第9話 空っぽの少年/真紅園ゼキ VS 空噛レイガ
「いよいよですわね」
控室にて。
赤髪の縦巻きツインテールの少女――ゼキの妹であり魂装者であるクレナが、ゼキに向かってそう言った。
「だな」
そっけなく返すゼキ。
「……怪我のないよう、気をつけてくださいませ。お兄様はいつも無茶なさるんですから」
「あー……まあ、一応なー」
「もう! なんですのその気のない返事は!?」
「……本気で戦えば怪我くらいすんだろ。傷のつかねえ戦いなんかで滾るかよ」
「なんて野蛮な……もう、本当にお兄様はどうしようもない粗忽者ですわ」
「るせーなあ……」
クレナとゼキのこうしたやり取りはいつものことだった。
どれだけクレナが兄の身を案じようが、ゼキが自身を省みることなどない。彼にとっては戦いを楽しむことが最優先で、傷を受けるのも戦いの楽しみに含まれる以上、『怪我をするな』など土台不可能な願いなのだ。
クレナは何度も何度も同じ言葉を繰り返す。
その度に同じようにそっけなく返される。
それでも繰り返すのは、本気で兄を心配しているから。
そして、同時に……。
(ああ……なんと……なんと雄々しいっ!)
彼女は、兄にぞんざいに扱われることに快感を覚えるのだ。
クレナは、兄を愛している。
それも、兄の荒々しさ、雄々しさを心の底から好きで好きでたまらない。
『怪我をするな』と念入りに注意するのは、本気で兄を心配している一方、それを否定し、『傷も戦いの内だ』という言葉を兄から引き出して、その言葉を耳にしては全身が震える程の歓喜に身悶えしている。
傷つく兄が好きだ。
血を流す兄が好きだ。
好敵手に巡り会い、獣のように笑う兄が好きだ。
自分が兄の身を案じた時に、それを鬱陶しそうにして、戦いへ意識を向ける兄が好きだ。
戦っている最中に、自分のことなど忘れて、思考の全てを戦いに注ぎこみ、やがて思考すら消し飛び、全てを戦いの愉悦に委ねる兄が好きだ。
あの荒々しい姿の、獣のような兄に犯されたい、めちゃくちゃにされたい、自分の細腕では決して抵抗できない筋肉の隆起する腕に組み伏せられたい。
――だが違う。
違う、違う、違うのだ――兄に犯されたい一方で、そんな兄を見たくないという気持ちもある。女を犯す? 下らない、下らない下らない下らない――違う、そうではない、兄が本当に輝く瞬間はそんな俗なことではない。
クレナは思い出す――昨年の大会、その決勝でのゼキとセイハの戦いを。
互いに魔力を使い果たした末の、ただの殴り合い。
あの時の兄の表情、歓喜、飛び散る汗と血、この瞬間のために生まれてきたと言わんばかりの笑み……あれだ、クレナが欲しいのは、あの兄なのだ。
あの兄を思い出す度に胸が締め付けられる、下着が湿っていくのを感じる。
試合前はいつもこうだ。
この戦いで、兄はどこまで滾るのだろうか? またあの顔を見せてくれるのだろうか?
そんなことを考えると、クレナは興奮してしまう。それこそ、戦いの最中の兄のように。
「……さ、時間ですわ。行きますわよ、お兄様」
そしてクレナは、自身の内に宿る狂気とも言えるような兄への愛を微塵も見せずに、いつものように平静に上品に振る舞う。
□ □ □
『一回戦Bブロック最初の試合!
ついに登場! 前回大会準優勝の真紅園ゼキ選手!
珍しい銃の魂装者を使うということ以外ほとんど情報がない謎に包まれたルーキー! 空噛レイガ選手!
