第15話 負けられぬ者達
ここで混沌を紐解いておこう。
まずこの戦いの中心であり、複数の勢力に狙われている少女――アンナは、状況を把握できていない。
奪われた彼女の記憶。
その真相が血塗られたものであることはわかっていても、アグニやユウの狙いがなんなのかまでは、彼女には見当もつかないからだ。
混沌を生み出した張本人、罪桐ユウ。
彼はアンナを使って何かを仕掛けようとしている。しかしそれが何なのかまでは、まだ彼以外の誰も知らない。
セイハの要請を受けて動くトキヤ、ユウヒの目的はシンプルだ。
屍蝋アンナの確保。彼女は殺人を犯した大罪人だ。これまでの彼女にそんな兆候はなかったが、あの凄惨な映像を見た後では、捨て置くことなどできないだろう。
赫世アグニもまた、アンナを狙っている。《使徒》は以前にも一度、アンナを連れ去っている。アンナが《使徒》のメンバーであるという彼の言動。その詳細は不明だが、ユウやセイハ達にアンナを渡すつもりはないのだろう。
少女を中心に形成された三つ巴の争い。
彼女は誰の手に渡るのか。
それとも――。
◇
「――――レイガ、掻き回せ」
「合点承知ィッ!」
アグニの短い指示に従い、レイガが銃弾をばら撒いた。
ユウ、ガウェイン、ランスロット、トキヤ、ユウヒ。その場にいた全員に平等に、なおかつ空中に氷壁を出現させ、跳弾を利用してどの弾丸が誰を狙うのか予測の難度を跳ね上げて。
ユウはレイガが動く直前、腰に提げているケースから本を取り出し、何かを書き込んでいた。
ケースへ本をしまうと、彼の手には、青色のロングソードが握られていた。
それは、ランスロットが持っている剣とまったく同一のものだった。
そして、《不壊》という能力まで同じだった。
《不壊》の魔力による盾で、弾丸を難なく防ぐユウ。
当然、同一の能力を持つランスロットも同様に防ぎ切る。ガウェインは素早くランスロットの背後に隠れていた。
トキヤは思考速度と肉体速度を加速させ、回避。ユウヒは銃口から射線を見切っていた。
場にいる全員に回避されたが、回避行動を取らせただけで十分。
仕掛けた側であるアグニとレイガは、次の行動に移っていた。
アグニはユウへ。
レイガはランスロットとガウェインへと肉薄している。
さらにランスロットにへは、同時にトキヤも斬りかかっていた。
ユウヒはレイガとガウェインの中間辺りに位置している。
「悪いけど、通してもらうよ」
ユウヒが刀を抜いた。
彼の属性は《光》。
刀が黄金の光を帯びたかと思えば、振り抜かれ、斬撃がガウェインへ飛来する。
「属性被り……ってか、ヤバッ! パスっ!」
《陽光の騎士》の名の通り、ガウェインの属性も《光》だが、彼女の能力はそれだけではない。
彼女が握る大剣――《陽光剣装・第三決戦形態》が閃く。
対アンナ戦では、その真価を発揮することなく武装解除を余儀なくされ敗退に追い込まれた。
《決戦形態》の能力、その一つが《鏡》だ。
大剣の剣身は、相対した相手の顔が映り込む程の滑らかな鏡面。
概念属性《鏡》。そして《鏡》はさらに別の《概念術式》を操ることができる。
それが《反射》だ。
ユウヒが放った黄金の斬光は、ガウェインの大剣に触れると、別方向へと跳ね返された。
そして斬撃の行方は――、
「こっちかよッ!」
ガウェインが鏡面を持つ大剣を構えた時点で、レイガは次の展開を読んでいた。
彼は前方に氷の壁を出現させる。
この氷壁もまた、鏡面も持ち、ガウェインと同様に《反射》の概念術式を扱うことができる。
つまり。
「ほォーら、落とし物だ! 持ち主に返してやるよォ!」
ユウヒが放った光の斬撃は、ガウェインの大剣、レイガの氷壁を経由し、ついには本人に牙を剥いた。
ユウヒは再び刀に光を纏わせ、光の斬撃をもう一度放つ。
同じ威力の斬光が激突し、激しい光を伴って相殺される。
