第四章 この決意を以て決戦に
クモ姉との悲痛な再会を終えた後。
外で待っていたキララさん、彼女が病室を出た後にした会話の内容を告げる。
龍上巳月を倒さなければならないこと。
クモ姉と、リハビリの約束を取り付けたこと。
話終えると、キララさんはただ一言――
「勝ってね」
そう、切実な表情で言ってくれた。
心の底から、それを願ってやまない、そういう表情。
彼女だってわかっているのだろう。仮に僕が勝ったって、クモ姉がよくなるのはいつかはわからない。よくなったところで、あれだけのことを言われたのだ、あんな態度を取られたのだ、許してくれるとは思えない。
それでも……。
それでも、彼女は、僕の勝利を、クモ姉が前に進めることを、願ってくれたのだ。
重い、重い一言だった。
彼女はそれだけ言うと、先に帰ってしまった。
引き止める言葉なんか、なかった。
ただ、負けられない気持ちが強くなった。
僕とライカ。
取り残されたように、二人になった。
「……ねえ、ジンくん。今のクモ姉と、三年前に敗北した時の君は……」
ライカの言いたいことはわかった。
そうだ。
同じだ。
何もかも失って、全てを諦めた時の僕と、同じ。
「なのに……」
また、ライカがその先に続けたい言葉が手に取るようにわかる。
「『なのに、どうして?』――そうでしょ?」
彼女は頷く。
僕だって、もうダメだと思った。あそこからは立ち直れない、夢を、約束を、全てを諦めて、それで終わり。そう思っていた。
「……少し、昔の話をしようか」
病院の中庭にあるベンチに座った。
病院という場所に来ると、思い出してしまう。
あの日々を。
あの、暗闇の底での日々を。
□ □ □
「……ジンヤ、別に……そう何度もこなくたっていいのよ?」
三年前。
母さんは入院していて、僕は剣の稽古の時間以外は、なるべく母さんのお見舞いに行っていた。
何度も行くものだから、話すことは似たり寄ったりになっていく。
今日の稽古で何があったか、ライカが何を話していたか、僕はまだ時々いじめられるけど、最近ではライカに頼らなくても一人でなんとか出来るとか……そんなことばかり話していた。
そうやって母さんのもとへ通っている日々の中で、あの決定的な敗北があった。
敗北の後も、僕は母さんのもとへ行った。
絶対に、悟られまいと固く誓った。僕は母さんに元気になってもらいたくて行くんだ。僕が沈んでちゃ意味がない。
だから、何もしていなくても、ボロボロと涙がこぼれるほどに悔しくて、目をつぶればすぐに敗北の瞬間が浮かんできて、全てのことから逃げ出したくて、辛くて、死にたくて……そんなどうしようもない時でも、それを一切見せないようにしようとしていた。
していたのに――母さんは、そんなこと簡単に見抜いた。
「……なにか、あったでしょう? ライカちゃんと喧嘩でもした? ううん……違うわね、なにかもっと、辛いことね、きっと……」
母さんは、なんでもお見通しだ。
隠し事なへたくそな僕のことなんて、誰だってお見通しだろうけど、それでも母さんには特にそうだった。魔法みたいに、僕のことを全部わかってしまう。
不思議でしょうがなかったけど、でも僕は、そんな母さんのことが大好きだった。
……父さんとのいい思い出は、あまりない。
小さいころ……確か、小学生に上る前くらいまでは、一緒に遊んでくれていたはずだけど、それ以降はまったく相手にされなくなっていた。
父さんは騎士で、仕事が忙しかったというのもあるだろう。
人々を守る仕事をしている父さんのことは誇りだった。
例え僕が、父さんに見限られていたとしても、だ。
父さんは、天才だった。だから僕にも、騎士の才能があると思っていたのだろう。だから、小さいころの父さんとの遊びの中には、騎士の修行混ざっていたのだ。
そして、父さんは気づいた――僕に才能がないことを。
だから、見限られた。
父さんは、僕が小学校に上がってから少しして、亡くなった。
騎士として、誰かを守って死んだ。
本当に、立派だったと思う。尊敬していた、例えどれだけ見限られようが、その気持ちは変わらなかった。
だから、僕は余計自分が惨めで……自分は何も持っていない、どうしよもうない人間だという気持ちが強くなっていった。
そんなだから、そんなうじうじした暗いやつだから、僕はどうしようもなく情けなかったんだと思う。
この経験が、ライカと出会う前の情けない僕を作っているんだろうと、後から振り返ってみてわかった。
そして、僕は――全部を話した。
