第18話 過去と今。師と弟子。想いはここに繋がれて
かつて――十代の頃、叢雲オロチは、荒れていた。
魔力にも、剣才にも恵まれて生まれた。
力を持っていれば、振るってみたくなる。
持て余した力を振るい、戦いを繰り返す。
戦っている間は気が紛れた。だが、どうにも足りない、満たされない。
――どいつもこいつも、弱すぎる。
彼女は、強すぎた。
彼女を満足させられる相手が一向に現れなかったのだ。
おかしい。満たされない。もっと強い敵を、もっと素晴らしい戦いを。
オロチは飢えた。
戦いを繰り返した。戦いを繰り返して、戦いを繰り返して、戦いを繰り返して、戦いを繰り返して、戦いを繰り返して、戦いを繰り返して、戦いを繰り返して、戦いを繰り返して、戦いを繰り返して――――、
気がついたら、《彩神剣祭》で優勝して、《神装剣聖》になっていた。
――――つまんねえの。
学生内の頂点になっても、満たされなかった。
誰もが羨む称号だというのに、彼女にはそれがゴミに思えた。
そうやって不満を抱えている内に、いつしか彼女は高校を卒業する段になっていた。
進路は少しだけ迷った。
プロリーグに挑戦してみるか、《ガーディアン》になって強力な異能犯罪者との戦いでも求めるか。どちらがいいだろうか。どちらでも同じだろうか。
そんなふうに迷っている時、ある男に出会った。
男の名は――刃堂ライキと言う。
◇
プロリーグのスカウトも、《ガーディアン》の人間も、同じような目をしていた。
オロチは力を持っている。だから、周囲の人間は彼女に力を求めた。
自分自身でさえ、どう振るえばいいか定まっていない力だ。
それでも、気に入らない誰かの私欲のために利用されるのは癪だった。
だが――ライキだけは、少し違った。
「キミは、そんなに強いのに、やりたいことがないんだね」
鬱陶しいおっさんだな、と最初は思った。見透かしたような言葉に腹が立つ。
やりたいこと? 細かいことはどうでもいいが、とにかく自分を満たしてくれる相手が欲しい。それだけだ。それがやりたいことだろう。だが叶わない。だって誰も彼もが弱いから。
「僕のところに来るといい。きっとキミの道が見つかる」
胡散臭え。見つかるわけねえだろ、こちとら十数年生きて結局見つからなかったんだぞコラ――そんな訳で、オロチは当初、ライキのことを一切信用していなかった。
「……おっさん。御託はいいから、ちょっとアタシとやらねえか?」
そして。
オロチはライキに、完膚なきまでに負けた。
◇
それからオロチは《ガーディアン》へ入り、ライキの部下となることに決めた。
毎日、毎日、任務と訓練の合間に、ライキへ挑み、負ける。それでもしつこく、挑み続ける。
ほぼストーカーのような生活だった。
ライキに勝つまでは、意地でも彼に付きまとい続ける覚悟だ。
そんな生活の中で、彼にはいろいろなことを教わった。
彼は、人を守るために戦っている。
小さい頃から、彼はずっとヒーローに憧れていたらしい。
お話の中にしか存在しないような、誰にも負けず、悪を挫き、笑顔を守る無敵のヒーロー。
ライキももう大人だ。
そんなものは存在しないことはわかっている。それでも、目指すことをやめれば、その分だけ誰かを救えなくりそうで――そのことが怖い。
だからずっと、願うことはやめないのだと言う。
「オロチ。キミは僕に勝ちたいと言うけれど、それにはまず、戦う理由を見つけることだね。でないときっと、せっかくのその力も空回りしてしまう」
「……そーゆーもんスかねー」
「事実、僕に勝てないだろう?」
「ぐっ……」
温厚で優しい男ではあるが、こういう部分は直截な物言いをする。
温厚なくせに、かなり負けず嫌いなのだ、この男は。
「別に誰かを守れとは言わない――なんて《ガーディアン》にいる人間の言葉じゃないか。まあ、なんでもいいさ。僕としては、それが誰かのためになるものだと素敵だとは思うけれどね」
「……ま、探してみます。アタシにンなもんあるかわかんねーッスけど」
◇
ライキは子供が好きだった。
《ガーディアン》の取り組みで、騎士に成り立ての子供達に力の使い方を教える講習会を率先して引き受けていた。
任務の中では、凄惨な結末を迎えるものも多々ある。
大規模な破壊を引き起こすような異能犯罪により親を失った子供。
年端もいかない子供を騎士に仕立て上げて利用する組織。
任務の結末として、施設に引き取られた子供達のもとへ、ライキは何度も通っていた。
そんな義務はなくとも、それでも、彼らの傷を少しでも癒せるように話し相手になったり、将来を悩む者に道を示したり。
――きっと、ライキにとってはオロチもそんな子供達と同じようなものだったのだろう。
力の使い方がわからないオロチは、愚かな子供だ。
それに気づいた時、オロチは腹が立った。
ガキ扱いはごめんだ。
その怒り自体、子供じみていた。だが、結局は未だ守るべきものなど見つからず、ライキにも勝てないままでいる。
◇