「これは……少々厄介なことになりそうですね」
奇しくも《反射》を持つ者が二人。
ユウヒにとっては面倒な相手だった。
◇
「どーもでーす、お兄さん!」
「誰がテメェの兄だ! つーか漫才かませる状況じゃねえだろ、どういうつもりだ!?」
「別にどうも? オレはぴえぴえの指示通りに動くだけスけど」
蒼銀の両剣と青色の剣で鍔迫り合うトキヤとランスロット。
「ぴえぴえだあ……?」
顔をしかめるトキヤ。ランスロットが現れた時、罪桐ユウを守っていたことから、『ぴえぴえ』がユウを指していることを察す。
「なんでもいいけど邪魔だテメェ!」
「こっちのセリフ的な?」
「もっぺんブッ飛ばしてやろうか?」
「不可能でしょ! 場外のルールに助けられただけでオレに勝った気でいられんのはSIN☆GUY(心外)ッスね!」
剣祭のAブロック一回戦第3試合。確かにトキヤはランスロットに一切の傷を負わせていない。
その事実から、ランスロットが場外のルールなしならば、トキヤに負けることはなかったと主張するのもわからなくはない。
だが。
「ばーか、ありゃ一番楽だからああしただけで、他にいくらでもやりようはあったんだよ」
「へぇー、ならやってみてくださいよ、お兄さん!」
「だからぁ……ッ! テメェ、いい加減……ッ!」
◇
トキヤの猛攻を、ランスロットの不壊が防ぎ切る――場面は変わってアグニ対ユウ、こちらもアグニの攻撃をユウが受けるという展開になっていた。
アグニは攻撃力の点で言えば、今大会最強だろう。それは、セイハと同じく最硬の防御力を持つフユヒメをあっさりと倒した事実を鑑みれば揺るぎないことだ。
だが、そのアグニの攻撃を、ユウは平然と防いでいた。
「他者から掠め取った力か」
ランスロットの《不壊》を操るユウを見て、涼やかな視線を向けるアグニ。
「あー、ぼくの能力知らなかったっけー? ま、内緒にしてたもんねー、そうそう、そんな感じなんだ。これって最強じゃない? だからさ、諦めてよアグニぃぃ~……ぼくは別に戦うのは好きじゃないんだ。そーゆーのは血の気の多い馬鹿どもが勝手にやっとけばって感じ?」
ぺらぺらと軽口を叩きつつも、一撃一撃が必殺となるアグニの剣を容易く受け止めているユウ。
ユウは《使徒》の序列五位《ピエロ》でもあった。故にアグニもユウの戦いは何度か見たことがある。しかし、同じ組織にいながらも、あの不気味な少年は底が知れない。
戦う度に能力が変わる。
他者の能力をコピーする能力であろうことは推測できていた。
では、その詳細は?
コピーの条件。
コピーした能力をどれだけ保持出来るのか。
一度に複数の能力をコピー及び使用することはできるのか。
これまでの情報で判断するに、コピーするには相手を視認する必要が有り、さらに恐らくはあの常に携帯している巨大な本、あれが彼の魂装者だろう。あれに何かを書き込むことが、コピーの条件だと思われる。
ユウの能力を分析しつつも、それら全てをどうでもいいと、アグニは断じた。
なぜなら誰のどんな能力を使おうが、アグニにとってはなんら問題ではないからだ。
彼が目指すのは、この世界の頂点。であればどこの誰の能力だろうか、同様に突破するのみ。
「《不壊》の攻略法は先日の試合で既に見えていたが、貴様の動きでそれが確信に変わったぞ」
「へえー? すごーい、ホントにー?」
「これから貴様で確かめてやろう」
アグニが握る真紅の剣が、炎を纏った。
踏み出す。
同時、足元から爆炎が散って彼の体を加速させる。
さらに炎を纏った剣からも爆炎が。踏み出した足からも、振り下ろす剣からも爆炎が噴き出して、彼の動作を加速させていく。
元の膂力に加え、爆炎によるブーストも加わり、激烈な一閃が放たれた。
「だーかーら、壊れないんだって!」
「そこは認めてやろう。だがな――」
――同じ瞬間。
