第05話 「もっと、本気で、殺しにこいや」
真紅園ゼキ対赫世アグニの試合が行われる直前。
もはや大会などという小さな枠組みすら、憎悪の炎が燃やし尽くそうかと思われた時――それを防いだのもまた炎。
真紅園ゼキの怒りがアグニを強引に大会へと引き戻した。
アグニの憎悪を誘導した策を仕掛けたキルは、自身の計算が狂わされたこと自体には不満を抱いてはいなかった。
キルが何かを仕掛ける時は、大抵その結果がどう転ぼうが楽しめるように計算する。
策を仕掛けた時点で、キルの目論見はほとんど成功していると言っていい。
例えば斎条サイカ。彼女がレヒトを殺せるならそれで良し。いくらサイカに才能があるとは言え、レヒトの相手にはならなかったが、構わないだろう。セイバとの因縁が結実しなかったサイカの絶望は、いつかさらなる絶望を生むのだから。
例えば刃堂ジンヤ。ジンヤがトキヤに負けて絶望するのもいい。トキヤを倒し、《主人公》というつまらぬ予定調和を崩してくれるのもまた楽しめる。
(まー、あの時は行きたいルートからは外れちゃったんだけどね……あーあ、ジンヤくんともっとイチャイチャしたかったなあー……、もー、渇くなあ~、濡れないなあ……)
今回の件も、これまでと同じだ。
アグニがここでユウヒと殺し合っても良い――それが叶わずとも、アグニの憎悪を強めることには成功した。
キルとしては、不知火アザミによってアグニの説得が成功し、彼の復讐心が薄れてしまうことを避けなければならなかったのだ。
そうなってしまっては面白くない。
アグニの物語は『復讐譚』。その核が弱まれば、アグニの弱体化に繋がる。
テーマのブレた物語など、読めたものではないだろう。テーマや主人公のキャラがブレている、なんていうのは稚拙な物語にありがちなことだ。
アザミの説得はあの時点では成功していないが、しかし後々アグニが腑抜けになってしまう布石にはなり得たはずだ。
キルは、アザミの物語を読んで、彼女の行動を読み、『ユウヒはアグニの母親を殺している』という、温存していた情報を使うタイミングを決めた。
(不知火アザミちゃんねえ……? そんなにお兄ちゃんに似てる二人のことが気になっちゃうかなー? 百年以上生きてるっていっても、結局お兄ちゃん離れできてないガキじゃん……あー、きっしょ、ないわー。兄貴とかいてもうざいだけだって笑)
ここでアグニを焚き付けておくのは、アーダルベルトの意向にも沿っている。アーダルベルトが求めるいくつかの戦い、その候補の中には復讐により牙を研ぎ続けアグニも入っているのだから。
《終末赫世騎士団》などという組織はいずれ捨てる――というか、こちらの目的のために利用するつもりではあるが、時が来るまでは組織の一員らしく、それらしいことはしておくつもりだ。
なにもかも、未だ《作者》の思い通り。
この世界は己の支配下だ。
だが――。
(…………気に入らないのはさぁー……)
――真紅園ゼキ。
方法はさておき、アグニを強引に大会へ引き戻したのは彼だ。
ジンヤではなく、彼が。
どんな形であれ、ジンヤ以外の人物が自分の描いた物語をかき乱してくるのは、たまらなく不愉快だった。
(あー超ムカつく。アグニに殺されて死ね、クソ《主人公》)
□
『さあ、いよいよ三回戦第二試合!
二回戦での蒼天院セイハとの試合で、決勝戦もかくやという熱い戦いを見せてくれた真紅園ゼキ選手!
そして、一回戦二回戦ともに圧倒的な力を見せつけ勝ち上がったきた赫世アグニ選手!
ここまでくると、いずれの選手も凄まじい実力者であることは明白!