母さんに見抜かれてしまったことで、必死に心を縛っていた鎖が粉々に砕け散った。隠そうという気持ちが強かった分、それが暴かれた時に、全てが溢れ出す勢いは凄まじかった。
あふれて、こぼれた。
全部、全部……今まで隠していたこと、全部。
父さんを尊敬していたこと。
見限られたのが、辛かったこと。
才能がないことが、悔しいこと。
それを己が弱い言い訳にする自分の醜さが、もっと悔しいこと。
ライカに出会えて、救われたこと。
ライカのおかげで、強くなろうと思えたこと。
彼女との約束のこと。夢のこと。
そして――敗北によって、全てを失ったこと。
また、逆戻りだ。
父さんに見限られて、自分には何もないと、全てを諦めていた僕に、戻った。
夢も約束も全部なくなって、生きてる意味がない、どうしよもうない僕だけが残った。
涙が溢れた。
ボロボロと大粒の涙を流しながら、全てを母さんに話した。
母さんは、黙って、何度も頷いて、優しい顔で、それを聞いてくれた。
僕が全てを吐き出してから、沈黙がしばらく流れ、それからぽつりと言った。
「『迅也』っていうのはね、父さんがつけた名前なのよ」
「……え?」
「力強くあって欲しい。そういう願いが込められてるの。あの人、息子が出来たら立派な騎士にしたいってよく言っていたから……誰かを守れる、強い人になって欲しいって」
今更そんなこと聞いたって……そう思った。
だって僕は父さんに見限られていて、それに今はもう……騎士になることも諦めていて。
「でね、ずっと後悔していたのよ。『俺のせいで、あいつの道を縛ってしまった』とか、『名前はお前に決めさせるべきだった』とか言ってね……あの人酔うと、すぐジンヤのことばっかり話すの。ジンヤが小さい頃の話だから、知らないと思うけどね」
知らなかった。
……でも、そんな後悔をさせたのも、僕のせいだ。
僕が、強ければ……そんな後悔も……。
この名に相応しい騎士になっていれば……。
「それで私、怒ったのよ。ふざけないで――って。私はその名前が良いって思ったし、なにより親が子供を信じてあげられなくてどうするのってね……本当に少ない、夫婦喧嘩だったと思う。喧嘩っていうより、私が一方的に怒っただけなんだけどね」
意外だった。
母さんは本当に優しい人で、怒ったところなんて見たことがない。
「だってそうでしょ? 『強さ』っていうのは何も剣の強さだけじゃないわ。ジンヤの優しいところだって、立派な強さよ。それに、ジンヤにどれだけ才能がなくたって、強い騎士になれるかもしれない。なれなくたって、私は構わないけれどね。私はただ、ジンヤがジンヤでいてくれれば、それでいいの。……だからね、ジンヤ――迷うなとは言わない、悲しむなとも悔しがるなとも言わない……あなたはそのままでいいの。それだけで……母さんは、それだけでいいんだから……」
本当に、優しい言葉だった。
僕は、僕でいればいい。
僕を全肯定してくれる、母さんの言葉。
救われる言葉だった。
――でも、救われたくない僕がいた。
だって僕は、僕が嫌いなんだ……弱い僕が、なにもない僕が、なにもできない僕が。
敗北して、全てを失った僕が……嫌なんだ。
そして。
「……あのね、一つ、ジンヤに謝らなくちゃいけないことがあるの」
「……え?」
そんなこと、どこにもあるはずがないと思った。
母さんはどこまでも優しくて、今だって僕を励ましてくれる。
なのに、一体なにを謝ることがあるのだろう。
「騎士の才能は、子に遺伝するって聞くわ。そして、父さんは騎士として天才よね。……私にはね、騎士の才能は少しもないの。だから……だからね……」
母さんは、泣いていた。
ダメ、だ――
そう思った。
それだけは。
絶対に。
言わせたくない。
思った時には。
遅かった。
「――強く産んであげられなくて、ごめんね……」
「あなたに才能がないのも、あなたが苦しんでるのも……全部、全部、私のせい。だから私を恨んでくれてもいい。でもね、どれだけあなたが私を恨んでも、それでもね……」
泣きながら、母さんは続ける。
「……母さんはね……ジンヤがこの先どんな道を選んだって、絶対にあなたを応援するわ」
泣き崩れた。
ついさっき、全てを吐き出して泣いた時よりも、ずっと大きな、嘘みたいな涙が出た。
感情が、複雑に絡まって、ほどけなくなって、なにがなんだかわからなくなる。
敗北が悔しかった。
母さんの優しさが嬉しかった。
でも、何よりも。
一番僕が許せないのは……。
母さんを、謝らせてしまった、僕のふがいなさだ。
才能が、なんだっていうんだ。
母さんは悪くない。
悪いのは、全て僕だ。
僕が、僕が、僕が……僕が、僕が、僕が! ……僕が強ければ!