トキヤもランスロットに、必殺を放っていた。
トキヤは両剣を空中へ放り投げる。
魔力充填を時間加速により早めて、一撃の威力を高める技《プログレス・ブースト》によって事前に溜めていた魔力をガントレットに集中。
拳による一撃を強化。
――その拳を振り抜く。
アグニとトキヤが、同時に凄まじい威力の攻撃を、二つのアロンダイトへ叩き込んだ。
二人は同時に、《不壊》の攻略法を実行していた。
ランスロットとユウの手から、アロンダイトが離れる。
次の瞬間。
トキヤは放り投げていた両剣が落下してくると、それをつかみ取り、ランスロットへ斬撃を浴びせる。
不壊の騎士から、鮮血が迸った。
「やっぱりな。その力は剣の方に宿ってる以上、そいつを奪っちまえば紙だぜテメェは」
トキヤの言うとおり、《不壊》の能力を持っているのは、ランスロットではなく、魂装者であるアロンダイトの方だ。
そして、個人差はあるものの、大抵の場合は、魂装者を手放せば、魂装者の能力を扱うことはできない。
アロンダイトの場合は、手放した状態では《不壊》の魔力を扱うことができなかったのだろう。
ランスロットが場外へと弾き出されたトキヤ対ランスロット戦の決着を見れば分かる通り、《不壊》を突破するのは不可能とはいえ、完全に衝撃まで消し去っているわけではない。
であれば、武器を狙うのは当然。
トキヤとアグニが同時に《不壊》を攻略してみせたのは、そう不思議はことではないだろう。
「あーららぁ、さっすがアグニの馬鹿力、よく飛ぶなー」
アロンダイトを弾き飛ばされた瞬間、ユウは即座にアグニの間合いから離脱していた。
彼の足元には、銀色のブーツが。
あの武装が持つ能力は、概念属性《加速》。夜天セイバとの戦いに敗北したチェイス・ファインバーグが扱っていた能力だ。
「つくづく小癪だな」
「でしょー? もっと褒めてよ」
僅かに視線に険が増したアグニ。対してユウは、依然口元に笑みを貼り付けていた。
◇
ジンヤは、本来ならば夢を追い続けた果てで相対すべき男と刃を交えていた。
蒼天院セイハ。
ガーディアンのトップにして、剣祭を勝ち抜いた《神装剣聖》。
現時点で、この都市で一番強い騎士。
大会を勝ち進めれば、いずれ当たる可能性はあった。
だが、今ではない。
それでも、逃げる訳にはいかなかった――大切な少女を守るために。
セイハが放った氷柱が迫る。
刀で弾き、砕き、小刻みにステップを踏み、身を捻る。弾き、躱し、どうにか切り抜けていく。
どんな相手だろうと、ジンヤがすべきことはまず肉薄。
遠距離攻撃などというものを持たない非才の騎士は、常にこの間合の問題に向き合い続けねばならない。
「《氷創》――《氷鎧騎士》」
セイハが新たな術式を行使。氷で形作られた騎士が出現。
それも二体だ。
一体が正面から。もう一体は、背後に回っている。
ジンヤは足を止めない。
正面から迫る氷騎士を上段から一閃。
左右へ真っ二つ断ち割れる氷騎士。
だがそうしている間、当然後ろに回ったもう一体が、剣を振り上げていて――
「対多数の技くらい……っ!」
一対一のトーナメントでは披露する機会はほとんどないが、その程度の対応策くらい持ってる。
両手で振り下ろした状態の刀を、左手の逆手に持ち替え、そのまま背後へ放つ。
硬質な手応え。
振り向かずに氷騎士へ刺突を加え、仰け反らせることに成功。
即座、再び両手に持ち替えつつ、左足を軸に、思い切り回転。
回転の勢いを乗せた斬撃を放つ――瞬く間に、二体目も撃破。
しかし、木偶は囮だ。
氷騎士にかかずらっている間に、セイハはその手に巨大な氷の剣を創り出し、肉薄し、攻撃のモーションに入っていた。
振り上げられた氷の大剣。
そして、ジンヤはそのことすら百も承知だった。
背後からの氷騎士を倒すために、ジンヤはセイハに背を向けている状態。
その状態のまま、彼は刀を鞘に収めていた。
