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迅雷の逆襲譚〈ヴァンジャンス〉  作者: らーゆ
第1章 逆襲譚、開幕
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 第三章 この因縁を断ち切らねば


 龍上さんとの戦いを経て、変わったことがある。

 まず一つ目に……これは、変わったというより、戻ったといったほうがいいか。

 ライカとかつてのように接することが出来るようになった。

 小学生時代に別れて、中学生時代を別々に過ごし、高校でやっと再会できたと思った矢先、彼女の様子がおかしいことを知る。

 でも、龍上さんとの一戦を経て、前のライカに少しだけ戻ってくれた。

 そして、変わったこと二つ目……。

「……龍上さん、バレてるからね」

「は、はぁ……? なにがだし!」

寮の自室から出たところで、背後に気配が――その正体は、龍上さんだった。

 僕はあれから、龍上さんにストーキングされている……。


 □ □ □


 今日は休日。

 あれからライカとよく端末でやり取りするようになっていた。

 再会してからゆっくり話す時間が取れていなかったかので、今日は彼女と出かける予定なのだ。

 今日、きっと聞きたかったことが聞けるはずだ。

 何があったのか。

 聞きたいことはたくさんある。

 ……彼女が何かを隠しているのはわかっている。

 そう思う大きな理由の一つとして、ある人物のことが彼女の口から出てこないというものがある。

 ――雨谷八雲アマガイヤクモ

 僕らの一つ年上で、僕らがずっと憧れていた存在だ。

 彼女は僕らと同じ道場に通っていて、その頃からずっと、僕とライカは彼女をクモ姉と呼んで慕っていた。

 ライカへの憧れが、彼女と『共に並び立ちたい』というものなら。

 クモ姉へのそれは『背中を追いかけたい』というものだ。

 彼女は常に、僕らの前にいた。

 クモ姉はクールであまり感情を見せることはないけれど、たまに笑うととても綺麗で、頼りがいのある人だった。

 僕個人として、彼女のある部分をとても尊敬していた。

 クモ姉は僕らよりも早く騎装都市へ行っていて、黄閃学園に通っているはずなんだけど……姿は見えないし、ライカも彼女に関することを不自然なほど口にしない。

 何かがあったのだろう。

 それもきっと――今日、全て話してくれるはずだ。

 

 □ □ □


 ところで……異性と休日に出かける――これはデート、というやつだろうか? 

 でもライカだしな……彼女は憧れの対象で、親友で、そういう関係では……だけど、久しぶりに会った彼女は、とても綺麗になっていた……いや、昔から綺麗だったんだけど、でも前よりもぐっと大人っぽくなっていて……髪だって伸びていたし、体つきだって……胸もすごく大きくなってたし……なんというか、そういう意識をしてしまうのもしかたがないような、僕も男だし……いや、しかし、僕を信頼してパートナーになってくれる彼女をそういう目で見るのも失礼だよね……僕は、男である前に騎士だろう……っ!

「おーい? ジンジンー? なーにぶつぶつ言ってんのー?」

 ぺしぺしと頬を叩かれた。

「あ、ああ……ごめんごめん……って、なに自然に話しかけてきてるの……?」

「冷たっ。なんなんその態度!?」

 いや、だって……。

「龍上さん――今、僕の後をつけてたよね?」   

「……はぁ? はぁ? はぁぁぁ!? なーにいっちゃってんの? ジイシキカジョーっしょ! つけてねえし! 誰がアンタなんかつけるかっての! バカなん!?」

 どういうつもりかは知らないが、僕が家を出た途端に、寮で隣の部屋に住む龍上さんも出てきたと思ったら、僕の後ろをずっとつけてくるのだ……。

 しかも、それは今日に限ったことではなく、あの戦いの後からずっとだ。

 学校でいつも視線と気配を感じる。

 ――武術において、視線というものは重要だ。相手のどこに視線を置くかは、技の起こりを察知できるかを大きく左右する。

 そして、単純に視野が広ければ、それだけ察知できる情報の量も増える。なので周辺視野を鍛え、一度に手に入る情報量、情報の確度を高める訓練などもしている。

 宮本武蔵が著した五輪書にも『眼の付け様は、大きに広く付るなり』とある。簡単に言えば、視野を大きく広く見るということだ。

 龍上さんは気づかれてないと思っているようだが、彼女のレベルの低い尾行など、簡単に気づけた。

「で、なんの用なの? 稽古なら大歓迎なんだけど、でもごめん……今日は大切な用事があるんだ」

「なにチョーシこいてんのバカ、そんなん頼まないしっ……」

「用もないのについてきてたの……?」

「たまたま方向が一緒だっただけだからね? それで後つけてるとかマ――――ジで言いがかりにも程があるんですけどー?」

 こういうことを思うのは失礼だけど……めんどうくさいなこの人!

「ストーカーギャル……」

「ちょっ、わけわっかんないあだ名つけるな!」

 焦る龍上さんがおかしくて、少し笑ってしまう。

「う、うぜー……その上からな感じうぜー……」

「ごめんごめん……それで、龍上さんはどこへ行くの? 僕は商業地区で待ち合わせなんだ」

「そーなん? アタシも~。マジきぐーじゃん! あ、これはマジだからね!?」

「――『これは』?」

「あ――もうっ、うっさい! そーだよ、つけてたよ! アタシはストーカーギャルだよ! 新ジャンルしょ!? 可愛いっしょ!? 可愛いって言え! アタシにつけられて嬉しいですって言えバカ!」

「……ま、まあ龍上さんみたいな綺麗な人に気にかけてもらえるのは悪い気はしないよね」

「ま、マジ……? そぉ~? やっぱ~? でしょ~?」

 いきなり顔を赤くして、顔がにやけてご機嫌になった。

 僕も大概だけど、わかりやすい人だと思う。

 実際、龍上さんは綺麗だ。

「なに? アタシに見惚れてるの?」

「……ま、まあ」

「あっ、てかさ~、アタシの私服見るの初じゃん? なんか感想とかないの?」

「えっと……」

 大胆に肩を出している。すらりと長い肢は、黒のストッキングとブーツに包まれていた。

 ……あ、髪型がいつもと違う。

 うーん、服のことはよくわからない……なんて言ったらいいのだろう?

「可愛いと思う」

「そんだけ!? 小学生か!」

「面目ない……」

「あーもー! まず白のニットワンピでオフショルダーじゃん? セクシーっしょ~? そんで、黒ストに、こっちの黒いロングブーツはフラムの新作じゃん? 可愛いじゃん? めっちゃ脚長く見えるじゃん? セクシーっしょ~? ほんで、髪型! いつもツインテだけど、今日ポニテじゃん? ピンクのシュシュじゃん? 春らしくて可愛くてセクシーっしょ~? はい、わかった?」