僕が強ければ、母さんを泣かせることはなかった!
この時、僕は決めた。
母さんは、どんな道を選んでも応援してくれると言った。
だったら――――最も愚かな道を選ぼう。
世界中の誰もが笑う、無謀な愚者の選択をしよう。
この時、僕は誓った。
二度と、才能を言い訳にはしない。
二度と、敗北しない。
必ず、この世界で最強の騎士になろうと。
そうすれば。
父さんの込めた願いに報いられる。
母さんの涙を拭うことができる。
そして――それが、この愚かな願いが……。
最強になるということが、ライカとの《約束》だから。
これが、三年前の全て。
敗北により、全てを失った僕は、父の願いと、母の涙で、大切な約束を思い出した。
□ □ □
この後、母さんはすぐに亡くなる。
母さんは死期を悟っていたからこそ、最後にあの話をしてくれたのだろう。
僕が話し終えると、ライカは涙を拭っていた。
「よくわかったよ……ジンくんが立ち直れた理由」
「……僕は、クモ姉の『理由』になりたい」
人には、自分では立ち直れないような挫折が訪れる時があると思う。
そんな時、誰かの立ち直る理由になれるような人。
僕が目指すのは、そういう人だ。
母さんは、僕が僕らしくあればいいと言った。
ならばこれが、僕が定義する、かくあれかしと強く願う、僕の在り方。
「なろう……私達で――私達が憧れた人の、立ち上がる理由に」
「……ああ、必ずなろう」
どうにも僕らは、この瞬間に縁があるようだ。
奇しくも決意は。
夕焼けに染まった中で交わされた。
□ □ □
あれから数日後。
ジンヤとライカは、黄閃学園、第一闘技場の観客席にいた。
闘技場は満員。
これから学園の生徒全員――どころか、学園外からも高い注目を集める試合が始まる。
『さぁ、皆さんお待ちかねのこの一戦! 実況はワタクシ、皆さんのアイドルにして、放送部のエース! 爛漫院桜花でお送りします!』
桜花ちゃ――んッ! という野太い声が響く。手作りのうちわや、ピンク色のサイリウムを振っている者までいる。
鮮やかな桜色の髪、小学生にしか見えない容姿。可愛らしい声に、子供のような仕草。
爛漫院桜花は、一部の生徒に絶大な人気があった。
『きっと彼が入学した瞬間から、誰もがこの戦いを思い描いていたでしょう!
圧倒的な攻撃力!
相手を一切寄せ付けないまま切り刻む獰猛な戦闘スタイル!
中学時代には全国大会三連覇という圧倒的な実力!
