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迅雷の逆襲譚〈ヴァンジャンス〉  作者: らーゆ
第1章 逆襲譚、開幕
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 第五章 この一閃で決着を

 決戦当日。

 僕とライカは、闘技場の控室にいた。

 大丈夫。やれるだけのことをしてきたはずだ。何も不安がることはない、はずなのに……。

 手が震える。

 思い出すのは、三年前――全てを失ったあの敗北。

 今、もう一度負けたら、二度と立ち直れない……胸の奥からじわりと黒いものが滲んでくるような気がする、

 嫌な想像ばかりしてしまう。

 怖い。どれだけ強がったところで、僕の性根は情けなくて臆病なものだ。

 そればかりは努力で臆病を捻じ伏せることはできても、臆病自体を消し去ることなんて出来ない。そして今、抑えきれなくなってしまっている。

「……はぁ、……はぁ……ぁ……っ!」

 呼吸が荒い。じっとりと汗が滲んでいる。

 救いを求めるように、右手が虚空へ伸びた――その手を、ライカが掴んだ。

「――大丈夫」

 温かい。

 ライカの両手に包まれた右手から、彼女の温もりが伝わってくる。

「ジンくんは、強くなったよ」

 十分だった――たった一言、それだけで。

「……悪い、僕はやっぱり、肝心なところで臆病な弱虫のままみたいだ」

「いいよ。……私は、君がどれだけ怖くたって、それに立ち向かえる勇気を持っている人だって知っているから」

 震えは――

「よし、勝ちに行こうか」

 ――止まった。

 さあ、決戦を始めよう。


 □ □ □


 リングに上がる。

 レフェリーに風祭先生。観客には、キララさん一人だけ。

 ……戦いの日時を公表しなかったのか。

 意外だった。

 龍上君は、てっきり大勢の歓声の中で僕を倒し、僕を折る・・のが狙いだと思っていたのだが。

 今も忘れられない、三年前の敗北。

『……目障りだ、才能のねえヤツは消えろ――騎士を汚すんじゃねえよ、雑魚』

 彼は、才能のない人間が気に入らないのだろう。

 先にキララさんに出会っていたから、なんとなくわかるような気がした。

 才能のない人間を倒し、その意志を折る。彼は戦いの勝敗とは別に、そこに拘っているような気がしたのだ。

 クモ姉を、あんなふうにしたように……。

 折られて、たまるか。

 強い意志を胸の内で燃やし、彼を睨みつける。

「よぉ、よく逃げずに出てきたじゃねえか」

「僕が挑んだ決闘だ、僕が逃げる道理はないよ」

「そりゃそォだがよ、少し頭冷やせば自分がどういう馬鹿やらかしてるかわかるんじゃねえかとも思ったんだが……まあいいか、オレが手ずから潰せる楽しみが出来たワケだ」

「三年前のようには、いかないよ」

「……あァ?」

「覚えていないかな、この学園の中等部入学試験。僕はそこで、キミに負けている」

「わりィが、カスを記憶したことなんざ、生まれてこの方一度もねえな。なるほど、リベンジか、いいねェ……Gランのカスがどォいうつもりかと思ったが、珍しいこともあったもんだ」

「……キミと一度戦えば、相手は折られる。だからリベンジは珍しいってことかな」

「察しの通りだ。……さぁー、やるかァ。戦う前にいい勝負にしようだなんだと、べらべら下らねえことくっちゃべる趣味はねェんでな」

戦う前に・・・・、ね」

 相手と言葉を交わすなら、戦って心を折ってから――というわけか。

「そォいうことだ。――オラ、メルク、ぼけっとしてねえでさっさと来い、グズが」

「…………」

 リング端で虚空を見つめていた銀髪の少女――メルクと呼ばれた彼女が、おぼつかない足取りで龍上君のもとへ駆け寄る。

「…………みづき、今日も勝てる?」

「テメェが腑抜けなきゃな。ま、このカスはテメェなしでもやれそうなくらい、魔力もなんも感じねえが」

「…………かってね、みづき」

 龍上君は、返事をしなかった。

「ライカ、行こう」

「うん、信じてるよ、ジンくん」

 そして。

 二人の騎士シュヴァリエは、同時に魂装者アルムに触れた。


「《魂装解放リベラシオン・アルム》――《迅雷》」


「《魂装解放リベラシオン・アルム》――《蛇竜の銀閃ハイドラグラム》」


 鞘に収まった刀を、ベルトに差し込む。

 龍上君が、刃が噛み合った状態の蛇腹剣を一度振った。

「……ジンヤくん、いいんだよね?」

 風祭先生が、心配そうな視線を向けてくる。彼女は知っているのだ、僕がかつて、龍上君に敗北したことを。

「大丈夫です、前とは違いますから」

 先生は頷き、後方へ下がる。

 視界の端に祈るように手を組むキララさんがいた。

 大丈夫、大丈夫だ、やれるはずだ……。


『――Listed the soul!!』


 開戦を告げる音が、闘技場に鳴り響いた。


 □ □ □


 先制は当然、龍上君だった。

 僕にロングレンジ、ミドルレンジで使える技は、キララさんと戦った時に見せた棒手裏剣程度だが――いや『使える技』とは言えないか。あれが通じるとは思えない。

 ならば実質、間合いが離れた状態は、全て敵の独壇場。

 開戦直後より、逆境に叩き込まれる。

 ではいかにして接近し、こちらの攻撃が届く間合いまで持っていくか。

 ここを越えられなければ、勝利には到底届かない――ッ!

 銀色の刃が振り上げられ、輝きを纏い――雷光の斬撃が放たれる。

 モーションは見えていた。

 そして、雷光斬撃の軌道も。

 僕は、そのまま一直線に駆け出していた。

 右手を前方へ突き出し、飛翔してきた斬撃を――掴んだ・・・

 掴んで、握りつぶし、反らした。

 雷光斬撃はその威力を減じさせながら明後日の方向へ進み、地面に叩きつけられ、その場を焼いた。

 僕の右手では、パチパチと、攻撃の残滓である小さな電気が弾けている。

「――ほォー……同属性による魔力操作か」

 一瞬で見抜いてきた。

 そう、今のは僕が極めた魔力操作の精密性によるものだ。

 龍上君と、僕の属性は同じ雷。

 雷光斬撃を、僕は自分の魔力で覆った右手で受け止め、即座に魔力を触れた部分から流し込む。すると、彼の魔力と僕の魔力が混ざり合い、完全にではないが、その場にある魔力の操作権を奪い取れる。それにより、雷光斬撃の軌道を操作することが出来る。

 当然、この技はそう簡単に成立するものではない。

 同属性だからこその親和性。極めて高度な魔力操作。

 凄まじい速度で迫る雷光斬撃を、目で見て捉えることはできない。彼のモーションから、着撃地点を予測して、右手を合わせなければならない。

 ……恐らく、これは僕にしかできない攻略法だろう。

「雷は効かねえ――となると、剣の勝負か」

 龍上君が、笑った。

 彼の声色が僅かに弾んでいる。

 もっともそれは、獲物を見つけた狩猟者の声だったが。

「相性もあるが、オレから魔術戦の選択肢を完全に奪ったことは褒めてやる。が……オレァ、魔術を撃ち合うようなチマチマした戦いよりも、こっちのが性に合ってんでな」

 銀色の刃が、閃く。

 弾丸めいた勢いで迫る蛇腹剣を伸ばすことによる遠距離からの突き。

 速度、威力は恐ろしいが、攻撃範囲は狭い。体をほんの僅かに捻って、最低限の動きのみで回避、接近の速度を高める。

 僕は彼に接近し、こちらの間合いに入りたい。

 彼は僕を近づけなければ、一方的に自分だけが攻撃することが出来る。

 戦いとは、いかに相手を己の間合いに引き込むかだ。

 剣を振り回す以前に必須の戦い――どちらが先に、自分の間合いで戦うことができるか。

 僕はまず、彼に近づかなければならない。

「避けたか、だが――」

 彼が手首を返した。連動して、蛇腹剣も生物のように踊る。

 即座に振り向き、背後に向かって刀を振って、銀刃の追撃を弾いた。

「そォら、無様に踊れ」

 猛攻が、始まった。

 蛇腹剣の軌道は非常に読み難い。

 彼の言葉通り、その場に縫い付けられ、前に進めず、無様にたたらを踏まされる。

 鞭のように、蛇のように、靭やかで流動的かつ、鋼の刃の鋭さを持っている。

 この厄介な攻撃を支えているのもまた、龍上君の資質だろう。

 彼は恐らく、人よりも関節の可動域が広く、体が柔軟だ。故に彼の剣は、こちらの読みを越えた動きをしてくることがある。その予測の凌駕を計算に入れて、軌道予測を調整アジャストしていかないと、あっという間に切り刻まれる。

 見逃すな。視線を、呼吸を、剣を握る手の動き、手首、指先、腕、肩、腰、足……全てだ、全てをだ。

 剣は、手を振るものではない。体全体で振るものだ。

 しかし彼の動きは恐ろしく読み難い。教科書通りの美しいフォームかと思えば、素人同然の荒っぽい動きの時もある。

「……よし、見えてきた」

 僕が小さく呟くと、龍上君が怪訝そうに目を細めた。

 再び銀閃が乱舞する。

 上方から迫る斬撃を右へ強く弾き飛ばす。

 弾かれた剣を素早く戻してくる。右から迫る斬撃――これはフェイント。斬撃が変化して、地面に叩きつけられ、跳ね上がる――下方から!

 左へ体を流し避けつつ、前進。

 さらなる追撃を弾く。躱す。動きを読む。前進。弾き、躱し、予測、前進。繰り返す、繰り返して、少しずつ、彼の間合いを侵食し、こちらの領域へと、引きずり込む――!

 一歩。

 また一歩。

 彼へと迫る。

 そして、辿り着く――直前。

「上等ォ……そういう趣旨なら、ここまでの戦いぶりに免じて乗ってやる」

 伸びていた刃を噛み合わせ、元の状態に戻す。

 この距離まで接近されたのなら、蛇腹剣の強みはもう活きない。

 ならばもっとシンプルな剣戟の勝負を受けてくれるということだろう。

 それでも野太刀ほどの長さはあるだろう。蛇腹剣としての特性なしでも、依然彼のが間合いという点は有利だ。

 だが、剣の間合いでなら立ち回りようも瞭然としてくる。

 目の覚めるような、凄まじい速度の振り下ろしが脳天めがけ迫ってくる。

 刃を寝かせ、受ける。

 鍔迫り合いとなる。

 刃を合わせる時は、こちらは鍔元に近い部分で受ける程に、相手が切っ先に近い部分で受けるほどに、こちらが有利になる。極々簡単な力学ではあるが、簡単であることを疎かにしないのは重要だ。

 そもそも魔力で肉体を強化できる騎士に、こんなことは意味がないと言って蔑ろにする人もいる。それは逆だ、互いに肉体を強化した先あるのは、結局は肉体強化などない場面でも通用する原始的な術理が物を言う。

 僕のそんな考えを嘲笑うかのような、凄まじい力が手のひらに伝わってくる。

 魔力も、単純な膂力も、凄まじい。

 恐ろしい程の豪剣。で、ありながら速度、柔軟性にも富んでいる。

 凄まじい魔力を持っていながら、剣術までも天才的だ。

 対して僕は、道場に入ってからしばらくは、門下生全員に負け続けていた。

 今でこそ僕の強さの拠り所となっている剣だが、僕にはその才能すらなかった。

 それでも、今。

 龍上君のような、天才とやれている!

