第07話 ここに立つ、その意味を
――真紅園ゼキの心臓へ吸い込まれていく槍の穂先。
――――殺った、とそうアグニは確信した。
だが――
「――……ッ!?」
アグニの手に伝わってきたのは肉を貫く感触ではなく、もっと硬質な何か。
槍が何かに阻まれ、ほんの少し速度が減じるのと同時、ゼキは僅かに身を捻る。
槍はゼキを貫くことなく突き進む。アグニの腕が伸び切った。
――なぜ。
刃堂ジンヤのように、胸に何か仕込んだか。
いや、だとしてもあり得ない。
似たようなパターンとして、刃堂ジンヤが棒手裏剣如きで助かったのは、単に黒宮トキヤの技量不足だ。
通常、高密度の魔力塊である魂装者が非魔導性物質に負けるはずがない。
まして大した厚みもない棒手裏剣だ。そんな物は諸共に貫いてしまえばいい。
それができなかったのは、トキヤが穂先の形状を変えることの方に意識や魔力を割きすぎていただけだろう。
アグニの魔力量があれば、他に魔力を割きつつだろうが、それでも大抵の物を貫けるだけの魔力を槍に注ぐことができる。
無論、槍の威力に回した魔力を全て注げた訳ではなかった。
爆破による軌道変化は精密な操作が必要とされる。そちらに集中する分、ただ突くよりも多少威力は減じる。
――そこで気づいた。
ゼキの体を貫いた感触がなかったというのに――彼の胸元、裂けた制服の辺りから血が滴っている。
血だ。
彼は血を操る――そして、血を硬化させることができるはずだ。
恐らくそれだけではない。
加えて、凄まじい魔力の集中。
魔力による防御は、範囲を絞り一点に集中させる程に堅牢さを増す。
心臓部だけに絞って、血を硬化させ、さらに魔力の一点集中。そこまでやれば、今の防御に説明がつく。
しかし、それを成し遂げるには――
「読んで、いたのか……!」
「殺意が透けてンだよ。冷静ぶっても、頭に血ぃ上って攻めが甘くなってんぞ」
アグニが漏らした言葉に、ゼキがさらに踏み込みながら応える。
最初から、心臓を狙うと――アグニは確実に相手を殺害しようとすると、そう読み切ってしまえば、防ぐのも楽になる。
冷静な、つもりだった。
どれだけ憎悪に染まろうが、それで戦いに支障をきたすようなことはないはずだった。
それでも。
同じように――赫怒に染まりきって、やかましく吠えているだけに思えた相手に、冷静に見透かされていた。
そして。
――――そして。
ゼキの右拳が弓引くように振りかぶられて。
つまり、これが意味することは。
拳の間合い。
ずっと警戒していことは、なんだったか。
「――――《開幕》――――」
――――まずい……ッッ!
ほとんど反射で、アグニは足元を爆破、後方へ大きく跳んだ。
拳の間合いから逃れる。
一撃。
たった一撃なのだ。
その一撃からさえ逃れることができれば勝てる。
魔力の高まりを感じる。
が、もう拳の間合いからは逃れた。
一撃を外すことができたのならば、もはや脅威はない。
たった一撃外してしまえば、それだけで真紅園ゼキの敗北は確定する。
だが――
そこで、違和感。
足が、動かない。
視線を下方へやると――そこには、血溜まりが。
血の硬化。
それにより、足を固定された。
だが、なぜ――?
なぜこんなところに血溜まりが?
即座に浮かぶのは、つい先刻に素手で容易く払った血杭の攻撃。
あれは、ただの陽動か。
半ば自棄のような無意味な攻撃に見せかけ、この時のための布石としたのか。
あそこでの攻撃により、足元に血の通り道を作っておく不自然さを消して、アグニに気づかれぬようにここに血溜まりの『罠』を設置していたのだ。
そして、その罠に嵌めるために《開幕》すら利用したというのか。
《開幕》を警戒している以上、発動させるだけで確実にアグニを動かすことはできる。
ただ、相手を動かすためだけに。
周到にして、大胆――だが、愚策だ。
魔力を使い切っているのなら、もう大技はない。であれば、身動きが取れない状態だろうが関係ない。
耐えきってみせる。
ただそれだけの話だ。
「耐えてみろや……」
再び迫ったゼキが拳を放つ。
「オオオオオォォォォォルァアアアアアアアアアア――――――――――ッッッッ!!!」
殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、
――殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴殴。
拳の弾雨を放ちながら、ゼキは叫ぶ。
「シエン先輩は、テメェのクソみてえな思惑のせいで大会に出ることができなかったッ!」
ゼキの先輩である夕凪シエンは、アグニの命令を受けたレイガによって敗北し、三年最後でありながら大会出場を断念せざる得なかった。
「他にも大勢の人の想いを、テメエは踏みにじった……ッッ!!」
雪白フユヒメは彼に敗北した。
黄閃学園の烽条ホムラだって、彼に傷つけられた。
屍蝋アンナは彼に連れ去られたことがある。
大勢を傷つけた罪桐ユウと、アグニは同じ組織の所属だという。
筋違いもあるかもしれない。
ゼキが拳に込めた想いの中には――背負うような関係性ではない相手の想いもあるかもしれない。
それでもだ。
自分は、蒼天院セイハを倒してここにいる。
ゼキはヒーローなんてガラじゃない。
正義なんてクソくらえ。
だが、この一戦に限っては。
赫世アグニという、他者をなんとも思わずに踏みつけていくクソ野郎をブン殴ることに関しては。
ここに立つ意味はわかっている。
セイハを倒してここに立つ者の責任は、必ず果たす。
これまでこいつに踏みつけられた人間を代表して、こいつをブン殴る。
ヒーローとやらがやることと同じだ。
お節介だろうが、なんだろうが、関係ない人間の想いも勝手に背負って、拳に込めて、ブン殴る。
セイハを倒したことが申し訳ないから――などではない。
ただ、自分がそうしたいから。
自分が気に食わないから。
真紅園ゼキは、いつだってそうやって、魂が吠えるがままに生きている。
言ったはずだ。
――――「この街には――――――オレ達がいるッッ!!」
――――「オレはこの街を、この大会を汚すヤツは絶対に許さねえ――――覚悟しとけや?」
赫世アグニの事情は知らない。
何があって、殺すなどと息巻いているかはわからない。
だが、そんな相手には負けられない。
ゼキの信念は拳を通して相手と向き合うこと。
だからこそ、彼は戦いを渇望するが、『殺害』は忌むべきものなのだ。
死んでしまったら、向き合えない。
拳は相手をただ傷つけるためではなく、向き合うために。
それ故に、相手と向き合わず、ただ己の事情だけを押し付けて殺すなどと吐き捨てる赫世アグニの在り方が許せなかった。
「オレはなァッッッ!