全てが圧倒的規格外! 一年生代表――龍上巳月選手!』
現れたのは銀色の長髪を腰まで伸ばした男。無造作に伸びた銀髪の隙間から、鋭い視線が覗いている。彼の横には、同じく銀髪の小さな少女が。
凄まじい歓声に包まれる闘技場。
ミヅキの注目度は桁違いだった。
これから行われるのは、毎年恒例の交流戦。一年の代表と、二年、三年の代表によるエキシビジョンマッチ。
言わば新入生に上級生の実力を見せる場のようなもので、慣例として上級生は一年代表に何度か攻撃させ、その実力を見せたうえで倒すというものだ。
交流戦は、本来そこまで大きな盛り上がりを見せるわけではない。軽く消化される学校行事のはずだった。
しかし、その退屈な戦いを変貌させたのがミヅキだ。
ミヅキは、二年の代表を一瞬で倒してしまったのだ。
彼が慣例を踏みにじったことよる驚き、非難の声もあったが――慣例をくだらないという気持ちを燻らせていた生徒も多かったのだろう。
退屈な行事に風穴を空けた型破りなルーキーは、熱狂を持って迎えられた。
そして。
この一戦による盛り上がりは、それだけではない。
『そして、迎え撃つのはご存知この人!
前年度の彩神剣祭ベスト8に!
彼もまた、入学以来学園最強を守り続けている君臨者!
今日も学園最高威力と名高い必殺の一刀が炸裂するか!?
三年生代表、烽条焔選手!』
赤色の二人だった。
赤髪の、貴公子然とした爽やかな男と、令嬢めいた気品あるふれる女性。
ミヅキが現れた時と同等か、それ以上の歓声が爆発する。
両者がリング上に立って、向かい合う。
『あ、それから一応ですが、解説は風祭先生にお願いしてまーす、そのへんで暇そうにしてたのでー』
『……桜花ちゃんさあ、一個いい?』
『なんでしょう? どうぞ』
『 み ん な の ア イ ド ル は ま つ り ち ゃ ん だ よ ! 』
マイクに向かって叫ぶ茉莉。
ほとんどの生徒が耳を押さえた。
一部の生徒は、緑色のサイリウムを振り回し発狂している。
『……年増』
『……ガキ』
茉莉と桜花の仲は悪かった。
アイドルとは、過酷なものなのだ。
『これより始まる学園史に残るであろう一戦! どうかお見逃しないように! それでは皆さん、ご一緒に! 騎士の戦いを始めるあの言葉を!』
『――Listed the soul!!』
開戦を告げる電子音と同時、闘技場の観客もまた、その言葉を叫んだ。
□ □ □
銀髪の少女と、赤髪の女性は、武装化を終えていた。
ホムラが握るのは真紅の大剣。
彼の凄まじい膂力から繰り出される一撃は、防御不可能。あらゆるものを破砕すると言われていた。
振り上げられた真紅。
魔力が横溢する。それだけで、大歓声が上がる。
ただの一刀――それが凡人が必死に工夫した一撃をねじ伏せる。
小細工など弄さぬ、王者の戦い。
その派手さも、ホムラの人気を支える一端だろう。
――だが。
「……くっだらねェな、オイ」
ホムラが踏み出すよりも早く。
銀色が閃いて、雷光の斬撃が飛翔していた。
□ □ □
ミヅキは退屈していた。
どいつもこいつも、話にならない。
学園最強?
全国ベスト8?
肩書など、どうでもよかった。
先日の二年も、相手にならなかったし、どうせ目の前の三年も同じだろう。
(騎士なんざ、くだらねえ……)
だが、この退屈な戦いに彩りを加える方法を、彼は知っている。
さあ、始めよう。
これより行うのは、児戯ではあるが、されど至上の愉悦。遊びとは極める程に単純化していき、いずれ児戯の様相を呈すのが常だろう。
単純な、積み木遊びだ。
積み上がったそれを、破壊し、崩れる様を楽しむ。
積み木とは――相手の人生。
人は積み上げる、努力を、夢を、くだらない幻想を。
そういったものを、全て崩してやるのだ。
人間が崩れる様というのは、本当に本当に、面白い。
□ □ □
『オープニングヒットは、龍上選手が決めたぁ! まさに電光石火! 鉄壁と凄絶な攻撃力に加え、目にもとまらぬ速さまでも持つ、隙のないパーフェクトオールラウンダー!』
攻防――否。