「えっと、うん……」

「ほら、感想!」

「性的だと思います」

「ぶっ飛ばすよマジ」

 どうしろと……。

 セクシーって連呼するから、そういうことだと思ったんだけど……。

「小学生ってか、猿か! あーもー、いいよ、いこ!」

 どんどん先へ歩いていってしまう。

 なんで一緒に行く感じになってるんだろうと思いつつ、後を追う。


 □ □ □


 それから電車で商業地区まで移動。

 騎装都市はいくつかのエリアに分かれている。居住地区や、商業地区、大型の闘技場が多く存在するアリーナエリア。

 商業地区は、その名の通り様々な商業施設がある場所で、デートにはもってこいらしい。

 以上が、騎装都市の案内からの受け売りだ。

 デートではない……と思うけど。

 前からずっとこの街に憧れていたので、案内を何度も読んでいた。

 騎装都市は神奈川県横浜市沿岸部に浮かぶ海上都市だ。僕は騎装都市に来る前も、横浜に住んでいたので、ここへ来ること自体はいつでも出来た。

 だが――僕とライカを引き裂いたのは、物理的な距離ではない。もっと心情的な問題だ。

 あの日勝てなかった僕は、ここへ来るのにふさわしくなかった。

 いや……まだふさわしいとは言えないか。

 三年前の、あの敗北を乗り越えなければ――。

「ジンジン、待ち合わせ場所どこなんー?」

「え、ここだけど」

 僕らは駅を出て、台座に剣が刺さっているオブジェの前にいた。

 ……アーサー王伝説をモチーフにしたものだろうか? 子供達が剣を抜こうとしている。

「マジ? アタシもなんだけど」

「スト――」

「いやそこはマジでストーカーじゃないし!」

「『そこは』」

「アンタもしつこいな!」

「しつこく追い回してきたのは龍上さんでしょ……」

「うぅ、マジ泣くぞ」

「勘弁して……」

「ドン引くな!」

「……今更だけど、なんで僕をつけてたの? 闇討ち……?」

「ちげーよバカ!」

「じゃあ一体なんで……」

「アンタが! アドレス! 教えてくれないからでしょ! メッセ送れないじゃん!」

「え、ええ……っ!?」

 僕が悪いのか……?

「教えてくれないって、聞かれてないよ」

「アンタが聞けよ!」

「え、えええ……!?」

 あんなことがあった後に、どういう神経をしていればアドレスを聞けるんだ。

『いやあ、この間はいい勝負だったね、ところでアドレス教えてくれない?』

 ……とでも、負かした相手に言えと? 

 僕は鬼畜か?

 あんなことがあったあとで、龍上さんと接するのは気まずいかと思っていたけど、龍上さんはそこまで気にしていない――というか、物凄く気にしているんだけど、その気にしかたに湿っぽさがないというか……この辺の割り切り方は、彼女の性格によるものなのかな。

 あれから彼女には『今度はぜってー負けねーしっ!』とか『どうしたらそんな強くなれんの……ちょっと教えてくんない?』とか、わりとよく話しかけられる。

 あれだけ色々言われたのに、一回の勝負でこうも人間が変わるとは。

 手のひら返しもここまでくると清々しい。僕としては、いきなり彼女が親しみやすい人間になってくれたので助かるが。

 僕は基本的に友達があまりいないので、親しみやすい人間ができると安心できるのだ……。

「とにかく! 普通、男が聞くもんでしょ? アンタ男でしょ? ちんこついてんの?」

「ついてるよ……」

「……だ、だよね~……」

「自分で言って照れないでよ!」

 どこかの誰かが言った『僕は童貞だが、早漏でも包茎でも短小でもないッ!』という間抜けなセリフを思い出して、こっちも恥ずかしくなってきた。

「……龍上さん、アドレス教えてよ」

「えぇ~~~? どぉ~しよっかな~?」

 もう一回叩き斬ってやろうかな……。

 僕は端末をポケットにしまった。

「ちょっ、うそうそ! 教えるから! ……ジンジン、可愛い顔して意外とサド?」

「いや全然……龍上さんこそ、強気そうだけどマゾヒストなのかなって疑わしいよ」

「アタシはチョードSだっての!」

 うわあすごい、自称ドSって大抵イヤな感じなのに、龍上さんの場合は涙ぐましい。

 こんなことを考えてるのは、彼女の指摘通り自分は意外とそういうところが……と思わされてしまうな。

 かなり遠回りなやり取りの末、僕らはアドレスを交換した。

『やったね~、初メッセ(可愛らしいスタンプ付き)』

 早速端末にメッセージが飛んできた。なんだろうこのスタンプ、デフォルメされたドラゴンのようなキャラが嬉しそうに笑っている。

 僕も返信を送る。

『目の前にいるのに』

「もぉー、冷めてるねー」

 口頭で返事が来た。  

 そんなやり取りをしていると、ほぼ同時に僕と龍上さんの端末が鳴った。メッセージが来た音だ。

『もうすぐつくよ』

 ライカからだった。

 自然と顔がにやけてしまう。

「うっわぁ、だらしない顔」

 ……見られた。

「待ち合わせの相手がもうすぐ来るみたいなんだ。ここでお別れだね」

「だねー。ま、今度そのうちアタシと二人きりでデートしよっか?」

「え?」

「『え?』じゃねえよ! 喜べバカ! ……ったくなんなん、アタシに誘われて喜ばないって不能っしょ」

「僕は不能じゃない。ただ、軽薄な気持ちで女子と接するようなことは――」

 ――刹那。

 龍上さんは、ぐいと左腕で胸を寄せ上げて、右手でチラリと胸元をはだけさせる。

 盛り上がった胸、深い谷間が顕になる。

 視線がそこへ吸い込まれる。

「……で? 軽薄な気持ちで、なんだって? んー?」

「なんて、卑怯な……」

「あっははー。所詮はオトコノコじゃんーウケる。……あ、きたきた。きたよ、アタシの待ち合わせの相手――ライちゃーん!」

 手を振りながら、待ち合わせ相手と思しき名前を呼ぶ。

 ……ん?

 ライちゃん?

何かが。

 何かがおかしい。

 次の瞬間、やってくる人物を見て驚愕した。

 その人物は――

「ライカ!?」

 僕と待ち合わせをしているはずのライカだった。

 


 □ □ □


「ライカ……これどういうことなの?」

「キララちゃんもいたら楽しいかな~って思って……」

 どこか気まずそうに目をそらすライカ。

 『キララちゃん』って……そんな親しげだったかな。

 龍上さんもだ……『ライちゃん』って……。『雷咲雷華』ってフルネームで呼ぶっていう、いかにも敵対してますみたいな感じだったじゃないか。

「まあまあ、いーじゃん別に! アタシはジンジンがいてもいいよ別に」

 なんで僕が許可をもらう側。

「アタシが無理言って入れてもらったんだよねー、だってジンジンとキララちゃんとは仲良くしたいじゃん? ごめんねー、二人きりのとこ邪魔しちゃってさ、ライちゃん二人きりがよかったよね、ねー? ジンジン?」

