第16話 悪辣の暴威
《凪の構え》。
相手がどう打ち込んでくるか、どういう角度で、どのような足さばきで、どれ程の速さで、フェイントはどう入れるか、視線はどこへ向けているか、どのような思考をしているか……あらゆる要素を掌握し、相手を読み切る《天眼》の思想。
さらに微細な気流の流れを読み切る風属性のハヤテならではの特性、《風読みの目》。
そして、『無構え』から敵の攻撃を躱し、同時に反撃を放つ、二天一流《指先》。
《天眼》と《風読み》で相手の動きを把握し、《指先》による反撃を確実に決める。
彼の師であり、《天眼の剣聖》である叢雲オロチの奥義によく似たそれは、剣聖には劣るものの、その領域に足先を踏み入れた絶技だった。
ハヤテとセイバ。向かい合う二人の騎士。
現在ハヤテは、セイバによって魔力を封じられている。故に《風読み》は機能しておらず、《凪の構え》は不完全なはずだった。
だというのに、その構えを取ってきた。
自棄糞だろうか。否だろう。彼はその程度の騎士ではない。
ならば、魔力を封じられてもなお、その技を信じているということか。こちらの方があり得る。《風読み》を抜いても、《天眼》は魔術ではなく技術。
魔力がなくとも、読み切れると確信しているのならば、あの構えは成立する。
だが、一手足りない――とセイバは表情や言葉には出さず、ハヤテの落ち度を内心で指摘する。
セイバが削った足元の砂。これを放つと同時に斬りかかる。
視界を潰せれば最善、でなくとも『防ぐ』という動作で出来る一瞬の隙でこちらが勝つ。
この地形で、この状況に持ち込んだ時点で己の勝ちだ。
そして――セイバが動き出した。
足先を跳ね上げ、砂塵が舞った。狙い通り、ハヤテの顔面へと砂が跳ねた。
セイバが踏み出し、距離を詰め、刀を振り下ろす。
対してハヤテは、自身の顔へ迫る砂に対処するために――――動かない。
彼はそのまま踏み込んだ。
踏み込み、左手を上げ相手の斬撃への対応、右手は切っ先を相手に向け、突きを放たんとしている。
なぜ――セイバの疑問の答えは、次の瞬間に訪れた。
風が吹いた。
魔力によるものでも、自然のそれでもない。
ハヤテが激烈な勢いで息を吐いたのだ。
それにより、砂塵が一気に吹き飛ばされ、今度はセイバを襲う。
「くっ――、」
咄嗟の判断で、セイバは目をつぶった。
視界が暗闇に覆われようと、直前までの光景は頭に焼き付いている。
それを手がかりにハヤテがいるはずの場所へ斬撃を放つ。
空を切った。
直後――セイバを翡翠の二刀が斬り裂いた。
「これでも《天眼》を目指してるんで――《風読み》頼りって訳じゃないんスよ」
読んでいたのだ。
セイバが構えを変える動きに織り交ぜた、足先で地面を削り砂塵を放つ準備をしているところから、ここまでの全てを。
《天眼》の読みは、極めれば異能抜きで《未来視》や《読心》の能力と同等の効果に至ると言われる。
その領域を目指すのなら、この程度やってのけなければ話にならなかった。
さらにハヤテは、呼吸に関連する筋肉を魔力により強化し、肺から一気に空気を吐き出していた。交錯の一瞬、依然として魔力は封じられていたが、ほんの僅かに無効化の魔力が緩んだ。それでもまだ風を起こすことは叶わなかったが、体内の一部分を強化する程度の僅かな隙が出来ていた。
倒れるセイバ。
加減はした。傷はそう深くはないはずだが、すぐに立ち上がってくることもないだろう。
目の前の敵を倒した。
ならば、次は――。
◇
互いに必殺の技を放たんと構えたミヅキとゼキ。
ミヅキは肋骨の一部が折れ、ゼキも血液操作能力により止血はしているものの腹部を刺されたダメージは大きい。
長引かせるつもりはないという部分で、両者の意志は合致していた。
「――――《炎華》ッ!」
「《雷竜災牙》――ッ!」
放たれた互いの必殺。
ミヅキがここで《雷竜災牙・八岐之大蛇》を選択しなかったのは、刀を八つに分断する《オクタグラム》では、その分だけ通常の《アドヴェルサ》に比べて速度が落ちる。
