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迅雷の逆襲譚〈ヴァンジャンス〉  作者: らーゆ
第6章 赫世の復讐譚
146/164

第08話 いつか希われ、踏みにじられた少女の夢






「――――《開幕ライトアウト》――――」



 アグニがそう口にする直前。


 ゼキによって大量の打撃を叩き込まれてる最中――彼の意識は、〝あの日〟に沈んでいた。


 あの日。

 何度も何度も反芻され続ける、脳裏にこびりついた地獄の記憶。






 □






 ――何度も見る、夢がある。


 ――何度も、何度も、何度も、何度も。どれだけ、どれだけ目をそらしたくても。消えてくれない、地獄の記憶。


 ――何度も見た悪夢がある。





「父さん……どうして僕の名前は『アグニ』なの?」


「そうか……お前もそういうことを気にする歳になったか! 成長だな、アグニ。いい子だ」


「わかったから……、名前! 教えてよ」

「もちろん。僕はお前の疑問になるべく答えているだろう? そうだな……なにから話そうか……」




 そうして父は語り始めた。

 『赫世』に関する、呪いの話を。

 赫世は呪われている。

 

 けれど父は――その呪いに、抗おうとした。

 

 これは、やがて復讐に至る男の前日譚。

 この物語の結末は既に確定している。


 全ては、復讐のために焚べられる。





 □




 赫世の呪い。


 赫世は大切な者を傷つける


 赫世は世界を滅ぼす――アグニの父、紅炉コウロは、幼いアグニが『世界』というものを理解できているかを考慮し、『必ず大勢の人に迷惑を駆ける』というように言い換えていたが。


 アグニはよく覚えている。

 呪いの話を聞いて、とても怖くなったことを。

 

 自分が誰かを傷つけるかもしれない。

 それも、呪いなどという得体の知れないものによって。


「……じゃあ、どうすればいいの?」


「うん、だからそれを僕も考えているんだ。今はまだ難しいかもしれないけれど、いつかアグニも一緒に考えてくれたら嬉しい。とても大変なことだけど、とても大切なことだからね」

「頑張るよ。僕にできるかわかんないけど……」

「大丈夫さ。アグニは今まで通り、騎士として力の使い方を学んでくれればいい。まずは己の持つ力を知ることからだ。前にも言っただろう?」



 アグニは生まれながらに強大な魔力を持っていた。

 強大な魔力を制御できないせいで、父や母を傷つけてしまったことがたくさんある。


 それでも、両親はずっとずっと優しくしてくれた。


 アグニがつけてしまった火傷の痕がある大きな手。

 その手で、いつもアグニを優しく撫でてくれる父のことが大好きだった。



「……それでいいの? 強くなれるのは嬉しいし、楽しいけど……でも、強くなったら、それだけ誰かを傷つけちゃうんじゃないの?」

「うーん……そうだね……、確かに大きな力は危険が付き纏う。でもね、アグニ……君が今そうして能力を制御できているように、力自体のことを理解して、その制御の仕方を学ぶことは大切だ。そして……」


 父は火傷の痕がある手に一瞬だけ視線を落としてから続ける。


「僕はアグニのことを信じてるからね。間違いを犯してしまっても、その間違いから学ぶことができればそれでいいさ。アグニはとても大きな力を手にすることになるけど、きっと君はその使い方を間違えることはない。

 ……大丈夫さ。君は僕の息子だからね」

「……わかった! 僕、間違えないよ! 父さんの息子だから!」


 嬉しかった。

 父が信じてくれることが。

 父はよく、『自慢の息子だ』と言ってくれる。


 大好きな父親の自慢で在ることが、アグニの誇りなのだ。


 □


  アグニが当時暮らしていたのは、父も運営に携わっている騎士を育成する施設だった。

 様々な国から優秀な騎士を集めて、異能に関する研究を行う。同時に、有望な子供を集め幼少期から訓練を行う。

 研究所と学校を組み合わせたような施設。


 アグニはその場所において、孤独だった。

 

 当時、6歳だが、魔力量だけなら既に大人と同程度という凄まじい才能。

 同年代の子供などまるで相手にならない。

 隔絶した力は恐怖を生み、周囲の者はアグニを恐れていた。


 

 ――ある日のこと。

 アグニは自分と同じように、一人ぼっちの少女と出会った。



 この施設では、一般的な教育機関のような決まった年数による卒業などはなく、それぞれの特性によって、より適切な訓練を受けることができる別の施設に移動したりすることが多い。

 なのでいつの間にか姿を見かけなくなる者もいれば、気がつけば新顔が増えていることもある。

 

 初めて見かけた時は、彼女について何か特別な感想を抱いた訳ではなかった。


 何度か見かけて、気づくことがあった。

 

 彼女はいつも同じ場所にいる。

 彼女はいつもひとりぼっちだ。

 彼女はいつも本を読んでいる。


 言葉すら交わさずに、アグニは彼女に奇妙な好感を持っていた。

 ひとりぼっちと、ひとりぼっち。

 共に孤独である者としての、密かな共感。

 

 次第に疑問が生まれる――彼女は、どうして一人なのだろうか?