 やはり僕の歩んできた道は、間違ってなんかいなかった――ッ!

 素早く右の拳を、峰に沿って走らせて、刀の切っ先へ。拳を峰に添える。こうすることで、より力を入れ、刀を受けることが出来る。

 膝をゆっくりと曲げ、右拳を頭に引きつける。

 眼前に噛み合った刃が来る。そこへ、峰目掛け、額を叩きつける。

 ――鍔迫り合いによる密着状態から、峰を拳で叩き、攻撃を加えるという技法がある。

 それの応用。今手を離せば、その隙に膠着は崩れる、ならば手以外――頭を使えばいい。

 龍上君の刃が浮いた。

 ――この刹那に、決めるッ!

 納刀。

 魔力操作、開始。

 鞘の内部で、魔力が充足し、雷撃が弾けて、磁力へ変換されていく――――……マズいッ!

 ――流石に龍上君の野太刀を戻すスピードが速い……ッ!

 ここからは速度の勝負になる。

 納刀状態の僕。

 刀を弾かれたところから、手元まで引き戻し、再び斬撃を振り下ろす体勢の彼。

 一歩でも神速の領域へと近づいた方が、勝つッ!

 間に合え、間に合え、間に合え、間に合え、間に合え――――ッ!

 間に合え――…………否ッ! 間に合わせるッ!

 そのために、三年前の敗北があった!

 そのために、ここまで努力してきたんだ!

 今、間に合わなかったら、僕の、これまでの努力は、なんだったんだッ!

 決める、絶対に決めるッ!

 この一閃で――――決着をッ!


迅雷一閃エクレールッ!」


「――――甘ェぞカスがァッ!」


 ……間に合わなかった。対応、された。

 僕の斬撃と、彼の斬撃が激突。

 そして、拮抗――

 することなく、龍上君の刀が、彼の手から離れて、宙を舞った。

 高く、高く打ち上げられ、回転する野太刀。

 そうか……無理な姿勢からの強引な一撃と、僕の持つ最強の一刀なら、こちらのが上!

 ……今だッ!

 ここで叩き込む、決着の一撃を。

「これで、終わりだッ!」

 高速納刀。

 そして、再び抜刀。

 連続行使の《迅雷一閃エクレール》。

 体に凄まじい負担がかかる。

 魔力が一気に消費されていく。

 脳が焼ききれる程の魔力操作を長時間行ったことにより、意識が消えそうになる。

 襲い来る無茶の代償を、全意志を以てねじ伏せ放った二刀目。

 無防備な龍上君に、これを防ぐ術はない。

 はずだった。

 …………いや、一つだけあった。

 龍上君の左手。

 絶対不壊の手甲。

 だがそれも、僕の信じたこの技で断ち切る――ッ!

 僕の持つ最強の矛、彼の持つ最強の盾。

 矛盾など許さない。

 必ず、断ち切るッ!

 轟音が響いて。

 そして。


 龍上君は、手甲に包まれた左手で僕の斬撃を防いでいた。


 手甲は、断ち切れなかった。

 しかし、彼の体勢は大きく揺らいでいる。

 さらにもう一発の《迅雷一閃エクレール》は行使できない。体がもう、限界だ。

 でも、武器もなく、体勢の崩れている状態なら、ただこちらが一刀振るえば、それで終わる。

 終わりだ。

 そう、思った瞬間だった。

「――な、んで……?」

 遥か高くに打ち上げられていた野太刀は、彼の手元に戻っていた。

 ありえない、ここまでの攻防は一瞬。

 滞空時間はまだあったはずなのに、どうして……?

「……ハッハァッ!」

 僕の思考が空白に染まる中で。

 対敵は、獰猛に笑った。

「テメェは最ッ高だ! ああ、いいぜ、テメェ……よくここまで頑張った、褒めてやるよ、オレが人を褒めるなんざ、そうあることじゃねェぞ、なあオイ、わかるかよ……テメェのお陰で、オレは証明できるッ!」

 今まで見せたことがないような、心底嬉しそうな声と表情。

 そして、凶悪な笑みを浮かべたまま、彼は剣を振るった。

 斬撃の軌道は見える。

 まだやれる。

 まだ、戦える――はず、なのに。

 僕は、倒れていく。

「――――…………え、……、……なん、で……?」

 斬られている。

 確かに斬撃の軌道は見えていた。防御をした。なのに、斬られている。

 意識はハッキリしていた。

 体に負荷をかけ過ぎたせいで、判断や思考、視界が鈍ったというわけでは、絶対にない。

 そうだったら、どれだけよかったか。

 だって、僕は僕が信じるこの目や、剣、それらを以て、確実に防いだと思ったというのに、斬られているんだから……そんなことが起きたら、僕は、何を信じればいい……?

 どさり、と僕はうつ伏せに倒れた。

 仮想戦闘術式下の戦闘だが、もろに斬られた。

 痛い、痛い、痛い、斬られたところが、焼けるように、痛い。

 ――でも、それよりも。

 絶対に負けてはいけなかった戦いに負けた絶望の方が。

 ずっとずっと、痛かった。

「なあ、テメェは本当に努力したんだよな……努力したと思うぜ、まさかGランクのカスにオレがここまでしてやるとは思ってなかった。テメェはカスだが、カスの中じゃ一番努力したよ、オレが保証してやる……だからよォ」

 言葉を、一度区切る。

 僕は顔を上げ、彼を見上げ、睨む。


「テメェがここまで努力しても無駄っつーことはよ……『努力』ってのは、本当にどうしようもなく、なーんの意味もねェんじゃねえのか?」

 

 心臓に刀を突き立てられたような気分だった。

 斬られた痛みより、負けた悔しさより、ともすればこの言葉が一番僕を傷つけた。

 そうかもしれない――と、思わされた。

 僕は、自惚れではなく、ただ当たり前の事実として、世界で一番努力しなくてはならない人間だと思う。

 だって、僕より才能がない騎士なんていないのだから。

 でももし、それでも勝てない相手がいたら?

「ああ、別にいいぜ……オレと善戦できたっつー誇りを墓まで抱いてってもよ。精々孫に自慢してくれや。でもなぁ、テメェが、オレに勝てず、どんだけ努力しようが、《剣聖》なんざ、夢のまた夢って事実は変わらねェんだよ……ッハハ、笑えらァ、傑作だ」

 本当におかしそうに、彼は笑う。

「なァ……わかるよな? 男なら、剣士なら、一番になりてェよな? ガキみてえだって笑うか? オレは思うぜ、それを笑うヤツは、ガキ以下の腰抜けの、ゴミカスだってな……なあ、カスのテメェも、夢見たよな? どうだ? 一生夢が叶わねえことを知った気分は?」

 抉られた。

 彼の言うことが、わかってしまう。

 一番になれないのなら、もう、意味なんて……。

「ありがとよ……やっぱ騎士ってのは才能が全部だ。努力なんて意味ねえよ。生まれで全部決まっちまう、なら頑張ったって馬鹿みてえじゃねえか……なのに、どォして世の中こんなことに頑張っちまう馬鹿が大勢いるんだ? オレァそいつら全員の目ェ覚ましてやりてえんだよ……テメェみたいなのがいるとさ、オレは間違ってねえって実感できて、どうしよもうなく笑っちまうぜ……ああ、本当に、本当に……、」

 本当に――そう何度も繰り返して。

 彼は、心底苛ついたような、憎悪するような表情で、最後に――

「――本当に、騎士ってのは下らねえなあ」

 そう、吐き捨てた。

 全ての騎士を否定するような、最低の発言。

 それがどれだけ許せなくても、彼を否定することができなかった。

 僕が、負けたから。

「……ところでよ、一つ気になってることがあるんだが」

 これだけ言って、まだ何かあるのか……自然とそんなことを思ってっしまうほど、心が摩耗していた。


「テメェは……カスのくせに、なんでカスみてえな魂装者アルムと組んでんだ?」 


 完全に気力を失ってはずなのに、全身が燃え上がるかのような怒りが湧き上がった。

「お前……ッ!」

 動かないはずの体を、無理やり起き上がらせようとする。

「だってそォーだろうがよ……例えばオレの魂装者アルムとテメェのを交換すれば、もっとやれたんじゃねェのか? カスなら、カスなりに工夫しろ――ああいや、違うな……テメェは工夫してるが――武器だけは、どォいうわけかゴミカスと来た、不思議で仕方ねえ」

 許せない。

 言わせては、いけなかった。

 敗北した時、もうこれ以上の絶望も、悔しさもないと思っていたのに。

「情でその武器選んでんなら、やめたほうがいいぞ。武器ってのは道具だ、情で選ぶんじゃねェよ、どんだけ使えるか、そんだけだろうが。……どォにも引っかかるぜ、そこにだけ頭回ってねえのは……だがまあ――」

 首を回しながら、思い出したように呟く。

「――どうせもう、騎士なんてやめるよなァ? だったらいらねえ世話だったな」

 心が、死んでいく。

 彼にこんなことを言わせたのは、僕の弱さだ。

 彼の侮辱に言葉を返せないのは、僕の弱さだ。

 こんなに弱い僕が、騎士をやる意味なんて……。

 ああ、そうだ……もう、約束だって、果たせない……。


 僕は、彼に敗北した。

 一度目の敗北は、過去と自分を、全て否定された。

 二度目の敗北は。

 一度目とは、比べ物にならない。

 

 過去と現在と未来、そして自分と自分と関わる人間――その全てを、否定された。







































                 第六章 この迅雷で、逆襲を
























 夢を、見た。

 いいや、夢を、見ていた。


 母さんがいた。

 真っ白い空間で、ベッドに座っている。

 他には何もない。夢だ、夢を見ている、そうでなきゃこんな空間はありえない。

 母さんが生きているなんて、ありえない。

「どうして泣いているの?」

 母さんは聞いた。

「……また、負けたんだ。絶対に、負けちゃいけなかった……三年前、母さんに話した負けがあるでしょう? 絶対にあれより辛いことなんて、もうないと思っていたのに、もっとずっと辛いことがあったんだ……」

「ジンヤ――私が言ったことを、覚えているかしら?」

「……え?」

「もう一度言ってあげる、何度でも言ってあげる」

 そう言って、一度笑ってから、表情が変わり、強い視線で僕を射抜いて、母さんは言う。

「――どんな道を選んだって、絶対にあなたを応援するわ」

「……か、あ……さん……」

「辛いことばっかりよ、人生なんて。死んじゃいたくなるような、もう無理だって思うようなことばかり……でもね、ジンヤ、言ったでしょう……どんな道でも、って。例え誰かを裏切るような道だとしても、それでも、母さんはね、あなたを……」


 夢を、見た。

 いいや、夢を、見ていた。


 母さんの夢を見た。

 

 そして。

 大きな、僕にはとても背負えないような、大きな夢も見ていた。

 そう、見ていた・・・・


 僕は、この夢を――捨てることにした。


 どんな道を選んでも。

 そうだよね、母さん。


 □ □ □


 夢を見た。

 何度も何度も、夢を見た。

 母さんの夢が多い。

 同じくらい、ライカの夢も見る。

 夢の中で、僕はライカに何度も謝る。

 目覚める。

 目覚めた後、母さんに全部を許してもらう。

 いいんだ。どんな道を選んでも、いいんだ。

 そう思うと、少し心が軽い。

 今までずっと、夢だの約束だの努力だのなんだのって、気を張っていたからか。

 そういうのを全て捨てたら、とても心が軽い。

 何もなくなった。

 何も――本当に、何も……。

 同じだ。

 ライカと出会う前と。

 また、何もなくなった。でも、いいんだ、これからまた探せばいい。

 今度は、あまり努力しないものがいいだろう。

 ほどほどに頑張って、ほどほどに楽をして……ああ、そうだ、キララさんに遊びを教えてもらうというのはどうだろう?