「い、いや、別にそんなことは……」

 そう口にすると、僅かに、ほんの僅かにライカの頬が膨れた。

 ええ……どういうことなんだ、龍上さんが来るのを許可したのはライカじゃないのか。

「ま、とにかくさ、今日は楽しんじゃおー! ほらジンジン、ライちゃんの私服だよ~? こういう時どうすればいいか、もうわかるよね?」

「え、あっ、えっと……」

 そうだ。ライカは私服だった。

 そりゃ昔は私服なんて毎日見てたが、それは小学生の時だ。

 三年ぶりで、しかもぐっと大人っぽくなった今のライカの私服を見るのは、これが初めてだった。

 桜のような淡いピンク色のワンピース。

 腰のところをベルトで留めていて、そのせいでウエストの細さ、胸の大きさが強調されている。春らしい華やかさ、清楚さに加えて、大人っぽくなった魅力も備えている。

「……すごく、いいと思う」

「なんかアタシの時とちがくねーか!? 『性的だと思います』じゃねーのかよ!」

「しょうがないだろ……! 言葉がでないんだから……」

「……ふふっ、二人ともいつの間に仲良くなったの?」

「なってないよ!」

「なってねーの!?」

 僕と龍上さんが、ほぼ同時に真逆の見解を示すと、またライカは笑う。

 そうしてから、

「……ありがとね、ジンくん」

 ライカは、柔らかく笑う。

 胸が高鳴る。

 知らなかった。

 そんな笑みは、知らなかった。

 昔から彼女が見せていた、少年のような快活な笑みとは違う――大人っぽい女性の笑み。

 そりゃそうか……いくら過去に六年間一緒に過ごしていたとしても、三年も離れていたんだ。

 僕だって、この三年で変わった。

 彼女が変わっていないわけがない。

 でもその変化は、僕の心を強烈に揺さぶった。

「ちょいちょいー……なーに笑顔一つでやられてんのアンタは」

 ぺしぺしと頬を叩かれる。

「い、いや、なんでもない……さ、行こうか」

「うん、行きましょうか」

「あ、そういやさー、最初はどこ行くの? 肝心だよ~、デートの最初は!」

 最初の行き先は、もう決まっていた。

 これは事前に決めていたのだ。……龍上さんのことは事前に聞いてなかったけど。

 龍上さんの言葉に、僕とライカは顔を見合わせて頷き合ってから、

「「いいところ!」」

 と答えを重ねた。

「……はぁ?」

 何も得られない解答に、龍上さんは首を傾げた。


 □ □ □


 キララは答えを知った瞬間に、


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああぁぁぁ~~~~~~~~~……………………?」


 と、驚愕に上げた声が、次第に極大の溜息になっていくという独特のリアクションを見せた。

「……これ、誰の発案?」

「僕!」

「……なるほどね」

 なぜか元気よく主張してくるジンヤ。

(ウソでしょマジで……なんちゅー愚かな……)

 キララは頭を抱えた。

「ジンジン。ここでクイズです……女心クイズ。女の子が喜ぶデートで最初に向かう場所とはどこでしょう?」


「特別展示『春の武装展 ~最新の武具から往年の名装具まで~』を見るために博物館!」


「0点!」


「なんで!?」

 ジンヤは驚愕にのけ反った。

「おかしいよ……ライカにも聞いてみていい? ライカ、何点だと思う?」

「……百点♡」

 うっとりしているライカ。

「なんでだし!」

 今度はキララが驚愕する番だった。

「……龍上さん、とりあえずどうして0点なのか教えてくれるかな……」

 ジンヤは少し落ち込んでいた。

 自信があるプランだったらしい。

 ウソでしょこいつ……とキララは戦慄した。

「……あのさ~、まずデートってのは女の子を喜ばせなくちゃいけないの。女の子視点が大事なワケ。武器見て喜ぶ女、いる? そりゃオトコノコの趣味じゃん?」

 ジンヤはライカを指さした。

 ライカは目を輝かせて、ジンヤの服をくいくい引っ張っていた。

 早く入りたくて仕方がないようだ。

「……龍上さん、どうすれば正解だったのかな……僕は、どうすればよかったの……」

「そりゃー正解なんて、連れていく女の子次第じゃん? ちゃんと相手のことを考えればわかるっしょ? 相手の好み、今日の気分、その日の天候とか、季節とか、デートの開始時間、全体のプランとの兼ね合わせ、次に行く場所との距離、移動時間……あらゆる要素から考えなきゃいけないわけよ、だから百点満点の解答は難しいよね~マジで」

「……さっき出てたけど? 百点」

「アタシからしたら0点でしょ!」

「ライカは百点だって……」

「……ライちゃん、マジなの……?」

 キララがそう聞くと、

「早く入らない?」

 ライカはあまりこちらの話を聞いていなかった。

 本当に、早く入りたくて仕方ないようだ。

「……(うずうず)」

 ライカはうずうずしている。ジンヤの服を引っ張ってくる動きが激しくなっていく。

「……子供か!」

「ライカはこういうところがあるんだよね……昔はもっと男の子っぽくてさ、今でこそ見た目はすごく女性らしくなったし、振る舞いも落ち着いたみたいだけど、中身は変わってないみたいだね」

「うわあー、幼馴染だからなんでもわかります感だしてきた……うぅ……アタシか、アウェーなのはアタシなのか……」

「……最初からそうじゃないかな、どう考えても」

「根に持ってるね、ライちゃんと二人きりになれなかったことを……」

「うっ」

 図星だったようだ。それはいい。キララはそう思ったことを後悔させるくらい、ジンヤを誘惑して骨抜きにしてやろうと思っていた。

 しかし、今から見るのは武器の展示だ。

 それではやる気も削がれるというもの。

 対照的に、ジンヤとライカは高揚しながら展示が行われている施設へと入っていく。

 キララも興味のなさそうな冷めた顔で後に続く。

「このデート、大丈夫かなマジで……」

 開始早々、不安に苛まれるキララだった。


 □ □ □


 並べられた魔装具を、僕とライカは目を輝かせながら見て回る。

 僕らは剣士だ。

 武器の類は昔から大好きだった。

 この都市に来るよりもずっと前、小さなころにも刀剣の展示会に連れて行ってもらって、はしゃぎ回っては母さんに叱られたっけな。

 在りし日のことを思い出す。

 もう、まったく同様の光景を見ることはできないけれど、少しでもあの日の残滓に触れられるなら、それだけでも今日来てよかったかな。

 そんな僕の追憶を、ライカには察せられてしまったのかもしれない。

「……美華ミカさんに連れてきてもらって時以来だね」

 それでだろうか、先程まで弾んでいた声を少し潜ませて、そんなこと言った。

「……そうだね」

 美華というのは、母さんの名前だ。

 母さんは、三年前に亡くなっている。

 三年前は、僕にとって辛いことが重なって辛い時期だった。

 ライカと別れることになる、決定的な敗北。

 ライカとの別れ。

 母さんの死。

「ごめん。嫌だった? 思い出しちゃうのは……」

「そんなことないさ。母さんなら、きっと笑って自分の話をしてもらいたがるから」

「そう? なら美華さんのことも話したいな。私、大好きだったんだ……昔は自分の名前って嫌いだったんだけどね……なんか、女の子にしては強そうでしょ? 雷華ライカなんて。でも、美華さんが、私によく似合ってて綺麗だって褒めてくれて……」

 照れくさそうに笑いつつ、続ける。

「なによりね……私、男の子みたいだったでしょ? だから美華さんみたいな、綺麗で優しくて女性らしい人に憧れててね……だから、憧れの人と同じ字が入ってるのが、なんとなく嬉しくてね」

「……そんなこと、思ってたんだ。僕は昔から好きだよ? 雷華って名前。凛々しくて、綺麗で、本当にぴったりだと思う」

「……もう。すぐそーゆーこと大真面目に言う」

「あジンくんも、ぴったりになってきたと思うよ? 昔は名前負けだな~って思ってたけど」

「そんなこと思ってたの!?」

「ふふ、昔の話だってば」

 驚く僕を見て、からかうように微笑むライカ。

 それから、二人の間に決して嫌ではない沈黙が流れる。二人で並んで、展示されている様々な武器を見て回る。

ライカは足を止め、真剣な眼差しで見つめる展示があった。

「……銃? ライカ、銃にも興味があるの?」

 珍しい、銃の武装形態となった魂装具のレプリカだった。

 魂装者アルムを武装形態にして展示するわけにはいかないので、このように魂装具のレプリカを展示することもあるのだ、これは普段見られない魂装具を間近で確認できるので堪らない。

 銃の魔装具、魂装具は日本だとほぼ見られない。日本人の魂装者アルムの武装形態が、銃であることがほぼないからだ。

 海外では銃の武装形態を持つ魂装者アルムもいるが、やはり数は多くない。

 魂の形が、銃のような複雑な機構を伴うものであることはそうそうないのだ。

「うん……魂装者アルムになってからは、刀だけじゃなくて、武器全般に興味が出てきてね、何を見ても勉強になるなーって」

「さすがに銃は参考にならないんじゃない?」

「うーん……わからないけどね、もしならなくても、見てるだけで楽しいし。はぁ~……同じ魂装者アルムとして、どうしたらこんな魂の形を構成できるんだろう……って尊敬しちゃうなあ」