 けれど、話しかける勇気はなかった。

 周囲から恐れられている少年。両親以外、誰も彼を受け入れてはくれない。

 アグニ自身も、積極的に他者と関わる気にはなれなかった。他者を傷つけてしまう恐怖。

 脳裏に浮かぶのは、父の手に残る痛ましい火傷の痕。傷つけるくらいなら、一人でいる方がずっといい。

 

 それでも、一人に耐えられる程、少年の心は強くなかった。

 

 少女を見かける度、少し足を止めては、迷い、けれど勇気は出ず、臆病な自分が顔を出して、その場を後にする。

 ずっとずっとその繰り返し。

 

 ある時、その繰り返しが終わりを告げた。

 

 少女が、泣いていた。

 いつも凛とした本を読んでいる彼女が、本を脇において、膝を抱えていた。


 思わず、駆け出した。


 だって父は、泣いている自分を放っておいたことなんてなかった。

 母はいつだって、自分が泣いていたら、優しく抱きしめてくれた。


 それなのに、どうして自分が、泣いている人を見捨てられるだろう。


 話すきっかけだとか、そういう打算が頭から抜け落ちていた。




「…………どうしたの?」




 口下手な自分を恨む。

 気の利いた言葉なんて、出なかった。




「……な、なんでもないよ……」



 少女は慌てて涙を拭って、誤魔化すように不器用に笑った。

 ちょっとだけ、寂しかった。当然ではあるが、初対面の自分に何があったかなんて教える訳がない。

 いきなりそこまで心を開くはずがない。自分は彼女のために、何もできない。

 そして、これからもずっとそうなのだろうか――と、どんどん暗い方向に考えが転がる。


「……あ、ありがとう……。心配、してくれたの……?」


 消え入るような、けれど綺麗な声だった。



 目元が少し隠れる前髪。

 けれど、隙間から除く紅玉のような瞳もまた綺麗だ。


 

 アグニも同じように、少し髪が伸びたままで、お互いに前髪越しに見つめ合う。



「うん……」


 と、そんなことしか言えなかった。

 両親と話すときならもう少し饒舌なのだけれど。思えば同年代の子供と話す機会なんてほとんどない。


「……あ、あの……いつも、見てた……よね?」

「え、あ、いや……」


 バレていた。

 どうすれば。

 気持ち悪がられてしまっただろうか。


「……ふふ。あ、ちが、ちがうの……、わたしも、いつも、見てたから……。気になってたけど……、話しかける勇気なんてなくて……。この本が気になるの?」

「う、うん」



 嘘だった。

 気になっているのは君だよ、なんて言えなくて。



「こ、これは魂装者アルムについての本なんだけどね……。あ、普段は技術書だけじゃなくて小説とか、他にもいろいろ……」



 そう言って彼女は脇にあったカバンから次々に本を取り出していく。

 彼女の言う通り、並べられた本は小説や、歴史、神話、生物に関するもの、武器や武術に関するものなど、本当に様々だ。少し女の子が見るには物騒なものもあるが、恐らく彼女は魂装者アルム

 戦いを志す者としては当然かもしれないが、この歳にして勉強家だな、とアグニは思った。

 


 アグニも父からよく本を読むように言われていたが、面倒臭がっていたことを、この瞬間に心底後悔した。

 彼女に話を合わせられるような気がしない。



「……あ、ぅ……、あの、わたしばっかり話しちゃってごめんね……? つまらなかった?」


「う、ううん、そんなこと!」



「そ、そう? それじゃああなたのことも聞かせてくれる?

 ……あ、わたしはね、……か、カレン。

 希供木ききょうぎ火蓮かれんっていうの。

 ……へ、変だよね。日本人だし、こんな、地味なのに、カレンとか……」



「そんなことないよ。それに、それだったら僕の方が変だよ? 僕は……、僕の名前は、赫世アグニ」






「アグニ……アグニ……まあ、素敵! ……あなた、神様と同じ名前なのね」




 それが彼女との出会いだったと言っていいだろう。 

 出会い、というものを、『最初に目にした』ことではなく、最初に心と心が触れた瞬間と定義するのなら。





 □





 それから、アグニとカレンは毎日のように一緒に過ごした。

 いつも同じ場所で。

 施設の中庭。木漏れ日が差し込む場所で、二人並んで言葉を交わした。

 一人ぼっちと一人ぼっちが出会って、二人になって、もう寂しくはなかった。



 

「……あ、あのね……わたしは、怖いんだ……魂装者アルムでいることが。誰かを傷つけてしまうことが、怖くて……。だから、武装化をちゃんと維持できないの。そのせいで、戦闘訓練中にいきなり武装化が解けちゃって、パートナーを傷つけてしまって。それで、周りからも嫌われちゃって……。全部、わたしのせいなんだ……」



 初めて言葉を交わしたあの日――どうして彼女が泣いていたのかを話してくれたことがあった。 



 カレンの手のひらには蓮の花が。

 これは仮想展開したカレンの武装形態だが、実際にこれで戦うわけではない。カレンは本来、剣の形になることもできるが、戦うことを恐れた彼女は、いつしか戦いに向かない形態に己の変化させてしまっていた。


 寂しそうに蓮を見つめるカレン。


「……僕も、同じだよ。僕も、自分の力で人を傷つけるのが怖い。父さんの手を焼いてしまったこともある」

「……そ、それでアグニはどうしたの? ……今も怖い……?」

「うん、怖いけど……でも、父さんが教えてくれたんだ。怖いからこそ、力から逃げるんじゃなくて、ちゃんと力と向き合って、理解して、力を使いこなせるように努力することが大事なんだって。だから、怖くても……僕は、力から逃げない」

「……そっか。そうよね。うん、うん……、アグニのお父様はすごいわ。……あ、もちろんアグニもよ?」

「……えへへ、そうかな……」


 自分のこともだが、誇りである父を褒められたのはとても嬉しくて、思わず頬が緩んだ。


「……わたしも、逃げたくない……。もしよかったら……アグニも手伝ってくれない?」

「うん。いいよ……僕も、カレンの助けになれたらって、ずっと思ってたから」

「……ずっと?」

「あ、いや、なんでもないよ……!」


 そうして、自然と二人は騎士と魂装者アルムとして、パートナーになった。



 

 他者を傷つけてしまった少年/他者を傷つけることを恐れる少女。

 他者に恐れられる少年/他者を恐れる少女。


 