 いいじゃないか、僕に友達なんていないと思っていたのに、いるじゃないか。

 そんなことを考えていた。

 真っ暗な、部屋で、一人、ずっと。

 外を見る。

 夕焼けだ。……なぜだか少し、辛くなった。

 いや、どうでもいいか。何が夕焼けだ。朝も夜も、夕方も、ただの自転の結果だろ。

 地球が回った結果くらいで、いちいち何かを感じるのも馬鹿らしい。

 窓にうつる顔が、酷く虚ろだった。

 僕……今まで、なにやってたんだ……? なんで、こうなってるんだっけ……。

 ……あー、そうだ、負けたんだ。

 負けて、こうなってる。

 部屋が散らかってるな。コンビニの袋とか、弁当の容器とか、飲みかけのペットボトルとか。

 ……なんだこれ、嘘みたいだな。

 僕は食生活には気を使っていた。自分の肉体を作るのは、自分が口に入れたものだ、栄養管理などをしていたのだが……どうでも、いいか。

 今さらそんなこと気にしてどうなる? 

 ちゃんとしたものを食べたら、龍上巳月に勝てるのか? そうだ、どうでもいい。

 三年間、一日足りとも欠かしていなかった素振りとランニングも、長いことやってない気がした。別にいいか、疲れるし。

 努力なんて、意味がないんだ。

 才能がない人間が、なにをしたって、たかが知れている。

 ああ、本当にその通りだ……クモ姉が言っていた通り。再会したばかりのライカや、会ったばかりの頃のキララさんの言っていた通りじゃないか! 

 ……でもそれって、龍上巳月の影響で言っていたってことだよな……。

 ああ、すごいなあ……彼は、全部、彼が正しいんじゃないか……。

 すごいなあ……。

 やっぱり、才能がある人間が、正しいんだなあ……。

「……ははっ……はははっ……」

 渇いた笑いがこぼれた。

 ぽたり――と、手の甲に、ナニ、カ、が……こぼ、れた……?

 拭う。

 今さら、なんだよ、こんなもの。

 泣くなんて、馬鹿らしい。

 泣くのは弱い、僕は昔、とても泣き虫だった。情けない、男が涙なんか……。

 …………本当に、何もかも、全てが今さらだ。

 男がどうとかも、もうどうでもいいな。

 ……お腹空いたなあ。

 生きてると、お腹が空く。

 なんで、生きてるんだろう。

 ……なんでも、いいや。

 とりあえず、シャワーでも浴びて、ご飯を買いに行こう……。

 めんどう、くさいなあ……。

 シャワーを浴び終える。

 服は……選ぶのが、面倒だな、制服でいいか……あれ、何日くらい学校行ってないんだっけ、後で調べてみようかな……。

 ぼんやりとしながら部屋を出る。

 誰かがいた。

 視界に飛び込んでくるのは。


 夕焼けに照らされて、きらきらと輝く黄金の髪。


「……ライカ?」

 声がかすれた。

「……ジンくん、話があるの」

 話なんて、僕にはなかった。



 □ □ □


 ライカに連れられて、近くの公園のベンチに座っている。

 なんで、こんなことに……。

「ちゃんとご飯食べてる?」

「食べてるよ」

 ちゃんとではないけどね。どころか、食事が喉を通らない日もある。

「ちゃんと寝てる?」

「寝てるよ」

 眠るのは怖い。

 いやな夢を見るかもしれないから。

 龍上巳月のとか、ライカのとか。母さんの夢がいい、あれだけが、僕を……。

「…………ねえ、ジンくん」

「……なに?」


「…………ちゃんと、泣いた……?」


「……はぁ?」

 なんだよ、それ。

 今さら泣いてどうなるんだって……。

「……泣いたよ」

「………………」

「…………痛っ」

 頬をつねられた。

「信じられない。ジンくんが嘘ついた。十年ぶりじゃない?」

「十年……?」

「会ったばっかりのころね、私がジンくんの家で、花瓶割っちゃったでしょ? その時、ジンくんはね、美華さんに『自分が割った』って、嘘ついたの。ジンくんがついた嘘で、私が知ってるのは、あれだけだよ」

 ……そんな、こともあったか。

 母さんには、すぐバレてたけど、別に怒られやしなかった。

 ライカはその後、正直に母さんに謝っていたから、僕が嘘をついた意味もあまりない。

「よく出てくるね、そんなこと」

「覚えてるよ、ジンくんのことならなんでも」

「僕だって……。ライカ覚えてる? 僕に初めて会った時、僕をいじめてた男の子達を殴り飛ばした時のこと」

「なにそれ知らない嘘つかないで」

 ……こ、この女……。

「……ふふ、冗談。忘れるわけないよ……忘れられるわけないじゃない……忘れたい……私がかつて、『キングライカ』と呼ばれていたことを……」

 ……。

 そう、ライカは王だった、あまりも強すぎて。

 彼女はクイーンとか、プリンセスになりたかった。だが、王だった。強すぎて。

「ジンくん、ちょっとだけ、口元緩んでる」

「……え?」

 自分で触れて、確かめてみる。でも、わからない。

「……やっと、笑ってくれた」

「……なに、なんなの?」

「ジンくん、嘘だよね」

「……なにが? 泣いたかって? 泣いたって、そんなことで嘘ついてどうするの?」

「私は、『ちゃんと泣いた?』って、聞いたの」

「……っ」

 ああ、そうだよ、嘘だよ。

 今さら泣くのなんて、馬鹿馬鹿しい。

 なのにライカと話していると、泣きそうになる。

 さっき、少しだけ笑ってしまいそうになった。いやだった。もう泣きたくもない、笑いたくもない、そういうのに全部、疲れた。

「……ねえ、ライカ」

「なに、ジンくん」

「どうしてライカは……ここまで惨めな僕を、救おうとしてくれるの? 初めて会った時といい、これじゃあ、僕ばかり救われっぱなしで……」

 そう問うと、ライカは答えを躊躇うように、視線をそらした。

 僅かな沈黙。

 そして。

「だって、ジンくんは私は救ってくれたでしょう……?」

「え……?」

「……もう、ばか。ほんとに、ばか」

「それ、どういう……」

「思い出してよ、いつだって私達の転機は、こういう空の時に訪れてたよね」

 夕焼け空を指差す。

 ……ああ、そうか。

 出会った時。

 そして、あの時もまた、そうだったか。

 どうにも僕は、夕焼けに弱い。

 この空を見ると、思い出してしまう。

 たかが自転の結果に振り回されて、追憶を始めてしまうんだ。

「思い出した?」

「……うん」

「ねえ、ジンくん」

「……なに、ライカ」

「私はね、あの時――ジンくんに、すっごく救われてたんだよ」


 □ □ □


 雷崎の家に生まれた者は、全員が優秀な騎士とならなければならない。

 ライカは幼い頃より、そのことを叩き込まれていた。

 けれど彼女は、その使命がまったくいやではなかった。

 驚くほど、性に合っていた。

 戦うのは好きだ、強くなるのは好きだ、誰かを守るのは好きだ。

 騎士なんて、己の天職ではないか。

 幼少期より、剣術の厳しい稽古に耐え、ライカは己が騎士として目覚める日を待っていた。

 大丈夫。自分は天才だと、ライカは疑っていなかった。

 年齢にしては、魔力はあるほうだ。両親の才能も十分。

 まず間違いなく、大天才――まあ、才能がなくとも、努力でなんとかすればいいだろう、とライカは思っていた。

 ライカは力の正しい使い方を教わっていた。

 力は、守るためにある。

 幼いながらに、ライカは強く、正義感のある少女だった。少女というには、あまりに頼もしすぎるきらいはあったが。

 だから、夕焼けに染まる公園で、いじめられている少年を助けることなど、ライカにとっては、とても当たり前のことだったのだ。

 情けないヤツらだ、いじめている方も、いじめられている方も。

 男なら、強くなくてはならない。なぜそんな簡単なことがわからない?

 ライカはとても当たり前のことをしたのに、まるで人生の全てを救われたかのように感謝されてしまった。

 ……子分のようなものが出来た。

「ねえねえ、ライカちゃん」

「すごいなあ、ライカちゃんは」

「強いね、ライカちゃんは……」

 よわっちい、よく懐いてくる子犬。

 ライカの当初のジンヤへのイメージは、そんなものだった。

 あまり好きではない、どちらかと言うと、嫌いだった。弱い男は、嫌いだった。

 だが、ジンヤはどんどん強くなった。

 何度もいじめられているのを助けていたのに、自分でいじめっ子に勝てるようになった。

 雷咲流の道場で、ずっと最弱だったはずが、いつしかライカやクモ姉と戦えるようになっていた。

 ライカよりも早く、彼は騎士として目覚めた。

 しかし、彼には才能がないらしい。

 ライカは胸が痛くなった。

 ジンヤにも才能があればいいのに、と思った。

 そうすれば、いつか最強の騎士となる自分と並び立つ、二番目に強い騎士になれるのに、と。

 でも、ジンヤは諦めなかった。努力して、クモ姉みたいになる、と彼は言った。

 才能がなくても、強い騎士に。

 すごい、と思った。

 仮に自分が同じ立場だとすれば、同じようにすると誓っていたのに……本当にそうなったら、同じことが言えるか、不安になった。

「ジンヤ!」

「なに、ライカちゃん?」

「その『ちゃん』はやめろ! 私のことは、ライカと呼んでいい!」

「ええ……いきなり、ライカちゃんのことを、呼び捨て……?」

「『ライカ』だ!」

「ら、ライカ……」

 なんだか気づけば、ジンヤのことがとても気に入っていた。

 弱い犬。子分……いや、違う。弟? 近い。仲間? まあそうだ。うん、仲間。これがいいだろう、ジンヤは、仲間だ。

 早く自分も騎士になって、ジンヤと共に、強くなりたいな。

 ライカはそう、強く願うようになっていた。


 □ □ □


 能力を使わない剣術の大会で、ライカは圧倒的な強さを誇る。

 賞状とトロフィーが、自室の棚に溜まっていく。

 誇らしい。けれど、もっと欲しいものがある。

 神装剣聖エピデュシアになった時にもらえるトロフィーだ。

「いつか必ず、ここにあのトロフィーを並べる!」

 ライカは目標は必ずジンヤに教えるようにしていた。

「ライカはすごいね」

 そう言ってくれるのが嬉しい。そして、彼に恥じない己でなくてはならないと、自分を戒めるためだった。仲間とは、ただ馴れ合うだけではなないのだ。

 仲間というのは、高め合うのだ。

 自分が怠ければ、ジンヤは自分に怒ってもいい。

 ジンヤが怠けたら、怒ってやろうと思っていた――ジンヤは、怠けなかった。

 すごい。彼は、本当にすごい。ああ、早く彼と一緒に、騎士になりたい。

 そうだ、いいことを思いついた。

「大きくなったら、彩神剣祭アルカンシェル・フェスタの決勝で、私と戦おう!」

「わかった! 負けないよ、ライカ!」

「約束だ!」

「うん、約束!」

 ジンヤならそう言うと思っていた。

 ジンヤといると、楽しかった。

 ジンヤは最高の仲間だ。

 そして、いつか最高のライバルになる。

 楽しみだ。

 それまで自分は、ジンヤに恥じない自分でいなければ――そう、何度も何度も強く誓った。


 ――その約束が果たされることは、なかった。


 ライカが、魂装者アルムとして覚醒したのだ。

 始め、ライカはその意味がわからなかった。

 魂装者アルムというものは知っていた。

 騎士と一緒にいる人、くらいの認識だ。武器だ。騎士のおまけだ。

 騎士では、ない。

 いやだった。違う、自分は、自分で戦いたいのだ。誰かに使われる? そんなのは、ごめんだった。騎士に、騎士になりたい。

 しかし――それは不可能だった。

 大会の規定など以前に、魂装者アルムには、魂装者アルムが扱えない。つまり、騎士とまともに戦うなど、不可能なのだ。

 それに魂装者アルムになれば、騎士としての能力は衰えていく。

 ライカに魔力があったのは、騎士の才能ではなく魂装者アルムとしての兆候だった。

 その魔力が十全に使えるのは、武装化した時に限る。

 ライカは弱くなっていく。

 ジンヤにも、敵わなくなっていく。

 誰にも、勝てなくなっていく。

 最強になるはずだった。誰よりも強くなりたい……誰よりも、その渇望は強かった。

 なのに、こんな仕打ちがあるだろうか……?