背を向け納刀、そこへ斬りかかられる――傍から見れば絶体絶命とも取れるかもしれない。
だが否、迅雷の騎士に限り納刀は必殺の予兆である。
「――《迅雷一閃》ッ!」
振り向き様、抜刀一閃。
夜空へと澄んだ破砕音が響き、氷の大剣が砕け散った。
もしも蒼天院セイハが、能力や武装を頼みとする戦いをしているのならば、この時点でジンヤは限りなく勝利に近づいていただろう。
だが、彼の持つ真紅園ゼキの《レッドブラッドフィスト》と対を成すその称号の名は――《ブルーブリットフィスト》。
彼が頼みとするのは氷を操る能力でもなければ、先刻儚く砕けた氷剣でもなく。
正義を握りしめた、己の拳だ。
刹那、ジンヤの意識がちぎれた。
「カ、……は……ッ……!?」
一瞬、世界が消え去り、気がつくと吹き飛ばされて、公園のフェンスに叩きつけられていた。
フェンスが大きくひしゃげている。
意識が戻り、直ぐ様なにが起きたのかを思考する。
《迅雷一閃》を放った直後の隙、そこへ弾丸の如き勢いで拳を叩き込まれた。
あそこまで接近を許したのが……いや。
そもそもあそこは単発の《迅雷一閃》ではなく、連撃の《迅雷/逆襲一閃》を放っておくべきだった。
大剣の間合いまでは近づかれていたのだ、そこからさらに踏み込み間合いを侵される可能性を考えるべきだった――と、そこまで思考して思い当たる。
《迅雷一閃》を放ったあの場面、《逆襲一閃》のためには、二撃目に繋げるための空薬莢が必要だ。
だが排莢をしていれば、背後の敵には間に合わない。だから《迅雷一閃》を選択したのだろう。
その選択以前の手、二体の氷の騎士への対応の時点で、この形になることは必然だった。
つまり、全てセイハの手のひらの上ということか。
これが《頂点》。
これが蒼天院セイハ。
ジンヤは目の前に立ちはだかる、超えるべき壁の高さを痛感した。
◇
ハヤテは追憶していた。
『僕はハヤテに救われ続けたんだ……だから……だからぁッ!』
『一回くらい僕に救われろッ! いいや、この先何度も、僕に一生救われ続けろ! キミがどれだけ死ぬと叫ぼうが、世界中がキミが生きることを否定しようが、僕は絶対にそれを許さないッ!』
あの夜の殴り合いを追憶する。
もう駄目だと思っていた。
諦めていた。
最期くらい、やりたいことやってから死のうと思っていた。
本当は嫌だった。
生きていたかった。
死にたくなかった。
だけど、方法なんてないと思っていた。
そんな馬鹿な思い込みを、あの親友は拳で粉々に打ち砕いてくれた。
一生かかっても、返しきれない恩だ。
親友には、絶対に伝える気はない。
伝えれば、
『そんなものないよ。だって僕はずっとハヤテに助けられてるんだから、おあいこだよね?』
なんて言うに決まっている。
冗談じゃない。親友にも、この恩は消させない。
だからこのことは一生伝えない。
そして、一生かけて、返していくと誓っていた。
そう。
一生かけて、だ。
もう死ぬ気はない。
そして――もう、負ける気はない。
二度と、誰にも。
しかし、そんなハヤテの決意など無関係に、夜天セイバはハヤテの全てを無に帰していた。
旋風の斬撃も、
最愛の少女が編み出した刃翼も、
彼が持つ最強の技である高速連撃《翠竜閃翼》も、
なにもかもが、通じない。
セイバの能力により、風自体を封じ込められる以上、風を利用した技は全て完全に無効化されてしまう。
である以上、ハヤテが持っている技はほぼ使えない。
「いい加減、諦めたらどうだ? なにか退けない理由があるみたいだが……どんな理由があろうが、俺の前じゃ等しく無意味だ」
苛立たしげで厭世的な声で、つまらなそう表情で、セイバが告げる。
「諦める、ね……悪いけど、つい最近、オレは諦めることができなくなったんですよ」
「……刃堂とは、親友だそうだな」
「夜天先輩、なーんか友達少なそうスけど……」