ほんの僅かな差だ。だが、その差でゼキに遅れを取ると読んだからこそ、自身の最速を選んだ。
拳と野太刀の勝負だ。
間合いならばミヅキが圧倒的に有利。
だが、小回りが利くのはゼキの方だ。片手を防御に費やし、懐に潜り込まれて空いた手で拳撃を叩き込まれる――という展開は充分有り得た。
それを警戒したミヅキは、間合いの利を活かして先に仕掛けた。
ゼキを間合いに捉える刹那を見極め、そこへ最速の打ち込みを合わせる。
防御を置き去りにして斬り裂ければ最良。防御されたとしても、それを避けて打ち込むなり、防御ごと叩き潰すなり、次の展開に持っていければいい。
回避されようと、そう予測しておけば即座に回避先へ軌道を変更できる。
いずれにせよ、ミヅキの予測ではゼキがここで取るのは防御か回避だった。
だが――ゼキは構わず、そのまま拳を打ち放った。
僅かに目を剥くミヅキ。
そして考えを改める。
自分はこの相手を少し見くびっていた。
――そうか。
ここで。
この局面で。
なおも拳を突き出してくるのが、真紅園ゼキなのか――。
ミヅキはその事実を目の当たりにして、歓喜した。
回避や防御などという消極的な選択肢は、彼の中に存在していなかった。
真っ向からの勝負。
それが彼の狙いであり、望みであり、彼の闘争はそこへ終始する。
ミヅキもゼキも、今回の剣祭の中ではトップクラスの膂力を誇る。
ならば、競わない手はないだろう。
狂気めいた色を宿すゼキの瞳は、そう叫んでいた。
そしてミヅキは牙を剥いて笑い、それに応じた。
真紅の拳と、銀の刃が激突する。
耳を聾する激烈な金属音が轟き、地面には亀裂が放射状に伸びて、辺り一帯を衝撃が舐めた。
互いに脳裏に浮かべるのは目の前の相手。
そして目の前にはいないそれぞれ別の宿敵。
ここで負けるようなら、あの宿敵には絶対に勝てない。
あの宿敵以外に、自分が負けるはずがない。
互いに別の相手を浮かべながら、同じ想いを抱えて激突する二人。
凄まじい魔力と魔力が激突し、そして――。
二人は同時に激突した地点から弾き飛ばされ、倒れた。
さらに同時に、よろよろと起き上がる。
「……あァ、本当に面白ェな、テメェ」
「……アンタもな」
そう言葉を交わし、二人は笑った。
◇
「――――《絶蒼》」
「《迅雷/撃発一閃》――ッ!」
数多の氷騎士をどうにか掻い潜り、やっとの思いで肉薄を果たしても、その先にはまだ立ち塞がるものが。
それがセイハの持つ最硬の盾、《絶蒼》。高い瞬間出力により、膨大な魔力が込められた氷の盾。これを破壊したことがあるのは、学生騎士では真紅園ゼキだけだ。
ジンヤはそこに、自身が持つ最大威力の技《エクスプロジオン》を叩き込んでいた。
撃発により限界まで高めた抜刀一閃。
だが――。
「良い一閃だ。だが、俺には届かん」
自身の最大威力の技が容易く防がれるという絶望的な光景。
あの龍上ミヅキの手甲すら砕いた技だというのに、それが通じなかった。
だが、ジンヤは諦めなかった。
確かに、セイハを倒した経験があるゼキは、絶対に思える壁を正面から砕いていた。
今のジンヤにそんな真似は出来ない。
しかし、もう手がないわけではない。
蒼天院セイハと、雪白フユヒメの戦い方はよく似ている。
両者が使う《絶蒼》は、硬度ではセイハが勝るが、ほぼ同一のものと言っていいだろう。
一昨年の剣祭、その決勝。トキヤはフユヒメを倒した時、《絶蒼》を破壊以外の方法で破っていた。
有名な試合だ。
当然、ジンヤはそれくらいの情報は仕入れている。
《絶蒼》を出す速度を越えて動けば、この技は破れる。
肉体強化へ魔力を回す。
急激な負荷に、体が悲鳴を上げるが、全て無視する。
「《絶蒼》を砕けぬと理解した騎士の、次の動きなど飽きるほど見ているぞ」
直後、セイハが立つ地点を中心に地面から巨大な氷柱が屹立した。
《剣林氷樹》。
フユヒメVSアグニの戦いで、フユヒメが見せていた技だ。
足場が封じられた。
これでは速度による翻弄で防御を上回ることができない。
(攻めきれない……ッ!)