一体どんな試合になるのでしょうか!?』
「なァ! なァなァなァ!? アンタ、準優勝なんだろ!? 強いんだろッ!?」
互いに魂装者の武装化を終え、開始の合図を待つだけというタイミングで、突然そんな言葉をぶつけたのは。
ボサボサの青髪、凶悪な目つき、鋭い牙を剥いてみせる獣のような笑みを浮かべる少年――空噛レイガ。
相対するのは、燃え上がる炎のような赤髪に、同じく凶悪な目つきと獣のような笑みの少年――真紅園ゼキ。
「ああ、強いぜ」
「楽しみだなァ、あぁ……楽しみだァ……ちゃんと楽しませてくれるんだよなァ……?」
ゆらゆらと揺れながら恍惚の表情でゼキを見つめるレイガ。
「ハッ、下らねえ次元の心配してんじゃねえよ。楽しめるかどうか? そうじゃねえだろ……テメエはオレに勝てるかどうかだけで頭回しとけや」
「言うねェ! いいよォ、いい! 強いヤツが言いそうなセリフじゃねえかッ!」
『――Listed the soul!!』
開戦の合図と同時、先に動いたのはレイガだった。
ゼキの武器は両腕を包む真紅のガントレット。
レイガの武器は青色の双銃。
拳と銃では戦いの間合いが異なる。
初手で圧倒的に有利なのはレイガ。
ゼキが攻撃するためには、まず接近しなければならない。
レイガは双銃を乱射し、ゼキへ大量の銃弾を叩き込み、対するゼキは――
まっすぐ突っ込んだ。
両腕の前腕部まで覆うガントレットを交差させ防御の体勢を取り、そのまま疾走。銃弾は悉くガントレットに弾かれ、ゼキに当たることはない。
「ハァ!? どォーなってんだよッ!?」
レイガは目を剥いた。ガントレットの覆われた腕で防御しようが、その隙間や下半身を狙うことは可能だ。
だが、それらを狙った射撃も僅かに動かしたガントレットに弾かれた。まるで弾丸が見えているような動きだが、そんなことがありえるだろうか?
いくら身体能力や動体視力を強化しようが、銃弾を捉えるというのは至難だ。その領域に達している騎士もいるが、それはもはや学生のレベルではない。
目の前の相手は、その領域だとでもいうのだろうか?
「だったらァ……ッ!」
周囲に大量の氷で出来たキューブを生み出す。そこへ銃弾をぶつけ、跳弾によってガードの外側から攻めるだけのこと。
ピンボールのように跳弾を繰り返した弾丸が、左右や、背後からゼキを襲う。
「っぶねッ」
たまらず前進を止め、回避に専念するゼキ。
狙いを絞らせぬように動き回りつつ、厄介なキューブへ殴りつけて破壊していく。
だが、破壊していくそばからキューブが追加されていく。攻撃のために一瞬動きを止めたところを狙われ、銃弾が撃ち込まれる。
「……チッ!」
左肩を銃弾がかすめて、血が滴る。
武器の射程を考えれば順当ではあるが、最初のヒットはレイガが取った。
『大丈夫ですか、お兄様っ!』
「余裕だ、ヨユー、こんなもんなんでもねえ」
『……ですがこのままでは埒が空きませんわ』
霊体のクレナはそう言いつつ。本気で兄を身を案じつつ、同時に。
(ああ……お兄様が傷ついて……血が、血が……っ! なんと美しく、尊い!)
傷ついていく兄の姿に胸を掻き毟りたくなるほどの愛しさを覚えている。
「だな……確かにこのままじゃどーにもならねェ……が、ちょうどいい」
ゼキはその能力の特性上、傷つくことを避けられない。
そして彼は、傷つく程に強くなる。
ゼキ自身は最も人口が多いと言われる火属性の魔力を持つ。
そしてクレナの能力、それは――概念属性《血》。血液を操る力だ。
真紅のガントレットに覆われた右手を、左肩の傷口に添える。滴る血が生物のように蠢いて、赤色の球体となる。
血の球体はさらに形を変えて、右腕の前腕部へまとわりつくと、今度はそこから伸びる刃を形成した。
前腕から後方へ伸びて、巨大な三日月を描く刃。
鮮血で出来た刃を振るう。軌道上には、いくつものキューブが。
一閃――ゼキが刃を振るった瞬間、キューブがまとめて両断された。