「ああ、少ないよ。だが、お前の言いたいことはわからなくもない」
「へえ、意外」
「……俺にもな、譲れないものくらいある」
その言葉には、これまでの冷淡な調子とは異なり、僅かに熱を帯びていた。
直後、セイバから仕掛けた。
能力無効化により、互いに身体強化すらない素の肉体と剣技のみでの戦いを強制される。
ハヤテは凡百の能力にかまけた騎士ではない。剣技を頼みとしたあの親友と張るには、自身も剣を磨かねばならないからだ。
しかし驚くべきことに、セイバはハヤテと真っ向から斬り合って互角だった。
奇しくも両者は共に二刀。
セイバは先日のチェイス戦では二刀ではなかったが、あれは出すまでもなかったというだけのことだったのだろう。
「……先輩、剣はどこで?」
奇妙なことに、二人の剣はよく似ていた。
それ故に、互角の剣戟が続いていた。
「奇縁だがな、俺とお前は同門だ」
「……まさか」
「そのまさかだ――《翠竜寺流・攻勢/七式〝閃嵐の舞〟》」
セイバが握る漆黒の二刀による、高速の連撃が開始された。
ハヤテのそれとは連撃に組み込まれた技はことなるが、それでも速度、精度は遜色のないものだった。
よく知る技だ。
ジンヤのように全ての連撃の組み合わせを予測しているわけではないが、それでもなんとか防ぎ切った。
「ランザを倒しただけのことはあるな」
「……なるほど。そういえばあの野郎とは同学年か」
翠竜寺ランザ。
ナギの兄にして、かつてのハヤテの宿敵。セイバと同じく三年だ。
「能力の特性上、俺は剣技で相手を上回っていないと話にならないからな。当然、そのための努力くらいはしている」
強い。
ハヤテは目の前の男の評価を、大きく上方修正した。
彼は自身の剣技を高めるために、ランザから翠竜寺流の教えを受けていたのだろう。
能力での戦いは不可能。
そして剣技の実力は互角。
厄介極まりない相手だ。
少しでも早く撃破して、友の助けにならねばならいという状況だというのに。
ならばどうするか――答えはすぐに見つかった。
ハヤテは構えを解いた。否、無構えとなった。
「《翠竜寺流・守勢/零式――〝凪の構え〟》……こいつはランザじゃ教えようがないはずだ」
「……なるほど。だが、『風読み』抜きでは未完成だろう、それは」
《凪の構え》を構成する要素の一つに、ハヤテの風を読む能力を利用し、微細な気流の流れまで見切り、相手の動きを把握するというものがある。
だがそれはセイバの魔力無効化により封じられている。
故に他の技同様、《凪の構え》も使えないはずなのだが……。
「さーて、そいつはどうですかね?」
セイバの中に、躊躇いが現れた。
膠着。静寂。二人の間に沈黙が落ち、付近で起きている二つの戦いの音が響いてくる。
ハヤテの耳を、ジンヤの激痛に呻く声が掠めた。
気持ちが焦る。
だが今動いては、《凪の構え》は成立しない。
セイバはどう攻めるかを脳内で組み立てた。
構えを模索するフリをして足を動かし、地面を足先で僅かに削る。
斬りかかる直前、ハヤテの顔面目掛け、足で砂を放つ。
視界を防げればよし、でなくとも手で顔を覆うなどすれば充分すぎる隙だ。
剣祭の競技場ではお目にかかれない搦め手。
卑怯だと罵るだろうか。だが知ったことではない、セイバは戦いを楽しむ趣味はない。
戦いとは唾棄すべきもの。
強さとは、戦いを早急に、簡単に終わらせるためのもの。
風が吹いた。
ハヤテの能力とは、まったく無関係の夜風――それが契機だった。
セイバが、仕掛けた。
◇
龍上ミヅキと、真紅園ゼキ。
二人の男には、一つの共通点があった。
それは、敗北者であり、挑戦者であること。
戦いなど、続けていれば負けることもある。常に勝者で在り続けることなどできない。
だが二人は、今この瞬間も、敗北者であるのだ。