果たして勝ち上がるのはどちらなのか!?』
実況の桃瀬がいつにも増して声を張り上げる。
密かにゼキのファンである彼女だ。『ゼキくん頑張ってーっ><』と思いつつも、立場上、そういう部分を出す訳にはいかないと己を戒めるが、ついつい多少熱が入ってしまう。
(一時はどうなることかと思ったけど……ひとまず、無事試合はできそうだな。まだ、安心はできないけど……)
ジンヤは不安を抱えつつ、試合の行く末を見つめていた。
試合前の一件。ジンヤ達が駆けつけた直後、キルはあっさりと退いた。
ジンヤが試合前のゼキと話している時だった。そこへやってきたアザミという少女の要請で、競技場地下にあるリングへ向かうこととなった。
彼女は何者なのか。なぜキルの動きを予測できたのか。謎の多い少女だった。
年齢に見合わぬただならぬ身のこなしといい、気になることは多い。
わからないといえば、ユウヒとアグニの関係もだ。ユウヒが言うには、アグニが恨みを持つ人物と、ユウヒと因縁のある人物が同一で、そのことでアグニに襲われたとのことだが――ユウヒにも気になる部分は多いが、いずれ明かしてくれるのだろうか。
だが、その前に目前の試合についても大きな不安がある。
憎悪を燃やす赫世アグニ。
彼はこれから、対戦相手を全て殺すと言ってのけた。ゼキが簡単にやられるとは思えないが、しかし相手はあのアグニだ。
ジンヤは今でも思い出す。
赫世アグニとの戦い。ハヤテと二人がかりですら、まったく歯が立たない桁違いの強さを持つ騎士。
あの時、ジンヤは初めて『死』というものを感じた。殺されると、本気で思った。オロチが来ていなかったら、どうなっていたかわからない。
恐怖。罪桐ユウに対してのような悪辣な趣向への嫌悪と入り混じったものとも違う。
ただ純粋に、圧倒的な力。
そんなものを持つアグニに対しての恐れ。
アグニと戦うことになったとして、まずその恐怖を乗り越えることができるのか。
ただでさえ絶対的な力を持つ相手だ。
余計な恐怖を持ったままでは、彼の宣言通り本当に為す術なく殺されてしまう。
(……この恐怖も、超えるべき壁だな……)
これまでいくつも超えてきた。
これまで通りだと、言ってしまうことも簡単ではあるが、しかしジンヤは殺意を持った相手と向き合った経験が、アグニやユウヒと比べて絶対的に不足している。
そのことが、この先の戦いでどう影響するか。
《主人公》という壁を超えた後も、未だジンヤが超えるべき壁は無数に存在している。
□
《本当に呆れてしまいますわ……》
「お前、いつも呆れてるな」
《……ええ、お陰様で。いつもいつも呆れ果てるようなことしかなさらない粗忽者のお兄様のせいですわ》
クレナの小言はいつものことだが、まさか試合前に怪我をするような危険を犯すとは。
本当に、いつもいつも信じられないことしかやらかさない。
クレナからすれば、アグニのことなど放っておけばいいのだ。彼が勝手に大会から退場してくれるならそれでもいい。彼を止めるにしても、どうせならそこでダメージを与えておいて試合を有利に進めてしまうことだって出来た。
ましてや自ら相手に己を殴れという提案をするなど。
まともな理屈で考えれば、ゼキのやっていることは不合理で非効率的な、意味不明な所業ばかりだ。
しかし。
それでも。
それでも、だ。
クレナは呆れ果てたとは何度も言っているが、しかしそういった提案を兄にするつもりが一切ない。
賢く立ち回る必要などない。
これが真紅園ゼキなのだから。
この愚かさが、自分の愛した兄だ。
《前回の試合があんなことになってしまったのですから……今回は、もっと私を使ってくださらないと……》
「使わないと、なんだよ」
《……すねますわ》