防ぐことなど、許されない。
ミヅキが加えた攻撃は、一瞬だった。
まず雷の斬撃を放つ。全国で数人しかいないAランクの魔力から繰り出される攻撃は、牽制ですら必殺の威力を持つ。
ホムラはそれを防御。しかし防ぎきれなかったのか、雷撃により僅かに痺れ、動きが鈍る。
試合開始最初の一撃は、ミヅキによるもの。
そしてそれ以降の試合は、一方的な展開となった。
スタンしたホムラへ、ミヅキの追撃が襲いかかる。
ミヅキの武器は、蛇腹剣。
繋ぎ合わされた刃が伸びる。
ホムラの剣を絡み取り、痺れて力の入らない手から奪い去る。
無造作に捨てられる真紅の剣。
猛攻は、終わらない。
ミヅキの蛇腹剣による斬撃は――伸縮、変幻、共に恐ろしいまでに自由自在。
蛇のように靭やかに、狡猾に、鋭く牙を剥いていく。
切り刻まれ、哀れで痛ましい舞踏を続ける王者――いや、その姿はもはや王者と呼べるものではなかった。
格が違う。
蛇腹剣がホムラの体に絡みつく。ミヅキが腕を振り上げた。
ホムラの体が、宙を舞う。
偽りの王は吊るされ。
新たなる王者の戴冠を告げる一撃は、振り下ろされた。
叩きつけられると同時、激烈な電撃を流し込まれ、ホムラの意識は明滅していく。
起き上がることは、なかった。
『き、決まったぁ……! 決まってしまった! やはり圧倒的だった、龍上選手!』
決定的に勝敗が決してから、ワンテンポ遅れて実況が入り込む。
誰も受け入れられなかったのだ。
まさかこうまで一方的な試合になるとは、誰も思っていなかった。
ミヅキは、先日の二年との一戦同様、試合開始から一歩も動かずに勝負を決めた。
「……ねみィなクソが」
あくびをしながら、唇を舐める。
退屈な戦いだった。
楽しいのは、ここからだ。
ミヅキは歩み始める。
戦いの最中は一歩も動かなかった、重い足取りが、今は軽やかだった。
倒れているホムラへ手を差し伸べる。
ホムラは朦朧としつつも、その手を取った。
両者を称える拍手が、闘技場を包む。
健闘をを称え合う新たな王者と、かつての王者……周りからは、そんな光景に見えていただろう。
ミヅキはホムラの耳元で囁く。
「ゴミ山の大将、ご苦労さん。気持ちよかったろ、カスどもの頂点で粋がるのは」
ホムラ自身に対する。
黄閃学園に対する。
そして、ここに通う全ての生徒に対する侮辱だった。
僅かにホムラの瞳に怒りが燃える。しかし、敗者が持つ言葉など、なにもなかった。
ただ敗北した己への情けなさを抱え、ホムラはミヅキに背中を向ける。
歓声と拍手の中で、ミヅキは笑う。
下らないヤツらだ。
今まさに最大級の侮辱を吐いた相手に対し、惜しみない称賛を送るめでたいヤツら。
ああ、本当に。
――本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に……。
本当に、騎士というのは、下らない。
□ □ □
試合が終わった。
結果は龍上君の圧倒的な勝利だ。
三年生を、学園最強を瞬殺。
同じ一年生とは――いや、同じ人間とは思えないほどの、圧倒的な差。
格が違うにも、程がある。
全国ベスト8相手にこんな試合をするということは、彼は既に《神装剣聖》にもなり得るのではないだろうか。
――上等だ。
僕だって、いずれ《剣聖》になるのだ。
やはり彼がどれだけ強くても、逃げるわけにはいかなかった。
僕は風祭先生のもとへ向かう。
「――先生、マイクを貸してもらえませんか?」
僕が問うと、先生は笑った。
「ジンヤくん――さては、青春する気だね?」
「……ええ、そんなところです」
「あ、ちょっと! え、なに……!? なんなんですか!?」
爛漫院さんの焦る声をよそに、僕はマイクを受け取って、闘技場の階段を降りていく。
観客が帰り始めている闘技場。僕とすれ違う人は、僕に奇異の視線を向けてくる。
戦いが終わったのに、今更マイクを持ち出してどういうつもりだろうと思ったのだろう。
こういう、つもりだ。
『一年代表、龍上巳月君!』
僕の声が、闘技場に響き渡った。踵を返していた龍上君が振り返り、僕の方を見た。