勝つこともあれば、負けることもある――戦い続けた者の必然として、目まぐるしく入れ替わる立ち位置。
その立ち位置で、負けた側にいた。
ミヅキは、とある男に敗北し、自身の可能性を、努力の可能性を諦めた。そしてその諦めを盲信するために、不毛な戦いを繰り返した。
ジンヤに敗北し、その考えは捨てた。
不敗を誓い、最強を目指した――だというのに、風狩ハヤテに敗北した。
今度こそ。
次の誓いは、ずっと重いものになっていた。
ゼキの人生は常に戦いと共にあった。
幼い頃から喧嘩を繰り返していた。
しかし、戦いは知っていても、敗北は知らなかった。
そして、彼に敗北を教えたのは、蒼天院セイハだ。
初めて戦って、初めて屈辱的な敗北を味わった。
それから再戦に燃え続け、一度は彼に勝利した。
ゼキが敗北を知り強くなったように――セイハも同様に、ゼキへリベンジするために飛躍的に強くなった。
もう伸びしろはないと思っていた。極めきったものだと思っていた。
ゼキが挑んだ時、既にセイハは《頂点》だった。
《頂点》は、一度その座から引きずり降ろされた後、再びその座に君臨した。今度は、以前よりもずっと強固に、絶対的に。
ゼキが勝利した後の、セイハにとってのリベンジマッチ。
そこでゼキは、徹底的に敗北した。
セイハと出会った時の、初めての敗北よりもずっと屈辱だった。
同時に、燃えた。
セイハが自分と同じ感情を向けてくれたことに。
同じように屈辱を味わって、同じように闘志を燃やし、同じように再戦のために努力を積んだ。
ゼキにとって、セイハはずっと遠い存在だった。
倒すべき目標だった。
勝ちたい相手だった。
出会った頃から、彼への想いは変わっていない。
だが、変わったことがあるとすれば――それは、セイハのゼキへの想いだろう。
取るに足らない相手だった。
数多いる挑戦者の一人だった。
だがもう違う。
名も知れぬ挑戦者の一人は、絶対に倒すべき宿敵となっていた。
ゼキには予感があった。
次だ。
次にセイハと戦う時。
それがこれまでで最高の戦いになる。
初めて出会った時の敗北、次の勝利、そして再びの敗北にして一番の屈辱……今までの全てを握りしめて、次の戦いでまとめて叩きつける。
ゼキは――。
ミヅキは――。
――次の宿敵との戦いだけは、絶対に誰にも譲れなかった。
だから。
それを邪魔する者は誰であるが倒す。
二人はよく似た想いを抱えて、相対していた。
宵闇に、鋼が軋む。
ミヅキの野太刀と、ゼキのガントレットが激しくぶつかり合う。
それぞれの得物のリーチが噛み合っていない以上は、まずは間合いの取り合いに終始するはずだが――ゼキは無理にミヅキへ肉薄しようとはしていなかった。
リーチで劣るゼキは、まずミヅキへ接近し、拳が届かせなかればならいのだが……彼が選んだのは、ミヅキと正面から打ち合うことだった。
「大したパワーだな」
「アンタにそう言われんのは光栄だな」
ゼキの言葉に、ミヅキが珍しい返しを見せた。
誰も彼もを見下したような態度を取ることが多いミヅキだが、年上のゼキを敬う姿勢はあるようだ。
ゼキもミヅキも、同世代の騎士とは桁外れの力を持っている。
自身と正面から打ち合ってくる騎士はそういない。
馬鹿げた膂力の彼らと打ち合えば、容易く武器が弾かれるか、破壊されるか、なんにせよ無事ではいられないからだ。
これまで同世代でこうも激しく正面から打ち合ってきたのはセイハくらいだろう、とゼキは口端を僅かに吊る。
燃える相手だ。
実力も、抱えた想いも。
互いに見据えた戦いがある。宿敵は別にいる。だが、不思議と噛み合う。
いつもならば、心ゆくまでこの戦いを楽しむところだが、状況がそれを許さない。
早急にこの騒動を終わらせねばならない。
だから、一気に突破する。
ゼキの右肘から、赤色の角が伸びた。
彼の血液を操る能力により作られた、硬化させた血液の角。
