! だ、だから! それを伝えたくて!」
「アタシはー!?」
「ひ、ひぃ……!」
びくっ、とユウジが大きく仰け反って、飛び出してきたキララから距離を取った。
「ありゃん……なんで?」
怯えられてることに気づいて、首を傾げるキララ。
「ほら……キララさん、ちょっと怖いし」
「ハァ!? 怖くなくない!? こんな可愛い美少女捕まえて怖い!? ちんこついてんのか!?」
「ち、ちん……!? ついてるよ! そういうとこだよ!」
「……チンアナゴ……」
ジンヤがキララに突っ込んでる横で、何故かライカが顔を真っ赤にして、両手で顔を覆っていた。
そのライカを見て、ヤクモが首を傾げている。
場の混沌さが増してきた。
いくらキララが威圧的なギャルとはいえ、ユウジの怯え方は少しおかしいように思えた。
が、とにかく今はキララが出て来ると話が進まないので、この狂犬は飼い主に任せる。
ヤクモがキララを取り押さえると、ユウジは再び言葉を紡ぎ出した。
「ホント……なんだこいつって思われるかもしれないですけど、それだけ伝えたかったんです」
「そっか……。ありがとう。嬉しいよ。……試合、頑張ってね」
「……ああ、ヤツは強い。だが、勝負というものはやってみなくてはわからないさ」
ジンヤとヤクモ――ユウジは憧れる二人に、そんな言葉をかけられ、
「……はっ、はい! ありがとうございます! 頑張ります! 勝ちますっ! 絶対!」
それから「……そ、それでは!」とだけ言って走り去っていった。
ジュリはそれ見て、
「あっ、ちょ、ユウジくん!? あー、もぉー……。……本当にいきなりごめんなさい、ありがとうございました!」
焦りつつ、彼を追って少女も去っていった。
「…………なんだったんだろうな、アレ?」
ヤクモはキララを解き放つと、腕を組んで首を傾げた。
「さぁ……?」
ジンヤも同様に首を傾げるが――一つ、引っかかる点があった。
それについては、キララがすぐに言及してくれた。
「…………あいつ、兄貴に『勝つ』って断言しやがった」
キララにはそれが信じられなかった。ジンヤもヤクモも、少なからず同じことを思っていた。
この場にいる誰よりも昔から龍上ミヅキを知るキララにとって、それは信じられない発言だった。
ミヅキは――兄は、キララが幼い頃から、絶対的な存在だった。
誰にも負けない。
誰よりも才能がある。
生まれた頃から見ているのに、ずっと遠くにあるその背中。
兄の背中に憧れたことはある。
兄の背中を追いかけようと思ったことは――ない。
いや、なかった。
だって、ずっと絶対的だった。
しかし、そうではなかった。
刃堂ジンヤという男は、何度もキララの常識へ逆襲してきた。
『あっはは……Gランク如きに騎士語られちゃったよ、ありえな、マジでありえないわ……いいよ、元々才能ないカスなんでボコしてやろーと思ってたけどさ、ますますやる気でた。あ、そぉーだ……もっと面白くしよっか? アンタさあ、明日負けたら、ガッコやめなよ』
『ナメんなGランク! 腐ってもアタシはBランクなんだよ! アンタとは根本的な魔力の量が違うの! この壁は絶対だ! これを砕けるのも、これより上の防御力を持っているのも、うちの学園にはたった一人しかいない! 間違ってもアンタじゃどうにもできないんだよ!』
他者より優れた才能を持ちながら、それを遥かに凌駕する兄を見てきたキララは、才能を絶対的なものだと信じて、努力というものを全て放棄していた。
諦めていた。
兄には敵わないのだから、自分がなにをやったって無駄だと。
努力などすれば、より惨めになるだけだと。
しかし、鮮烈な逆襲譚を目の当たりにした今のキララは違う。
自分だって――そう思うことすら、烏滸がましいのかもしれない。
それでももう、諦めないと決めたから。
彼にも、それ程までに強い想いがあるのだろうか。
だとしたらそれは一体、どこから来るものだろうか。
それに――――。
――「……ああ、ヤツは強い。だが、勝負というものはやってみなくてはわからないさ」
――「……はっ、はい! ありがとうございます! 頑張ります! 勝ちますっ! 絶対!」
あのやり取り、一見おかしなところなどないように見えるが。
だとすれば、あの時の彼の表情は――。
◇
走り去ったユウジは、控室の隅っこに逃げ込んで膝を抱えて落ち込んでいた。
部屋の隅が膝を抱えて情けなく落ち込むユウジを見て、ジュリは同じように彼の隣に座り込む。
「まーたそれ? もぉー……情けないなあ、本当に」
ユウジはイヤホンで耳を塞いでいる。
ジュリは彼からイヤホンを片方奪うと、自分の耳につける。
流れてくるのは、最近流行りのアイドルの歌だ。
ジュリは最初、ユウジがそんなものにハマってしまったのを大いに嘆いた。
軟弱だった幼馴染の少年が、さらに軟弱な趣味に走って、とことん軟弱になってしまうのかと思った。
だが、実際は真逆な結果となる。
ジュリはアイドルなど軟弱な人間の趣味だと思っていたのだが、ハマってからのユウジはむしろ前よりも強くなったように思える。
勿論、それだけが理由ではないが。
だからジュリは、前よりもアイドルとやらが嫌いではない。ユウジが聴いているのを気になって自分も聴いてみたら一緒にハマってしまった。
「やっぱ『きみさく』かー、こーゆー時はそうだよね」
ユウジが今ローテーションしてるプレイリストの曲は、
『キミの夢が桜なら』
『ユメドケ』
『KILL4U80夢』
どれも夢がテーマの曲。このアイドルは様々なテーマやジャンルの曲に挑戦していくが、こういった応援ソングが特に人気だ。
「……そういえば、いいの? オウカちゃん、このすぐ近くの控室にいるんじゃない?」
「……いいんだよ。厄介にはなりたくない」
「厄介? まあ確かにいきなり押しかけたら厄介よねー。既になってると思うけど」
「う、あぅ……」
言われてみれば、ジンヤやヤクモのところへいきなり押しかけるのは「厄介」そのものだろうということに、ユウジは思い至る。
「……ま、いい人達だったじゃない。今は試合のことだけ考えましょう。これで負けたら格好悪いけど、勝てばチャラよ、きっと」
「うん、そうだね……。勝とう。僕は、そのためだけに……」
静かに闘志を燃やすユウジ。
そして――試合の時がやって来た。
◇
『え~、Cブロック第一試合はアントニー選手の棄権となってしまいましたが……気を取り直して、第二試合言ってみましょう!