血液で形成された刃は形状も硬度も自在だ。《血》は《硬化》の概念属性を持っている。
《硬化》させた刃の強度は高く、さらに硬化を解いて液体に戻せば、その射程は中距離にも対応できるものになる。
伸長させた鮮血の刃は、対象へ触れる部分を高速で循環させている。循環している血液の中に、硬化させた小さな刃を無数に流している。
ウォーターカッターとチェーンソーの原理をまとめたような刃の切断力は、凄まじいものだった。
「……アッハァ! やるなァ、アンタァ! すげーすげー、すげェーじゃんかァ! この間の蛇野郎みたいだァ!」
喜悦に満ちた声を上げるレイガ。
彼の脳裏には、以前戦った銀髪の蛇腹剣使い――ミヅキの姿が浮かんでいた。
「蛇野郎が誰だか知らねーが……オレァまだまだこんなもんじゃねえぞ?」
血液を刃から別の形状へ変化させる。
右肘から一本の角が伸びていた。角の先端には穴が空いている。
同時、足元を爆破させる。火属性の騎士がよく使う加速方法。
「なッ……あァ!?」
驚いて声を漏らすレイガ。
ゼキとレイガの距離は十歩は離れていた。だが、その距離を、ゼキは二歩で詰めた。
急激な加速に加え、なにか特殊な歩法を行っている――などと、タネの詳細を考えている暇は、レイガにはなかった。
一気に距離を詰めたゼキは、レイガへ向けて拳を放つ。
相手は銃使い。
距離を詰めればそれで終わりだ――
「だいたいわかるぜ、今アンタの考えてることはなァッ!」
レイガは銃剣がついた双銃を交差させ、ゼキの拳をガード。さらも前蹴りを放つ。ゼキは左腕で防御。だが、後方を押し戻される。僅かに距離が開いた、すかさずレイガはゼキへ向けて射撃。
ゼキは右斜前へ踏み込み射撃を躱しつつ、左足を振り上げる。左上段へ蹴り。レイガの右腕がそれを防御、即座に左手で射撃を試みるも――、ゼキの右手が銃を跳ね上げる。
銃が弾かれて狙いが逸れ、明後日の方向へ弾丸が放たれた――かに思えたが。
「づぅ、ぁッ……!」
右脇腹を弾丸が貫いた。
ゼキの背後には――氷のキューブが。狙いが外れたはずの弾丸は、跳弾を利用してゼキを撃ち抜いた。
さらにレイガの左手が牙を剥いた。銃剣を振り下ろす。身を引いて躱すも、胸元を浅く引き裂かれる。
「……銃使いは接近戦ができねえと思ったろォ!? あっまいなぁ~~~~~~~ッ! なんのために銃剣がついてると思ってんだよ!? 銃撃だろうが格闘だろうが、戦いならなんでも大ッ好物だぜェェッ! オレはよォォッ!」
ゼキは左肩、右脇腹、胸元の三箇所へダメージを受けた。
対してレイガは依然無傷。
会場の誰もが驚いただろう。前回準優勝のゼキが、こうまで一方的にやられると予想していた人間などいない――極少数の、レイガを知る人物以外は。
――負けるかもしれない、前回準優勝の、真紅園ゼキが。
静まっていく観客達を見て、ゼキは――。
□ □ □
「お前……本当に行くのか?」
夕凪シエンは、呆れた顔でゼキにそう問いかけた。
「たりめーじゃねえスか……オレは負けたままでいるなんて絶対にできないんスよ」
「再戦の機会なら、大会まで待てばいいだろう?」
「オレは! 今! 今この瞬間にでも、アイツをブッ飛ばしてえんだよッ!」
去年の出来事だった。
ゼキは、とある男に敗北した。
人生であれほど決定的に差を見せつけられたのは初めてだった。
人生であれだけ惨めに負けたの初めてだった。
だから、ゼキは誓った――必ずあの男に、蒼天院セイハをリベンジすると。
この時ゼキは炎赫館学園の一年。二年の先輩である彼、シエンの言うとおり、大会でセイハと戦うチャンスはある。
だがゼキは、今すぐにでもセイハの学園へ転校し、セイハに挑戦すると言って聞かない。
「……お前、馬鹿だろ?」
「そうっスよ……馬鹿で上等。負けてへらへらしてる腑抜けになるくらいなら死んだ方がマシっスから」
「はぁ~……まあいいだろう……戻ってくるんだよな、大会までに」