 ライカの努力とは関係なく、ライカは騎士としての力を全て奪われる。

 足の遅い者が、陸上選手を志すのとは、わけがちがう。

 陸上選手を志し、努力し続けていた者の足が引き千切られるような。

 そんな残酷な現実が、少女を襲った。

 

 □ □ □


 ライカはトロフィーを床に叩きつけて破壊し、賞状を破り捨てた。

 全て、念入りに、破壊した。

「……こんなもの……ッ! こんな、もの……ッ!」

 全部無駄だった。

 自分の人生とは、なんだったのだろう。

 いつかジンヤが言っていた。

 自分には、何もなかったと。

『ライカに出会えて、変われたんだよ――ライカが、「何か」になってくれた』。

 そう、言っていた。

 では、自分は逆だ。

 騎士は自分の全てだった。

 そして、全てを奪われた。

「なにしてるんだよ、ライカ!」

 部屋で暴れていたら、ジンヤが来た。

 惨めな自分を笑いに来たのだろうか。

 ――いいや違う、ジンヤはそんなことしない。


「『この世界に、本気で願って叶わないことなんてない』……そうじゃなかったのか!?」


「無理なものは無理なんだよ! 私はその『願う』ことを奪われたんだ! 願えない者は、なにも叶えられない……ッ!」

 そう言ったら、ジンヤは帰っていった。

 諦めたのだろう。拍子抜けだ、と思った。彼ならしつこく励ましてきそうで、大変そうだなあと思っていたのだ。

 騎士にはなれない。

 これは確定事項だ。

 人は飛行機に乗れば空を飛べる、ロケットに乗れば、宇宙にだって行ける。

 では――今すぐ一秒以内に翼を生やして大空を自由に飛び回り鳥と競争して勝て、と言われれば?

 誰もそんなことは、本気で願えない。

 『この世界に、本気で願って叶わないことなんてない』――ああ、我ながら正しいことを言っている、願うことを奪われれば、どうしようもないだろう。

 そんな暗いことを考えている時だった。


「……ライカ、キミを《最強の武器》にする!」

 

 ――――なるほど……、と。

 ライカはジンヤの突拍子もない提案に、納得してしまう。

 そう、幼いころのライカは、とてもとても単純だったのだ。

 強く、正しく、かっこよく、最強になりたい。

 少女が抱く夢としては、あまりにも少年めいているが、幼いころから……いや、生まれついてそういう気性だったライカには、ジンヤの提案はとても魅力的だった。

 砕け散ったトロフィーと、千切れた賞状に囲まれた中で。

 過去の栄光を、全て否定された場所で。

 少女と少年は、未来の栄光への、《約束》をした。


「僕は最強の騎士に!」


「私は最強の武器に!」


「「二人で、最強の神装剣聖エピデュシアに!」」

 

 そう、神装剣聖エピデュシアとは一人で目指す者ではない。

 騎士と武器、合わせて始めて、そう呼ばれる者だ。

 

 これが、刃堂迅哉と雷崎雷華の《約束》だった。

  

 □ □ □


 ジンヤが帰ったあと、ライカはすとんと床にへたり込んでしまう。

 胸が高鳴っている。なんだろう、これは。知らない。こんなこと、知らない。

 ジンヤはあんなにかっこよかっただろうか?

 まるで強く憧れ焦がれた剣聖のように見えた。まだ彼は、名もない一人の騎士だというのに。

 胸を押さえつける。

 心臓の音がうるさい。

 知らない。こんなの、知らない。

 けれど、嫌じゃない。

 ジンヤにふさわしくあらねば――その意識は、さらに強くなった。

 武器として――そして……そして、なんだろう……?

 とりあえず、女の子らしさとやらが勉強したい……なぜだかライカは、そう思った。

 どうすればいいだろうか。

 手始めに、名前の呼び方でも、変えてみようか。

 どんなものが、可愛らしいだろうか。

 

 □ □ □


 二人の記憶が、夕焼けに照らされて浮かび上がる。

 《約束》の、記憶が。

「……ジンくんはね、私に救われたなんていうけど、本当に救われたのは、私のほうで……」

 ライカの声に涙が滲んでいた。

「だから……ジンくんが辛かったらね、いつか私が救うって、絶対助けるって、決めてたの」

「なら、約束の時で『あいこ』だろう。始めに救ってくれたのは、キミのほうだ!」

「あれは! 私にとって、当たり前のことで! それに、私のほうがたくさん救われてるから、だから!」

「僕のほうがずっと、キミに救われてる!」

 私の方が! 僕の方が! と、よくわからない言い合いが始まってしまった。

「……とにかく、私は絶対引かないから」

「……勝手にしろ」

「そうやって、ずっと不貞腐れてるつもり?」

「……いいんだよもうッ! 母さんは言ってくれたんだ、僕がどんな道を選んだって、絶対に応援してくれるって! だから、僕はもう……ッ!」


「美華さんの言葉を、逃げる理由に使うなッ!」

 

 母は、ジンヤの全てを許してくれた。

 ライカは、ジンヤの甘えを、絶対に許さなかった。


「ジンくんは怖いんでしょう? 負けたら悔しいから、怖いんでしょう? だから逃げたいんだよね?」

「当たり前だろ! 負けたら終わりなんだよ! それにもう、勝てないんだよ……ッ! だったら逃げることの、何がいけないんだよッ!?」

「――ジンくん、最初に出会った時のこと、覚えてる?」

「……え?」

「覚えてないなら、思い出させてあげるから」

 ライカは立ち上がる。

 息を大きく吸い、叫んだ。


「――――男がただやられっぱなしで、悔しくないのかッッッ!?」


 □ □ □


 ぶん殴られたような、衝撃だった。

 その時、全てを理解した。

 覚えてる。

 覚えてるに決まっていた。

 覚えてるよ、全部。

 キミと出会ってからのことは、覚えてる。

 キミが、全てを変えてくれたから。

 だから、僕は……。

 僕もまた、あの時と同じ言葉を返す。

 この再演に、何か意味があるのだと信じたくて。


「でも、僕は弱くて――」


「なら強くなれ! 一生そうやって這いつくばっているつもりかッ!?」

 

 仕方ないだろう。

 だって、僕は、負けたんだから。

 諦めている。

 諦めているはずなのに、なぜ僕はこんなにも。

 あの時をなぞりたいと、思ってしまうのだろうか。


「無理だよ……無理だったから、今もこうやってる――でも……」


 『でも』なんて、あの時は言っていなかった。

 ああ、知っている。

 その言葉はもう、知っているんだ……。

 こんなこと言いたくない。

 僕に言う資格はないのに。 

 心が、体が、魂が、僕の全部が、叫んでいる。


「「――この世界に、本気で願って叶わないことなんてないッ!」」


 泣いて、しまった。

 もう泣くのなんて、馬鹿らしかったはずなのに。

 ボロボロと、涙が溢れる。気持ちが溢れて、こぼれていく。

「ねえジンくん! 約束のことは覚えてる!?」

「…………ああ……うん、……覚えてる!」

 涙が溢れてきて、上手く喋れない。

 でも、嗚咽を押し殺して、僕は叫ぶ。


「僕は最強の騎士に!」


「私は最強の武器に!」


「「二人で、最強の神装剣聖エピデュシアに!」」


「…………ねえ、ジンくん、一回しか聞かないよ」

「……ああ」

「――まだ本気で、願える?」

「……ああ! 願える、キミとなら、何度だって、どんなことだってッ!」

 叫んだ。

 泣きながら、叫んだ。

 きっと今、僕は人生で一番泣いている。

 もう二度と、泣かないと思ってたんだけどなあ。

 泣き続ける僕を、ライカは優しく抱きしめてくれていた。

「……やっと、ちゃんと泣けたね……」

 僕は昔から泣き虫で、ライカによくこうして泣き止むまで励ましてもらっていた。

 昔はもっと、乱暴な励まし方だったっけ……。『今すぐ泣き止め男だろ!』みたいな。

 ライカは、幼馴染で、友達、仲間で、ライバルで、姉のようで、母のようで……。

 ……僕の、全部だった

「悔しい時は……ただ思いっきり泣いて、また頑張ろうでいいの……思い詰めて、塞ぎ込むことなんか、ないの……私は、キミが何度負けたって、キミの側にいるから」

「…………ら、いかぁ……らい、かぁぁ……」

 返答が出来ず、何度も彼女の名を呼びながら、ただ嗚咽を漏らすばかりだった。

「あとね……さっきのは、ちょっとだけ嘘」

 ライカは静かに優しい声で語りだす。

「どうしてジンくんを救うのか、でしょ? とても当たり前なことに、理由はいらないと思うけど、でもね……救われたからっていうのもそうだけど、全部じゃないの。全部白状するとね、私はジンくんのことが――むぐぅっ」

 ダメだ、と思ったら手が出ていた。ライカの口を塞いでいる。

「……もぉ、なんで……?」

「そういうのは、男が先に言う」

「変なとこで頑固……そういうのって?」

「…………」

「そういうのって?」

「後で言う」

「後でって、いつ」

「……剣聖になったら」

「やだ、遅い」

「……龍上巳月に勝ったら」

「……いいよ。約束ね?」

「……ああ、約束だ」

 こうやって、僕らは新たな約束を重ねていく。

「そうだ……そうだったんだ……」

 僕はやっと気づいた。

 きっと、こうじゃないとダメなんだ……僕は、一人で背負いすぎていた。

「……どうしたの?」

「ごめん、ライカ。僕は、僕の力だけで勝とう勝とうって思ってた」

 さっきみたいに、どっちの方が救っただのなんだの、言い合いながら、二人で支え合わないとダメなんだ……。

「僕は全部、一人で背負い込もうとしてた」

「……そうだよ。やっと気づいたか、ばか」

「ごめん」

「……私もごめん。私もばかなの」

「え?」

「アイツ、言ったでしょう? なんでそんな弱い魂装者アルムを使ってるんだって。その通りなの」

「そんなこと……ッ!」

 アイツの言い草なんて、許せるはずがなかった。

「私は、弱い。弱かった。だからね、ちょっと遅くなったけど、でも……ねえ、ジンくん。私のこと、見てくれる?」

 手を差し出してくる。

 ……ああ、そういうことか。

「私の新しい名前はね――……」

 その名が、胸に刻まれる。

 武装名の付け方は様々で、自らつける場合もある。ライカはそのパターンだ。

 僕らは『迅雷』という言葉が好きだったのだ。

 ちょうど僕とライカの名前を合わせてできる言葉であり、僕らを示す言葉でもあるそれが。

 僕は彼女の手を掴む。

 その名を口にする。

「《魂装解放リベラシオン・アルム》――《迅雷じんらい逆襲ぎゃくしゅう》」

 ライカを武装形態に。

 その姿は――。

「ライカ、これは……!」

 これは……そうか、そういう……!