Aゲートから入場するのは今大会の中でもトップクラスの注目選手! 風狩ハヤテ選手、輝竜ユウヒ選手に並ぶ三大ルーキーの一人! 中学時代は三連覇という異形を成し遂げている天才! 今年春頃には、当時無名の刃堂ジンヤ選手に敗北し、話題になっていましたが……今はもう、その真相を皆さんわかっていることでしょう!
刃堂選手へのリベンジにも燃える、逆襲の天才、パーフェクトオールラウンダー!
黄閃学園1年! 龍上ミヅキ選手だァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
実況の桃瀬が声を張り上げると、呼応して観客たちも叫ぶ。
歓声に包まれる会場の中を、静かな足取りで進むミヅキ。
横にいる銀髪の少女――めるくが、ぼーっとした表情で、いつもどおりの言葉を口にする。
「ミヅキ、きょうもかてる?」
「当たり前だ。アイツを潰すまで、歩みを緩めるつもりはねえよ」
それだけだった。
二人の会話は、たったそれだけ。
『対する青ゲート……えー、こちらは対照的に、情報がまったくありません。しかし、注目選手対無名選手という組み合わせも燃えるものがありますね! ジャイアントキリングを起こせるのか!
蒼天学園1年! 水村ユウジ選手――――っっ!』
ミヅキと比べると、さすがに歓声も劣った。
だが、関係ない。
ミヅキが組み合わせに感謝していたように。
運命に感謝していたように。
ユウジもまた、この運命に感謝していた。
「…………龍上ミヅキ……ぼ、僕のことを、覚えているか?」
これまでのユウジとは異なる、冷たい声だった。
「あァ……?」
面倒くさそうに、ユウジへ視線をやるミヅキ。数秒沈黙、そして。
「テメェみたいなのは慣れてる。いつかオレが潰した雑魚だろ。覚えてねえよ。……で、次のテメエのセリフはこうだ。『二度と忘れられないようにしてやる』……残念だったな、雑魚を覚えてやる趣味はねえ」
「…………わかっていたよ、お前がそういうヤツだってことはッ!」
ユウジはかつて、龍上ミヅキに敗北していた。
ミヅキが最も荒れていた時代の対戦だった。
輝竜ユウヒに敗北し、その悔しさから逃げるために「騎士とは全て才能で決まるのだから、努力など全て無意味」という必死に自分に言い聞かせて、努力に励む騎士を叩き潰して心を折るということを繰り返していた時代。
消し去りたい、情けない過去だ。
雨谷ヤクモ以外にも、ミヅキに消えない屈辱を植え付けられた人間は大勢いる。
その一人が、水村ユウジだった。
ユウジはミヅキに敗北して、騎士をやめようと思った。
ヤクモには、ジンヤがいた。
ユウジには――幼馴染のジュリがいた。ずっと昔から一緒だった。何度ももうやめると叫んだ。その度に、ジュリはユウジを引きずりあげてきた。
ジンヤがユウジとジュリを見て、自分達に似ていると思ったのは間違いではない。
ライカがそうしたように、ジュリもまた何度もユウジを引きずりあげて、ここまで来た。
誰も彼を知らずとも――――ジュリだけは、ずっとユウジを見てきたのだ。
それは奇しくも、ミヅキとめるくの関係のようで。
水村ユウジ――Dランク。
Gランクのジンヤや、Eランクのヤクモより上とはいえ、それでも剣祭の舞台においては底辺と言える才能の持ち主。
「わ、わかっていたとしても……! 僕はこう言うよ……二度と忘れられないようにしてやるッ! お前に、消えない敗北を刻んでッ!」
「ハッ……御託はいらねえ、来いよ。悪ィが、雑魚弄んで遊んでた腑抜けは死んだ。今のオレは、誰が相手だろうが全力で潰す、遊びはねえぞ」
臆病で、弱虫で、才能のない少年の挑戦が――――逆襲が、今始まる。




