第4話 私が、誰よりも嫌いなのは
キララ対ミヅキの試合開始直前――。
ビクター・ゴールドスミスは、もう一度、あることについて考えを整理していた。
刃堂ジンヤの《法則》突破。
であれば、次に起きることは――。
「……まったく、侮れないな。このことに気づくのが、こんなにも遅れるとはね」
驚かされる。
その事象自体はあり得ると思っていた。
だが、それを引き起こす者は、別の人物だと思っていたのだから。
ビクターは笑う。
着々と、確実に、世界の変革は進んでいる。
□
空中に形成した磁場を踏み込み、さらに刀身も磁場の反発により加速させた斬撃――
「――――《雷竜災牙・翼撃》」
鞘内で爆発を起こして刀身を加速させる、火属性版《迅雷一閃》と言える技――
「――――《業火一閃》ッ!」
空中より振り下ろされた刃と、上空へ向け放たれた抜刀一閃が激突する。
「――ッ、」
ミヅキの僅かに眉根を寄せた。
素のパワーで勝るとは言え、不安定な姿勢での斬撃となったミヅキの分が悪いか。
「――《業火/逆襲一閃》ッ!」
「――《雷竜災牙/逆襲一閃》ッ!」
即座に高速で二撃目を放つ両者。
二度目の激突で、さらにミヅキの体勢が崩れる。
相手は空中。磁場による反発で、空中であろうが身動きが取れないというわけではないだろうが、それでも地上に比べれば遥かに動きは鈍る。
キララは空中のミヅキへ、さらなる攻撃を加えんと突きを放つも――
ミヅキは前方へ蹴りを放つ。キララを狙ったものではなく、一見何もない虚空へ。
だが、そこへ出現させていた磁場を蹴飛ばし、反発で素早く離脱――着地。
空中から、キララから数歩離れた地点へと逃れ、仕切り直しに成功した。
さて、ここからどう攻めるか――、ミヅキが思考しようとした瞬間。
「――させない」
キララが、目の前に。
速い。そして、早い。読んでいたのだ、これすらも。踏み込みが速く、『踏み込む』というその判断が早い。
一度後方へ下がり、そこから次の手を考える――それらを読み切り、かつ封じてきた。
(もしもこれが道場での、能力なしでの斬り合いだったら、私はジンジンは当然として、兄貴にだって、絶対に敵わない)
ジンヤにもミヅキにも、キララは剣の腕で劣る。幼少からミヅキにくっついて剣を学んだことがあるとはいえ、ミヅキに勝ったことは一度もない。
ミヅキは、ずっと本気で剣を握ってきた人間だ。
努力家であることをひけらかすことはしないが、それでもキララはミヅキが才能に胡座をかくようなタイプ――恐らく世間から抱かれているような、そんなイメージとは正反対であることを知っている。
ミヅキは天才な上に努力家だ。
だが、キララは、ミヅキに劣るものの、大抵の凡人を凌駕する才能を持っているが――ずっとそれに頼り切りだった。
だが、これはただの剣の比べ合いではない。
魔力量でも、能力の使い方でも、ミヅキと比べて明確に勝っている訳ではない。
それでも、戦いというものはステータスの数値を比べ合うものではない。
そして――キララはもう、才能に縋り付くような生き方は捨てた。
何よりの証拠として、キララはここまで戦えている。
当然、ここからの策もある。
寄られただけでお手上げならば、最初からここに立っていない。
ミヅキに剣の腕で勝っていなくとも、彼と近接で渡り合う方法はある。
その方法は――。
「――――《氷炎/翠竜嵐閃》ッ!」
□
「なってねえ。まだ二刀を扱う意識ができてねえ。右と左、一緒に動かしてちゃ二刀の意味がねえ。別々に動かすだけでも、まだ足りねえ。左右別々に動かしつつ、時に連動させる。右を振り下ろした勢いを利用して左を跳ね上げる――そうやって、一つの動きに複数の意味を持たせろ」
汗まみれで倒れるキララに容赦なく言葉を浴びせる少年――風狩ハヤテ。
ジンヤとハヤテが再会を果たすのが5月の始め。
大会が始まるのが7月の終わり頃。
キララは大会が始まる以前より、同じ二刀の剣士であるハヤテに師事していた。
ジンヤにすら秘密にして、だ。
大会が始まれば、ジンヤは敵。わざわざ情報を与える必要はない。ジンヤを倒すことを目的としているのなら、当然の判断だ。
「もう聞いてねえか? もうバテたか? これくらい、アイツなら中学ン時でも立ったぞ」