まさに鉄壁。
これまで戦ってきた相手で最大の防御力を誇るのはミヅキだったが、彼よりもさらに高い防御力を持っている。
それでいて、攻撃の面でも凄まじい。
隙がない。
これで何度目になるのか、再びジンヤは《頂点》の力を思い知らされていた。
勝てない。
敗北など、許されない状況だというのに。
そして一刻を争う状況でもある。
これは誇りのための戦いではない。
勝てないのならば、逃走を試みるのが目的のためには必要なのだが、しかし背中を見せれば待っているのは《絶刻》による情け容赦ない時間停止。
(どうする……どうする……どうすればいい……? こうしている間にも黒宮先輩とユウヒくんは、アンナちゃんを追っているんだ……、急がないと……でも……ッ!)
状況が、戦況が、ジンヤを追い詰めていく。思考が悪循環に嵌っていく。
泥沼で、八方塞がりだった。
「《魂装転換》――《蒼弾の氷拳・撃砕形態》」
絶望に、絶望が重ねられた。
武装の形態が変わる。
蒼銀のガントレットに、巨大なパイルバンカーが装着された。パイルバンカーはそれ自体による杭打ちの攻撃が目的ではなく、拳の衝突時にさらに杭打ちの威力を拳に伝え、衝撃を増加させるためのものだ。
ゼキが扱う火炎の噴出と対をなす、セイハ独自の一撃必倒のための工夫。
次の一撃は蒼天院セイハが持つ技の中でも最高威力。
足元から伸びる氷柱が、いつの間にかジンヤの周囲を取り囲んでいた。
逃げ場は絶無。
勝算は、皆無。
暗い諦念が足元から迫り上がってきて、体中に粘つく。
負けたくない。
大切な人を、救いたい。
そんな想いとは無関係に広がる力の差。
《頂点》は今まさに、それを示さんと拳を構え、始動し、そして――。
◇
アグニ対ユウ。
トキヤ対ランスロット。
レイガ対ガウェイン対ユウヒ。
三つの勢力が入り乱れる戦いは、三つ巴故の拮抗に陥っていた。
三つ巴は、正面からの一対一の削り合いに比べ、自分達以外の二つの勢力の動きを同時に把握しなければならないため、格段に動きにくくなる。
この拮抗を破壊したのは――ユウだった。
「うーん、遅いなあ……まだかなあ?」
とんとんとんとん……と、まるで待ち合わせの相手でも待つかのように、じれったそうに、爪先で地面を叩くユウ。
仕草だけ見ればなんでもないが、赫世アグニと相対しながらそんなことをし始めれば、アグニを知る者の目には異常に映るだろう。
口ぶりからするに、何かを待っているようだが。
訝しみ、眉根を寄せるアグニ。
だがこの相手に真面目に取り合っていても仕方がない。
今はこの少年の目的を突き止めるよりも、アンナの確保が優先――そう考え、攻めに転じようとしたところで、
「暇つぶしに片付けでもしようかなあ」
何気なく呟いた直後。
後ろ手を組んでいたのを解いて、右手をアグニ――ではなく、ランスロットへと向けた。
なぜ――アグニも、ランスロットも、トキヤも、同時に疑問に思った。
ユウの手から魔力で形成された糸が伸びて、ランスロットの背に接触。
次の瞬間、ランスロットが突如、目の前のトキヤを捨て置いてユウとアグニの間に割って入った。
「は? ちょ、ちょま、なにこれ……っ!?」
その動きはどう考えても愚策だったが、ランスロット自身もそんなことは承知のようで、彼も己の行動が信じられないというように目を見開いていた。
しかし、彼の足は止まらない。
「ほら、ランス、しっかり働いてよね! ガウェインちゃんもだよ!」
ユウの右手から伸びる糸が、今度はガウェインを捉えた。
ユウヒかレイガ、どちらを狙うが決めあぐねていたガウェインが、ユウヒへと斬りかかる。