子供が欲しい。
将来、子供の進む道は自分で決めさせてやりたいが、できることなら立派な騎士になってくれたら嬉しい。
口癖のように、ライキはそう繰り返していた。
彼には随分昔から付き合っている女性がいる。
美華という名のその人は、とても優しくて、綺麗で。二人は本当に良い夫婦になるだろうと、そういったことに興味がないオロチも確信できた。
彼女に比べて自分はどうだろう。
粗暴で、幼稚で、女性らしさもあまりない。
ライキに付きまとっていた時から、美華とは顔見知りで、その頃から良くしていてもらっていた。
オロチにとって、美華は優しい姉のような存在だった。
それから月日は流れ――二人は子宝に恵まれた。
二人の間に出来た子は――――迅也と名付けられた。
◇
「抱いてみる?」
美華にそう言われ、オロチは赤ん坊のジンヤを抱き上げた。
小さな体。手も足も細く、握りしめれば簡単に折れてしまいそうな、儚い存在。
腕の中に、儚くも確かな命を感じて、オロチは。
――――――――――――――あ、これだろ。
唐突に。
突然。
本当に、いきなり。
思い至った。
なぜだか、涙が出た。
なぜだろう。
ガキなんて嫌いなはずだったのに。
ライキと過ごす内に知らずにそういう感性が芽生えていた?
美華さんに憧れていたから?
二人があまりにも幸せそうだから?
わからない。
どれでもあるような気がして。
どれでもいいような気がして。
だから、わからないまま、決意した。
いつか生まれてくる自身の子供のために戦おうと決めた。
その時が来たら胸を張って親になれるように生きようと決めた。
だが結局――オロチが子供をもうけることはなかった。
◇
ライキが死んだ。
ライキは誰かを守るためになら、命を投げ出せる人間だった。
だから、いつかあっけなく、唐突に死ぬような、そんな生き方をしていると思っていた。
同時に、常に身を顧みずに誰かを守り戦うのに、生き残って帰ってくる。彼は必ず帰ってくる。そんな風にも思っていた。
ジンヤがいる。美華がいる。なにより家族を大切にするあの男が、家族を置いて死ぬはずないとも思っていた。
ライキの死について、全てがわかっているわけではない。
わかっているのは――彼が誰かを守って死んだということ。
ライキから、オロチへの遺言が発見された。
先に死んですまないということ。
出会ったばかりの頃はどうしようもないヤツだったが、最近は立派な騎士になったということ。
自分が面倒を見ていた大勢の子供達と同じように、体ばかり大きくなって、空虚な強さに振り回されていたオロチという子供が、成長を見せてくれたのが嬉しかったということ。
その成長を見届けられないのが残念だということ。
ジンヤについてのこと。
彼の道は、彼に決めさせてやって欲しい。
だがもし、彼が騎士になるというのなら、その道はあまりにも辛く厳しいが、それでも見届けてあげて欲しいということ。
そして――屍蝋アンナという少女のこと。
ライキが守り抜いた中の一人が、屍蝋アンナだった。
ライキは生前、アンナの抱える複雑な問題を解決し、なんとか彼女を救おうとしていた。
アンナの事情には、恐ろしい程に暗く深い闇が関わっている。
その闇と戦い続け、ライキはアンナを救い出した。だが、その救いの結末を見届けずに、ライキは死んだ。
だから。
オロチは必ず、亡き師に変わって、屍蝋アンナという少女を見届けると誓っている。
◇
二人の生活は、最初は酷いものだった。
「ここが今日からオマエの家だ。アタシは……あー、なんだろうな? オマエの親代わりになる」
「やっ!」
「いや、やじゃなくてな……」
「アンナのママはあなたじゃないもんっ!」
「そうだけどよ……別に母親だと思えとは言わねえよ」
「やっ! アンナのおうちにかえしてよ!」
「……つっても、オマエ、記憶ねーだろ。家どこだよ」
「……うううぅ……うぁああ…………」
泣き出してしまった。
この時まだアンナの年齢は一桁。にしては子供らしいと思ったが、記憶が抜け落ちている影響らしい。
そして、過去を失っている少女がどれ程不安を抱えているか、オロチもわかっているはずなのだが……なかなか上手くいかない。
子供は苦手だ。
子供を育てるなんて、やっぱりガラじゃない。自分には無理だったのだ。戦うことしか知らない馬鹿な女だ。そんな女に、人間一人を預かる資格なんて。やはり施設で過ごすのが、彼女のためなのだろうか。
だが、あまりに複雑な事情を抱えた彼女が、上手くやっていける場所はあるのだろうか。
ずっといい加減に生きてきたオロチは、アンナと過ごし始めてから、人生で最も思い悩み続けた。
親になる、というのは本当に難しい。
◇
「よお~、アンナ、このぬいぐるみ可愛くねえか?」
「やっ!」
「なー、一緒に風呂入らねえか?」
「やっ!」
「おい、アンナ、どっか出かけねえか? なんでも好きなもん買ってやるよ」
「やっ!」
やっ! やっ! やっ! やっ! やっ! やっ!