『僕は、刃堂迅也は――キミに決闘を申し込むッ!』
闘技場をどよめきが包み込んでいく。
「なんだ、あいつ?」
「学園最強が負けたんだ、勝てるわけねーだろ」
「つか、誰?」
「あれってGランクのヤツじゃねーの?」
「あたしも知ってるかも、魔術の授業でひっどい成績だった子」
「馬鹿?」
「無謀じゃん」
どよめきは、侮蔑と嘲笑に変わっていく。
そんな中で、龍上君は静かに笑った。
そして、そっと手のひらを差し出した。マイクを寄越せ、ということだろう。
マイクを投げ渡す。難なく掴み取った龍上君の返答は――
『こんな試合の後じゃあ、テメェみてえな馬鹿はしばらく出てこねえと思ったが……おもしれェ、やってやるよ』
熱の冷めていた会場が再び沸いた。
「いいぞ、新王者!」
「身の程知らずのGランクなんかボコボコにしちまえ!」
「やっちまえー!」
「ミヅキくんカッコイイー!」
「こっち向いてー!」
いつしか場内は龍上君を称える歓声が響き、『龍上! 龍上!』という声にコールに包まれていたった。
完全なアウェーとなってたが、構うものか。
いつだって僕はそういう雰囲気の中で戦ってきた、僕が知っているのは、それだけだ。
龍上君は僕にマイクを投げ返すと、獰猛で、凄惨で、凶悪な笑みを浮かべたまま、姿を消した。
決戦の時が、近づいていた。
□ □ □
「……しっかし、別にあんなパフォーマンスはしなくてよくない?」
「そうだよ、ジンくん……すっごいハラハラしたんだから」
龍上君の強さを学園中へ知らしめた、あの試合の翌日。
昼休み。
僕は、キララさんとライカに責められていた。
「あんな試合見せられたら、テンション上がっちゃって……」
「……マジでバカなん?」
「……もう、ジンくんは」
「……戦闘狂すぎない? アタシちょっとわかんない」
「……本当に、男の子なんだから」
「……あれ、ライちゃん、ジンジンに甘くない!?」
ああ、そうだ、彼女達の言う通りだ。
「キララさん、男はバカなものなんだよ」
「かっこつけんなっての……まあいいや、はいこれ。兄貴の試合映像」
キララさんは端末を手渡してくる。
龍上君の試合映像を見せてもらっているのだ。
……キララさんは病室での一件後も、表面上は明るく振る舞っている。
けれど――ふとした時に、彼女がこれまで見せたことのなかったような、不安そうな表情が垣間見えるために、胸がしめつけられて、苦しい。
人は、間違える。
間違えた人は、それに気づくこともあれば、気づかないこともある。
間違えた人は、許されることもあれば、許されないこともある。
でも、僕は――『気づいた』人には、優しくしたい。
僕は……気づくのが遅すぎたから。
自分を改めた時にはもう、本当に見てもらいたかった人はいなかったから。
だから……後悔だけは、したくない、させたくない。
僕の中では、ライカや母さん、クモ姉と同じように――キララさんも戦う理由になっていた。
端末に視線を移す。
そこには、昨日の試合同様に、圧倒的な強さを誇る龍上君の姿があった。
彼の属性は雷。
魂装者の武装形態は蛇腹剣と手甲。能力は金属の硬度操作。
ステータスは、
ランク A
攻撃 A
防御 A
敏捷 A
出力 A
拡散 A
精密 C
精密性のみ並みだがあとは全てトップクラス。
ステータスというのが学園側が割り出した騎士の能力。
ちなみに僕のは、
ランク G
攻撃 G
防御 G
敏捷 A
出力 D
拡散 G
精密 A
僕は欠点のせいで、魔術攻撃がほぼ使えないので、攻撃、防御、出力、拡散の項目が酷い。
敏捷は、身体能力、そして欠点と関係のない身体強化魔術によるもの。
精密の高さは、僕の努力の証で、ちょっとした誇りだ。
龍上君は、攻撃、防御、スピード、全てに優れ、クロスレンジ、ミドルレンジ、ロングレンジ、全てに対応できる技の多彩さを誇る。パーフェクトオールラウンダー、そう呼ぶにふさわしい万能さ。
本当に、冗談のような強さだ。
現在見ている試合は、龍上君が中学三年生だった時の、全国決勝。
