第1話 もう一つの宿命
狂愛譚が終幕を迎える直前――物語から抜け落ちた出来事。
アーダルベルトとトリスタンの襲来、彼らとの戦い、ジンヤとゼキの敗北――そして、絶命。
これらの出来事は現在、「起きたという事実」そのものが消えてしまった。
「よろしかったのですかな、この段階でこのような……。まったく、お二人とも変わりませんな」
白髪の老人が、穏やかな声でそう言った。
「ハッ、やっぱりかよ。……ジジイの小言は聞き飽きたぜ」
「ほっほ……私は飽きませんね。なにせ老いぼれは楽しみが少ない」
アーダルベルトが予想した通り、今回の件についてギースバッハから諫言を貰うことになった。
どうやら最後に行われた事象は、何か危険が伴うものだったようだ。
「……で、なんだ? 珍しいのがいるじゃねえか。それも、二人も」
現在埋まっている席は四つ。
トリスタン、ギースバッハ。そして、あと二つ。
トリスタンが目を向けた方向には、少女が二人。
世界の頂点に住まう怪物達が集まる空間には、一見似つかわしくないように思えたが――否。
二人の少女もまた、怪物達と同種の存在だ。
一人は漆黒の髪を腰の辺りまで伸ばした中学生くらいの少女。
他の者と似た黒の軍服を肩にかけている。そこまではまだいい、それ以外の部分で少女の服装は他の団員達とは大きく異なっていた。
薄手のキャミソールに、短めのスカート、ヒールの高いニーハイブーツ。軍服を除けば、街中にいてもおかしくないような格好だ。
「アハ……アタシですかぁ? ……あ、トリスさん、お久しぶりでーす。イェイっ☆」
ひらひらとトリスタンへ手を振ってみせる少女。
「あァーはいはい、久しぶり。そんで、どォーしたよ?」
「やだなぁー、決まってるじゃないですかあ……お兄ちゃんの代わりですよぉ~。ユー兄、パクられちゃったらしいじゃないですか、マジでウケるしっ、きひひ……きひ……斬悲悲っ、斬夜破破っ!」
「カハハ……ま、笑えらぁな。ユウの野郎がこうなるとは思っちゃいなかった。ま、好きにやれや。セベクもそうだが、テメェにもどーにもそそられねー」
「え~……それってぇ、女は殴れなーいとかってヤツですー? そういうのはアタシもパスで。でもでも~……えっちなこととかならどーですぅ? 友達の妹って興奮しないですかぁ?」
「まずその見てて悲しくなる貧しい体をどーにしかしろや」
「なっ、しっつれいなー……これでもCはあるんですよぉ、クラスじゃ大きいほうですよぉ~?」
上目遣いでトリスタンを見つめつつ、胸元を寄せて谷間を作ってみせる少女。
「ギース、ガキのお守りだ、テメエの領分だろ。オレはもうこいつの相手が面倒くせえ」
「流石に私でも手に余りますな」
「コラコラ~! 美少女の誘惑を無視するなーっ!」
「うるせえなあ……変な笑い方といい、ユウによく似てんなあ。ま、代理ってんなら別に殴るまでもねえ、認めてやるよ」」
「いやいや、別にトリスさんに認めてもらわなくていいんで!」
びしっ、と手を突き出し首を横に振る。
それから少女はギースバッハの方へ向き直ると、
「兄に代わり《想葬の六位》の大任を拝命いたしました、罪桐斬と申します。以後、お見知りおきを――ギースバッハ様」
「お噂は予予承っておりました。期待しておりますよ」
ギースバッハは立ち上がり、丁寧に一礼。
「そんで、もう一人の方はどォしたよ?」
トリスタンがもう一人の少女へ目を向ける。
キルよりも幼い少女。小学生くらいだろうか。藍色の髪をツインテールにしている。外界を拒絶するような長い前髪。光の失せた暗い瞳。
「わ、あ、あぅ……ひっ……」
少女は、彼女の横に立っていた巨大な鎧姿の者の後ろへ隠れてしまう。その者の顔の部分は――真っ白な骸骨だった。
骸骨騎士は、恐らく少女の力で操られているのだろう。
「あァ……? おい、どォしたよ」
訝しむトリスタン。
骸骨の背後へ隠れた少女は、継ぎ接ぎだらけのぬいぐるみを持っていた。
目玉や臓物が飛び出ている不気味なデザインのそれを突き出すと、
『おいてめえ、顔が怖ぇんだよ!!!! そのツラで話かけるんじゃねえぞコラ!!!』
…………その声は、明らかに少女のものだった。
ぬいぐるみに仕掛けがあって喋りだした、という可能性が微塵も浮かばぬほど、クオリティの低い腹話術だった。