拒否され続けた。
さすがに、泣きそうだった。
オロチはアンナの寝顔を眺めつつ、彼女の頭を撫でながら、
「……ライキさん。アタシ、どーしたらいいんスかね……」
◇
怖い夢を見る。
アンナは時折、目覚めてすぐに泣きそうな顔で振るえていることがあった。
その度にオロチは慌てふためいて、どうすればいいかわからず、とりあえず抱きしめてみたりする。
「やっ!」
やっぱり拒否されてしまうのだが……、
「やだけど……でも、……おろち、どうしてそんなにやさしいの?」
ある時、そう問われた。
どうして。
最初は、ライキのためだった。
いつしか、ライキとの約束よりも先に、まず彼女のために何かをしたいと思うようになっていた。
「どうして、か……。まあ、大人はな、基本的にはガキにゃ優しいんだよ。いろいろとついてねーガキなら、なおさらな」
かつてのオロチなら、そんなことは戯言と一蹴しただろう。
あらゆることに冷めた、ガキだったオロチなら。
だがオロチは知った。今はもう、知っている。
子供を食い物にするクソみたいな大人が掃いて捨てる程いる一方で。
ライキのような、ヒーローがいたことを。
ガキだった自分は、ライキに救われた。
だったら自分は、同じように子供を救いたい。
「ねー、おろち」
「あん?」
「……髪、やっていーよ」
「おお……マジか」
アンナの艶めく美しい黒髪をなでつけ、赤いリボンを結んでやる。
「……おろち、へたっぴ。ママの方がずっとじょーず」
「うるせえなあ。こーゆーのあんまやったことねえんだよ」
「じゃー、アンナもおろちの髪やったげるね」
そう言って、可愛らしいツインテールにされたこともあった。
似合わないにも程があったが、なぜだか気に入った。
これで外を出歩くのは死んでも嫌だったが。
◇
「おろちー、お風呂はいろー」
「おろちー、ごはんー」
「ねーねー、おろちー」
最初はひたすら拒絶されるだけだった。
だが、根気よく接し続けていると、今ではアンナの方から構ってくれとせがんでくるようになった。
この後、いくつかアンナに纏わる事件は起きる。
アンナが学校でいじめられてしまったと聞いた時は、腸が煮えくり返った。
……だが、自分が怒りに任せて学校に乗り込んでいっても、解決にはならないことくらい、オロチはわかるようになっていた。
アンナが学校に行かず引きこもるようになった時は、どうしようかと思ったが――まあ構わない、それでいい、と結論した。
行きたくないもんは、行かなきゃいい。
自分も学校なんてよくサボっていた。
アンナには幸せになってもらいたいが、普通であることが幸せであるとは思わない。
そうしてしばらくしてから――オロチのもとへ、ジンヤとハヤテがやって来た。
それからの日々、アンナは前よりも笑うようになった。
ジンヤとハヤテには様々なことを教え、様々なことを教えられたオロチだが――特にアンナのことに関しては、本当に感謝している。
家族だと、ジンヤはそう言ってくれた。
そんな言葉で、オロチは本当に救われる。
ライキと美華、そして彼らの息子であるジンヤ、その姿を見て、どうしようもなく家族というものに憧れた。
だが自分にはそんなもの一生手に入らないと思っていた。
なのに。
だというのに……。
――――気がつけば、欲しいものは手に入っていた。
ずっと飢え続けていた。
満たされたいと思っていた。
しかし、そうではなかったのだ。
自分の力は、自分を満たすためのものではなかった。
自分の力はきっと――――守りたいものを、守るためにあった。
――ねえ、ライキさん。アタシ、ちゃんとやれてるっスかね。
いつの日か、憧れた背中があった。
あの日憧れた大人に、今の自分はどれだけ近づけただろうか。
◇
――爆炎と剣閃が乱舞する。
爆破による剣の加速。それを利用し、アグニは高速の連撃を叩き込む。
だが、当たらない。
当たらない、当たらない、当たらない、当たらない。