ユウの糸に繋がれた二人の動きは、格段に冴えを増していた。
スピードも、パワーも、一段階上がっている。まるで糸から力を供給されているかのように――否、実際にユウは二人へ魔力を供給していた。
これまで複数の異能を模倣していたのだ。これも彼が模倣可能な異能の一つなのだろう。
そして――。
ランスロットでアグニを、ガウェインでユウヒを封じつつ、ユウは次の手を打つ。
「さて、と! とりあえず、雑魚から片付けよっかなー」
「誰が雑魚だってッ!?」
「キミに決まってるだろ、犬っころ」
ユウの次の狙いはレイガだった。
銃を乱射しながら迫ってくるのを涼しい顔で見つめつつ、左手をかざして銃弾を全て防ぎ切る。銃弾は、ユウの左手が発している《不壊》の魔力により全て虚しく地に落ちる。
ユウは今、詳細不明の《糸》の能力と、ランスロットの《不壊》を同時に行使していた。
レイガはユウの周囲へ氷壁を出現させ、跳弾を駆使してあらゆる角度から銃撃を加えていく。
氷壁から跳弾の軌道を割り出していき、ユウは的確に《不壊》によって弾丸を防いでいた。
レイガは攻め手に欠けている。傍から見ればそう思えたかもしれない。
だが、レイガは着実に勝利を見据え、そのために必要な手を重ねていた。
塞がれながらも、攻撃を加え続けているのは、ユウに偽りの攻撃パターンを覚え込ませているのだ。
今行っている銃撃はブラフ。
一見、氷壁による跳弾を使った変幻自在な攻撃に思えるが、実際は同じような位置を狙い続けていた。
そうやって相手が自身の狙いを読んだと確信する瞬間を読み、そこでこれまでのパターンにない場所に、本命の銃弾を叩き込む。
その弾丸は、レイガが持つ必殺。
「――《刻縛の氷牙》ッ!」
接触したモノの時間を停止させるという、決め手になり得る強力な技だ。
あえて読みやすく、なおかつワンパターンな攻撃を繰り返したところに、これまでとは比べ物にならない複雑な軌道を描く弾丸を撃ち込む。
跳弾を繰り返す《グレイプニル》、というのも通常では成立しない技だった。
そもそも接触した時点で時間が停止する以上、跳弾のために氷壁に当たった時点で、効果が発動してしまう。そこを時間停止術式を《遅延起動》で発動するように術式を組みなおすという工夫を入れている。
ブラフの攻撃パターン、跳弾の《グレイプニル》。
ここでユウを倒す。もう誰にも負けない。
そんなレイガの決意と、勝利への執念を感じさせる、精妙に構築された勝利への一手だった。 あの日からずっと胸に残るのは、敗北の悔しさと、それを必ず払拭するという誓い。
『……一回戦でオレに当たるなんて──────本当についてねえよ。だってオレは、セイハを倒して優勝すんだからよ』
真紅園ゼキに敗北した。
『貴様の価値は、敗北程度で変わらないということだ。俺があの日見出した貴様の有用性を、貴様自身が否定するのか?』
赫世アグニは、空っぽだった自分に価値を与えてくれた。
「――だからもう、オレは負けられねェンだよッ!」
「あっそー、で? だからなに?」
信じられない光景を見た。
ユウの左手を覆うのは――真紅のガントレット。
「もう忘れたの? 物覚えの悪い駄犬だねえー……しょーがないから躾けてあげるよ」
ユウの左手には、時間停止の弾丸が。
そして、今もなおレイガを絶望へと追いやる言葉を紡ぎ続けている通り、ユウの時間は止まっていない。
「《概念焼却》。よく知ってるでしょ? キミのご主人も、キミを倒した相手も使える技だよ。ねえ、レイガぁ……ダメ犬くん、キミはさあ、真紅園ゼキに負けた雑魚なんだよ! 理解しなよ、そのへんさぁ!」