 とても良く似た二人は、自然と惹かれ合っていった。




 □




 カレンとは様々なことを話した。


 例えばそれは大人になれば大真面目に語る機会がなくなっていくようなことも。


「……どうすれば世界は平和になるのかなあ」

「……ふふ、どうしたの、いきなりそんな壮大な」


 神妙な顔で考えているアグニを見て、笑みを零すカレン。


「父さんは、魔術はただの戦いの道具じゃないって言ってたんだ。でも、実際、今は戦争の形もどんどん変わって、兵器として騎士が使わることも増えていっている。……僕らは人を傷つけるのが怖いけど……こうやって毎日魔術の訓練をしているのは……もちろん、人を傷つけるためじゃないけど……、そのうち、そんなことを言ってられなくなるのかなあって……」

「うーん……」

 

 笑ってしまったのが申し訳なくなるくらい真剣な悩みに、カレンも腕組みして考え込んでしまう。


 アグニの不安は当然のことで、他人事でもない。

 噂ではあるが、別の施設に移動になった子供が、その先で少年兵として戦場に出ているという話も聞いた。

 戦争、騎士の軍事利用、少年兵、殺人……単語だけで恐ろしくなるようなことも、漠然とした形のない不安ではなく、具体性の伴う冷たい現実として、彼らのすぐ近くに存在している。


「……例えば、アグニは世界ってすぐに平和になると思う?」

「うーん……わかんないけど、ならないと思う……」


 アグニは毎日ずっとカレンと話すことで、少しずつこれまでの人類の歩みについて学んでいた。

 人類の歴史は、戦いと共にあった。

 人は、戦うことで進歩してきた。

 

 斧で、槍で、剣で、弓で、砲で、銃で。人は殺し合い続け、また殺し合うための技術も進化させ続けた。

 ――その進化の果てに、今の騎士がいる。

 

 アグニが生まれる十数年前――1999年、世界は一度滅亡の危機を迎えていた。

 隕石でも、大洪水でも、ウィルスでも、核兵器でもなく――、とある凶悪な騎士達によってだ。

 その際に起きた戦いを機に、世界は劇的に変わった。

 今は当時よりは落ち着いたかも知れないが、まだ激動の時代は続いていると、父はそう言っていた。

 現在は混乱が収まっているように見えるが、これは所詮仮初めの平穏。

 世界を包む戦火の火種は、どこにだって燻っている。


「……そう。すぐにはならない。でも……アグニはもう、今あなたが求めているものに手に入れるための鍵を持っていると思うの」

「……鍵?」

「うん……。アグニはいつも、酷いことされても、やり返したりしないでしょ? ……わたしがからかわれると、すっごい怒るけど。でも、本気になれば、誰もアグニに勝てないのに、あなたは誰かを傷つけたりはしない」

「そんなの……、だって、僕は……」


 カレンはこの時には、かつてアグニが力を制御できず、両親を傷つけてしまった話を聞いていた。

 

「『目には目をでは、世界は盲目になる』。『許すことは復讐に勝る』。『復讐心は毒と同じ。人を蝕んで、いつの間にか人を醜く変えてしまう』……アグニはもう、大事なことを知っているよ」


 時々、カレンの話は難しい。


「大事なこと……?」

「……アグニは、強くて優しいから。それが本当の強さだと思うから。だからね、きっと大丈夫。アグニは誰かを傷つけることが嫌なら、わたしもそんな世界になるように協力するよ。……わたしだって、みんなが笑顔の世界の方が、素敵だと思うもの」


 ただの子供同士の、空想に塗れた会話かもしれない。

 それでも、アグニはその時は、本気で信じることができたのだ。

  


 彼女となら、カレンとなら、きっと世界だって変えられると。




 □





 カレンはとても穏やかな少女なのだが、しかしなぜだか読んでいる本はちょっと物騒なものも多い。


「……アグニ、知ってる? 昔は命に料金がつけられていたのよ」

「え? え? どういうこと……?」

「『目には目を、歯には歯を』の話はしたでしょう? 

「えっと、ハンムラビ法典……だっけ?」


 彼女の話はこう続く。


 話に出てきたハンムラビ法典では、当初は文字通り本当に『目には目を』――体罰によって問題を解決していた。

 だが次第に損害賠償金に変わっていき、その際の料金が『女性の一般自由人の〝命〟は銀30シェケル(1シェケル=8.33グラム)、女奴隷の命は銀20シェケル、男性の一般自由人の〝目〟は60シェケルに相当する』とされていた。


「……人の命に、値段がついてるの? それに身分や性別でそんなに価値が変わるの……?」

「『今の感覚』からすれば怖いわよね。でも、当時はこれは『正義とは何か』を示すためのものでもあったのよ」


 当時の人々にとってはこれが公正であり、『法』によって大勢の人間に秩序が生まれ、大勢の人間が協力し、外敵から国を守り、国はより大きく繁栄していった。


「これが……?」

「そう。身分とか性差とか平等とか正義とか……そういう常識は時代によって変わっていくのが当たり前、ってことね」

「なるほど……?」

「……えっと……つまり、アグニが今の世界をおかしいって思っても、頑張っていればきっと少しずつ変わっていく……ってことよ」

「なるほど……!」



 なんだか上手くまとめられた。

 ……単に読んだ本が面白くて、その話をアグニにしたくてしょうがなかったのかもしれないが、そのことには触れないでおいた。




 □





「……アグニ、知ってる?」


 その日も、いつものようにカレンの豆知識のコーナーが始まったなあ……と思った。

 彼女に言うと調子に乗るので黙っているが、密かに楽しみにしてはいるのだけれど。



「アグニ――あ、神話の方のね? アグニは、蓮華から生まれたという説があるのよ」


蓮華れんげ……はす……火蓮カレン?」


「ふふ、そうね。わたしから生まれたのなら、わたしをママだと思って甘えてもいいのよ?」


「……は、はぁ……? なにいってんるんだよ、い、いやだよ……」



 さあ抱きついてこいとばかりに両手を広げて笑うカレンに、アグニは顔を真っ赤にしてしまう。

 思えば彼女はずいぶん明るくなった。

 出会ったばかりの頃は、アグニの前でも言葉をつっかえてしまう程にビクビクしていたのだが、気がづけばこんな冗談まで口にする。

 ちょっとからかわれてしまうことが増えて、困ったものだが。

 アグニも同じように、彼女のおかげでずいぶん明るくなれた。

 