「当たり前っス。必ず戻ります」
「俺は……俺がいなくなった後の炎赫館を任せられるのは、お前だと思ってる」
「……別にオレは、学園のことなんかどうでもいいんスけど」
「そう言うな。……お前もそのうち、ここが気に入るさ」
「そうスかねえ……」
「それに……お前がいないと張り合いがないからな」
「そっちのが口説き文句としちゃそそりますね」
ゼキが笑みを浮かべると、シエンも笑う。
そして――ゼキは、宿敵を倒し、戻ってきた。
それからもいろいろなことがあった。
一度はセイハを倒したゼキだが、次の大会では、今度は逆にセイハにリベンジされ、準優勝となってしまう。
二年になった。シエンは三年、次の大会が最後だ。
彼がいなくなってしまう――そう思った時、ゼキは、かつての会話を思い出した。
『……お前もそのうち、ここが気に入るさ』
当たり前すぎて、考えたこともなかったが、ゼキは自分が、自分の今いる場所を気に入ってることに気づいた。
自分の学園には、友がいる。尊敬できる先輩がいる。……ついでに、蒼天学園からついてきてしまった、最愛の少女も。
何かを背負って戦うのは趣味ではない。
自分の戦いは、自分だけのものだ。
だが。
セイハに一度勝てたのは、自分のためだけに戦わなかったからだ。
最愛の少女のため――ヒメナのために戦ったから、ゼキはセイハに勝てた。
零堂ヒメナ。
とある事情から、彼女は『感情』を封印されていた少女。
彼女は笑わない。彼女は泣かない。
心を凍らされた少女のために、ゼキは燃える拳を握りしめ、セイハに立ち向かい、彼を倒した。
だから。
何かを背負って戦うのは、趣味ではないが……それでも、たまには悪くないと思った。
いつしか、背負うものが増えていた。
シエンの言うとおり、学園が気に入ったかはよくわからない。
しかし、共に戦う仲間――例えば、自分を信じてくれる敬愛すべき先輩のことは気に入っていた。
ゼキがセイハを倒すと言った時、その時点でセイハは蒼天学園の頂点に立っており、その名は轟いていた。対してゼキはまだ無名の時期だ。
――だから、誰もが笑った。
無理だと言った。勝てるわけがないと。絶対にできないと。
ゼキにとってそれはどうでもいいことだった。挑戦しない腰抜けがなにを言おうが、彼の知ったことではない。彼は臆病なその他大勢の嫉妬が生む、下らない雑音に耳を貸す程に繊細ではない。
それでも。
『なあ、ゼキ』
『……なんスか』
『勝ってこいよ』
『……当たり前じゃないスか』
そう言って、シエンは送り出してくれた。
シエンだけは、ゼキを信じていた。
セイハへ挑戦すると言った時、既にシエンはゼキと戦って敗北していた。だから知っていたアのだ、ゼキが口だけではの男ではないと。いつかこの街の頂点に立つ騎士になる男だと。
誰にも信じられずとも、ゼキにとってはどうでもいいことだ。
だが……シエンが自分を信じてくれたことは、嬉しかった。
セイハを倒して、炎赫館学園戻ってきてからも、シエンとは何度も戦った。
ゼキは誤解されやすい性格だ。
戦い以外に興味がない、気に入らなければすぐに手が出る。
誰が相手だろうとすぐに喧嘩を売る。
そんなどうしようもない自分に、シエンは良くしてくれた。
そのシエンが――ある日、何者かに襲われた。
三年生。最後の年。最後の大会の出場を断念させられた。
許せなかった。
犯人は必ずこの手で殴り飛ばすと、ゼキは決めていた。
だが。
「……そうじゃないだろ、お前は……そうじゃないよ」
病院のベッドで、シエンは言った。
自分を倒した相手を見つけても、敵討ちなんて考えるなと。
ただいつもの通り、戦いを楽しめばいいと。
負けたのは自分の責任だ、弱いのは自分の責任だ、だからお前は気にすることはない……シエンはそう言った。
「……俺は、いつも通りのお前が見たい。……楽しめよ、いつも通り」
三年最後の大会。
シエンがどれだけこの大会にかけていたか。