 うっとりした目つきになるライカ。

 入る前に気持ちがはやっていたのもよくわかる。

 対照的に、龍上さんは『アタシ、キョーミない!』と言ってロビーのベンチに座って自販機で買ったコーラを飲んでいた。 

 ……もしかしたら、気を利かせて二人きりにしてくれたのかもしれない。

 あの人がそこまで気の利く人かはわからないけど、とりあえず今はありがたい。

 またしばらく見て回っていると――ふと、目を引く展示を前に足を止めた。

「……ジンくん、それ気になったの?」

「うん……すごく綺麗だなって」

 直刃の刃文を持った刀だった。

 刃文は、刀身に生じる模様で、大きく分けると直刃と乱れ刃というものがある(乱れ刃のほうは、さらに細かい分類があるのだが)。

 直刃はその名の通り真っ直ぐな線を描く模様だ。

 折れぬ信念のような力強さを感じる直刃が、僕は好きだった。勿論、乱れ刃にも到底語り尽くせない魅力があるんだけれど……それはキリがないのでまたにしよう。

「へぇー……そ、そういうのが好きなんだ」

 頬を赤らめるライカ。

 首を傾げたが、すぐに意味がわかった。ライカも武装形態になった時は、直刃だ。

 自分の武装形態に似ている刀を好きだと言われて、照れているのだろう。可愛いところがあるなあ。

「私ね、憧れた刀があるんだ」

「……『雷切』でしょ?」

武装形態の姿は、魂装者アルムの思い描いた通りの形になる。

 しかし、完全に思い通りというわけではない。

 むしろその逆――思った通りの形にはなるが、本気で思い続けなければ、その形にはならない。

 それも、刀の武装形態の者が、いきなり槍や弓の形になることもできない。

 ほんの少し形を変える、程度なら数ヶ月で済むが、武器としてのカテゴリーが変わるほどの変化は年単位の時間が必要になる。

 それほどの大改造を望むものは、まずいない。

 それなら始めからそういう形を取っていた者のほうが強いし、変化したとして元の形状よりそちらが強いとは限らないのだ。

 基本的には、最初に取った形が、その者にとっての自然な魂の形なので、そこから大きく離れるような変化は望まないのが普通だ。

「……いきなり当てられちゃった。言ってなかったのに」

 あれも直刃だったな。

 『雷切』という刀がある。

 その名の通り、雷を切ったという逸話のある刀だ。

「わかるよ。あれは脇差だから、刃長はちょうは違うけど、刃文がよく似てるからね」

「そこまで見てたの……? …………もう、えっち」

 ぷいっ、と顔が真っ赤になったライカがそっぽを向いた。

「自分の武器なんだから、それくらい見るさ」

「……私、ジンくんのもの?」

「あ、ああ……えっと、今のはそういう意味じゃなくて……」

「……バカ、へたれ」

「ええ……!?」

 難しいなあ、どう答えればいいのだろう。龍上さんなら教えてくれるだろうか……。

「見ていいの、ジンくんだけだから。恥ずかしいし」

「…………そうだね、対戦相手がキミの姿を確認するよりも早く、僕が切って捨てよう」

「……ふふ、かっこいいね。頼むよ、私の主様」

「任せてよ、キミに恥じない騎士になるために、僕はこの街に来たんだから」

 互いに見つめ合って微笑む。

 気恥ずかしいけれど、とても幸せなやり取り。

 数秒の沈黙。

 そして――

「はい、館内でイチャつかないでねー、当館では今からキスしちゃうぞみたいな雰囲気出すの禁止でーす」

 いい雰囲気は、待っているのも飽きたと思しき龍上さんによって、強制的に終了させられた。

 


 □ □ □


「アンタらが刀見ながら発情する変態だってのはよ――――くわかった!」

「「…………」」

 僕とライカは顔を赤くして、互いに視線を反らしていた。

「帰るぞ、マジで帰るぞアタシは……」

 龍上さんが踵を返す真似をすると、ライカがぐいと彼女の袖を掴んで引き止めた。

「……はぁ~、しゃーないなあ」

 え、なんだろう今のやり取り。

 それ普通、僕とライカがやるべきやつでは?

「いっちょ見せてあげますか――本物のデートってやつを」

 キメ顔の龍上さん。次の行き先は、彼女に委ねることになった。

 

 □ □ □


 なにやら大きなことを言っていた龍上さんに連れられて僕らが向かった場所は……。

 ここにさえくれば大抵の物は手に入ると言われるショッピングモール『パンドラ』だった。

 若干ネーミングが物騒では……とは思うものの、本当に様々な店があって、見て回るだけでもかなり時間が潰せる。

 この選択に……、

「普通かな」と僕。

「無難だね」とライカ。

「うるさいなぁっ!」

 龍上さんがキレた。

「変態どもにダメ出しされたくないっての! わっかんないかな~変態どもには。いい? まずここならどんなヤツでもまず満足出来るほどいろいろあるっしょ? まあそこもいいんだけど、なによりここ、服もあるっしょ? アクセもあるっしょ? コスメもあるっしょ? 女の子的には完璧なワケよ?」

「なるほど……」

 とライカが頷いていた。

「いや、僕的には別に……」 

「男のことなんか知るか! ……っていうか、ライちゃん? アンタはそこで思ってもみなかったみたいな顔しちゃダメじゃない? どーなん女として……」

「うぅ……ごめんなさい……女としてダメで、ごめんなさい……」

「あぁ~……ど、ドンマイドンマイ! 大丈夫! そういうのこれから学んでこ!」

 ライカは自分があまり女らしくないのを気にしているらしい。

 小さいころは活発で、男の子に混ざって遊んでいた……どころか、男の子のグループの頂点に立っていたからなあ。彼女より男らしい男など、いなかった。

 さすがにそのままじゃマズいと気づいたのか、上級生になったあたりで一度、

『……私、このままじゃマズい?』

 と聞いてきたことがあった。

『うわっ……私の女子力、低すぎ……?』みたいな顔で。

 僕は別に彼女がどんなだろうと魅力的だと思うので、特に気にしていないのだが。

 この分だと、三年前と比べて見た目や振る舞いは女らしくなったものの、やっぱりすぐに中身まで完璧というわけではないようだ。

 しかし……やはりライカと龍上さんは、なにやらいきなり随分仲良くなっているな。

 あの戦いの後、なにかあったのだろうけど……一体、何が? あとでライカに聞いてみようかな。

 そんなことを考えていると、龍上さんはライカの乏しい女子力を上げるために、そういった店を教えて回ると言い出して、彼女の案内でモールを見て回ることになった。





 □ □ □


 服を見ては『動きやすいければなんでもいいよね?』。

 アクセサリーを見ては『邪魔じゃない?』。

 化粧品を見ては『したことないからよくわからない』。

 脅威の女子力を見せつけ、龍上さんを戦慄させるライカ。

 さすがに手の施しようがないと思ったのか、龍上さんはあれこれ言うのはやめて、普通に店を見て回るようになっていた。

 僕はそんなライカと龍上さん眺めていた。

 女性向けの店で僕が見るものなどないので暇なのだ……。

「ジンジンー、ちょい来てー!」

 龍上さんに呼ばれて、声のした方へ行くと……試着室のカーテンから顔だけ出した彼女が。

「今から私とライちゃんで勝負ね、審査員はジンジン」

「え、でも僕は服のことなんかよくわからないけど……」

「いーんだって、男目線が欲しいだけだから。好きとか嫌いとかそんくらいで」

「僕でいいなら構わないけど……」

「ほんじゃー、一戦目いこっか? ライちゃんおっけー?」

「う、うん、大丈夫!」

 隣の試着室から焦った返事が聞こえてきた。

「じゃ、いくよー。せーの!」

 龍上さんの合図で、同時にカーテンが開く。

 まず龍上さん。

 …………驚くべきことに、黒いスーツ、タイトで際どいスカートに黒のストッキング、そしてメガネ、これは……。

「女教師……?」

「正解♡ あとで特別授業したげるよー♡」

「コスプレ対決!? そういう趣旨なの!?」

「そだよ~。どうどう? いいっしょ~?」

 普段はお世辞にも知的とはいえない――失礼かな? 