刹那。
レイガの目の前にユウが現れた。
似ても似つかないはずのユウの矮躯に、ゼキの姿が重なった。
「真紅園流、《炎華》……ってね!」
ユウの拳が、レイガの体を捉えた。
レイガの体が吹き飛び、壁に叩きつけられ、崩れ落ちる。
「あー、なんだっけー? さっき言ってたやつ? もっかい言ってよ、ほら」
倒れたレイガに歩み寄り、足先で彼の頭をつついて揺すりながら、口元に悪辣な笑みの亀裂が広がっていく。
「ぐッ、あ……」
「ぐあーじゃなくてさあ! 違うでしょ!? ほらほら、アレだよ、『だからもう、オレは負けられねェンだよッ!』だっけ? みたいなやつ? ねえ? 誰が、誰に負けないって?」
ガンッ、とレイガの頭蓋を踏みつけた音が響く。彼の顔を踏みにじりながら、ユウは笑う。
「情けないなあ、雑魚犬くん……キミさあ、ほんと――――――に弱いよね、戦いたい戦いたいなんて言っておいて雑魚って、はっずかしぃぃぃぃぃーっ! ぼくなら死んでるよ! ギヒ、ギヒヒ、ギッヒャヒャヒャ! ウケるなあ! 恥ずかしすぎて笑えてくるよ!」
止まらない。
回りだした少年の口は、悪辣な言葉を、止めどなく紡いでゆく。
「龍上ミヅキは仕留めきれず、真紅園ゼキには負けて、ぼくにも到底敵わない。じゃー誰になら勝てるのかなあ? 雑魚のくせに一丁前に戦闘狂気取りって一番ダサいね! ああ、見てるこっちが赤面しちゃうなあ!」
踏みにじる。
文字通りのそれなど、どうでもよかった。
ユウが踏みにじっているのは、レイガの心。心の一番弱く、柔らかい部分を丁寧に丁寧に、回りくどく、労るようでありながら、その実土足で不躾に踏み荒らすような言葉の羅列。
「ねえ、これだけ無様晒してまだ戦いてえ! とか思うものなの? どーなのそのへん? 教えてよ、気になるなあ……ねえ、ねえ、どうなのかなあ?」
歯噛みしていた、奥歯が砕ける程に。
拳を握りしめていた、爪が皮膚を破り血が滴る程に。
レイガは今、自身の全存在を全否定されている。
「うっわ、すごい。悔しいってことはさぁ、まだ諦めてないってこと? ここから突然悔しさをバネに想いの力で覚醒してパワーアップ! ぼくをボコボコにしてやったー最高オレは強い! って感じ? ギヒヒヒ…………、いやいや甘ったれんなよ馬鹿じゃないのー?」
軋むような、歪な笑い声をあげながら、レイガの体を無造作に蹴飛ばして笑うユウ。
「……あーあ、思ったよりしぶといね。いいけどね、ぼくの予想を越えてくれたところは評価してあげるよ。でもま、そんだけ。キミは結局、ただの雑魚。……じゃ、次の遊びいってみよーか? そうだなあ、じゃあキミの手とか足とかさあ、ぐっちゃぐちゃに壊してくから、どれくらい壊れるとキミの心は折れる試してみよっか? あーあ、残念だったねえ、もう二度と大好きな戦いができなくなっちゃって……それじゃいくよー、まずはそうだなー、左手からいってみようか――――、」
刹那――――。
「――――《絶刻》」
トキヤが自身の両剣を砕き、時間停止を発動させていた。
《絶刻》。
セイハとフユヒメが使用できる、時間停止という規格外の技。
トキヤはそれを限定的に使用できる。
乱戦という特性上、トキヤはこの戦いは自身に有利だと思っていた。
通常ならば、時間停止は常に警戒される。だが、相手は全員周囲に気を配り続けなくてはならない。そしてユウヒという味方がいる。
隙の作りようはいくらでもある。
そして、一度発動してしまえば、大勢いる相手を一気に片付けることができる。
そんな切り札を、トキヤは自分とはまったく無関係の少年のために使った。
