エピローグ 狂愛譚、それは――
刃堂ジンヤが目覚めると、そこは病室だった。
体中が、本当に傷だらけだ。
体力も魔力も限界まで、いや限界以上に絞り出した気がする。
意識が途切れる前の記憶――ユウとの戦いを反芻する。
長かった。本当に。長く辛い、戦いだった。
今もまだ、終わった実感はない。
ベッド脇には罪桐ユウがいて、「終わったと思った?」と――――
…………そう、笑ってみせるかもしれない。そんな恐怖が消えない。
ジンヤとしては、ベッド脇にはライカがいて、こちらの寝顔を見て微笑んでいる……という展開が望ましいが。
恐る恐る視線を動かす。
そこにいたのは――――、
――――蒼天院セイハだった。
なんでそうなる――――――――――――――――――――――――――――!?
蒼天院セイハ。学生騎士の頂点。前回大会優勝者。《ガーディアン》のトップ。
…………そして、ジンヤは現在、《ガーディアン》に追われる身だった。
考えてみれば、これは当然の結末だ。
ああ、ついに逮捕か……とジンヤはちょっとだけ絶望してしまう。
まあ構わない。アンナを救えたのならそれでいいだろう。
剣祭にも出場できなくなったのだ、今さら逮捕されたところでなんだというのだ。
牢屋の中でもできるトレーニングとなると、自重を使ったものに限られるかな……と、不思議な方向性での現実逃避を始めるジンヤ。
「…………目覚めたか」
蒼天院セイハが、喋った。
そりゃ蒼天院セイハも、喋る。人間なので。
「……ど、どうも」
気まずい。こっちは反逆者、あっちは都市を守護する長だ。
「まずは謝罪させてもらおう。……本当に、すまなかった」
「……え、え……?」
なぜだ、と困惑するジンヤ。
こっちは追われる身では?
逮捕ではないのか?
「今回、俺は罪桐ユウの策略に踊らされるばかりだった。輝竜に事情は聞いた。それに、《ガーディアン》の隊員が迷惑をかけたな。あれも罪桐が仕組んだことだろう。そう都合よく、あの場で刃堂を確保するのは不自然だ」
ユウにアンナの真実を告げられた直後、ジンヤは《ガーディアン》に確保された。
言われてみれば、タイミングが良すぎる。
冷静になって考えてみると、あれはアンナを洗脳する時間を稼ぎたかったのかもしれない。
「剣祭の出場停止、当然取り消させてもらおう。もしかすれば、俺と刃堂が当たることもあるかもしれないな」
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ん?
今何と言った?
イマナントイッタ?
出場停止……取り消し?
つまり……
刃堂ジンヤの、《彩神剣祭》は……、
終わって、いない……?
「よっしゃあああああああああああああああアアアアアアアアアアア痛ああああっ、いた、いってええええええええええアアアアアアア――――――――!?!?!?!?」
ボロボロの体で跳び上がろうとしたので、全身に激痛が走った。
「……刃堂、ここは病院だ」
「すみません……」
おとなしくベッドに横たわり、頭を下げる。
「罪桐ユウの確保、本当にご苦労だった。ヤツの今後についてだが、異能犯罪者が収容される施設の中でも、最高クラスのセキュリティを誇る場所に送られるだろう。貴重な魔力無効化機構が施設自体に組み込まれているタイプで、抜け出すのは不可能と考えられる。ヤツと魂装者も分断される。これでヤツも終わりだ」
「そうですか……」
「何か不安か?」
「いえ。これで安心できます」
ジンヤの顔が一瞬曇ったのは、どれだけ安心だと言われても、あの罪桐ユウを完全に封じられる気がしないということ。