 最近では、ずいぶんと友人も増えて、施設の中での立ち位置も変わってきた。

 始めは周りに恐れられていたアグニと、周りを恐れていたカレンだが、いつしか周囲に人が集まっていた。

 圧倒的な強さを持つアグニと、魂装者アルムとして高い実力を持ち、同年代よりもずっと物知りなカレンだ。

 魔術の扱い方や戦いの基本、他にも様々な知識――話のネタには困らない。

 二人の周りに集まった者達は、いつも二人の話を聞きたがった。



「そうだ。ねえ、カレン、知ってる?」

「ん、なにかしら?」


 珍しくアグニの方から『ねえ知ってる?』を仕掛けてきた。


「カレンって意味は――えっと……外国の名前の方だけど、『純粋』らしいよ。ぴったりじゃないかな?」

「そ、そうかな……?」


 少し頬を染めるカレン。

 仕返しは成功のようだ。




「……んー……んー……そうだ! ねえ、アグニ、『一蓮托生』って言葉があるでしょ?」


「うん?」


 少し考え込んだ末、何か思いついたカレン。

 どうやら引く気はないらしい。




「えーとね、『辛い運命だろうと、最後までともにしよう』……みたいな意味もあるんだけど、このよく使われる方以外に別の意味もあってね……、『夫婦や友人が死後に極楽浄土で咲く蓮で会いましょう』っていうものなんだけど」



 ――死。

 そんな恐ろしい概念も、カレンとの話ではどこか身近な存在だった。

 自分達は、戦いとは無縁の場所で暮らす子どもたちよりはずっと死に近いところにいる。

 だからそれを絵空事ではなく、いつか来るものとして認識していた。

 それでも、死は恐ろしい。

 死とはなにか。もう両親や友人と会えなくなる。カレンと他愛もない話が出来なくなる。

 そんなことは、嫌だった。

 


「……じゃあ、僕とカレンは一蓮托生だね」

「~~~っっ!! も、もう……、今度はわたしが仕返しする番、だったのに……、もう、もう……ほんとにもう……。アグニって、たまにそういうところ、あるよね……」

「……な、なにが? だって……カレンとはずっと、ずっと一緒がいいよ……死んじゃったって、その後もずっと」

「……それは、わたしもだけど……」


 アグニとカレン。

 二人はいつしか、自分達の名前が嫌ではなくなっていた。

 

 アグニは幼い頃、自分の名前の由来を父から聞いた。

 なんでも父が尊敬するインドの騎士の名から取ったらしい。インドでは名付けの際に神話を使うこともあるらしいが、日本人の自分になんだか大仰に感じられて、どうにも落ち着かなかった。

 

 カレン――外国人風のその響きは可愛らしいけれど、暗い自分には合わないと思っていた。

 けれど今は違う。


 蓮から生まれた神の名を持つ少年と、蓮の名を持つ少女。

 二人はこの世界で結ばれて、やがていつかこの世界から旅立ったとしても、蓮の花の上で再び巡り合うのだと、そう約束した。


 出会った頃、二人はまだ六歳だった。

 あれから随分と年月が経って、今では二人とも十三歳になった。


 照れてそっぽを向いてしまうカレン。

 彼女の目元にかかる前髪をかき分けて、美しい紅玉のような瞳を暴き出すアグニ。

 すると仕返しとばかりに、カレンもまたアグニの前髪を指先で避けて、彼の頬に手を添える。

 いつかの遠い日、前髪で遮った視界越しに見つめ合っていた赤い瞳。

 そして今、二人を遮るものはなにもなくて。


 いつか死によって引き裂かれるとしても、必ずまた巡り合うと誓った二人だが。

 それでも、今この瞬間も、確かに二人は結ばれているという証が欲しくて。

 

 どちらともなく、そっと唇を寄せ合って、二人の距離が零になった。




 □


 


 出会いから数年をかけて縮まった距離。

 二人の関係に幸せな区切りがついてから、しばらくは穏やかな日々が続いていたのだが――次第にアグニの周囲では、不穏なことが起き始める。


 ――――まず、嫌な夢を見ることが増えた。


 経緯は不明だが、血まみれのカレンを抱きかかえている自分。

 泣き叫び、助けを乞うが、どうにもならず、自らの手の中で命が溢れていく。


 カレンにそのことを話すと、彼女は優しく抱きしめてくれた。



「……大丈夫、大丈夫だから……」


 何を根拠に言っているのかはわからない。けれども、そうしていると、不安がゆっくりと薄れていった。





 □



 父が研究室に篭もることが増えた。

 理由を聞いても教えてはくれない。

 次第に父と言葉を交わすことも減っていく。

 日に日に父の顔色は悪くなっていった。

 それ程までに研究が行き詰まっているのか。

 どうして休んでくれないのか。

 