『い、やぁ……んっ……、ばか! そんなとこ、そんな触り方しない!』

 霊体のライカに怒られた。

 しかし……すごい、これは、本当に……こんなことが……!

 いけるかもしれない。

 これなら、アイツに――。

 龍上巳月に、勝てるかもしれない。

 その時、僕とライカの端末が同時に鳴った。

 

 『彩神剣祭アルカンシェル・フェスタ代表選手選抜戦のお知らせ』


 ……そうか、もうそんな時期か。

 この時期から選抜のための戦いが始まることは知っていたのに、目の前のことで手一杯で、すっかり忘れていた。

 ……もっとも、僕はもう学校に何日言ってないかすら忘れているくらいだったんだけど。

 対戦の日時は、一週間後。

 対戦相手は――

 この時僕は、どういうわけか運命めいたものを感じた。

 きっとこうなると、なんとなくわかった。

 僕と彼の因縁は、運命は、ここへ収束するのだと、わかってしまった。


 『対戦相手:龍上巳月』 

 

 ちょうどいい、今まさに彼と戦いたくなっていたところだ。

 これから一週間で、今までサボって鈍った分の勘を取り戻し、さらに彼への対策をしなければいけない。

 しかし、もう見えている、勝利への道筋は。

 ライカ、キミがいれば、僕は彼にも、誰にも負けない。


 僕らが一つになれば、誰にも。


 さあ、始めよう。

 この《迅雷》で――逆襲を。


 □ □ □

 

 病室に、ノックの音が響いた。

「どうぞ」

 冷ややかな声。

 病室に入ってきたのは、赤色の髪の少女。

「龍上か……まったく、キミはどういう神経をしているんだ? あれだけのことがあって、また私に会おうと思えるとはね」

 雨谷八雲は、ベッドに座ったまま、来訪者へ皮肉を投げつけた。

「……負けたよ」

「当たり前だ。これでもうわかっただろ?」 

 一言で、全て通じた。

 キララは、ヤクモにジンヤの敗北を告げた。

 あれから。

 ジンヤがミヅキと戦い敗北してから、数日が経っていた。

 しばらくの沈黙の後、キララはジンヤの戦いぶりをヤクモに説明していく。

「……何度も同じことを言ってすまないが、嫌がらせかい? 私より善戦した、だから努力には意味がある、龍上巳月には一生、絶対に勝てないけれど、頑張って一人前の騎士を目指しましょう……そういうことが言いたいのかな?」

「…………アンタさぁッ……いい加減に……ッ!」

 ヤクモに睨まれる。

 キララの瞳に燃えた炎は、一瞬で消え去り、怯えの色が宿る。

 ジンヤのために怒ることは出来ても、ヤクモへの罪悪感は消えなかった。

「…………また、来るから」

「二度と来ないでくれ」

「……また、来るからっ!」

 それだけ言って、逃げるように病室から出ていくキララ。

 病室に静寂が落ちた。

 ヤクモは拳を握りしめて、ベッド脇に置いてあるナイフを見つめた。

 触れることは、できない。

 だからこのナイフで首を掻き切ることすら出来ない。

 いいや、違う。

 このナイフに、刃に触れたいと願うのは、そんなことのためではない。

 そのはず、なのだ。

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 自分はもう、全てを諦めた。

 諦めたというのに、だったら……。

 この握りしめられた拳が震えるのは、一体どういう理由なのか。


 □ □ □

 

 ミヅキの選抜戦の日程はジンヤより早く、既に何度か勝利していた。

 代表入りは、確実と言われている。

 今日もまた、気の乗らない戦いをしなければならない。


「…………みづき、今日も勝てる?」


「当たり前だ」

 戦う前、メルクはいつも同じ言葉を口にする。

 同じやり取り。

 ミヅキは飽々していた。拾ってやったばっかりの頃から今まで、何度も何度も同じことしか言わない。普段は必要最低限しか会話はしないし、メルクの相手などしてやることはほとんどないので、特別なにかを話す必要などない。

 だが、ではどうしてずっと同じ言葉を投げかけてくるのか。

 不気味な少女だった。

 だが、使える道具だ。

 だから側に置いてやっている。

「…………かってね、みづき」

 少女は繰り返す。

 同じような言葉を。

 自らを道具と定義するように、最低限の言葉を、壊れたスピーカーのように。

 しかし――道具ならば、そのような言葉は必要だろうか?

 どうでもいいか、とミヅキは思考を捨てる。

 また下らない戦いが始まる。

 先日のようないい獲物の後は、どうにも何をしても退屈だ。

 そこで気づく。

 いつしか随分、目的がすり替わっているな、と。

 才能がない人間が嫌いなのは、昔からだった。

 だから、才能のない人間に、己の才能を叩きつけてやることも、意識的にせよ、無意識的にせよ、ずっと昔からしていたことだ。

 だが最近は、才能のない人間が折れる様を見て、楽しんでいる。

 そんな下らないことが目的では、なかったはずだが。

 では、最初の目的とは、なんだったのだろうか――?

 下らないな、とミヅキはその思考も捨て去った。


 □ □ □


 再起と。

 決意と。

 新たなる約束をした日から、選抜戦の日までの一週間は、あっという間に過ぎていった。

 ライカの新形態の調整。

 僕のコンディションの調整。

 そして、新しい技の試行錯誤。

 彼に勝つために出来ることを、全てした。

 そうして、三度訪れた、因縁の対決の日。

 控室では、凪いだ海のような、穏やかな気持ちでいられた。

 一人で全てを背負い込もうとしていた僕は、もういないから。

 ライカと交わす言葉は、もう決まっている。

 とてもシンプルだけど、大切なこと。

「「勝とう、二人で」」

 こつん、と拳をぶつけ合う。

 僕らが一つになって、断てないものなど、なにもない。

 




 □ □ □


『さぁ、次なる試合は注目の一戦! 先日の宣戦布告を、皆さんは覚えているでしょうか? 前代未聞! Aランクに喧嘩を売ったGランク! 一年代表にして学園最強に牙を剥いた、謎の一年生! あれだけのことをしたのだから、彼の実力は相当なものなのでは? という憶測も飛び交っています……それでは、入場してもらいましょう!』


 実況の桜花の言葉に煽られ、観客達の声が大きさを増していく。

 

『まずは謎のGランク一年生! 刃堂迅也! 今年度より高等部へ入学! それ以前の公式戦のデータは一切なし! 一体どんな戦いを見せてくれるのか、期待が集まります!』


「引っ込めGランク!」

「雑魚がミヅキ様にたてつかないでよね!」

「棄権するなら今のうちだぞ!」


 ジンヤへのブーイングが巻き起こる。

 しかしジンヤの表情は穏やかなもので、口元に笑みさえ浮かべていた。


『刃堂選手、罵声をものともしていません! 公式戦経験の少なさにも関わらず、学園最強の相手というプレッシャーに物怖じしてる様子もないですし、かなりの大物なのか~!?』


 ――まさか、とジンヤは内心で笑う。

 プレッシャーも恐怖も、全部二人で分け合っているその歩みに、迷いは少しも見られない。


『そして、今回の選抜戦で現在全勝! どころか、未だに対戦開始地点より動くつもりがまったくないという不敵さ! 龍上巳月選手の入場だァ!』


 ジンヤとは打って変わっての大歓声。

 ここでは強さのみが正義。

 そしてミヅキはその強さで正義を示し、人気を獲得していた。

 もっとも彼はそんなものを少しも必要としていない。


 レフェリーは奇しくも再び風祭。

 彼女の合図で両者が同時に魂装者アルムへ触れる。


「《魂装解放リベラシオン・アルム》――《迅雷・逆襲》」 


「《魂装解放リベラシオン・アルム》――《蛇竜の銀閃ハイドラグラム》」


 両者、魂装者アルムを武装化。

『…………みづき、今日も勝てる?』

 霊体のメルクがミヅキへと、もはやルーチンと化した問いを発する。

「コイツにゃいっぺん勝ってるからな、楽勝だ」

 ミヅキの視線は、真っ直ぐにジンヤへ向けられていた。

『…………かってね、みづき』

 メルクがいつもの言葉で締める。


『なお、この試合は大会本戦を想定し、仮想戦闘術式はなしで行われます。血が苦手な人は気をつけてくださいね! 学園が揃えた一流の医療班が控えているので、命に関しての心配は必要なし! それでは皆さん、この注目の一戦……しかと見届けましょう!』


『――Listed the soul!!』

 

 ――何度も、何度も破れてきた。

 勝てるはずがないと、何度も思ってきた。

 それでも、ジンヤが彼に立ち向かうのは。

 やっと、答えを手に入れたから。

 これより、刃堂迅也は、今まで背負った全てのモノと、雷崎雷華のために。

 最強の敵――龍上巳月に、逆襲する。


 □ □ □


 この瞬間を、この何度思い描いただろうか。

 僕の予想通り、最初の一撃は蛇腹剣を伸ばしての突きだった。

 雷光斬撃でなければ、まずはこれだろう。

 そして、彼は剣での攻撃を好む。

 これらを踏まえれば、この予測はあまりにも容易い。

 開戦と同時、右肩、右足を引く。僕の右半身があった空間を突き抜けていく銀光。

 ――駆け出す。

 狙いは前回と同じだ。

 近接での剣戟。もとより、僕に出来ることなど、これに尽きる。

 右手で握った刀で、真横に伸びている蛇腹剣を叩き、弾き飛ばす。右側へ大きく流れ、のたうつ伸びた刀身。

 次の瞬間。

 ――蛇腹剣は、まるで意思を持っているかのような動きをした。

 突然、先端ではなく、こちらが弾いた部分だけが、僕目掛け迫ってきた。

 これはありえない動きだ。どう操作しても、あのようにはならない。紐状のものを一度振り回してみればわかることだが、起点はどうやったって手元の動きからだ。中程からひとりでになど、動きようがない。

 そもそも今の瞬間、龍上君は腕を振っていなかった。

 ――やはりか。

 これも想定内。パターンとしては、下から数えたほうが先に来るほどのものだが、それでも想定していたのなら同じこと。

 落ち着いて、刀を添えてガード。


『おおっとなんだ今の動きは!? 明らかに龍上選手の蛇腹剣が勝手に動いた! まさか、龍上選手、念動力でも隠して持っていたのか!?』


 それはない。

 彼の能力は《雷》と《金属》。

 だが金属の硬度を操れるのなら、金属自体を自在に操れても不思議ではない。当然そこに蛇腹剣の刀身も含まれるだろう。

 あまりにシンプルなトリック。

 ただ、これまで見せていなかっただけのこと。

 彼がこれまで見せていた、魂装者アルムの方の能力は、手甲の硬度に関するもののみ。

 それしか見せていないのなら、それしか使えないのだと勝手に解釈する。

 ――狡猾なタイプだ。

 僕との先日の一戦。あれもそういう駆け引きがあった。

 最後の一連の不可解な技――あれは、龍上君が隠し持っている能力を使用したものだ。

 あの技を見せたくないから、観客のない戦いだったのだろう。

 僕は先日の戦いで、このことに気づいていたからこそ、対応できるが初見じゃかなり厳しいだろう。

 もう彼の動きをどれだけ観察しようが、蛇腹剣の軌道は絶対に読めない。

 知りたければ、彼の心か、未来でも読むしかないが、僕にそんな力は微塵もない。

 だったら。

 読む必要がない程に、軌道をわかりやすくしてやればいい――ッ!