 いやでも実際言えないしな――龍上さんの女教師姿は、ギャップによる魅力になっているように思えた。

 風祭先生よりは似合ってるかもしれない。……それは先生の方に問題があるだけか。

 そして……ライカ。

 ライカの格好は、一言で表すと――ギャルだった。

 金髪を黒のシュシュで結んだツインテールに、着崩した制服、大胆にシャツのボタンを開けていて、白のルーズソックス。かなり懐かしいタイプのギャル……なのだろう、最近はあまり見ない。

 ……っていうか、似合うな!

 ……なんなら龍上さんより様になっている。龍上さんに言ったらキレられそうだなこれ……。

「なーにー? あまりに良すぎて声も出ない?」

「う、うん……」

「ジンくん……あんまり見ないで……」

 派手な格好のわりにもじもじと体を縮こませるライカも、かなりギャップがある。

 いや、見ないと審査できないんだけど……確かに恥ずかしくて直視できない。

「ま、そんじゃー判定いこっか! どぅるるるるるるる…………はい、どうぞ!」

「え、と……ライカで」

「うわーっ! マジかぁ~……なんでなんで?」




「龍上さんもよかったと思う……普段の自分のキャラクターと真逆の格好をするっていうコンセプトが面白かった。これ考えたのたぶん、龍上さんだよね? 二人の勝負とは別に、このコンセプトを考えたってところはすごいなって思う。企画自体を評価できるなら、龍上さんに惜しみない称賛を送りたい……それで、本題のほうなんだけど、まず龍上さん。なんていうのかな……背伸び感がよかったと思う。変な言い方になるんだけども、あまり似合っていないのがいい。無理して賢そうにしている感じがでていて、そこにとても愛嬌があるんだよね。立ち振舞もいかにも『女教師を演じている』っていうわざとらしさが、あざとい可愛らしさになってる。これは本人の特性と衣装が生み出すギャップをとても高めていると思ったよ。そして、ライカなんだけど……まず似合ってて驚いた。考えてみればライカは顔の作りがそもそも整っているし、綺麗な金髪をしているし、ギャルとしては申し分ない素材だよね……完璧に着こなしつつも、本人はぎこちないっていうアンバランスさも可愛らしいと思う。本当に、接戦だった……どっちが勝ってもおかしくなかったよ、これはほとんど審査員の好みの部分で決まったと言ってもいいと思う。こういう名勝負を生んだ仕掛け人である龍上さんも、ある意味勝利者と言えるよね…………そういう意味では、この戦いには勝者しかいないんだと思うな」




「………………………………………………………………………………………………ガチか!」




 僕の長広舌の後、しばらく沈黙が続き、龍上さんが思い出したように一言突っ込んだ。

 しまった……ドン引きか?

「いやなんでそこまでの批評がでてくんの!? 軽くでいいんだよ!? っていうかアタシの私服への感想が猿並みのくせに、なんでここで突然饒舌になるの!? ジンジンどうしたマジで!?」

「二人にしっかり応えないとって思って……」

「――クソ真面目か!」

 ライカは耳まで真っ赤にしてしゃがみこんで、顔を覆っていた。褒められたのが恥ずかしかったらしい。

「しかしアレだね~……めっちゃ褒められるのは嬉しいけど……キモいね!」

「うっ……」

 しまった……キモがられた……。

「でも……一生懸命で、可愛かった」

 顔が赤いままのライカが、どこか恍惚とした調子で言う。

「ま、まあ確かにね~……」

 あれ、龍上さんまで同意するのそれ。……しかもなんだか、龍上さんまで照れてる。

 なにこれ。

 なんだからよくわからない雰囲気になったまま、僕らは勝負の舞台となった店を後にした。


 □ □ □


 その後は、龍上さんの提案でお昼にしようということになった。

「アタシがここを選んだのは、ちょうどここでいろいろ見てったらお腹空くかなーっていう計算もあるわけよ? ここならご飯にしよーってなった時に選択肢豊富っしょ? そんで二人とも、なに食べる?」

「……ラーメン」

「却下! 女子ナメてんのか!」

 僕の提案は即座に切り捨てられた。

「…………私も、ラーメン」

「ライちゃん……アンタって子は……」

 ライカの女子力が地面を掘り進む勢いで下がっている。

 龍上さんの抵抗虚しく、三人でラーメンを食べた。

 

 □ □ □


 昼食を終え、さらに様々な店を見て回った後のことだった。

 歩き回って疲れた(主に龍上さんで、僕は少しも疲れてない)ので、ベンチで休んでいる時に、ライカがふと思い出したように、

「……ジンくん、やっぱり何があったか気になるよね」

「え……?」

 曖昧な問い。

 何があったか。

 気になることはたくさんある。

「それは、もちろん……」

「ちゃんと、話すね。一つずつ、全部……」

 ライカの声を、震えていた。

 話すのも、辛いことなのだろう。

 その時だった。

「――いいよ、ライちゃん。そっからは、アタシのやらなくちゃいけないことだ」

「でも……」

「やらせてよ。そうでもしないと、気が済まないんだしさ」

 龍上さんの声音も、なにか重いものが含まれているような、そんな響きだった。

「……そうね、わかった。じゃあ、お願いできる?」

「うん。じゃあ……」

「だね、それじゃあ私は少し外してるね」 

 そう言ってライカはどこかへ行ってしまった。

 龍上さんが僕の横に腰掛ける。

「まず、ちゃんと謝らないとだよね……ジンジン、いろいろごめんね、本当に……今日、二人きりのとこ邪魔しちゃったのもそうだし……それから、戦う前にさ、いろいろ酷いこといったじゃん、そういうの、全部……」

「いいよ、そんなの別に」

「そう言うよね、ジンジンは。でもさ、もう甘ったれていたくないから……本当に、すみませんでした」

 頭を下げる龍上さん。

「い、いいって、そんな……!」

「…………マジ? ホントに?」

 顔を上げると、にやっと悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「うん、マジだよ」

「そっか、マジか」

 笑顔のほうが、ずっと龍上さんらしい。

「ところで龍上さん……ライカといきなり仲良くなってるのは、どういうわけなの……?」

「ギャルのコミュ力ナメんなってのー……ってのは、冗談で、それ……自分で言うのハズいから、ライちゃんに聞いてね」

「う、うん、わかった」

 どういうことなのだろう? とにかく、本人が嫌なら無理には聞くまい。

「ジンジンさ、いろいろ意味わかんねーって思ってると思うけど、とりあえず今日アタシがいることについてだけは、説明させてね……まず、これはアタシのせいだから。アタシが無理言って来たの。それからさ……これ、マジちょー可愛いけど、ちょー情けないやつなんだけど、ライちゃんね……ジンジンがあまりに格好良くなりすぎてて、二人きりになるの恥ずかしかったんだって」

「…………え」

 一瞬何を言っているのか理解できなかった。

 僕が……? かっこいい……?

