第26話 偽物だったとしても
『……これでわかったでしょ、英雄気取りくん。
いつだって、英雄気取りは化物にとっちゃ最高のカモなんだよね』
単騎で都市を相手にできる程の、無限に等しい魔力。
条件不明の再生能力に、さらに詳細のわからない一瞬で黒焦げから蘇った現象。
罪桐ユウには、絶対に敵わない。
輝竜ユウヒは、絶望する――ユウにはそう見えた、が。
「黙れ、悪――――正義は折れない」
絶望する、はずだった。
まともな人間なら、確実にしている。
だが――彼の瞳にはまだ、正義の光が宿っていた。
折れないと誓った。
諦めないと誓った。
負けないと誓った。
やめないと誓った。
誓った、誓ったのだ。
――――あの日、憧れた背中に誓ったのだ。
――――あの日、救えなかった彼女に誓ったのだ。
だから。
だから――!
「英雄ってのは、諦めないんだ。どんなことがあろうともだ。貴様が絶対に勝てない相手だとしても、それでもボクは、諦めない」
輝竜ユウヒは、絶対に諦めない。折れない。絶望しない。
彼はどこまでも苛烈に、徹底的に、光で、英雄で、正義だった。
勝算はない。
もしも罪桐ユウに絶対に勝てないとしても、最後まで諦めずに立ち向かい、少しでも彼がもたらす被害を減らそうだとか――そんなことも、考えていない。
ただ、諦めるという機能だけが欠如している。
罪桐ユウとは異なるが――異常性の度合いで言えば、近い領域にあった。
「真性のバカかよ、つまんね。バカはダメだ、バカは。だってバカはバカだから、絶望ってモノを知らない、つまらない。はぁ~……楽しめそうだと思ったのに」
吐き捨てて、彼はその手にガラティーンを出現させた。
たった今見た天空からの極大の光。魔力を貯める時間はなくとも、ユウの膨大な魔力なら再現可能なのかもしれない。
「面白みに欠けるね、馬鹿は――――もうさっさと終われば?」
「「――――いいや、お前が/あなたが、終われッ!/終わってッ!」」
刹那、二つの影が飛来し、ユウを背後から切り裂かんと刃を振るう。
刃堂ジンヤと、屍蝋アンナ。
この戦いの要となる二人。
ユウを攻略できるかどうかの分水嶺。
刃堂ジンヤが、屍蝋アンナを取り戻し――アンナは、罪桐ユウに《武装解除》を当てることができるかどうか。
互いに己の心を曝け出し、ぶつけ合った戦いの果て――アンナは、ユウの呪縛を引き裂いた。
ジンヤは《迅雷一閃》を。
アンナは《慈悲無く魂引き裂く死神の狂刃》を。
二人は同時に、悪辣へ必殺を放っていた。
「ウッソでしょマジ!?」
ユウは驚きつつ、アンナの大鎌を躱し、ジンヤの斬撃を受けて、大きく後方へ弾き飛ばされた。
「あ、今びっくりしたのは不意打ちに対してじゃなくてねー……アンナちゃん、じんどーのことも雷崎ライカのことも殺してないの!? なにやってんだよもう! ってびっくりね?」
ユウが長年かけて仕組んできた最大の絶望。
屍蝋アンナという狂愛の少女が、その愛する者を殺す。もしくは、愛する者の最愛を殺し、愛する者の心を壊し、壊れた人形と添い遂げる。
悪辣の描く悲劇は、刃堂ジンヤによるアンナの救済、そしてアンナ自身の狂愛によって打ち砕かれていた。
「はぁ~……萎えるなあ。楽しみにとっておいたお菓子が腐ってたみたいな? 楽しみにしてたアニメが録画できてなかったみたいな? 大好きな漫画が休載しちゃったみたいな? まあなんでもいいけどさあ、絶望だよ、絶望! ギッヒヒヒ、ついてないなあもう!」
落ち込んでいたかと思えば、笑い声を上げ始めるという奇怪。
確かに、思った通りに事が進まなかったことには落ち込んだのだろう。
だが、即座に別の筋書きを構築し終えたのだ。
絶望させる方法など、いくらでもある。
むしろこうやって一度希望を抱いてくれた分、より深い絶望が味わえるかもしれない。
充分に希望を与え、絶望させ、仕上げにして最大の絶望を与えられると思っていたが……自身の予想を超えてくれるかもしれない。
大歓迎だ。
彼は悪辣な脚本家。自身の構築した筋書きを越え、キャラクターが勝手に動くことなどままある。それを楽しめなくては、物語は退屈な予定調和に落ちてしまう。
さあ、新たな絶望の始まりだ。
◇