「……あァ?」
びきり、とトリスタンの額に青筋が浮かぶ。
「トリスタン殿、ここはどうか穏便に」
白髪の老人――ギースバッハが静かに呟く。
「ガキにゃキレねえよ。面食らっただけだ」
面倒そうにため息をつくトリスタン。
少女は、トリスタンを睨みつつ、ぬいぐるみにシャドーボクシングさせている。
トリスタンがそこへ視線をやると、びくっと固まり、また骸骨の後ろに隠れてしまう。
「もー、セベクちゃんってば照れ屋なんだからぁ……ちゃーんと挨拶しないと、ほらほらぁ」
「わぅ……セベクは……えと……あうあう……」
キルに骸骨の背後から引きずり出されるも、目を回してまた隠れてしまう。
「アハハ……ダメだこりゃー。えーっと……まあ、皆さんご存知の通り、彼女は《幽冥の八位》、セベクネフェル・ホルエムヘブちゃんな訳なんですけどぉ……」
「ガキ二人が雁首揃えてどォしたよ」
「やな言い方ぁー。ま、いいですけどぉー。……ほらぁ、ユー兄捕まっちゃったじゃないですかぁ……だから、アタシは一応、代わりの《六位》になりましたよって挨拶で、セベクちゃんの方は……」
「……つ、次は……わたしが、動く……」
びくびくと震えたまま、つっかえながらも言葉を紡ぐセベクネフェル。
「…………あーちゃんと、また遊んであげるの……」
『罪桐ユウがいねえんだ、だったらオレ達が相手してやらねえといけねえだろうが……屍蝋アンナのよお!』
ぬいぐるみを動かしながら、セベクネフェルは笑った。
『あーちゃん』――――屍蝋アンナ。
アンナを襲った惨劇。《幻想都市計画》。そこで同じく、アンナと共に惨劇の渦中にいた少女。かつてのアンナの親友。『せーちゃん』と呼ばれていた少女。
彼女は今、世界で最悪の9人――その一人になっていた。
◇
終わらない。絶望は、終わらない。
終わらないのだ。狂愛譚がどれだけ幸せな結末を迎えようが、この因果からは逃れられない。
屍蝋アンナの絶望は――終わらない。
狂愛譚が終幕を迎えようが、罪桐ユウが舞台から降りようが、関係なく――彼女の絶望は続く。
狂愛譚の中で、ユウが行ったことなど、ほんの序章。
真の絶望は、ここからだ。
◇
「今回の件ですが、やはり刃堂ジンヤについてはもう少しデータが必要ですね」
「というと?」
白衣の男へ、スーツを着た男が話の続きを促す。
「かなり不確定な情報や推測が混じるのですが、龍上ミヅキに関しては、《係数》が悪性方向へ上昇していたため。そして、風狩ハヤテ、屍蝋アンナに関してですが……この二人は、自身の物語に、最初から刃堂ジンヤの存在を組み込んでいるんです」
「なるほど……。《係数》の高さよりも、物語の性質が優先される可能性があるという訳か」
「ええ、その通りです。風狩ハヤテも、屍蝋アンナも、ただ刃堂ジンヤを倒せばいい、という訳ではなかったのだと思われます」
白衣の男は分析する。
友情譚と狂愛譚。そこで起きた事象から、刃堂ジンヤというイレギュラーがなぜ生まれたのかを。
彼の仮説では、ハヤテもアンナも、ジンヤに勝ちたいのではなく、「彼と公平な勝負がしたかった」はずだ。
ならば刃堂ジンヤが自身よりも《係数》が高い相手を倒せたことも納得がいく。
《係数》の絶対性は、刃堂ジンヤ相手に限り働かなかったのだろう。
裏付けとして、蒼天院セイハには、刃堂ジンヤはまるで歯が立っていなかった。
罪桐ユウに関してだが、あれに関しては刃堂ジンヤ以外の要素が多すぎるので、《係数》がどう作用したのかが特定し難い。
どちらにせよ、あの戦いで重要だったのは屍蝋アンナ、輝竜ユウヒ、ガウェイン・イルミナーレ、空噛レイガ、夜天セイバだ。刃堂ジンヤではない。
「となると……次か」
「ええ、そうですね」
次――刃堂ジンヤの次の対戦相手は、黒宮トキヤか夜天セイバ。このどちらかの内、勝ち上がってきた方だ。
厳密には、屍蝋アンナとの試合が残っているが、これはもはや今のジンヤならば問題なく勝ち上がるだろう。
黒宮トキヤ。
夜天セイバ。
両者、《係数》を満たしている《主人公》。
そして、ハヤテやアンナのように、ジンヤとの因果を重要視した物語の持ち主ではない。
ならば――次の戦いが、刃堂ジンヤにとっての本当の試練なのだ。
刃堂ジンヤという徒花は、本当に《主人公》を倒せるのか――?