タイマン張ってる目の前の相手に目もくれねえクソ野郎になんざァッ!
誰かを踏みつけても屁でもねえってツラしてるようなクソ野郎になんざだけはなああああああああああああああァッッ!!
絶ェェッッッ対にィッッ!!!!
負ァけねえんンンだよォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――ッッッッッ!!!!!」
殴る、殴る、殴って殴って、想いを吐き出し、叩きつける。
大量の拳打を受け、倒れかけたところをまたアッパーで強引に起こされ、最後に顔面を殴りぬかれて、アグニの体が宙を舞った。
どさり――と、リングに叩きつけられ、彼の体が動かなくなった。
『ダウン――――――――――ッッッッッ!!!!!!
一回戦、二回戦共にダウンどころかダメージすら負わなかった赫世選手から!!!
ついにダウンを奪ったァ――――――ッッッッ!!!!』
――――絶叫が、狂騒が、熱狂が、会場を支配した。
本当に、ここでゼキがアグニを倒してしまうのではないかと、会場の大半がそう思った。
だが――――。
□
意識が吹き飛びそうになる程に激しく殴られ続けた。
事実、アグニの意識が途切れかけていた。
だが、まだだ。
彼は絶対に意識を手放さなかった。
――この程度で、倒れるわけにはいかない。
どれだけの絶望を、涙を、無念を、執念を、慟哭を、憎悪を、赫怒を背負って、ここに立っているのか。
その意味を、アグニは正しく理解しているから。
この程度、あの日の絶望に比べれば。
あの時の慟哭に比べれば。温い、あまりにも温い。
父が殺された時の無力感を覚えている。
母を焼いた火の熱さを覚えている。
大切な者達の躯が敷き詰められた道を歩いた時の恐怖を覚えている。
助けてくれと、死に瀕した者が差し伸べた手を払い除けた瞬間の、己への失望を覚えている。
最愛の少女を守ることができなかった時の絶望を覚えている。
全てを奪われた時のことを、覚えている。
忘れない。
忘れられるはずがない。
地獄に落ちるその日まで――いいや、何度この魂が地獄ですり潰されようとも。
輪廻の果てに至ろうが、この想いは忘れない。
あの日に比べれば、この身を轢き潰される痛みすら無意味に等しい。
負けられない、あの男を――アーダルベルトを、殺すまでは。
だから立ち上がった。
血を吐きながら。
骨を軋ませながら。
身を焦がす激痛すら、所詮は微風と断じて切り捨て。
折れた歯を吐き捨て、口の中を血を吐き捨て、アグニは立ち上がった。
凄絶で、異様な光景だった。
当初、圧倒的と思われていたアグニが追い詰められ、ゼキよりも遥かに大きなダメージを受けている。
それでも、未だアグニの目からは闘志が微塵も失われていない。
アグニの脳裏には『あの日』が浮かんでいる。
――――だから。
「――――《開幕》――――」
それを口にしたのは、赫世アグニだ。
そう、《終焉神装》は《開幕》の別の名称などではない。
二つは似ているものの、まったく別の技術だ。
《終焉神装》とは、《神格因子》の力を解放するもの。
そこに魂装者の力は必要ない。
そして、《開幕》は、自身と魂装者の魂を繋ぎ、物語を描くものだ。
そして、赫世アグニは、《終焉神装》と《開幕》を同時に使用することができる。
未だ《終焉神装》の能力、その全容を見せていない段階で、アグニは本当の実力を開帳する。
もはやこの先の戦いのために手札を温存するなどとは言っていられない。
認めよう――真紅園ゼキは強い。
刃堂ジンヤなどより、余程強いだろうと、アグニはそう考える。
なぜなら彼は、《主人公》でありながら、そこに奢らず工夫を重ね続け、アグニに一矢報いたのだから。
だが、ここまでだ。
――――これから見せるのは、些細な工夫などでは超えられない、絶対の壁。