「屍蝋アンナを戦線に復帰させることには成功したか……さすがだね、ジンヤくん」
「キミが邪魔者をどかしてくれたからだよ。……ありがとう、ここまで持ち堪えてくれて。これでやっと、あいつを倒す形は整った」
言葉を交わすジンヤとユウヒ。
この戦いの鍵、アンナが参戦したことで、勝ち筋が見えてきた。
ユウヒはこれまでの戦いについて伝え、さらにガウェインから事前に渡されていたインカムをジンヤとアンナにも渡す。
《やっほー、刃堂、アンナちゃん。……あの化物、予想以上の化物っぷりだけど、それでもアンナちゃん次第じゃ勝てるはず。皆の衆、ここが踏ん張りどころ、そろそろクライマックスだよん》
無限にすら思える底知れない魔力。
条件不明、無制限に見える再生能力。
これまでのユウの能力は恐ろしかったが、ここにきてさらに彼は隠していた力を見せていた。
だが――どんな力を持っていようが、《武装解除》の前には無意味。
無限の魔力も、再生能力も、魂装者がなくなれば大きく減退する。
今は無敵に見える。
罪桐ユウという、規格外。
しかし、規格外ならこちらにもいる。
無敵を引き剥がす、アンナの大鎌。
それを当てるための隙を、今からジンヤとユウヒでこじ開ける。
「そっちの狙いはだいたいわかってるけどさあ……やらせると思うかなあ!?」
ユウが地面に手を当てた。すると、周囲の大地が振動する。
倉庫街の付近にあった植え込みや、舗装されていない土が剥き出しの部分――そこから、土塊で作られた人形が這い出てくる。
それも大量に。十や二十ではきかない土人形は、ゾンビのように緩慢な動きで押し寄せてくる。
「数の不利を補うタイプの能力に切り替えてきたか……!」
ジンヤはそう推察。
ジンヤとユウヒが、泥人形を切り倒していく。だが、数が多い。刀で一体一体切り倒していくのでは効率が悪い。
「……じんやに、触るなああああああああああああああッ!」
たとえ泥人形だろうがなんだろうが、自身の前で愛する男に触れられるのは不愉快だ。
それがあの悪辣が使役するものならば、なおさら。
叫んだアンナは、影と鎖を大きく振り回し、一気に大量の泥人形を薙ぎ払った。
大勢を相手にするならば、この中ではアンナが一番適任だ。
なおも数を増し、勢いを増して襲い来る泥人形の群れ。
必死に抵抗する、ジンヤ、ユウヒ、アンナ。
ガウェインもガラティーンによって援護射撃をすることくらいできるが、彼女の目となるドローンが捉えられる範囲でしか行えない。さらに、ドローン経由の視界は、その場にいて肉眼で狙いをつけるよりも精度が落ちる。
混沌とした戦況において、精度の低い射撃など邪魔にしかならない。ここはどうにか切り抜けてくれと、ただモニターの前で祈るしかなかった。
アンナが大鎌、影、鎖、自身が使える武器全てを乱舞させ、漆黒の颶風となって駆け抜ける。
ジンヤとの戦いで魔力も体力も殆ど残っていない。それでも、倒れるわけにはいかない。
本来なら、アンナの役目は《武装解除》を当てることだけ。その成功率を少しでも上げるため、ここはジンヤとユウヒに任せて温存するべきなのだが――それで二人がやられてしまっては意味がない。
それになにより――。
これまで、たくさん迷惑をかけた。
救ってもらった恩義がある。
…………刃堂ライキを。たくさんの人を殺した負い目がある。
屍蝋アンナの残りの人生を費やしても、返しきれぬ恩義と、贖えぬ罪業がある。
そして、狂愛がある。
アンナには、倒れられない理由が、退くことができない理由が山ほどある。
ボロボロの、小さく華奢な体を動かして、必死に戦い続ける。
「ねーねー、アンナちゃんー」
そこへ、ユウが気軽に声をかけてくる。まるで隣の席に座っているかのようにな、戦場に不釣合いな声音。
「なに? なにやってんの? じんどーいるじゃんそこに、憎き憎きにっくぅ――――き、絶ぇ――対許せない雷崎ライカをぶんぶん振り回しているけど、あれいいの? 殺しなよお、はやく~」
「……もう、そんなことに意味がないのはわかってる。アンナの狂愛は、辛い現実から逃げるためのものじゃない」
ライカを殺せば、ジンヤが手に入る。そんな妄執に取り憑かれ、悪辣の甘言に落ちて、己を見失った。
ライカに嫉妬する気持ちが消えなくても。