その真相が、次の戦いで判明する。
「面白い考察だったよ。なんにせよ次だな。アーダルベルト様のお気に入りだ。彼が本物であることを祈るばかりだ」
「そうですね……ビクター様は、どう見てるのですか?」
「そうだな……正直、刃堂ジンヤに関しては、まだ然程興味が湧かないな。彼が本物ならば、利用価値がありそうだが」
「利用価値、といいますと?」
「……金になりそうじゃないか。誰でも《主人公》になれるなんて、夢のようだ。俺みたいに、生まれついての主人公には必要ないが、無能な凡人はそういうのを好むだろう?」
「……商品価値はありそうですね」
「だろう? 現段階では必要ないが。刃堂ジンヤ、か……本物なら、解剖でもして、どうすればヤツを再現できるかについても考えておいてくれよ」
「……ええ、わかりました」
研究者の男が笑みを零した。
彼なりのジョークだろう。にしても物騒だが。
それから研究者の男といくつか言葉を交わした後、スーツの男はその場所を後にした。
スーツの男――彼の名は、ビクター・ゴールドスミス。
《装神の四位》。
《騎士団》の一員であり、表の顔は武器商人、軍事企業を経営しており――そして、研究者でもある。
◇
第二十八回彩神剣祭、一回戦Cブロック第一試合。
ハンター・ストリンガー対アントニー・アシュトンの試合は、アントニーの棄権により、ハンターの不戦勝となった。
当然だろう。二人とも外部からの刺客だ、仲間同士で争う必要はない。
これでハンターは、ダメージを負わず、手の内も晒さずに二回戦へ上がった。
Cブロック第二試合。
龍上ミヅキ対水村ユウジ。
ミヅキは控室からリングへと向かう通路を歩いていた。
彼は大会の組み合わせに感謝していた。
水村ユウジ。無名の選手だ。恐らく勝負にならないだろう。
だが、彼が感謝しているのは、一回戦の相手が格下なこと――などではない。
感謝しているのは――刃堂ジンヤが、トーナメントで正反対の位置にいることにだ。
彼との決着は、決勝でつける。
それも、彼は風狩ハヤテを倒している。
ジンヤとの戦い。
ハヤテとの戦い。
自身を受けた屈辱は、まとめてたっぷりと利子をつけて返すことができる。
そして――それだけではない。
Dブロックに配置された選手。
ミヅキは、準決勝の相手をその男だと予想していた。
偶然――本当に偶然、運命のように、彼が現れた。
かつてその男に、ミヅキは敗北していた。
ミヅキが道を誤ったきっかけの戦い。才能こそが全てと断じて、騎士などくだらないと思い込み、弱者を叩き潰し、騎士を諦めさせる……などというくだらないことを繰り返すようになった原因。
圧倒的な才能の差。
力の差。
騎士として、格が違う相手。
全てはミヅキの弱さが招いたことだ。原因を他者に求めることなど、惨めな八つ当たりでしかない。
だが、それでも――――それでも、ミヅキの人生において、ジンヤとハヤテから受けた敗北の屈辱と同等かそれ以上のものを味あわせてくれた相手だ、その要因を野放しにしていいはずがない。
本当に、このめぐり合わせに感謝していた。
刃堂ジンヤを。
そして、あの男を。
龍上ミヅキという男の誇りに傷をつけた相手を、全て残らず、叩き潰せるのだから。
「……よォ、上がってこいよ、叩き潰してやる」
「ボクは別に、今のキミには興味はないけれどね。でも……ボクと彼の宿命を邪魔をするのならば、斬り裂いて前に進むよ」
それだけだった。
その男――――輝竜ユウヒと、龍上ミヅキが交わした言葉は、それだけだった。
英雄になるべくして生まれた男と、英雄などとは正反対の生き方しか出来ぬ男。
太陽と月。
黄金と白銀。
竜と蛇。
運命に決められたように、二人の男は正反対。
そして奇しくも――――同じ男と、宿命を約束している。
刃堂ジンヤを潰すのはオレ/ボクだ。
正反対の二人は、たった一つの譲れない戦いを見据えていた。