風の如く掴みどころがない。当然だ。この女は一体、誰の師だ? 風狩ハヤテ――《神速》を志す少年の剣閃すら躱す者の師にとって、この程度の斬撃には掠ってやる価値すらない。
「……ならば」
剣技では分が悪い。そう判断したアグニは、大きく後方へ跳んだ。
そして、武装を剣から槍へ即座に切り替え――、
「――――《世界焦がす破滅の炎槍》」
相手は《天眼の剣聖》。
小手調べも出し惜しみも必要ない。
アグニはフユヒメとの戦いで最後に放った大技を、開始早々に撃ち放つ。
全てを焼き焦がす業火を前には、《天眼》など無意味。読み切ろうがその上から焼き尽くす。
――だが。
「剣戟じゃなくて魔術戦ならどーにかなるかと思ったか?」
刹那、天を衝かんと伸びた炎剣が、一瞬で消失した。
なぜ。疑問で思考を埋め尽くされる。無効化能力? いや、そんな強力な異能を持っているという情報はない。仮にそうだとすれば、剣戟で上回れない以上、勝ち目がない。
答えは、次にアグニを襲った現象で判明する。
「――――ッ!」
アグニは目を剥いた。驚愕に表情を歪めるも、言葉を発することができない。
呼吸ができない。
つまり、酸素を奪われた。
酸素がなければ、燃焼が起こらないのも道理。
「馬鹿弟子――ハヤテのこたァ知ってるよな? アタシはあいつの師だ。あいつと同じ、風を操る力を持ってる。んでもって、師である以上、あいつよかその技量は数段上だ。……つーか、あいつは剣技はいいんだが、ジンヤと違って『精密』がしょっぺえからなあ。こういう小細工は使ってこなかったろ?」
アタシは使うぜ――そう言って勝ち誇った笑みを浮かべる。
オロチの言葉に取り合う前に、アグニは前方へ駆け出していた。
求めるのは、まず酸素。呼吸ができなければ話にならない。
息を止めたまま戦うことなど不可能だ。仮にアグニが息止めの世界記録を保持していても、そのまま戦うなどという選択肢はありえないし、そんな事実も当然ない。
戦いにおいて呼吸は重要な意味を持つ。
中国拳法、空手、ロシアの格闘技であるシステマ、剣術で言えば代表的なものは鹿島神伝直心影流など。
特殊な呼吸法によるダメージの軽減や、技の威力増加。
そしてまず、それ以前に生存のために。
オロチが平然と喋っていることからも、酸素を奪われたのはアグニの周囲のみで、接近すれば呼吸は再開できるだろう。オロチの言葉通り、酸素を奪うという術式のためには、『精密』が要求される。
それはただ強風を吹かせるよりも激しく魔力を消費するはず。ならばやはり、この術式の範囲はそう広くないはずだ――そう読んでいたが、
「残念だったな、ハズレだ」
ない。彼女の周囲にも、酸素はない。だと言うのに、彼女は喋り続けている。
「ここにオマエの探しモノはねーぜ。アタシはその気になりゃ、魔力を変換して体内に空気を作り出せる。これも『精密』が必要だから今のハヤテにゃ真似できねーわな。つまりだ、アタシはずっと息ができて、オマエはずっと息ができねーって状況を作ることも可能ってこった」
自分の周囲に酸素を残す必要もないということだ。
即座にオロチから距離を取る。
再び呼吸が可能になった。
あの術式の魔力消費が激しい以上、やはり広範囲に作用させているわけではないようだ。
だが――そこでアグニは思い至る。
遠距離戦のためには、火を扱う必要がある。
近距離戦のために近づけば、呼吸を封じられる。
酸素を奪う――その一手で、アグニの打てる手は全て封じられた。
「気づいたか? オマエ、実力でも相性でも、絶対にアタシには敵わねえぞ? なにより退けねえ理由があるんでな」
オロチは刀を肩に乗せるという、攻め気に欠けた姿勢で続ける。
「オマエがどういう理由でアンナを狙ってるかは知らねえ。だが、よーく覚えとけよ……アタシの家族に手えだしたら、ガキだろうが容赦しねえぞ」
赫世アグニは封じ込めた。
これで、アンナを狙う者は罪桐ユウのみ。
アンナを救う――オロチもジンヤも、そのために動いている。
師から弟子へ。
全ては――刃堂ジンヤに託された。