 久々に話す機会が出来た時に、父にも悪夢のことを相談すると――。


「……そうか、もう、そんな段階か……」


 重々しく呟かれた言葉の意味はわからなかった。


「……安心しろ。……なにも心配いらない。……なあ、アグニ」

「……なに?」

「父さんにもしものことがあっても……どんなことがあっても、お前はお前のままでいてくれ」

「もしも……って、なんだよ。父さん、何か危険なことをするの……?」

「いいや。もしものことだ。危険というなら、騎士に危険なんてつきものだからな。アグニ……お前なら、きっと、赫世を……」



 父の言葉の意味は、全てはわからなかった。

 『赫世の呪い』。

 小さかった時はわからなかったが、今ならばわかる。

 父はその呪いについても研究している。

 赫世の者は、いつか大切な者を殺し、周囲に破壊を振り撒く。

 

 だが、アグニも父も、そんなことはしていない。

 父はいつも、アグニが優しい子に育ってくれたと褒めてくれて、そのことにしきりに感謝していた。

 

 アグニもそんな呪いの存在などありえないと思っていたし、そんなものがあっても、自分や父ならば打ち破れると思っていた。


 事実として、これまでの『赫世』は恐ろしく残虐なことに手を染めてきた。

 それは《魔術師》であれば避けられぬことなのかもしれないが、《魔術師》達の中でも赫世は恐れられている。

 

 だが、父はその魔術師達の中で『当たり前』とされていることに疑問を持った。

 

 『赫世』はなぜ恐れられるのか。

 一族に伝わる呪いとはなんなのか。


 父は研究を続けていき、ついにたどり着いてしまった。


 ――《英雄係数》。

 この世界を覆う謎の法則。

 騎士でなければ――いいや、騎士であったとしても、意識することすらできない程に当たり前のように、多くの人間を支配している絶対のルール。


 この世界の人間は、《物語》に支配されている。

 そして、『赫世』は『悲劇』という物語を強制されている。




 


 □



 異変はカレンにも起きていた。

 彼女もなにやら日に日に顔色が悪くなっていって、父と同じように、時折苦しそうな表情を見せる。

 何度聞いても、理由は教えてはくれなかった。




 □



 

 ――――そして、運命の日が訪れた。


 

 アグニはその日のことを、ある地点までよく覚えていない。


 その日以前/以後で、彼の記憶は明確に境界線が引かれ、過去の記憶は曖昧だ。

 



 最初の異変が、突如鳴り響いた轟音、凄まじい衝撃。

 地震か、それとも何か途轍もなく強大な術式が行使されたのか。


 そんなことを出来る者がいるとすれば、父くらいだ。

 であれば、父に何かあったのか。


 そう考えて、アグニは衝撃が巻き起こった方向へと駆け出した。


 

 ――――そこから先は、地獄だった。











     ――――死体。










           脳が――、理解を、   拒/んだ、拒んだ、拒んだ、 拒絶、――……。

  

 

 


 

  ――いやだ、 なんだ、これは、


   














 




 死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。






死体死体死体たいせつなひとたちが死体死体死体死体死体みんなみんなしんでいる死体死体死体いやだみたくない死体死体死体死体死体りかいできない死体いやだ死体いやだ死体いやだ死体いやだ死体いやだ死体いやだ死体いやだ





 死、赤、血、鮮血、血、赤、死体、死、


 理解を、


 拒んでも、


 拒んでも拒んでも拒んでも、現実が、消えてなくならない、


     

 

               

       悪夢だ、嘘だ、覚めて、





                                 ――――逃避を許さぬように、








                       一つの死体が、動き出して、




 

   動いた手が、逃さないと言わんばかりにアグニの足を掴んだ。










「…………アグニ――――斬ってッ!」








 霊体のカレンが叫んだ。


 なにを言っているんだ、と、そう思った。


 だって彼は。


 彼は、友人だった。アグニのよく見知った顔、何度も剣を交えた。いつもカレンの話を興味深そうに聞いてくる友人の一人だった。

 血まみれだが、まだ生きて――。



「もう助からない……だから、早くッ!」

「そんなの……、できるわけ……」


 戸惑ってるアグニを置き去りにして、カレンは武装化を解くと、仮想展開させた剣で、アグニの足を掴んでいた少年を貫いた。


 何度も、何度も、何度も、動かなくなるまで、何度も。


「……紅炉さんが言っていたことが始まったんだ」


 父が言っていたこととはなんなのか。

 問いかけるよりも早く、カレンがこちらをまっすぐと見つめて――

 

「……ねえ、アグニ、覚悟を決めて」


「覚悟、って……なんだよ、それ……父さんが言ってたことって? 僕はそんなの、なにも……!」


「……アグニにも伝えるつもりだった。でも、予想よりずっと早かったんだ……。いい、アグニ。聞いて。……もう、これから先、知っている顔に会っても立ち止まらないで。異形化させられた人達は、今のわたし達じゃどうしようもないから……」

「異形化……? なんだよ、それ……」

「……早く逃げないと……わたし達だけなら、きっと……」

「どういうことなんだよカレン! なんだよ、僕達だけって、なに言ってるんだよ!? みんなを見殺しにして逃げるってことか!? 答えてくれよ! なあ、いつもみたいに教えてくれよ……ッ!!」

「紅炉さんは、察知していたの……、前に話したでしょう。かつて世界を滅ぼそうとした騎士達――《終末赫世騎士団》。彼らにいつか狙われることを気づいて、その対策を考えていたけど……、失敗だったみたい……」

「……失敗……、失敗って……?」



 アグニの中では感情がぐちゃぐちゃになっていた。


 訳のわからない状況。

 理不尽。

 自分に何か隠し事をしていた父とカレン。焦り。それらが混ざり合って、どうしようもないまま爆発する。



「……なにがどうなってるんだよッ!? さっきからなんだよそれッ! 冗談じゃない……冗談じゃないぞ、そんなの……、僕は、絶対に父さんを見捨てない! 逃げるなら君だけでも逃げてくれ! 僕は父さんのところへいくッ!」