「――迅雷一閃エクレールッ!」

 

 蛇腹剣に、高速電磁抜刀による一閃を叩きつけて、強引にふっ飛ばした。


『なんだ今の強烈な一撃はああああ!? 蛇腹剣は、大きく波打って、刃堂選手との距離が空きました。凄まじい威力! 刃堂選手、とんでもない技を隠し持っていた!』


 今回は、隠すつもりは少しもなかった。

 もとから相手には見られている。

 そして、意表をつくならここだった。

 相手は、僕があの技を使用して疲弊しているのを見ている。

 ここぞという時にのみ使う、序盤は温存すべき必殺技だと思っている。

 

 その思い込みの隙に一発叩き込んでやれば、こちらの大きなチャンスが作れるだろうという目論見は――完璧に、成功した。


 龍上君の目が見開かれる。

 さすがのキミも、これは予想外だったか。

 さあ、一気にいかせてもらうッ!

 駆け出し、肉薄。

 蛇腹剣の戻りはまだだ、敵の攻撃はない。

 だが、防御には――あの絶対不壊の手甲がある。

 承知の上で、僕は再び納刀。

 抜刀による一閃の構えを取った。

 この構図は、依然《迅雷一閃》を手甲で防がれた時と同じだが……。

 一つ、違いがあるのなら。

 ――――鞘に搭載された、撃発機構。

 着想は、随分前からあったらしい。博物館で銃を熱心に見ていたのも、魂を構成するイメージ作りのためだったそうだ。

 《迅雷じんらい逆襲ぎゃくしゅう》に搭載された新機能。

 魔力を溜め込んだカートリッジを排莢。それにより、一瞬で魔力を爆発的に高め、抜刀による一閃の威力を飛躍的に高める。

 発想ができたとしても、完成は容易ではなかっただろう。

 時間的な問題。

 そして、単純にそれを設計、完成させられるかどうかの技術力。

 なにより、複雑な機構のために、己の魂を削り、作り変えるという、あまりにも強引な改造工程。

 ライカは、血反吐に塗れた。

 それほどまでに、彼女にとっても、あの敗北は重いものだったのだ。

 絶望の淵に叩き落され、今度こそもう二度と這い上がることはないはずだった僕を引き上げるためには、龍上巳月を倒せる勝算を示す他にないと思ったライカは、そのために、この偉業を成し遂げた。

 彼女が、僕のために、ここまでしたのだ。

 これで勝てないのなら、潔く腹を切ろう――それくらいの覚悟でも、まだ足りない。

 ライカ……キミは本当にすごい。

 その強さへの渇望、やっぱり、僕が憧れた女の子だ。

『ジンくんのためだったからだよ』

 霊体のライカが言う。

 なら。

「僕のためにここまでしてくれたキミのため――僕は、勝つッ!」

 鞘に取り付けられたトリガーを引き絞る。

 ガシャ――と小気味良い音が鳴り、カートリッジが排莢される。

 宙を舞う薬莢。

 刹那、まるで時が止まったようだった。

 手甲が前方に突き出されている。

 鞘内部で、これまでとは比べ物にならない電撃が炸裂している。

 ――抜刀。

 少しでもコントロールを誤れば、そのまま刀が吹っ飛んでしまいそうだ。

 暴れ狂う力を押さえ込み。

 正しい方向へ導き――斬撃として整え、放つ。


「《迅雷/撃発一閃エクレール・エクスプロジオン》――ッ!」


 激突。

 金属音。

 破砕音。

 直後、空薬莢が地面を叩く、澄んだ音。

 空薬莢は転がっていき、あるものにぶつかって、停止。

 粉々に破壊された、手甲の残骸だった。


『砕いた―――――――ッッッ! 信じられません! 刃堂選手、龍上選手の代名詞であり、伝説にすらなっていた絶対防御を、正面から破ってみせたああああああッッ! 龍上選手のパーフェクトオールラウンダーという破格の肩書を支える要の一つを、打ち砕いて見せた!』


 大歓声――直後。

 

 鮮血が舞っていた。

 僕の体から――左肩と、左脇腹が、浅く裂かれている。


『な、なにがどうなっているんでしょうか! 刃堂選手の強烈な一撃が決まった直後、刃堂選手が斬られている!』


 会場全体が、戦慄していた。


「――やかましい、カスどもが」


 龍上君は、苛立たしげに顔をしかめつつ、右手で刀を振り上げていた。

 左手を開閉し、そこに手甲がないことを確認するような視線を送る。

 

 スポーツにおいて、強引に流れを変革するワンプレーというものが存在する。

 彼の一撃は、まさにそういう類いだろう。

 流れがこちらに来たところを一瞬で引き戻す。こういう計算や駆け引きが出来るところも、勝負師として一流だ。

 ただ、目の前で起きたことが気に入らないからそうした、というだけの可能性もあるが。

 どちらにせよ、事実として僕の方へ来たと思っていた流れは一瞬で両断された。

 ……もう使ってくるのか、さすがにこれは想定外だ。

 防げなかった。

 温存・秘匿していただけあって、強力な技だ。来るとわかっていても、躱せない。

 先日の戦い、その最後で放ってきた、不可視の斬撃。

 軌道が全く読めない斬撃の正体は、あまりにシンプル。

 こちらも先程の蛇腹剣が自在に動く技と同じで、ただ使っていなかったという先入観のみで、相手の意識の外から、確実に仕留める必殺の一撃となり得る。

 トリックは恐らくこうだ。

 あの剣は、形状が自在、斬撃を放った直後に二又にするというようなことも可能なのだろう。

 ただそれだけでも、彼のスイングスピードや、駆け引きと組み合わせると、見えない斬撃が出来上がるというわけだ。

 宙を舞っていて、手元にあるはずのない剣が、手元に戻っていた仕組みも単純。

 遠隔操作、もしくは自律での形状変化が可能なのだろう。

 空中にある蛇腹剣の方から、龍上君の手元へ伸びていたのだ。

 全てのトリックは、シンプルではある。

 それ故に見破るのは容易くとも、簡単には破れない。

 ただの手品師というわけではない。

 タネが割れたところで、依然として脅威にも程がある。

「チッ、《蛇竜閃じゃりゅうせん》をこんな大勢の前で使うことになるとはな……死んだぞテメェ」

「……とんでもない技を隠し持っていたんだね」

「ハッ、卑怯だなんだってほざいでもいいぞ? 雑魚の特権だ」

「まさか。素晴らしい工夫だよ。目の前の一戦だけでなく、先を見据えてないとできないことだ……誰か勝ちたい相手でもいるんだろう?」

「…………、」

 返答は、斬撃だった。

 先刻同様、高速二点同時斬撃。

 裂かれたのは、右肩のみ。

「対応したか」

 二点のうちの一つは、防いだ。

「だが二刀でもねェテメェが、二箇所同時に斬るこいつをどうするよ? このまま続けりゃ、それで終いだ」

 彼の言う通りだった。

 だから。

 再び、銀色の斬光が閃く。

 研ぎ澄ませ――当然、この技にも対策は講じてある。

 やれるかどうかは、どれだけ己を信じられるかどうかと、僕の縋れる、唯一のステータスにかかっている!

 金属音が響く。

 それも、二度。

「……あァ?」

 今度は、完璧に防いだ。

 ――人の体は、脳からの電気信号による命令で動く。

 そこへ干渉し、体への命令を事前に書き込んで、敵の攻撃に合わせて作動させたのだ。

 すると何が起きるか。思考を排除し、ラグのない動作。

 龍上君が攻撃の起こりを見せた瞬間、そこから攻撃地点を二箇所予測、体への命令を事前にし終えておく。

 考えて体を動かすよりも、自動化させてしまったほうが、対応は遥かに速い。

 最短ルートで二箇所の攻撃地点を弾く軌道を描く斬撃――攻撃される直前に、ただそれだけを放つための機械と化すことで、あの強力な技をなんとか攻略した。

 再び放たれる。

 横薙ぎの一閃、狙いは目と首。二点を繋ぐ斬撃軌道を弾き出し、自動化された動作を行う。

 さらに二度、澄んだ音が鳴る。

「マグレってワケじゃねェみてえだな」

 龍上君が、後ろへ跳んだ。


『おっと、龍上選手が後方へ下がり仕切り直しか! 彼のこんな動きは初めて見ます! 攻めあぐねているということでしょうか……刃堂選手、攻撃を受けており、多少押されてはいるものの、ここまではほぼ互角といってもいいでしょう!』

 

「互角、ねェ……まあ、いいぜ別に――どォせこいつで、んな寝ぼけたこともほざけなくなるんだからよォ」


 ここにきて。

 彼は始めて、構えを見せた。

 いつもゆらりと力の入っていない油断しきった状態だった彼がだ。





 □ □ □


 野太刀を、天空を貫かんが如く、高く掲げる。

 右に傾いだ刀身。

 左肘を正中線に、右手と左手の間隔を大きく空けて柄を握る。

 右足を前に、左足を後ろに、足を前後に大きく開く。

 右足を左足を結ぶ線は一直線に。

 薬丸自顕流、〝右蜻蛉〟によく似た構えだ。

 事実、その構えはそれを元にしている。 

 

 ――龍上流〝天雷〟の構え。


 実在の剣術に存在するものを、騎士のためにアレンジしたものだ。

 

 バチッ、バチィッ! と凄まじい雷撃の炸裂音が響く、

 ミヅキの周囲で、雷光が激しく明滅していった。

 爆発的な魔力の増加。

 あの一刀、確実に必殺のそれだろう。

 

『なんでしょうあの構えは! 

 この試合、中学時代に全国制覇を三度成し遂げた龍上選手が、公式戦でこれまで一切使っていなかった技がいくつも出てきます! 

 それだけ彼がこの試合に懸ける想いは強いということでしょうか!』


 ――鬱陶しい。

 ミヅキは耳触りな実況を聞いて、苛立った。

 試合に懸ける想い? 

 そんなものは存在しない。

 ただ、目障りだから叩き潰すだけだ。

 

 対するジンヤも納刀。

 腰をかがめる。

 右手を柄に。

 左手の指を、トリガーにかけた。


 ――雷咲流〝雷閃〟の構え。


 もっともこちらも、ジンヤ独自のアレンジが加えられ、騎士仕様の技となっているが。

 鞘内部より電撃が弾ける音が響き始める。


 急速に会場内が静けさに満ちていった。

 誰かの息を呑む音と、電撃の弾ける音だけが響く、大量の人数が集まった場所にしては、あまりにも異様な雰囲気。

 ジンヤの裂かれた右肩の傷口。

 そこから滴った血が、右肘から滴り落ちた――――刹那。

 

 二人は同時に動いていた。


 ジンヤは動くと同時、トリガーを引いていた。

 彼の立っていた場所付近の空中に、空薬莢が置き去りにされる。


 この一合で肝曜なのは、間合い、タイミング――そして何より、速さ。

 駆ける速さ、抜く速さ。

 互いの速さは――――互角。

 リーチの差で僅かにミヅキが速く始動するも、ジンヤの抜き放った刃が追い付き――。

 激突。

 勝負は速度から、力へ。

 これはミヅキが勝った。

 ジンヤの刀が地面へ叩き落され、彼の体勢が大きく前方へ崩れる。

 野太刀を戻して斬るより遥かに速いと判断したのだろう、ミヅキの右足による蹴りが、ジンヤに叩き込まれた。

 仰け反ったところに、その際の隙を利用して引き戻していた野太刀による、フルスイング。

 ふっ飛ばされた。

 とにかく速さを求めた結果の、技もなにもない力任せの一撃。

 どうにかガードしていたものの、ガードごと持っていかれていた。

 地面を数度バウンドし、リングから叩き出される直前に刀を床に突き刺して減速、停止。

 一度は堪えたかに見えたが、倒れた。

 ダメージは大きい。


『入ったぁああああああああ! この試合で初となる痛烈なクリーンヒットを奪ったのは、やはり序盤から戦いを有利に進めていた龍上選手! これまでの戦いぶりがあまりにも圧倒的だったゆえ、異なる試合展開で互角に見えたが、ここまで依然無傷! やはり彼を倒せるものは、誰もいないのか!?』


 □ □ □


 実況の音が遠い。

 意識が、朦朧としている。

 血が、邪魔だ。制服で手のひらについた血を拭う。

 立ち上がらなくちゃ。

 くそ、体が動かない……重い……。

 また、負けるのか……これだけやって、まだ勝てないのか……?