敵の武器は巨大なハンマー。攻撃力という一点のみを極めた、パワータイプの選手だ。
一撃の破壊力なら、龍上君や、三年の烽条さんすら凌駕するかもしれない。
そんな凄まじい一撃を。
龍上君は、左腕に装着した手甲で受け止め…………、
――小揺るぎもしなかった。
手甲には、龍上君の膨大な魔力が注ぎ込まれ、その力を十全に発揮すると、何者にも砕けぬ絶対防御となる。
キララさんが僕との戦いの時に氷壁を出現させて言ったこと。
『これを砕けるのも、これを上回る防御を持っているのも、学園には一人しかいない』。
あれが龍上君のことだったのだ。
蛇腹剣と雷撃による、多彩かつ強烈な攻撃、手甲による絶対防御。これを破らないことには勝利はない。
あの猛攻をどうするか、そこはもう見えている。
問題は手甲の方。果たして《迅雷一閃》で突破できるかどうか――これはもう、本番で試してみるしかないな。
僕は、僕の歩んできた道を信じている。
――騎士のステータスで、精密性だけは、なにもせずには絶対に上がることがない。
事実、龍上君はの冠絶した才能を以てしても精密性だけは『C』に留まっている。
僕が戦えるのはそこだと信じ、そこだけは誰にも負けないと鍛え続けた。
それによって生み出された技を、信じよう。
この技で、断てぬものなど、ないはずだ。
宣戦布告をした後に、僕の端末へメッセージが届ていた。学校からの、決闘申請受理の報告。
相手は当然、龍上君。
決戦の日時は――明日。戦いは翌日にまで迫っていた。時間はない。でも、あの場でそのまま戦う展開であってありえたのだ、一日猶予があっただけ十分。
「ありがとう、キララさん」
端末を彼女に手渡す。
「どう? 勝てそ?」
「わからない――けれど、それでも誓うよ……絶対に勝つ、勝たなくちゃいけない」
「アタシのこと倒したんだからさ、ゼッテー勝てよ! って言いたいけど……兄貴じゃね。アタシ、兄貴がまともに負けるとこって、見たことないや」
子供の頃に、大人と訓練して負けるということなどはあったそうだが、そういった例外を除けば、彼は無敗。
公式戦の記録や、調べられる範囲での野良試合などのデータを見ても、彼が負けたことは、ただの一度もない。
本物の、天才。
Bランクのキララさんだって、十分天才という枠に入る。しかし、彼はAランク。学園どころか――全国、いや世界でもそういるものではない。この際ごちゃごちゃ考えるのはやめよう、考えたって、ただひたすらに彼の凄さを思い知り続けるだけだ。
「ライカ……僕は勝つよ。キミとの約束だってあるんだ」
「……うん! 勝とうね、ジンくん!」
「――ああ、明日は夢への、最初の一歩になる日だ」
負けられない。
クモ姉が立ち上がる、『理由』になるため。
キララさんが自分を許せるようになるため。
母さんの涙のため。
父さんの願いため。
僕自身の――意地のため。
あの日、僕は負けた。それが悲しくて、辛くてしょうがなかったのは、ライカに報いられなかったからだ。
だが……それとは別に、僕の中に燃える想いがある。
僕は男だ。
かつての僕が本当に情けなかった分、強くあること、男らしくあることへの渇望はどこまでも湧いてくる。
僕は剣士だ。
故に当然、己の剣技に誇りを持っている。能力が弱いんだ、剣で負けていたら、僕は誰にも勝てない。
男が、剣士が、自分の剣を馬鹿にされたままでいられるわけがないだろう……ッ!
――そして、ライカのために。
僕の始まり、今の僕を形作ってくれている女の子。
彼女に出会っていなければ、僕には何もなかった。
夢も、やりたいことも、好きなことも、友達も――なにも……なにもなかった。
何もない僕の、何かになってくれた。
夢に、やりたいことに、好きなことに、友達に――なにもない僕の、全てになってくれた。
だから僕も、僕の全てを以て、彼女との約束を果たそう。
僕と、僕の周りにいる人達のために、絶対負けられない。
負けないという、決意をしよう。
決意を胸に。
決戦の時を待つ。
この決意を以て、決戦に勝利し――全ての因縁に、決着を付けよう。