「それじゃあ紅炉さんの願いが……ッ!」


 カレンは叫び返そうとして――今にも泣き出しそうなアグニの顔を見て、一度言葉を詰まらせた。


 そして、刹那にして無数の逡巡の果てに。



「……わかった……。でも、無理だと思ったら、全力で逃げよう。わかるでしょう、アグニ……紅炉さんが勝てない相手に、今のわたし達が勝てるわけないことくらい」

「……でも、逃げるだけなら……!」

「……うん。そう、逃げるだけだ。なんとかして紅炉さんを助け出そう……!」



 そうして、アグニはカレンを武装化させて駆け出した。

 

 アグニはこの時の選択を、この先ずっと後悔することになる。




 □  



   

 施設の中は全てが地獄だった。


 どこへ行っても死体が転がっている。

 あの思い出の場所も――中庭の、二人がいつも一緒に座って話していた木の下にも、どこもかしこも、血で染まっていた。


 殺し尽くされている。そして、死体が動き出して、生きているものを喰らい、喰らわれた者もまた異形と化していく。

 ゾンビ映画とモンスターパニック映画をかけ合わせたような、現実感のない光景。

 

 そしてたどり着く。

 そこは、学校でいう校庭のような広いスペース――屋外に設けられた戦闘訓練場。

 


 父と、黄金の髪を靡かせる男が剣戟を繰り広げていた。



 

 ――――父はまだ生きている。



 


 生きていた――――、そう、安堵した瞬間だった、




               ――――父の胸に、刃が突き立って、




      父が血に染まり、倒れて、




  直後、アグニは自身の口から絞り出される獣の咆哮めいた音が、信じられなかった、


 

   意識が引き裂かれたような、そんな感覚。


 

   叫んで、駆け出し、剣を振り上げる自分/それをどこか他人事のように傍観する自分。



 

      なぜだろう。


 ――――死んだ、と、自然にそう直感できた。



 この黄雷を纏う男には何をしようが絶対に敵わないと、本能で理解しているのに。

 同じく本能が命じるままに、憎悪のままに、怒りのままに剣を振り抜いていた。



 そして、剣は――カレンが、最愛が変じている武器が、粉々に砕け散った。

 

 ただ、触れただけで。

 男がほんの薄皮一枚で纏わせている魔力だけで、アグニの全力の一撃は敗れ去った。



 

「仇討ちか。素晴らしい――貴君、良い憎悪を瞳に宿らせているな」


 


 たった今、本気で命を狙われたというのに。

 黄金の男が口にしたのは、心からの賞賛だった。



「逃げろ……、アグニ……、こいつには、今のお前じゃ絶対に、敵わない……!」


 

 ――――ふざけるな、とそう叫ぼうとした瞬間だった。



「……ご、ほ……、」



 カレンの武装化が解けて、大量の血を吐き出した。


 

 ――魂装者アルムの破壊されたことによる肉体へのダメージ。


 

 すぐに、理解した。

 このままでは、カレンも、父も、自分も、誰も助からない。



 なんだこれは。

 なんなんだ、さっきから、どうしてこの悪夢は覚めてくれない。


 みんな殺される。誰も助けられない。


 カレンも、父も、今にも死にそうだ。


 大切な人が、全て。





「――――アグニ……」



 その時、父の声が響いた。

 自然と直感してしまう――ああ、きっと、これが最後の会話になる。



「僕がここで死ぬことを悲しむなとは言わない……、でも……恨むな。あの男はきっと、お前を地獄の道に引きずり込もうとする……、それでもどうか、頼む……、僕のことはいい……、君は幸せに生きてくれ……。それが……、それだけが……、僕の願いで……」


 

 何を言っているのだろうか。

 

 ――父さんが目の前で殺されて、幸せに生きる?

 そんなの、無理に決まっている。もう、幸せなんて言っていられるか。そもそもここから生き残って逃げ切れるのか?

 逃げ切ったとして――、父さんがいない世界で、なにをしろって言うんだ?



 

「頼む……、呪いになど負けずに、どうか……」


 

 ――そこで、父の意識は途切れた。



「父さん……!」


 

 火傷の痕がある手が、こちらに伸ばされていたが――その手がアグニの頭を撫でることはなく、力なく落ちていった。





「じきに幕切れか――だが悪くないだろう。父の無念を子が晴らす。良い筋書きだ。……しかし興が削げることを言ってくれる。自身の在り方を否定するか……わからなくはないが、それではオレには届かん」



 黄金の男が、訳のわからないことを好き勝手に口にする。





「――――大丈夫」




 絶望に凍え、身動きが取れなくなっていたアグニの手を、カレンが握った。

 血に塗れた手が、こちらの手を包む。



「……方法は、ある。大丈夫だよアグニ、ちゃんとみんなでここから逃げよう」

「でも、そんなの、どうやって……!」


 父ですら勝てない相手だ。逃げることすらままならないはず。


 父はまだ、生きている。

 すぐに治療をすれば、助かるかも知れない。

 

 だが、どうやって?

 どうすればこの男から逃げることができる?