トキヤは、レイガのことなどほとんど知らない。
知っていることと言えば、彼が《使徒》のメンバーであるということくらい。つまりは、ただの敵だ。
だからここで彼を助ける義理など少しもない。
むしろ敵同士で勝手に潰し合ってくれる分には、トキヤにとって有利に働く以上、見過ごして当然。ここでそこに割って入るのは愚かでしかないと言えた。
しかし。
しかし、だ。
『……いいの、お兄ちゃん?』
きっと誰もが愚かだと思う選択。
妹の不安そうな声に、トキヤは迷いなく返答する。
「構わねえさ。心底気に食わねえ――それでオレがあいつをぶん殴る理由は充分だ」
レイガのことはわからない。
だが、彼が抱えているであろう悔しさは、どういうわけか痛いほどわかった。
そして、それを笑いものにするユウの性根が許せなかった。
いずれにせよ、ユウは敵だ。
だからここで、彼がユウを殴り飛ばすことに、なんの不思議もないのだ。
「――いやだからさあ、キミも馬鹿なの?」
トキヤが拳を振りかぶった直後――殴り飛ばされていたのは、彼の方だった。
「おー、よく飛ぶねー」
手庇を作りながら、吹っ飛ぶトキヤが眺めて笑うユウ。
今度はトキヤの方へ歩み寄ると、横たわる彼の腹部を思い切り蹴飛ばした。
「馬鹿ばっかりかよもう、笑えてくるなあ、ギッヒヒヒヒヒ……。あのさあ、黒宮トキヤ。キミも真紅園ゼキに負けたんでしょ? じゃ、あっちで転がってる無様で惨めな犬っころと同じでしょ、なーにドヤ顔でいきり立ってんだか。雑魚は雑魚同士、おとなしく仲良くしてなよ、ね?」
器用にトキヤの体を蹴飛ばして運び、倒れたレイガの上に重ねた。
「さて、と……暇つぶしにレイガで遊んでもいいけど、まだめんどくさいのが残ってるしなあ……ここはアグニを潰しておくのがいいかなあ、うーん……」
腕を組み考え込むような仕草を取るユウ。
「それともー……」
そして、彼が見つめた先は――。
◇
アンナはの周囲には、氷で形成された檻に囲われていた。
乱戦が始まった直後、この場から離脱しようとしたアンナ。だが、すぐにユウに気づかれ、彼の操る氷によって囚えられていた。
現在、アンナのもとには魂装者がいない。
アンナ単体の力では、凄まじい硬度を誇る氷を破壊することはできなかった。
恐らくはセイハの能力をコピーして作られた氷だろう。
脱出は困難。
そんな絶望的な状況で、アンナは。
「それともー……」
ユウの視線が、アンナに突き刺さる。
「とりあえず、先にアンナちゃんを回収しちゃおっかなー?」
彼のことは誰だかわからない、記憶にないはずなのに、嫌悪感が際限なく湧き上がってくる。
きっと、空白の記憶の中に答えはある。
知りたくない。それはきっと、最低の記憶だから。
でも、逃れられない。
彼が歩み寄ってくる。
絶望が、近づいてくる。
その言葉を、零してしまいそうになる。
頭の中で再生され続ける、鮮血に染まった記憶。
身に覚えがないはずなのに、確かにそれが自分がしたことだとわかってしまう、奇妙で悍ましい感覚。
同時に。
血の粘つきと、生温さと一緒に――浮かんでくる記憶がある。
正反対の、二つの記憶。
自身が犯した罪。
そして、ジンヤに助けられた時の記憶。
何度も助けてもらった。
だから今も、もしかしたら、もう一度。
願ってはいけない。自分は汚らわしい存在だから。
それなのに、願ってしまう。
言ってはいけない。
なのに。
想いは、溢れて。
言葉は、零れる。
「……………………たすけてよう、じんやぁ……」
「――――ああ、必ず助けるッ!」