 もうダメだ――そう思った、その時。


「ジンヤぁあああああああああ―――ッッッッッッ! 立てえええええええええええッッ!」


 誰かの声が、響いた。


 □ □ □


 観客席から叫び声を上げたのは。

 ジンヤとライカの、憧憬の相手。

 かつてライカと組んで、ミヅキに挑み敗北し、絶望した少女。


 雨谷八雲だった。


 ライカはジンヤを信じていた。だから、入学当初、彼女は誰とも組まなかった。

 大して強力な魂装者アルムでもないくせに、誰とも組まない彼女は、孤立していった。

 その時だった。ヤクモとライカが再会したのは。

「ジンヤのヤツが戻ってくるまで、私と共に戦わないか?」

 ライカがジンヤがいない間の辛い時期を耐えられたのは、ヤクモがいたからだ。

 そして。

 ヤクモが、ミヅキと戦った理由。

 始めヤクモを挑発してきたのは、キララだった。

 才能がない騎士と、無能な武器。馬鹿らしい組み合わせだと、笑ってきた。

 許せなかった。

 だから、ヤクモはキララを叩き潰した。

 ジンヤが憧れた騎士は、強かった。

 Eランクが、Bランクを倒す。これもまた、例を見ない偉業だった。

 だから目を付けられた。

 才能がないものが足掻くことを許さない、あの男に。

 ミヅキとの戦いは、酷いものだった。

 ヤクモは倒れ、己とライカを侮辱され、その度に立ち上がる。

 大勢の観客がいた。

 その中で、惨めな姿を晒され続けた。

 そんな時だった。

 ヤクモは、諦めそうになった。勝てない。無理だ、才能がないなら、騎士を続ける意味もないだろう――その瞬間を、ミヅキは見逃さなかった。

『なあオイ……相談なんだが、テメェの足、ぐちゃぐちゃにしてやろうか?』

 彼の意図が、理解できてしまった自分が嫌だった。

 諦めてしまう自分が、嫌だった。

 

 そしてなにより――――その提案を聞いた時に、安心してしまった自分が、嫌だった。

 

 彼はこう言いたいのだ。ここで選手生命を絶たれるほどのダメージを負えば、諦めた弱い自分を隠すことができる。仕方のないことだと、潔く諦めることができる。

 ヤクモは強い人間だ、これまでずっと強く在ってきた、だから折れる己を許せない。

 しかし折れかけてしまっている――このボロボロの、矛盾し、摩耗した心の隙に、ミヅキは刃を滑り込ませた。

 そして、ヤクモは頷くことはなかったが……ミヅキの攻撃を、受け入れた。

 防御することは、できた。

 しなかった。

 弱い自分を晒すのが、嫌だったのだ。

 なにより自分に憧れてくれる少年と少女の顔が浮かぶ。

 彼らに諦めたことを見抜かれるくらいなら…………歩けなくなったほうが、ましだった。

 それくらい、彼らの憧憬は、重かった。

 憧憬に、応えたいと思っていた。

 その矜持は、一度は完全に叩き潰された。


 ――だが、今! 

 自分に憧れてくれた少年が、自分が勝てなかった相手に挑んでいる!

 自分よりも才能のない彼が! 

 誰より才能がない彼が! 

 諦めていないというのに!

 どうして自分が、諦めることができるだろうか――ッ!

 

 ジンヤは、すごいな……。

 

 ああそうだ、とヤクモは理解した。

 自分は今、誰よりも己へ憧憬を向けてくれた少年に――――憧れている。

 彼のようになりたい。

 彼の抱いてくれた幻想の通り、憧憬の存在でありたい。

 強くなりたい。

 だから――――。


 □ □ □


「何を寝ているんだジンヤァッ! ふざけるな……立てッ!」


 ヤクモは、常に冷静な人間だった。

 怒る時も、声を荒げることなく淡々と話す。それがジンヤには怖がられていた。

 勝負を制すには冷静であらねばならない――それが彼女の信念だった。  

 だがどうにも、あの少年を見ていると、冷静ではいられない。


「責任を取れ! 私にもう一度夢を見させた責任を! 夢を見てしまうだろう! 一度は否定した、馬鹿な子供のような夢を! キミがそうまでできるなら……私だって、もう少し頑張れるかもしれないとッ! 思ってしまうだろうッ! だから、立てッ! キミがそいつに勝てるのならば! 私だって、何度でも立ち上がるからッッッ!」


 座っている車椅子から乗り出して、地面に倒れ落ちそうなほどに前のめりで、叫んだ。

 きっと生まれてから一番大きな声を出している。

 ああ、自分にはこんな熱い激情が宿っていたのか――ヤクモは自身に驚いていた。

 そして。

 ヤクモの車椅子を押す少女もまた――

 ヤクモを無理やり連れてきたのは、キララだ。彼女の伝手を使い、強引に病院からここまでヤクモを連れてきた。いくら説得しても無駄だと思ったので、もう彼女の意思なんてお構いなし、ただあの少年の戦いを見せれば、それで全部伝わると思った。

 そして、伝わっていた。

 少しだけでも、無駄じゃなかった、自分の贖罪は。

 自分もまた、少年の戦いを見ていると、熱い何かがこみ上げてくる。


「そうだよジンジン、立たなきゃダメだよッ!」

 

 キララもまた、周りの目など気にせず叫んだ。

 周りの目ばかり気にする人生を送ってきた、彼女が。


「あれ、キララじゃね……?」

「うわ、なにやってんのあいつ……」

「叫んじゃって、暑苦しい、アホくっさー」


 キララを慕っていた者達が、彼女の変わり果てた姿を見て、口々に罵る。

 彼女は顔が広い。そして今までのイメージが周囲に既に浸透している。

 だからこの光景は、大勢の人間にとって、異常だった。


 ――兄貴、悪いけどさ……アタシも信じてみたいよ、努力ってヤツを……。


 キララは天才の兄の背中を見て育ってきた。

 努力を否定し続ける兄を、才能を肯定し続ける兄を。

 だが今はもう――その呪縛から、解き放たれていた。


「ジンジン……立ってよ! 立って、勝てよ! 刃堂迅也ッ! この私を、龍上キララをめちゃくちゃにして、全部変えちゃった……その責任を取ってよッッ!」


 誤解を招きそうな、荒々しい叫び声だった。

 キララは何より他人の目を気にする。だから派手に着飾り、体面ばかり気にする。

 だというのに、今はもう、誰の目だってどうでもよかった。

 今彼女にとって大事なことは、目の前の少年が繰り広げる戦いだけだ。

 

 □ □ □


 ドクン――と、一際強く、心臓が鳴る。

 声が聞こえた。

 クモ姉と、キララさんの、声が……。

『ジンくん……立てる?』

 ライカの声が響く。

「ダメだろう、立たなくちゃ……あんなこと、言われたらさ」

 立ち上がった。

 血を流しながら、ボロボロになりながら、それでも、それでも。

 だってこんな誰からも馬鹿にされて見下される僕に、あんなにも期待してくれてる人達がいるんだ、寝てなんていられるわけがないッ!

 そして。


 ――納刀、そして再び構える。土壇場で信じるのはやはり、最強と確信するこの一刀。

 

 □ □ □


 ミヅキはその姿を見て目を剥いた。


「しぶてえ野郎だ……クソが」

 

 イラつく、イラつく。妹が何か馬鹿なことを言っていたが、どうでもいい。

 目の前の少年が、許せない。

 なにより――――この少年を見て、あの男を想起してしまった自分が、許せない。

 あの戦いを、思い出す。

 中学時代、全国三連覇を成し遂げた後のことだった。

 とある男と、戦った。非公式な戦いだ。その戦いを知っている者は多くはない。

 戦って、完膚なきまでに叩きのめされた。

 表舞台にいる男ではなかったが、自分と同年代だったであろう彼は、ミヅキを叩きのめした後に――爽やかな笑みを浮かべていた。

 ミヅキのように、相手を倒して嗜虐的な笑みを浮かべるのとは訳が違う。

 相手は、純粋に、いい勝負だったと笑っていたのだ。

 本当に心が綺麗なのだろうと思った。真の強者とはこういう者なのだろうと思った。

 だが、そいつの人格などはどうでもいい。

 そいつは、ミヅキよりも才能があった。

 絶対的な才能だけを拠り所としていたミヅキは、折れた。

 どれだけ努力しても、こいつには絶対に勝てない。そう思った。

 なぜなら――その男は、ミヅキよりも上の才能を持っていながら、ミヅキよりもずっと努力していたのだ。

 才能が同じならば、努力が上の方が勝つ。当たり前の話だろう。

 では、才能でも負けている相手に、自分より努力されてしまったら、どうすればいいのだろう。不可能だ、絶対に勝てない。

 結局は、才能が全てだ。

 昔から、努力など下らないと思っていた。才能が全てだと思っていた。

 だが、始めて自分より上の才能に出会って、その信念は確固たるものになった。

 それからだ。

 目的が、すり替わっていた。

 自分だって、かつては最強に憧れた。努力はしていた、誰にも見つからないように。

 天才である己を誇りにしたいから。努力など、見せない。でも、強くなりたい。

 …………格好をつけていたいだけの、馬鹿な子供だった。

 目的は、最強を目指すことから、努力を否定し、幻想を抱く人間をへし折ることになっていた。ああ……だとしたら、自分は……。

 本当に、本当に――。


 □ □ □


「――テメェ、なに笑ってやがる?」

 

 地獄の底から蘇った少年に、ミヅキは問う。

 少年は、当たり前だろうと言わんばかりに即答した。


「……ねえ、龍上君……キミは今、楽しくないかい?」


「……あァ?」

 楽しい? 