「……わたしを、信じて」





 父すら敵わない相手を倒そうなどと大それたことは願わない。

 ただ、ここからみんなで生きて帰る、たったそれだけのために。


 血に濡れる最愛の少女の手を取って。

 再び彼女を武装化させて、絶望そのものの具現である男へと立ち向かう。



 その時――――霊体となったカレンが、こう口にした。


「――――《魂装供犠サクリフィス・アルム》」





 □





 

 ――――さよなら、アグニ……。


 カレンはアグニに告げなかった。

 ここで自分は永久に武装化し、もう二度と人として生きることはないということを。

 自ら死を選ぶことと同じだ。

 きっとアグニは怒るだろう。

 それでも、もうこうする以外に道はなかった。

 ここで全員死んでしまっても――アグニは文句を言わないだろう。

 

 けれど駄目なのだ。それでは、アグニの■はどうなってしまうのだ。

 

 まだ彼にはやるべきことがある。

 ずっとそれを望んでいたのだから。

 それを共にするのが自分ではないのは悔しいけれど。

 

 それでも、彼には新しい、いいパートナーを見つけて欲しい。

 アグニは優しいから。きっと、自分なんかより素敵な人が見つかるはず。

 これもきっと、彼は怒る。アグニに同じことをされたら、物凄く怒る。

 

 でも、いいのだ。



 だって、自分達は一蓮托生なのだから。


 

 ――初めて話しかけてくれた日。

 本当に嬉しかった。

 何度も彼の視線には気づいていたし、こちらもこっそり彼を見つめていた。

 本を盾にして、彼の姿を盗み見る時はドキドキした。

 目が合いそうになることが何度かあって、もしかしたら彼も自分と同じ気持ちなのかと妄想するだけで心が跳ね回った。

 こちらから話しかけようとしたことも、何度もあったが、勇気が出なかった。


 ――初めてキスをした日。

 自分が誰かと心の底から通じ合えるなんて、思ってもみなかった。

 物語でそういうシーンを見るのは好きだったけど、どこか自分と関係ないと思っていた。

 こんな臆病な、何もできない自分を愛してくれる人なんて一生出会えない。

 そんな確信があったからこそ、ずっと物語の世界に逃げ込んでいたのかもしれない。

  



 ――――ねえ、アグニ。

 

 ――――ここでお別れだけど……、それはほんの少しの間だけ。


 

 ああ、わたしってワガママだな。

 わたしのことは忘れて、他にいい人を見つけてください――って、本気でそう思っているのに。

 

 それでも。






 ――――また、蓮の上で会いましょう。








 希供木カレンの魂は、そんな希望と共に、供物となった。






 □






 《魂装供犠サクリフィス・アルム》。

 

 魂装者アルムを武装化させる《魂装解放リベラシオン・アルム》。

 これはただの基本。

 

 武装化した魂装者アルムを、さらに別の形状へと変える《魂装転換コンヴェルシオン・アルム》。

 ここからは、厳しい修練が必要となり、大々的には公開されていない技術ではあるが、それでも実力ある魂装者アルムにとっては基本技術と言えるだろう。


 だが、《魂装供犠サクリフィス・アルム》は違う。

 その存在が知られてしまうことすら恐れられる、秘匿された禁忌技術。



 紅炉の目が見開かれた。

 ――あり得ない。

 どうしてそれを、カレンが知っているのか。


 

 カレンはあまりにも聡明過ぎた。

 だから、気づいてしまった。

 魂装者アルムについて調べていく内に、『意図的に伏せられている情報』の存在に気づき、そしてたどり着いてしまったのだ。 

 

 カレンは事前に、紅炉から《終末赫世騎士団》襲来の可能性について聞かされ、もしそうなった時はアグニを説得して逃げるように言われていた。

 だというのに、彼女はここへ来てしまった。

 逃げるべきだったのに。ここに来るべきでは、なかったのに。


 カレンには、自信があった。

 例え己の全てを捧げてでも、アグニも守るべきものを守り抜けるという自信が。


 《魂装供犠サクリフィス・アルム》の効果。


 それは――――『魂装者アルムの魂を捧げ、永久に武装と化すことを代償に、即座に《開幕ライトアウト》を会得する』というもの。


 








「――――《開幕ライトアウト》――――」









 爆発的に高まる魔力。

 これまででも、大人の実力ある騎士と遜色ない力を持っていたアグニの力が、さらに引き上げられる。


 

 ――――すごい……、これなら、もしかして……。


 アグニの絶望に満たされていた心に、一筋の希望が差し込んだ。


 一気に引き上げられた魔力を収束させ、爆破加速による一閃を叩き込む。

 


 だが――――。




「素質は十分――が、あまりに拙い。蕾を摘むような無粋はしたくはない。今はその憎悪に水をやるといい」


 


 砕け散った。

 男に触れた瞬間、粉々に砕けていく真紅の剣。


 まただ、またカレンが傷ついてしまう。


「……カレンッ!」


 呼びかけても、答えはない。

 それどころか武装化から戻ることすらない。

 なにかが、おかしい。

 

 握った剣から、カレンの魂を感じない――いや、確かにそこにあるはずなのに、彼女からの熱が伝わってこない。






「――――よくその目に焼き付けておくと良い、この瞬間から貴君の新たな物語が始まるのだから」




 

 そう言って男は、父のもとへ歩み寄っていく。



 やめろ――、やめてくれ、そう叫びたいのに、恐怖と絶望で上手く声が出ない。

 それでも、全てを押し殺して、やっと叫びが放たれ――





「やめろォォオオオ――――――――――――ッッッッッ!!!!!!!!!」





 ――――男が剣を振り下ろした。


 かくして――――復讐譚の幕開けとなる、断頭の一閃は、過たず赫世紅炉の命を奪った。





 


 □





 悪夢はいつもここで途切れる。

 絶望は未だ終わりが見えない。

 

 アグニはゼキに殴られ続け、意識が途切れかけた時――この悪夢がフラッシュバックしていた。


 いつもそうだ。

 肉体的な痛み、疲労、そんな些細なものによって心を削られた時。

 少しでも歩みが止まりそうになる度に、そんな怠惰は許さないとばかりに悪夢の記憶が蘇る。

 

 あの日に比べれば。

 どんな痛みも、どんな強敵も、全てが矮小に思える。


 