今度こそ、シエンはゼキを倒すと言っていた。先輩として負けていられないと。
そのチャンスが、奪われた。
それでも、ゼキは……。
□ □ □
「……なあ、お前――夕凪シエンって知ってるよな?」
「……あァ? あー……あー、ああ! 覚えてる、覚えてるに決まってるッ!」
ゼキの問いかけに、レイガは嬉しそうに笑顔で答えた。
「……シエン先輩は、強かったか?」
「ああ! 強かった! 面白いヤツだったなァ! 銃使いは珍しいからなあ、楽しい戦いだったぜッ!?」
「……そうか……先輩は、強かったか……」
静かに呟くゼキ。
「…………オレは、もっと強えぞ」
刹那。
ゼキの姿が、消えた。
――――先輩……見ててください。
足元を爆破させ加速、一瞬での肉薄。
レイガが眼前のゼキを捉え、目を剥いた時には、彼は既に拳を引き絞っていた。
リングの床を、爆発のような震脚が打ち鳴らす。
縦拳による中段突き。
八極拳における金剛八式、衝捶。
それに加えられた独自の工夫。
右腕の肘から伸びる角、その役割は推進機構だ。
傷ついて流れた血を、肘部の角へ回して、それは先刻より巨大になっていた。
ゼキの血液には、濃密な魔力が込められている。
血液を利用した武器は、その量が多い程に威力を増す。
傷を受ければ受けるほどに、ゼキは強くなる。
角の穴から、炎が噴出する。
激烈な勢いで吹き出した火炎が、真紅の拳を加速させる。
近距離において絶大な威力を発揮する八極拳の突きを、
肘部推進機構により極限まで高めた、
その一撃の名を――
「真紅園流――――《炎華》」
拳が放たれる直前、レイガは腕を交差させガード、さらにその上に氷壁による防御を重ねる。
だが。
氷壁を粉々に砕き、さらにレイガの体へ拳は突き刺さり、そのまま振り抜いた。
レイガの体が真横へ吹き飛び、リング外へ。そのまま観客席の前の壁へ叩きつけられた。
『リングアウトォオオオ! 凄まじい一撃が叩き込まれたァァァ!
真紅園選手の真骨頂とも言える、一撃必殺の拳が! 空噛選手を吹き飛ばしたァ!』
カウントが始まる。
カウントが5まで進んだ所で、ゆらりとレイガは立ち上がり、
「アッハハハハハハハ! いってェ――――ッ! すッげェ――――ッ! 強いな、強い、強いじゃねェかアンタァッ!」
だらりと下がった左腕は甚大なダメージを負っていることがわかる。
もう双銃を扱うことはできない。単純に脅威は半分だ。
それでも、レイガは笑いながら歩み、リングに上がってくる。
「すげェパワーだ……こんなのアグニ以外そうそういないなァ……ああ、すげえッ! すげえよアンタッ!」
笑いながら喜悦に満ちた声でゼキを褒め称えるレイガ。
「これで終わりじゃねえぞ」
言うやいなや、ゼキが再びレイガへと踏み出して、
回転しつつ飛び上がり、蹴りを見舞う。
華麗な蹴り技が特徴のブラジルの格闘技、カポエイラにおける《マルテーロクルザード》の動きに似た蹴り。
リングに復帰したレイガがよろめいた。
ゼキは追撃を緩めない。
側転の要領で左手を地面につけて、そのまま天地逆転。逆立ちの状態でレイガの首元を蹴飛ばす。
逆立ちのまま、地面へつける手を左から右へ入れ替える。
膝を曲げて、直後さらなる蹴りを放つ。顎を蹴り上げる一撃。
北派螳螂拳における《穿弓腿》に近い動きだ。
空中へ打ち上げられたレイガ。
華麗な足技による連撃。
ゼキの戦闘スタイルは、基本的にはちゃんぽんだ。
これまで戦ってきた経験から、技を引き出し、混ぜ合わせて使っていくというもの。
足技は、かつて戦った電光セッカという騎士から吸収したものだ。
レイガの口元からは血が流れ、彼の意識が千切れそうになっている。
形勢は完全に逆転した。
負ける――今度はレイガの脳裏に、敗北が過る番だった。
□ □ □
ずっと、記憶が曖昧だった。
自分が誰なのか? ――わからない。
親の名前は? ――わからない。
自分はなにをしたいのか? ――わからない。