ハヤテの言葉で、倒れ伏したキララに火が灯る。
「…………まだ、やれるよ……」
「……いいね。思ったより見込みあるんじゃねーの、キララちゃん」
不敵に笑うハヤテ。
彼の教えは厳しかった。
普段の軽薄な態度からは想像のつかない容赦のなさ。が、それも当然。彼が勝負事に対して厳しいのは昔からだ。
だからこそ、友人として明るくジンヤと接しつつも、一度はジンヤの弱さに失望したような態度を見せたことがある。ジンヤはそれが許せなくて、龍上ミヅキを倒すための修行時代、ハヤテを倒すという別の理由も加わったことで、さらに這い上がる足に力が入った。
キララはハヤテを二刀の師としては尊敬していたが――、それでも彼のことが嫌いだった。
派手な外見に似合わず異性と接するのが下手くそなキララからすれば、派手な外見通りにチャラついたハヤテが苦手なのも自然に思えるが、理由はそれだけではない。
その理由は、屍蝋アンナが抱いたものと同じだ。
刃堂ジンヤの目標にされている――キララがどれだけ欲しても届かないものだ。
キララはどこまでいってもジンヤの背中を追いかけるだけ。ジンヤに追いかけられたことなど、ただの一度もない。
だが、ハヤテはそうじゃない。
再戦の約束をして。
一年間、ずっと想われて。
その約束は果たされ、二人は剣祭で最高の戦いをした。
全てが羨ましくて、全てが今のキララが持っていないものだ。
アンナのように、恋慕と敵対を混同させている訳ではない。
純粋に、騎士としての弱さを――自分の弱さを、許せないのだ。
そして、キララが羨んでいるのはハヤテだけではない。
それは屍蝋アンナも同じだ。
命懸けのジンヤに救われて。
二度もジンヤとぶつかって。
ジンヤに世界を敵に回してでも守ると誓われて。
ジンヤの恋人でこそないかもしれないが、何度も何度も、呼吸のように、自分が決して口に出来ない、どこまでも遠い言葉を――、『好き』の二文字を、軽々しく、簡単に伝えて。
表面上、面倒見良く振る舞っているが、一皮剥けば所詮キララなどこんなものだ。
凡人の矮小な心の中に、綺麗なものだけで満たされているはずが――醜い想いがないはずがないのだ。
誰も彼も、嫌いだ。
自分より強いやつ。
自分より幸せそうなやつ。
自分より輝いて見えるやつ。
みんな、みんな――大嫌いだ。
それでも、そんな気持ちを見せてしまえば、自分がもっと無様に見えてしまうから、必死に隠して、取り繕って、なんとかやっていけている、隠し通せてる。
やはり、《主人公》とやらでないのがいけないのだろうか。
卑小のモブは、何も成し遂げられず、何も手に入らないのだろうか。
結局、自分は刃堂ジンヤのようにはなれないのだろうか。
《主人公》を、格上を、神様の決めたルールを、邪魔する全てを叩き切って進む、眩しい存在――彼のように、ジンヤのように、そうなりたいと、あの日から、彼に憧れた日から、ずっと願っている。
そして、何より、本当に一番、龍上キララが嫌いなのは――――。
一番大嫌いなのは――――自分だ。
弱いから、誰かを妬んで。上ばかり見るしかない、下になんて、誰もいない。
全部、全部、弱いからだ。
ずっとずっと、『龍上ミヅキの妹』という立場を利用して、偉ぶってきていたクズのくせに。
そうだ、龍上キララは、どうしようもない、本物のクズだ。
――「はぁ~……? マジ? ありえなー……だってさぁ、アンタGランクでしょ? カスじゃん、まずうちのガッコいるのおかしくない? ヨソのガッコに知られたら笑われちゃいそーなんですけど、っつかまずアタシが笑うんだけど?」
――「ナメんなGランク! 腐ってもアタシはBランクなんだよ! アンタとは根本的な魔力の量が違うの! この壁は絶対だ!」
未だにずっと、夢に見る。
最低の悪夢と言っていいだろう。
過去の自分。ジンヤに出会う前の、どうしようもない頃の自分。
ジンヤにぶつけた言葉だけじゃない。
それ以前から、キララはずっと他者を見下して生きてきた。
才能の上にふんぞり返って、才能のないものを笑ってきた。
龍上ミヅキのように、他者を痛めつけるようなことはしてなくても、ミヅキにやられている騎士を見て、心の中で笑っていたのだから。
下らない。バカらしい。相応に生きていれば、惨めな想いをしなくて済むのにと、そう笑っていた。