 いや、それは強さ的な意味合いでは、そう在りたい。でもなんというか、そういう男性的な意味合いでは……僕は自身にまったく魅力がないと思っている。

 混乱の後にやってきたのは、安心。

「よかった……嫌われて、なかったのか……僕と二人きりが嫌とか、そういうわけじゃなかったのか……!」

「あったりまえじゃんー、もーちょい信じたげなよ、自分の彼女のこと」

「えっ、あっ、いや、彼女とか、そういうのでは……」

「……うっわ、へたれ……」

「確かに僕はへたれだけど……」

 返す言葉がない、悔しいけどまったくない……。

「ライちゃんもへたれだけどね、アタシにどうすれば男に好かれるかめっちゃ聞いてくるし」

「そ、それ僕に言っちゃっていいの!?」

「へへー、いいじゃん別に、これもちょー可愛くない?」

「……可愛い」

 そうなのか、超可愛いな……とどこか他人事のように、その事実を反芻する。

 ライカのかなり恥ずかしいであろう事実をこっそり聞いてしまって、ちょっと罪悪感が。

「でね……ライちゃんの事情なんだけどさ……」

 僕は息を呑んだ。

 やっと、真実を聞ける時がきた。

 龍上さんが、口を開いて、言葉を紡ごうとして――何も発せずに、藻掻くように、苦しそうに口を閉じた。

 唇が震えている。

 きっと、彼女にとっても、この事実を告げることは辛いのだろう。

 そして、もう一度口を開き――


「――ライちゃんと、雨谷八雲はね、アタシの兄貴に負けたんだ」


 そう、告げた。

「ライカと……クモ姉が……? 龍上さんの兄に……?」

「そ。アタシは兄貴のパシリみたいなことしててさ、ジンジンと会った時に、ライちゃんに絡んでたじゃん? アレはそーゆーこと。ライちゃんは、兄貴との賭けに負けたから、兄貴の魂装者アルムになるはずだったんだけど、それをごねてたって場面だったわけ、あれは」

 その事実だけで、得心がいくことはいくつかある。

 あのライカと再会した瞬間に起きていた出来事。

 ライカとクモ姉に何があったか。

 でも、まだわからないことだらけだ。

「クモ姉は、今どこに……?」

「入院してる。兄貴との戦いは、本当に酷くてさ……」

「そんな……」

「本当に、ごめん……」

「どうして、龍上さんが……?」

「兄貴はさ、相手をめちゃくちゃにすんだよね……雨谷八雲との戦いでも、見てられないくらいに痛めつけて……」

 拳を握った。

 拳が震える。

 なんだ、それは……そんなことが……。

 そんなことが、許されるのか?

「龍上さんが謝ることじゃないよ」

 声が冷たくなっていくのが、自分でもわかった。

「キミのお兄さんに、会わせてもらえないか……」

 会ってどうすればいいかはわからない。

 でも、そうしなければならないという想いに駆られた。

「そうだよね……でも、待ってね。その前にさ、ジンジンに会わせたい人がいるんだ」

「……それって」

「――雨谷八雲。これから、彼女の病室に行くことになってんだ。アタシが来たのは、そのためだから」

 

 □ □ □


 様々な事実を告げられた会話の後。

 僕と龍上さんは、ライカが戻るのを待っていた。

「本当に……本当に、ごめんね……アタシさ、バカだから、どうしたらいいかわかんなくて、とにかく謝るしかできないけど、ごめん……へん、だったよね、今日もさ、こんなにいろんなこと隠してたのに、ずっとへらへらしててさ、気持ち悪い、よね……」

 龍上さんの瞳が潤んでいた。

「最後かも、しれないってさ……ライちゃん言うから。だから、楽しくしたいって……アタシも、協力しようと思って……できるのかなって思ったけど、暗い感じ出さないようにしてさ」

「……できてたよ」

 最後かも、なんて……そんなことを、考えていたのか。

 そんなことには、絶対にさせないと、強く誓う。

「……嫌、だよね」

「そんなことない、楽しかった」

「……優しいね」

「とても当たり前のことだろう。可愛い女の子とデートして、楽しいなんてのは」

「……もう、アンタって、ホントに……」

「ねえ、龍上さん」

 その時にはもう、龍上さんはボロボロ涙をこぼしていた。

 涙を拭う手が、ぴたりと止まる。

「龍上さんがどういう気持ちでいるのか、その全部はわからない。……過去に何があったのかも、まだわからない……でも、僕はキミを許す、全部許すよ」

「……な、んで……?」

「龍上さんさ、僕に負けてからころっと態度が変わったよね?」

 どきりと、胸を抉られたようにうつ向いてしまう。

 ……ああ違う、そうじゃない、そうじゃないんだ。

「嬉しかったんだ。僕はこれまでずっと、誰かにバカにされて生きてきた。バカにされたら見返そうと思うし、見返してきたこともある。……基本的に、僕は他者と関わる時、まずバカにされて、見返して、やっとそこから始まる。でも……僕をバカにしてきた相手と、仲良くなれることなんて、なかったんだ……初めてなんだ、龍上さんが」

「……ジンジン」

「だから、どんなことがあっても、僕はキミと仲良くしたい」

「……チューしていい?」

「……………………ダメ」

 なんでそうなる?

 ……正直、今ちょっと拒否するまでに逡巡があった。違う、違うんだライカ、違うんだ。

「そっかあ……マジかあ……ありがとね、ジンジン……すっごい嬉しい……」

「うん、だからこれからもよろしくね、龍上さん」

「……うん、よろしく、ジンジン。……あ、キララでいいよ?」

「……え、と、じゃあ……キララ、さん……」

「キーラーラー!」

「それは……」

「……へたれ」

「……ごめんなさい」

「ライちゃんは呼び捨てなのに……」

「幼馴染だからね」

「……ぶぅー……ずるっ、幼馴染、ずるっ……」

 それからしばらく、膨れてしまった龍上さん――いや、キララさんを必死でなだめることになった。


 □ □ □


 ライカが戻ってくる。

 そして、僕らは彼女の――クモ姉のもとへ向かうことになった。

 モールから最寄りの駅より数十分。クモ姉が入院している、都市内の病院付近の駅で降りて、そこから徒歩で数分。

 病院に辿り着く。

 面会の手続きを終えた時だ。

「ジンくん……本当に、いいんだよね? ……きっと、後悔すると思う。何も知らないままでいたほうがいいと思う。知るにしても、もう少し心の準備をしてからのほうが……」

「今、なにもせずに帰る方が、きっとよっぽど後悔すると思う。大丈夫だよ、僕らはただ、会いたい人に会いに来ただけでしょ?」

「……そう、だね。……うん、わかった。じゃ、行きましょう」

 そして僕らは、目的の病室へと向かう。

 僕にとっては本当に久しぶりの、憧れの人との再会だ。

 三年前に別れたライカよりも、ずっと早く、クモ姉は騎装都市へと向かっていた。

 僕は思い浮かべる。かつてのクモ姉を。

 そして、病室の前へとたどり着いた。

 ノックすると、

「どうぞ」

 と。澄んだ声が帰ってきた。

 扉を開けて、中に入る。

 ベッドに座っている、深い海のような色の髪の女性。

 彼女が、雨谷八雲。僕の憧れた人。

 クモ姉は当然、僕の記憶よりもずっと大人になっていた。

「久しぶりだね、ジンヤ。大きくなったな」

「うん。クモ姉も。前から僕から見たら、すごく大人に見えてたんだけど、また一段と大人っぽくて、綺麗になったと思う」

「……上手いじゃないか、そういうところは本当に成長したな」

 くす、と上品に笑う。

「でも、正直全ては素直に受け取れないね。身近に特定の部位がやたら大人っぽいやつがいるとな……私は、どうにも並みでね、そいつに負けているんだ」

 不敵な笑みを浮かべつつ、自分の胸元を両腕で隠して、ライカの胸を見つめるクモ姉。

 ライカも顔を赤くして、胸を隠した。

「え、と……クモ姉にはクモ姉の魅力があるよ、こうスレンダーなモデル体型? みたいな」

「……まあ、それで手を打とうか。でも、どうせ男はライカのようなグラビアアイドルみたいなのが好きなんだろう?」

「い、いや……それは」

「私の体より、ライカの体のほうが好きだろう?」

「そ、それは、ライカだから……」

「……ふっ、はははっ……! 正直でいいな。それに相変わらずからかい甲斐がある。ああ、久しぶりだな……本当に久しぶりだ。ジンヤ、久々にキミと話せて楽しいよ」

「うん、僕もだよ」

 あれ……?