ライカとジンヤ、二人に救ってもらったのだという気持ちもまた、消えはしない。
「吹っ切れちゃったか。つまんないねえ……じゃ、別の方向性でいこうかな。……ねえ、アンナちゃん……自分のことを『アンナ』って呼ぶ、偽物の、寄生虫。……申し訳ないと思わないの? 本物のアンナちゃんにさあ……あの娘はなーんにも悪くないのに、キミみたいな恋愛脳のお花畑に体乗っ取られちゃってさあ!?」
『アンナ』と『わたし』、二つの一人称。過去のアンナは、自身をアンナなどとは呼んでいなかった。
今のアンナと、過去のアンナでは人格が違う。
今のアンナに、過去の記憶はある。それでも、アンナ自身も、過去の自分を完全に今と地続きの同じ人間とは思えない。
体を奪い去る寄生虫。偽物。作られた、嘘っぱちの人格。
自身のことをそう思ってしまう気持ちも、ある。
涙が零れる。
いつの日か、ただ家族と幸せに暮らしていたかっただけの、ただ親友と楽しく過ごしていたかっただけの、どこにもでいるような、普通の少女を想う。
同じ記憶、同じ見た目。それでも――彼女のことを、自分と同一と考えることなどできない。
大勢の人間を殺した。
刃堂ライキを殺した。
そして――かつてこの体の中にいた、屍蝋アンナという少女を、殺した。
彼女を消したことへの罪悪感。
己が偽物であるということへの忌避感。
それらがないまぜとなって、アンナを襲い、涙が溢れ出してしまう。
ジンヤと戦って、あれだけ泣き叫んだのに。
まだ罪はある。償えぬことも、自身の中で決着のつかない葛藤も。
それでも――だとしても。
「アンナは偽物だよ……っ! でも、偽物でもっ……罪人でも……っ、大切だって言ってくれる人がいる! じんやはっ、見捨てないって言ってくれた! だから、アンナは諦めない! もう惑わされないっ! たとえアンナが偽物だとしても、じんやがアンナを想ってくれる気持ちもっ、アンナがじんやを想う気持ちも、絶対にっ、絶対にっっっ! 本物なんだからあああああああああああああッッッ!!!」
大鎌に、影を纏わせる。
そして鎖を振り回し、一気に広範囲を薙ぎ払った。影を纏った大鎌は威力を増して、さらに影によって複雑な操作が可能となる。
漆黒の大鎌は、土塊一つ逃がす気はない。
大量の土人形が、一掃された。
アンナは道を切り開いた――――二人の騎士が駆け抜けるための道を。
ジンヤとユウヒが、ユウへ斬りかかる。
対するユウは、セイバの魂装者――漆黒の刀を出現させ、二人の斬撃を受け止めた。
魔力無効化。
漆黒の魔力により、ジンヤとユウヒの魔力が封じられる。
先刻までユウを圧倒していたユウヒも大きく減速してしまう。
ユウ、そしてジンヤとユウヒの三人が演じる剣戟。
ユウの動きは、ジンヤそのものだった。剣技の模倣、という通常のコピー能力者では絶対にありえないことを成し遂げている。
ユウは魔力封じを発している以上、彼自身も魔力を扱えなくなる。
剣技のみの勝負で言えば、ジンヤを模倣すればジンヤ自身は勿論、ユウヒとも打ち合えるが、二人がかりならば、ジンヤとユウヒが当然勝る。
しかし、僅かに残っていた泥人形を駆使することにより、戦いは互角となっていた。
「うーん……そうだなあ……キミら二人なら、やっぱこれだよね」
吟味する。
次はどう絶望させるか。
ジンヤは一度、いい絶望を見せてもらった。そして再起してくれた。
鬱陶しいと思いつつも、さらなる絶望を見せてくれるのなら悪くない。
…………そして、思いついた。
これならば、絶望する知性すらない馬鹿のユウヒでも、理解できるかもしれない。それくらいわかりやすく、逃れられない方法。
そして告げる。
ジンヤとユウヒ、二人まとめて絶望させるための一手を。
「《顕現/実行》――――《刃堂ライキ》」
そして、現れる。
雷を纏う金色の髪。それは、ジンヤのような黒髪とは違う、豊富な魔力を宿していることを示している。
ジンヤよりも少し高い背に、鍛え抜かれた体。
意志の強さと、優しさが同居した顔立ち――しかし今は、その瞳は光を宿していない。
男の名は、刃堂ライキ。
ジンヤの父にして、ユウヒを救い育て――――そして、二人の憧憬、その果てに立つ男。