同時に、彼ともう二度と会うことがないのなら、あの戦いでの最後の言葉は……。
────いや、彼ともう会わないとしても、関係ない。
必ず、彼よりも強くなる。
そうしなければ、収まりがつかない。
そもそもジンヤは負けず嫌いなのだ、この世界に自分より強い男がいることなど、許容するつもりは毛頭ない。
「……それから、ゼキと黒宮先輩は、刃堂のことを心配していたぞ。落ち着いたら、連絡をいれてやるといい」
「……ありがとうございます。心配なんて、あんなに迷惑かけたのに……」
「俺達は一度矛を交えたがな、あの敵対が仕組まれたものであった以上、気に病む必要はない。むしろゼキは今回の一件での、自分の立ち位置を嘆いていたがな」
ゼキとしては、完全にユウに踊らされ悪役となったのが許せないのだろう。
夜天セイバからジンヤへの言葉がないのは、セイバとしては『ただ命令だったから動いていただけ』で、ジンヤに謝る義理などないと考えているからだ。
ユウとの戦いで決め手となったレイガとセイバの連携は、恐らく伏せられているのだろう。
緊急時とはいえ、《使徒》と《ガーディアン》が手を組んだと露見すれば事だ。
その辺りの根回しは、ユウヒがやっておいてくれてるのかもしれない。
「……そういえば、ユウヒくんは?」
「輝竜か? ……ああ、輝竜から伝言を預かっているな──『決着はいずれ』だそうだ。輝竜の怪我はかなり酷かったからな。戦いが終わった後、立っていたのが不思議でしかたない」
決着はいずれ。
やはり彼は、ジンヤとの決着を諦めるつもりなどないようだ。
望む所だった。こちらとしても、彼と決着がついたなどとは思っていない。
「では、これで失礼する……俺以外にも、刃堂を見舞いたい者は多いようだしな」
そう言って、セイハが病室を後にする。
彼が出ていった後、病室の扉が僅かに開いた。
そこから、何かが出てくる。
ひょこり、と赤いリボンが揺れた。
◇
「じんやっ……よかった……よかったっ、本当にっ!」
「……アンナちゃんこそ。無事でよかったよ」
駆け寄ってくるアンナの頭を撫でようとすると、その手を掴まれて愛おしそうに抱きしめられた。
「もう、ずっと寝てるから、心配したんだからっ……」
言われて、ベッド脇に置いてあった端末を確認する。
……日付が、一日飛んでいる。
時間操作攻撃か────ではなく、ただジンヤが丸一日以上眠っていただけだ。
祭りの夜から続いた戦い。
あの夜、ユウの策略が動き出し、アンナが《ガーディアン》に追われることになった。
ハヤテやミヅキに、助けられた。セイハと戦ったが、まるで敵わなかった。
それからどうにかアンナを戦場から連れ出して、ガウェインに助けられて。
突然、決闘を挑んできたユウヒ。その後、彼も加えてユウと対峙する。
告げられる真実。
アンナの過去。ライキの死、そこに隠された事実。
絶望の底に、落とされた。
でも、いつだって引きずり上げてくれるのは、最愛で。
ライカ、オロチに助けられ、ユウによって操られたアンナと激突。
本音をぶちまけあって、全力で戦って。
ユウとの決戦。
偽りではあるが、それでも父と対決することになった。
ユウヒはアンナを悪としていたが、それでも彼がいなければアンナは救えなかっただろう。
ユウとの殴り合い。
本当に、たくさんの人に助けられた。
一人では、救えなかった。
「…………ねえ、アンナちゃん」
「……なあに、じんや」
「今でもまだ、僕しかいらない? 僕さえいれば、他になにもいらない?」
好きな人だけいれば、それで満足だろうか?