どういうわけか、曖昧だった。
それでも、ぼやけた自分がはっきりとする瞬間があった。
――戦いだ。
当時のレイガが知る由はないが、彼は《終末赫世騎士団》の施設での実験体だった。
記憶を調整され、本物の戦場に投入されてデータを取られる。
その紛争地帯では、異様に強い少年兵達の噂が流れていた。その正体がレイガ達だ。
弾丸が飛び交う戦場、さっきまで話していた仲間の頭が吹き飛んで、物言わぬ躯になる。
誰も彼もが、戦いを――死を怖がっていた。
だが、レイガは違った。
戦いは楽しかった。
周囲の者達が、生きるために、死なないために、怯えながらしていることを、なぜだか自分は笑ってできた。
自分は誰なのか? ――どうでもいい。
親の名前は? ――どうでもいい。
自分はなにをしたいのか? ――戦いたい。戦いだけが自分の求めるものだ。
レイガは敵にも味方にも恐れられた。
彼を恐れない者もいた。戦友と呼べる者がいたが、その彼の行方もわからない。
施設の研究者の都合で、簡単に人が増えたり減ったりするような環境だったからだ。
そうして、戦いだけの日々が続いた。
ずっと続くのだと思っていた。
ある時、突然一つの記憶が蘇った。
誰かに怒られている記憶。曖昧だが、誰かと喧嘩をして怒られている。
詳細はわからないが、これは確かに自分の記憶だと思った。
それから、人が殺せなくなった。
人を殺そうとすると、あの記憶が蘇ってくる。
それでもレイガの強さは圧倒的だった。殺さずとも、足を撃ち抜けば人は動けなくなる。
仮想戦闘術式を使えば、意識を刈り取れる。
命を奪わずに敵を無力化する術などいくらでもあった。
そうして気づいた。
別段、殺さずとも、依然として戦いは楽しい。
では、今まで敵を殺してきたのは、もったいなかったのではないか?
そう思うと、記憶のことがなくとも敵を殺すことに抵抗を覚えた。
殺さずに、敵に敗北の屈辱だけ与え、自分への復讐心を植え付けて、強くなったその相手と再戦すれば、自分は無限に戦いを楽しめる。
素晴らしいアイデアだと思った。
レイガの生き方が決まる瞬間だった。
それからしばらくして、レイガはアグニと出会う。
人生で初めて、勝てないと思った。それでも、勝ちたいと思った。
彼と戦うのは楽しかった。
そして、彼が抱える目的を聞いて、彼と共に行くことを決めた。
彼についていけば、戦い続けることができる。
アグニに言われるがまま戦うようになって、初めて自分の戦いが何か『意味』らしきものを持ったことに気づいた。
それはどうでもいいものだった。
戦いに意味などなくたっていい。
だが――自分がアグニにとって有用な道具であることが気分が良かった。
レイガ自身、気づいていないだけで、彼はアグニの役に、誰かの役に立てることが嬉しかったのだ。
そして。
レイガは自身の敗北が過った時に、そのことに気づいた。
――負けられない。
ここで負けたら、アグニのとって有用でなくなる。
まだ戦いたい、この先面白そうな相手がたくさんいる。
戦いたい。
もっと、もっともっと戦いたい。
戦いしかないんだ。
戦いで負けたら、そこで終わりだ。
自分の価値は、有用性は、意味は、戦いだけだ。
自分の人生は、戦いが全てだ。
負けられない。
絶対に。
だから――。
□ □ □
「――――《刻縛の氷牙》」
瞬間。
レイガの右手に握られた銃は、銀色の魔法陣に包まれ、これまでとはまるで異なる魔力を発して――
――――あれは不味い、と……ゼキがそう思った時には、
弾丸が、放たれていた。
氷属性が持つ《停止》の概念、それを弾丸に注ぎ込むことにより、弾丸を当たった標的の時間を停止させるという大技。
これならガードしようが、時は止まり、次の攻撃で終わりだ。
時間停止の弾丸はゼキの右腕に当たり、ガントレットに弾かれるも、《停止》が発動し――彼の動きを、完全に止めた。
「アンタとの戦い、本当に楽しかったぜ……楽しい戦いの最後はいつも名残惜しいが――これで終わりだッ!」