その役目は、推進機構。
一際激烈な轟音が轟く。
赤角から噴き出した火炎により加速した一撃が、野太刀を大きく弾いた。
そのまま懐へ潜り込む。拳の間合いだ。
野太刀を引き戻していたのでは遅い。
「殺ったぜ、これで終わりだ」
拳を構えたゼキ。
直後、彼は目を見開いた。
ミヅキは野太刀を手放していた。
戦意を失い、諦めた――はずがない。
ミヅキは、拳を構えていた。
彼の右手には、銀色のガントレットが。
魔術、剣技、攻撃、防御、速度、遠距離、近距離……どの要素においても圧倒的なミヅキを表して《パーフェクトオールランダー》と、誰かが呼んだ。
その呼び名を支える堅牢な手甲。
金属の形状、硬度を操る能力を持つミヅキが、莫大な魔力を注いだ創り出した鉄壁の防御だ。
本来は左手に装着し、防御に使うそれを、対ゼキに合わせて右手に付け替え、この場面に備えていた。
「……ナメんなよ。そいつは一度、刃堂に破られてんだろうが」
赤と銀の拳が激突。
結果、ミヅキのガントレットが砕けた。
そう。これはかつて、ジンヤの《迅雷/撃発一閃》により破られている。
ジンヤよりも上のパワーを持つゼキが砕けぬ道理はないだろう。
では――ミヅキはわざわざ破られることが明白な対策など講じるだろうか?
答えは当然、否である。
ミヅキの真の策は、彼の左手にあった。
彼の左手には、手放したはずの野太刀が。
「……あァ? マジか」
「言葉を返すぜ――これで終わりだ」
手元から離れた野太刀が再び舞い戻っていた理由――それは、磁力だ。
ジンヤがそうであったように、磁力操作は高い精密性を必要する。
《精密》の項目は、他の項目と異なり、生来の才能よりも努力がものを言う。
そして、一度は努力を諦めたミヅキは、この項目が決して高くはないCランクだった。
だが――彼はもう、努力を諦めていない。
龍上ミヅキの現在の精密性はBランク。
野太刀の形状を操り、ゼキの背後まで刃を伸ばしていた。
背後より迫る、不可視にして不可避の刺突。
ミヅキの刃が、ゼキを貫いた。
――――だが。
「関係ねェよ」
その真紅は、止まらない。
「――――真紅園流、《炎華》」
刃に貫かれてもなお、先刻のそれよりさらなる冴えを見せた拳打がミヅキを打ち据えた。
ミヅキの体が馬鹿馬鹿しいほどの勢いで吹き飛ばされて、人体が壊れる音が響いた。
「わりィな。刺されたくらいじゃ止まれねえんだよ、オレは」
背中から刺さった刃を引き抜きつつ、血液操作の能力を使って傷口の血を即座に硬化、止血。
まだすべきことがある。
付近にある二つの戦闘、どちらへ加勢すべきか。セイハに加勢するのは癪だが、もし彼が苦戦していれば煽ってやるちょうどいい機会か――そんなことをゼキが考えている時だった。
「……もう一度、言葉を返すぜ……オレも、ぶん殴られたくらいじゃ止まれねェんだよ」
ミヅキが、立ち上がった。
体が軋む。
動く度、骨に響く。鋭利な痛み。
左側の第十一、十二肋骨辺りが折れている。臓器に刺さってはいないだろう。
つまり――。
『……みづき、だいじょうぶ?』
「心配すんな。こんなもん、敗北に比べりゃ、ねェも同じだ」
――つまり、無傷だ。
心配性な少女を黙らせる方便でもなんでもなく、真実ミヅキはこの程度では止まらない。
そして、磁力で野太刀を手元へ引き寄せ。
構えた。
野太刀を天高く掲げるそれは、龍上流〝天雷〟の構え。
そこから放たれるのは、彼の持つ最高威力、最高速の技、《雷竜災牙》。
それを見て、ゼキは笑った。
「……テメェ、面白ェな」
先約がなければ、とことん楽しみぬきたいが、そうも言っていられない。
次で決める。
そう決意し、確信し、ゼキもまた自身が持つ最高威力の技、《炎華》を放たんと拳を引き絞る。
◇
今宵生まれた混沌。
今宵生まれた多くの戦い。
その全ての決着が近づいていた。