────アンナには悪いが、ジンヤはそう思えない。
ライカが好きだ。
勿論、それが一番の理由だが、それだけじゃない。
ジンヤの人生には、本当に大勢の人が関わっている。
恋人も、親友も、師匠も、ライバルも…………不倶戴天の、怨敵だって。
罪桐ユウに限っていれば、彼さえ存在しなければと思うことは山程ある。
だが、起きたことは覆せない。
悲劇は消えない。
罪も、涙も。
それでも、そこに意味を見出してしまったから。
それを背負ってしまったから。
全て、自分を構成する要素になっている。
悪いことを全部消していってしまったら、良いことだって消えてしまう気がする。
この世界は、なにもかもが自分に都合よくはできていない。
だから────。
ジンヤからの質問。
それに対して、アンナは。
「…………ううん。じんやは世界で一番大好きだけど、でも……みんなにも、たくさん助けられたから、だからこれからは、じんやを好きな気持ちくらい、みんなのことを好きなりたい。アンナは……自分が嫌いだけど、自分のことも、好きになりたい」
ジンヤは少し彼女を侮っていたことを反省した。
語るまでもなかった。
アンナはもう、ジンヤが考えていたことと同じような所に辿り着いている。
少女は恋をした。
とてもとても、大切な恋を。
恋をして、
失恋して、
成長して、
少しだけ大人になった。
きっとアンナはこれから、もっと素敵な女性になる。
狂愛譚、それは――――そんな、どこにでもあるような、ありふれたお話。
◇
窓の外は、夕焼けの色に染まっていた。
ジンヤの端末に、一通のメッセージが届く。
それを開くと、ジンヤ笑みを浮かべ、それから告げる。
「いこう、アンナちゃん」
二人が向かった先、それは――――、
◇
夕空の下、二人は病院の屋上にやってきた。
屋上へ続く扉を開くと──
「よお、ジンヤ。見ろよこれ、ちゃーんと許可取ったぜ?」
花火が入った袋を掲げて笑う、ハヤテがいた。その横にはナギが。
そして、オロチとライカも。
「私も来ちゃってよかったんですか?」
「気にすんな。嬢ちゃん達は、ジンヤとハヤテの嫁だろ? ならアタシの家族みてえなもんじゃねえか」
平然とそう言ってのけるオロチ。
「よ、嫁……嫁……」
ま、まあ嫁ですけど……と真っ赤になるナギ。
それを見て「自分はどちらだろう……嫁か……!?」とライカは考え込んでしまう。
考え込むライカを見たジンヤは「まだ嫁ではないよ、まだね、まだ……」と念を送ってみるが、ライカは気づいていないようだ。
「あいたっ」
いきなり、ジンヤのほっぺたがつねられた。
「なにするの、アンナちゃん」
「……今くらい、もっとアンナを見て……だめ?」
「……まあ、それくらいは」
なにせ今回の主役は、アンナだ。
祭りの夜──結局、あの夜の最後から、戦いが始まってしまった。
せっかくの楽しい思い出が台無しでは、あんまりだ。
だから今日は、そのリベンジ。
ジンヤ、アンナ、ハヤテ、オロチ。
叢雲の屋敷で過ごした四人での日々。
それにライカとナギ。
彼女たち二人は、そもそもジンヤとハヤテがオロチに師事する理由となった二人だ。
オロチが言うように、家族同然という扱いでいいのかもしれない。
「ねー、はやくしよーよー」
アンナが花火を取り出して言う。
「ちょっと待って、アンナちゃん。……それじゃ、」
ジンヤが周囲に目配せすると、アンナ以外の全員が頷いた。
首を傾げるアンナ。
せーの、とジンヤが呟いてから、
────おかえり。
……と、そう、ジンヤ達は、声を揃えていった。
叢雲での屋敷の日々。それを終えて、バラバラになったみんな。離れた先で、ジンヤとハヤテは守るべき最愛のために戦っていた。
アンナはずっと、ジンヤを想っていた。でも、その気持ち自体は間違っていないとしても。それでも、アンナの愛の形は、まだまだ未熟だった。
罪桐ユウの手に落ちた。もう二度と、こんな瞬間は、こんな当たり前の幸せは手に入らないと想っていた。
大好きな人と、大好きな家族と。
叢雲オロチは、弟子達が出ていった屋敷で、ずっと待っていた。
ジンヤが、ハヤテが、アンナが、それぞれ迷いながらも進み、求める答えにたどり着くことを。それを手助けし、見届けるのが、大人の仕事だと、オロチは思っている。
ずっと、帰りを待っていた。
そして今、やっと、全員が──ちゃんと答えを見つけて、帰ってきた。
だから。
だから、おかえりなのだ。
ならばアンナの返す言葉、たった一つで。
世界で一番幸せそうに、涙を流しながら、笑って。
「────ただいまっ!」
迅雷の逆襲譚 第3巻 漆黒の狂愛譚 〈完〉