放たれた迅雷の一閃が、少女を囚えた氷牢を粉々に砕いていく。
虚空へ伸ばした、誰にも掴まれないと思っていた手を――刃堂ジンヤは力強く掴んでくれた。
◇
時はしばし巻き戻り、セイハがジンヤとの勝負を決めるための一撃を放とうとした瞬間。
風は吹いた。
そう、何度でも、いつだって、あの親友はジンヤの前に現れるのだ。
セイバを撃破したハヤテが、セイハの攻撃を受け止めつつ、あの場を引き受けてくれた。
ボロボロの体で、夜の街を駆けるジンヤ。
アンナのいる地点からは、凄まじい魔力の反応がいくつも存在し、すぐに場所はわかった。
『ジンヤくん。……キミは正義のために戦うべきだ』
『そんなことをキミの父親がッ! ライキさんが認めると思っているのか!?』
ユウヒに言われた言葉は、今も胸に突き刺さって消えない。
それでも。
これが正しいことかはわからなくても。
アンナを助けたいと思った。
だから助ける。今はもう、細かいことは全て後回しだ。
アンナを抱きかかえ、その場を離脱しようとするジンヤ。
させまいと動いたアグニの前に――ユウが立ちはだかった。
だが、ジンヤを追う者はまだ存在する。
「ジンヤくん……それがキミの選択ですか?」
「……ユウヒくん」
「本当に、それでいいんですか?」
「……ああ、これでいい。これが僕の選択だ」
「では……僕は僕の正義に基づき、キミを倒します」
互いに黄金に輝く刀を構えた。
迅雷と光輝、二つの黄金の光が夜暗を引き裂く。
ジンヤにとっては連戦に次ぐ連戦だ。
ゼキ、セイハと都市の1位と2位を相手にした後に、さらに七つの学園の内の一つの1位との戦い。
勝ち目は薄い。
万全の状態でぶつかっても、勝てるかどうかはわからない相手だ。
こちらの体力は底をつく寸前、相手はそこまで消耗しているようには見えない。
万事休すかに思われた時――――、
「――――ここで颯爽とガウェインちゃん登場なんだよなあ」
突如ジンヤの前に踏み出していったのは、同じく黄金の輝きを持つ少女。
「ガウェインちゃん……なん、で……?」
目を丸くして、アンナが問う。
「なんとなく。私、アンナちゃんのこと、気に入ってるし! 誰かを助けるのには十分すぎる理由じゃない?」
この瞬間、ガウェインはユウを裏切った。
ユウヒの前に立ちふさがり、ユウを裏切る。とんでもないことをしているという自覚はある。柄じゃないことをしている。あとで後悔するかもしれない。
面倒くさいことになるかもしれない。いいや、なる。確実に。
それでも。
アンナを見捨てるより、ずっといいと思った。
「……ありがとう、ガウェインさん!」
「礼はいらんよ。それよりアンナちゃんのことちゃんと守ってやんな! ……決まった、イケメンすぐるだろ、jk」
背中越しにジンヤとアンナが遠ざかっていく足音を聞きながら、キメ顔でユウヒと相対するガウェイン。
「……面倒な。通してもらいますよ」
言いながら、同時に斬光を放っていた。
「ごちになりまーす」
ユウヒは斬光を放つと同時に、移動を開始していた。ガウェインの《反射》を警戒したのだろう。いくら《反射》が厄介とはいえ、その効果を持つ大剣での防御を仕損じればそれまで。
狙いはそこだったが、しかし。
ガウェインの持つ大剣は、光の斬撃を《反射》ではなく《吸収》した――つまり、ユウヒが放った斬光をそのまま自身の魔力に変換している。
「なにせ《陽光の騎士》なもんで、《光》は大好物なんだよなあ」
ユウヒの表情が歪んだ。
ガウェインは、ユウヒにとって最悪の相性を持つ相手だった。
◇
ユウヒ対ガウェイン、ユウ、そして彼に操られたランスロット対アグニの構図の戦いは、そう長くは続かなかった。