 全てを失った。

 父を。母を。仲間達を。

 最愛を。


 カレンは死んだ訳ではない。彼女の魂は、未だ捉えられている。

 彼女の《魂装供犠サクリフィス・アルム》が不完全だったことなどの特殊な要因により、このような奇妙な状態になっているのだが、しかし。


 彼女の解放する条件――それは、アーダルベルトを殺すことだ。

 

 自分が全てを諦めて自ら死を選ぶことがないように吊るされた餌。

 あまりにも悪辣な趣向。

 罪桐ユウは《人類最悪》などと下らないことを誇りにしていたようだが、自分も含めて《終末赫世騎士団》の者は人類史上屈指のクズ揃いだ。

 

 アーダルベルト――あまりにも遠い最果てを前に、心が折れそうになることは何度もあった。

 が、許されない。

 憎悪が。

 彼女への愛が。

 今はもう、どちらの想いがこの体を支えているのかも、区別がつかない。


 一蓮托生。

 いつか彼女に再会出来るとして、自分は彼女の前で笑えるのだろうか。


 この血にまみれた汚れた手で、彼女を抱きしめられるだろうか。

 

 平和を願った優しい彼女と、赫世の呪われた運命に抗おうとした父。



 大切な者達全ての願いを踏みにじって、赫世アグニは憎悪に染まった。





 □






「――――《開幕ライトアウト》――――」


「――――《世界焼き尽くすレーヴァティン・憎悪の赫蓮ルヴァンシュ》――――」






 さあ――復讐譚ルヴァンシュの幕開けだ。

 


 アグニの《開幕ライトアウト》の効果――『彼の赫怒や憎悪に応じた、瞬間出力の上昇』。

 このような物語に応じた能力強化は、《終焉神装ラグナロク》にはないものだ。



 真紅園ゼキは強かった。

 《主人公》に至るだけの才能があり、そこに驕らぬ工夫もある。

 が、所詮はそこまで。

 現時点で、彼がこちらを凌駕する唯一の可能性。


(あの《開幕ライトアウト》を使った時点で、戦いの結末は決まっている)



 真紅園ゼキが『《開幕ライトアウト》』と口にした瞬間の魔力の高まり。

 そしてその後、ひたすら打撃を放ったというのに自分を倒せていないという事実。


 やはり彼の《開幕ライトアウト》は持続時間があまりにも短いのだろう。

 だから、《開幕ライトアウト》を利用してアグニを捉える血溜まりの罠へ誘導するまではよかったが、決め手に欠けてしまった。

 もう彼にここから逆転する方法はない。


 それでも、アグニは《開幕ライトアウト》を使った。

 ここまで何度も予想を超えられた。

 万全を期すに値する。









「《世界焦がす破滅の炎剣レーヴァテイン・エンデヴェルト》」







 

 天を衝かんばかりに伸びていく巨大な炎。

 長大な炎剣は、巨人が振るう剣の如く。


 だが――、一回戦での雪白フユヒメ戦のように炎剣がそのまま振り下ろされることはなかった。

 天を衝く威容は消え去り、元の剣の大きさへ戻っていった。

 

 突然アグニが手心を加えた――という訳ではない。

 技を解除したのではなく、長大な炎剣を形作っていた凄まじい魔力を全て圧縮し、剣の纏わせているのだ。


 そのまま振り下ろせば広範囲を焼き払うことが出来るが、こうして圧縮することで、魔力を一切ロスすることなく斬撃に乗せることが出来る。範囲は当然大きく狭まるが、威力で言えばこちらが格段に上だ。


 

 剣の切っ先を後方へ向けるアグニ。

 脇構え――だろうか。剣を下げたことにより、一見無防備に思える。それにより攻撃を誘うという使い方もあるが、しかしアグニとゼキは大きく距離が離れている。この時点でその構えを使う意味はないように見えるが――


 直後――――アグニの姿が、霞んだ。



 凄まじい轟音。

 アグニの体がゼキへ直撃、冗談のような勢いでゼキが弾き飛ばされ、場外へ。


 壁に叩きつけられて、放射状に亀裂が走る。




 ――――死んだ、と大半の者が確信した。


 


 ゼキが壁から崩れ落ちて、地面に叩きつけられる。

 ぱらり……、と砕けた壁の破片が散った。



 瞬間移動めいた動き。

 原理はあまりにも単純だ。

 これまでゼキも何度もやっていたような爆破加速――――その威力を極限まで高めただけだ。


 爆破加速にはいくつも制限があった。

 まず、一瞬で高められる出力の限界。そして、出力を高めすぎた場合の体へかかる負荷。

 それらの問題は全て、アグニが持つ凄まじい魔力で解決できる。


 広範囲を焼き払う程の魔力を全て加速へ当てる。さらに同時に、自身の体を大量の魔力で覆い、保護する。

 これらを同時に行使してしまえる程の魔力量。




 そして、超高威力の爆破加速を以て、ただ対象へぶつかる――――それだけで、今大会トップクラスの破壊力を実現する。

 

 これを超える威力となると、概念的な破壊(レヒトの技等)を除けば、ゼキの《開幕ライトアウト》くらいのものだろう。


 


 そして――。


 倒れているゼキへ向けて、再び――……。

 


 




「《世界焦がす破滅の炎剣レーヴァテイン・エンデヴェルト》」







 並の騎士ならば魔力を全て消費して発動するような技の連続使用。


 ここで、確実に終わらせる。


 炎剣が、空へ伸びる。

 再び圧縮し、破壊力を追求するのか。今度はそのまま逃れられる広範囲灼熱斬撃を放つのか。

 いずれにせよ、場外で倒れているゼキに回避する術があるようには思えない。


 ――――そう、もはやアグニにとって、『勝敗』という段階は通り過ぎている。


 ここから先は、真紅園ゼキを、衆目の前でどう殺してやるかだ。









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