 なんだろう、昔みたいに話せてる気がする。

 なにも変わっていないような……一瞬で、昔みたいにこうやって、クモ姉にからかわれていた時に戻れたような。

 でも、だからこそ、違和感がある。

 これじゃあ、ライカがクモ姉に会わせるのを躊躇っていた理由もわからないし、それにクモ姉は酷い敗北を味わったんじゃ……なのに、普段通りなのか?

 そうやって僕が思考の迷路に囚われかけた、その時――


「――で、ライカ……これはどういう趣旨の嫌がらせだ?」


 冷たい声で、そう言い放った。

 空気が凍った。

 病室に沈黙満ちて、どこからか聞こえてくる時計の針の音が、やたらうるさく感じた。

「あの、クモ姉、これは……」

 ライカが、やっとそれだけ絞り出せた時。

「百歩譲って、ジンヤを連れてくるのはまだわかる。それだけでも十分に酷い所業だとは思うけれどね。こんな無様な私が、一番会いたくない類がどういう人間かわかるか? かつての私に未だに幻想を抱いたままのヤツだよ――まさに、ジンヤのことだ。私はもう、その幻想には応えられないからね……」

 止まらない。

 クモ姉は言葉を吐き出し続ける。


「ジンヤの目は、未だに憧憬を見る目だ。その目はな、私が今この世で一番見たくないものだよ」


 止まらない。

 止めなくては、

 思考が、まとまらない。

 何を、何を――

「なあ、ライカ。キミならそれくらいのことわかっていたはずだろ? 仮にも一度は私の魂装者アルムだったんだろう。それとも、全てわかった上での嫌がらせか? だとすればこの上なく的確だ。覿面だよ、いやまいった! キミは私を追い詰める天才だな」

 何を言えばいい? 間違っていた。

 何も変わっていない? そんなはずはなかった!

 なにもかも、変わっていた。

 クモ姉なのか、この人は本当に、僕が憧れた人なのか。

 僕が憧れた人は、ライカを傷つけるようなことは、絶対に口にしなかった。

「で……まあ、それはいいんだ。だってジンヤはきっと、私のところに来たがるはずだろうからね。それはいい……仕方のないことだ。でも――そいつはなんだ?」

 クモ姉は、キララさんを睨みつけた。

「……っ」

 キララさんの顔が蒼白になっていく。

「そいつをわざわざここに連れてくる必要が、この世界の一体どこにある? 私には見当もつかないよ」

「……クモ姉、違うの、彼女は……っ!」

「いいよ、ライちゃんっ! 私が、言わなくちゃいけないことだから……」

 キララさんが前に出た。

 そして――


「……許してもらおうなんて、虫のいいことは言わないです……でも、せめて、頭だけは下げさせてください……っ!」


 キララさんは、土下座をしてた。

 あのキララさんが、頭を床にこすりつけている。

「……龍上、一つ聞いてもいいかな?」

 静かに言う。

 キララさんは、頷く。

 クモ姉は床に足をつけて、ベッドから立ち上がろうとして――そこで、足が震えて、そのまま床に崩れ落ちた。

 土下座しているキララさんよりも、目線が下になる。そこから、彼女を見上げて言う。


「――キミが頭を下げて、私の脚は治るのか?」


 ――――頭が、

 真っ白に、

 なった。

 脚が、……?

「確かに外傷はない、仮想戦闘術式の下で行われた戦いだったからね。でもね、消えないんだよ、あの日の痛みが……消えてくれないんだ」

 クモ姉は体を引きずり、ベッド脇に置いてあったものを手に取ろうとする。

 手を伸ばし、掴み、こぼす……そんなことを、何度も繰り返した。

 ナイフだった。

 何度も挑戦した末に、キララさんの前に、ナイフが落ちた。


「――怖いんだ、武器が」


 クモ姉は、さらに告げていく。

「……このナイフだけじゃない。刀だって、もう二度と持てない。ああ、そうだよ、精神的なものさ、私が弱いからこうなった、私が臆病だからこうなっている、そうだ、悪いのは全て私だ……でもな」

 クモ姉は。

 憎悪に満ちた瞳で。

 目の前で震えるキララさんを睨みつけて。

「……こうしたのは、お前の兄だよ、龍上。よくもまあ、私の前に顔を出せたな」

「ごめ、ん、なさい……」

「いらないよ、キミの謝罪は……謝罪なんか、いいんだ。私がキミの望むのは、一つだ」

 震える少女は答えを乞うような視線を、彷徨わせる。

 視線は、やっとの思いで、目の前で倒れる幽鬼のような女性へ辿り着く。

「――出ていけ」

 その言葉の後に響いたのは、扉が開いて、閉まる音だけだった。

「……さて、それで……私はどうしたらいい? ライカ、一体なにが目的だったんだい? 私はここでジンヤと再会し、龍上と仲良しこよしになれば、それでよかったのかな?」

「ち、が……クモ姉、わたし、は……」

「――クモ姉」

「……なんだい、ジンヤ?」

「治る見込みは、ないの?」

 僕の言葉を聞いて、クモ姉はきょとんとした顔をした。

 本気で何を言っているかわからない、そういう顔だ。

 そして。

「……ふふ、ははは、はっはっはっは! おかしなことを言うな、ジンヤ。さっきは『相変わらず』だと言ったが、そうでもないな、昔のキミなら、この場面でそんなことは言わなかったはずだ」

「そうだね。……それで?」

「治るかって? かもしれないね、医者が言うには、リハビリを続ければいずれ治るかもしれないと、そう言ってた。厳しいリハビリになるそうだ。…………で、私も聞き返したいのだけれど、どうして治さないといけないんだ?」

「……そんなのっ!」

「私が治れば、この惨事も全部帳消しになって、全員笑顔のハッピーエンドだと、そう思ったのかい?」

「……そうじゃないって言うの?」

「――そんな都合のいいことがこの世界にあるわけないだろ? あのね……そもそも私は治すつもりがまったくないんだよ。厳しいリハビリなんか冗談じゃない、どうしてわざわざ苦しむために、苦しいことをしなければいけない? 地獄に落ちろとでも言いたいのかな?」

「なにを……」

「だってそうだろう? 私には才能がなかったんだ。騎士になるには、才能が必要なんだ。才能がない私は、騎士の道を諦めて当然だろう、本当にちょうどいい機会だったよ。気づくのが遅かったら、人生を棒に振るところだった、もっとも、とっくに遅かったかもしれないね。だってもう、私は十分に、人生を棒に振ったも同然の有様だ」