ユウヒとアグニにとっては、この場にアンナがいない以上は続ける意味はない。
ユウヒは、ジンヤが逃げ果せたと見ると、すぐに撤退した。
ガウェインとしては時間稼ぎが目的だったので、これで十分。
同様に、アンナが目的なアグニも、忌々しそうな表情でユウを睨めつけつつも、レイガを回収して撤退していった。
ユウの手元に、ランスロットとガウェインという、操り武器に出来る騎士が二人残ったままで戦うのは分が悪いと判断したのだろう。
それでも、去り際のアグニの表情は恐ろしいものだった。
あそこまでレイガを侮辱されたのだ。彼も心中穏やかではない。
「ってわけでー、とりあえず一段落なんだけど……ガウェインちゃんさー、さっきのアレ、なに?」
解けた混沌の残滓となった、ユウ、ガウェイン、ランスロットの三人。
ユウと、ガウェイン、ランスロットで向かい合う形になっていた。
「アレって?」
「いやいやいや、いいんだよ別に? 珍しく、らしくない面倒なことしてるなあって思ったし、面白い展開だとは思ったからオッケーなんだけどねー、話が違うよね?」
「裏切った。以上。おk?」
「なんで?」
「気が変わったから」
「じゃ、ぼくもここでいきなり気が変わって、キミ達で遊んじゃおうかな?」
「トリスタン様からの伝言。『どォだ、ユウ。オレの部下は面白ェだろ? 最近テメェが遊んでくれねェからちょっかいかけてみたわ。気に入ったか?』……だってよ?」
「…………ハァ~……トリのやつ、ちょっと放っといたらこれか。あーもういいよ、また気が変わった。今度またブチ殺しにいくってよろしく言っておいてね」
そこで会話が打ち切られ、ガウェインとランスロットは去っていった。
誰もいなくなった暗い通りに、一人佇むユウ。
夜空を見上げながら思案する。
ここでトリスタンを刺激すれば、大切な計画に支障が出る。尤も、今回の件はアーダルベルトの命令でもある以上、計画の進行中にトリスタンが手を出すことはできないだろう。
いずれにしろ、目下の最大の楽しみを邪魔されることはない。
相変わらずなトリスタンについては、いずれたっぷりと礼をしてやろう。
彼と地形が変わる程の殺し合いなど、飽きるほどしている。いつものことだ。
ユウは戦いを好まないが、戦闘狂のトリスタンを負かしたらどんな顔をしてくれるのか気になってつい彼の誘いに乗ってしまうのだ。
「これでやっと、準備は終わりってとこかな。……ねえ、アンナちゃん、もう助かって一安心……とか思ってるんじゃない? ま、そんなわけないんだけどね。
さぁ、ここからが本番だ――希望の後に絶望があることくらい、もうわかってるんじゃない?」
ユウは笑う。
これから味わうであろう、甘美な絶望を想像して。
◇
アンナを巡る混沌とした戦いが起きた、その後。
再び新たな戦いが始まろうとしていた。
「よお、青少年。どこ行くんだ?」
一人の女が、赤髪の少年に声をかけた。
冷たい瞳をした赤髪の少年と、萌葱色の髪の、甚平姿の女が向かい合う。
少年の名を、赫世アグニ。
女の名を――――叢雲オロチ。
「……《天眼》か、なんの用だ?」
「少年はさあ、アンナを狙ってんだろ」
「だとしたら?」
「そいつは聞けねえ相談なんでな、悪いけど、お前にはここで捕まってもらうぜ」
ジンヤとハヤテの師であり、アンナの育ての親であるオロチ。
彼女には、アンナを守らなければいけない理由があった。
それは、ある人物との約束。
《剣聖》にまで上り詰める女が、生涯を賭してやり遂げると誓った、大切な約束。