 意味がわからない。こいつは何を言っている、こいつは、どこまでイカれている。

「僕は楽しいよ。強い相手に、己の全力をぶつけられる。こんなに楽しいことは他にないよ」

「……馬鹿が、下らねえ……」

 

 楽しい。

 ああ、そうだ――楽しかった。

 初めて負けるまでは、ずっと楽しかった。馬鹿みたいに剣を振り続けていた。

 勝てば楽しい、ギリギリの勝負は楽しい。

 忘れていた。

 そうだ……戦うことは、相手をへし折るためのものではない。

 そんな根暗な、下らないことで、何を自分は喜んでいたのだろうか。

 戦うことは、互いに磨き上げた魂と魂をぶつけ合うこと。これで心が踊らない男など、存在しない。

 自分は、そういうことが好きだった。

 負けず嫌いなのだ、誰よりも。

 だから――たった一度負けただけで、不貞腐れていた。

 ああ、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に――――


 自分はなんて、愚かだったのだろう。

 

 騎士というのは、なんて楽しいのだろう。


 馬鹿みたいだ。下らない、下らない回り道をしていた。

「……テメェ、名前は?」


「――〝雷咲流〟、刃堂迅也。キミを倒す男の名だ」


「……〝龍上流〟、龍上巳月。ほざくな、オレがテメェを叩き潰す」


 思い出した。ミヅキの脳裏に記憶が浮かび上がってくる。

 どこかの道場で戦った、やたら諦めの悪い、弱そうな少年。

 三年前、なんの才能もないくせに、剣聖になりたいとほざいていた馬鹿な少年。

 

「……ハッ、おもしれェな、本当におもしれえじゃねえかよ、オイ」

 

 こんな奇縁があるものなのか。本当に、どこまで楽しませてくれる。

 上等だ。

 二度――否、初めて出会った、まだ騎士ですらない時も含めれば、三度も勝っているのだ。

 三度目の正直など、とうに期限切れだ。

 だったら後はもう、何度やっても同じだろう。


「ジンヤァ! テメェは最高だッ! だから――ブッ潰してやるよォ、全力でなァッ!」

 

 構えた。

 

 ――龍上流〝天雷〟の構え。


 ――雷咲流〝雷閃〟の構え。


 ミヅキはやっと気づく……これは、初めて出会った時の、あの道場で繰り広げられた戦いの再演なのだと。

 ミヅキは剣技でも天才だった。

 だから――この勝負、負けるつもりは、微塵もない。


 □ □ □


 再び会場が静寂に包まれる。誰も、何も言わずとも、わかっているだろう。 

 次の一合で、決着がつくと。

 僕は恐らく、もう限界だ。

 カートリッジは、あと一発。

 そうじゃなくてもあと一撃放つのが限界だった。

 この試合で、既に三度の迅雷一閃エクレールを放っている。

 そして四度目を放とうとしている。

 これは、カートリッジにより魔力を補っているから可能な荒業だ。

 カートリッジは、威力を増強するだけでなく、使用魔力を補うことまで可能なのだ。

 鞘内部の機構に込められた残弾には、僕とライカの魔力が、想いが、願いが込められている。

 どうせあと一振りが限界だ。

 だから、この一刀に、僕の全魔力を込める。


 □ □ □


『――――みづき、今日も勝てる?』

 

 信じられないことが起きた。

 メルクが、決まりきったルーチンが外れるようなことを言う。この少女は、いつも戦う前にしかこの言葉を口にしていない。

 だというのに……。

「オレが頼りねえか?」

 負けるとでも、思っているのだろうか。だとしたらなんだというのだ、道具が気にすることではない。

『ううん、たよりなくない、だってみづきは、さいきょーだから』

 刹那――

 記憶が、流れ込んでくる。

 魂装者アルムの強い想いが、騎士に流れ込むということは、往々にしてある。だがミヅキは驚愕した。まさか感情に乏しい、何も思わず何も考えていないはずの、道具の少女が、このような激流めいた想いを宿しているなどとは。

 その記憶は、ミヅキのことばかりだった。

 メルクは生まれながらに両親に捨てられ、魂装者アルムを犯罪に利用する組織で、奴隷のような扱いを受けていた。

 ミヅキは学生ながら、プロの騎士と混じって犯罪組織と戦い、メルクを救い出したのだ。

 出会ったころからずっと、何を考えているのか、わからなった。

 どうでもよかった、道具のことなど。

 メルクが――ただ、道具に徹していた少女が考えていたのは、ミヅキのことだった。

 彼女は知っている。

 誰も知らないはずの、自分の気持ちを。

 ずっと叫んでいた。

 悔しいと。

 あの、自分を変えた敗北が、悔しいと。

 誰にも言えなかった。言えるはずがなかった。プライドが、自分を歪めていく。

 ――才能がない人間は、辛い想いをする。

 だが同様に――才能がある人間もまた、才能に歪められ、振り回され、才能という怪物の思うがままに、暴虐を尽くしてしまうことがある。

 メルクは知っている。

 ミヅキの悔しさを、絶望を、渇望を、全て、全て知っている。

 だから、聞いていたのだ。

 何度も。何度も。

 彼女は、願っていた。

 自分を救ってくれた男が、大好きだったから。

 彼の役に立ちたかったから。

 彼に、彼が願うこと全てを、叶えて欲しかったから。

 大好きな彼に、最強になって欲しい。

 だから、道具で在り続けることを、受け入れた。

 どんなにいい加減に扱われようが、彼が勝てればそれでいい。

 自分のことなんて、どうでもいい。大好きな彼の道具であることは、とてもとても、幸せだった。

 少女は、幸せなんて、何一つ知らなかった。

 少女は、少年に、幸せを教えてもらっていた。

 少女は、少年に、救われていた。


『…………みづき、だいすきだよ』


「……馬鹿野郎が、今言うことか」


 こんな、気持ちなのだろうか――と、ふと目の前の少年を見て思う。

 彼もまた、自分の武器のために戦っていた。

 道具だと、思っていたのに……。

 道具に情など不要だと思っていたのに……。


 ――馬鹿野郎は、オレじゃねえか……。


『…………みづき、きょうもかてる?』


 再び、メルクが聞いてきた。


「当たり前だ、テメェの主人を誰だと思ってやがる』


『…………かってね、わたしの、だいすきなみづき』


 そんなことテメェに言われるまでもねえ、絶対に勝つ――――ミヅキの人生において、最も強い決意が成された。


 □ □ □


 最後だ――そう思うと、今までのことが、胸の内から溢れてくる。

 

 始まりは、再会からだった。

 三年前の敗北から這い上がった僕は、ライカの騎士となるために、彼女のもとへ戻ってきた。

 しかし彼女は、諦めていた。

 理由も知らないまま、僕は戦う。

 キララさんは、最初は酷い人だと思ったけど、本当に面白い人だと思う。

 それに彼女もまた、飄々としているけど、とても熱い人だ。

 三人でのデートは、楽しかった。

 ……デート、だったと思う。色々と酷かった気もするけど。

 『雷切』に憧れてるなんてことを知ってから、武装形態のライカの刃文が、よりいっそう愛おしくなった。

『照れること言わないでよ』

「……心、読まないでよ」

『仕方ないでしょ、流れてくるんだから』

 騎士と魂装者アルムは、一つ。

 互いに溢れた想いが、互いに伝わっていく。

 ライカの気持ちも、伝わってくる。

 僕と再会したことが嬉しかったこと。

 でも、それが素直に喜べないことが辛かったこと。

 …………ぼ、僕が格好良くなっているから、どうしても二人きりになって、失望されるのが不安だから、キララさんを呼んでしまったこと……。

『なんで知ってるの!? キララちゃん最低!』

「……今流れて来たんだよ」

 キララさんが教えてくれたけども……この事実も、バレちゃうな。

 それからクモ姉のところに行って……もうダメだと、思ったけど、それでも今は、彼女だって立ち上がろうとしている。

 そして。

 龍上君に、負けた。

 本当に、この時ばかりは、絶対にこれで全て終わりだと思った。

 でも――彼女は何度でも、僕を救ってくれる。

 やはり彼女は――何もない僕の、全てだ。 

『何もない、なんてことはないでしょう?』

「……え?」

『わかんない?』

 ――わかった。

 私がいるでしょう、とそう言いたいのだ。

『私だって、騎士の夢が潰えた時は、何もないと思った』

「でも、僕がいた」


「『キミがいる――』」


「『――だから』」


「『絶対に、勝つ――二人でッ!』」


 僕とライカは――――必ず逆襲を果たすと、人生で最も強い決意をした。


 □ □ □


 長いようで一瞬だった静寂が、終わりを迎えようとしていた。

 夕焼けに染まる空。

 そんな空のどこかで――遠雷が一つ。

 その音が、契機だった。

 両者が駆け出す。

 先刻同様、まずは速さの勝負。


 示現流という流派において、手の脈が四回半搏動する間のことを分と呼ぶ。

 分の八分の一を秒。

 秒の十分の一は絲。

 絲の十分の一は忽。

 忽の十分の一は毫。

 毫の十分の一は。


 ――――〝雲耀〟という。

 

 示現流の極意は、雲耀の速さで太刀を打ち込むこと。

 奇しくも、ここにいる二人の男は。

 よく似た術理の流派を学び。

 よく似た属性の技を磨いた。


 雲耀とは、稲妻のことだ。


 ここに雲耀の領域に至る者、二人。


 では――果たして、どちらの雲耀が、上なのか。


「雷咲流〝雷閃〟があらため――」


「龍上流〝天雷〟がアレンジ――」


「――――《迅雷/撃発一閃エクレール・エクスプロジオン》ッ!」


「――――《雷竜災牙ハイドラ・アドヴェルサ》ッ!」


 速さは――互角。

 そして、力も――拮抗、互角ッ!

 撃発による強化と、全ての魔力を込めた、ジンヤの一刀。

 凄まじい膂力と、膨大な魔力を注ぎ込んだ、ミヅキの一刀。

 

 両者、共にかつてない程の技の冴えを見せた。


 速さ、強さ、共に互角。

 お互いに刃をぶつけ合って、刃は弾かれ、体勢が崩れる。

 ――今から始まるのは、再び速さの勝負。

 どちらが先に、刀を引き戻し、相手に斬撃を浴びせるのか。

 

 ――圧倒的に不利なのは、ジンヤだ。

 

 ミヅキはただ振り下ろすだけで、凄まじい威力を叩き出す。

 だが、ジンヤは納刀のモーションが必要だ、そこを省けば、確実にミヅキに力負けする。

 ミヅキは既に、刀を引き戻して、振り下ろす構え――。

 ジンヤは未だに、抜刀直後の構えのままだ。


 勝った――と、ミヅキは思った。


 だが直後、なにかがおかしいと思った。

 なんだ、この違和感はなんだ――そして、見つけた。

 ジンヤが握る、

 刃の先に、

 空薬莢が、舞っていた。


「――ここからだッ!」

 

 ジンヤは、そう叫んだ。


 □ □ □


 全て――今までの全てが、この一刀のためにあったと思う。

 計算し尽していた。

 相手の速度も、力も、斬撃の軌道も、弾き合ったあとに、刃がどこにいくかも。

 弾かれた刃が向かう先に、空薬莢が飛ぶように、計算してトリガーを引いていた。

 排莢され、宙を舞う空薬莢は、強烈な磁気を帯びている。

 こうなるように、ライカは計算し、設計していた。

 磁気を帯びた空薬莢が、鞘の代わりを果たす。


 龍上巳月を倒す、解答を示そう。


「『これが! この技が!』」



「僕達の」『私達の』 


「『逆襲だッ!』」


 打ち合い弾かれた刃が、空薬莢と反発して、再び擬似的な迅雷一閃エクレールとなる。


 ――神速二連/撃発式電磁抜刀術。


「『――――――《迅雷/逆襲一閃エクレール・ヴァンジャンス》ッ!』」

 

 雷光一閃――最強の敵を、切って捨てた。


『決まったあああああああああああああああああああああああああ――――――ッッッ! 

 超高速世界での、一瞬のやり取り!

 勝負を制したのは!

 刃堂迅也選手だぁあああああああああああああああああああああああああああああ!』


 鼓膜が破れそうなほどの歓声に包まれる中で、僕は。

 

 刀の切っ先を、観客席へ向けた。


 その先にいるのは――己の刀を掲げる、クモ姉だった。

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