そして、レイガは右手の銃でゼキの頭へ狙いを定める。
仮想戦闘術式を使うが、それでも意識は確実に刈り取ることができる。
これで決着だ。
最後の弾丸が、放たれた。
――――その時。
ゼキの拳が、彼にトドメを刺すはずだった弾丸を捉え、殴り飛ばした。
「…………どォなってんだよ……?」
切り札だった。
確実に勝てる、はずだった。
そして気づく。
彼も同じく概念術式を使用していることに。
なぜなら、その術式を知っていたから。
アグニと同じ、《火》から抽出した《燃焼》の概念属性、それにより《停止》を燃やし、無効化したのだ。
「なぜだってツラだな」
「……、」
「……残念だったな……ついてねえーよテメェ……だってそいつは、オレの宿敵と同じ技なんだからな」
ゼキの宿敵――セイハの属性は、《氷》。彼もまた、《停止》の概念により時間停止を使うことができる。
であれば、その対抗策も当然ゼキにはある。
「強かったよ、テメェは……だが、本当についてねえ……。シエン先輩に喧嘩売ったり、オレの宿敵と同じ技使ったりよ…………だがまあ、なにより」
そしてゼキは最後の技を放つ。
この戦いを終わらせる、最後の技を。
「……一回戦でオレに当たるなんて──────本当についてねえよ」
真紅園流《炎華》の一撃が、レイガの体を捉えていた。
吹き飛ばされ、倒れるレイガ。
「だってオレは、セイハを倒して優勝すんだからよ」
歓声の中で、ゼキはよろめきながらも観客席の方へ歩み寄り、拳を突き出した。
――その先には、同じく拳を突き出したシエンがいた。
□ □ □
次の試合は、罪桐ユウ対蒼天院セイハ。
ついに登場した《頂点》に沸き立つ会場。だがセイハは心は、昂るどころか静まり返っていた。
あまりにも不気味すぎる。
にやにやと笑みを浮かべる目の前の少年は、一切の情報がない。
長めの黒髪。整った中性的な顔立ち。
どこまでも暗い、全てを塗りつぶすような真っ黒な瞳――かと思えば、それは子供のように無垢な輝きを宿す。
「ギヒ……ぼくってついてないなあ、いきなり最強と当たっちゃうなんてなあ……」
両手は黒い手袋で覆われている。
なにやら大きな本とペンを持っていた。
「珍しい魂装者でしょ? これでどうやって戦うと思う?」
「……、」
セイハが少年――ユウの言葉に取り合うことはなかった。
「無視!? 傷つくなあ……そうやって無視されると傷つくし、構ってもらいたくなっちゃうよ」
『――Listed the soul!!』
開戦の合図が響き、戦いが始まる。
セイハは魂装者である蒼銀のガントレットに覆われた両腕を組む。
彼の横に、氷で出来た鎧が現れる。空っぽの鎧は、セイハの思いのままに動く人形だ。
剣を持った氷の騎士が、ユウに襲いかかる。
ユウはさらさらと何かを本に書き込んでいる。
「えーっと、こんな感じだっけ?」
何かを書き終えると、本を腰のケースへ収納し、そして。
迫りくる騎士に向かって駆け出し、拳を突き出す。
「真紅園流――《炎華》……ってね」
ユウの腕は、真紅のガントレットで覆われ、右肘からは血で出来た赤い角が。
そこから噴出した火炎により加速した一撃は、氷の騎士を粉砕してみせた。
「……それは、ヤツの……」
「やぁーっと喋ってくれたねぇ……どう? すごいでしょ?」
「貴様、コピー使いか?」
「さあ? どうだろうねえ?」
笑みを貼り付けたまま構えて見せるユウ。その構えは、ゼキのそれによく似ていた。
「真紅園ゼキと戦いたかったんでしょ!? だったらここで叶えてあげるよ! ねえ、嬉しいでしょ?」
「ヤツを騙るか、その程度で」
「どの程度かはやってみないとわかんなくないー?」
その後――――ユウはあっさりと、セイハに敗北した。
□ □ □
「…………ギヒヒ、ちょっろいなあ」
戦いの後、敗北したというのに平然と笑いながら会場内を歩くユウ。
手には缶ジュースが。