「すねるのか」
《ええ、すごく。ぷいっと》
「ぷいっとか」
《ええ、ぷいっと》
「あー……、はいはい、任せろ。……さすがに武器捨てて殴り合おうぜつって乗ってくる相手とも思わないしな。そういうのはセイハ相手に十分やったし、フツーにブッ倒してやるよ」
《ええ。あんな試合したんですもの。あれで優勝できなかったら、大恥でしてよ?》
「ハッ、わかってるっつーの。……とりあえず、アイツには心底ムカついてるからな。後のことはブン殴ってから考える、まずアイツをブン殴らねえと気が済まねえ」
ゼキは相対したアグニを睨めながら、赫怒を込めて、拳を握る。
――「デカいこと抜かしてんじゃねえよビビリが……何が殺すだ、やってみろザコが。テメエは、オレにぶっ飛ばされんのが確定してんだよ」
――「ビビってんじゃねえぞザコがァァッ! オレはなあ、セイハの代わりにテメェをぶっ飛ばさなくちゃいけねえんだよ。悪党が尻尾巻いて逃げ出してえのはわかるけどなァ……、きっちりオレにぶっ飛ばされてから消え失せろや、チキン野郎がァッ!」
アグニへの怒りは、先程吐き散らしたばかりだが、あんなものでは済まない。
セイハを倒してここへ立っている以上、もとから彼を倒すことは確定事項だった。
そこへさらに彼への怒りを相まって、ゼキのボルテージは高まり続けている。
睨み合う二人。
ゼキの怒り。アグニの憎しみ。二人の激情の高まりを察したように――試合開始が告げられた。
□
先に動き出したのは、足元を爆破させ加速するゼキ――だが、先に攻撃を放ったのはアグニの方だった。
剣を瞬時に弓へ変化させ、火で形成された矢を連続で叩き込んでいく。
「……ちッ、」
ゼキが、彼にしては珍しく火球を生み出し、矢を撃ち落としていく。が、射撃の腕に限れば競うまでもなくアグニに軍配が上がる。
ゼキ程度の速射性では、アグニには到底追いつけない。
ユウジ程の腕がなくては撃ち合うことはできないだろう。
そのユウジでさえ、撃ち合えたとしても、射撃の技量以前に根本的な出力とスタミナの差で押し負ける可能性が高い。
ゼキが爆破加速を繰り返して動き回り、火矢を躱していく。
「あれだけ吠えておいて……口だけか?」
徐々に矢がゼキを捉えていく。狙いを合わされた際、ゼキは火矢を手甲で包まれた腕でガードしているものの、防御でも消費する魔力はゼロではない。
魔力総量ではアグニが勝ることを考えると、芳しくない展開だ。
爆破加速ではいくら素早く動けたとしても、直線的な動きに限られる。ある程度動きを読める以上、逃げ続けることは難しかった。
展開としてはジンヤに近いものがあるだろう。ゼキも基本的に拳の間合いを主戦場とするため、戦闘開始直後はまず間合いを詰めなければならない。
火矢が再びゼキへ迫る。対し彼は右手を振り上げており、ハンマーのように下方へ振り下ろす。鉄槌打ちが火矢を霧散させるが、そこでは止まらずさらに進み――リングへと叩きつけられた。
爆炎が上がる。
それによって、ゼキの姿が一瞬隠された。
アグニは巻き起こる煙に向けて矢を撃ちつつ、後方へ下がった。一瞬とはいえ、姿を眩ましたのだ。そこから何か仕掛けてくるだろうが、こうして距離を取る程にリング全体を視界に収めることができる。そうなれば不意を打てる可能性は減じていく。
その時、周囲でいくつも爆発が起きた。
アグニが起こしたものではない。ならばゼキが引き起こしたものだろうが、狙いがまるで合っていない。接近できない苛立ちで自棄でも起こしたのだろうか。
(無駄な足掻きだ。このまま何もさせずに撃ち殺して――……、
――――直後、ゼキの拳が、アグニの顔面に叩き込まれていた。
『な、なにが起こったぁ――――!?