その自分が《主人公》ではないのも、こうやって必死に這いずり回って、それでもベスト8に残った中じゃ明確に格が落ちる雑魚と笑われるのも、当然の報いだ。
一番惨めだと思っていたものに、自分自身がなっていた。
今の自分を、過去の自分が見たとすれば、気持ちよく嘲笑ってくれることだろう。
――龍上キララが優勝すると思っているものは、誰もいない。
でも。
それでも。
こんなクズにでも、本気でぶつかってきてくれた人達がいた。
信じてくれた、人達がいたのだ。
ジンヤはキララのことを笑わなかった。
彼は誰よりも嘲笑われて生きてきたのだから、他者を笑うことはない。
ハヤテだって、キララの想いに応えて、真剣に教えを授けてくれた。
ヤクモも、ヒメナも、オウカも、みんな本気で、全力で戦って、そういう者達を超えてここまで来たのだ。
確かにベスト8の中じゃキララは弱い。
刃堂ジンヤも、黒宮トキヤも、真紅園ゼキも、赫世アグニも、龍上ミヅキも、レヒト・ヴェルナーも、輝竜ユウヒも――、ここまで残った誰もが、龍上キララなどというクズよりも、ずっとずっと強い。
でも、ここに立ったことに価値がないなんて、誰にも言わせない。
そういう戦いを、しなくちゃいけない。
全部、実力で示さないといけない。
ここでミヅキと戦って、無様な戦いを見せて負ければ、結局は同じことだ。
龍上キララは、本物のクズだ。
龍上キララは、龍上キララのことが誰より嫌いだ。
だとしても――――あの日の憧れを、裏切ることはできない。
憧れは呪いだと、ヤクモは言っていた。
そうかもしれない。辛いと思っても、もうキララは止まることができない。
でも、呪いだっていい。
ここで諦めて、何もしないクズに戻ることだけは。
燻って、くすんだ、輝いてないものにだけはなりたくない。
どれだけ無謀でも、少しでも憧れた光に近づきたい。
□
「そうだ、その動きだ、かましてやれッ!」
観客席のハヤテが拳を強く握り叫ぶ。
キララの二刀による高速連撃。
ハヤテのように風で、ジンヤのように生体電流や電磁反発を利用した、動きの補助ができない分、キララは剣を繰り出す腕を爆破させていく。
真紅園ゼキがやっていたことと同じだ。
「これで……決める……ッッ!」
ただハヤテと同じことをしても、絶対に敵わないことはわかっている。
ハヤテは一度ミヅキに勝っているが、ミヅキが一度破れた相手になんの対策もしてないなどということはあり得ない。
だからこそ、倒し得るだけの策を積んだ。
まず《デザストル》で速攻をかけたのには理由がある。
自明のことだが、キララはミヅキに剣技では勝てない。
だから近づかれた時点で勝負を決めたかったのだ。
そして、『キララがハヤテの技を使う』ということ。これが奇襲として効果を発揮する時間はそう長くはない。ミヅキがキララの二刀に慣れてしまう前に、一番強い技で決める。
さらに、そのための工夫がもう一つ。
試合開始時点から繰り返していた《氷》による攻撃。
あれは、もしもミヅキが同じ地点に留まっているのなら、さらに効力を発揮し、ミヅキの体を凍てつかせ、戦闘力を奪っていったのだが、そうでなくとも効果はあったはずだ。
徹底的にミヅキの周囲の温度を下げて、彼の体を冷やすことで、動きを鈍らせる。
彼の体が温まる前に仕掛けることで、動きが鈍っているところを仕留める――そういう狙いだ、だから時間をかけてはいられない。
一つ、刀を振るう度――熱い想いが溢れてくる。
涙が零れそうになる。まだ泣くな。まだだ。絶対に、涙なんて。
視界を鈍らせて、勝てる相手ではない。
――――左の刀でミヅキの野太刀を押さえ込み、ガードをこじ開け、右で突きを放つ。
――自分を誇れる騎士になれたのなら。
ママがつけてくれた名に相応しい、輝ける騎士になれれば。眩しい、憧れのように。自分の先を行く、強い人達のように。
そんなふうになれたらきっと。
怖くて、自信がなくて、どうすればいいかわからなく、そうやって心に押し込め続けてきた、ジンヤへの想いを、きっと口にできるから。
だから、龍上キララは負けられない。
絶対に、ミスできない。
僅かに震える右手。
それでも、震えを押し殺して、正確に過たず――ミヅキを捉える軌跡の突きが放たれた。