 渇いた、渇き切った、自嘲するような笑みを浮かべながら、滔々と語った。

「いらないよ」

「……なに?」

「――騎士に才能なんて、いらない。あなたが教えてくれたことだ」

 切って捨てるように、断言した。

 だって、許せなかったから。

 クモ姉が、よりにもよって、僕が憧れたその人が、そんなことを言うなんて。

 Eランク。

 それがクモ姉のランクだ。

 僕に比べれば当然上だけど、はっきり言ってD以上の人からみれば、EもFもGも同列だろう。全て等しく、上を目指すのはまず無理だと言われている、低ランク。

 でも、クモ姉は諦めなかった。Eランクとしては異例の強さを誇っていた。

 彼女がいたから。

 僕にどれだけ才能がなくても、大丈夫なんだと迷うことなく信じられた。

 その彼女に、一番言ってほしくないことを言われた。

 わかっている。

 おかしいのは僕だ。

 敗北して、ボロボロになって、もう歩けない、武器も持てない、そんな状況になって、変わるなというほうがおかしい、そんなやつがいたら最低のクズだ。

 でも僕は、クモ姉にだけはそれを言ってほしくなかった。

「龍上に勝ったんだって?」 

 ふと、問いが投げられた。

「……うん」

「すごいよ、ジンヤ。本当にすごい。今すぐ抱きしめて頭を撫でてやりたいくらいだ。でもね、ジンヤ……それくらいなら、私にも出来たよ。逆にね、そこまでなんだ。そこが限界だよ、凡人のね……それより上には、絶対にどうにもならない壁があるんだ」

「人が本気で願って叶わないなんてことはないんだよ、クモ姉」

「……ああ、昔のライカがよく言っていたね。いい加減、子供の夢から冷めたほうがいいよ、ジンヤ。ライカだってそうだったはずだろ? それが一体どうしたんだ?」

 ――ああ、そうだ。

 ライカも確かに、僕と再会した直後はそうだった。

 同じなんだ、クモ姉と。

 クモ姉とライカ、二人で戦って、負けたから。

 ……誰なんだ?

 一体、誰に負けてこうなった?

 そいつだ。

 そいつが、『絶対にどうにもならない壁』とやらだろう。

 僕が、そいつに勝てば……!

「ねえ、クモ姉……教えてよ。クモ姉が戦った相手っていうのは……」

「そうだね、いい加減うんざりだ。いいよ。聞けばわかってもらえると思うから……、」

「クモ姉、それは……!」

 ライカが制止しようとするが、

 クモ姉は躊躇わず言った。


龍上巳月タツガミミヅキ――ジンヤ、キミが三年前に負けた相手だよ」


 その名を、告げた。


 □ □ □


 三年前の、決定的な敗北。

 今でも夢に見る。

 人生で最低の悪夢だ。

 その敗北で、僕は一度は夢を諦めかけて、ライカの離れ離れになった。

 ――黄閃学園中等部入学試験。

 致命的な欠陥を持つ僕は、試験のほとんどが散々な結果だった。

 例えば遠くの的に攻撃を当てる、という内容。

 これは本来、攻撃の威力、命中精度、射程などを調べるものだが……そもそも僕は、外部へ魔力を出力させられない。この項目の僕の点数は0点だろう。

 こういった出来て当たり前の項目全てが0点の僕が、合格するはずがない。

 だが、一つだけ抜け道があったのだ。

 最後の実戦試験。

 そこで条件を満たせば、それまでの成績に関係なく合格できる。

 僕が狙うのは、そこだった。

 そしてその実戦の相手が――当時は名前など知らなかったが――龍上巳月という男だったのだろう。

 長く伸びた銀色の髪、鋭い目つき、口元には凶悪な笑みが浮かび、鋭い牙を剥いていた。

 彼とは、それ以前にも一度会っていた。

 道場に通っていたころに、試合をしていたのだ。

 仮想戦闘術式は、騎士の訓練以外の場でも有用だ。

 都市外でも、これを用いて、剣術の試合をすることがあったのだ。

 勿論、術式は保険で、寸止めの試合だったが。

 僕はその頃、ほとんど負けることがなくなっていた。

 クモ姉はもう都市へ行っていたし、ライカよりも強くなっていた頃だ。

 だが、僕は負けた。圧倒的に負け、徹底的に誇りを踏みにじられた。

 その時はまだ、ただ悔しかっただけだ。

 ただの悔しさで、死ぬような思いをする程に……僕にとって、剣は大きな拠り所になっていたけれど。

 ライカやクモ姉に負ける時と違いのない敗北だった。

 なぜなら、それで辛い思いをするのは僕だけだから。

 しかし――三年前の戦いは違う。

 これに負ければ、ライカと離れ離れになり、夢を追うこともできなくなる。

 ライカとは約束があった。

 一緒に騎装都市に行って、クモ姉の背中を追いかけて、二人で神装剣聖エピデュシアを目指そう。

 絶対に叶えたい夢。

 絶対に果たしたい約束。

 負けていいはずが、なかった。

 負ければ、僕がただ悔しいだけじゃない。

 ライカが悲しむ。

 ライカに失望される。

 ライカとの約束が果たせない。

 ライカと離れ離れになってしまう。

 そして、僕はその戦いで、完膚なきまでに負けた。

 失意の底にいた僕に、龍上巳月は告げたのだ。

「……目障りだ、才能のねえヤツは消えろ――騎士を汚すんじゃねえよ、雑魚」

 たまらなく不快だと言いたげな声だった。

 言い返せなかった。

 彼の言う通りだった。

 僕は才能がない。

 才能がない者は、騎士になれない。

 それを覆せると、剣で証明しなければならなかった。

 ここで一度、僕の夢は完全に潰えている。

 この後起きる、ある出来事がなければ、僕は騎士を目指すことをやめて、剣を握ることも一生なかっただろう。


 □ □ □


 ――龍上巳月。

 キララさんの兄で。

 僕に決定的な敗北を与えた男で。

 ライカを絶望させ、クモ姉を壊した男。

 全ての因縁が、ここに束ねられた気がした。

 これだ。

 この因縁だ。

 この因縁を断ち切らねば、僕は一生前に進めない。

 いずれは戦わねばならない相手だった。

 必ず勝ちたいと思った相手だった。

 僕らの夢は、《剣聖》だ。

 この騎装都市の学生の中で、頂点になると、最強になると誓っているのだ。

 ならば当然、避けては通れない。

 ……ああ、そうだ。

 遅いか早いか、ただそれだけ、いつかは必ず戦わなくてはならなくて、絶対に勝たなければいけない相手。

 それが今だというだけ。ただそれだけの、極々簡単な話だ。

 だから。

 僕は、クモ姉に言う。

 彼女は、僕らの手は借りないと言わんばかりに、自分の腕力でベッドに這い上がり、再びそこへ座って、冷ややかな視線をこちらへ向けていた。騎士だった彼女だからこそできることだろう。その姿は、悲痛だった。

「僕が……僕らが龍上巳月を倒したら、クモ姉はリハビリしてくれる?」

 これは、押し付けだ。

 僕が憧れたクモ姉で在り続けて欲しいという、傲慢な願いだ。

 対して、クモ姉は。

「…………驚いた。まさかそんな返答が来るとは思わなかった。……ああ、そういえばジンヤはやたら頑固だったね。いいよ、そんな奇跡が起きるのならね。でも、いっぺん負ければ、それでわかるだろう、いい加減、馬鹿な夢からは覚めるべきだってね」

 言わせた。

 自棄でもなんでも、再起の可能性を示した。

「さぁ、帰って湖面の月を斬る練習でもしたらどうだい?」

 無意味なことだと、そういう皮肉を寄越してくる。

 押し付けてみるものだ。

 例えこちらが負けると信じ切っているからこその言葉だとしても、それでも……もう一度、クモ姉が立ち上がってくれる可能性を……どんなに僅かなものだとしても、残せたのだから。

 僕とライカは、病室を後にする。

 病室から出る直前、僕は背中越しのクモ姉に向かってこう言った。

「……リハビリ、応援するからね」


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