真紅園選手が爆煙の中に姿を隠したかと思えば、次の瞬間、赫世選手の眼の前に現れている――――っ!?』
どうやら観客席からでもゼキの姿は消えていたようだ。
考えられるのは、熱により光を屈折させ、光学的に姿を消す方法。が、『熱』を操るのはアグニも同じだ。その手を使ってくることは読めている。
対策として、アグニはゼキを目視できなくなった瞬間、即座に熱線感知を巡らせていた。
これで光学的に姿を消そうが、見失うことはないはずだった。
だが――ゼキはそこへの対策もしていた。
排熱を追尾するミサイルに対して、フレアによって熱源を欺瞞して逃れる。ゼキがやったのはそれと似たような手法だ。
自身を光学的に姿を隠し、さらに周囲を熱することで熱線感知からすらも逃れた。
アグニが感知を巡らせることは予想していた。不自然な欺瞞ではすぐに見抜かれることも予想できていたので、さらに狙いのいい加減な爆発を引き起こすことで、意識を散らせて、周囲を高温にすることで熱的偽装の不自然さも消しておいたのだ。
「二回戦の試合で使われてた手だぞ。まんまと食らったってことは、テメエはその試合を見てもいないんだろうけどなあ……」
「……あれ、爛漫院オウカの……ッ!」
キララは思わず拳を握った。
自分とオウカの試合終盤、キララの熱線感知は、周囲を振動させ高温にしたオウカの熱的な欺瞞により防がれた。
自分が使った技ではない。
そして、キララはアグニとはなんの因縁もない。
それでも――この光景には、胸が熱くなる。
自分の戦いが、ジンヤに勇気を与えられた時と同じ。
光の外で戦っている者でも。
《主人公》でないとしても。
それでも確かに、この世界に、誰かに、何か影響を与えられているという実感。
「そうやって見下してる相手に、テメエはブッ飛ばされんだよ! 上ばっか見てっと、足元すくわれんぞ? なあ、オイ、わかったかよ。わかったらよ、もっとよォ、本気でこいや……」
倒れるアグニを見下し、胸の中で荒れ狂う怒りを言葉に乗せて叩きつけていく。
言葉で放つ、拳であった。
眼前の男は、ゼキを殺すと言ってのけた。
だが、まだだ。まだ足りない。
まだ驕りが見えている。
自分を殺す? ああ、良いだろう、望むところだ。
だが、なんのために?
彼は、なんと言った?
――「……真紅園ゼキ、刃堂ジンヤ。お前らはついでだ。俺の復讐のために殺してやる」
――――ついで?
ついで、と。
ついで、だと。
この真紅園ゼキに対して、赫世アグニはそうほざいた。
「……ちまちま、ちまちまと……遠くからしょっぺえ眠てえ攻撃ばっかかましてんじゃねえぞ、ビビってんのかよチキン野郎がッッ!!
もっと、本気で、殺しにこいやアアアアアアアァァ、赫世アグニィッッッ!!」
再び赫怒を吠える。
真紅園ゼキは、喧嘩相手に余所見をされることも、ナメられることも絶対に許容しない。
□
ゼキの咆哮を天を仰ぎながら聞いていたアグニは――――笑った。
「……マジか。アグニ……笑ってる……?」
観客席でレイガが静かに呟く。
本当に薄い、見逃してしまいそうな笑みではあるが、彼の口端は吊られていた。
久しぶりの感覚だった。
アグニにレイガのような戦いを楽しむ趣味はない。
ここ最近で興が乗った戦いと言えば、精々風狩ハヤテとのものくらいか。
あれはハヤテが《主人公》の器であり、なおかつ魂装者との信頼関係を築き上げているという部分が大きい。
だが、高揚している――あの時よりも、確実に。
「いいだろう、望み通り鮮血に沈めてやる……」
真紅園ゼキ。彼はどこまでも死にたがりのようだ。ならばその驕りをとことん後悔させた上で殺してやるのが相応の報い。
「――――殺してやるよ、真紅園ゼキ」
ユウヒを殺すためならば大会などどうでもいいと思っていた時とは違う。
下らぬ大会に拘る平和ボケした者達の誇りを汚すためだけに、舞台を血に染めようと思っていた時とも違う。
ただ目の前の男への怒りのために。
目の前の男に対しての殺意を。
真紅園ゼキという一人の男への殺意を込めて、その名を口にした。
ここに来て、ついに赫世アグニは、真紅園ゼキを敵として認めた。
「――――《終焉神装》――――」
使うつもりはなかった。
仮に使わされたとしても、《開幕》を処理するためだと思っていた。
――さあ、ここからが本番だ。
世界を焦がす神へ挑むことの意味を、その身を焦がす炎の熱さで知るがいい。