それを飲み終えると、彼はゴミ箱に向けて空き缶を放り投げ――空き缶はゴミ箱の縁に当たり、地面へ落下する――直前、
ぱちん、と指を鳴らす。
すると、空き缶が空中で停止した。
――時間停止。
セイハがユウを倒す際に使った技だった。
停止した空き缶を蹴飛ばし、ゴミ箱の中へ放り込む。
「……すごいなあ、超便利」
彼にとって、こんな大会も戦いも、どうだっていい。
どうでもいい大会ではあったが、蒼天院セイハと戦えたのは、思わぬ収穫だった。
しかしそれも彼にとっては些事だ。
それ(・・)の前には、なにもかも些事同然だ。
彼の目的は……。
端末に映った黒髪の少女――屍蝋アンナを眺めながら、ユウは呟く。
「さあて、もうすぐだ……待ちくたびれちゃったよ……もうすぐ、楽しい楽しいお祭の時間だ」
□ □ □
その夜――。
都市内にあるとある施設の地下――そこには、広大なリングが備えられていた。
ここは《炎獄の使徒》がいくつか持っている施設の内の一つ。
リングの中央には、一人の少年が。
彼を取り囲むように、男が数人。
男達が、一斉に少年に襲いかかる。
少年は、手に持った双銃で男達を撃ち抜き、蹴り飛ばし、銃剣で斬り裂き、次々と倒していく。
「クソッ! クソ、クソクソクソッ! クソがァッ!」
顔を撃ち抜かれた男から飛び散るのは、血しぶきではなく――機械の部品だった。
男達は、戦闘訓練用のロボットだった。
レイガは何度も何度も銃爪を絞る。ロボットの顔が砕けて、部品が飛び散って、完全に停止しても、何度も何度も。
負けた。
完膚なきまでに。
「ちくしょう……ちくしょうォオオオオオッ!」
叫びながら、壊れた機械を殴り飛ばす。
「……荒れているな」
背後から声が。
そこに立っていたのは、アグニだった。
「……アグニ……ごめん、……オレ……こんなところで……」
言葉が上手く出てこなかった。
それでも気持ちが勝手に溢れてくる。
「ごめん……オレ、戦いしかないのに……オレから戦い取ったら、なんにも残らねえのに……アグニの役に立たないといけないのに……なのに……負けた……ごめん……ごめん……」
負けたら終わりだ。
戦いは全てだ。
勝てない役立たずは、死んでいるのと同じだ。
「――――俺が貴様に謝罪など求めると思うか?」
「……なんだよ、それ……」
「俺にそんな感傷は存在しないということだ。……俺は貴様と違って、戦い自体に楽しみを見出す趣味もなければ、戦いへの興味もない。ただ目的を達成できれば、それでいいのだ」
「……なにが言いてえんだよ」
「貴様の価値は、敗北程度で変わらないということだ」
「でも……オレは……」
「俺があの日見出した貴様の有用性を、貴様自身が否定するのか?」
アグニとレイガは、戦場で出会った。
レイガには、戦いしかなかった。戦いがあればよかった。
たったそれだけの、何もない、空っぽの人生だった。
だが、そこに意味が生まれた。
その意味は、戦いに負ければ消えてしまうと思っていた。
レイガは物事の価値を戦いでしか知ることができないから。
戦い以外は無価値だと思っていたレイガは、戦いに負けた自分を無価値だと思っていた。
だが――戦いだけのレイガの人生で、それ以外の意味と価値を与えたアグニは、そうは思っていなかった。
「敗北に悔しさを感じるのは貴様の勝手だ。それは糧になるだろう。……だが、貴様を無価値と断じることは、貴様でも許さん。……貴様の価値を決めるのは、俺だ」
「……ハッ……そうかよ……」
レイガの瞳から涙が流れていた。だが涙を流しながら、彼は笑った。
「……わかったよ、アグニ……でも、誓わせろよ……オレはもう負けねえ、もっと強くなる……こんな思いはもうごめんだ……だってオレには、戦いしかねえんだから」
「当然だ――この後の戦いで腑抜けてもらっていては困るからな」
「……この後の戦い?」
「――《ピエロ》が動く。さあ、約束通り貴様に戦いをくれてやる」




